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'''谷崎 光'''(たにざき ひかり<!-- 生年は本人が非公表を望んでいるため記載しないで下さい。-->)は、[[日本]]の[[作家]]{{Sfn|毎日新聞|2020}}{{R|NewsPicks|相模原市立図書館}}。著書は『中国てなもんや商社』{{R|森2021|豊田2009}}や『北京大学てなもんや留学記』{{Sfn|李|2011}}、『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』{{Sfn|東|2015}}{{R|中沢2015}}など。デビュー作の『中国てなもんや商社』は1998年に[[松竹]]で「[[#てなもんや商社|てなもんや商社]]」として映画化された{{Sfn|東|2016}}{{R|森2021|松竹}}。2020年時点で[[北京]]在住20年{{R|毎日著者紹介}}。 |
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'''谷崎 光'''(たにざき ひかり)は、[[日本]]の[[作家]]<ref>{{Cite web |url = https://www.lib.sagamihara.kanagawa.jp/TOSHOW/asp/WwShousaiKen.aspx?FCode=1447424 |archiveurl = |author = |title = |website = www.lib.sagamihara.kanagawa.jp|publisher = Sagamihara City Library|date = |archivedate = |accessdate = 2024-07-01}}</ref>。 |
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== 来歴 == |
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=== 日本時代 === |
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[[京都市]]生まれ、[[大阪市]]育ち。[[大阪府立大手前高等学校]]卒。[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学芸術学部]]文芸学科に現役合格するも、家族の反対で断念。進学した[[武庫川女子大学]]から、[[京都芸術短期大学]](現・[[京都造形芸術大学|京都芸術大学]])造形芸術学部染織科へ転学。卒業時は藍染絣織り着物の制作で学長賞を受賞。 |
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<!-- 生年は本人が非公表を望んでいるため記載しないで下さい。-->[[京都府]]に生まれ、[[大阪府]]で育つ{{R|毎日著者紹介}}{{Efn2|「大阪生まれ」とされている場合もある{{R|著者紹介1999|著者紹介2002a|著者紹介2002b}}。}}。三姉妹の末っ子{{R|泉2002}}<!-- 家族・親族の詳細については[[Wikipedia:存命人物の伝記]]や[[Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して]]、[[Wikipedia:中立的な観点]]に留意し、今のところ記載していません。-->。[[大阪府立大手前高等学校]]出身{{Sfn|李|2011|p=61}}。高校時代は[[作家]]志望で、[[交換日記]]をしたり、授業中に手紙を書いたりしていたという{{R|あとがき1996}}。[[武庫川女子大学]][[文学部]]を中退し、[[京都芸術短期大学]]芸術造形学科で[[染織]]コースを卒業{{Sfn|李|2011|p=61}}{{R|著者紹介2002a|著者紹介2002b}}。[[1987年]]([[昭和]]62年)から[[ダイエー]]と[[中華人民共和国]]の[[合弁企業]]である貿易商社に勤務{{Sfn|東|2016}}{{R|毎日著者紹介|森2021}}。[[アパレル産業|アパレルメーカー]]の製品を中国の縫製工場へ委託するにあたり、谷崎は中国側との折衝を担当した{{Sfn|佐藤・松原・福田|1996|p=110}}{{R|田辺1999|池上2008}}。 |
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商社は5年で退社したが、業務や人間関係に不満はなく、書くことをやりたかったと述懐している{{R|あとがき1996}}。退職後は編集者学校などに通い、親の会社でアルバイトをしたり文章を書く仕事をしたりしたという{{R|あとがき1996|あとがき2002}}。[[1995年]](平成7年)に原稿を[[文藝春秋]]へ自ら持ち込み{{Sfn|佐藤・松原・福田|1996|p=110}}{{R|あとがき1996|文春BOOKSa}}{{Efn2|[[文藝春秋]]社の受付に原稿を置いて行ったという{{R|あとがき1996|文春BOOKSa}}。}}、翌[[1996年]]([[平成]]8年)に貿易商社での経験を描いた[[ノンフィクション]]『中国てなもんや商社』で作家デビューする{{R|森2021}}{{Sfn|東|2016}}{{R|著者紹介1999}}。同作の編集や販促についても、自身の希望を通したり自ら行ったりした{{Sfn|佐藤・松原・福田|1996|p=110}}{{R|あとがき1999}}{{R|泉2002}}。 |
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[[1987年]]卒業後、[[ダイエー]]と[[中華人民共和国|中国]]の合弁の貿易商社(大阪の旧ダイエー本社内)にて[[総合職]]として5年間勤務。中国からの衣服品輸入に従事した。在職時は、ダイエーの中内功社長から社長賞を受賞している。 |
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なおずっと[[大阪]]在住であったが、[[1998年]](平成10年)に[[東京]]へ転居{{R|文藝春秋2001}}。同年5月には『中国てなもんや商社』が「[[#てなもんや商社|てなもんや商社]]」として、[[小林聡美]]主演で[[松竹]]により映画化された{{R|キネマ1998a|キネマ1998b|森2021|著者紹介1999}}。また、同年にはエッセイ集『てなもんやパンチ!』も出版している{{R|黒沼1998|文春BOOKSa}}{{Efn2|name="パンチCD"}}。なおこの間に『[[オール讀物]]』{{R|オール1998|オール2000}}や『[[文藝春秋#かつて発行していた雑誌|本の話]]』{{R|本の話1998}}、『[[別冊文藝春秋|別册文藝春秋]]』{{R|別冊文春1998}}、『[[週刊文春]]』{{R|週刊文春1999|週刊文春2000}}などに寄稿し、『[[諸君!]]』では「女の園を往く てなもんや探険隊」を連載{{R|女の園}}。『[[時事通信社#雑誌|世界週報]]』にも寄稿した{{R|諸君2001}}。 |
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[[1992年]]に貿易商社退職後、大阪で執筆活動を開始。ラジオドラマなどを執筆。 |
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=== 北京時代 === |
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1996年、貿易商社の経験を描いたノンフィクション『[[中国てなもんや商社]]』が[[文藝春秋]]から出版されデビュー。出版のきっかけは、文藝春秋の受付への持ち込みだった。文庫を含め20万部を越すベストセラーとなった。1998年、[[松竹]]にて映画化される。 |
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[[2001年]](平成13年)9月に[[中華人民共和国|中国]]へ渡り{{R|毎日著者紹介|文藝春秋2001|著者紹介2002b}}、[[対外経済貿易大学]]や[[北京大学]]に[[留学]]するとともに{{R|留学記大学}}{{Sfn|李|2011|p=70}}、[[北京]]在住のまま作家を続ける{{R|毎日著者紹介}}{{Sfn|東|2016}}(''著作については「[[#著書|著書]]」節や「[[#その他著作|その他著作]]」節も参照。'')。なお対外経済貿易大学で1年間語学を学び、北京大学の{{lang|zh-Hans|对外汉语学院}}(対外漢語学院 - 語学クラス)で半年、同大学{{仮リンク|北京大学経済学院|zh|北京大学经济学院|label={{lang|zh-Hans|经济学院}}}}(経済学院 - [[経済学部]])で一年半学んだという{{Sfn|李|2011|p=61}}{{R|留学記大学|留学記著者紹介}}。2001年には『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に「北京てなもんや留学」を寄稿し{{R|文藝春秋2001}}、後の2007年に『北京大学てなもんや留学記』を出版している{{Sfn|李|2011}}{{R|留学記付記}}<ref>{{NCID|BA82269919}}。</ref>。 |
