「ウェイン・ルーニー」の版間の差分
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*2008年6月、コリーン嬢とイタリアにて挙式。結婚式の費用は総額500万ポンド(10億円)、そのうち半分は写真誌との独占契約によってまかなわれた。 |
*2008年6月、コリーン嬢とイタリアにて挙式。結婚式の費用は総額500万ポンド(10億円)、そのうち半分は写真誌との独占契約によってまかなわれた。 |
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*弟の[[ジョン・ルーニー]]もプロサッカー選手。リーグ2(4部相当)の[[マクルスフィールド・タウン]]に所属している。 |
*弟の[[ジョン・ルーニー]]もプロサッカー選手。リーグ2(4部相当)の[[マクルスフィールド・タウン]]に所属している。 |
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*マンチェスター・ユナイテッドのチームメイトである[[リオ・ファーディナンド]]、[[クリスティアーノ・ロナウド]]、[[ウェズ・ブラウン]]に若禿をからかわれているという。<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3823658/ ルーニーの若ハゲがチーム内でネタに]</ref>。 |
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== 出典 == |
== 出典 == |
2008年9月19日 (金) 01:41時点における版
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名前 | ||||||
本名 | ウェイン・マーク・ルーニー | |||||
愛称 | ワッザ、ルーナウド、シュレック | |||||
ラテン文字 | Wayne Mark Rooney | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1985年10月24日(39歳) | |||||
出身地 | リヴァプール | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | マンチェスター・ユナイテッドFC | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2002-2004 2004- |
エヴァートン マンチェスター・U |
67(15) 127(53) | ||||
代表歴2 | ||||||
2003- | イングランド | 46(15) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2008年5月11日現在。 2. 2008年9月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウェイン・ルーニー(Wayne Mark Rooney、1985年10月24日 - )は、イングランド・リヴァプール出身の同国代表サッカー選手。マンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド・プレミアリーグ)でプレー。ポジションはFW。
プレースタイル
強靱なフィジカル、卓越したキープ力を誇りシュートは正確かつ強力。スピード、特に加速力については特筆すべきレベルにあり、「小型戦車」の異名を持つ。その加速力を活かすために、センターフォワードより少し下がり目、セカンドトップとしてのプレイを最も得意とする。下がった位置から始めるドリブルは力強く、ボールを蹴りだし抜群の加速力で相手を抜き去る。攻撃面ではドリブル・シュート以外にもパスという選択肢を持ち、そのパススピードは非常に速い。トラップなどのボールコントロールも高く、一対一の決定力も高い。ダイレクトプレイが得意で、さらに、ロケットターンと言われる敵の逆を突くターン技を持っている。そして何より特筆すべきは、その驚異的なスタミナで、チェルシーのエッシェンやランパード、ACミランのガットゥーゾと比較しても、何ら遜色ない。
