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「プロジェクト‐ノート:LGBT」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
Maris stella (会話 | 投稿記録)
婆娑羅 (会話 | 投稿記録)
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またカテゴリ作成に反対しているのは、[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝]]における、[[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝#人物伝の記事におけるカテゴリの基本的な課題について|Cave cattumu 氏の提案]]になるガイドライン案の合理性もあり、不要だからです(カテゴリは濫造するものではないのです。Cave cattumu 氏の意見を読んでおられますか?)。Cave cattum 氏の述べているような明確な基準がある以上、これを上回る説得力ある理由がなければ、話にならないでしょう。カテゴリ作成中毒はウィキペディアでは不要なので、そういうことをするよりも、記事を執筆・作成・充実してください。ここで、警告していますので、カテゴリを作成すれば、単純に削除依頼に出すだけです。--[[利用者:Maris stella|Maris stella]] 2007年6月29日 (金) 06:48 (UTC)
またカテゴリ作成に反対しているのは、[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝]]における、[[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝#人物伝の記事におけるカテゴリの基本的な課題について|Cave cattumu 氏の提案]]になるガイドライン案の合理性もあり、不要だからです(カテゴリは濫造するものではないのです。Cave cattumu 氏の意見を読んでおられますか?)。Cave cattum 氏の述べているような明確な基準がある以上、これを上回る説得力ある理由がなければ、話にならないでしょう。カテゴリ作成中毒はウィキペディアでは不要なので、そういうことをするよりも、記事を執筆・作成・充実してください。ここで、警告していますので、カテゴリを作成すれば、単純に削除依頼に出すだけです。--[[利用者:Maris stella|Maris stella]] 2007年6月29日 (金) 06:48 (UTC)

それでCategory:日本の歯科医やCategory:日本の殺人犯が存在する理由をあなたは説明できますか?それとも私がこのようなカテゴリを出せばあなたは賛同していただけるといいたいのですか?--[[利用者:婆娑羅|婆娑羅]] 2007年7月1日 (日) 14:49 (UTC)


== 削除されたカテゴリの再作成について ==
== 削除されたカテゴリの再作成について ==

2007年7月1日 (日) 14:49時点における版

問題

以下のページに長い文章がありますが、これを参考資料として一読して戴ければ幸いです。

参考意見:LGBTの人物カテゴリの問題について

カテゴリの含意と問題

「LGBTの人物」というカテゴリ設定そのものが、極端な欧米POVであるという事実。英語版やフランス語版では、「LGBTの人物」は、弾圧や抑制に抗して人権運動の流れのなかでカミングアウトした人たちを明示して称賛し、あるいは、LGBTは世界的に問題ないのだということを証明したいが為に、導入されているカテゴリとしか思えないのです。

しかし、LGBTの概念がそもそも明瞭でない社会、LGBTがあっても、それが反社会性とか犯罪性と関連付けられておらず、抑圧や弾圧の反人権的圧力が希薄である社会で、このカテゴリを中途半端に使うと、LGBT の否定的側面がカテゴリを貼付された人物に与えられるが、しかし、それで何かの意味があるかというと意味がないと言えます。

LGBTという社会運動に対し、中立的であろうとすれば、「LGBTの人物」というようなカテゴリがそもそも中立性を破壊しているのです。「LGBTの人物」というカテゴリの使用は、一方で、「弾圧や抑圧に抗した人」という評価の意味がある他方、弾圧や抑圧があるということからは、違う立場では「犯罪者・反社会性を表明した人物」という評価の意味もあるのです。日本語版では、前者の意味は希薄になり、単に、同性愛であった、トランスジェンダであった、というだけでこのカテゴリが使われ、そうすると、「犯罪者・反社会性」のレッテルも同時に貼っていることになります。

それ故、このようなカテゴリは、LGBT に対する弾圧や抑圧や人権侵害が顕著な社会では、人権の擁護・確立のためのカテゴリの意味があるかも知れませんが、世界的に・歴史的に見ると、一般性を持たず、日本語版だと、むしろ否定的意味しかない(覗き見趣味に堕する)ということしかないのです。--Maris stella 2007年6月8日 (金) 11:17 (UTC)[返信]

また明瞭に述べておかねばならないことは、上でも述べていますが、人は発達段階に応じて、性的指向トランスジェンダー性が変化して行きます。欧米では、自分は「同性愛者」だと宣言することは非常に重い意味を持ち、その発言には人権問題と関連した言説の責任が付いて回ります。
しかし、日本やその他の世界では、男性が「同性愛者」と名乗っても、「そのとき、そうだった」ということで、「いまは女が好き」とか、またはその反対もあり、人間の一生で、性的指向性的嗜好は変化し、欧米のような厳粛な問題として LGBT が取り上げられていない社会では、同性愛とかトランスジェンダーとか、本人がそう述べても、行動で示しても、だから永続的にそうだとはならないのです。ここからも、カテゴリとしては問題があることが明らかなのです。(体重別に人物をカテゴリ分類することがナンセンスであるのと似ているでしょう)。

以上の記述は、基本的な問題提起で、この部分にはレスとかコメントを書かないでください。収拾が付かなくなります。参考文章として見て戴き、議論(discussion)は以下の節以降で述べ、行ってください。--Maris stella 2007年6月8日 (金) 11:17 (UTC)[返信]


discussion

あなたの言っている事は一見尤もらしく言葉を並べ立てている様にも見えますが大きな誤りを含んでいます。

  1. >「LGBTの人物」というカテゴリ設定そのものが、極端な欧米POVであるという事実。英語版やフランス語版では、「LGBTの人物」は、弾圧や抑制に抗して人権運動の流れのなかでカミングアウトした人たちを明示して称賛し、あるいは、LGBTは世界的に問題ないのだということを証明したいが為に、導入されているカテゴリとしか思えないのです。
    これは完全なる誤りです。性的少数者をLGBTという括りで言及する概念こそは英語圏で生まれてあなたの言うとおりにゲイリブの結果拡大してきたものですが、ウィキペディアにおけるカテゴリの導入までをそれとまで看做すというのは乱暴なレッテル貼りです。また、全地球時代と呼ばれる今日で、先進国の中で唯一欧米文化圏に無いと言っても過言でなかった日本国のPOVでLGBTカテゴリの排斥を肯定するというのも理に適いません(日本語版は日本国版ではないと皆言ってます)。
  2. >~何かの意味があるかというと意味がないと言えます
    あなたの言う社会とは一体どこの社会の事を言っているのですか?机上の空論の中で意味がないと言われても納得がいきません。
  3. >~そうすると、「犯罪者・反社会性」のレッテルも同時に貼っていることになります。
    それは性的少数者への偏見の為せる大きな間違いです。LGBTというのは何も社会的に活動をして積極的なアピールを行った変わり者たちだけでなく、同性愛を経験したことがあったり(両性愛者も含む)性自認が体と異なるだけで他は至極全うに異性愛者と変わらない暮らし(ゲイバーの従業員やおねえキャラをウリにする芸能人ではない)をする人々を含みます(むしろそちらの方が多数)。性的少数者であることを異性愛者よりも劣っていると看做すのは時代錯誤も甚だしいのです。
  4. >永続的にそうだとはならないのです
    それはスポーツの選手の所属チームや子役俳優なども同じことです。存命人物をカテゴリとしてさえもいます。基本的に没人の場合はやはり没時の自認で判断すればよいでしょう(例えば没時に異性の恋人と陰間の恋人がいた武士は両性愛者です)。存命の場合でもカミングアウトされていなければ彼らがLGBTのカテゴリに含まれることはありません。なお同性の恋愛対象がいなくなる事と同性愛を止めるという事は同じではありません(同性愛を止めたEx-gayや更に同性愛に戻ったEx-ex-gayという概念が存在します)。