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この間、[[2002年]](平成14年)に初の[[小説]]集『ウェディング・キャンドル』を出版{{R|文春BOOKSb}}(''「[[#ラジオドラマ|ラジオドラマ]]」節も参照'')。[[2003年]](平成15年)には『[[週刊文春]]』で「仰天・中国経済ナマレポート」を連載し{{R|週刊文春2003a|週刊文春2003b}}、中国における[[SARS]]報道について『[[諸君!]]』に寄稿した{{R|森2021}}{{Efn2|谷崎光「恐怖の北京からの驚愕レポート 中国の「SARS(新型肺炎)報道」には「本当」がない」『[[諸君!]]』 第35巻第6号、2003年、92-102頁。{{NAID|40005738468 }}{{R|森2021}}。}}。『[[プレジデント (雑誌)|プレジデント Online special]]』では「赤裸々中国」を連載{{R|留学記付記}}。[[2007年]](平成19年)には[[野村総合研究所]]主催のフォーラムにおける[[パネルディスカッション]]「2010年世界からみた関西」に[[ピーター・フランクル]]や[[蟹瀬誠一]]らとともにパネリストとして登壇した{{R|知的資産創造2007}}。 |
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[[1998年]]から[[東京都|東京]]で多彩な執筆活動を行う。 |
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『[[歴史読本]]』では「老北京」を連載{{R|歴史読本2012a|歴史読本2012b}}。[[2014年]](平成26年)12月には、中国企業に雇われたのべ80人を超える日本人技術者に取材を重ね、取材に3年をかけた『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』を出版{{R|東2015}}。[[ヘッドハンティング]]の実際や「日本の技術者たちのジレンマ」に迫るとともに{{R|東2015}}、[[韓国]]の技術者が中国に技術移転している実態も示した{{R|中沢2015}}。[[2016年]](平成28年)には『国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人』を出版し、同書内で{{仮リンク|厚黒学|en|Thick Black Theory}}を紹介している{{Sfn|東|2016}}。 |
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[[2001年]]、北京に渡り、[[北京大学]](経済学院)留学を経て、[[北京市|北京]]在住で作家活動を続けている。 |
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[[2017年]](平成29年)には『本当は中国で勝っている日本企業 なぜこの会社は成功できたのか? 』を出版{{R|倶楽部2021a}}<ref>{{NCID|BB24633727}}。</ref>{{Efn2|北京日本倶楽部(北京日本人会){{R|倶楽部2021b}}の参加者にも取材したという{{R|倶楽部2021a}}。}}。[[ダイヤモンド・オンライン]]では[[2018年]](平成30年)まで「谷崎光の中国ウラオモテ」を連載し{{R|裏表}}、[[2019年]]([[令和]]元年)には『[[NewsPicks]]』で「中国人が、日本人に絶対教えない話。」も連載した{{R|NewsPicks|N1}}。[[2020年]](令和2年)には日本政府に対する提言を『[[毎日新聞]]』に寄稿している{{Sfn|毎日新聞|2020}}。2020年時点で北京在住20年目{{R|毎日著者紹介}}。 |
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[[2017年]]から[[2018年]]の[[ダイヤモンド・オンライン]]の連載「谷崎光の中国ウラオモテ」で「中国人が日本人に絶対言わない日本旅行の意外な本音<ref>{{Cite web |url = https://news.livedoor.com/topics/detail/14015856/ |archiveurl = |author = 谷崎 光|title = |website = news.livedoor.com|publisher = |date = 2017-12-12|archivedate = |accessdate = 2024-07-01}}</ref>」を執筆。 |
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=== 一時帰国時代 === |
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2021年から、母校でもある、京都芸術大学通信教育学部芸術教養学科の3年生に編入(2020年12月中旬から一次帰国中)。 |
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[[2021年]]([[令和]]3年)2月27日時点で日本に一時帰国して2か月<ref>谷崎光@北京在住20年/作家/ (2021年2月27日). “[https://note.com/tanizakihikari/n/n8eced2738c6c 日本という水槽。谷崎光のインサイド・アジア No.83]”. ''谷崎光のインサイド・アジア''. [[note (配信サイト)|note]]. 2024年7月20日(UTC)閲覧。</ref>。同年4月から[[京都芸術大学]]の通信教育部芸術教養学科に3年次編入し<ref>“[https://note.com/tanizakihikari/m/m2d765199a98e 京都芸術大学(通信教育学部)で学歴ロンダリング中!]”. ''谷崎光@北京在住20年/作家/''. note. 2024年7月21日(UTC)閲覧。</ref><ref>谷崎光@北京在住20年/作家/ (2021年4月1日). “[https://note.com/tanizakihikari/n/n346d1ab00e4c?magazine_key=m2d765199a98e そうだ、京都芸術大学(通信教育部)で、学歴ロンダリングしよう。②初めての動画授業に苦戦。 ]”. ''京都芸術大学(通信教育学部)で学歴ロンダリング中!''. note. 2024年7月21日(UTC)閲覧。</ref>、[[2023年]](令和5年)3月に卒業している<ref>谷崎光@北京在住20年/作家/ (2023年3月19日). “[https://note.com/tanizakihikari/n/n6d9a123b13d5 京都芸術大学、卒業しました。]”. ''京都芸術大学(通信教育学部)で学歴ロンダリング中!''. note. 2024年7月21日(UTC)閲覧。</ref>。<!-- [[Wikipedia:存命人物の伝記]]に鑑みて、現在の居住地と最終学歴に関する不正確な状態を解消するために記事主題本人のnote記事を出典にしています。note出典がどんな記述にも適用できる訳ではありませんので、ご注意願います([[Wikipedia:検証可能性]]や[[Wikipedia:信頼できる情報源]]、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]も参照)。--> |
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== 人物 == |
== 人物・評価 == |
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<!-- 家族・親族の詳細については[[Wikipedia:存命人物の伝記]]や[[Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して]]、[[Wikipedia:中立的な観点]]に留意し、今のところ記載していません。--> |
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[[中国語]]は、旧[[HSK]]10級(中国政府公認の中国語資格で、当時の中国の国家通訳認定の級でもある。当時の最高級は11級。) |
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『中国てなもんや商社』に記された谷崎の仕事ぶりに対して、[[松原隆一郎]]は「性根が絶対に変わらない人たちとの付き合い方が巧み」と評価{{Sfn|佐藤・松原・福田|1996|p=111}}。[[福田和也]]は、[[中国人]]相手の仕事は大手企業なら[[台湾人]]を仲介したり最初から「お手上げ」となるが、谷崎は「一筋縄じゃいかない人と最終的には折り合っている」と分析した{{Sfn|佐藤・松原・福田|1996|p=111}}。なお、谷崎は会社員時代に[[ダイエー]]の[[中内功]]から社長賞を受賞している{{R|毎日著者紹介}}。 |
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2007年の『北京大学てなもんや留学記』執筆時点で中国語の実力は[[漢語水平考試#2010年までのテスト形式|旧HSK]]の高等・10級だといい{{R|留学記大学}}、2020年時点で[[北京]]在住20年{{R|毎日著者紹介}}。谷崎自身は友人から「君は中国人の悪口を言うときに、本当にうれしそうだな」と言われた際に「好きで好んで異郷に来て、苦労してるんです」と答えている{{R|池上2008}}。東えりかは谷崎について「中国人に対する悪意はまったくない。むしろ呆れつつ尊敬していると言っていいだろう」と分析している{{Sfn|東|2016}}。 |
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姉はCGアーティストで[[女子美術大学]]芸術学部教授の[[季里]]。 |
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2020年時点で[[中華人民共和国]]に関する記事の[[ページビュー]]はトップクラス{{R|毎日著者紹介}}。[[中沢孝夫]]は『日本人の値段』を「技術・人材育成・研究開発そして社会制度をくっきりと浮かび上がらせる優れた日中の比較論であり、かつ現代論」と評価した{{R|中沢2015}}。また、[[中央大学]][[法学部]]で中国研修旅行を伴う中国政治論のゼミを担当していた田中祥之は、プレゼミ合宿の予習用書籍の一つとして『中国てなもんや商社』を採用していた{{R|田中2004}}。 |
