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「広野台」の版間の差分

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現二丁目が大字座間字元広野残り分・南広野一部、大字[[座間入谷]][[飛び地]]の向長窪の西半分・東長久保・長久保・長久保中通である<ref>引用元:『座間の地名・付録[[昭和3年]]刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』</ref>。
現二丁目が大字座間字元広野残り分・南広野一部、大字[[座間入谷]][[飛び地]]の向長窪の西半分・東長久保・長久保・長久保中通である<ref>引用元:『座間の地名・付録[[昭和3年]]刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』</ref>。


広野(ひろの)と呼ばれたこの地域は、[[本厚木|厚木]]から[[武蔵国]][[国府]]が置かれていた[[府中市 (東京都)|府中]]に通じる[[東京都道・神奈川県道51号町田厚木線|府中みち]]<ref>現・[[東京都道・神奈川県道51号町田厚木線|行幸道路]]</ref>、[[大山道]]と[[神奈川往還]]([[国道16号線|国道16号線旧道]])が交差する[[下鶴間宿]]へ通ずる鶴間街道<ref>相模野小学校下、江戸街道の小池窪から[[神奈川県道50号座間大和線|座間街道]][[イオンモール座間|イオンモール]]へ向かい、[[下鶴間宿]]で[[国道246号|大山道]](矢倉沢往還)と[[国道16号|八王子道]](滝山道)に合流した。</ref>、遠くは[[三宅坂|江戸三宅坂]]へ通ずる江戸街道<ref>[[相武台前駅]][[踏切]]を渡り[[相模が丘]]に向かう道。[[座間市立相模野小学校|相模野小学校]]下、元広野と元広野窪の境界道である小池窪の坂を直進し農道(現・[[神奈川県道50号座間大和線|座間街道]])を渡り、[[相模が丘]]中部([[相模が丘|三丁目と四丁目の境界道路]]・[[相模が丘|五丁目と六丁目の境界道路]])を縦貫し、[[上鶴間|上鶴間村]]([[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大相模高校]]側)と[[下鶴間|下鶴間村]]([[相模カンツリー倶楽部]]側)の境の道で[[国道16号|八王子道]](滝山道)を渡り[[鶴間 (町田市)|鶴間村]][[南町田|町谷原]]([[町田市]][[南町田]]の[[町田街道]]の町谷原交差点)、[[小川 (町田市)|小川村]]を経て、[[長津田宿]]で[[江戸]][[三宅坂]]へ向かう[[国道246号|大山街道]](矢倉沢往還)に合流。</ref>、これらの古街道が通っており、[[座間 (座間市)|座間宿]]や[[座間入谷]]の人々が芝原(しばあら)<ref>[[江戸末期]]の[[嘉永]]6年([[1853年]])芝原(しばあら)と呼ばれた[[相模が丘]]から[[小松原 (座間市)|小松原]]・[[ひばりが丘 (座間市)|ひばりが丘]]・[[さがみ野]]・[[東原 (座間市)|東原]]にかけて[[開墾]]がはじまり、[[文久]]年間に[[地割]]が完成し[[耕作]]が始まった。『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』</ref>へ[[耕作]]に通う往来の地であり、[[集落]]は往古から形成されず[[畑]]・[[荒地]]・[[雑木林]]が混在していた<ref>座間むかしむかし第25集・戦前から戦後のまちの様子</ref>。
広野(ひろの)と呼ばれたこの地域は、[[本厚木|厚木]]から[[武蔵国]][[国府]]が置かれていた[[府中市 (東京都)|府中]]に通じる[[東京都道・神奈川県道51号町田厚木線|府中みち]]<ref>現・[[東京都道・神奈川県道51号町田厚木線|行幸道路]]</ref>、[[大山道]]と[[神奈川往還]]([[国道16号線|国道16号線旧道]])が交差する[[下鶴間宿]]へ通ずる鶴間街道<ref>相模野小学校下、江戸街道の小池窪から[[神奈川県道50号座間大和線|座間街道]][[イオンモール座間|イオンモール]]へ向かい、[[下鶴間宿]]で[[国道246号|大山道]](矢倉沢往還)と[[国道16号|八王子道]](滝山道)に合流した。</ref>、遠くは[[三宅坂|江戸三宅坂]]へ通ずる江戸街道<ref>[[相武台前駅]][[踏切]]を渡り[[相模が丘]]に向かう道。[[座間市立相模野小学校|相模野小学校]]下、元広野と元広野窪の境界道である小池窪の坂を直進し農道(現・[[神奈川県道50号座間大和線|座間街道]])を渡り、[[相模が丘]]中部([[相模が丘|三丁目と四丁目の境界道路]]・[[相模が丘|五丁目と六丁目の境界道路]])を縦貫し、[[上鶴間|上鶴間村]]([[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大相模高校]]側)と[[下鶴間|下鶴間村]]([[相模カンツリー倶楽部]]側)の境の道で[[国道16号|八王子道]](滝山道)を渡り[[鶴間 (町田市)|鶴間村]][[南町田|町谷原]]([[町田市]][[南町田]]の[[町田街道]]の町谷原交差点)、[[小川 (町田市)|小川村]]を経て、[[長津田宿]]で[[江戸]][[三宅坂]]へ向かう[[国道246号|大山街道]](矢倉沢往還)に合流。</ref>、これらの古街道が通っており、[[座間 (座間市)|座間宿]]や[[座間入谷]]の人々が芝原(しばあら)<ref>[[江戸末期]]の[[嘉永]]6年([[1853年]])芝原(しばあら)と呼ばれた[[相模が丘]]から[[小松原 (座間市)|小松原]]・[[ひばりが丘 (座間市)|ひばりが丘]]・[[さがみ野]]・[[東原 (座間市)|東原]]にかけて[[開墾]]がはじまり、[[文久]]年間に[[地割]]が完成し[[耕作]]が始まった。『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』</ref>へ[[耕作]]に通う往来の地であり、[[集落]]は往古から形成されず[[畑]]・[[荒地]]・[[雑木林]]が混在していた<ref>座間むかしむかし第25集・戦前から戦後のまちの様子</ref>。