以上ですがあなたの言い分には全体的に日本POVや書籍の独自解釈が含まれています。日本語版だから欧米の概念を排除せよというのはまるで脳内が鎖国状態で、ナンセンスです。もう一度申し上げますが日本語版は日本国版ではありません。日本人以外の民族が携わっている事を忘れてはいけません。日本語話者は殆ど日本人ですが、極東の島国に在住している人達ばかりではないのです。--婆娑羅 2007年6月8日 (金) 12:42 (UTC)[返信]

「性的少数者」ということに対し疑問を提示しています。男女の同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々、こういう人たいは「普通の人」です。そして「普通の人」だからこそ、何故、「LGBT」というカテゴリ分けをするのか、それに対し疑問を述べています。オスカー・ワイルド は彼を師としたう貴族の少年(青年)と同性愛行為をしたことでスキャンダルとなり監獄に入って健康を害し、出獄後に死去しました。オスカー・ワイルドがウィキペディアに載っているのは、彼が小説家であったからで、同性愛をめぐるスキャンダルがあったからではないのです。
オスカー・ワイルドに現在、Category:アイルランドのLGBTの人物が貼られていますが、何故こういうものを貼るのかです。オスカー・ワイルドに同性愛の指向があった。それだけのことであって、特にカテゴリで分ける必要はないでしょう。西欧の芸術家のなかには同性愛が語られている人物がかなりいますが、彼らは同性愛であったが故に、百科事典に載っているのではないでしょう。同性愛もトランスジェンダーも、何も不自然なことはありません。
性的嗜好#正常と異常性的嗜好#性における健康を参照してみてください。「正常と異常」という範疇では見ないということが明言されています。性的指向性的嗜好を分けて考えている人がいますが、基本的には、主要な性的嗜好が、四つの代表的性的指向、つまり、異性愛同性愛両性愛無性愛であって、これらについても、当然「正常か異常か」というような基準は当て嵌めないのです。「性における健康」が妥当な基準だとこの記事で述べています(この記事の文章は、履歴を辿ると分かりますが、わたしが記したものです。みすず書房の『異常心理学講座』の「性に関する異常」において、このような説明があったので、それ以降、性的指向も性的嗜好も、正常と異常ではなく、当事者の「身体的・心理的健康」という基準でしか見ません。
だから、何故、同性愛者とか、トランスジェンダーだとか、表示する必要があるのか、ということです。ごく当たり前のことで、彼らが百科事典に載っているのは繰り返しますが、彼らの性的指向やトランスジェンダーであるためではないのです。
なお、「日本POV」とは呆れてものも言えません。最近の編集だと、女装メンズ・スカートを見れば分かる通り、日本POVそのものの記事を、世界での事象に書き直しているのはわたし自身です。よく確認してください(女装は、どうやって記事を再構成するか、難しいので考えている処ですが)。--Maris stella 2007年6月8日 (金) 13:29 (UTC)[返信]
しかしながらLGBTのカテゴリは日英双方で多くの方々から支持を受けていますからこれの是非については是と言わざるを得ません。人間の性向に関するカテゴリの是非についてまで問題の視野を広げてみると英語版にen:Category:Vegetariansというものも見られます。全言語版の最先端を行く英語版ではライフスタイル別のカテゴリはすでに当たり前の段階となっておりまして、こうした特性に基づいたカテゴリは必ずしもLGBTだけには限りません。--婆娑羅 2007年6月8日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
横から失礼。議論が白熱しているようなので少し冷水をば。
まず、Maris stella氏の意見から。
『普通の人』というのは自らが『普通の人』だと思っているマイノリティのことを指すと察しますが、マイノリティというものは歴史的に見てもマジョリティからみると『普通でない人』とみなされることが多々あります。確かに『普通でない人』というのは偏見ではありますがマジョリティから見たものであるために逆にPOVとは言いがたいものであるかもしれません。他の項目についても同じ事がいえるかもひれません。(理論は分かります。むしろ『普通でない人』という言葉を私自身、忌み嫌っています。私は仏教がマジョリティの日本においてプロテスタントなので、良く考えるのですが、一般的に考えてみるとそうなのです。)
ただ、トランスジェンダーの知り合いに聞いてみたところによると、自分が『普通であると思っていること』が『普通でない』ということは自覚しているようです。「『普通が普通でない』と自覚するということはなんとも奇妙な感覚だ」とはその知り合いの言葉。『同性愛もトランスジェンダーも、何も不自然なことはありません』というのは満点の正解とは言いがたいようです。--Lonch** 2007年6月8日 (金) 20:31 (UTC) /Maris stella による署名・日付補足)[返信]
こんにちは。まず議論が白熱しているということはありません。どうもウィキペディアには、自分の考えで他の人について決めつけを行う方がいるので、少しきつめに反論したということです。なお、「普通の人」であるとかないとか、これは難しい話で、「性的指向」や「性自認」のケースだけが、普通であるとかないとかの話になるのではなく、実は、その他様々なことで、人は、自分が普通であるかないかということで悩みを持ちます。社会的な受容・周囲の受け止め方にもよるのですが、「性的少数者」を特別視する理由がないのです(カテゴリでの話です)。無論、LGBTが主題となる場合は、これが特別に意味を持つでしょうし、個々の記事での記載は問題がないとも述べています。
いま一つの問題は、パラフィリア性的嗜好は実体的に別のものと考えられるのですが、現象的には連続して見えるというのがあります。LGBTの場合もそうで、抜き差しならぬ、自殺するかどうかという深刻な悩みを自身が持つ場合や、外部から激しい圧力(差別など)を受けるケースもあれば、当人以外は知らないというケースや、当人も幾らかの葛藤はあるが、気にしていないというケースなど色々とあり、むしろ極端なものの方が例として少なく、「普通のこと」であると考えるのが実は自然なのです。性的フェティシズムの個々の例は英語版ではすべてパラフィリアというカテゴリになっていますが、パラフィリアというのは、精神障害です。ところが、性的嗜好のすべてが実質的にパラフィリアの類型と重なっています。Category:パラフィリアにはカテゴリ使用での注意があり、無闇に使用しないということを記しています(Category:フェティシズムでは、個々の記事には貼付しないという注意があります)。これは、例えば、乳房フェティシズムのようなものは男性は一般に多くの人が持っているもので、これをパラフィリアに入れると、誰も彼もがパラフィリア(性嗜好障害・性的倒錯)ということになるが、そういうことはないので、パラフィリアの類型と性的嗜好の類型で、「普通」の側に基準を置いているのです。
「普通の人」であるというのはそのような含意で、同性愛の人やトランスジェンダーの人が対人的に問題に直面しない訳ではなく、自己の内心でも葛藤や矛盾や苦しみを感じないという訳ではないのです。ただ、そのような例は、人間が社会で他者と共に生きるという場面では、すべての人が、類型にならないとしても似たような問題があり、「性的少数者」をとりわけ特別視する理由がないのです。逆に、そのようなカテゴリを作成して運用するということが、むしろマイナスの効果の方が大きいとも言えるのです。なぜ、LGBTのカテゴリを貼付するのか、必然性がないのです
いま一つ、英語版のカテゴリは、過去調査してみたところでは、支離滅裂になっています。これを調整しようとする方向もあるのですが、カテゴリは勝手に幾らでも作れるので量産されているのでしょう。少し英語版の記事を見るだけで、一つの記事に十以上のカテゴリが貼られていることも珍しくないのです。日本語版では、まだ記事数そのものが少ないのと、カテゴリに対しかなり敏感なところがあり、量産や濫造に対しては、ともかく対応が成されているので、無闇にカテゴリがないということになります。
英語版にあるからと云ってカテゴリを大量に作った人は過去複数いますが、それに対し、対応がともかく行われています。例えば、その例が、現在の「LGBT関係のカテゴリ」です。そのようなカテゴライズにどういう必然性があるのか、ということをカテゴリ構造全体の視点から考えるのではなく、英語版にあるので作るというのでは、英語版同様に混乱になってきます(特に、日本語版は、IPユーザーの数が多く、あまりにもIPユーザーが勝手なことをするようになれば、全記事の半保護というような事態にもなりかねません)。長い文章ですが、様々な問題があり、カテゴリを多数作成しようという人は、しばしば問題を意識していない・熟考していない場合があるということです。--Maris stella 2007年6月9日 (土) 04:15 (UTC)[返信]
(「普通である」「普通でない」ということに答えていないように見えるかも知れませんが、性的嗜好とか性的倒錯の記事を目下の形に作成した者として、その問題は自明というか、あまりにも分かりすぎているので、それを知らないかのように決めつけられるのは、心外だということです。例えば「同性愛に対し、わたしが偏見を持っているように見える」などということを述べておられたのですが、見当違いです。同性愛やトランスジェンダーの人も知っていますが、そういうことを詳しく書く訳には行かないのです。これは、Lonchi** 氏に対しても述べています)。--Maris stella 2007年6月9日 (土) 04:15 (UTC)[返信]
私はそこまでこの問題に詳しくないので性嗜好障害・性的倒錯などの専門用語はおいておいて、『客観的視点を重視するか、その人の意思を尊重するかが問題だ』というように受け取りました。趣旨を間違っていたらごめんなさい。まあ、私は白熱しすぎて、Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:礼儀を忘れないetc.に反することにならないよう中立の立場から両氏にもう一度自らの意見を見直していただきたかったので。 結論は皆様にお任せします。 --Lonchi Awotsuki** 2007年6月10日 (日) 09:42 (UTC)[返信]


