「清丸恵三郎」の版間の差分
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編集者・ジャーナリスト。 |
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1950年 石川県能美郡西尾村(現・小松市)生まれ。69年県立小松高校を卒業、早稲田大学第一政治経済学部入学。73年同大学政治学科卒業。日本短波放送(現・日経ラジオ社)入社。報道制作部門を経て、永田町、東証、東穀などの記者クラブ詰めを歴任。 |
1950年 石川県能美郡西尾村(現・小松市)生まれ。69年県立小松高校を卒業、早稲田大学第一政治経済学部入学。73年同大学政治学科卒業。日本短波放送(現・日経ラジオ社)入社。報道制作部門を経て、永田町、東証、東穀などの記者クラブ詰めを歴任。 |
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77年ダイヤモンド・タイム社(現・プレジデント社)入社、『プレジデント』編集部勤務。本多光夫氏(作家・諸井薫)の下で「フォーチューン」誌の翻訳版を脱し、経営プラス歴史と人物を中核に据えたユニークな総合誌への変身に中核的な働きをする。87年、『ビッグサクセス』編集長などを経て『プレジデント』編集長に就任、『日経ビジネス』を抜きビジネス誌ナンバーワンの座に。本多譲りの「人間は人間に一番興味がある」を編集の基本において仕事をしてきたと常々語っている。 |
77年ダイヤモンド・タイム社(現・プレジデント社)入社、『プレジデント』編集部勤務。本多光夫氏(作家・諸井薫)の下で「フォーチューン」誌の翻訳版を脱し、経営プラス歴史と人物を中核に据えたユニークな総合誌への変身に中核的な働きをする。87年、『ビッグサクセス』編集長などを経て『プレジデント』編集長に就任、『日経ビジネス』を抜きビジネス誌ナンバーワンの座に。本多譲りの「人間は人間に一番興味がある」を編集の基本において仕事をしてきたと常々語っている。 |
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単行本分野でも、ITブームを予見した大前研一氏の『インターネット革命』、あるいは神戸・淡路大震災時の神戸新聞の地域新聞としての取り組みを刻銘に再取材した『神戸新聞の100日』(神戸新聞編)を送り出し、ジャーナリズム界で話題となった。 |
単行本分野でも、ITブームを予見した大前研一氏の『インターネット革命』、あるいは神戸・淡路大震災時の神戸新聞の地域新聞としての取り組みを刻銘に再取材した『神戸新聞の100日』(神戸新聞編)を送り出し、ジャーナリズム界で話題となった。 |
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フリーの編集・出版プロデューサーとして活躍中 |
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97年、取締役出版・企画事業部長を最後に独立。作家津本陽、童門冬二、宗教家松原泰道師、かんき出版社長境健一郎など各氏の応援を得て(株)歴思書院を設立する一方、『夕刊フジ』『東京新聞』『中央公論』『編集会議』『経営者会報』などに寄稿を始める。またフリーの編集・出版プロデューサーとしては『週刊東洋経済』『フォーブス日本版』『VOICE』『潮』『月刊現代』『文藝春秋』などへ企画を提供。このほか、99年には『中央公論』臨時増刊を総合プロデュースしたほか、05年には、山本容子さんの表紙が話題となった(株)団塊倶楽部発行の月刊誌『団塊倶楽部』編集長を半年間つとめた。 |
97年、取締役出版・企画事業部長を最後に独立。作家津本陽、童門冬二、宗教家松原泰道師、かんき出版社長境健一郎など各氏の応援を得て(株)歴思書院を設立する一方、『夕刊フジ』『東京新聞』『中央公論』『編集会議』『経営者会報』などに寄稿を始める。またフリーの編集・出版プロデューサーとしては『週刊東洋経済』『フォーブス日本版』『VOICE』『潮』『月刊現代』『文藝春秋』などへ企画を提供。このほか、99年には『中央公論』臨時増刊を総合プロデュースしたほか、05年には、山本容子さんの表紙が話題となった(株)団塊倶楽部発行の月刊誌『団塊倶楽部』編集長を半年間つとめた。 |
