「阿沼美神社」の版間の差分
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*通りを南に一つ隔てた[[曹洞宗]]江勝山[[雲祥寺]]は、明治4年([[1871年]])の[[神仏分離|神仏分離令]]が出るまで、阿沼美神社の[[別当寺]]として社僧が仕えていたとある。 |
*通りを南に一つ隔てた[[曹洞宗]]江勝山[[雲祥寺]]は、明治4年([[1871年]])の[[神仏分離|神仏分離令]]が出るまで、阿沼美神社の[[別当寺]]として社僧が仕えていたとある。 |
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*[[拝殿]]内には、旧伊予松山藩藩主の嫡流で元愛媛県知事の[[久松定武]]が揮毫した社号の額面が掲げられている。 |
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*6月30日の夏越大祓式と7月24日の味酒天神祭宵宮には、隣接する萱町商店街で輪越夜市、天神夜市が夕方より開催され露店が出店し多くの人が集まる。 |
*6月30日の夏越大祓式と7月24日の味酒天神祭宵宮には、隣接する萱町商店街で輪越夜市、天神夜市が夕方より開催され露店が出店し多くの人が集まる。 |
2010年6月30日 (水) 19:54時点における版
阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社である。味酒町と平田町に同名の神社があり、それぞれ式内社「阿沼美神社」であることを主張するが、いずれも確証を欠く。
阿沼美神社は延喜式神名帳では名神大社に列する。「阿治美神社」と書かれた写本もあり、「アジミ」と訓がつけられている。「アジミ」は熱水(あつみ)で、温泉の意味という説もある。温泉郡四座の中で唯一の大社であったが、早くに衰微し、その所在はわからなくなっていた。
天保4年(1833年)平田村の三島新宮社前から南北朝時代の「阿沼美宮」の石額が見つかり、翌年、阿沼美神社と改称した。しかし平田村が温泉郡ではなく和気郡に属するところから疑義が出され、温泉郡味酒村の味酒神社との間で論争となった。味酒神社は明治3年(1870年)県社に列格し、社号を阿沼美神社に改めた。
阿沼美神社(味酒町)
阿沼美神社 | |
---|---|
所在地 | 愛媛県松山市味酒町3-1-1 |
位置 | 北緯33度50分45.7秒 東経132度45分23秒 / 北緯33.846028度 東経132.75639度 |
主祭神 | 大山積命 |
社格等 |
式内社(名神大) 県社 |
創建 | 天智天皇3年(664年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 |
10月5日宵宮祭 10月6日古式之例大祭 10月7日神幸祭(後宮祭) |
主な神事 |
6月30日夏越大祓式(輪越) 7月25日味酒天満神社例大祭 |
祭神
合祀
由緒
神紋は、河野氏の家紋である、傍折敷角切縮三文字。
- 社伝によれば、越智守興が天智天皇3年(664年)に創建したとされる。味耳命の後裔である久米氏の氏神でもあったという。
- もとは現在松山城がある勝山の頂上にあり、勝山三島大明神とも称していた。慶長7年(1602年)加藤嘉明が松山城を築く際、味酒村に移されたことから味酒神社と称するようになった。
- その後も歴代松山藩主から篤く崇敬された。当時、味酒神社の行宮所は堀之内の西ノ馬場と城山東麓の杉谷にあり、それぞれ松山城の裏鬼門・表鬼門とされていた。
- 元禄14年(1701年)に社殿を改造するとある。
- 明治3年(1870年)式内社・阿沼美神社とされて県社に列格し、社号を旧称の阿沼美神社に復した。
- 昭和20年(1945年)7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失した。
- 昭和32年(1957年)8月、鉄筋コンクリートの社殿が完成した。
社殿横の碑には、「式内名神大阿沼美神社」とあり、裏面に「人皇第六十代醍醐天皇の御宇これの御社を延喜の式にものされしより今年明治三十三年(1900年)は千年になりぬるを以て四月七日より三日の大祭典を執行ひて産子の人等これを建て待るなん。社祠田内逸有謹識、工師月輪謹刻」とある。
境内社
境内東側、本殿側より
- 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
- 祭神は大物主命。
- 味酒天満神社(みさけてんまんじんじゃ)
- 勝山八幡神社(かつやまはちまんじんじゃ)
- 伊余夷子神社(いよえびすじんじゃ)
- 祭神は蛭子命。
境内西側
- 稲荷神社
- 祭神は宇迦之御魂神
その他
- 10月7日の神幸祭には、雷神の千木神輿(金色の神明造り型)、大山積命の八角大神輿(金色の高御座型))、高龗神の四角大神輿(黒色の通し屋根型(一般的な四角形の神輿))の順で三体の神輿が宮出しされ、そのうち四角、八角の二体の喧嘩神輿(鉢合わせ)で知られる。往古は、八角が村方(農民)、四角は町方(町民)が担ぐとされていたという。(四角会大神輿)
- 6月30日の夏越大祓式と7月24日の味酒天神祭宵宮には、隣接する萱町商店街で輪越夜市、天神夜市が夕方より開催され露店が出店し多くの人が集まる。
アクセス
周辺施設
阿沼美神社(平田町)
阿沼美神社 | |
---|---|
本殿 | |
所在地 | 愛媛県松山市平田町宮内983 |
位置 | 北緯33度53分18秒 東経132度45分17秒 / 北緯33.88833度 東経132.75472度 |
主祭神 | 大山祇神 |
社格等 |
式内社(名神大) 郷社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月4日 |
概要
社伝によれば、当地は景行天皇の皇子で伊予御村別氏の祖である武国凝別命、日本武尊の子で伊予別君の祖である十城別王が居住した場所で、歴代の伊予別君が阿沼美神を祀っていたとされる。
その後、河野氏が大山祇神を合祀して「阿沼美三島大明神」と改め、後に「阿沼美三島新宮」と称した。しかし、河野氏滅亡後は単に「三島新宮」と呼ばれるようになったという。
天明2年(1782年)本殿より「阿沼美三島新宮」という棟札が見つかった。さらに天保4年(1833年)社前にある神橋の地下から、延文5年(1360年)のものとされる「阿沼美宮」と彫られた石額が掘り出された。そこで、翌天保5年(1834年)吉田家から式内社・阿沼美神社とする裁許を受け、社号を改めた。
祭神
- 大山祇命
- 月読命
- 高龗命
- 雷神
境内社
- 貴布祢神社・十六皇子神社・神殿神社合殿
- 阿奈波大明神・稲荷神社・多賀大神宮合殿