次に婆娑羅氏。
私が思うに、特に日本語版だからとか、米国版がどうだから、といったことには意味が見出せないのではないでしょうか。『全言語版の最先端を行く英語版』ということ自体が或いは米国至上主義POVなのかもしれません。『全言語版の中で一番記事数が多い』ことがマナーも良く、記事も良質であることとは必ずしも一致しないとは考えられるからです。(別に私は反米家ではありません。ただ、どこのwikiもすばらしいものだと感じているが故に独自のルールを設ければよいのではないだろうかと。そういう意味です。)
また、『多くの方々から支持を受けていますからこれの是非については是と言わざるを得ません』の部分ですが、この部分では井戸端etcによる投票で検証する必要があるかもしれません。(普通の記事ならば[要出典]が張られるかもしれません。)また、『ライフスタイル別のカテゴリはすでに当たり前』とありますが、具体的にはどのようなものを指しているのかが分からないと賛成も反対もに出来ないので例示をお願いします。
以上2項 --Lonchi Awotsuki** 2007年6月8日 (金) 20:31 (UTC)[返信]

はい、英語版のライフスタイル別のカテゴリの例としては以下のものが挙げられます。まずen:Category:People by behaviorというものがあり、禁欲主義者やベジタリアンが含まれております。en:Category:People by political orientationには政治的な思想別にカテゴライズされております。また、en:Category:People by religionでは宗教別に分けられており、12ヶ国語版で同じものがあります。

ところで話が変わりますが人物カテゴリに分割提案が出ています。しかし私が思うにその人がゲイ・レズなのかバイなのかは明かされないことが多いという事実や同性愛者・異性愛者であるかどうかに関わりなくトランスジェンダーという状態があるという定義から考えるにLGBTを構成する少数性指向で分けて(LGBTという括りを否定して)カテゴライズするとどうしてもその事実の確認に手間がかかったり、判らず仕舞いだったりして煩雑になりそうなのです。というのが私が国別の分割に賛成した事情だったんです。--婆娑羅 2007年6月10日 (日) 13:16 (UTC)[返信]

