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==社会批判における「批評」== |
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政治理論の文脈においては、マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでのcritiqueの継承が見られる |
政治理論の文脈においては、マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでの critique の継承が見られる(ユルゲン・ハバーマスなど)。また、ミシェル・フーコーとアラスデア・マッキンタイアの権力批判も、そのやり方は著しく異なるものの、社会批判(social critique)の文脈にある。 |
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==文芸批評における「批評」== |
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critique は、美学あるいは文学理論においても用いられる。そこでのcritiqueとは、主に詩、絵画、遊びなどの「作品批評」を意味する。この場合、批評とはより幅を広く取って、「ある作品の出来・品質・良し悪し(quality)についてのあらゆる議論」を指すことになる。 |
2010年2月16日 (火) 05:03時点における版
「批評」の歴史的位置づけと現在
批評(英:critique)という語は、ギリシャ語のkritik(κριτικ,何らかのモノの価値についての「洞察ある判断」)の語に由来する。
哲学の文脈では、イマニュエル・カントが「人間の認識能力に関する限界や妥当性についての反省的な考察」という意味でKritik(独語)を用いた。この文脈ではcritiqueは「批評」ではなく「批判」となる。しかし、critiqueは「批評」「批判」どちらの意味合いも含む。
さらに今日の現代哲学におけるcritique(批判・批評) というタームは、
- 「概念(concept)・理論(theory)・研究の方法論や原理(discipline)、あるいはそれらを用いた具体的な分析手段(approach)などについての諸条件や因果関係に対して体系的な問いを立てること」
- 「またそうした概念・理論・方法論・分析手段の限界や妥当性を理解しようと努めること」
というような意味に拡張されている。
このような現代的意味におけるcritical(批判的・批評的)なアプローチと対立する思考法を「ドグマ的アプローチ」、すなわち、「独善的に決められた法則を、決して疑わないような思考法」と呼ぶ。
社会批判における「批評」
政治理論の文脈においては、マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでの critique の継承が見られる(ユルゲン・ハバーマスなど)。また、ミシェル・フーコーとアラスデア・マッキンタイアの権力批判も、そのやり方は著しく異なるものの、社会批判(social critique)の文脈にある。
文芸批評における「批評」
critique は、美学あるいは文学理論においても用いられる。そこでのcritiqueとは、主に詩、絵画、遊びなどの「作品批評」を意味する。この場合、批評とはより幅を広く取って、「ある作品の出来・品質・良し悪し(quality)についてのあらゆる議論」を指すことになる。