「スイス航空111便墜落事故」の版間の差分
m てにをはの修正 |
m編集の要約なし |
||
32行目: | 32行目: | ||
カナダ運輸安全委員会 (TSB) とアメリカ NTSB からなる合同事故調査委員会が[[2003年]]に公表した最終報告によると、事故の引き金となった火災は機首部の天井裏から発生した。[[ビジネスクラス]]のエンターテイメントシステムの電気配線が不完全であったためアーク(火花)が発生、この配線に[[アーク放電]]に対する保護機能が備わっていなかったうえ、近辺の絶縁皮膜材が可燃性のものであったことから、断熱材(MPET)にも引火してしまったというものであった。また、この箇所での火災発生を検知・警報する装置は無く<ref name=TSBC2>{{cite web|url=http://www.tsb.gc.ca/en/reports/air/1998/a98h0003/01report/03conclusions/rep3_01_00.asp|title=事故報告書 結論部(公式、英文)|publisher=カナダ運輸安全委員会|accessdate=10月18日|accessyear=2007年}}</ref>、非常事態の認識が遅くなったこと、火災による煙が充満し操縦席の[[液晶ディスプレイ]]が見えにくかったことに重ね、[[旅客機のコックピット|コックピット]]の配線も類焼し故障したために、盲目飛行に陥ったということであった。フライトレコーダーなども電気系統の電力喪失により、墜落の 6 分前から作動していなかった。これらの原因により、 111 便は操縦不能のまま猛烈な速度で、海面にほとんど逆さまの状態でたたきつけられ、瞬間的に搭乗していた人間もろとも破壊されたとされた。 |
カナダ運輸安全委員会 (TSB) とアメリカ NTSB からなる合同事故調査委員会が[[2003年]]に公表した最終報告によると、事故の引き金となった火災は機首部の天井裏から発生した。[[ビジネスクラス]]のエンターテイメントシステムの電気配線が不完全であったためアーク(火花)が発生、この配線に[[アーク放電]]に対する保護機能が備わっていなかったうえ、近辺の絶縁皮膜材が可燃性のものであったことから、断熱材(MPET)にも引火してしまったというものであった。また、この箇所での火災発生を検知・警報する装置は無く<ref name=TSBC2>{{cite web|url=http://www.tsb.gc.ca/en/reports/air/1998/a98h0003/01report/03conclusions/rep3_01_00.asp|title=事故報告書 結論部(公式、英文)|publisher=カナダ運輸安全委員会|accessdate=10月18日|accessyear=2007年}}</ref>、非常事態の認識が遅くなったこと、火災による煙が充満し操縦席の[[液晶ディスプレイ]]が見えにくかったことに重ね、[[旅客機のコックピット|コックピット]]の配線も類焼し故障したために、盲目飛行に陥ったということであった。フライトレコーダーなども電気系統の電力喪失により、墜落の 6 分前から作動していなかった。これらの原因により、 111 便は操縦不能のまま猛烈な速度で、海面にほとんど逆さまの状態でたたきつけられ、瞬間的に搭乗していた人間もろとも破壊されたとされた。 |
||
事故調査委員会の報告では、火の回りが速かったため、初めに異臭に気付いた時点でハリファックス国際空港に直行するコースをとっていたとしても、辿り着く前に墜落していたであろうと結論付けられている。 |
事故調査委員会の報告では、火の回りが速かったため、初めに異臭に気付いた時点でハリファックス国際空港に直行するコースをとっていたとしても、辿り着く前に墜落していたであろうと結論付けられている。報告によると、最寄のハリファックス空港へ最適な緊急降下を始めるには午後9時14分18秒がリミットであり、その場合午後9時27分に着陸することができた。しかし、この時間はちょうど国際緊急信号 "Pan-Pan" を発信していた時刻であり、緊急着陸を決断していなかったこと、実際には管制関係を考慮すると2,3分余分に時間が必要であることから、緊急着陸降下を開始するタイミングは遅れ、間に合わなかったと予想されるためである。この報告書は、機体システムの機能低下を考慮していない理論的参考値と断っているが、いずれにしても111便の生還は火災が発生した時点で、ほぼ絶望的であったとされている<ref>加藤寛一郎 『まさかの墜落』[[大和書房]] [[2007年]]</ref>。 |