ちょと横から失礼しますが、「宗教別」に分けられていて、12カ国語であるというのは、次のことですね:--Maris stella 2007年6月10日 (日) 16:09 (UTC)[返信]
これらは、リンク先を確認されましたか? どこの言語か分からないものがありますが、「デンマーク語」「ドイツ語」「スペインゴ」「フランス語」「オクシタニア語」「ポーランド語」「スウェーデン語」などですね。いずれもヨーロッパの言語です。スペイン語とポーランド語は対応ページがないようです(スペイン語は削除されたか、変更されたようです)。また、ポーランド語は、一般の人のサブカテゴリもあるようですが、「殉教者」「預言者」「尼僧」「オカルティスト」のようなサブカテゴリに見えます。
Category:LGBTの人物にしても、英語版のen:Category:LGBT peopleの人を見ても、7カ国語ぐらしかありません。フランス語版には、ポータルのLGBTがあったはずです(fr:Portail:LGBT)。LGBT のポータルは他に七カ国語でもあります。フランス語版では「LGBTの人物」のようなカテゴリはないようです。「LGBT」のカテゴリに人物が入っているようで、他は、LGBTのサブカテゴリの「同性愛」のカテゴリ(及びサブカテゴリ)に人物が入っているようです。「映画の同性愛」では国別に分かれ、作品などと一緒に、ドイツだとファスビンダー(de:Rainer Werner Fassbinder)などが入っていますから、人物を性的指向でカテゴライズしているのは事実ですね。
しかし、だからと云って、日本語版で分けねばならないということにはならないと思います。カテゴリは、記事の整理のためにあるので、キリスト教の教皇とか、聖人とかだと日本でもカテゴリがありますが、個々人を宗教でカテゴライズして行くと、人物記事は膨大な数があるはずで、細分化は避けられないことになります。これに「LGBTの人物」カテゴリを細分化して加えたりしていると、誰がカテゴリ設定に責任を持つのかという問題も起こってきます。英語版の過剰なカテゴリは、わたしは、先行した失敗の見本と認識しています。カテゴリ編制に注意を払う人、秩序を作ろうとする人に比し、何でもカテゴリを作りたがる人が多すぎて、削除や整理ができなかくなっているのが現状でしょう。--Maris stella 2007年6月10日 (日) 16:09 (UTC)[返信]
そんなに必死にならなくても…。別にここを見ているのはあなただけではありません。「秩序を守ってカテゴリを増やす」ためのウィキプロジェクトですから。私もカテゴリ追加の手伝いは先走りすぎたと思います。しかし話し合った上でどこの国のLGBTのカテゴライズそのものの人物のカテゴリを作るに値するかをそれぞれで決定してからでも遅くはないんじゃないですか?投票でもしますか?--219.119.137.12 2007年6月11日 (月) 08:02 (UTC)[返信]

カテゴリの必要性

以上の話は長いので、それに付き合う気はないという方もおられると思いますので、まず問題を元々の形に戻し、もっとも基本的な疑問に対し、「LGBTの人物カテゴリ」とその多数のサブカテゴリを肯定される方に答えて(そして考えて)戴きたく思います。

基本的な質問は、なぜ、そのようなカテゴリが必要なのか、ということです。英語版にあるので等も構いませんが、これについては、日本語版は必ずしも英語版に準拠する必要がない、という答えがあるということは前もって記しておきます。この質問は基本的なものなので、是非明確に様々な理由を挙げて答えて戴きたく思います。明確に根拠や言い分をお聞かせ願えないと、話し合いになりません。--Maris stella 2007年6月9日 (土) 06:15 (UTC)[返信]

