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[[2006年]]、自身3度目となる[[2006 FIFAワールドカップ|ドイツW杯]]のメンバーに選ばれ2大会ぶりに正GKとして出場<ref>負ければグループリーグ敗退が決定の、対[[サッカークロアチア代表|クロアチア戦]]では、試合中に与えてしまったPKを止め、これにより川口は、ワールドカップにおいてPKを止めた史上20人目のGKになった。また[[サッカーブラジル代表|ブラジル戦]]でも計21本のシュートを浴び4失点はしたが好セーブを連発した。</ref>。高いパフォーマンスを見せ、各メディアから称賛され<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/special/2006_06_japan/KFullNormal20060624091.html スポニチ Sponichi Annex サッカー 日本代表 2006年6月]</ref>、さらにグループリーグ敗退に終わったチームの中から『1次リーグ敗退国ベストイレブン(FIFA発表)』控えGKに選定された(正GKは[[チェコ]]の[[ペトル・ツェフ]])。 |
[[2006年]]、自身3度目となる[[2006 FIFAワールドカップ|ドイツW杯]]のメンバーに選ばれ2大会ぶりに正GKとして出場<ref>負ければグループリーグ敗退が決定の、対[[サッカークロアチア代表|クロアチア戦]]では、試合中に与えてしまったPKを止め、これにより川口は、ワールドカップにおいてPKを止めた史上20人目のGKになった。また[[サッカーブラジル代表|ブラジル戦]]でも計21本のシュートを浴び4失点はしたが好セーブを連発した。</ref>。高いパフォーマンスを見せ、各メディアから称賛され<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/special/2006_06_japan/KFullNormal20060624091.html スポニチ Sponichi Annex サッカー 日本代表 2006年6月]</ref>、さらにグループリーグ敗退に終わったチームの中から『1次リーグ敗退国ベストイレブン(FIFA発表)』控えGKに選定された(正GKは[[チェコ]]の[[ペトル・ツェフ]])。 |
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代表監督に[[イビチャ・オシム]]が就任後も選出され、[[2007年]][[6月5日]]の[[サッカーコロンビア代表|コロンビア]]戦で国際Aマッチ100試合出場を達成<ref>同年、3月24日のペルー戦においてAマッチ100試合出場を達成したが、その後に行われた日本代表チームデータベース検討委員会の検証によって国際Aマッチ取り消しとなる試合が出たためコロンビア戦が100試合目となった。</ref>。 |
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10月17日の対[[サッカーエジプト代表|エジプト]]戦で日本代表通算100失点を記録[http://www.sanspo.com/sokuho/071017/sokuho064.html]。もっとも、プロ化し競技人口も拡大した平成以降の日本サッカー界を鑑みた場合、日本代表に選出され続ける事自体が大変な事であり、100失点の記録は長い間に渡って日本代表の『[[守護神]]』として活躍してきたがゆえに到達した、まさに一流ゴールキーパーの勲章であるともいえる。 |
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== 所属チーム == |
== 所属チーム == |
2007年10月18日 (木) 05:35時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ヨシカツ、Yoshi | |||||
カタカナ | カワグチ ヨシカツ | |||||
ラテン文字 | KAWAGUCHI Yoshikatsu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1975年8月15日(49歳) | |||||
出身地 | 静岡県富士市 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジュビロ磐田 | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1994-1998 1999-2001 2001-2003 2003-2004 2005- |
横浜マリノス 横浜F・マリノス ポーツマスFC FCノアシェラン ジュビロ磐田 |
130 (-) 104 (-) 12 (-) 8 (-) 72 (-) | ||||
代表歴2 | ||||||
1997- | 日本 | 109 (-) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年6月5日現在。 2. 2007年9月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日-)は、静岡県富士市出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。Jリーグのジュビロ磐田所属。
21歳でフル代表に選出され、現在も活躍する日本を代表するGKの1人。
プレイスタイル
GKとしては小柄であるが、ゴール前での果敢な飛び出しと俊敏な反応が武器である。国際試合の大舞台に滅法強く、研ぎ澄まされた集中力でスーパーセーブを連発する。PKストッパーとしても名高い(本人曰くPKを止めるコツがあるらしいが「企業秘密」を貫いている)。欠点としては、好不調の波が比較的大きく、そのパフォーマンスがどの試合でも発揮されるわけではないこと。
来歴
高校卒業後、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団。入団2年目にして、当時日本代表の松永成立からポジションを奪い、その年のJリーグ新人王を獲得。
1996年、アトランタ五輪に出場を果たす[1]。その後A代表に選ばれ、フランスW杯・アジア最終予選の全試合に出場。予選突破に大きく貢献した。フランスW杯・本大会では3戦全敗したものの、世界的に高い評価を受けた。
フランス大会後に就任したフィリップ・トルシエ監督の下では楢崎正剛にポジションを譲る機会が多くなったが、負傷の楢崎に代わって出場したアジアカップ2000では優勝の立役者となり、FIFAコンフェデレーションズカップ2001で正GKに復帰。
その後、イングランドのポーツマスFCへ海外移籍を果たすも、言葉の問題や、会長から疎まれていたこともありポジションを奪えなかったため、日韓W杯では代表に選ばれるも、出場の機会はなかった。2003年、出場機会を求めてデンマークのFCノアシェランに移籍するも、ポジションを確保するまでには至らず、2005年、ジュビロ磐田に移籍。
2006年、自身3度目となるドイツW杯のメンバーに選ばれ2大会ぶりに正GKとして出場[2]。高いパフォーマンスを見せ、各メディアから称賛され[3]、さらにグループリーグ敗退に終わったチームの中から『1次リーグ敗退国ベストイレブン(FIFA発表)』控えGKに選定された(正GKはチェコのペトル・ツェフ)。
所属チーム
- 1987年 - 1990年 東海大学第一中学校
- 1991年 - 1993年 清水市立商業高等学校
- 1994年 - 2001年10月 横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)
- 2001年11月 - 2003年8月 ポーツマスFC( イングランド)
- 2003年8月 - 2004年 FCノアシェラン( デンマーク)
