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[[2008年]][[1月14日]]、東進ハイスクールへ移籍。
[[2008年]][[1月14日]]、東進ハイスクールへ移籍。
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== 経歴 ==
=== 生い立ちから中古車店勤務まで ===
[[神奈川県]][[鎌倉市]][[大船]]出身。小学生のとき、同級生の佳乃ちゃんに惚れるが結婚後、姓名が吉野佳乃になることを懸念し断念。中学2年生の時、1歳年下の[[弟]]を[[交通事故]]で亡くし、母親はそのショックで狂乱状態になり、父親は[[会社]]を辞め、一時[[家庭崩壊]]に陥りそうになる。自身も中学時代から荒れ始め、高校入学後も[[ケンカ]]・[[酒]]・[[タバコ]]・[[シンナー]]浸りになり、[[暴走族]]、[[大和PIERO]]の[[特攻隊長]]として3000台もの[[オートバイ|バイク]]を引き連れ、湘南海岸沿線を暴走していた。40人の不良を相手に一人で立ち向かったり、[[拳銃]]を持った暴力団員にも勝利をおさめる。[[暴力事件]]で3度の停学、暴力団関連の事件に関与し、[[覚醒剤]]取締法違反で[[警察]]に逮捕され、[[東京都|東京]][[少年鑑別所]]に収監された。鑑別所では天皇級の扱いを受ける。高校卒業後は在学中から[[アルバイト]]をしていた中古車販売会社に就職し、1年半勤務した。営業成績はトップであったが飲酒運転で時速140km/hで壁に激突するも生還。

=== 大学受験時代 ===
当時交際していた[[ファッションモデル]]の女性と破局した事から、[[雪山]]で自殺を図るが寒くて断念。[[ボーイフレンド]]の[[プレリュード]]に乗った元彼女と遭遇し[[1986年]][[9月21日]]に大学受験を決意し、中古車販売会社を退職。[[有坂誠人]]の[[私塾]]であるミレー塾と、[[代々木ゼミナール]]の単科ゼミに通い始める。朝の9時から翌朝の5時まで、一日20時間場所を問うことなく勉強をする。眠い時は[[ユンケル]]や[[コーヒー]]を飲み、眠気が酷い時は手の甲に[[針]]を刺した。食事もあまり取らず視力は0.1まで落ちる。

大学受験を決意した2日後の[[9月23日]]に初めて代ゼミの全国[[模試|模擬試験]]を受け、[[偏差値]]が[[国語]]は25、[[日本史]]24、[[英語]]23と合計しても80に満たなかったが、12月の模試の時点で国語の偏差値86、全国順位で3位を記録。他にも[[旺文社]]の模擬試験で国語の偏差値90超、[[小論文]]の模試で全国2位となった。但し英語は半ば捨てていたのでほとんど伸びることはなかった

國學院大學をはじめ[[立教大学]]や[[明治大学]]、[[法政大学]]など計9つの大学(全て[[日本文学]]関連の学科)に合格している。合格通知は元交際相手の前で破り捨てた。

=== 大学時代 ===
國學院大學在学中には、[[東京大学]]・[[早稲田大学]]・[[慶應義塾大学]]・[[お茶の水女子大学]]などの古文の天才と呼ばれる学生達を集め、「[[源氏物語]][[研究会]]」という[[サークル]]をつくり、その研究会の議長を務める。

特待生として授業料が免除されるほど成績優秀であったため、國學院大學[[大学院]]へ無試験で進学できる権利を有し(実際には進学していない)、また某有名私立高校の教諭への就職も内定していた。しかし、[[中国]]に貿易会社を作るという夢のため、[[北京大学]]に短期留学するなど準備を進めていたが、[[六四天安門事件|天安門事件]]の勃発により挫折。その後[[家庭教師]]のアルバイトや、代々木ゼミナール大船校(現・湘南キャンパス)での予備校講師を経験した際、生徒が合格していく姿を見て予備校講師という新たな夢を見出す。

有坂誠人の紹介で、代々木ゼミナールの講師に推薦される。本来であれば、同校講師の推薦があれば、講師採用試験はないが、元暴走族の特攻隊長という異色の経歴のため、講師採用試験を受ける。当時、代々木ゼミナールの講師採用試験の受験資格は、大学院修了以上とされていたため、新卒の大学生に受験資格が与えられる事は異例であった。試験会場に着くのが早すぎたため、偶然立ち寄った[[図書館]]で読んだ古文が、又しても講師採用試験に出る。結果、古文だけで全受験者300名中、合格者は1名。200点満点中、120点以上を合格基準とする試験で196点をとる。当時の史上最年少史上最高得点で講師採用試験に合格する。

