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「Wikipedia:コメント依頼/Sixty-one」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
J8takagi (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Sixty-one (会話 | 投稿記録)
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::Baumkuhenさんの仰るように、たしかにSixty-oneさんは必要以上に「『自分は攻撃されている』と思い込んで」いるような節も感じました。だけどここまで議論が白熱すれば、ある程度はそう思うのも仕方がないのかな、と思う部分もあります。Baumkuhenさんが丁寧な言葉遣いや冷静な議論を心がけているのは感じています。しかし、今回はそれだけでは不十分な部分もあったのかな、と思いました。例えば、Sixty-oneさんに「編集を控えることをお願いする」のであれば、自身も編集を控えることを宣言して実行すべきだったんじゃないかと思います。[[利用者:J8takagi|j8takagi]] 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)
::Baumkuhenさんの仰るように、たしかにSixty-oneさんは必要以上に「『自分は攻撃されている』と思い込んで」いるような節も感じました。だけどここまで議論が白熱すれば、ある程度はそう思うのも仕方がないのかな、と思う部分もあります。Baumkuhenさんが丁寧な言葉遣いや冷静な議論を心がけているのは感じています。しかし、今回はそれだけでは不十分な部分もあったのかな、と思いました。例えば、Sixty-oneさんに「編集を控えることをお願いする」のであれば、自身も編集を控えることを宣言して実行すべきだったんじゃないかと思います。[[利用者:J8takagi|j8takagi]] 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)

=== 質問・3(これは独自研究か?) ===
現在[[夫婦別姓]]において、記載されている以下の内容が独自研究にあたるかどうか、もしよろしければご意見をいただければと思います。

:また、父称は父親の名を示すものなので、父を同じくする兄弟姉妹間では同一になる。これについて「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という分析、解釈は、決して誤りとはいえないまでも、「そうあるべきでない」という価値判断を含んだ説明になっていることは明らかである。

問題なのは上記「これについて」以降の部分です。「兄弟の名前の一部を~スラブ語圏のみである」という部分には出展がなく、加筆したBaumkuchen様ご本人も「その部分はたとえです」(2008年1月22日 (火) 06:30 (UTC))と述べておられます。たとえをもとに編集者の主観や考えが述べられているということは、独自研究に相当するのではないかと考えています。せめて趣旨に近い内容が記述されている文献があれば、それを引用するという形にできればいいのではと思うのですが。--[[利用者:Sixty-one|Sixty-one]] 2008年1月24日 (木) 04:46 (UTC)

2008年1月24日 (木) 04:46時点における版

Sixty-oneさんの編集行為について、以下のような趣旨でコメントを依頼します。--Baumkuhen 2008年1月10日 (木) 02:35 (UTC)[返信]

依頼の趣旨

Sixty-oneさんは、「夫婦別姓」においてたびたび編集を行われています。

※なお、IP:61.127.98.248会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisも、アカウント取得前のSixty-oneさんです。[1]

夫婦別姓問題は現時点で積極推進の立場と導入反対の立場とで意見が分かれており、さまざまな場所で議論が行われています。Wikipediaの記事としては、それを踏まえて中立的な観点からの記述を心がける必要があると考えております。

しかし、Sixty-oneさんはこれまでの編集において、たびたび積極推進の立場に偏った視点からの記述を繰り返しています。Wikipedia:大言壮語をしないに示されるような、過度の修辞の使用による印象操作的な記述[2]や、故意に推進の立場に不利になる記述の削除[3]などを続けておられます。

ノートにおいて過去に同様の議論があったように見受けられますが、その中においても、いかに自分の記述が「正しい」かを強く主張されるのみで、いかに中立的な記述を目指すか、という視点には欠けておられるように見えます。それだけに留まらず、Wikipediaの「中立的な観点」という基本方針そのものに不服である姿勢も述懐されています。[4]

