「反核運動」の版間の差分
→反核運動の中立性: 北朝鮮の核実験は2006年10月。2006年8月6日の平和宣言は実験前。「実験以後」ではないので2006年を削除。 |
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核兵器の製造・所有を宣言後の[[2006年]]、そして北朝鮮が核実験を行って以降の[[2007年]]、[[2008年]]と秋葉広島市長は平和宣言で北朝鮮に言及せず、米国ブッシュ政権の批判や米国の反核ばかりを語っていたため、2009年8月5日の産経新聞主張や、また読売新聞社説でも秋葉の姿勢は批判された。2009年の8月6日の平和宣言では秋葉は北朝鮮の核に言及した。 |
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[[2006年]]8月9日の長崎平和宣言で[[伊藤一長|伊藤]]市長は逆に全ての核保有国及び保有の疑いのある国の名をあげて核廃棄を求めた。ここでは、核保有7カ国や北朝鮮だけでなく、イスラエル、イランにも言及している。<!--この姿勢は、広島の秋葉市長と対照的に、中立であるとの評価もある。:誰が評価したのでしょう?出典の明記をお願いします。->> |
2009年9月9日 (水) 08:44時点における版
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反核運動(はんかくうんどう、英:anti-nuclear movement)とは、核兵器の開発・保有・使用・拡散に反対し、更には全世界から核兵器を廃絶していく運動(核廃絶運動)のこと。
概要
反核運動は、核技術の使用に反対する、国際的に緩やかに連携する社会運動である。中心となるテーマは核兵器への反対(核軍縮、核兵器廃絶)だが、以下の課題も含むことがある。
世界の反核運動
アメリカによる原爆開発計画の過程で発生した、核兵器の使用に関する議論は以下を参照。
国際的な核兵器の制限・禁止の動向は以下を参照。
日本の反核運動
日本の組織的反核運動は、第五福竜丸の被曝を契機に杉並区の主婦たちから運動から始まった。
- 1955年8月6日に広島市で行われた第1回原水爆禁止世界大会(鳩山首相祝辞)の準備委員会における被爆者を中心とする国民運動が元となって、同年9月1日に広島市長らを中心に原水協が発足した。原水協の基本方針は「あらゆる国のあらゆる核に反対する、ただ一点での結集」であった。
- 1961年、ソ連の核実験を機に民社党系の核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議、松下正寿議長)が分裂発足。さらにソ連の核を容認する日本共産党が中心となり、1964年に原水協から広島市長らを除名。1965年に全ての核に反対する原水禁が、原水協から独立して発足した。この分裂を期に被爆者団体である日本被団協も分裂し、これを嫌った被爆者の8割が被団協を退会した。
核廃絶を求める反核運動は政府や自治体が主体となって行っているものもある。
- 広島市、長崎市などの被爆都市自治体は核廃絶を求め、世界市長会議等で積極的に反核運動を推し進めている。
- 日本政府は1994年以降、国連軍縮委員会に毎年、核軍縮決議案を提出してきたが、2001年11月5日の国連軍縮会議では、日本政府が提案していた核廃絶決議案「核兵器の全面的廃絶への道程」が賛成多数で採択。決議案が国連総会の本会議に上程され、無修正で採択された。核兵器国は、英・仏が賛成、中・露が棄権、米は反対。反対国は、米・印の2ヶ国。棄権国は、中・露のほか、ブラジル、南ア、スウェーデン、アイルランド、メキシコ、エジプト、ニュージーランド、北朝鮮、キューバ、イスラエル、イラン、ミャンマー、パキスタン等。 共同提案国は、日本、豪、レバノン、フィジー、パプアニューギニアの5ヶ国であった。
反核運動の核廃絶啓蒙活動
広島国際文化財団は、反核運動を世界に広める被爆六十年プロジェクト「広島世界平和ミッション」として核保有国や紛争地へ中国新聞記者とともに原水禁系広島被団協の被爆者や若者らを派遣。原爆被害の実態や、悲惨な体験の中から広島市民、県民が歴史の教訓として学び、はぐくんできた「平和と和解の精神」を直接人びとに伝える運動を行い、南アフリカ、イラン、中国、フランス、イギリス、ウクライナ、ロシア、インド、パキスタン、米国を訪れたが、中国においては核廃棄運動への協力の呼びかけに「日本は反省していない。原爆資料館にも日本軍の加害の記録が展示されていない。協力できない。無理だ」と面会した南京大虐殺記念館館長に拒絶されたことが中国新聞に掲載された。
1999年に広島原水禁と広島被団協は平壌にて原爆展を開催し、被爆被害の現実を訴え核兵器反対を北朝鮮政府高官に直接要求した。平壌市民の原爆展を見ての感想は「作りものではないか」であり北朝鮮政府高官の返答は「核兵器は持たない」というものであった。