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== 作品リスト == |
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* 『中国てなもんや商社』(文藝春秋、1996年)ISBN 4163512306 |
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* 『てなもんやパンチ!』(文藝春秋、1998年)ISBN 4163533605 |
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* 『中国てなもんや商社』(文春文庫、1999年)ISBN 4167635011 |
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* 『スチャラカ東京のオキテ』(祥伝社黄金文庫、2001年)ISBN 4396312539 |
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* 『今ごろ結婚しているハズが…!? 』(角川文庫、2001年)ISBN 4043619014 |
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* 『てなもんやOL転職記』(文春文庫 2002年)ISBN 416763502X |
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* 『ウェディング・キャンドル―「私」を生きる物語』(文藝春秋、2002年)ISBN 4163207503 |
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* 『てなもんや中国人ビジネス』(講談社、2003年)ISBN 4062120488 |
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* 『北京の愉しみ』(角川春樹事務所、2004年)ISBN 4758420378 |
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* 『北京大学てなもんや留学記』(文藝春秋、2007年)ISBN 978-4163692104 |
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* 『北京大学てなもんや留学記』(文春文庫 2008年)ISBN 4167635038 |
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* 『今日も、北京てなもんや暮らし』(飛鳥新社 2009年)ISBN 978-4870319134 |
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* 『感動中国! 女ひとり、千里をいく』(文藝春秋 2010年)ISBN 4163721606 |
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* 『中国人の裏ルール』(新人物往来社 2012年)ISBN 4404042817 |
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* 『男脳中国 女脳日本』(集英社インターナショナル 2012年)ISBN 4797672196 |
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* 『中国人の裏ルール』(中経の文庫 2014年)ISBN 404601069X |
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* 『日本人の値段 中国に買われたエリート技術者たち』(小学館 2014年) ISBN 4093883777 |
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* 『国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人』(PHP研究所 2016年) ISBN 9784569827865 |
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* 『本当は中国で勝っている日本企業 なぜこの会社は成功できたのか? 』(集英社 2017年) ISBN 978-4087860887 |
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=== amazon kindle === |
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* 『中国人 世界で爆買い ウラのウラ』(2015年 amazon kindle版) |
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*『本当は怖い 中国発 イノベーションの正体』(2018年 amazon kindle版) |
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なお、[[池上彰]]は『中国てなもんや商社』を読んで「とんでもない人たちの生態を描き出す筆力と、どんなときにもユーモアを忘れない包容力に驚嘆した」といい{{R|池上2008}}、[[田辺聖子]]は「緻密な観察力」と人の会話・語調への強い関心、文章のセンスと構築力を評価し、「人への根源的なやさしさ」から「尽きぬ好奇心」が生まれていると分析している{{R|田辺1999}}。 |
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== 映像化等 == |
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;映画化(原作) |
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*『てなもんや商社』([[松竹]] 1998年公開 主演:[[小林聡美]] [[渡辺謙]] 他、[[桃井かおり]]) |
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;ラジオドラマ |
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*『ありがとうファミリー劇場 「てなもんやOL転職記」』(2002年 [[MBSラジオ]]) |
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*『ミッドナイト・ポップライブラリー 「ウエディング・キャンドル -私を生きる物語」』(2002年 朗読:[[羽田美智子]]) |
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== 著書 == |
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==寄稿、連載歴等== |
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=== 大手出版社 === |
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*『中国てなもんや商社』[[文藝春秋]]、1996年、{{ISBN2|4163512306}}<ref>岩崎明「[https://doi.org/10.11501/6038909 ●連載 本の窓]」『小四教育技術』第49巻第2号、[[小学館]]、1996年5月、82-83頁。</ref><ref>「[https://doi.org/10.11501/4425988 亜州書架 新刊紹介]」『月刊しにか』第7巻第4号、[[大修館書店]]、1996年4月、120-121頁。</ref><ref>「[https://doi.org/10.11501/3370755 サンデー・らいぶらりい]」『[[サンデー毎日]]』第75巻第8号、1996年3月、83-89頁。</ref>。 |
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* 谷崎光の晴れ、ときどき雨あられ(ChuChu 角川書店) |
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**『中国てなもんや商社』文藝春秋〈[[文春文庫]]〉、1999年、{{ISBN2|4167635011}}。 |
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* 山あり谷あり光あり(Lucy 扶桑社) |
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*『てなもんやパンチ!』文藝春秋、1998年、{{ISBN2|4163533605}}<ref name="黒沼1998">黒沼克史「[https://doi.org/10.11501/3376736 文春図書館]」『週刊文春』第40巻第13号、1998年4月、159-166頁。</ref>{{Efn2|name="パンチCD"|『てなもんやパンチ!』は平成10年度の[[厚生省]]委託事業として[[日本障害者リハビリテーション協会]]により[[CD-ROM]]化されている<ref>てなもんやパンチ!、記録メディア 電子資料 障害者向け資料あり、谷崎光 著 日本障害者リハビリテーション協会、1999.9 <YH131-625>CD-ROM1枚、平成10年度厚生省委託事業、原本: 文藝春秋 1998、{{NDLSearch|000003647826}}。</ref>。}}。 |