=== 代々木ゼミナール講師時代 ===
講義スタイルは極めて[[オーソドックス]]で、基本に忠実な講義。遅刻・途中退室、肘つきは一切認めなかった。態度が悪い生徒には容赦なく、教室から退出させられることがある(頬杖をつく、携帯を鳴らす、居眠りするなど)。[[週刊誌]]等での厳しい助言や外見等から怖い講師というイメージが強いが、授業中は比較的穏やかで真面目な生徒に厳しいことを言うことはほとんどない。

[[2006年]][[12月2日]]、横浜校の本科の私大古文Aより各校舎の二学期最終講義において、「今年度限りで代々木ゼミナールを退職する」と宣言。あまり一ヶ所に留まっているより、常に何か新しいことに挑戦していきたいという。

2006年度三学期の最後講義までには今後のことを報告し、[[2007年]][[1月31日]]付けで代々木ゼミナールを退職した(本当は[[2005年]]を最後に退職するつもりだったが、自身がストレッチ中に足を怪我してしまった事から退職を1年延期したという。)

=== 代々木ゼミナール退任後 ===
[[2007年]][[2月1日]]付けの日刊スポーツによると「[[自民党]]から夏の参院選の公認候補として打診を受けており、今の教育の荒廃には目をつぶっていられない。できない子どもでも、落ちこぼれだったオレのようにできるようになれる仕組みをつくりたい」と強い意欲を紙面で語った。

関係者によると、昨年11月中旬、教え子の父親で自民党の[[衆院]]議員と会食し、出馬を打診された。吉野氏は「出馬するかどうかはまだ考え中」と明言は避けたが、準備は着々と進んでいる。昨年末から教え子で東大、早大、慶大などの政治学科卒業生や在学生に声を掛け、教育改革の[[マニフェスト]]に必要なデータ収集も始めている。

代ゼミの講師仲間には「受験生を対象に勉強法を教えながら投票することの大事さを伝えたい。それが親や親戚にも伝わって浮動票を獲得できる」と独自の選挙戦術も披露し、さらに「オレは自分の[[ポリシー]]は守る。選挙用に服装は変えない。頭も煙突リーゼントでいく。時計も[[ロレックス]]を外さない。外見じゃなくて中身を見てほしいね」とも話していた。

しかし、選挙直前になって国学院2部卒があらわになることを警戒し立候補を見送り、個人塾「[[吉野塾]]」を設立した。

[[2008年]][[1月14日]]、本人のブログ上で東進ハイスクールへの移籍を表明した。

== 事件 ==
=== 体罰騒動 ===
2002年[[私立]]高校3年の男子生徒を怪我をさせたとして[[傷害罪|傷害]]容疑で[[書類送検]]された。生徒の両親が[[警察]]に被害届けを出したため、[[体罰|体罰問題]]が表面化した。同[[予備校]]からも厳重注意と減給処分がされた。