||
==再発防止策== |
==再発防止策== |
2008年7月21日 (月) 10:10時点における版
出来事の概要 | |
---|---|
日付 | 1998年9月2日 |
概要 | 火災と不適切な判断が重なって墜落 |
現場 | カナダ・ノバスコシア州沿岸の大西洋 |
乗客数 | 215 |
乗員数 | 14 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 229 |
生存者数 | 0 |
機種 | マクドネル・ダグラス・MD-11 |
運用者 | スイス航空 |
機体記号 | HB-IWF |
スイス航空111便墜落事故 (Swissair Flight 111) とは、大西洋を横断飛行しようとしていたスイス航空 (Swissair) のMD-11(マクドネル・ダグラス社製)で電気系統のショートによる火災が発生し、緊急着陸の途中で操縦不能に陥りカナダのノバスコシア州沿岸の大西洋上に墜落した事故である。
事故の概略
1998年9月2日、アメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港をアメリカ東部夏時間の午後8時18分(UTC:0時18分)に離陸し、スイス・ジュネーヴに向かっていたスイス航空 111 便(SR111、デルタ航空との共同運航便でデルタ航空 111 便でもあった)は MD-11(機体記号 HB-IWF、1991年製造)で運航されていた。
高度 33,000 フィート(およそ 10,060 メートル)を巡航中であった午後9時10分に運航乗務員がコックピットで異臭がすることに気が付いた。異臭はコックピット内のみでキャビンには発生していなかったため、最初は空調システムに関連するものと判断したが、4 分後には煙が目視できるほどになったため、最寄の空港への代替着陸(ダイバート)を決意し 午後9時14分に管轄するモンクトン航空路管制センター (ACC) に国際緊急信号 "Pan-Pan" を送信した。 "Pan-Pan" は「緊急」を意味するが、差し迫った「危険」を示すものではなく、また、「遭難」を表す "Mayday" を発信していないことから、この段階ではまだコックピット内に「墜落」までの危機意識を感じさせるものはなかったと思われる。
管制官に対して、当初乗員はおよそ 300 海里(500 キロメートル)後方のボストン・ローガン空港への誘導を要請し、一旦は受理された。しかし、この時の当該機位置はカナダ・ノバスコシア州ハリファックスの南西 56 海里(およそ100 キロメートル)だったため、管制官はボストンよりも近いハリファクス国際空港に着陸することを降下開始直後に打診、SR111 もこれを選択する意思を示し、ただちに同空港への直行が許可された[1]。この時点で乗員は酸素マスクを装着した。
午後9時19分、ハリファックスからおよそ 50 キロメートルの地点まで近づいたが、高度が依然 21,000 フィートと高すぎた。また、着陸するには燃料の搭載量が多く、重量オーバーになる可能性があったため 午後9時20分に111便から管制官に対して、一旦進入コースを逸れ燃料投棄を行いながら旋回して高度を下げる旨を通知した。機内マニュアルでは出所不明の煙に対してキャビンの電源を切ることとされていたが、これによって空気循環ファンも停止してしまったため火の回りを早めることとなり、コックピット内に煙が充満した。午後9時24分(UTC:1時24分)、クルーによって緊急事態が宣言された。照明、操縦計器類、オートパイロットなどが次々とダウンし操縦が困難になった。ハリファックスとモンクトンに設置されていた地震計が 午後9時31分(UTC:1時31分) に記録した衝撃が当該機の海上への墜落を示した。
この事故で乗員 14 名、乗客 215 名の合わせて 229 名全員が犠牲になった。事故機にはアメリカの著名人数名の他、ピカソなどの芸術品が搭乗していたが、その全てが永遠に失われてしまった。
事故原因
