「ちんすこう」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
26行目: | 26行目: | ||
*新垣カミ菓子店 |
*新垣カミ菓子店 |
||
*有限会社名嘉真製菓本舗 |
*有限会社名嘉真製菓本舗 |
||
*株式会社お菓子のポルシェ |
|||
*株式会社ナンポー通商 |
*株式会社ナンポー通商 |
||
*ながはま製菓 |
*ながはま製菓 |
||
40行目: | 41行目: | ||
*有限会社宮城菓子店 |
*有限会社宮城菓子店 |
||
*長久堂 |
*長久堂 |
||
==ちんすこうショコラ== |
==ちんすこうショコラ== |
||
[[1996年]]に[[宜野湾市]]のファッションキャンディという観光土産製造卸業者が考案。甘さを抑えた[[チョコレート]]で'''ちんすこう'''をコーティングしたもの。焼き菓子である'''ちんすこう'''は食べるときに欠片がこぼれたり、独特の粉っぽさを持つという欠点があった。この欠点をカバーした'''ちんすこうショコラ'''は、他業者へも広まり地元スーパー等にも置かれるようになった。現在ではホワイトチョコレート等の'''ちんすこうショコラ'''も発売されている。 |
[[1996年]]に[[宜野湾市]]のファッションキャンディという観光土産製造卸業者が考案。甘さを抑えた[[チョコレート]]で'''ちんすこう'''をコーティングしたもの。焼き菓子である'''ちんすこう'''は食べるときに欠片がこぼれたり、独特の粉っぽさを持つという欠点があった。この欠点をカバーした'''ちんすこうショコラ'''は、他業者へも広まり地元スーパー等にも置かれるようになった。現在ではホワイトチョコレート等の'''ちんすこうショコラ'''も発売されている。 |
2008年6月16日 (月) 00:56時点における版
ちんすこう(金楚糕、きんそう糕)とは、琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統的な菓子の1つ。小麦粉、砂糖、ラードを主原料とした焼き菓子として知られている。他の伝統菓子にはないビスケットのような食感と、上品な甘さが人気。日本茶やコーヒーのお茶請けに限らず、アイスクリームの口休めやトッピングとしても楽しめる。観光を主な産業としている沖縄県の土産物品として特に有名であり、箱詰めにされた同商品が土産品店で販売されている。
由来
その由来には諸説あるが、その昔、中国南部で作られていたと言われている小麦粉に砂糖とラードを加えて蒸したカステラのような蒸し菓子が沖縄の気候や原料に合わせてアレンジされたという説や、ポルトガルの焼き菓子として知られるボーロがシルクロードや海路を通じて伝わった説などがある。スペインに古くから伝わる祝い菓子のひとつポルボルンは、材料や食感の面でちんすこうとの共通点が多い。以前は米の粉(みじん粉)を使用していたとされる材料も、小麦粉へと変化している。
カステラのような中国菓子と同じ蒸し菓子である、新垣菓子店のちいるんこう(鶏卵糕)を焼いたものがちんすこうとなったのではないか。という説が一部で存在しているが、包丁人が習得したとされる中国菓子以降の経緯が定かではない為、否定は出来ないが、その材料(鶏卵、砂糖、小麦粉、きっぱん(桔餅)、落花生)を考えると、少し考えづらい。
来歴
琉球王朝の後期、料理座の包丁人であった者達が冊封使の食事を賄う為に渡った中国(福州)で習得した中国菓子と、薩摩藩の在番奉行の接遇の為に石原嘉右衛門や柳屋善太郎から学んだ日本菓子を琉球独自の菓子として作り上げたもの。元来は琉球王朝の王族や貴族のみが、祝い事などの時に食べることの出来るお菓子として珍重されていた。
尚灝王、尚育王、尚泰王の三代に首里城最後の包丁人として仕えていた一世の新垣淑規(新垣親雲上淑規)と二世の新垣淑総から、廃藩置県後に琉球菓子の作り方を伝授された三世の新垣淑康は、明治41年に沖縄初の菓子司として新垣菓子店を興し、今日のレンガ釜で焼いたちんすこうを販売した。この焼き菓子のちんすこうは船で琉球と日本本土を行き来する者達の土産品として既に重宝がられていたようだが、大きい上に、食べるとボロボロと崩れるという欠点があった。