=== 差別発言騒動 ===
2004年12月20日の[[解放新聞]]によれば、全国の予備校・塾・高等学校などに配信されるサテラインの講義中、吉野敬介が「[[少年鑑別所|鑑別所]]にランクってあるんです……俺なんか暴走族の特攻隊長のとき、入ってんだよ。鑑別所に入った瞬間に、天皇陛下級なの、ほんとに……[[レイプ]]とかな、[[強姦]]なんかで入っちゃった日にゃ、な、[[穢多|エタ]]・[[非人|ヒニン]]だ。ほんとに」などと、部落民に対する差別ともとれる発言をした。これに対し[[部落解放同盟]]は、代ゼミに[[人権]]意識が足りないとし、同年11月に[[確認会]]を開き、吉野敬介の他、高宮英郎(法人総括本部)、松田不器穂(東京本部副校長)などを召喚した。その他にもあまり表ざたにはならなかったが職業差別などもあり差別発言はサテライン等ですでに常態化していたことも事件の背景にあった。
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== 著作 ==
== 著作 ==
著作は古文関連の学習参考書と、自身の大まかな経歴や中学・高校・大学受験に対する教訓・アドバイスや自己啓発の内容などを書き記したものの2つに大別できる。後者には中学時代から代ゼミ講師時代までの経歴が綴られている。しかし、書いた本によって内容の矛盾や記述の変更があり、高校時代の写真を著書に多く載せているが暴走族をやっていた写真がないなど、経歴を含めて内容にに対する疑問が挙げられている<ref>『再受験生が教える医学部最短攻略法06』他</ref>{{要検証|date=2012年11月}}
著作は古文関連の学習参考書と、自身の大まかな経歴や中学・高校・大学受験に対する教訓・アドバイスや自己啓発の内容などを書き記したものの2つに大別できる。
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後者には中学時代から代ゼミ講師時代までの経歴が綴られているものが多い。そこではおおむね、暴走族の特攻隊長であった高校時代を経て、卒業後に中古車販売店で働くも20歳の9月に失恋を機に大学受験を決意し、4か月で国語の偏差値を25から86に上げて複数の大学に合格し、大学卒業後に代々木ゼミナールの講師となったという内容である。しかし、書いた本によって内容の矛盾が存在し、暴走族などの経歴や模試の結果を裏付ける写真も載っていない。論者によっては、経歴を含めて内容に対する疑問を挙げている<ref>『再受験生が教える医学部最短攻略法06』他</ref>{{要検証|date=2012年11月}}。


以下、著書に存在する客観的な矛盾点。<p>
以下、著書に存在する客観的な矛盾点。<p>
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また、1991年の著書では、「各大学の入試がすべて終わった2月、とうとう第一志望の国学院大学の合格発表の日がやってきた。(中略)俺の受験番号がある」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』30~31ページ</ref>とあるが、上記のように国学院は第一志望ではないうえ、彼が卒業したのは二部であり、入試と合格発表は3月である。<p>
また、1991年の著書では、「各大学の入試がすべて終わった2月、とうとう第一志望の国学院大学の合格発表の日がやってきた。(中略)俺の受験番号がある」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』30~31ページ</ref>とあるが、上記のように国学院は第一志望ではないうえ、彼が卒業したのは二部であり、入試と合格発表は3月である。<p>
===窃盗について===
===窃盗について===
1991年と1993年の著書では、以下のように窃盗・万引きの記述が頻繁に登場していたが、2009年の著書では'''「物を盗むというのは、お店の人の生活に迷惑がかかるから、そういうことは俺はめったにやらなかった」'''<ref>『ROOKIES勝利学』31ページ</ref>としている。
2009年の著書では'''「物を盗むというのは、お店の人の生活に迷惑がかかるから、そういうことは俺はめったにやらなかった」'''<ref>『ROOKIES勝利学』31ページ</ref>としているが、1991年と1993年の著書では、以下のように窃盗・万引きの記述が頻繁に登場していた
:1991年7月の著書には、「金がなくなると、スーパーマーケットに行って、いろいろなものを万引きしてくる。(中略)ただ万引きするんじゃ面白くないから、誰がいちばん高いものをかっぱらってくるか競争する」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』121ページ</ref>「ゲームセンターでは、(中略)カギを盗んで、タダで何度もやる」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』122ページ</ref>「腹がへると、近くの店にパンを盗みに行く」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』124ページ</ref>と、何度も窃盗の記述が登場している。<p>
:1991年の著書には、「金がなくなると、スーパーマーケットに行って、いろいろなものを万引きしてくる。(中略)ただ万引きするんじゃ面白くないから、誰がいちばん高いものをかっぱらってくるか競争する」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』121ページ</ref>「ゲームセンターでは、(中略)カギを盗んで、タダで何度もやる」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』122ページ</ref>「腹がへると、近くの店にパンを盗みに行く」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』124ページ</ref>と、何度も窃盗の記述が登場している。<p>
:1993年7月出版の著書『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』では複数の窃盗・万引きに関する記述があるが、2009年9月出版の同書籍の改訂版『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』では、以下のように'''窃盗・万引きに関する記述がすべて削除されている'''。以下、前者が改訂前、後者が改訂後。
:1993年の著書『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』では複数の窃盗・万引きに関する記述があるが、2009年の同書改訂版『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』では、以下のように'''窃盗・万引きに関する記述がすべて削除されている'''。以下、前者が改訂前、後者が改訂後。
*「ケンカや万引きはしょっちゅう」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』13ページ</ref>→「しょっちゅうケンカしていて」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』15ページ</ref>
*「ケンカや万引きはしょっちゅう」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』13ページ</ref>→「しょっちゅうケンカしていて」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』15ページ</ref>
*「バイクを盗んで乗り回したり」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』15ページ</ref>→削除
*「バイクを盗んで乗り回したり」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』15ページ</ref>→削除
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===イジメについて===
===イジメについて===
2001年4月の著書には、'''「ただし、いじめっていうのはやらなかった。だって、いじめって卑怯だろ」'''<ref>『さらば、借り物人生』、現在は改題して『自分で決められないヤツは受験するな!』として改訂。41ページ</ref>、2008年9月の著書には「だけど、イジメなんてものはしたことがなかった」<ref>『大好きに生きろ!』195ページ</ref>との記述があるが、1991年7月の著書には、「技術家庭の作品や美術の絵は、パシリ(遣いっぱしりをやるヤツのこと)にやらせて、自分は名まえだけ書いて提出する」との記述がある<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』123ページ</ref>。<p>
2001年の著書には、「ただし、いじめっていうのはやらなかった。だって、いじめって卑怯だろ」<ref>『さらば、借り物人生』、現在は改題して『自分で決められないヤツは受験するな!』として改訂。41ページ</ref>、2008年の著書には「だけど、イジメなんてものはしたことがなかった」<ref>『大好きに生きろ!』195ページ</ref>との記述があるが、1991年の著書には、「技術家庭の作品や美術の絵は、パシリ(遣いっぱしりをやるヤツのこと)にやらせて、自分は名まえだけ書いて提出する」との記述がある<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』123ページ</ref>。<p>


