「マラパルテ邸」の版間の差分
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'''マラパルテ邸'''(Casa Malaparte、Villa Malaparteとも)は[[イタリア]]の[[作家]]・[[ジャーナリスト]]、[[クルツィオ・マラパルテ]]のための[[住宅]]。[[カプリ島]]の東端、マッスーロ岬に建つ。設計者については、イタリアの[[合理主義]][[建築家]]、[[アダルベルト・リベラ]]によって[[1937年]]頃に[[設計]]されたという説と、マラパルテはリベラの設計案をそのまま採用せず、地元の[[石工]]アミトラーノの助けを借りながら自身が設計・建設したという説との二つがあり、現在は後者のほうが有力となっている。 |
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[[屋上]](「ソラリウム」=日光浴場と呼ばれた)へ向かって幅を広げてゆく大きな[[階段]]を持つ[[組積造]]の赤い箱状の建物本体の上に、白い壁が弧を描いて自立している。曲面壁の内側には何もなく、[[オブジェ]]としての機能しかない。建物の建つ断崖は海面から32メートルもあり、[[サレルノ]] |
[[屋上]](「ソラリウム」=日光浴場と呼ばれた)へ向かって幅を広げてゆく大きな[[階段]]を持つ[[組積造]]の赤い箱状の建物本体の上に、白い壁が弧を描いて自立している。曲面壁の内側には何もなく、[[オブジェ]]としての機能しかない。建物の建つ断崖は海面から32メートルもあり、[[サレルノ湾]]を一望する事ができる。建物へのアプローチは陸側(カプリ市街の方向)からは徒歩で行う。また、ボートから絶壁に彫り込まれた長い階段を登って入る事もできる。 |
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内部の広い居間には4つの大きな窓の窓枠は[[額縁]]の形状に加工されており、木々を通して海を眺む景色を、絵画のように切り取っている。内装は比較的シンプルで、居間の緩やかな曲面を持った[[スタッコ]]製の[[暖炉]]と、愛人の寝室にある青い[[タイル]]張りの[[バスタブ]]が |
内部の広い居間には4つの大きな窓の窓枠は[[額縁]]の形状に加工されており、木々を通して海を眺む景色を、絵画のように切り取っている。内装は比較的シンプルで、居間の緩やかな曲面を持った[[スタッコ]]製の[[暖炉]]と、愛人の寝室にある青い[[タイル]]張りの[[バスタブ]]が装飾的な要素となっている。 |
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マラパルテが[[ムッソリーニ]]によって[[リーパリ|リーパリ島]]へ[[流刑]]に処せられた時、[[監獄]]の窓から見えた[[教会]]の入口の階段が大階段の[[モチーフ]]となっているなど、住宅の各所にマラパルテ自身の原風景が刻みこまれている。事実、マラパルテはこの住宅を、自身の散文「私のような女 (Donna Come Me)」になぞらえて「私のような家 (Casa Come Me)」と呼んでいた。 |
マラパルテが[[ムッソリーニ]]によって[[リーパリ|リーパリ島]]へ[[流刑]]に処せられた時、[[監獄]]の窓から見えた[[教会]]の入口の階段が大階段の[[モチーフ]]となっているなど、住宅の各所にマラパルテ自身の原風景が刻みこまれている。事実、マラパルテはこの住宅を、自身の散文「私のような女 (Donna Come Me)」になぞらえて「私のような家 (Casa Come Me)」と呼んでいた。 |
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クマラパルテが[[1957年]]に死去した後は放置され、荒廃していたが、[[1980年代]]の終わりから[[1990年代]]にかけて大規模な改修工事が行われた。現在は私有されており、一般の見学はできない。 |