別に類似のカテゴリの区別は英語版だけに限りませんよ。多数の言語版に似たようなものがあるのですからね。あなたのLGBTの人物カテゴリそのものを否定する態度の方が問題があります。性的少数者であることはLGBTの人にとっては生年月日と性別の次に尊重されなければならない情報です。カテゴライズ自体を否定するべきではありません。--婆娑羅 2007年6月10日 (日) 13:21 (UTC)[返信]
「性的少数者であることはLGBTの人にとっては生年月日と性別の次に尊重されなければならない情報です」と述べておられますが、百科事典は、記載人物個々人にとって何が重要か、何が重要でないかなどは関係がありません。トマス・アクィナスは死の前に幻覚を見たとされ、その結果「わたしの生涯の業績は、藁屑にも等しい」と感慨を述べたそうですが、「藁屑に等しい業績」と本人が述べてるのだから、トマスについては、「大した業績はない」という記事にしてよいのですか? また、いま一つの論点として、上のような主張は何に根拠を持つのでしょうか。自己の性的指向の問題で自殺を真剣に考え、あるいは自殺した人もいる他方で、もっと気楽な人もいるのであり、LGBTの人々という集団があれば、そこでは、LGBTであることが、生死に関わるほど重い人もいれば、そうでない人もいて、色々な場合があるというべきではないでしょうか。--Maris stella 2007年6月10日 (日) 16:09 (UTC)[返信]
横やりを失礼しますがMaris stellaさん。だからといってLGBTのカテゴライズそのものを否定する理由にはなりませんと思うのですがねえ。大体トマス・アクィナスとかそんな訳の判らないた感情論で話しをするのは議論をあらぬ方向へ持って行って長引かせてしまうんで、止めた方がよいですよ。--Otaku is beautiful 2007年6月11日 (月) 00:21 (UTC)[返信]
私は存在を否定することに理由は必要ないと考える。(私は法学者の端くれとしてそう考えているわけですが。)存在を主張する者は反対する者に存在の正当性を説明する義務(説明義務)を負うと考える。また、存在を正当化するだけの理由を挙げることがこのような存在意義に『?』を投げかけられて時の建設的な論理であり、それが必要条件であるとも考える。逆に言えば、存在に対する否定者の意見は常に十分条件であっても必要条件ではない、ということである。簡単に言えば、存在は反対者がいる限り『他国語版に例があるから』というような論ではなく、『その他国語版に何故存在するのか、また、何故それらが日本語版に必要なのか・適合するのか』という決定的な証拠(決定的な論理構成)、若しくは反対者を納得させるだけの論理的な意見が必要だと考える。
もう一度、真っ向から質問します。
何故、日本語版にLGBTのカテゴライズが必要なのですか?
この問いに冪論ではなく、決定的な『何か』を示せた時、この問題は解決されるであろう。 --Lonchi Awotsuki** 2007年6月11日 (月) 10:03 (UTC)[返信]
中立を超えてあまりにも反対者に靡いてしまった感が自身でも否めないので追記。『反対者もそれらの証拠に対峙できるだけの根拠・論理etc.を挙げる努力が必要である』とここに付記することとする。 --User:Lonchi**
あなたはそう考えてないのかもしれませんが、人間は商品でもロボットでもありませんから職業に関係しない個人的な特性というものはあって然るべきなんです。そして例えそれが普通の範囲を超えていたとしてもそれはそう言う個性であるとして認め合わなければならないんです。宗教の場合でもたとえ欧米の人であっても著名人が何を信仰しているのかは場合によってはプライヴェートとして非公開にされているケースは多々ある筈ですから宗教別にカテゴリを作ったところで今の世の中欧米人の大部分がキリスト教徒のカテゴリに入るなんてことはないでしょう。それと同様にLGBTに関しても同じです。
なぜカテゴリを作るのかときかれれば「必要だから」です。大多数の人も人物カテゴリそのものの存在を必要としています。それはWikipedia:削除依頼/LGBTの人物関連 Categoryで見ても明らかです。ここまで削除に必死になのは結局Maris stella氏だけなのです。あれだけ長口上して結局誰かを説得して意見を変えさせることはできましたか?今後もカテゴリは存続し続けて、私達の意志とは関係なしに項目数を増やしていくことでしょう。--婆娑羅 2007年6月11日 (月) 16:27 (UTC)[返信]
一応断っておきますが、少なくとも私は個性の否定は一切してはいない。私が問うているのは「なぜ必要なのか」それだけであり、この問いに納得出来る回答をいただければそもそも専門外なのでそれ以上は求めない。まあ、どちらにせよ一項目の発言は私に対しての回答では無いのでスルーで。
繰り返しになるが、私は専門外なので正直、存続にも削除にもあまり興味はない。事実、多数の支持を得て存在しているわけであるわけだし。ただ、議事録を見る限り、単に「必要だ」と書かれているばかりで、なぜ必要なのかといった理論的な説明がないことに疑問を抱き、また中身のない存在の暴走というものに懸念を抱いているわけである。(事実、中身がないが故の暴走がWikipedia:削除依頼/Category:国籍別のLGBTの人物となって現れているわけで。)問題となる可能性が高いものに関しては存在の説明、およびそれらに関するもののガイドラインを作成することが好ましいと考える。(ただ、ここだけで議論するよりはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 人物伝#人物伝の記事におけるカテゴリの基本的な課題についてとの協調を図ることが必須であるとは思うが。)単に、プライバシーよりも利便性を重視するというようなものであるならば、悪く言えば人権侵害を助長しかねないものであるならば、私は法学的見地から削除派に回る、ということである。なぜ必要なのか、その回答だけで十分です。私の「why」を解くご説明を願う。 --Lonchi Awotsuki** 2007年6月13日 (水) 04:17 (UTC)[返信]
まず婆娑羅さんへ。そういえばCategory:日本のミュージシャンはミュージシャンであることと日本人であることには相関関係がありませんよね。それなのにLGBTでは駄目という人がいるのは疑問に感じます。こういったカテゴリの経緯を考えればここでの必要性の根拠も考えられます。
それからLonchi**さんへ。プライバシーとカテゴリの利用は別問題だと思われます(主義思想でなくとも職業や民族でも同じ問題は起こりえますし、ウィキペディアがある限り避けられません)。現にLGBTの人物は存続が認められました。そして論点はそれを国籍別や職業別に分ける必要があるかどうかであって、カテゴリそのものを消去するかという議論はとうの昔に終了しています。法学的見地から削除に回る根拠はないでしょう。--Otaku is beautiful 2007年6月14日 (木) 01:31 (UTC)[返信]
とりあえず、category:日本のミュージシャンについて。少なくとも私は『ミュージシャンであることと日本人であることには相関関係は認められる』と考える。相関関係がないのであればなぜ『邦楽』と『洋楽』の区別があるのでしょうか。それは文化の違いがあるからです。(音楽論的にいうなればJ-POPの傾向に、『ベース音の降下』というものが挙げられます。ベース音の降下によりコード進行の安定性を確立するという効果が期待される、ということです。他方、Rockではパワーコードと呼ばれる1stと5thを直接ぶつけるものが主流であったり。。。言い出すとキリがないので後略。)それ以前にこのような取り決めについてはWikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝で規定されているのでそちらをご参照ください。また、LGBTのミュージシャンについては下の#職業別LGBTカテゴリの存在理由についてでどうぞ。
繰り返しますが私が目指しているのは『LGBTの削除』ではありません。認める、認めないはどちらでもよいのです。問題が起こっている事実を重視し、私は中立的な見地から『なぜ存在するのか』という疑問を投げかけているのです。(存在意義がないのであれば削除されるべきものであるでしょう。次に削除依頼が出たときにまた同じ議論をすることは無意味です。だからこそここになぜ存在し得るのかを明記すれば先例の集積として議論の迅速化にもつながる。『カテゴリそのものを消去するかという議論はとうの昔に終了してい』るのであれば猶のこと、納得いくご説明をして頂けると期待します。『削除するために論議を投げかけているというよりは、むしろ存続を確立するために論議している』と考えていただけると光栄です。)
法学的見地というものを具体化するなれば、日本国憲法第25条~第28条に規定のある人権の保障に反するもの、もっと身近なものでいうなれば削除の方針Bの規定:『他者の名誉等を傷つけ、結果的に名誉毀損罪・侮辱罪・信用毀損罪などに問われる可能性のあるもの』や、『プライバシーを侵害するもの』に抵触しないと確定される根拠をお示しいただければそれで結構です。
貴殿のご回答を心よりお待ち申し上げております。(少しスタイルを変えさせていただきました。) --Lonchi Awotsuki** 2007年6月14日 (木) 06:59 (UTC)[返信]
先ほどのレスはMaris stella氏に向けてのものでした。判り辛くて申し訳ございません。ところでLGBTであることと国籍の関係なのですがその論法で行けばアメリカのLGBT文化も日本のLGBT文化もイギリスのLGBT文化も古代ギリシャのLGBT文化もそれぞれございますから、やはり「関係がある→作成しなければならない」という結論に落ち着くのではないでしょうか?さきのレスでは例示するカテゴリが拙くありましたね。私の言いたかったのはCategory:日本の人物を開くと出てくるCategory:日本の歯科医Category:日本の殺人犯のようなカテゴリーが存在するにも関わらずLGBTでだけこれを制限しようとする考えが作為的で、何かホモフォビアの様な嫌悪的感情から引き起こされているのではないかと疑わしいことです(日本のLGBTの文化が無いなどと断言してカテゴリを削除しようなどとするのはウィキペディアにおけるホモフォビアの典型でしょう)。
それから削除の方針Bの規定に抵触するかについてですが、カテゴリが存在だけではそのようなことは起り得ません。その根拠としてLGBTという言葉は攻撃的な意味を持たない彼等自身による呼称であることが挙げられます。そもそも『他者の名誉等を傷つけ、結果的に名誉毀損罪・侮辱罪・信用毀損罪などに問われる可能性のあるもの』や、『プライバシーを侵害するもの』自体がそれぞれの記事で個別に判断されるべきであり、それこそ「カテゴリがあるから名誉毀損やプライバシー侵害が起きた」などと言うのはまるで「祖国を二つに分けてしまったのは某日本帝国」と言っている某国の若者と同じレベルですよ。LGBTの人物カテゴリページがあるだけで名誉毀損が成り立ちそれがカテゴリの消滅でしか回復できないという状況があるというのならば具体例をお願いします。そしてそれは日本国憲法第21条に規定する権利よりも優先されますか?お考えください。--婆娑羅 2007年6月16日 (土) 21:12 (UTC)[返信]
では国別カテゴリを作るまえに各国のLGBTの文化カテゴリを作ってはいかがですか?--Otaku is beautiful 2007年6月18日 (月) 00:31 (UTC)[返信]
わかりました。まずはアメリカ合衆国のLGBT文化と日本のLGBT文化を作り、それからそのサブカテゴリーにも人物記事を配そうと思います。--婆娑羅 2007年6月28日 (木) 19:45 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)そもそも、LGBT について、それは言葉は英語圏から起源して、文化運動として欧米で一般なもので、日本にはそのような基盤は明確にはない、とここでリンクを通じて述べたにも拘わらず、それを無視するので、LGBT の概念を明瞭にするため、英語版から翻訳して記事を作成したのです。現在の性的少数者 の記事は不正確で、また観点の問題があるでしょう。(この記事の前半は、性的指向に書けばよい内容で、「レインボー・フラッグ」や「レインボー」の意味は、ゲイの運動の象徴であり、そのことは、この「レインボー・フラッグ」が画像名では、Gay-flag のような名前を持っていることからも、英語版のen:rainbow flag の記事の記述からも明らかで、従って、「レインボー」は「性の多様性」の象徴ではない以上、後半の記述は関係がないと言えます)。