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また単行本関係のプロデュースでは、講談社「現代新書」での『日本海海戦の真実』(野村實著)を皮切りに、『世界を制した中小企業』(黒崎誠著)『トヨタモデル』(阿部和義著)、「PHP新書」で『歎異抄入門』(梅原猛著)、『早稲田はいかに人を育てるか』(白井克彦著)、「角川新書」で『本能寺の変はなぜ起こったか』(津本陽著)など新書関係でロングセラー、話題作をつぎつぎ送り出している。単行本では、津本陽氏の大作『勝海舟』(潮出版)、松原師の『禅の名言』(東洋経済)などを手がけている。 |
また単行本関係のプロデュースでは、講談社「現代新書」での『日本海海戦の真実』(野村實著)を皮切りに、『世界を制した中小企業』(黒崎誠著)『トヨタモデル』(阿部和義著)、「PHP新書」で『歎異抄入門』(梅原猛著)、『早稲田はいかに人を育てるか』(白井克彦著)、「角川新書」で『本能寺の変はなぜ起こったか』(津本陽著)など新書関係でロングセラー、話題作をつぎつぎ送り出している。単行本では、津本陽氏の大作『勝海舟』(潮出版)、松原師の『禅の名言』(東洋経済)などを手がけている。 |
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「夕刊フジ」ウォーズシリーズを書き続ける |
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ジャーナリスト・著者としては、企業・経営、出版ジャーナリズム・歴史を三本柱に活動を展開している。特に『夕刊フジ』を舞台に「ビア・ウォーズ」「出版ウォーズ」「ブランドウォーズ」「エンターテイメントウォーズ」「シェアウォーズ」、そして現在の「企業戦略ウォーズ」とウォーズシリーズの連載が続いている。『フォーブス日本版』『経営者会報』などビジネス系雑誌への寄稿も多い。ウォーズシリーズからは、『ビア・ウォーズ』『出版動乱』が東洋経済から、『ブランドウォーズ』がPHP研究所からそれぞれ単行本化されている。このほか『史上最大の仕事師金子直吉』(PHP研究所)などの著書がある。共著・監修書も多数。近著、『数字で楽しむ日本史』(PHP文庫)は、名数を基軸にしたユニークな歴史書として書店員の間で話題だ。 |
ジャーナリスト・著者としては、企業・経営、出版ジャーナリズム・歴史を三本柱に活動を展開している。特に『夕刊フジ』を舞台に「ビア・ウォーズ」「出版ウォーズ」「ブランドウォーズ」「エンターテイメントウォーズ」「シェアウォーズ」、そして現在の「企業戦略ウォーズ」とウォーズシリーズの連載が続いている。『フォーブス日本版』『経営者会報』などビジネス系雑誌への寄稿も多い。ウォーズシリーズからは、『ビア・ウォーズ』『出版動乱』が東洋経済から、『ブランドウォーズ』がPHP研究所からそれぞれ単行本化されている。このほか『史上最大の仕事師金子直吉』(PHP研究所)などの著書がある。共著・監修書も多数。近著、『数字で楽しむ日本史』(PHP文庫)は、名数を基軸にしたユニークな歴史書として書店員の間で話題だ。 |
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06年4月から08年3月までは、国際金融ジャーナリスト水野隆徳氏が学長をつとめていた富士常葉大学で文章論(「日本語の語彙と表現」)を講議。江戸川大学でも講師歴がある。東京商工会議所、日本旅行業協会等でも講演を行っている。 |
06年4月から08年3月までは、国際金融ジャーナリスト水野隆徳氏が学長をつとめていた富士常葉大学で文章論(「日本語の語彙と表現」)を講議。江戸川大学でも講師歴がある。東京商工会議所、日本旅行業協会等でも講演を行っている。 |