クマラパルテが[[1957年]]に死去した後は放置され、荒廃していたが、[[1980年代]]の終わりから[[1990年代]]にかけて大規模な改修工事が行われた。現在は私有されており、一般の見学はできない。 |
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マラパルテ自身 |
マラパルテ自身の波瀾万丈の人生、そしてこの住宅のミステリアスな成り立ちとデザインは、多くの建築家やアーティストを刺激し、これまでに様々な文章として発表されてきた。主な[[エッセイ]]に、[[ジョン・ヘイダック]]、[[トム・ウルフ]]、[[ロバート・ヴェンチューリ]]、[[エミリオ・アンバース]]、[[エットーレ・ソットサス]]、[[マイケル・グレイヴス]]、[[ウィレム・デフォー]]、[[ピーター・アイゼンマン]]、[[磯崎新]]らによるものがある。 |
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[[ジャン・リュック・ゴダール]]監督の[[1963年]]の映画『[[軽蔑 (映画)|軽蔑]]』では主要な[[ロケーション撮影]]が行われた。主演の[[ブリジット・バルドー]]が屋上のテラスで横たわる[[シーン]]は特に有名。 |
[[ジャン・リュック・ゴダール]]監督の[[1963年]]の映画『[[軽蔑 (映画)|軽蔑]]』では主要な[[ロケーション撮影]]が行われた。主演の[[ブリジット・バルドー]]が屋上のテラスで横たわる[[シーン]]は特に有名。 |
2008年8月31日 (日) 14:42時点における版
マラパルテ邸(Casa Malaparte、Villa Malaparteとも)はイタリアの作家・ジャーナリスト、クルツィオ・マラパルテのための住宅。カプリ島の東端、マッスーロ岬に建つ。設計者については、イタリアの合理主義建築家、アダルベルト・リベラによって1937年頃に設計されたという説と、マラパルテはリベラの設計案をそのまま採用せず、地元の石工アミトラーノの助けを借りながら自身が設計・建設したという説との二つがあり、現在は後者のほうが有力となっている。
屋上(「ソラリウム」=日光浴場と呼ばれた)へ向かって幅を広げてゆく大きな階段を持つ組積造の赤い箱状の建物本体の上に、白い壁が弧を描いて自立している。曲面壁の内側には何もなく、オブジェとしての機能しかない。建物の建つ断崖は海面から32メートルもあり、サレルノ湾を一望する事ができる。建物へのアプローチは陸側(カプリ市街の方向)からは徒歩で行う。また、ボートから絶壁に彫り込まれた長い階段を登って入る事もできる。
内部の広い居間には4つの大きな窓の窓枠は額縁の形状に加工されており、木々を通して海を眺む景色を、絵画のように切り取っている。内装は比較的シンプルで、居間の緩やかな曲面を持ったスタッコ製の暖炉と、愛人の寝室にある青いタイル張りのバスタブが装飾的な要素となっている。
マラパルテがムッソリーニによってリーパリ島へ流刑に処せられた時、監獄の窓から見えた教会の入口の階段が大階段のモチーフとなっているなど、住宅の各所にマラパルテ自身の原風景が刻みこまれている。事実、マラパルテはこの住宅を、自身の散文「私のような女 (Donna Come Me)」になぞらえて「私のような家 (Casa Come Me)」と呼んでいた。
クマラパルテが1957年に死去した後は放置され、荒廃していたが、1980年代の終わりから1990年代にかけて大規模な改修工事が行われた。現在は私有されており、一般の見学はできない。
マラパルテ自身の波瀾万丈の人生、そしてこの住宅のミステリアスな成り立ちとデザインは、多くの建築家やアーティストを刺激し、これまでに様々な文章として発表されてきた。主なエッセイに、ジョン・ヘイダック、トム・ウルフ、ロバート・ヴェンチューリ、エミリオ・アンバース、エットーレ・ソットサス、マイケル・グレイヴス、ウィレム・デフォー、ピーター・アイゼンマン、磯崎新らによるものがある。
ジャン・リュック・ゴダール監督の1963年の映画『軽蔑』では主要なロケーション撮影が行われた。主演のブリジット・バルドーが屋上のテラスで横たわるシーンは特に有名。