LGBT のまともな記事もない状態で、LGBTの人物の細分カテゴリを造ろうというのは、どういうことかと言う疑問が起こらないのかというのがあり、今度は、「LGBTの文化」などという記事もなく、「各国のLGBTの文化」の記事もないところで、そういうカテゴリを造ろうというのは、何を考えているのかです。貴殿等は極めて偏見に満ち、視野が狭いと言えるでしょう。欧米の同性愛者の権利運動において、大きな意味を持つ人権運動家であるマグヌス・ヒルシュフェルトの記事もわたしが翻訳で作成しましたが(これは、以前に、リヒャルト・フォン・クラフト=エビングの記事を翻訳で作成して、それに続いて作成しようと思っていて、翻訳していなかったものです)、百科事典は、記事が重要で、記事もないところに、何故カテゴリばかり造りたがるのかです。

またカテゴリ作成に反対しているのは、Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝における、Cave cattumu 氏の提案になるガイドライン案の合理性もあり、不要だからです(カテゴリは濫造するものではないのです。Cave cattumu 氏の意見を読んでおられますか?)。Cave cattum 氏の述べているような明確な基準がある以上、これを上回る説得力ある理由がなければ、話にならないでしょう。カテゴリ作成中毒はウィキペディアでは不要なので、そういうことをするよりも、記事を執筆・作成・充実してください。ここで、警告していますので、カテゴリを作成すれば、単純に削除依頼に出すだけです。--Maris stella 2007年6月29日 (金) 06:48 (UTC)[返信]

それでCategory:日本の歯科医やCategory:日本の殺人犯が存在する理由をあなたは説明できますか?それとも私がこのようなカテゴリを出せばあなたは賛同していただけるといいたいのですか?--婆娑羅 2007年7月1日 (日) 14:49 (UTC)[返信]

削除されたカテゴリの再作成について

LGBTに関してのことは省いて今回の2度のカテゴリの削除依頼に関して意見を述べさせていただきます。
  1. 1度目の削除依頼の結果、多くの方が議論に参加して一部を残して削除といった結論になった。
  2. 削除依頼の経緯を無視して再び再作成。
  3. 再度の削除依頼

となるわけですが、次のような問題点があると思います。

  1. 状況の変化があったわけではないのにカテゴリが再作成されたこと。(通常記事ならばスタブ未満のものや著作権侵害で削除されたものに代わり良質の記事を再投稿というのは理解できますがカテゴリでは状況の変化はない。)
  2. 削除の結論が出た直後に何故その経緯を無視してカテゴリを作成するのか。(多くの参加者や管理者が長い時間かけて考えを述べたり削除すべきか存続すべきか悩んで結論が出たことを平気で無視するのか。)

この点についてしっかり考えないといけないのではないかと思います。カテゴリの削除依頼をする意味が全くなくなってしまいます。--Tiyoringo 2007年6月9日 (土) 09:59 (UTC)[返信]


資料を作成しているあいだに、二人の方の発言が入りましたので、本来、置こうと思っていた場所に入れます。--Maris stella 2007年6月9日 (土) 11:23 (UTC)[返信]


一回目の削除審議(開始:2006年12月15日 (金) 22:10 (UTC)-終了:2007年6月2日 (土) 14:59 (UTC))で削除と決まったものは、次のカテゴリです: --Maris stella 2007年6月9日 (土) 11:23 (UTC)[返信]

存続となったのは、次のカテゴリです:

ところが、削除されたカテゴリがIPユーザーによってかってに作成されていることが判明し、二度目の削除依頼(開始:2007年6月7日 (木) 10:52 (UTC)-)が出されました。

現時点で次のようなカテゴリが、Category:LGBTの人物 のサブカテゴリとして作成されています:

削除審議データ

一度目の削除審議では明らかに、「国名+LGBT」と「LGBT+職業名」の形のカテゴリが削除されており、User:Sionnach 氏及び User:婆娑羅 氏の作成したカテゴリは「国名+LGBT」の形であるので、これらも「削除要件」に入っていると考えられます。彼らは意図的に作成しており、カテゴリは User:Sionnach 氏が多数貼付しています。この場合、二度目の削除依頼は、開始が「2007年6月7日 (木) 10:52 (UTC)」であり、二名のアカウント・ユーザーが作成したカテゴリはいずれも、削除審議が始まってからです。[返信]

ウィキペディアの方法としては、このようなカテゴリを新規に作成したいのであれば、少なくとも削除されたカテゴリや、それと同等の性質のカテゴリは、どこかで(もっとも適切な場所は、ここ「ウィキプロジェクト LGBT」のノートで、話し合いを行い合意形成の後で、その作成を行えば、その合意形成が、公開されたもので、多数の人の賛同を得たものであれば、削除審議結果を覆すことも可能性としてあると思えます。また、削除審議において、コメントの形で、このページにおいて、カテゴリの意味についての議論・話し合いの提案を行いましたが、その提案の後、ここで意見を述べているなかで、User:婆娑羅 氏は、新しいカテゴリを勝手に作成しています。これは問題行動であると言えます。--Maris stella 2007年6月9日 (土) 11:23 (UTC)[返信]


LGBT については議論に参加できるだけの知識の持ち合わせがありませんので、純粋に削除依頼の実務面からコメントします。今回の件については削除依頼において僅か数日前に削除が決定したカテゴリ群の再作成であり、明確に即時削除の対象となると考えます。存続意見の中に「今は有用性がある」というものがありますが、これは削除依頼を無視したカテゴリ貼り付けの結果であり考慮に値しません。少なくとも「状況の変化」がない限りは(このプロジェクトで改めて作成に合意しない限りは)何度作成されようとも即時削除は免れないでしょう。--端くれの錬金術師 2007年6月9日 (土) 10:45 (UTC)[返信]