===その他===
===その他===
1991年7月の著書では、高校で3回停学になったエピソードが随所に登場している<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』3ページ、128ページ、159ページ</ref>。しかし、2009年4月の著書では、「俺の母校は3回停学をくらうと退学になる、という決まりがあった」として、友人が3回停学になって退学になったエピソードが記されている<ref>『ROOKIES勝利学』38ページ</ref>。<p>
1991年の著書では、高校で3回停学になったエピソードが随所に登場している<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』3ページ、128ページ、159ページ</ref>。しかし、2009年の著書では、「俺の母校は3回停学をくらうと退学になる、という決まりがあった」として、友人が3回停学になって退学になったエピソードが記されている<ref>『ROOKIES勝利学』38ページ</ref>。<p>
また、暴走族の特攻隊長として「3000台の先頭を走ってきた」<ref>『だからお前は落ちるんだ、やれ!』74ページ</ref>と述べていたが、2001年の著書では、「3000人を率いるのだ。1500台で一気に駆け抜ければ」<ref>『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』72ページ</ref>となり、2011年以降の著書では「最大時は1000台以上」<ref>『20代で受けておきたい仕事の授業』3ページ、『オマエだけの言葉で話してみろよ! 人をその気にさせる、吉野流会話術100』2ページ</ref>との表現に変わっている。
また、暴走族の特攻隊長として「3000台の先頭を走ってきた」<ref>『だからお前は落ちるんだ、やれ!』74ページ</ref>と述べていたが、2001年の著書では、「3000人を率いるのだ。1500台で一気に駆け抜ければ」<ref>『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』72ページ</ref>となり、2011年以降の著書では「最大時は1000台以上」<ref>『20代で受けておきたい仕事の授業』3ページ、『オマエだけの言葉で話してみろよ! 人をその気にさせる、吉野流会話術100』2ページ</ref>との表現に変わっている。
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成人式のパーティに参加せず勉強した旨の記載に関しても、「アキノブの家に行って、パーティのことを忘れるように、ただ勉強に打ち込んだ」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』49ページ</ref>「15日には、オレはパーティのことを忘れるために、塾で友だちになった伊藤章伸のところで勉強することにした」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』49ページ</ref>となっていたのが、「おれは成人式に行くのをやめた。(中略)近くの図書館に向かった(中略)夜の8時まで図書館にいて家に帰った」<ref>『大好きに生きろ!』70ページ</ref>と変化している。
成人式のパーティに参加せず勉強した旨の記載に関しても、「アキノブの家に行って、パーティのことを忘れるように、ただ勉強に打ち込んだ」<ref>『やっぱりおまえはバカじゃない』49ページ</ref>「15日には、オレはパーティのことを忘れるために、塾で友だちになった伊藤章伸のところで勉強することにした」<ref>『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』49ページ</ref>となっていたのが、「おれは成人式に行くのをやめた。(中略)近くの図書館に向かった(中略)夜の8時まで図書館にいて家に帰った」<ref>『大好きに生きろ!』70ページ</ref>と変化している。