2006年11月1日、2日に広島から核廃棄と平和のメッセージを発信する「広島国際平和会議2006」が開催されダライ・ラマが核廃絶と世界平和を訴えた。
反核運動の中立性
岩間正男参議院議員(当時、日本共産党所属)は1964年10月30日の参議院予算委員会において中国の核実験について「(略)このたびの核実験によって少なくとも次のような大きな変化が起こっております。(略)世界の四分の一の人口を持つ社会主義中国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。元来、社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。(略)」と発言をしている(出展:国会議事録)。この発言は中立でないとの意見がある。事実、この発言に見られるように、ソ連が核兵器を保有して以降、社会主義国の核兵器を容認している共産党系の執行部に対し、全ての核兵器の廃棄を求める広島市長らを中心とするグループの不信感がつのり、1962年の原水爆禁止世界大会ではついに「全ての核に反対」の文言が基調報告に入れられず以後2年の対立の果てに「核戦争の根源である米帝国主義を日本やアジアから追い出せ」とする共産党系と、「あらゆる国の核実験に反対する幅広い運動を起こせ」とする広島市長、社会党(当時)系に運動は分裂し現在に至っている。
2004年8月6日の広島平和宣言で秋葉市長は「米国の自己中心主義はその極に達しています。国連に代表される法の支配を無視し、核兵器を小型化し日常的に「使う」ための研究を再開しています。」と米国のみを批判している。 この発言も中立でないとの批判意見が産経新聞の社説に掲載された。だが実際にCTBT発効以降で核保有国でこのような計画の実施を公言しているのは米国のみであり当然との声も中国新聞に掲載された。 2005年の広島平和宣言では北朝鮮の核に対して言及したが、日本の国益を考えて北朝鮮の核に対してのみ厳しせよとの批判を産経新聞の社説で受けた。
2005年2月10日に北朝鮮が核兵器の製造・所有を宣言したときに、原水禁や、広島・長崎両市はこれに対して抗議したが、原水協は抗議していない。
核兵器の製造・所有を宣言後の2006年、そして北朝鮮が核実験を行って以降の2007年、2008年と秋葉広島市長は平和宣言で北朝鮮に言及せず、米国ブッシュ政権の批判や米国の反核ばかりを語っていたため、2009年8月5日の産経新聞主張や、また読売新聞社説でも秋葉の姿勢は批判された。2009年の8月6日の平和宣言では秋葉は北朝鮮の核に言及した。
2006年8月9日の長崎平和宣言で伊藤市長は逆に全ての核保有国及び保有の疑いのある国の名をあげて核廃棄を求めた。ここでは、核保有7カ国や北朝鮮だけでなく、イスラエル、イランにも言及している。
反核団体
主要な団体として日本共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)と社会民主党系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)。被爆者の反核団体日本原水爆被害者団体協議会(被団協、日本被団協)があり、これもそれぞれ原水協系、原水禁系に分裂している。
活動は低調だが民社党系の核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)も存在する。
アメリカの「核の傘」を是認する立場から、自由民主党系の団体は存在しない。
反核団体の活動範囲
反核団体には核兵器廃絶運動以外に被爆者援護(チェルノブイリなどの被曝者援護も)や反戦運動などの活動も行っているものもある。
- 原子力発電などの核の平和利用については団体ごとに対応が違う。
- 原水禁は原子力発電所にも事故時の危険性や軍事転用を理由に反対している。
- 原水協は核エネルギーの利用に一定の可能性を認めつつも、現段階では全原発の停止と総点検を主張している。新設には反対。
- 核禁会議は原発・原子力エネルギー開発を核の平和利用として推進すべきと主張している。
- それぞれの政治的立場から核兵器廃絶運動とは無関係な政党色に影響された運動も行っている団体もある。
- 原水協は、日米安保条約反対運動を積極的に行なっている。また、靖国神社公式参拝に抗議声明を出すなど、戦争責任問題にも取り組んでいる。
- アメリカのイラク戦争や、核兵器とは無関係な日本の有事3法案についても抗議声明を出した反核団体がある。
- 核禁会議は北朝鮮拉致問題や北方領土問題、憲法改定問題などにも取り組んでいる。
- 原水協は「有事法制」「米艦船入港」「イラク戦争」等に抗議を行っている。
