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2008年8月17日 (日) 09:42時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
信時 潔 (のぶとき きよし、1887年(明治20年)12月29日 - 1965年(昭和40年)8月1日)は、日本の作曲家。
略歴
大阪府出身。牧師・吉岡弘毅(元外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として生まれ、幼少より賛美歌に親しんだ。大阪の市岡中学を経て、東京音楽学校器楽部および研究科器楽部でチェロを学び、後、同科作曲部に移り、助教授、教授を勤めた。同校の本科作曲部(現東京芸術大学音楽学部作曲科)創設に尽力し、弟子には、片山頴太郎、下総皖一、坂本良隆、橋本國彦、呉泰次郎、細川碧、高田三郎、大中恩、柏木俊夫などがいる。
主な作品には、交声曲『海道東征』、歌曲集『沙羅』、戦時歌謡(国民唱歌)『海ゆかば』(大日本帝国海軍の将官礼式用儀制曲『海ゆかば』とは同名異曲)、ピアノ組曲『木の葉集』、合唱曲『紀の国の歌』、『鎮魂頌』などがある。『沙羅』は現在でも愛唱され、多くの合唱曲も演奏機会が多い。『沙羅』を初めとする歌曲は木下保編曲の合唱曲としても親しまれた(木下は『海道東征』初演時の指揮者でもある)。芸術音楽のみならず文部省唱歌『電車ごっこ』等を作曲。戦前戦後を通じて学校の音楽教科書の編纂や監修にも力を注いだ。校歌・社歌・団体歌等の作曲も数多く手がけ、生涯で少なくとも1000曲以上を数える。
シェーンベルクやバルトークなど当時の現代音楽の知識も豊富だったが、実作ではドイツの古典派・ロマン派に基づく簡素で重厚な作風を貫いた。太平洋戦争後は作品数が減るが、これは『海ゆかば』が軍国主義に利用され、学徒出陣の際に用いられたことに対抗できなかったことを恥じたものだとも言われる。同世代の作曲家である山田耕筰とは作風、経歴、戦後の処し方で好対照をなす。
年譜
戦前作品は現在でも演奏機会の多い物及び代表曲の『海道東征』のみを挙げる。40-50歳が作曲活動のピークで、戦後は芸術作品の数が減少した。ここに挙げたものを含め、1950年以降死去までの約20年間で6作品(いずれも歌曲または合唱曲である)を数えるに過ぎないが、生涯に亘って作品を世に問うた。
- 1887年 明治20 0歳 大阪北教会の牧師であった父吉岡弘毅、母吉岡とりの三男として生まれる
- 1898年 明治31 11歳 大阪北教会の長老、信時義政と妻信時げんの養子に
- 1901年 明治34 14歳 大阪府立市岡中学校入学
- 1905年 明治38 18歳 東京音楽学校予科入学
- 1906年 明治39 19歳 同校本科器楽部入学(チェロ専攻)
- 1910年 明治43 23歳 同校研究科器楽部進学
- 1912年 明治45 25歳 同科作曲部進学
- 1915年 大正4 28歳 作曲部修了、助教授就任
- 1920年 - 1922年 大正9-11 33-35歳 文部省在外研究員として訪欧、作曲とチェロを研修(ドイツ、フランス、イギリス、スイス、イタリア)
- 1923年 大正12 36歳 東京音楽学校師範科卒業生の白坂ミイと結婚。東京音楽学校教授就任
- 1924年 大正13 37歳 この頃から合唱曲、歌曲、ピアノ曲、ヴァイオリン曲を数多く発表。教科書の編纂にも多数携わる
- 1926年 大正15 39歳 歌曲集『小曲五章』(詩:与謝野晶子)
- 1930年 昭和5 43歳 合唱曲『いろはうた』(「いろはにほへと…」に、雅楽の越天楽の旋律を用いて作曲した変奏曲)
- 1932年 昭和7 45歳 東京音楽学校本科作曲部の創設に尽力し、実現をみる。教授辞任。講師に
- 1936年 昭和11 49歳 歌曲集『沙羅』(詩:清水重道)、ピアノ組曲『木の葉集』
- 1937年 昭和12 50歳 合唱組曲『紀の国の歌』。NHKの依頼により『海ゆかば』作曲。以降国民歌謡多数発表