それは変だろう。カテゴリの必要性は最新のものを基準にするべきである。プロジェクトに参加しない利用者が存在し、それが大多数である以上、全く新たなページの作成を拒否する方針はどこにもない。思考停止せずに、各ページの必要性は各々で議論するべきであろう。--Sionnach 2007年6月9日 (土) 11:05 (UTC)[返信]
プロジェクトに参加していなければ何でも自由だと云われるのですか? そもそもウィキプロジェクトは、別に登録者でなくとも意見を述べることも投票に参加することもできます。ここに、わたしが作ったのではありませんが、「Wikipedia:ウィキプロジェクト LGBT」が存在する以上、「LGBT」関連のガイドライン等はここで議論するのが自然でしょう。削除審議において、わたしはコメントの形で、話し合いを提案しています。ウィキプロジェクトで提案し、しかも現在は、コメント依頼で公示しています。手順を無視して、自分勝手なことをしているのは、貴殿 利用者:Sionnach会話 / 投稿記録 / 記録 氏でありましょう。おのれを恥じるなり反省するという心理にはなれませんでしょうか。--Maris stella 2007年6月9日 (土) 11:23 (UTC)[返信]
その通り。いいや、その都度説得するなり対話を行うなりが必要であり、コミュニケーションを行う心算のない相手の自分ルールの押し付けをきけるはずがない。--Sionnach 2007年6月9日 (土) 12:32 (UTC)[返信]

今回の一件に関しては全て即時削除で対処されました。このノートなり他の場所なりでこの種のカテゴリが必要である旨の提案を行うことは何ら妨げませんし、説得力のある提案がなされれば賛成することもありえます。--Cave cattum 2007年6月10日 (日) 00:59 (UTC)[返信]

今回のカテゴリーの再作成と、削除については残念でなりません。何の為にプロジェクトを用意して、議論と合意形成の場を用意したのかとあきれるばかりです。今後もこのプロジェクトでの議論と合意形成を経ずに作成されたLGBT関連のカテゴリーについてはすべて削除対応という方針と打ち出したいと思います。いかがでしょうか。よろしければ、プロジェクトのメインページに掲載させていただき、プロジェクトの方針とさせていただきたいと思いますがいかがでしょうか。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2007年6月10日 (日) 03:32 (UTC)[返信]

質問あり。「カテゴリページ」を作らずとも、カテゴリを充てる事は出来ますよね。そうすると、赤リンクでありながら、カテゴライズされた項目一覧の揃ったページは自動的に出来あがる訳ですが、これはそれらの項目のカテゴリをその都度、外していく、という主旨で宜しいのでしょうか?--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月10日 (日) 03:44 (UTC)[返信]
了解しました。しかしカテゴライズ編集される方が以前と同じ方とは限らず、且つ、外語版に同様のカテゴリを見出す事も出来る事から、何度と無く立てられる可能性はあると思います。可読性を妨げない形で、カテゴリを作るならば当該コミュニティーに持ち掛けるよう促す、何らかのテンプレートが作れれば良いと考えます。この場合、くだんの分野以外でも汎用的に用いる事の出来るテンプレートが望まれます。また、待ち掛けられた案件に対しては、「過去に削除となったから」といった門前払い同然たる態度では無く、経緯を説明出来るよう整備される事も望まれると同時に、その時勢や案件に応じて柔軟に対応出来るコミュニティー側のガイドラインも敷かれる必要があるでしょう。これらがクリア出来るのであれば賛同します。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月10日 (日) 04:05 (UTC)[返信]
まずカテゴリーについて総合戦略的な議論をする場を用意して、それからになると思います。また、有る程度のカテゴライズをされてしまった物などについては、リダイレクトで対応して、ノートに議論の場への誘導を明記するというのはどうでしょうか、その誘導用のテンプレートを作っても良いと思います。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2007年6月10日 (日) 04:12 (UTC)[返信]
ほかのところが忙しくてこっちまで回ってこれなかったので遅くなりましたが・・・私も、一度削除されたものは不要と思います。また、プロジェクトがある以上、個人よりもこちらが尊重されるべきであるとは思います。話し合いの場となると、このプロジェクトにサブページをつくるのがよいのではないでしょうか。航空機関連で多用されている方式ですが。--koon1600 2007年6月13日 (水) 07:27 (UTC)[返信]
一度削除されたものが恒久的に不要というのは暴論なのではないですかね。削除理由にはそれぞれ当人の理由があって、過去の議論でもそれぞれ意見の理由を考えなければなりませんし、中には悪意を持った削除票や状況によって覆る意見の持ち主はいますから。--Otaku is beautiful 2007年6月14日 (木) 01:50 (UTC)[返信]
削除されたからとはいえ恒久的に不要とは言っていません。コミュニティでの合意を得ないで勝手に作成されるのは再度削除されるだけであり、同種カテゴリーが同時に削除されてしまう危険性もあり、コミュニティの議論を経ても削除議論をしている人たちに「またか」と思われ、即時削除されてしまう可能性があります。ですので、コミュニティでの議論を優先し、勝手に作成されないようにしてはどうかという提案です。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2007年6月14日 (木) 04:00 (UTC)[返信]

削除審議データ(記録)

(data recorded par Maris stella alias Star of Sea 2007年6月29日 (金) 19:39 (UTC)[返信]

職業別LGBTカテゴリの存在理由について

英語版には職業別LGBTの人物カテゴリがあります。職業と性指向とは関係ないから作るべきではないと考える人がおられますが、実際にそうなのでしょうか?en:Category:LGBT visual artistsen:Category:LGBT arten:Category:LGBT writersen:Category:LGBT literatureen:Category:LGBT musiciansen:Category:LGBT musicのサブカテゴリです。こういったLGBT文化が存在する以上は(もちろんそれらの文化についての記事の執筆が先ですが)必要になってくることでしょう(個人的には国別のカテゴリに必要性を感じますが職業別はLGBT文化と関係なければ必要ないと考えます)。--婆娑羅 2007年6月11日 (月) 16:39 (UTC)[返信]

おそらくen:Category:LGBT musiciansが日本語版に存在するとすれば、笹野みちるなどがカテゴライズされるのであろう。特に作風が違うなどの問題ではないが、前知識として笹野氏の背景を知っていないと「GIRL MEETS GIRL」や「彼女といたい!」の意味が或いはわからないのかもしれない。ただ、笹野氏の場合、同氏の著「Comming OUT」によりその題名どおりカミングアウトしているが、もし、それらの根拠の無い場合、上にもかいたが人権侵害につながる恐れがあり、あまり積極的にはなれない。もし、作るとすれば、まずガイドライン的な抑制力を熟考した上での運営が必要であると考える。(というか、それ以前に、当該カテゴリーは英語版であり、特に日本語版で議論するものではなく、当該ノートページで議論するものであると思うのだが。。。ここで議論する意義はあるのだろうか。) --Lonchi Awotsuki** 2007年6月13日 (水) 04:39 (UTC)[返信]

参考データ

カテゴリを無制限・気の向くままに作成すると、どういう結果になるか、マグヌス・ヒルシュフェルトの記事を訳した後、英語版での記事のカテゴリを見ると、問題がよく見えてきます。現在、次のようなカテゴリが貼られています。--Maris stella

貼付カテゴリ三種類+生没年二個
  1. Category:性の研究者
  2. Category:ドイツの医学者
  3. Category:LGBT人権活動家