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* 仕事のデッサン(共同通信配信) |
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*『スチャラカ東京のオキテ』[[祥伝社]]〈祥伝社黄金文庫〉、2001年、{{ISBN2|4396312539}}。 |
|||
* 北京てなもんや暮らし(小説すばる 集英社) |
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*『今ごろ結婚しているハズが…!? 』[[角川書店]]〈[[角川文庫]]〉、2001年、{{ISBN2|4043619014}}。 |
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* てなもんや中国人ビジネス(みずほ総研広報誌 fole ) |
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*『てなもんやOL転職記』文藝春秋〈文春文庫〉2002年、{{ISBN2|416763502X}}。 |
|||
* 北京の愉しみ(フェリシモPR誌) |
|||
*『ウェディング・キャンドル ―「私」を生きる物語』文藝春秋、2002年、{{ISBN2|4163207503}}。 |
|||
* 女の園 探検隊(諸君! 文藝春秋) |
|||
*『てなもんや中国人ビジネス』[[講談社]]、2003年、{{ISBN2|4062120488}}。 |
|||
* 心の気象台(繊維経済新聞) |
|||
*『北京の愉しみ』[[角川春樹事務所]]、2004年、{{ISBN2|4758420378}}。 |
|||
* 赤裸々中国(プレジデントオンライン スペシャル) |
|||
*『北京大学てなもんや留学記』文藝春秋、2007年、{{ISBN2|9784163692104}}。 |
|||
* 老北京(歴史読本 新人物往来社) |
|||
**『北京大学てなもんや留学記』文藝春秋〈文春文庫〉2008年、{{ISBN2|9784167635039}}。 |
|||
* 谷崎光の中国ウラ・オモテ(ダイヤモンド・オンライン) |
|||
*『今日も、北京てなもんや暮らし』[[飛鳥新社]]、2009年、{{ISBN2|9784870319134}}。 |
|||
*『感動中国! 女ひとり、千里をいく』文藝春秋、2010年、{{ISBN2|9784163721606}}。 |
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*『10年住んでもダマされる! 中国人の裏ルール』[[新人物往来社]]、2012年、{{ISBN2|978-4404042811}}。 |
|||
**『中国人の裏ルール』[[KADOKAWA]]〈中経の文庫〉、2014年、{{ISBN2|9784046010698}}。 |
|||
*『男脳中国 女脳日本』[[集英社インターナショナル]]、2012年、{{ISBN2|9784797672190}}。 |
|||
*『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』[[小学館]]、2014年、{{ISBN2|9784093883771}}。 |
|||
*『国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人』[[PHP研究所]]、2016年、{{ISBN2|9784569827865}}。 |
|||
*『本当は中国で勝っている日本企業 なぜこの会社は成功できたのか? 』[[集英社]]、2017年、{{ISBN2|9784087860887}}。 |
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=== Amazon kindle === |
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*『中国人 世界で爆買い ウラのウラ』谷崎光 電子文庫、2015年、{{ASIN|B00UCZ0WXI}}。 |
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月刊文藝春秋(エッセイ等)、文芸春秋スペシャル(エッセイ等)、週刊文春(エッセイ、ルポ、書評等)、オール読物(エッセイ)、本の話(エッセイ)、週刊朝日(巻頭ルポ、読書日記)、ナンバー(現地報告)、日経ウーマン(エッセイ)、日経アドレ(エッセイ)、プレジデント(エッセイ)、産経新聞(書評)、コスモポリタン(エッセイ)、経団連機関紙(エッセイ)、NTT広報誌、日本の論点(評論)、毎日が発見(ルポエッセイ)、毎日新聞(論説)、NewsPicks(ニューズピックス)、その他多数 |
|||
*『本当は怖い 中国発 イノベーションの正体』[[Amazon Kindle]]、2018年、{{ASIN|B07HRTXM6B}}。 |
|||
*『中国人が日本人に絶対言わない日本旅行の意外な本音』Amazon Kindle、2020年、{{ASIN|B08CCLWTZC}}。 |
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== 原作作品 == |
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=== 映画 === |
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野村総研、北京日本大使館、北京日本人倶楽部、蘇州日本人学校、大阪中小企業センター、その他多数 |
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; {{Anchors|てなもんや商社}}てなもんや商社{{Efn2|タイトルを「てなもんや商社 萬福貿易会社」としている場合もある{{R|キネマ1998b}}。}} |
|||
:* 1998年5月16日公開、97分、映倫番号115179{{R|松竹|映連|キネマ1998a}} |
|||
:* 製作 - [[松竹]]・[[フジテレビジョン]]、製作協力 - [[大船撮影所]]{{R|松竹|キネマ1998a|キネマ1998b}} |
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:* 原作 - 谷崎光、監督 - [[本木克英]]、脚本 - 榎祐平、撮影 - [[長沼六男]]{{R|松竹|キネマ1998a}}<ref>「[https://doi.org/10.11501/6071514 '98年日本映画の回顧と展望]」『[[シナリオ (雑誌)|シナリオ]]』第55巻第3号、1999年3月、57-70頁。</ref> |
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:* 出演 - [[小林聡美]]、[[渡辺謙]]、[[桃井かおり]]、{{仮リンク|鄭浩南|en|Mark Cheng}}、[[香川照之]]、[[柴俊夫]]、[[鶴田忍 (俳優)|鶴田忍]]、[[田中邦衛]]、[[波乃久里子]]ほか{{R|キネマ1998a|キネマ1998b}}<ref>「[https://doi.org/10.11501/6071505 情報 映画案内]」『[[シナリオ (雑誌)|シナリオ]]』第54巻第6号、1998年6月、114-116頁。</ref> |
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:* メディア - [[VHS]]版、[[松竹ホームビデオ]]、1998年11月、{{ASIN|B00005G2V9}}。 |
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:* 谷崎の原作『中国てなもんや商社』を榎祐平が脚色{{R|キネマ1998b|映連}}。スタッフは中国での[[ロケーション撮影|ロケ]]後、谷崎に「……いやー、ボクたち、ご本にあること、全て体験してきました」と語っており、その体験談は映画のパンフレットに「ぼんくらプロデューサーのてなもんや日記」として記されている{{R|文藝春秋2001}}。 |
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:* 本作は本木の[[映画監督]]デビュー作でもあり{{R|BizGate2021|細見2022}}、本作で元木監督は第18回藤本賞新人賞を受賞した{{R|藤本賞}}。元木は大学生時代に3か月の[[北京]]留学経験があり{{Sfn|金澤|1998}}、北川れい子は書評で日本と中国における[[国民性]]や仕事のシステムの違いに触れつつ、「元木監督はムキになった演出は避け、常にどちらの味方でもないおかしみがある」と評している{{Sfn|北川|1998}}。 |
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=== ラジオドラマ === |
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*「てなもんやOL転職記」『ありがとうファミリー劇場』2002年、[[MBSラジオ]]{{要出典|date=2024年7月}} |
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*「ウエディング・キャンドル ―私を生きる物語」『ミッドナイト・ポップライブラリー』2002年(朗読:[[羽田美智子]]){{要出典|date=2024年7月}} |
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== その他著作 == |