- 1940年 昭和15 53歳 交声曲『海道東征』(詩:北原白秋)
- 1942年 昭和17 55歳 満州視察。日本芸術院会員となる
- 1943年 昭和18 56歳 朝日賞受賞、南京で開かれた中日文化協会全国文化代表大会に参加
- 1947年 昭和22 60歳 新憲法施行記念国民歌『われらの日本』(詩:土岐善麿)
- 1947年-1948年 昭和22-23 60-61歳 歌曲集『古歌二十五首』
- 1951年 昭和26 64歳 平和条約発効並びに憲法施行5周年記念式式典歌『日本のあさあけ』(詩:斎藤茂吉)
- 1954年 昭和29 67歳 東京芸術大学音楽部講師退任
- 1962年 昭和37 75歳 『海道東征』戦後初の再演。当時朝日放送社員であった阪田寛夫の企画によるもの
- 1963年 昭和38 76歳 文化功労者
- 1964年 昭和39 77歳 勲三等旭日中綬章
- 1965年 昭和40 歌曲/合唱曲集『女人和歌連曲』(遺作)、オペラ『古事記』(未完)。心筋梗塞のため死去(享年77)
- 1995年 平成7 没後30年企画としてCD『信時潔歌曲集』発売
- 2003年 平成15 『海道東征』戦後二度目の再演(オーケストラ・ニッポニカ、紀尾井ホール。抜粋ないしはピアノ+合唱形式では他にも演奏した記録がある)
- 2004年 平成16 CD「木の葉集〜信時潔ピアノ全曲集」発売
- 2005年 平成17 没後40年。
- 2016年 平成28 著作権保護期間終了。
没後40年にあたる2005年には大きな動きがあった。前年のCD「木の葉集」発売に続き、
- 新保祐司 『信時 潔』
- CD「海ゆかばのすべて」発売
- 畑中良輔門下によるリサイタル「信時潔の夕べ」(命日にあたる8月1日、紀尾井ホール)
- 信時作品の研究者である孫・信時裕子によるサイト信時潔研究ガイド開設
- 春秋社の曲集復刊
等である。
資料
網羅的データに関しては、外部リンク中の「信時潔研究ガイド」を参照されたい。
楽譜
- 『丹澤』を初めとする歌曲は多くの日本歌曲集に取り上げられている。
- 『日本歌曲全集(6) 信時潔』(音楽之友社、2000)
- 代表的な歌曲を収載。畑中良輔による作風と人柄の解説がある。本稿の作風に関する記事の典拠。
- 『信時潔《独唱曲集》《合唱曲集》《ピアノ曲集》』(春秋社、2005、各 ISBN 4-393-92414-2、ISBN 4-393-92413-4、ISBN 4-393-91446-5)
- 没後40周年記念復刻版。信時本人選曲の決定版を謳っている。信時裕子による詳細な年譜付き。《独唱曲集》《合唱曲集》には『海ゆかば』も収載されている。《ピアノ曲集》には花岡千春の解説付き。
- 『女人和歌連曲』はカワイ出版のオンデマンド出版で得られる。
- 2005年11月現在Web上のリストには項目がないが、「信時潔研究ガイド」によると、版下そのものは存在するので同社に連絡すれば購入できるとのこと。
- 木下保編曲 合唱組曲『沙羅』 音楽之友社。女声合唱版と混声合唱版が刊行されている。
校歌・社歌・団体歌
前述のように夥しい数の校歌・社歌・団体歌を作曲し、現在判明しているものだけでも1000曲以上を数えている。学校・団体の廃止等により、失われた作品もあるのではないかと考えられる。
※以下のリストは一部にすぎないため、網羅的データに関しては外部リンクを参照。
校歌
- 慶應義塾塾歌
- 学習院院歌
- 神宮皇學館大學校歌(現:皇學館大學校歌)
- 成蹊大学校歌
- 専修大学校歌
- 大東文化大学校歌
- 金沢大学校歌
- (旧制)北海道庁立釧路中学校校歌(現:北海道釧路湖陵高等学校校歌)
- 北海道帯広柏葉高等学校校歌
- 秋田県立大曲高等学校校歌
- 秋田県立増田高等学校校歌
- 福島県立磐城桜が丘高等学校校歌
- 開成学園校歌
- 東京都立西高等学校校歌
- 東京都立江北高等学校校歌
- 東京都立大森高等学校校歌
- 帝京中学校・高等学校校歌
- 栃木県立宇都宮高等学校校歌