また、他者の加筆内容を「自分が検証したところ、間違いであると判明しました」との一方的な理由でコメントアウトするなど、独善的な編集姿勢が目立ちます。

この記事における編集合戦すれすれの状況の原因は、ひとえにこの方の編集態度による部分が大きいと判断せざるを得ないため、ここにコメント依頼させていただきました。

みなさまのご意見をよろしくお願いいたします。

参考

議論

独自研究を排除しつつ、自らの独自研究や「特定の方向を推進するような表現を用いて」を書いているように思える。 ウィキペディア上のルールは厳格に守られる性質を持ち合わせていない。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいのような考え方も尊重される(これも現在議論の段階)。しかし、「大言壮語をしない」や「特定の方向を推進」のような表現は避けるべきであるし、中立的な表現を無視してはならない。恣意的な表現の変更は百科事典として避けるべき。このような編集には反対。--海☆eoxyl 2008年1月12日 (土) 01:19 (UTC)[返信]

本人より申し上げます。先に示されている通り、私は2006年8月より「夫婦別姓」の項目の編集に参加しております。ノートで申告しているようにID取得は2007年2月20日です。2006年8月以前は静観しておりましたが、私としては夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方(=中立的ではない)の意見を中和し、中立的に近づけようと努力しています。

まずBaumkuchen様の誤解をひとつ指摘します。私はかつてノートに「中立性についての違和感」[5]を書きましたが、本文を読めば分かるように、その趣旨はWikipediaの編集方針にある中立性に不服を示しているのではなく、「中立性」を大義名分に不当な削除や編集が行われることに抗議したものです。加えて私は「誰の立場から見ても明らかな事実であるかどうかを重視します」と宣言しており、これこそがWikipediaにふさわしい中立性であると信じています。

それから今回のBaumkuchen様のコメント依頼について1つ違和感があります。前に私はBaumkuchen様にノートで相談することを申し入れましたが[6]、これまでBaumkuchen様は一度もノートで議論することはなく、このコメント依頼では私を悪者に仕立てるような印象操作をしています。このようなことをするねらいは、おそらく今後私に「夫婦別姓」の項目を編集できなくさせるためでしょう。

前々からとても苦々しく感じておりますが、「夫婦別姓」の項目では現行法が抱える問題点(法的な婚姻では同氏しか選べないこと=民法750条)およびその不都合に触れようとすると「中立的ではない」と削除や編集されてしまうことが多いです。この部分こそが「夫婦別姓」の本質であり出発点であるのに、そこを隠そうとするのは現行法の改正を阻止したいという思惑があることにほかなりません。Baumkuchen様は自分こそが中立的とお考えのようですが、民法改正や男女共同参画に関してはかなり積極的な反対派です。

その証拠に「フェミナチを監視する掲示板」[7]の「[55927] Wikipedia管理者の検閲」というスレッドにある、Wikipedia「夫婦別姓」の項目についての意見交換を指摘いたします。投稿番号56030、56052、56059、56063などを読めば分かるように、この掲示板で「板東太郎」と名乗る方がBaumkuchen様であり、夫婦別姓の推進勢力を「フェミ」と侮蔑し、Wikipediaから排除しようと画策していることが分かります。

長文になって申し訳ございません。Baumkuchen様が私の編集に不服であることは理解しましたので、あらためてノートに記しておこうと思います。あくまで検証可能な事実を「中立性」と信じて編集を続けていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。--Sixty-one 2008年1月12日 (土) 17:38 (UTC)[返信]

とりあえず、[8]のような編集は自分は中立性を欠いているように感じます。双方に恣意的な編集を行う余地があり、論争の元になるのではないでしょうか。「賛成派の立場からの中立的な編集」「反対派の立場からの~」意識する、しないに関わらずどちらかよりになりやすいのかもしれません。双方の編集に吟味が必要に思います。書き込みボタンを押す前に「本当にこれで中立的な表現だろうか?」と自己懐疑する感じが必要なように思いますね。--海☆eoxyl 2008年1月12日 (土) 21:58 (UTC)[返信]
中立的な観点というWikipediaの考え方で、私が感心したのは「敵のために書く」ということです。この考え方によれば、「削除」というのは中立的な観点にそむいたやりかたで、「敵」を激昂させて編集合戦を招くけだと思います。ではどうすればよいか。それは、「□」という記述を「○の立場の人は、△という根拠により□と主張している。」と修正することだと思います。これならば、「○」の立場の人も、「書かれていることは事実だ」として承認すると思います。「夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方(=中立的ではない)の意見を中和」したいとのことですが、「中立的な観点」から「『夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方』は、△という根拠により□と主張している」などと編集するようにしてはどうでしょうか。そうすれば、不毛な編集合戦を減らすことができると思います。Sutou 2008年1月12日 (土) 22:52 (UTC)[返信]