新垣菓子店から分家独立という形で那覇市の久米に店舗を構えた新垣淑扶は、これまで菊型の丸い形をしていたちんすこうを米軍基地で使用されていたクッキーの型抜きを再利用し、一口サイズの細長い形に改良。と同時にちんすこうの大量生産(オートメーション化)を確立させた。また、半透明のビニールパッケージに小分けするという衛生面を配慮した現在のスタイルも新垣淑扶の発案である。その後、ちんすこうは沖縄県の本土復帰と沖縄国際海洋博覧会という二大イベントも重なり、沖縄県を代表する土産菓子としての認知度をさらに広めていった。
商標申請が認められなかった為、現在では様々な菓子メーカーが製造販売しているが、今なお新垣の名を継いでいるちんすこうは、新垣淑康の三男筋にあたる「琉球菓子元祖本家新垣菓子店」と六男淑扶の「有限会社新垣菓子店(新垣ちんすこう本舗)」、七男淑正(分家独立の話し半ばに他界)の妻カミが戦後に開業した「新垣カミ菓子店」の三店舗である。
商標登録について
- 1975年4月初旬、新垣淑扶が特許庁に「ちんすこう」の商標登録を出願するが、これよりも先に鹿児島県の菓子業者が出願していた事を知る。
- 1975年4月17日、那覇菓子組合が特許庁へ鹿児島県の業者に対し、異議申し立てを行う。同時に新垣菓子店も鹿児島県の業者に対して異議申し立てを行う。
- 1975年5月13日、鹿児島県の業者が商標登録の出願を取り下げる。
- 1976年4月15日、新垣菓子店が出願した商標登録は「単に慣用標章を表示したにすぎない」という理由で却下される。
ちんすこう製造メーカー
- 琉球菓子元祖本家新垣菓子店
- 有限会社新垣菓子店
- 新垣カミ菓子店
- 有限会社名嘉真製菓本舗
- 株式会社お菓子のポルシェ
- 株式会社ナンポー通商
- ながはま製菓
- 有限会社りゅうほう
- 南都物産株式会社
- 株式会社ファッションッキャンディ
- 南風堂株式会社
- 有限会社わかまつどう製菓
- 有限会社まるひら製菓工場
- 有限会社南国製菓
- 有限会社珍品堂
- 有限会社優菓堂
- 株式会社ユンタンザ
- 有限会社宮城菓子店
- 長久堂
ちんすこうショコラ
1996年に宜野湾市のファッションキャンディという観光土産製造卸業者が考案。甘さを抑えたチョコレートでちんすこうをコーティングしたもの。焼き菓子であるちんすこうは食べるときに欠片がこぼれたり、独特の粉っぽさを持つという欠点があった。この欠点をカバーしたちんすこうショコラは、他業者へも広まり地元スーパー等にも置かれるようになった。現在ではホワイトチョコレート等のちんすこうショコラも発売されている。
沖縄県内ではポピュラーなお菓子となりつつあるものの、観光客は伝統的なちんすこうを選ぶ傾向にある為、沖縄県外にはあまり馴染みがなかったが、知花くららがマスコミで紹介したことなどにより、近年になって知名度は上昇しつつある。
その他の亜種
ちんすこうショコラの成功により、最近では味のバリエーションが広がる傾向にある。チーズ味、紅芋味、パイナップル味や塩味など、多岐にわたる味のちんすこうが発売されている。また、戦後のちんすこうの定番であった細長い形状にこだわらない、球形や花をかたどったちんすこうなども発売されている。形状が男性のシンボルで、子宝祈願という付加価値をつけた子宝ちんこすこうや、サクサクちんすこうというシーサーの形をしたデザインのちんすこうも存在する。
レシピ
ちんすこうは簡単な材料で作ることの出来る焼き菓子であり、自宅で作ることも充分に可能。ここでは簡単な作り方を紹介する。ただしあくまで参考であり、最初は少ない分量で試すことをお薦めする。
大きさにもよるが、分量はおよそ20個分~
- ラード、もしくはショートニング(100g)を常温に戻し、ボウルに入れて薄力粉(200g強)をふるってクリーム状になるまでよく混ぜ合わせる
- 1に砂糖(上白糖または三温糖100g)を入れ、さっくりと混ぜ合わせる。この際にダマにならないよう注意する。
- 整形してオーブン(170℃で15~17分)で焼く。
通常の砂糖の代わりに黒糖を用いても面白い。また抹茶などを入れると一風変わった味が楽しめる。 風味が重いと感じた場合はラード(ショートニング)と砂糖の量を減らすとよい。
関連項目
参考文献
- 川満直樹「沖縄の代表的な菓子土産ちんすこう ちんすこうと新垣家、新垣菓子店の関係を中心として」