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=== 主な連載 === |
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*「女の園を往く てなもんや探険隊」『[[諸君!]]』{{R|女の園}} |
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*「仰天・中国経済ナマレポート」『[[週刊文春]]』<ref name="週刊文春2003a">谷崎光「仰天・中国経済ナマレポート(1)就職戦線 日本企業が中国学生にとっちめられている」『週刊文春』第45巻第6号、2003年2月13日、160-163頁。{{NAID|40005650888}}。</ref><ref name="週刊文春2003b">「仰天・中国経済ナマレポート(3)老師曰く「中国の不動産屋の九割はウソつきです」」『週刊文春』第45巻第8号、2003年2月27日、147-150頁。{{NAID|40005670378}}</ref> |
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*「赤裸々中国」『[[プレジデント (雑誌)|プレジデント Online special]]』{{R|留学記付記}} |
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*「【古写真】老北京(ラオ・ベイジン)」『[[歴史読本]]』<ref name="歴史読本2012a">“[https://www.fujisan.co.jp/product/2822/b/806705/ 歴史読本 8月号 (発売日2012年06月23日) KADOKAWA]”. ''Fujisan.co.jp''. [[富士山マガジンサービス]]. 2024年7月6日(UTC)閲覧。</ref><ref name="歴史読本2012b">“[https://www.fujisan.co.jp/product/2822/b/877580/ 歴史読本 2月号 (発売日2012年12月24日) KADOKAWA 神社に秘められた古代史]”. ''Fujisan.co.jp''. 富士山マガジンサービス. 2024年7月6日(UTC)閲覧。</ref> |
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*「谷崎光の中国ウラオモテ」『[[ダイヤモンド・オンライン]]』{{R|裏表}} |
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*「中国人が、日本人に絶対教えない話。」『[[NewsPicks]]』{{R|NewsPicks|N1}} |
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=== 主な寄稿 === |
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『月刊しにか』<ref name="しにか1997">谷崎光「巻頭エッセイ 激変の北京」『月刊しにか』第8巻第4号、[[大修館書店]]、1997年4月、2-5頁。{{NAID|40004854956}}。</ref>、『[[オール讀物]]』<ref name="オール1998">谷崎光「わたしの1000字告白 忘れ得ぬ旅」『オール讀物』 第53巻第5号、1998年5月、241頁。{{Doi|10.11501/4437608}}。</ref><ref name="オール2000">谷崎光「わたしの1000字告白 貧乏自慢」『オール讀物』第55巻第3号、2000年3月、351頁。{{Doi|10.11501/4437630}}。</ref>、『[[ChuChu]]』{{R|転職記文庫}}、『[[扶桑社#過去に発売した雑誌|LUCi]]』{{R|転職記文庫}}、『[[諸君!]]』<ref name="諸君1999">谷崎光「「原宿」てなもんや行状記」『諸君!』第31巻第7号、1999年7月、219-227頁。{{NAID|40001864639}}。</ref><ref name="諸君2007">谷崎光「北京大学生は「日本知らず」ばかり」『諸君!』第39巻第5号、2007年5月、90-97頁。{{NAID|40015318519}}。</ref>、『[[週刊文春]]』<ref name="週刊文春1999">谷崎光「日本人はなぜ英語ができないか」『週刊文春』第41巻第32号、1999年8月、153頁。{{Doi|10.11501/3376804}}。</ref><ref name="週刊文春2000">谷崎光「あるミイラの履歴書」『週刊文春』第42巻第19号、2000年5月、158頁。{{Doi|10.11501/3376841}}。</ref><ref name="週刊文春2008">谷崎光「「北京の秋葉原」中関村 てなもんや潜入記 ― 90%がニセモノ!」『週刊文春』第50巻第9号、2008年3月、48-51頁。{{NAID|40015874276}}。</ref>、『[[別冊文藝春秋|別册文藝春秋]]』<ref name="別冊文春1998">谷崎光「わが心の町」『別册文藝春秋』第224号、1998年7月、327頁。{{Doi|10.11501/7927451}}。</ref>、『[[文藝春秋#かつて発行していた雑誌|本の話]]』<ref name="本の話1998">谷崎光「爆笑てなもんやホームページ道中記」『本の話』第4巻第10号、文藝春秋社、1998年10月、15-19頁。{{NAID|40005126252}}</ref><ref name="本の話2002">谷崎光「揺れる生きもの、「女」を描いた」『本の話』第8巻第3号、文藝春秋社、2002年3月、22-25頁。{{NAID|40005126714}}。</ref>、『[[時事通信社#雑誌|世界週報]]』<ref name="諸君2001">谷崎光「ゲストエッセー 華僑ビジネスマンたちの仕事ぶり」『世界週報』第82巻第9号、2001年3月、56-57頁。{{NAID|40002150347}}。</ref>、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』<ref name="文藝春秋2001">谷崎光「北京てなもんや留学 ― 出発前からトラブル続出。それでも再び中国へ!」『文藝春秋』第79巻第11号、2001年10月、303-309頁。{{NAID|40003428818}}。</ref><ref name="文藝春秋2007">谷崎光「てなもんやマカオギャンブル旅行」『文藝春秋』第85巻第10号、2007年8月、83-85頁。{{NAID|40015449452}}。</ref>、『毎日が発見』{{R|留学記付記}}、『[[週刊朝日]]』<ref name="週刊朝日2013">谷崎光「現地ルポ PM2.5、農薬、重金属まみれの中国野菜が日本にくる? ― 汚染大国・中国のすさまじい現実」『週刊朝日』第118管第46号、2013年10月、18-21頁。{{NAID|40019809390}}。</ref>、『[[毎日新聞]]』{{Sfn|毎日新聞|2020}}などに寄稿している。 |
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== 主な講演歴 == |
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* 2007年10月10日 - 未来創発フォーラム2007([[野村総合研究所]]主催、[[大阪国際会議場]]開催)- パネルディスカッション「2010年世界からみた関西」登壇{{R|知的資産創造2007}}{{Efn2|他のパネリストは[[ピーター・フランクル]]、村元四郎、足立興治、[[蟹瀬誠一]]{{R|知的資産創造2007}}。}} |
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* 2015年4月24日 - 北京日本倶楽部(北京日本人会)定時総会・作家谷崎光さん講演会{{R|倶楽部2021a|倶楽部2021b}}「北京てなもんや文筆生活 -作家が語る、一冊の本ができるまで」{{R|blog2015}} |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|30em|refs= |
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<ref name="BizGate2021">“[https://bizgate.nikkei.com/article/DGXMZO6792057006012021000000 コロナ下の映画作り スピード感と緻密なシナリオで 「大コメ騒動」の本木克英監督に聞く]”. ''日経BizGate''. (2021年1月8日) 2024年7月1日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="blog2015">谷崎光 (2015年4月27日). “[https://blog.goo.ne.jp/tanizakihikari/e/1865412d4fcb98ae5bc60f9835d68877 4月24日(金) 北京日本人会の総会で、講演をします(会員外・参加OK)]”. ''谷崎光 中国日記 official blog''. [[goo|goo blog]]. 2024年7月9日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="NewsPicks">“[https://newspicks.com/user/2789380?ref=news-summary_4087456 谷崎 光 作家 在北京]”. ''[[NewsPicks]]''. 2024年7月1日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="N1">“[https://newspicks.com/news/4087456/?ref=user_2789380 中国人が、日本人に絶対教えない話。#1 【直伝】中国で、あなたのスマホは「丸見え」だ]”. ''[[NewsPicks]]''. (2019年8月5日) 2024年7月1日(UTC)閲覧。</ref> |