- 桜蔭学園校歌
- 本郷学園校歌
- 浅野学園校歌
- 兵庫県立長田高等学校校歌
- 和歌山県立星林高等学校校歌
- 甲陽学院高等学校校歌
- 灘中学校・高等学校校歌
- 奈良県立・奈良高等学校校歌
- 愛知県立津島高等学校校歌
- 愛知県立旭丘高等学校校歌
- 島根県立益田高等学校校歌
- 山口県立豊浦高等学校校歌
- 福岡県立筑紫丘高等学校校歌
- 福岡県立明善高等学校校歌
- 長崎県立大村高等学校校歌
- 群馬県立渋川高等学校校歌
- 埼玉県立川口高等学校校歌
- 台湾旧新竹州立新竹中学校校歌
- 愛知県尾張旭市立旭中学校校歌
- 新宿区立牛込原町小学校校歌(廃校)
- 新宿区立牛込仲之小学校校歌
- 郡山市立郡山第一中学校校歌
- さいたま市立木崎中学校校歌
- 兵庫県立神戸高等学校校歌
- 山梨県立山梨高等学校校歌
- 石川県金沢市立紫錦台中学校校歌
社歌
団体歌
人物他
- 新保祐司 『信時 潔』ISBN 4-875-74069-7
- 生い立ちや人となりについて詳しい。『海ゆかば』自筆譜の写真や『日本歌曲全集』の畑中による解説からの引用、信時裕子による年譜がある。本稿の年譜の典拠。
- 阪田寛夫 『海道東征』(小説)
- 雑誌
- 「音楽現代」 2005年8月号(芸術現代社) pp. 110-117 - 特別企画「没後40年信時潔の世界〜山田耕筰と並ぶ近代日本作曲界の礎」
- 新保祐司「戦後封印された『海ゆかば』の作曲家への問い直し」、西耕一「黎明期の日本作曲界へ、正統派の太くまっすぐな道を開いた信時潔」、瀬山詠子「信時潔先生のお人柄と歌曲」、花岡千春「信時潔の音楽と現在(いま)」
- 「別冊太陽 気ままに絵の道 熊谷守一」 2005, 平凡社, ISBN 4-582-94487-6 , pp.120-121 - 信時潔「熊谷さんのこと」 : 画家の熊谷守一と信時潔とは子供同士が結婚した仲である。初出は「みづゑ」1940年12月号。
- 「音楽現代」 2005年8月号(芸術現代社) pp. 110-117 - 特別企画「没後40年信時潔の世界〜山田耕筰と並ぶ近代日本作曲界の礎」
- CD「海ゆかばのすべて」にも詳細な付録がある(→海行かば#音声資料)
録音
- 歌曲
- 歌曲はオムニバスの中に数多く録音されている。例えば鮫島有美子の日本の歌シリーズ。
- 「信時潔歌曲集」 ビクター VICC-5052 - 畑中良輔、三浦洋一らの演奏。2005年現在品切。
- 合唱曲(合唱曲は広く演奏される割には商用録音自体が少ない)
- 「日本の合唱百年・四つの時代」 フォンテック FOCD-3473 - 『紀の国の歌』の一部が録音されている。
- 「仏教讃歌混声合唱集『いのち』」 本願寺出版社 - 『みほとけは』収録。[1]
- 小川寛大『海行かばを歌ったことがありますか』 (ISBN 4-901032-84-4) の付録CDに「やすくにの」が四重唱で収録されている。靖国神社に祀られた霊に、時には母の許に帰りなさいと呼び掛ける大江一二三の和歌に作曲したもの。
- ピアノ曲
- 「木の葉集〜信時潔ピアノ全曲集」 ベルウッドレコード BZCS3016 - 花岡千春による演奏。
- ロームミュージックファンデーション 日本SP名盤復刻選集I
- 2003年の『海道東征』再演の際ライブCDが製作された。これは今日でも市販されている(「オーケストラ・ニッポニカ第2集」 ミッテンヴァルト MTWD99012)。
- 『海ゆかば』の録音については、海行かば参照。
教え子
外部リンク
- 信時潔研究ガイド - 信時裕子が制作した研究/資料サイト。『海道東征』等のCD情報もある。
- 信時潔 交声曲《海道東征》曲目解説 - オーケストラ・ニッポニカのサイト
- 《海道東征》歌詞と解説、語註 - 西洋軍歌蒐集館より
- ジネット・ヌヴー協会ジャポン - 信時潔を初めとする日本音楽関係の企画・制作
- 日本キリスト教会 大阪北教会-信時潔の生まれ育った教会
- 神戸市消防局-神戸市消防音楽隊演奏の神戸市歌が聴ける。