== 学習参考書 ==
== 学習参考書 ==

2013年2月26日 (火) 01:27時点における版

吉野 敬介(よしの けいすけ、1966年6月25日 - )は、日本学習塾経営者予備校講師。吉野塾(個人塾)代表。東進ハイスクール客員講師(古文担当)。札幌大学客員教授。元代々木ゼミナール専任講師。また、一時期生島企画室マネジメントを受けていた。

経歴

逗子開成高等学校を経て、國學院大學文学部二部日本文学科卒業。

1991年から代々木ゼミナール講師。2007年1月31日付で退社。参議院選挙への準備を進めていると報道され、本人も意欲を見せていた[1]が、実現しなかった。その後、個別指導の吉野塾を設立。

2008年1月14日、東進ハイスクールへ移籍。

著作

著作は古文関連の学習参考書と、自身の大まかな経歴や中学・高校・大学受験に対する教訓・アドバイスや自己啓発の内容などを書き記したものの2つに大別できる。
後者には中学時代から代ゼミ講師時代までの経歴が綴られているものが多い。そこではおおむね、暴走族の特攻隊長であった高校時代を経て、卒業後に中古車販売店で働くも20歳の9月に失恋を機に大学受験を決意し、4か月で国語の偏差値を25から86に上げて複数の大学に合格し、大学卒業後に代々木ゼミナールの講師となったという内容である。しかし、書いた本によって内容の矛盾が存在し、暴走族などの経歴や模試の結果を裏付ける写真も載っていない。論者によっては、経歴を含めて内容に対する疑問を挙げている[2][要検証]

以下、著書に存在する客観的な矛盾点。

勉強した時期等について

20歳の9月(1986年9月)に受験を決意して4か月で国語の偏差値を25から86にあげたことをを著者の紹介欄に書いているが、著書の中には、1986年1月1日(高校卒業10か月後、大学合格の1年以上前)の日付がついた写真でこたつで勉強している姿が載っているものがある[3]

大学受験を決意したときには小学校で扱う内容のことも知らなかったことが書かれている(例「『ミナモトノヨリトモ?誰ですか、それ』『794年?何かあったんですか』。ふざけているわけじゃなく、ほんとうに知らないのだ」[4])が、改訂版で追加された記述には、「小学校までオレはものすごく成績が良かった。クラスのいちばんっていえば、オレか」と、小学時代には成績が良く中学受験(栄光学園と述べている[5])をしたエピソードがある[6]

複数の著書で、「9月23日の模試の偏差値が25で、12月17日の模試では86」と記載している[7]が、1986年12月17日は平日の水曜日であり、通常は模試が開催されない。

また、上記の12月17日の模試で国語が全国3位だったと述べられている[8]が、最近の著書では「生まれて初めて書いた小論文が全国で三番だった」[9]とも述べている。

合格大学に関して

1991年の著書[10](1998年文庫化して改題[11]。以下同じ)には、「立教・明治・法政ババババーっと合格の嵐だ」[12]「立教の文B(小論文の試験)を受かった」[13]「実際、学習院、明治、法政(すべて文学部の日文や国文)など、国学院よりも偏差値が高く、有名な大学にも受かった」[14]「オレは8校受けたが、全部文学部だった」[15]との記述があり、さらに1993年の著書には、「まだ早稲田の入試が残っている」[16]「オレは結局、すべての大学に受かっていたのだ」[16]と、受験した8校すべてに受かったかのような記述がある。

しかし、2008年の著書では、専修大学の受験に失敗した記述があるほか[17]、「志望校である國學院大學に合格。ほかにも明治や立教などの難関校にも合格することができた」[18]、2009年の著書では、「俺は奇跡的に、明治大学、立教大学、國學院大學の三校に合格できた」[19]となっている。

さらに、2011年以降の著書では「国学院よりもいい大学に行きたかった」[20]、「本当は早稲田に行きたかった。でも行けなかったから國學院に行った」[21]と述べられている。

くわえて、上記の1993年の著書の「オレは結局、すべての大学に受かっていたのだ」という記述が、2009年の改訂版では、「オレは結局、ほとんどの大学に受かっていたのだ」という記述に変わっており[22]、別ページでは「早稲田に落ちた」とのエピソードが追加されている[23]など、現在は、早稲田に落ちたことを著書で明かしている[24]

