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株式会社'''あさひ銀行'''(あさひぎんこう、[[英語|英称]]:''The Asahi Bank, Ltd.'')は、[[2003年]]まで存在した[[都市銀行]]。現在の[[りそな銀行]]、[[埼玉りそな銀行]]の前身。関東を基盤とする都市銀行であった[[協和銀行]]と、[[埼玉県]]を地盤とする[[埼玉銀行]]が[[1991年]]に合併して'''協和埼玉銀行'''となり、翌年の[[1992年]]に商号変更した。 |
株式会社'''あさひ銀行'''(あさひぎんこう、[[英語|英称]]:''The Asahi Bank, Ltd.'')は、[[2003年]]まで存在した[[都市銀行]]。現在の[[りそな銀行]]、[[埼玉りそな銀行]]の前身。関東を基盤とする都市銀行であった[[協和銀行]]と、[[埼玉県]]を地盤とする[[埼玉銀行]]が[[1991年]]に合併して'''協和埼玉銀行'''となり、翌年の[[1992年]]に商号変更した。 |
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存続会社は協和銀行で、[[金融機関コード]]は協和銀行と同じ0006。本店も協和銀行本店である[[東京都]][[千代田区]]大手町一丁目(現在の[[りそな銀行]]東京営業部)に置かれ、通帳キャラクターの[[ナインチェ・プラウス|ミッフィー]]も協和銀行から引き続いて使用された。また埼玉銀行を継承し、[[埼玉県]]の[[指定金融機関]]であった。 |
存続会社は協和銀行で、[[金融機関コード]]は協和銀行と同じ0006。本店も協和銀行本店である[[東京都]][[千代田区]]大手町一丁目(現在の[[りそな銀行]]東京営業部)に置かれ、通帳キャラクターの[[ナインチェ・プラウス|ミッフィー]]も協和銀行から引き続いて使用された。また埼玉銀行を継承し、[[埼玉県]]の[[指定金融機関]]であった。あさひ銀行は、埼玉県との密接な関係を構築するために、埼玉県内におけるあさひ銀行の封筒には「彩の国とともに」というキャチフレーズが印刷されていた。 |
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[[リテール]]に強い地域密着型都銀として独自性を打ち出したが、資産規模の小ささや収益性の低さを解消するため、他行との提携・統合を模索することになった。[[2000年]]には[[東海銀行]](後の[[UFJ銀行]]→[[三菱東京UFJ銀行]])との2行統合、[[2001年]]には東海銀行・[[三和銀行]](後のUFJ銀行→三菱東京UFJ銀行)との3行統合の方針を発表したが、行内の旧協和・旧埼玉の対立による経営方針の混乱などからいずれも頓挫した。しかし中間配当を見送り株価が70円台まで暴落するなど経営状況は深刻で、何度も経営破綻が噂された。結局あさひと同様金融再編に出遅れる形となっていた[[大和銀行]]との統合案が持ち上がると、一気に話は進展した。 |
[[リテール]]に強い地域密着型都銀として独自性を打ち出したが、資産規模の小ささや収益性の低さを解消するため、他行との提携・統合を模索することになった。[[2000年]]には[[東海銀行]](後の[[UFJ銀行]]→[[三菱東京UFJ銀行]])との2行統合、[[2001年]]には東海銀行・[[三和銀行]](後のUFJ銀行→三菱東京UFJ銀行)との3行統合の方針を発表したが、行内の旧協和・旧埼玉の対立による経営方針の混乱などからいずれも頓挫した。しかし中間配当を見送り株価が70円台まで暴落するなど経営状況は深刻で、何度も経営破綻が噂された。結局あさひと同様金融再編に出遅れる形となっていた[[大和銀行]]との統合案が持ち上がると、一気に話は進展した。 |
2008年9月22日 (月) 04:01時点における版
株式会社あさひ銀行(あさひぎんこう、英称:The Asahi Bank, Ltd.)は、2003年まで存在した都市銀行。現在のりそな銀行、埼玉りそな銀行の前身。関東を基盤とする都市銀行であった協和銀行と、埼玉県を地盤とする埼玉銀行が1991年に合併して協和埼玉銀行となり、翌年の1992年に商号変更した。
存続会社は協和銀行で、金融機関コードは協和銀行と同じ0006。本店も協和銀行本店である東京都千代田区大手町一丁目(現在のりそな銀行東京営業部)に置かれ、通帳キャラクターのミッフィーも協和銀行から引き続いて使用された。また埼玉銀行を継承し、埼玉県の指定金融機関であった。あさひ銀行は、埼玉県との密接な関係を構築するために、埼玉県内におけるあさひ銀行の封筒には「彩の国とともに」というキャチフレーズが印刷されていた。
リテールに強い地域密着型都銀として独自性を打ち出したが、資産規模の小ささや収益性の低さを解消するため、他行との提携・統合を模索することになった。2000年には東海銀行(後のUFJ銀行→三菱東京UFJ銀行)との2行統合、2001年には東海銀行・三和銀行(後のUFJ銀行→三菱東京UFJ銀行)との3行統合の方針を発表したが、行内の旧協和・旧埼玉の対立による経営方針の混乱などからいずれも頓挫した。しかし中間配当を見送り株価が70円台まで暴落するなど経営状況は深刻で、何度も経営破綻が噂された。結局あさひと同様金融再編に出遅れる形となっていた大和銀行との統合案が持ち上がると、一気に話は進展した。
2002年3月、大和銀ホールディングス(前年末に大和銀行・近畿大阪銀行・奈良銀行の株式移転により設立、現在のりそなホールディングス)との株式交換により同社の完全子会社となった。2003年3月、グループ内再編により埼玉県内の営業を埼玉りそな銀行へ継承、自身は大和銀行と合併してりそな銀行となった。
1996年に設立された子会社・あさひ信託銀行は、営業の一部を大和銀信託銀行(現・りそな信託銀行)に譲渡した上で、2002年10月に大和銀行に吸収合併された。
最後の頭取となった梁瀬行雄は、りそなホールディングスの2代目社長が内定していたが、事実上の国有化に伴い、HD副社長のまま引責辞任となった。後にオリックスに入り、現在は社長に就任している。