- 核物質を使用する兵器である劣化ウラン弾にも抗議する団体もある。
- 非人道的な兵器として、対人地雷などに対する抗議をしている団体もある。
- 化学兵器・生物兵器についても「ABC兵器」「NBC兵器」と一括して批判していることもある。
反核運動の効果
1955年以来、反核運動にとりくんできた。が、核保有五大国は核放棄しようとはせず、逆にインド、パキスタンが核兵器を保有し、北朝鮮が新たに核実験を新たに行ったりと核廃絶にはほど遠いのが現状である。 但し、核保有国が核兵器を放棄した例が無いわけではなく、南アフリカ共和国が1990年に密かに保有していた核兵器を完全に放棄した。また、リビアなど核兵器の開発計画を放棄した国もある。ベルギーのように非核三原則を法制化しようとする動きもある。
北朝鮮の核開発、核実験に対する各団体の対応
2002年10月に北朝鮮が核兵器の開発について言及したとの報道があった。これに対して、原水禁は核開発に断固「抗議」する声明[1]を同月発表した。一方、原水協は核開発放棄を「要求」するとした声明[2]を翌年の1月付けで発表した。 2006年10月に北朝鮮が核実験の予告の声明を発表した。これに対して、原水禁は断固「抗議」する声明[3]を発表した。一方、原水協は核実験を行わないことを「要求」するとした談話[4]を発表した。 2006年10月9日に北朝鮮が核実験を行うとそれぞれの団体が一斉に抗議した。 広島県原水禁、県被団協等12団体でつくる「核兵器廃絶広島平和会議」は平和記念公園原爆慰霊碑前に170人が座り込み抗議した。広島県原水協など8団体も同じく110人が座り込み「核拡散防止条約を無視した暴挙」と激しく抗議した。
- 憲法を守る東広島地区協議会と東広島平和を願う会21人は東広島市役所前で抗議の座り込みをした。
- 三良坂平和を願う会25人は三良坂平和公園で抗議の座り込みをした。
- 原水爆禁止長崎県民会議など五団体は北朝鮮に核開発計画の放棄を求める要請文を北朝鮮に送るとともに長崎平和公園で70人が座り込みをして核実験に抗議し中崎幸夫会長が「北朝鮮が核兵器を持つことは容認できない。アジアの人々を巻き込みかねない暴挙」として北朝鮮に強く抗議する声明を発表。
- 日本被団協は朝鮮総連に対して抗議メールを送付。「人類絶滅兵器を持つ意思の表明に他ならない」として強く非難し核開発・実験の断念を強く求める。
- 原水禁国民会議とフォーラム平和・人権・環境は「東北アジアの非核と安全保障を揺るがすもので、断じて許すことは出来ない」とする抗議文を金正日宛に送付。
- 世界平和アピール7人委員会が北朝鮮の核実験に抗議と再実験の反対アピール発表。
広島県知事、広島市長、広島県内市長も抗議声明を発表し抗議文を北朝鮮に送った。
- 藤田雄山広島県知事は「再び世界の核兵器開発競争を誘発することにつながりかねず極めて遺憾」と抗議。
- 秋葉忠利広島市長は「実験の強行は容認できない。全ての核兵器と核計画を即刻放棄すべきである」として抗議。
- 藤田博之広島市議会議長は「世界の緊張状態を増幅させ、新たな核拡散を誘発する」として抗議。
- 小村和年呉市長は「国際社会の平和と安全に対して脅威となる」として抗議。
- 羽田皓福山市長は「断じて許すことの出来ない行為であり強く憤りを覚える」として実験強硬を「暴挙」と断じて抗議。
- 蔵本久福山市議会議長も「断固抗議する」として抗議文を郵送。
- 山下三郎廿日市市長(被爆者)は「被爆者をはじめ核廃絶、恒久平和を願う人たちの思いを踏みにじる行為」として抗議。
- 曽根薫江田島市長(被爆者)は「市民を代表し、被爆者の一人として強く抗議する」。
- 滝口李彦庄原市長は「北朝鮮の主張は全く理解できない」と強く抗議。
- 蔵田義雄東広島市長と下村昭治市議会議長は連名で「北東アジアの平和と安全に対する脅威」と非難。
- 入山欣郎大竹市長は「他国の核兵器開発を助長する」と憂慮。
- 伊藤吉和府中市長は「核開発の即刻中止」を要望。
- 五藤康之三原市長は「核兵器のない世界を求める国際社会の願いを誠実に受け止めて欲しい」と要望。
- 亀田良一尾道市長は「一切の核実験を中止すべきだ」と強く求めるとして抗議。
- 小坂政司竹原市長は「核廃絶に取り組むよう強く要請する」として抗議。
長崎市は「核兵器の真の恐怖を経験した被爆地は大きな憤りを覚える。貴国の愚行によって引き起こされる危機的状況を深く憂慮する」とした抗議文を送付。
在日本大韓民国民団広島県地方本部は「核実験は南北統一の願いを踏みにじる行為」と北朝鮮の核実験に抗議声明を発表した。丁基和事務局長らは組織として平和公園での抗議の座り込みに参加。
李実根在日本朝鮮人被爆者協議会会長は「被爆者の願いに反する行動は許せない」とする一方で「北東アジアに覇権を確立するという米国の狙いを見据える冷静さも必要」と指摘する声明を発表した。