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2024年11月19日 (火) 09:25時点における版

日本 > 神奈川県 > 座間市 > 広野台
広野台
町丁
地図北緯35度30分03秒 東経139度25分20秒 / 北緯35.500764度 東経139.422356度 / 35.500764; 139.422356
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 座間市
人口情報2023年令和5年)8月1日現在[1]
 人口 2,949 人
 世帯数 1,366 世帯
面積[2]
  0.681234218 km²
人口密度 4328.91 人/km²
設置日 1974年昭和49年)11月1日
郵便番号 252-0012[3]
市外局番 046(厚木MA[4]
ナンバープレート 相模
ウィキポータル 日本の町・字
神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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広野台(ひろのだい)は、神奈川県座間市町名。現行行政地名は広野台一丁目から広野台二丁目。住居表示実施済み区域[5]

地理

座間市の北部に位置し、一丁目北部に1927年4月1日小田急小田原線が開通、運行しているが最寄り駅はなく、小田急相模原駅相武台前駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩20分未満。

概略

地籍は、現一丁目が大字座間元広野の大部分・元広野窪全域・上小池・南広野の各一部。 現二丁目が大字座間字元広野残り分・南広野一部、大字座間入谷飛び地の向長窪の西半分・東長久保・長久保・長久保中通である[6]

広野(ひろの)と呼ばれたこの地域は、厚木から武蔵国国府が置かれていた府中に通じる府中みち[7]大山道神奈川往還国道16号線旧道)が交差する下鶴間宿へ通ずる鶴間街道[8]、遠くは江戸三宅坂へ通ずる江戸街道[9]、これらの古街道が通っており、座間宿座間入谷の人々が芝原(しばあら)[10]耕作に通う往来の地であり、集落は往古から形成されず荒地雑木林が混在していた[11]

1974年11月1日座間市は当該地域の各大字小字を統合し広野台1・2丁目を新設、1999年9月13日には住居表示を実施した。

年表

世帯数と人口

2023年令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
広野台一丁目 1,366世帯 2,949人
広野台二丁目 0世帯 0人
1,366世帯 2,949人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[25]
2,426
2000年(平成12年)[26]
2,470
2005年(平成17年)[27]
2,844
2010年(平成22年)[28]
3,075
2015年(平成27年)[29]
3,179
2020年(令和2年)[30]
3,037

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[25]
838
2000年(平成12年)[26]
925
2005年(平成17年)[27]
1,087
2010年(平成22年)[28]
1,184
2015年(平成27年)[29]
1,248
2020年(令和2年)[30]
1,254