また、1991年の著書では、「各大学の入試がすべて終わった2月、とうとう第一志望の国学院大学の合格発表の日がやってきた。(中略)俺の受験番号がある」[25]とあるが、上記のように国学院は第一志望ではないうえ、彼が卒業したのは二部であり、入試と合格発表は3月である。

窃盗について

2009年の著書では「物を盗むというのは、お店の人の生活に迷惑がかかるから、そういうことは俺はめったにやらなかった」[26]としているが、1991年と1993年の著書では、以下のように窃盗・万引きの記述が頻繁に登場していた。

1991年の著書には、「金がなくなると、スーパーマーケットに行って、いろいろなものを万引きしてくる。(中略)ただ万引きするんじゃ面白くないから、誰がいちばん高いものをかっぱらってくるか競争する」[27]「ゲームセンターでは、(中略)カギを盗んで、タダで何度もやる」[28]「腹がへると、近くの店にパンを盗みに行く」[29]と、何度も窃盗の記述が登場している。

1993年の著書『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』では複数の窃盗・万引きに関する記述があるが、2009年の同書改訂版『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』では、以下のように窃盗・万引きに関する記述がすべて削除されている。以下、前者が改訂前、後者が改訂後。
  • 「ケンカや万引きはしょっちゅう」[30]→「しょっちゅうケンカしていて」[31]
  • 「バイクを盗んで乗り回したり」[32]→削除
  • 「そのままケンカをやりに行ったり、万引きで誰がいちばん高価なものを盗めるか競争したり」[33]→「そのままケンカをやりに行ったりしたものだ」[34]
  • 「バイク、ケンカ、シンナー、万引き……勉強するヒマなんてない」[35]→「バイク、ケンカ、タバコ……勉強するヒマなんてない」[36]
  • 「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、万引き、盗み、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・・」[37]→「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・」[38]

イジメについて

2001年の著書には、「ただし、いじめっていうのはやらなかった。だって、いじめって卑怯だろ」[39]、2008年の著書には「だけど、イジメなんてものはしたことがなかった」[40]との記述があるが、1991年の著書には、「技術家庭の作品や美術の絵は、パシリ(遣いっぱしりをやるヤツのこと)にやらせて、自分は名まえだけ書いて提出する」との記述がある[41]

その他

1991年の著書では、高校で3回停学になったエピソードが随所に登場している[42]。しかし、2009年の著書では、「俺の母校は3回停学をくらうと退学になる、という決まりがあった」として、友人が3回停学になって退学になったエピソードが記されている[43]

また、暴走族の特攻隊長として「3000台の先頭を走ってきた」[44]と述べていたが、2001年の著書では、「3000人を率いるのだ。1500台で一気に駆け抜ければ」[45]となり、2011年以降の著書では「最大時は1000台以上」[46]との表現に変わっている。

成人式のパーティに参加せず勉強した旨の記載に関しても、「アキノブの家に行って、パーティのことを忘れるように、ただ勉強に打ち込んだ」[47]「15日には、オレはパーティのことを忘れるために、塾で友だちになった伊藤章伸のところで勉強することにした」[48]となっていたのが、「おれは成人式に行くのをやめた。(中略)近くの図書館に向かった。(中略)夜の8時まで図書館にいて家に帰った」[49]と変化している。

学習参考書

  • 『吉野のピタリとでる古文単語』(代々木ライブラリー、1996年)
  • 『吉野のパロディ的中爆走古文"パテ古"(Part.1)(Part.2)Yozemi TV-net』(代々木ライブラリー、1998年)
  • 『吉野の古文 スーパー敬語法』(代々木ライブラリー、1999年)
  • 『吉野の古典文法 スーパー暗記帖』(学研、1999年)
  • 『吉野のセンター古文』(学研、2002年)
  • 『吉野の古典文法 スーパー暗記帖 改訂版』(学研、2007年)
  • 『吉野式 スーパー古文敬語 完璧バージョン』(学研、2007年)
  • 『吉野式 爆走古文単語 完璧バージョン』(学研、2007年)