(見出しを取りました) 海☆eoxyl様、Sutou様、コメントおよびアドバイスありがとうございます。 中立性には配慮していますが、問題があれば個別にノートで具体的に議論していければと思っております。繰り返しになりますが、明らかな(=検証可能な)事実に絞るという方針は変わりません。その中でSutou様がご指摘するように主語・主体を明確にするというテクニックが有効だということが最近分かってきました。こうした手法で折り合いがついた記述もあります。 ただ「中立性」や「独自研究」の乱用で当方の記述が削除されること、コメントタグに嫌みを含めたり、このコメント依頼もそうですが私への嫌がらせにはやや辟易しています。Baumkuchen様の中立性にもかなり疑問がありますが、そこをいちいち糾弾しては不毛ですので中立的な記述に近づけることに力を割いていければと思います。取り急ぎ、ご意見へのお礼まで。--Sixty-one 2008年1月13日 (日) 17:30 (UTC)[返信]

質問

みなさんコメントありがとうございました。

ここでみなさんに質問をさせていただきたいと思いますので、よろしければお答えをお願いいたします。

(質問)Sixty-oneさんによる以下の編集内容[9][10]

  1. しかし婚姻の成立(法律婚)に夫婦の同氏を要件とするのは、いまや日本のみとなった。

  2. 夫婦別姓(夫婦が婚前の名前を維持可能かどうか)で比較すると、従来の通説では日本に並びトルコやタイなどが夫婦別姓を選択することができない国として挙げられていた。しかし近年情勢が変化し、婚姻後の夫婦がともに婚前の名前を維持する選択肢がない国は「世界広しといえども日本だけ」<ref>2007年2月21日 衆議院内閣委員会</ref>となった。

「あくまで検証可能な事実」「中立性には配慮し」た記述、「誰の立場から見ても明らかな事実」「Wikipediaにふさわしい中立性」に基づいた記述で、「夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方(=中立的ではない)の意見を中和し、中立的に近づけ」るものであり、

一方、1.に対するBaumkuhenによる削除(独自研究のおそれ)、および2.に対する以下の編集内容[11]

しかしそれを踏まえたうえで、あえて夫婦別姓(夫婦が婚前の名前を維持可能かどうか)という観点で比較すると、日本に並びトルコやタイなどが法律上明確に婚氏統一が定められている国として挙げられていた。しかし近年、婚氏統一が明文化されている国は「世界広しといえども日本だけ」となったと主張する者もいる。<ref>2007年2月21日 衆議院内閣委員会</ref>

「夫婦別姓の推進勢力を「フェミ」と侮蔑し、Wikipediaから排除しようと画策している」のであり、「『中立性』や『独自研究』の乱用」であり、「Sixty-oneさんへの嫌がらせ」である、という理解、解釈が正しいと思われますか、思われませんか?

また、2.についてさらにその後のSixty-oneさんの編集[12]

こうしたことを踏まえたうえで、あえて夫婦別姓(夫婦が婚前の名前を維持可能かどうか)という観点で比較すると、日本に並びトルコやタイなどが法律上明確に婚氏統一が定められている国として挙げられていた。しかし近年、婚氏統一が明文化されている国は「世界広しといえども日本だけ」となったと指摘する声もある。<ref>2007年2月21日 衆議院内閣委員会</ref>

についてはいかがでしょうか? --Baumkuhen 2008年1月16日 (水) 01:33 (UTC)[返信]

その認識は正しいと思う意見

その認識は正しくないと思う意見

中立の意見

どちらの記述も、部分的には正しくてなおかつ不完全だと思います。表現を変えれば、「どっちもどっち」というのがわかりやすいかもしれません。ただし、わたしからはBaumkuchenさんもSixty-oneさんも、意見の違いがあったり多少感情的になったりしている部分はあっても、真摯に議論しているように思えます。

Sixty-oneさんは「国会における議員の発言」は権威ある情報源であるため、「夫婦の同氏を要件とするのはいまや日本のみとなった」という記述は事実であると主張したいのだと思います。一方のBaumkuchenさんは、それはごく一部の人の意見に過ぎない、ということを主張したいのだと思います。