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<!-- name指定の50音順 --> |
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<ref name="東2015">{{Harvnb|東|2015}}</ref> |
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<ref name="あとがき1996">{{Harvnb|谷崎|1999|loc=谷崎光「あとがき」298-303頁。}}</ref> |
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<ref name="あとがき1999">{{Harvnb|谷崎|1999|loc=谷崎光「文庫本のためのあとがき」304-308頁。}}</ref> |
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<ref name="あとがき2002">{{Harvnb|谷崎|2002|loc=谷崎光「あとがき ― 私のてなもんや転職記」267-273頁。}}</ref> |
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<ref name="池上2008">{{Harvnb|谷崎|2008|loc=[[池上彰]]「解説」358-363頁。}}</ref> |
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<ref name="泉2002">{{Harvnb|谷崎|2002|loc=[[泉麻人]]「解説 ― この「タニザキ」も面白い」275-279頁。}}</ref> |
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<ref name="裏表">“[https://diamond.jp/category/s-tanizaki 「谷崎光の中国ウラ・オモテ」]”. [[ダイヤモンド・オンライン]]. 2024年7月1日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="映連">“[http://db.eiren.org/contents/01050536901.html 作品紹介 てなもんや商社]”. ''映連データベース''. [[日本映画製作者連盟]]. 2024年7月6日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="女の園">谷崎光「女の園を往く てなもんや探検隊(1)女の政治?タカラズカ」『諸君!』第32巻第2号、2000年2月、290-295頁。{{NAID|40001864853}}。谷崎光「女の園を往く てなもんや探険隊 (12・最終回) オンナ金融道--銭の花道」『諸君!』第33巻第1号、2001年1月、236-241頁。{{NAID|40001865196}}。</ref> |
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<ref name="キネマ1998a">「[https://doi.org/10.11501/7906332 CRITIQUES てなもんや商社]」『[[キネマ旬報]]』第1256号、1998年5月、83頁。</ref> |
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<ref name="キネマ1998b">「[https://doi.org/10.11501/7906337 日本映画紹介 てなもんや商社]」『[[キネマ旬報]]』1998年8月、193頁。</ref> |
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<ref name="倶楽部2021b">“[https://bjnihonjinkai.org/archives/7654 1989年からの活動歴]”. 北京日本倶楽部. (2021年3月16日) 2024年7月8日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="著者紹介1999">{{Harvnb|谷崎|1999|loc=「著者紹介」(カバー)}}</ref> |
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<ref name="著者紹介2002a">「著者紹介」『ウェディング・キャンドル ―「私」を生きる物語』文藝春秋、2002年2月15日発行第1刷、205頁。{{ISBN2|4163207503}}。</ref> |
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<ref name="転職記文庫">{{Harvnb|谷崎|2002|p=280}}</ref> |
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<ref name="毎日著者紹介">{{Harvnb|毎日新聞|2020|loc=著者紹介}}</ref> |
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<ref name="森2021">[[森清勇]] (2021年6月4日). “[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65539 歴史にみる中国とロシアの恐るべき隠蔽体質・虚言癖 新型コロナのパンデミックは起きるべくして起きた]”. ''[[JBpress]]''. 2024年7月1日(UTC)閲覧。</ref> |
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<ref name="留学記大学">{{Harvnb|谷崎|2008|p=88}}、{{Harvnb|谷崎|2008|p=122}}、{{Harvnb|谷崎|2008|p=270}}</ref> |
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<ref name="留学記著者紹介">{{Harvnb|谷崎|2008|loc=著者紹介}}</ref> |
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<ref name="留学記付記">{{Harvnb|谷崎|2008|p=364}}</ref> |
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== 参考文献 ==<!-- Reference として(出典に使用している) --> |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|東|2015}} |reference=東えりか (2015年2月16日). “[https://honz.jp/articles/-/41192 『日本人の値段』 年俸2700万ではまだまだ安い!中国に買われたエリート技術者たち]”. ''[[成毛眞|HONZ]]''. 2024年7月1日(UTC)閲覧。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|東|2016}} |reference=東えりか (2016年3月16日). “[https://honz.jp/articles/-/42557 ウブな日本人必読!『国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人』]”. ''HONZ''. 2024年7月1日(UTC)閲覧。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|金澤|1998}} |reference=金澤誠「てなもんや商社 本木監督インタビュー 気負いまくったあげくに、力の抜けた元気の出る映画が出来ました。」『[[キネマ旬報]]』第1256号、1998年5月、83頁。{{Doi|10.11501/7906332}}。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|北川|1998}} |reference=北川れい子「てなもんや商社 もてなし満載、落ちこぼれチャッカリ娘の奮戦記」『[[キネマ旬報]]』第1256号、1998年5月、82頁。{{Doi|10.11501/7906332}}。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|佐藤・松原・福田|1996}} |reference=[[佐藤亜紀]]、[[松原隆一郎]]、[[福田和也]]「[https://doi.org/10.11501/1721227 書評鼎談「中国」本を読む]」『[[Ronza]]』第2巻第7号、[[朝日新聞社]]、1996年7月、110-111頁。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|谷崎|1999}} |reference=谷崎光『中国てなもんや商社』[[文藝春秋]]〈[[文春文庫]]〉、1999年12月10日第1刷、{{ISBN2|4167635011}}。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|谷崎|2002}} |reference=谷崎光『てなもんやOL転職記』文藝春秋〈文春文庫〉2002年2月20日第2刷。{{ISBN2|416763502X}}。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|谷崎|2008}} |reference=谷崎光『北京大学てなもんや留学記』文藝春秋〈文春文庫〉2008年7月10日第1刷。{{ISBN2|9784167635039}}。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|毎日新聞|2020}} |reference=“[https://mainichi.jp/articles/20201212/k00/00m/040/245000c “絆”に頼るのは貧困を加速する途上国モデル 政府はもっと未来に投資を 作家・谷崎光さん]”. ''[[毎日新聞]]''. (2020年12月13日). 2024年7月1日(UTC)閲覧。}} |
