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「森野 (町田市)」の版間の差分

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* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] 町村制施行。森野村と原町田村・本町田村・南大谷村が合併し、南多摩郡[[町田市 |町田村]]大字森野となる。
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] 町村制施行。森野村と原町田村・本町田村・南大谷村が合併し、南多摩郡[[町田市 |町田村]]大字森野となる。
* [[1893年]](明治26年)4月1日 神奈川県のうち、[[西多摩郡]]、南多摩郡、[[北多摩郡]]を[[東京府]]に移管。東京府南多摩郡町田村大字森野となる。
* [[1893年]](明治26年)4月1日 神奈川県のうち、[[西多摩郡]]、南多摩郡、[[北多摩郡]]を[[東京府]]に移管。東京府南多摩郡町田村大字森野となる。
* [[1913年]]([[大正]]2年)[[4月1日]] 町田村が町制施行し'''町田町'''となる。
* [[1913年]]([[大正]]2年)[[4月1日]] 町田村が町制施行し'''[[町田町]]'''となる。
* [[1938年]]([[昭和]]13年)[[7月1日]] [[東京都制]]により、東京都南多摩郡町田町大字森野となる。
* [[1938年]]([[昭和]]13年)[[7月1日]] [[東京都制]]により、東京都南多摩郡町田町大字森野となる。
* [[1954年]](昭和29年)[[4月1日]] 町田町と[[南村]]が対等合併する。
* [[1954年]](昭和29年)[[4月1日]] 町田町と[[南村 (東京都)|南村]]が対等合併する。
* [[1958年]](昭和33年)[[2月1日]] [[町田町]]、[[忠生村]]、[[鶴川村]]、[[堺村]]の1町3村が対等合併し、[[市制]]施行。町田市森野となる。
* [[1958年]](昭和33年)[[2月1日]] [[町田町]]、[[忠生村]]、[[鶴川村]]、[[堺村]]の1町3村が対等合併し、[[市制]]施行。町田市森野となる。
* [[1964年]](昭和39年)[[6月1日]] 森野、原町田、南大谷、金森、高ヶ坂のそれぞれ一部で住居表示を実施、原町田一~六丁目を新設。
* [[1964年]](昭和39年)[[6月1日]] 森野、原町田、南大谷、金森、高ヶ坂のそれぞれ一部で住居表示を実施、原町田一~六丁目を新設。

2010年8月10日 (火) 03:05時点における版

日本 > 関東地方 > 東京都 > 町田市 > 森野 (町田市)

森野(もりの)は、東京都町田市の地名。一丁目〜六丁目からなる。一丁目〜五丁目までは住居表示区域、六丁目は地番区域である。郵便番号は194-0022。人口は12,658人(2010年3月現在、住民基本台帳による [1])。

地理

町田市中部に位置する。東は原町田中町、西は木曽東、南は神奈川県相模原市南区上鶴間本町、鵜野森、古淵、北は旭町と接している。

河川

歴史

江戸時代は地頭旗本須藤氏の知行地であったと考えられる。絶えず知行地の入れ替わる地頭旗本の中で、江戸時代を通して森野村を知行地とした須藤氏は稀有な存在だという[2]。現在は大部分が住宅地となっている。2012年6月に森野二丁目、町田市民ホールの西側に町田市役所の新庁舎が完成する予定。

地名の由来

かつては「森村」と書いて「もりのむら」と読んだが、江戸時代頃から「野」の字を入れて「森野村」と称するようになった[3]。或いは、かつては「森村」と称したが、本町田・原町田・木曽・森、4村の間の入会の草刈場・相之原のうち、森村に近い所を森野と称するようになったからともいう[4]

沿革

交通

鉄道

横浜線小田急小田原線町田駅

路線バス

道路・橋梁

施設

行政
  • 町田市役所森野分庁舎
官公署
  • 町田簡易裁判所
  • 町田区検察庁
  • 東京法務局町田出張所
  • 町田公共職業安定所
文化
  • 町田市民ホール
教育
警察
  • 森野交番
郵便局
  • 町田森野郵便局
神社
  • 妙延寺

出典

  1. ^ 町田市の世帯と人口 2010年|町田市
  2. ^ 町田の歴史をさぐる編修委員会『町田の歴史をさぐる』、1978年
  3. ^ 町田の地名のいわれ 1993
  4. ^ 平凡社『東京都の地名』、2002年

関連項目

外部リンク