- 2005年 - ジュビロ磐田
人物
選手として
かつては、自らがストイックなあまり周囲に厳しすぎるという一面もあり、チームメイトに対しての怒鳴るコーチング、叱責などは日常茶飯で、高校時代からのチームメート田中誠は、「彼は高校時代、いつ休んでるのかわからないくらい朝から晩まで練習していた、試合中は後ろ(=川口)がうるさくて、耳が痛くなるくらいだった」と語っており、ゴール前での相手選手との衝突により顎の肉が貫通する大怪我を負い、その1週間後の試合に顎を保護した姿のままゴールマウスに立っており、その試合で相手チームにゴールを許してしまい、ゴール横の水の入った容器を地面に投げつけ、蹴り、その後、地面に手をついて怒り泣き狂いながら「何回同じ事すりゃ気がすむんだよ!」「チキショー」など、自分に向かって罵声を飛ばした時もあった。
現日本代表監督のイビチャ・オシムについては、「今までの監督の中で一番自分の能力を引き出してくれる」「(同監督への批判的な意見に対して)あんな監督いないですよ、オシムさんが日本のサッカー界にいてくれていることに感謝しなきゃいけない」[4]と話している。
その他
- 第47回NHK紅白歌合戦の審査員を務めた。
- 2005年1月に元スカンジナビア航空勤務の日本人客室乗務員と結婚。2007年3月25日、第1子(女の子)が誕生。
- 2005年の衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査のイメージキャラクターを加藤あいと共に務めた。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994年 | 横浜M | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1995年 | 横浜M | - | J | 41 | 0 | - | 2 | 0 | 43 | 0 | |
1996年 | 横浜M | - | J | 15 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | 28 | 0 |
1997年 | 横浜M | 1 | J | 22 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 24 | 0 |
1998年 | 横浜M | 1 | J | 34 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 |
1999年 | 横浜FM | 1 | J1 | 28 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 36 | 0 |
2000年 | 横浜FM | 1 | J1 | 28 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 36 | 0 |
2001年 | 横浜FM | 1 | J1 | 25 | 0 | 7 | 0 | - | 32 | 0 | |
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2001年-2002年 | ポーツマス | イングランド1部 | 11 | 0 | |||||||
2002年-2003年 | ポーツマス | 24 | イングランド1部 | 1 | 0 | ||||||
2003年-2004年 | ポーツマス | 24 | プレミアリーグ | 0 | 0 | ||||||
デンマーク | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003年-2004年 | ノアシェラン | 30 | デンマークリーグ | 8 | 0 | ||||||
2004年-2005年 | ノアシェラン | 30 | デンマークリーグ | 0 | 0 | ||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005年 | 磐田 | 1 | J1 | 29 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 |
2006年 | 磐田 | 1 | J1 | 34 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 |
2007年 | 磐田 | 1 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 256 | 0 | 35 | 0 | 14 | 0 | 305 | 0 | |
イングランド | プレミアリーグ | 0 | 0 | ||||||||
イングランド | イングランド1部 | 12 | 0 | ||||||||
デンマーク | デンマークリーグ | 8 | 0 | ||||||||
総通算 | 276 | 0 |
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2005年 | 磐田 | 1 | 1 | 0 |
通算 | AFC | 1 | 0 |
個人タイトル
- 1995年 - 新人王
- 2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001 ベストイレブン
- 2001年 - 6月AFA最優秀選手賞
- 2004年 - アジアカップ2004 ベストイレブン
- 2006年 - Jリーグ ベストイレブン
出場記録
代表歴
主な出場大会
- 1996年 - アトランタオリンピック
- 1998年 - フランスワールドカップ
- 2000年 - アジアカップ2000
- 2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001
- 2002年 - 日韓ワールドカップ
- 2004年 - アジアカップ2004
- 2005年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2005
- 2006年 - ドイツワールドカップ
- 2007年 - アジアカップ2007
試合数
- 国際Aマッチ 107試合 0得点(1997年 -)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1997年 | 21 | 0 |
1998年 | 9 | 0 |
1999年 | 3 | 0 |
2000年 | 8 | 0 |
2001年 | 9 | 0 |
2002年 | 2 | 0 |
2003年 | 2 | 0 |
2004年 | 11 | 0 |
2005年 | 14 | 0 |
2006年 | 19 | 0 |
2007年 | 9 | 0 |
通算 | 107 | 0 |
出演
CM
- 日産自動車(1998年)
- 大塚製薬 「エネルゲン」
- 参天製薬 「サンテエフエックス」
- 東海漬物 「きゅうりのキューちゃん」(2006年)
脚注
- ^ 1次リーグのブラジル戦ではロナウド、リヴァウド、ベベット、ジュニーニョ・パウリスタ、ロベルト・カルロス、アウダイール、ヂーダらを擁し、五輪史上最強と言われたブラジルを相手にビッグセーブを連発し、完封勝利。この一戦はマイアミの奇跡と呼ばれている。
- ^ 負ければグループリーグ敗退が決定の、対クロアチア戦では、試合中に与えてしまったPKを止め、これにより川口は、ワールドカップにおいてPKを止めた史上20人目のGKになった。またブラジル戦でも計21本のシュートを浴び4失点はしたが好セーブを連発した。
- ^ スポニチ Sponichi Annex サッカー 日本代表 2006年6月
- ^ ナンだ!?での発言。
外部リンク
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