私の考えでは、国会でのやりとりだけを根拠に「夫婦の同氏を要件とするのはいまや日本のみとなった」ということを事実として述べることには違和感があります。権威ある情報源ということであれば、やはり専門書の記述ということになるでしょう。しかし、「指摘する声もある」という曖昧な表現が百科事典にふさわしいとは思えません。

そこで提案したいのは、「2007年2月21日 衆議院内閣委員会」でのやりとりをもう少し詳細に書くことです。

  1. この発言をした人を明記し、「世界広しといえども日本だけ」はその人の発言であるということを明示すること(←現在の版ですでにできているようです)
  2. それに対する政府答弁の内容
  3. もしあるのならば、このやりとりに対する権威ある第3者(著名な研究者など)のコメント

また、「世界の氏名制度比較」全体についてはあらためて専門書など情報源を明示した記述が行われることを記載します。現状では、情報源がはっきりしないために、「中立性に問題がないか」「独自の研究になっていないか」というおそれが拭えません。

繰り返しになりますが、お2人とも総じていえば真摯な議論をされていると思うので、お互いに譲り合ってよりよい記事にしていただくことを希望します(私自身はこれよりずっとくだらない非生産的な議論にはまりこんでしまって不快な思いをしたりしているので、ある意味うらやましいです)。j8takagi 2008年1月20日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

一点だけ。「一方のBaumkuchenさんは、それはごく一部の人の意見に過ぎない、ということを主張したいのだと思います。」ということではありません。要約欄や履歴を見るとわかりますが、厳密な言い方をすると「一議員の発言内容を根拠に、その発言内容の示す事柄(日本だけである)を客観的事実として記述するのは検証可能性の観点から問題がある」ということです。「そのような発言があった」というのは検証可能な事実なので、記述してよいわけです。そもそも「日本だけである」というためには、世界180以上の国や地域の法律制度を漏れなく調査、検証する必要がありますが、そのような作業をだれがいつどのように行ったのか、何も書かれていないわけですから、Wikipedia的には「検証不可能」とせざるを得ないでしょう。それがわかる出典が添えられてさえいれば、私は何もしませんでした。ただそれだけのことです(つまるところj8takagiさんと同じ見解です)。私にはSixty-oneさんがどうもそのあたりの「検証可能性」とは何か、ということをあまりご理解いただけていない(からこそそのような「事実」とする記述をする)のだとしか思えないわけです。--Baumkuhen 2008年1月21日 (月) 02:08 (UTC)[返信]
誤解、失礼しました。該当する部分の記述については、BaumkuhenさんもSixty-oneさんも現在の記述でほぼ納得されているという理解でよいでしょうかね。あと、「『検証可能性』とは何か、ということをあまりご理解いただけていない」とのご指摘について、情報源を示しているという点を考えればそうも言い切れないように思います。j8takagi 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)[返信]
J8takagi様、貴重な時間を割いて該当項目を読んでくださったこと、ご意見をくださったことにお礼申し上げます。状況はほぼJ8takagi様がご理解くださっている通りです。私は国会の発言という権威ある根拠をもとに加筆しましたが、検証性が不十分との指摘をうけ、後から自ら改良した[13]次第です。その後、Baumkuchen様の修正についても異議は申し立てておりません。
ただ腑に落ちないのは、この小宮山氏の発言に関する記述は12月31日以降編集されることなく、問題点をノートなどで指摘されることなく、1月16日になって問題が掘り返されていることです(Wikipedia:礼儀を忘れない、にある言いがかりに相当するのではないでしょうか)。ここにある当初の問題提起とは別件でもあり、こうしたあら探しがいつまで続くのか、わたしは途方に暮れています。--Sixty-one 2008年1月21日 (月) 07:33 (UTC)[返信]
Baumukuhenさんの書き込みについて、言いがかりやあら探しではなく、Wikipediaの記事をよりよいものにしていくための指摘、とは考えていただけないでしょうか。現実問題として、Baumukuhenさんに100%純粋にSixty-oneさんを個人攻撃する意図がないとはいえないかもしれませんが、それでもお互いに歩み寄る余地はあると思います。j8takagi 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)[返信]

質問・2(コメント依頼を出されたユーザーは編集不可か?)