メンタル面では非常に気性が荒いことが知られる。危険なファウルや審判への激しい抗議などで局面を選ばずカードを受けてしまうことが多く改善が求められている。しかしそれとは裏腹にプレイにおいてはエゴイズムを感じさせるものは少なく、DFを自分に引き付けてフリーの味方へアシストする場面も度々見られ、また守備の局面でもスタミナを活かし、味方ゴール前まで戻って積極的にボールを奪いにいくことも多い。そのためか不要なファール・警告は、サッカーに対する高いモチベーション、真剣さを持っているが故やむを得ないと擁護する意見も少なくない。
経歴
11歳の誕生日を迎える前にプレミアリーグ、エヴァートンFCに入団。2002-2003年シーズンに16歳でリーグデビューを果たし、さらには当時の記録プレミア史上最年少得点記録となる初ゴール(直後に当時リーズ・ユナイテッド、現ニューカッスル・ユナイテッドFC所属のジェームス・ミルナーが更新)をアーセナルFC戦で記録。その試合でチームが勝利しアーセナルのプレミア無敗記録(当時)を途絶えさせたことから一躍注目を集め、2003年2月には17歳にしてイングランド代表に招集され同国代表最年少出場記録(17歳と111日)を更新する(その後セオ・ウォルコットが17歳と75日で更新)。このシーズンはリーグに33試合出場6ゴール4アシストと主力級の活躍だった。
2003-2004年シーズン中の9月にはEURO2004の予選、対マケドニア戦で同国代表最年少得点記録(17歳と317日)を更新する。この記録は未だ破られていない。このシーズンも主力としてリーグ34試合出場9ゴール3アシストを記録し、EURO2004本選代表に選出された。フランス・スイス・クロアチアと同居したグループステージではスイス戦とクロアチア戦でそれぞれ2ゴールずつ計4ゴールを決めグループステージ突破に貢献するものの、トーナメント1回戦のポルトガル戦で骨折し途中退場。チームもここで敗退した。尚、この時のスイス戦での1点目は当時のEURO最年少得点記録であった(その4日後にスイスのヨハン・フォンランテンがフランス戦で更新)。
EURO2004での活躍の記憶も覚めやらぬ内に、2004年夏の移籍市場終了直前に、エヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍。一部のエヴァートンファンの怒りを買ってしまう。怪我から回復したルーニーは、2003-2004シーズンから再び無敗記録を更新中だったアーセナルとの試合でまたしても自らも得点を挙げてこの記録を49試合でストップさせた。2004-2005年シーズンはリーグ戦で29試合出場、初の2桁得点となる11得点と4アシストをマークした。またチャンピオンズ・リーグの舞台にもデビューしゴールもマークしている。
2005-2006年シーズンはリーグで36試合出場16ゴール10アシスト、押しも押されもせぬレッド・デビルズ(マンUの愛称)のエースとして君臨し、ドイツW杯での活躍も期待されたが、2006年4月29日、対チェルシー戦で右足の甲を骨折し、一時はワールドカップへの出場が絶望視される。しかし驚異的な回復をみせ、グループリーグ第2戦の対トリニダード・トバゴ戦の後半から途中出場した。しかしながら、準々決勝の対ポルトガル戦では、試合中にリカルド・カルヴァーリョの股間を踏んだとして、その試合の主審のオラシオ・エリソンドからレッドカードを受け退場処分になり、得点をできぬまま大会を去ることとなった。この一件ではクラブのチームメイトであるポルトガル代表・クリスティアーノ・ロナウドがルーニーの退場を主審に要求したとして2人の確執が噂された。
2006-2007年シーズンは、リーグに35試合出場14得点13アシスト。確執も噂されたクリスティアーノ・ロナウドとのホットラインも冴え渡り、若返りを図り無冠が続いたチームに4年ぶりのリーグ優勝をもたらし、自身も初のメジャータイトルを獲得した。
2007-2008年シーズンより、チームに加入してからは着けていた背番号8を、10に変更。イングランドではエースストライカーが担う背番号であり、ピークを迎えつつあるチームの名実ともに象徴となる日も近い。シーズンの初戦(対レディングFC)で再び骨折したものの12月には復帰し、リーグ2連覇とチャンピオンズ・リーグ制覇を達成した。この年のクリスティアーノ・ロナウドのシーズン42ゴールが、彼無しでは成し遂げられなかったのは言う間でもない。
エピソード
- 食事は鶏のささみ、パスタをよくとるらしい。
- ウエイトトレーニング(筋トレ)は基本的にしていないらしい。
- 甘党で紅茶にはたっぷり砂糖を入れる。