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* {{Wikicite|ref={{SfnRef|李|2011}} |reference=李珊「調査研究シリーズ(85)「知中派」エリートの現代中国認識 ― 谷崎光と加藤嘉一に基づく考察」『海外事情研究』第38巻第2号(通巻77号)、[[熊本学園大学|熊本学園大学付属海外事情研究所]]、2011年3月、61-71頁。{{NDLSearch|R000000004-I11048378}}。}} |
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== 関連文献 ==<!-- Further readings として(出典に使用していない) --> |
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* 「気ままにトーク(6)谷崎光さん」『ひろばユニオン』第472号、労働者学習センター、2001年6月、62-64頁。{{NAID|40004724092}}。 |
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* [[中村計]] (2017年10月3日). “[https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2017/10/03/92661/ 中国でのビジネスの秘訣を“爆勝ち”する日本企業から学ぶ「中国人は日本人がごまかさないことをよくわかってる」]”. ''[[週刊プレイボーイ|週プレニュース]]''. [[集英社]]. 2024年7月6日(UTC)閲覧。 |
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== 関連項目 == |
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* [[日本の小説家一覧]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* {{Note.com|tanizakihikari|谷崎光@北京在住20年/作家/}}([[Twitter|X(旧Twitter)]]へのリンクあり) |
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* [https://tanizakihikari.hatenablog.com/ InsideAsia] - [[はてなブログ]] |
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* [https://blog.goo.ne.jp/tanizakihikari 谷崎光 中国日記 official blog] - [[gooブログ]] |
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2024年10月5日 (土) 02:50時点における最新版
谷崎 光(たにざき ひかり)は、日本の作家[1][2][3]。著書は『中国てなもんや商社』[4][5]や『北京大学てなもんや留学記』[6]、『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』[7][8]など。デビュー作の『中国てなもんや商社』は1998年に松竹で「てなもんや商社」として映画化された[9][4][10]。2020年時点で北京在住20年[11]。
来歴
[編集]日本時代
[編集]京都府に生まれ、大阪府で育つ[11][注 1]。三姉妹の末っ子[15]。大阪府立大手前高等学校出身[16]。高校時代は作家志望で、交換日記をしたり、授業中に手紙を書いたりしていたという[17]。武庫川女子大学文学部を中退し、京都芸術短期大学芸術造形学科で染織コースを卒業[16][13][14]。1987年(昭和62年)からダイエーと中華人民共和国の合弁企業である貿易商社に勤務[9][11][4]。アパレルメーカーの製品を中国の縫製工場へ委託するにあたり、谷崎は中国側との折衝を担当した[18][19][20]。
商社は5年で退社したが、業務や人間関係に不満はなく、書くことをやりたかったと述懐している[17]。退職後は編集者学校などに通い、親の会社でアルバイトをしたり文章を書く仕事をしたりしたという[17][21]。1995年(平成7年)に原稿を文藝春秋へ自ら持ち込み[18][17][22][注 2]、翌1996年(平成8年)に貿易商社での経験を描いたノンフィクション『中国てなもんや商社』で作家デビューする[4][9][12]。同作の編集や販促についても、自身の希望を通したり自ら行ったりした[18][23][15]。
なおずっと大阪在住であったが、1998年(平成10年)に東京へ転居[24]。同年5月には『中国てなもんや商社』が「てなもんや商社」として、小林聡美主演で松竹により映画化された[25][26][4][12]。また、同年にはエッセイ集『てなもんやパンチ!』も出版している[27][22][注 3]。なおこの間に『オール讀物』[28][29]や『本の話』[30]、『別册文藝春秋』[31]、『週刊文春』[32][33]などに寄稿し、『諸君!』では「女の園を往く てなもんや探険隊」を連載[34]。『世界週報』にも寄稿した[35]。
北京時代
[編集]2001年(平成13年)9月に中国へ渡り[11][24][14]、対外経済貿易大学や北京大学に留学するとともに[36][37]、北京在住のまま作家を続ける[11][9](著作については「著書」節や「その他著作」節も参照。)。なお対外経済貿易大学で1年間語学を学び、北京大学の对外汉语学院(対外漢語学院 - 語学クラス)で半年、同大学经济学院(経済学院 - 経済学部)で一年半学んだという[16][36][38]。2001年には『文藝春秋』に「北京てなもんや留学」を寄稿し[24]、後の2007年に『北京大学てなもんや留学記』を出版している[6][39][40]。
この間、2002年(平成14年)に初の小説集『ウェディング・キャンドル』を出版[41](「ラジオドラマ」節も参照)。2003年(平成15年)には『週刊文春』で「仰天・中国経済ナマレポート」を連載し[42][43]、中国におけるSARS報道について『諸君!』に寄稿した[4][注 4]。『プレジデント Online special』では「赤裸々中国」を連載[39]。2007年(平成19年)には野村総合研究所主催のフォーラムにおけるパネルディスカッション「2010年世界からみた関西」にピーター・フランクルや蟹瀬誠一らとともにパネリストとして登壇した[44]。
『歴史読本』では「老北京」を連載[45][46]。2014年(平成26年)12月には、中国企業に雇われたのべ80人を超える日本人技術者に取材を重ね、取材に3年をかけた『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』を出版[47]。ヘッドハンティングの実際や「日本の技術者たちのジレンマ」に迫るとともに[47]、韓国の技術者が中国に技術移転している実態も示した[8]。2016年(平成28年)には『国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人』を出版し、同書内で厚黒学を紹介している[9]。
2017年(平成29年)には『本当は中国で勝っている日本企業 なぜこの会社は成功できたのか? 』を出版[48][49][注 5]。ダイヤモンド・オンラインでは2018年(平成30年)まで「谷崎光の中国ウラオモテ」を連載し[51]、2019年(令和元年)には『NewsPicks』で「中国人が、日本人に絶対教えない話。」も連載した[2][52]。2020年(令和2年)には日本政府に対する提言を『毎日新聞』に寄稿している[1]。2020年時点で北京在住20年目[11]。
一時帰国時代
[編集]2021年(令和3年)2月27日時点で日本に一時帰国して2か月[53]。同年4月から京都芸術大学の通信教育部芸術教養学科に3年次編入し[54][55]、2023年(令和5年)3月に卒業している[56]。
人物・評価
[編集]『中国てなもんや商社』に記された谷崎の仕事ぶりに対して、松原隆一郎は「性根が絶対に変わらない人たちとの付き合い方が巧み」と評価[57]。福田和也は、中国人相手の仕事は大手企業なら台湾人を仲介したり最初から「お手上げ」となるが、谷崎は「一筋縄じゃいかない人と最終的には折り合っている」と分析した[57]。なお、谷崎は会社員時代にダイエーの中内功から社長賞を受賞している[11]。
2007年の『北京大学てなもんや留学記』執筆時点で中国語の実力は旧HSKの高等・10級だといい[36]、2020年時点で北京在住20年[11]。谷崎自身は友人から「君は中国人の悪口を言うときに、本当にうれしそうだな」と言われた際に「好きで好んで異郷に来て、苦労してるんです」と答えている[20]。東えりかは谷崎について「中国人に対する悪意はまったくない。むしろ呆れつつ尊敬していると言っていいだろう」と分析している[9]。