私からも質問させてください。Baumkuhen様はSixty-oneに対し、[夫婦別姓]の編集禁止を命じました(夫婦別姓のノート 2008年1月18日 (金) 01:39 を参照)。Wikipediaではコメント依頼が出されたユーザーは編集不可となるルールになっているのでしょうか。その点だけ、どなたかご教授いただければ幸いです。

現在の記述ではなく過去の経緯をあげつらい、自分にとって苦手な相手を編集に参加できないように牽制するだけではなく、編集を差し止めることまで命じるのは行き過ぎではないかと思います。 --Sixty-one 2008年1月18日 (金) 05:43 (UTC)[返信]

編集の差し止めを命じることはできないし、行き過ぎだと思います。Baumkuhenさんの意図が「命じる」ことだったのかどうかはわからないですが。だけど、編集すれば揉めるような場合は、少し手を止めてもいいのではないかと思います(「自粛を強制する」という卑怯な言い方かもしれません)。j8takagi 2008年1月20日 (日) 15:55 (UTC)[返信]
本件依頼の理由として「Wikipedia:大言壮語をしないに示されるような、過度の修辞の使用による印象操作的な記述」を挙げさせていただきましたが、図らずもその傾向がこのご質問にも現れていると言わざるを得ません。「編集をお控えいただくようお願いいたします」とお願いしたことを「編集禁止を命じた」と言い換えたり、相手が何も言及していないことを独自に想像や推測で補って、それがあたかも既定の事実であるかのようにそれを前提として何かを述べておられる様が見られます。私が問題としているのはこのような傾向に関してであり、このような傾向のまま、夫婦別姓のような中立性に慎重を要する記事において、真にバランスの取れた中立的な判断ができるのかどうか、その点にたいへん大きな危惧を抱いているのです。そのあたり、指摘に対して真摯に自省していただける方であればよいのですが。仮想敵を作って「自分は攻撃されている」と思い込んでおられるようにも見受けられますので、私から何かを申し上げてもお聞き入れくださらないのではないでしょうか(だからこそ第三者のコメントを依頼すべきだろうと判断したわけですが)。--Baumkuhen 2008年1月21日 (月) 02:21 (UTC)[返信]
現状において確かなことは、Baumkuchen様はわたしに編集しないよう求めているということです(現時点では一応従っています)。第3者の提案ではなく、です。これは一方的であり、道理にかなっているとは思えません。--Sixty-one 2008年1月21日 (月) 07:44 (UTC)[返信]
Baumkuhenさんの仰るように、たしかにSixty-oneさんは必要以上に「『自分は攻撃されている』と思い込んで」いるような節も感じました。だけどここまで議論が白熱すれば、ある程度はそう思うのも仕方がないのかな、と思う部分もあります。Baumkuhenさんが丁寧な言葉遣いや冷静な議論を心がけているのは感じています。しかし、今回はそれだけでは不十分な部分もあったのかな、と思いました。例えば、Sixty-oneさんに「編集を控えることをお願いする」のであれば、自身も編集を控えることを宣言して実行すべきだったんじゃないかと思います。j8takagi 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)[返信]

質問・3(これは独自研究か?)

現在夫婦別姓において、記載されている以下の内容が独自研究にあたるかどうか、もしよろしければご意見をいただければと思います。

また、父称は父親の名を示すものなので、父を同じくする兄弟姉妹間では同一になる。これについて「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という分析、解釈は、決して誤りとはいえないまでも、「そうあるべきでない」という価値判断を含んだ説明になっていることは明らかである。

問題なのは上記「これについて」以降の部分です。「兄弟の名前の一部を~スラブ語圏のみである」という部分には出展がなく、加筆したBaumkuchen様ご本人も「その部分はたとえです」(2008年1月22日 (火) 06:30 (UTC))と述べておられます。たとえをもとに編集者の主観や考えが述べられているということは、独自研究に相当するのではないかと考えています。せめて趣旨に近い内容が記述されている文献があれば、それを引用するという形にできればいいのではと思うのですが。--Sixty-one 2008年1月24日 (木) 04:46 (UTC)[返信]