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)[31]

丁目 番・番地等 小学校 中学校
広野台一丁目 33番~35番 座間市立相武台東小学校 座間市立座間中学校
1~32番
36~50番
座間市立相模野小学校 座間市立相模中学校
広野台二丁目 全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は、以下の通りである[32]

丁目 事業所数 従業員数
広野台一丁目 78事業所 897人
広野台二丁目 220事業所 8,859人
298事業所 9,756人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[33]
142
2021年(令和3年)[32]
298

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[33]
5,823
2021年(令和3年)[32]
9,756

交通

鉄道

丁目北部に1927年小田急小田原線が敷設され運行しているが、町内に鉄道駅はない。

乗り合いバス


廃止路線

道路

施設

その他

日本郵便

脚注

  1. ^ a b 町丁字別年齢別人口統計表(令和5年)” (CSV). 座間市 (2023年8月8日). 2023年8月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年8月16日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 広野台の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 不動産登記法に基づく地番整理(地番の付け直し)は実施せず。
  6. ^ 引用元:『座間の地名・付録昭和3年刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』
  7. ^ 現・行幸道路
  8. ^ 相模野小学校下、江戸街道の小池窪から座間街道イオンモールへ向かい、下鶴間宿大山道(矢倉沢往還)と八王子道(滝山道)に合流した。
  9. ^ 相武台前駅踏切を渡り相模が丘に向かう道。相模野小学校下、元広野と元広野窪の境界道である小池窪の坂を直進し農道(現・座間街道)を渡り、相模が丘中部(三丁目と四丁目の境界道路五丁目と六丁目の境界道路)を縦貫し、上鶴間村東海大相模高校側)と下鶴間村相模カンツリー倶楽部側)の境の道で八王子道(滝山道)を渡り鶴間村町谷原町田市南町田町田街道の町谷原交差点)、小川村を経て、長津田宿江戸三宅坂へ向かう大山街道(矢倉沢往還)に合流。
  10. ^ 江戸末期嘉永6年(1853年)芝原(しばあら)と呼ばれた相模が丘から小松原ひばりが丘さがみ野東原にかけて開墾がはじまり、文久年間に地割が完成し耕作が始まった。『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』
  11. ^ 座間むかしむかし第25集・戦前から戦後のまちの様子
  12. ^ 引用元:皇国地誌村誌
  13. ^ 引用元:皇国地誌村誌
  14. ^ 『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』
  15. ^ 起点:相武台前駅踏切前 - 江戸街道 - 小池窪 - 鶴間街道(現・座間温泉) - 下鶴間 - 旧国道16号
  16. ^ 『鶴間新町のルーツを探る 座談会・大和市市史編さん事務局』
  17. ^ 相模原町は残りの区域で、1954年11月20日市制施行して人口約8万人の相模原市が発足した。
  18. ^ 相模野小学校五十周年記念誌より
  19. ^ 座間入谷飛び地向長窪・東長久保・長久保・長久保中通などの古来の小字が事実上不詳になった。
  20. ^ 座間町(相模台の町田電報電話局管内・栗原の厚木電報電話局管内を除く)、相模原市新戸全域、磯部新磯野の大部分。同時に、座間町内の町田局・大和局に収容されていた165回線を座間局に振替収容した。※1965年5月30日当時
  21. ^ 例①旧表記・座間xx番→新表記・0462-51-00xx、例②旧表記・座間xxx番→新表記・0462-51-0xxx、例③旧表記・座間1xxx番→新表記・0462-51-1xxx
  22. ^ 住居表示は実施せず。
  23. ^ 広野台地区(平成11年9月13日施行)”. 座間市. 2023年8月16日閲覧。
  24. ^ 不動産登記法に基づく地番整理(地番の付け直し)は実施せず。
  25. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  26. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  27. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  28. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  29. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  30. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  31. ^ 小・中学校の通学区域” (2022年12月7日). 2023年8月16日閲覧。
  32. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  33. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  34. ^ 「座間市史 4(近現代資料編 2・3)基地の町の実情」272頁 昭和二十八年二月「米軍移駐にともなう交通対策につき陳情」より。
  35. ^ 『鶴間新町のルーツを探る 座談会・大和市市史編さん事務局』
  36. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。