事故機の大部分の残骸は水深 55 メートルの海底に水没し、細かい部品の中には漂流して海岸に流れ着いたものも少なくなかった。フライトレコーダーとボイスレコーダーは発見されたが、記録はいずれも墜落 6 分前の高度 10,000 フィートを飛行していた午後9時25分41秒(UTC:1時25分)の時点で終了していた。そのため、失われたフライトデータの実証による事故原因の追究には5年の歳月と、調査費用としてはカナダの航空事故史上最高額となる 3,900 万 US ドル(5,700 万カナダドル、およそ 45 億円)の巨額が費やされた。
カナダ運輸安全委員会 (TSB) とアメリカ NTSB からなる合同事故調査委員会が2003年に公表した最終報告によると、事故の引き金となった火災は機首部の天井裏から発生した。ビジネスクラスのエンターテイメントシステムの電気配線が不完全であったためアーク(火花)が発生、この配線にアーク放電に対する保護機能が備わっていなかったうえ、近辺の絶縁皮膜材が可燃性のものであったことから、断熱材(MPET)にも引火してしまったというものであった。また、この箇所での火災発生を検知・警報する装置は無く[2]、非常事態の認識が遅くなったこと、火災による煙が充満し操縦席の液晶ディスプレイが見えにくかったことに重ね、コックピットの配線も類焼し故障したために、盲目飛行に陥ったということであった。フライトレコーダーなども電気系統の電力喪失により、墜落の 6 分前から作動していなかった。これらの原因により、 111 便は操縦不能のまま猛烈な速度で、海面にほとんど逆さまの状態でたたきつけられ、瞬間的に搭乗していた人間もろとも破壊されたとされた。
事故調査委員会の報告では、火の回りが速かったため、初めに異臭に気付いた時点でハリファックス国際空港に直行するコースをとっていたとしても、辿り着く前に墜落していたであろうと結論付けられている。報告によると、最寄のハリファックス空港へ最適な緊急降下を始めるには午後9時14分18秒がリミットであり、その場合午後9時27分に着陸することができた。しかし、この時間はちょうど国際緊急信号 "Pan-Pan" を発信していた時刻であり、緊急着陸を決断していなかったこと、実際には管制関係を考慮すると2,3分余分に時間が必要であることから、緊急着陸降下を開始するタイミングは遅れ、間に合わなかったと予想されるためである。この報告書は、機体システムの機能低下を考慮していない理論的参考値と断っているが、いずれにしても111便の生還は火災が発生した時点で、ほぼ絶望的であったとされている[3]。
再発防止策
事故報告書は、航空機メーカーに対して、このような燃えやすい素材の使用を改善するように答申した。また事故後、電気系統からの火災発生場所を全て確認しなければならないとしていたマニュアルを、火災発生時の非常事態に対応しやすいように改善された。
なお、遺族への賠償は航空会社と製造メーカーによって1999年9月に支払われることになったが、絶縁皮膜を製造したアメリカの化学メーカーに対する損害賠償訴訟は2002年2月にアメリカ合衆国連邦裁判所によって訴えが退けられた。
慰霊施設
事故の慰霊施設はカナダのノバスコシア州にふたつが建立されている。ひとつは州政府によるもの、もうひとつは個人によるもので、いずれも墜落現場に建立されており、身元が確認できなかった犠牲者の遺体が埋葬されているという。
参考文献
- ^ “事故報告書 事故概要(公式、英文)”. カナダ運輸安全委員会. 10月18日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “事故報告書 結論部(公式、英文)”. カナダ運輸安全委員会. 10月18日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 加藤寛一郎 『まさかの墜落』大和書房 2007年
外部リンク
- Swissair111.org Memorial
- PBS NOVA: Crash of Flight 111
- Pre-crash photo of HB-IWF
- CBC (Canadian Broadcasting Association)Investigation into Swissair Flight 111
- Blessed Stranger: After Flight 111 - IMDb
- Photographs of the Swissair Flight 111 Memorial at Bayswater, Nova Scotia
- Photographs of the Swissair Flight 111 Memorial at Whalesback, Nova Scotia