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ラジオ局で最初に仕事をしたのは加藤寛氏 |
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日本短波放送で最初に担当した番組が、加藤寛慶応大学教授(当時)のトーク番組。以来、加藤氏とは35年を超える付き合い。加藤氏以外にも経済、経営、それに歴史関係の学者・研究者に知己は多い。津本、童門両氏はじめ歴史作家にはもちろん、ノンフィクション作家にも、佐高、佐野両氏、それに加藤仁氏など知り合いが少なくない。編集者も花田紀凱氏など経済経営出版の枠を超えて広い付き合いがある。 |
日本短波放送で最初に担当した番組が、加藤寛慶応大学教授(当時)のトーク番組。以来、加藤氏とは35年を超える付き合い。加藤氏以外にも経済、経営、それに歴史関係の学者・研究者に知己は多い。津本、童門両氏はじめ歴史作家にはもちろん、ノンフィクション作家にも、佐高、佐野両氏、それに加藤仁氏など知り合いが少なくない。編集者も花田紀凱氏など経済経営出版の枠を超えて広い付き合いがある。 |
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経営者は、証券記者だった時代の山一證券会長日高輝、その関係で中山素平日本興業銀行相談役を知り、著書や連載エッセーを担当した関係で再建王早川種三、日本郵船会長有吉義弥氏などに可愛がられた。日高、中山と興銀同期の人たちの軌跡と友情については「男たちの行路」として、かつて『プレジデント』誌に断続的に連載。東京電力平岩外四相談役とは「藤沢周平論」を語り合い、アサヒビール、JR西日本会長を務めた村井勉氏とは住友銀行時代から知り合いである。最近は再起を期す三澤千代治氏、独自のインキュベーターを目指す極楽湯前会長(CCC元専務)の喜多尾将秋氏らと会うことが多いという。 |
経営者は、証券記者だった時代の山一證券会長日高輝、その関係で中山素平日本興業銀行相談役を知り、著書や連載エッセーを担当した関係で再建王早川種三、日本郵船会長有吉義弥氏などに可愛がられた。日高、中山と興銀同期の人たちの軌跡と友情については「男たちの行路」として、かつて『プレジデント』誌に断続的に連載。東京電力平岩外四相談役とは「藤沢周平論」を語り合い、アサヒビール、JR西日本会長を務めた村井勉氏とは住友銀行時代から知り合いである。最近は再起を期す三澤千代治氏、独自のインキュベーターを目指す極楽湯前会長(CCC元専務)の喜多尾将秋氏らと会うことが多いという。 |
2008年6月16日 (月) 05:24時点における版
清丸恵三郎(せいまる・けいざぶろう) 編集者・ジャーナリスト。
「プレジデント」最大部数時の編集長 1950年 石川県能美郡西尾村(現・小松市)生まれ。69年県立小松高校を卒業、早稲田大学第一政治経済学部入学。73年同大学政治学科卒業。日本短波放送(現・日経ラジオ社)入社。報道制作部門を経て、永田町、東証、東穀などの記者クラブ詰めを歴任。 77年ダイヤモンド・タイム社(現・プレジデント社)入社、『プレジデント』編集部勤務。本多光夫氏(作家・諸井薫)の下で「フォーチューン」誌の翻訳版を脱し、経営プラス歴史と人物を中核に据えたユニークな総合誌への変身に中核的な働きをする。87年、『ビッグサクセス』編集長などを経て『プレジデント』編集長に就任、『日経ビジネス』を抜きビジネス誌ナンバーワンの座に。本多譲りの「人間は人間に一番興味がある」を編集の基本において仕事をしてきたと常々語っている。 前後2回、およそ7年にわたる編集長時代には、『安藤太郎と磯田一郎』のタイトルで住友銀行のバブル期の異常な経営を指弾した佐高信氏の署名原稿を掲載、大きな話題を呼んだほか、佐野眞一氏に後年の大宅賞候補作『遠きやまびこ』を書くきっかけを与えるなどノンフィクション作品の掲載にも力を入れ、経営プラス歴史と人物路線からの脱皮をはかって評価を得た。95年の「雑誌ジャーナリズム大賞」の創設メンバーの一人。 単行本分野でも、ITブームを予見した大前研一氏の『インターネット革命』、あるいは神戸・淡路大震災時の神戸新聞の地域新聞としての取り組みを刻銘に再取材した『神戸新聞の100日』(神戸新聞編)を送り出し、ジャーナリズム界で話題となった。