- 父親は元ボクサー、本人もボクシングをしていた。親戚にもボクサーが多い。
- 元々はGK志望だったが身長があまり高くないため断念した過去がある。
- マンチェスター・ユナイテッドでは加入以来ルーニーがゴールを決めると負けはおろか引き分けさえも無し、すべての試合で勝っているというジンクスが2005年12月まで約1年4ヶ月継続した。
- 18歳で売春婦と関係を持ったと言われ、「遊び人」「暴力的」と揶揄される事もある。だが12歳で出会って交際を始めた幼馴染のコリーン・マクローリン嬢と17歳で婚約しており、女性に関しては意外に純情なのではないかとも思われる。コリーン嬢と同居している家の庭には、等身大の二人の銅像が飾ってある。
- 2007年10月、ウェイン・ルーニーの婚約者であるコリーン嬢は、ギブソン社のチェリー・サンバーストのレス・ポール・モデル(売価およそ45万円のもの)をルーニーの22歳の誕生日プレゼントとする際、ノエル・ギャラガーにサインを入れてくれるよう申し出た。ノエル・ギャラガーはルーニーが所属するマンチェスター・ユナイテッドのライバルであるマンチェスター・シティの熱狂的ファンとして広く知られていたが、これを絶好の機会と考えて快諾。バンドのギター・テクニシャンに命じてこれをマンチェスター・シティのイメージカラーである空色に塗り直させ、マンチェスター・シティのクラブ・アンセムである「ブルー・ムーン」の歌詞を直々にボディ・トップに書き込んでルーニーに届けさせた。ルーニーはこれを見て笑顔を浮かべたものの、さすがに自宅にこれを置いておくわけにもいかず、チャリティ・オークションに出品した[1]。
- 2008年6月、コリーン嬢とイタリアにて挙式。結婚式の費用は総額500万ポンド(10億円)、そのうち半分は写真誌との独占契約によってまかなわれた。
- 弟のジョン・ルーニーもプロサッカー選手。リーグ2(4部相当)のマクルスフィールド・タウンに所属している。
- マンチェスター・ユナイテッドのチームメイトであるリオ・ファーディナンド、クリスティアーノ・ロナウド、ウェズ・ブラウンに若禿をからかわれているという。[2]。
出典
トラブル
- 2005年9月、欧州チャンピオンズリーグのビジャレアル戦で警告を出した審判に暴言と手を叩く侮辱的行為を行いその場で二枚目の警告を宣告され退場した。「レッドカード二枚に値する」と審判はコメントしている。
- ギャンブル好きで 2006年にはブックメーカーで約1億4000万円の損失を被ったと報道された。
- 2006年7月、ドイツワールドカップ決勝トーナメントでリカルド・カルヴァーリョの股間を踏み付け、退場処分となる。FIFAから二試合の出場停止処分を受ける。
- 2006年9月、ブラックバーン・ローヴァーズFCのDFマイケル・グレイとナイトクラブで遭遇。婚約者とその女友達を侮辱する発言に激怒し、顔面を殴打した。
所属クラブ
- 2002年-2004年 エヴァートンFC
- 2004年- マンチェスター・ユナイテッドFC
主な記録
- 2002年8月17日 - プロデビュー(対トッテナム戦)
- 2002年10月19日 - プロ初ゴール(対アーセナル戦)
- 2003年3月12日 - A代表初出場 (親善試合) - オーストラリア代表戦
- 2003年9月6日 - A代表初ゴール - マケドニア代表戦
- イングランド代表史上最年少ゴール記録(17歳317日)
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2002-03 | エヴァートン | 18 | プレミア | 33 | 6 | ||||||
2003-04 | エヴァートン | 18 | プレミア | 34 | 9 | ||||||
2004-05 | マンチェスター・U | 8 | プレミア | 29 | 11 | ||||||
2005-06 | マンチェスター・U | 8 | プレミア | 36 | 16 | ||||||
2006-07 | マンチェスター・U | 8 | プレミア | 35 | 14 | ||||||
2007-08 | マンチェスター・U | 10 | プレミア | 27 | 12 | ||||||
通算 | イングランド | プレミア | 167 | 56 | |||||||
総通算 | 167 | 56 |
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