2020年時点で中華人民共和国に関する記事のページビューはトップクラス[11]。中沢孝夫は『日本人の値段』を「技術・人材育成・研究開発そして社会制度をくっきりと浮かび上がらせる優れた日中の比較論であり、かつ現代論」と評価した[8]。また、中央大学法学部で中国研修旅行を伴う中国政治論のゼミを担当していた田中祥之は、プレゼミ合宿の予習用書籍の一つとして『中国てなもんや商社』を採用していた[58]。
なお、池上彰は『中国てなもんや商社』を読んで「とんでもない人たちの生態を描き出す筆力と、どんなときにもユーモアを忘れない包容力に驚嘆した」といい[20]、田辺聖子は「緻密な観察力」と人の会話・語調への強い関心、文章のセンスと構築力を評価し、「人への根源的なやさしさ」から「尽きぬ好奇心」が生まれていると分析している[19]。
著書
[編集]大手出版社
[編集]- 『中国てなもんや商社』文藝春秋、1996年、ISBN 4163512306[59][60][61]。
- 『中国てなもんや商社』文藝春秋〈文春文庫〉、1999年、ISBN 4167635011。
- 『てなもんやパンチ!』文藝春秋、1998年、ISBN 4163533605[27][注 3]。
- 『スチャラカ東京のオキテ』祥伝社〈祥伝社黄金文庫〉、2001年、ISBN 4396312539。
- 『今ごろ結婚しているハズが…!? 』角川書店〈角川文庫〉、2001年、ISBN 4043619014。
- 『てなもんやOL転職記』文藝春秋〈文春文庫〉2002年、ISBN 416763502X。
- 『ウェディング・キャンドル ―「私」を生きる物語』文藝春秋、2002年、ISBN 4163207503。
- 『てなもんや中国人ビジネス』講談社、2003年、ISBN 4062120488。
- 『北京の愉しみ』角川春樹事務所、2004年、ISBN 4758420378。
- 『北京大学てなもんや留学記』文藝春秋、2007年、ISBN 9784163692104。
- 『北京大学てなもんや留学記』文藝春秋〈文春文庫〉2008年、ISBN 9784167635039。
- 『今日も、北京てなもんや暮らし』飛鳥新社、2009年、ISBN 9784870319134。
- 『感動中国! 女ひとり、千里をいく』文藝春秋、2010年、ISBN 9784163721606。
- 『10年住んでもダマされる! 中国人の裏ルール』新人物往来社、2012年、ISBN 978-4404042811。
- 『中国人の裏ルール』KADOKAWA〈中経の文庫〉、2014年、ISBN 9784046010698。
- 『男脳中国 女脳日本』集英社インターナショナル、2012年、ISBN 9784797672190。
- 『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』小学館、2014年、ISBN 9784093883771。
- 『国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人』PHP研究所、2016年、ISBN 9784569827865。
- 『本当は中国で勝っている日本企業 なぜこの会社は成功できたのか? 』集英社、2017年、ISBN 9784087860887。
Amazon kindle
[編集]- 『中国人 世界で爆買い ウラのウラ』谷崎光 電子文庫、2015年、ASIN B00UCZ0WXI。
- 『本当は怖い 中国発 イノベーションの正体』Amazon Kindle、2018年、ASIN B07HRTXM6B。
- 『中国人が日本人に絶対言わない日本旅行の意外な本音』Amazon Kindle、2020年、ASIN B08CCLWTZC。
原作作品
[編集]映画
[編集]- てなもんや商社[注 6]
-
- 1998年5月16日公開、97分、映倫番号115179[10][63][25]
- 製作 - 松竹・フジテレビジョン、製作協力 - 大船撮影所[10][25][26]
- 原作 - 谷崎光、監督 - 本木克英、脚本 - 榎祐平、撮影 - 長沼六男[10][25][64]
- 出演 - 小林聡美、渡辺謙、桃井かおり、鄭浩南、香川照之、柴俊夫、鶴田忍、田中邦衛、波乃久里子ほか[25][26][65]
- メディア - VHS版、松竹ホームビデオ、1998年11月、ASIN B00005G2V9。
- 谷崎の原作『中国てなもんや商社』を榎祐平が脚色[26][63]。スタッフは中国でのロケ後、谷崎に「……いやー、ボクたち、ご本にあること、全て体験してきました」と語っており、その体験談は映画のパンフレットに「ぼんくらプロデューサーのてなもんや日記」として記されている[24]。
- 本作は本木の映画監督デビュー作でもあり[66][67]、本作で元木監督は第18回藤本賞新人賞を受賞した[68]。元木は大学生時代に3か月の北京留学経験があり[69]、北川れい子は書評で日本と中国における国民性や仕事のシステムの違いに触れつつ、「元木監督はムキになった演出は避け、常にどちらの味方でもないおかしみがある」と評している[70]。
ラジオドラマ
[編集]- 「てなもんやOL転職記」『ありがとうファミリー劇場』2002年、MBSラジオ[要出典]
- 「ウエディング・キャンドル ―私を生きる物語」『ミッドナイト・ポップライブラリー』2002年(朗読:羽田美智子)[要出典]
その他著作
[編集]主な連載
[編集]- 「女の園を往く てなもんや探険隊」『諸君!』[34]
- 「仰天・中国経済ナマレポート」『週刊文春』[42][43]
- 「赤裸々中国」『プレジデント Online special』[39]
- 「【古写真】老北京(ラオ・ベイジン)」『歴史読本』[45][46]
- 「谷崎光の中国ウラオモテ」『ダイヤモンド・オンライン』[51]
- 「中国人が、日本人に絶対教えない話。」『NewsPicks』[2][52]
主な寄稿
[編集]『月刊しにか』[71]、『オール讀物』[28][29]、『ChuChu』[72]、『LUCi』[72]、『諸君!』[73][74]、『週刊文春』[32][33][75]、『別册文藝春秋』[31]、『本の話』[30][76]、『世界週報』[35]、『文藝春秋』[24][77]、『毎日が発見』[39]、『週刊朝日』[78]、『毎日新聞』[1]などに寄稿している。
主な講演歴
[編集]- 2007年10月10日 - 未来創発フォーラム2007(野村総合研究所主催、大阪国際会議場開催)- パネルディスカッション「2010年世界からみた関西」登壇[44][注 7]
- 2015年4月24日 - 北京日本倶楽部(北京日本人会)定時総会・作家谷崎光さん講演会[48][50]「北京てなもんや文筆生活 -作家が語る、一冊の本ができるまで」[79]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「大阪生まれ」とされている場合もある[12][13][14]。
- ^ 文藝春秋社の受付に原稿を置いて行ったという[17][22]。
- ^ a b 『てなもんやパンチ!』は平成10年度の厚生省委託事業として日本障害者リハビリテーション協会によりCD-ROM化されている[62]。
- ^ 谷崎光「恐怖の北京からの驚愕レポート 中国の「SARS(新型肺炎)報道」には「本当」がない」『諸君!』 第35巻第6号、2003年、92-102頁。NAID 40005738468[4]。
- ^ 北京日本倶楽部(北京日本人会)[50]の参加者にも取材したという[48]。
- ^ タイトルを「てなもんや商社 萬福貿易会社」としている場合もある[26]。
- ^ 他のパネリストはピーター・フランクル、村元四郎、足立興治、蟹瀬誠一[44]。
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- 北川れい子「てなもんや商社 もてなし満載、落ちこぼれチャッカリ娘の奮戦記」『キネマ旬報』第1256号、1998年5月、82頁。doi:10.11501/7906332。
- 佐藤亜紀、松原隆一郎、福田和也「書評鼎談「中国」本を読む」『Ronza』第2巻第7号、朝日新聞社、1996年7月、110-111頁。
- 谷崎光『中国てなもんや商社』文藝春秋〈文春文庫〉、1999年12月10日第1刷、ISBN 4167635011。
- 谷崎光『てなもんやOL転職記』文藝春秋〈文春文庫〉2002年2月20日第2刷。ISBN 416763502X。
- 谷崎光『北京大学てなもんや留学記』文藝春秋〈文春文庫〉2008年7月10日第1刷。ISBN 9784167635039。
- ““絆”に頼るのは貧困を加速する途上国モデル 政府はもっと未来に投資を 作家・谷崎光さん”. 毎日新聞. (2020年12月13日). 2024年7月1日(UTC)閲覧。
- 李珊「調査研究シリーズ(85)「知中派」エリートの現代中国認識 ― 谷崎光と加藤嘉一に基づく考察」『海外事情研究』第38巻第2号(通巻77号)、熊本学園大学付属海外事情研究所、2011年3月、61-71頁。国立国会図書館サーチ:R000000004-I11048378。
関連文献
[編集]- 「気ままにトーク(6)谷崎光さん」『ひろばユニオン』第472号、労働者学習センター、2001年6月、62-64頁。NAID 40004724092。
- 中村計 (2017年10月3日). “中国でのビジネスの秘訣を“爆勝ち”する日本企業から学ぶ「中国人は日本人がごまかさないことをよくわかってる」”. 週プレニュース. 集英社. 2024年7月6日(UTC)閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 谷崎光@北京在住20年/作家/ (tanizakihikari) - note(X(旧Twitter)へのリンクあり)
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