フリーの編集・出版プロデューサーとして活躍中 97年、取締役出版・企画事業部長を最後に独立。作家津本陽、童門冬二、宗教家松原泰道師、かんき出版社長境健一郎など各氏の応援を得て(株)歴思書院を設立する一方、『夕刊フジ』『東京新聞』『中央公論』『編集会議』『経営者会報』などに寄稿を始める。またフリーの編集・出版プロデューサーとしては『週刊東洋経済』『フォーブス日本版』『VOICE』『潮』『月刊現代』『文藝春秋』などへ企画を提供。このほか、99年には『中央公論』臨時増刊を総合プロデュースしたほか、05年には、山本容子さんの表紙が話題となった(株)団塊倶楽部発行の月刊誌『団塊倶楽部』編集長を半年間つとめた。 また単行本関係のプロデュースでは、講談社「現代新書」での『日本海海戦の真実』(野村實著)を皮切りに、『世界を制した中小企業』(黒崎誠著)『トヨタモデル』(阿部和義著)、「PHP新書」で『歎異抄入門』(梅原猛著)、『早稲田はいかに人を育てるか』(白井克彦著)、「角川新書」で『本能寺の変はなぜ起こったか』(津本陽著)など新書関係でロングセラー、話題作をつぎつぎ送り出している。単行本では、津本陽氏の大作『勝海舟』(潮出版)、松原師の『禅の名言』(東洋経済)などを手がけている。
「夕刊フジ」ウォーズシリーズを書き続ける ジャーナリスト・著者としては、企業・経営、出版ジャーナリズム・歴史を三本柱に活動を展開している。特に『夕刊フジ』を舞台に「ビア・ウォーズ」「出版ウォーズ」「ブランドウォーズ」「エンターテイメントウォーズ」「シェアウォーズ」、そして現在の「企業戦略ウォーズ」とウォーズシリーズの連載が続いている。『フォーブス日本版』『経営者会報』などビジネス系雑誌への寄稿も多い。ウォーズシリーズからは、『ビア・ウォーズ』『出版動乱』が東洋経済から、『ブランドウォーズ』がPHP研究所からそれぞれ単行本化されている。このほか『史上最大の仕事師金子直吉』(PHP研究所)などの著書がある。共著・監修書も多数。近著、『数字で楽しむ日本史』(PHP文庫)は、名数を基軸にしたユニークな歴史書として書店員の間で話題だ。 06年4月から08年3月までは、国際金融ジャーナリスト水野隆徳氏が学長をつとめていた富士常葉大学で文章論(「日本語の語彙と表現」)を講議。江戸川大学でも講師歴がある。東京商工会議所、日本旅行業協会等でも講演を行っている。
ラジオ局で最初に仕事をしたのは加藤寛氏 日本短波放送で最初に担当した番組が、加藤寛慶応大学教授(当時)のトーク番組。以来、加藤氏とは35年を超える付き合い。加藤氏以外にも経済、経営、それに歴史関係の学者・研究者に知己は多い。津本、童門両氏はじめ歴史作家にはもちろん、ノンフィクション作家にも、佐高、佐野両氏、それに加藤仁氏など知り合いが少なくない。編集者も花田紀凱氏など経済経営出版の枠を超えて広い付き合いがある。 経営者は、証券記者だった時代の山一證券会長日高輝、その関係で中山素平日本興業銀行相談役を知り、著書や連載エッセーを担当した関係で再建王早川種三、日本郵船会長有吉義弥氏などに可愛がられた。日高、中山と興銀同期の人たちの軌跡と友情については「男たちの行路」として、かつて『プレジデント』誌に断続的に連載。東京電力平岩外四相談役とは「藤沢周平論」を語り合い、アサヒビール、JR西日本会長を務めた村井勉氏とは住友銀行時代から知り合いである。最近は再起を期す三澤千代治氏、独自のインキュベーターを目指す極楽湯前会長(CCC元専務)の喜多尾将秋氏らと会うことが多いという。 高校同級には北一正読売新聞記者(元・鳥取支局長)、北川俊喜紀伊国屋書店常務など。大学同級には、大塚将司日本経済研究所主任研究員、広瀬寛国立都城工業高専校長などがいる。