貼付カテゴリ十種類+生没年二個(現在の状態)
  1. en:Category:German natives of Pomerania ポメラニア出身のドイツ生まれの人
  2. en:Category:German Jews ドイツ系ユダヤ人
  3. en:Category:Jewish writers ユダヤ人の作家
  4. en:Category:Sexologists 性科学者
  5. en:Category:Sexual orientation and medicine 性的指向と医学
  6. en:Category:Sex educators 性の教育者
  7. en:Category:LGBT Jews LGBTのユダヤ人
  8. en:Category:LGBT physicians LGBTの内科医 (註:赤リンクだがカテゴリは存在)
  9. en:Category:LGBT writers from Germany ドイツ出身のLGBTの作家
  10. en:Category:Early campaigners for LGBT rights LGBTの権利の初期の運動家


  • ところで、「18:03, 1 February 2007」の版では、カテゴリは次のようになっていました:
貼付カテゴリ9種類+生没年二個(すべて青リンク、現在有効なカテゴリ)
  1. en:Category:LGBT rights activists LGBTの権利活動家
  2. en:Category:Sexologists 性科学者
  3. en:Category:Sex educators 性の教育者
  4. en:Category:LGBT history of Germany ドイツのLGBTの歴史
  5. en:Category:LGBT history LGBTの歴史
  6. en:Category:LGBT people from Germany ドイツ出身のLGBTの人物
  7. en:Category:LGBT screenwriters LGBTの脚本家
  8. en:Category:LGBT writers from Germany ドイツ出身の作家
  9. en:Category:Nazi Germany ナチス・ドイツ


  • 更に、「08:22, 22 February 2006」の版でのカテゴリの状態です:
貼付カテゴリ5種類+生没年二個(すべて青リンク)
  1. en:Category:LGBT rights activists LGBTの権利の活動家
  2. en:Category:Sexologists 性科学者
  3. en:Category:LGBT history of Germany ドイツのLGBTの歴史
  4. en:Category:LGBT history LGBTの歴史
  5. en:Category:Nazi Germany ナチス・ドイツ


  • 更にもう一年前の2005年で、「23:41, 17 February 2005」の版だと:
貼付カテゴリ2種類+生没年二個(すべて青リンク)
  1. en:Category:LGBT rights activists LGBTの権利の活動家
  2. en:Category:Sexologists 性科学者


以上で見ると、段々カテゴリが増えて来ているのが明らかです。最新の版のものが、もっともカテゴリが多いですが、「LGBTの人物」の細分カテゴリに相当するカテゴリが三個ついています。よく分からないのは、記事を翻訳したのですが、翻訳途中で、ヒルシュフェルトが「同性愛・両性愛、またはトランスジェンダー」であったという記述はどこにもありません。

最初に書かれているのは、 ヒルシュフェルトは、German physician、sexologist、gay rights advocate であったという三つのことだけです。「ドイツの内科医(医者)」、「性科学者」、「ゲイの権利の擁護者」とあるだけです。どこかで見落としているのかも知れませんが、少なくとも翻訳しているあいだでは、そういう記述はなかったと思います(ここにあるという方は、わたしの interlang 追加の前の版で調べてみてください)。ヒルシュフェルトは、同性愛は犯罪であるとする、ドイツ刑法の「パラグラフ175」の廃止に活動した人で、その為「LGBT人権活動家」というカテゴリを付けているのですが、当人が LGBT であったというのは、どこから出てくるのかという疑問があります。

1960年代以降のアメリカならともかく、同性愛が犯罪であると規定し、実際裁判があり、同性愛者が投獄されていた時代に、この刑法条文の廃止を求める運動の主導者が、みずから同性愛または両性愛であったというのは、おかしいように思えます。隠していたので、晩年か死後になって、そうだったと判明したのかも知れませんが、何を根拠にこういうカテゴリが付けられているのか疑問が出てきます。

いま一つ、時間的にカテゴリが段々増えているのが分かると思います。英語版は、人物記事が日本語版の十倍以上ありそうなので、細分カテゴリが必要なのだとしても、無用に重複しているとも思えます。また、現在とその前の状態(2007年2月1日)で見ると、「LGBTの人物」カテゴリがすべて入れ替わっていることに気づきます。現在は、「LGBTのユダヤ人」「LGBTの内科医(赤リンクだがカテゴリ存在)」「ドイツ出身のLGBTの作家」の三つですが、2007年2月1日では、「ドイツ出身のLGBTの人物」「LGBTの脚本家」となっています。これら人物関係以外の「LGBTカテゴリ」は、現在は、「LGBTの権利の初期の運動家」で、前の2月1日の版では、「LGBTの権利活動家」「ドイツのLGBTの歴史」「LGBTの歴史」となっています。

ヒルシュフェルトはかなり有名な人物ですが(日本では知らない人が多いかも知れませんが)、記事本文には、LGBT であるかないかなど書いてありません(また、そういうことを書くのはおかしいとも言えます)。では、日本語版でこんなカテゴリを造った場合、一体どうやって、人物にカテゴリを付与するかしないか決めるのか。それ以上に、おかしなことは、上のカテゴリ貼付を見ると、何故、こんなに「重複した内容のカテゴリ」があるのか、という疑問が出てくるでしょう。「LGBT」関係だけで、どうしてこんなたくさんカテゴリを貼ることができるのか、貼付して何の意味があるのか。それは貼付した者の自己満足のためではないのか、という疑問が起こります。他方で、以下の図が意味する問題があります。

同性愛と法的合法性

また、下の図を見てください。赤は同性愛が非合法で、死刑相応の国、クリームがかったオレンジ色の国は非合法で、重罰(懲役10年かそれ以上と考えられる)、この他に、非合法で軽罪の国もあるようです。しかし、赤やオレンジの国、大体、アフリカ、南アジア、中近東がそうですが、これらの地域や国は、法律がおかしいのか、同性愛は合法の方向に「進歩」せねばならないのか。わたしは、とりあえず判断をここではしません。「西欧の進歩の思想」とは違う思想の国も存在しておかしくないということは言えるでしょう。日本語版の同性愛の記事には、このような世界の事実の記載もなく、単に、「日本では犯罪ではない」とのみ記しています。人権問題意識が希薄であるか、ないと言えるでしょう。LGBTの記事では、「可視性」の説明で、世界での性的マイノリティに対する弾圧の事実を記しました。英語版の記事(en:Homosexuality)に、この地図は出てきます。フランス語版(fr:Homosexualité)、ドイツ語版(de:Homosexualität)、スペイン語版(es:Homosexualidad)などにも出てきます。日本語版はなぜ出さないのか疑問が起こるでしょう。--Maris stella 2007年6月29日 (金) 22:05 (UTC)[返信]

同性愛と法律-合法(ブルー:合法、濃紺:同性婚合法)と非合法国(赤色:死刑、オレンジ:重罰)