一般書

  • 『「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』(ごま書房、1991年)
  • 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』(ロングセラーズ、1993年)
  • 『やっぱりおまえはバカじゃない』(小学館、1998年)(『「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』を文庫化して改題)
  • 『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』(PHP研究所、2001年)
  • 『自分で決められないヤツは受験するな!』(PHP研究所、2004年)(『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』を文庫化して改題)
  • 『よく聞け!おまえはバカじゃない』(小学館、2006年)
  • 『今日から始める「やる気」勉強法』(共著)(ロングセラーズ、2007年)
  • 『驚くほど伸びる!5日間「やる気」改革プログラム』(共著)(ロングセラーズ、2008年)
  • 『今、頑張れないヤツは一生頑張れない。』(世界文化社、2008年)
  • 『半日で読む 源氏物語』(世界文化社、2008年)
  • 『大好きに生きろ!』(東京書籍、2008年)
  • 『熱血!吉野塾勉強法』(ロングセラーズ、2009年)
  • 『今、変わらなければいつ変わるんだ、やれ! 』(ロングセラーズ、2009年)
  • 『ROOKIES勝利学』(集英社、2009年)
  • 『紫式部にケンカは売るな! 吉野流「古典で学ぶ人生論」講義』(講談社、2009年)
  • 『学校では教えない古典』(東京書籍、2009年)
  • 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』(ロングセラーズ、2009年)(『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』を加筆・修正)(2011年に新書版)
  • 『爆走道化師』(東京書籍、2009年)
  • 『一日で読める源氏物語』(PHP研究所、2010年)
  • 『オマエだけの言葉で話してみろよ! 人をその気にさせる、吉野流会話術100』(講談社、2011年)
  • 『何のために勉強するのか』(共著)(ロングセラーズ、2011年)
  • 『砂漠から芽を出せ!』(PHP研究所、2011年)
  • 『一日で読める平家物語』(東京書籍、2011年)
  • 『20代で受けておきたい仕事の授業 』(小学館集英社プロダクション、2012年)
  • 『一日で読める徒然草』(東京書籍、2012年)

参考文献

荒川英輔『再受験生が教える医学部最短攻略法』06他

脚注

  1. ^ 2007年2月1日日刊スポーツ
  2. ^ 『再受験生が教える医学部最短攻略法06』他
  3. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』25ページ
  4. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』41ページ
  5. ^ http://smpy.jp/%e5%90%89%e9%87%8e%e6%95%ac%e4%bb%8b/2/
  6. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』230ページ
  7. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』48ページ、『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』98ページ、『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』46ページ
  8. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』44ページ、『大好きに生きろ!』46ページ
  9. ^ 『何のために勉強するのか』163ページ
  10. ^ 『「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』(ごま書房、1991年)
  11. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』(小学館、1998年)
  12. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』63ページ
  13. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』99ページ
  14. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』102ページ
  15. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』103ページ
  16. ^ a b 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』136ページ
  17. ^ 『大好きに生きろ!』47ページ
  18. ^ 『大好きに生きろ!』46ページ
  19. ^ 『今、変わらなければいつ変わるんだ、やれ!』188ページ
  20. ^ 『何のために勉強するのか』57ページ
  21. ^ 『20代で受けておきたい仕事の授業』167ページ
  22. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』154ページ
  23. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』193ページ
  24. ^ 『ROOKIES勝利学』62ページ
  25. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』30~31ページ
  26. ^ 『ROOKIES勝利学』31ページ
  27. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』121ページ
  28. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』122ページ
  29. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』124ページ
  30. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』13ページ
  31. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』15ページ
  32. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』15ページ
  33. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』16ページ
  34. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』18ページ
  35. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』21ページ
  36. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』23ページ
  37. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』114ページ
  38. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版』120ページ
  39. ^ 『さらば、借り物人生』、現在は改題して『自分で決められないヤツは受験するな!』として改訂。41ページ
  40. ^ 『大好きに生きろ!』195ページ
  41. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』123ページ
  42. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』3ページ、128ページ、159ページ
  43. ^ 『ROOKIES勝利学』38ページ
  44. ^ 『だからお前は落ちるんだ、やれ!』74ページ
  45. ^ 『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』72ページ
  46. ^ 『20代で受けておきたい仕事の授業』3ページ、『オマエだけの言葉で話してみろよ! 人をその気にさせる、吉野流会話術100』2ページ
  47. ^ 『やっぱりおまえはバカじゃない』49ページ
  48. ^ 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』49ページ
  49. ^ 『大好きに生きろ!』70ページ

外部リンク