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テレビアニメーション以外でも、個人のアニメーション作家としても活動した相原信洋、[[アニメーション]][[同好会]]アニドウ(アニ同)代表の[[なみきたかし]]、後に評論家となる五味(富沢)洋子なども在籍していた。1975年からは[[瑞鷹 (アニメ制作会社)|ズイヨー映像]]の[[アルプスの少女ハイジ]]で仕事を共にしたアニメーション監督の[[高畑勲]]を招いて[[宮沢賢治]]原作の「[[セロ弾きのゴーシュ]]」を7年がかりで自主製作で長編アニメ化。これにより、[[1981年]]の毎日映画コンクール[[大藤信郎賞]]が、OH!プロダクションに対して贈られている。
テレビアニメーション以外でも、個人のアニメーション作家としても活動した相原信洋、[[アニメーション]][[同好会]]アニドウ(アニ同)代表の[[なみきたかし]]、後に評論家となる五味(富沢)洋子なども在籍していた。1975年からは[[瑞鷹 (アニメ制作会社)|ズイヨー映像]]の[[アルプスの少女ハイジ]]で仕事を共にしたアニメーション監督の[[高畑勲]]を招いて[[宮沢賢治]]原作の「[[セロ弾きのゴーシュ]]」を7年がかりで自主製作で長編アニメ化。これにより、[[1981年]]の毎日映画コンクール[[大藤信郎賞]]が、OH!プロダクションに対して贈られている。


現在の代表取締役社長には、[[なみきたかし]]が就いている。2007年現在、在籍者は35名で全てアニメーターである。2008年4月に杉並区天沼から荻窪に本社移転(公式サイト地図参照)。
前代表死後、代表取締役社長には、[[なみきたかし]]が就いている。2007年現在、在籍者は35名で全てアニメーターである。2008年4月に杉並区天沼から荻窪に本社移転(公式サイト地図参照)。


社名の由来は設立当時に発行されていた[[平凡出版]](現・[[マガジンハウス]])の男性誌『PocketパンチOh!』から<ref>五味洋子「[http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi54.shtml アニメーション思い出がたり その54 アド5からオープロへ]」 WEB[[アニメスタイル]] 2009年4月17日。</ref>。「'''オープロダクション'''」「'''OH!プロダクション'''」「'''OHプロ'''」とも[[クレジットタイトル|クレジット]]されることがある。
社名の由来は設立当時に発行されていた[[平凡出版]](現・[[マガジンハウス]])の男性誌『PocketパンチOh!』から<ref>五味洋子「[http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi54.shtml アニメーション思い出がたり その54 アド5からオープロへ]」 WEB[[アニメスタイル]] 2009年4月17日。</ref>。「'''オープロダクション'''」「'''OH!プロダクション'''」「'''OHプロ'''」とも[[クレジットタイトル|クレジット]]されることがある。

2010年12月9日 (木) 17:03時点における版

OH!プロダクション(正式社名:有限会社オープロダクション)は、アニメーション制作のうち、作画作業の請負を主な事業内容とする日本の企業である。

有限会社オープロダクション
種類 有限会社
市場情報 非上場
本社所在地 167-0051
東京都杉並区荻窪5-10-22
設立 1970年5月
業種 情報・通信業
法人番号 7011302002288 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーション制作のうち、作画作業の請負
代表者 なみきたかし(代表取締役)
従業員数 35名(2007年現在)
外部リンク http://www.oh-pro.co.jp/ (公式サイト)
特記事項:第2スタジオ:東京都杉並区荻窪2-30-7
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概要・沿革

1970年5月ハテナプロ出身のアニメーター塩山紀生村田耕一小松原一男米川功真らによって設立された。当初は塩山が社長を務め、一年後塩山が退社、その跡を継ぎ村田が社長に就任した。当初はAプロダクション東映動画のテレビシリーズを手がけ、1980年代までは、小松原を中心とした東映動画班と、「世界名作劇場」などを手がける村田、才田俊次らの日本アニメーション班で両社作品に参加した。その他、作画プロダクションとしてスタジオジブリマッドハウスなど多くのスタジオの作品に参加している。

アニメーターとして、友永和秀丹内司高坂希太郎、後にアニメ監督になる飯田つとむ(飯田馬之介)なども在籍した。 テレビアニメーション以外でも、個人のアニメーション作家としても活動した相原信洋、アニメーション同好会アニドウ(アニ同)代表のなみきたかし、後に評論家となる五味(富沢)洋子なども在籍していた。1975年からはズイヨー映像アルプスの少女ハイジで仕事を共にしたアニメーション監督の高畑勲を招いて宮沢賢治原作の「セロ弾きのゴーシュ」を7年がかりで自主製作で長編アニメ化。これにより、1981年の毎日映画コンクール大藤信郎賞が、OH!プロダクションに対して贈られている。

前代表死後、代表取締役社長には、なみきたかしが就いている。2007年現在、在籍者は35名で全てアニメーターである。2008年4月に杉並区天沼から荻窪に本社移転(公式サイト地図参照)。

社名の由来は設立当時に発行されていた平凡出版(現・マガジンハウス)の男性誌『PocketパンチOh!』から[1]。「オープロダクション」「OH!プロダクション」「OHプロ」ともクレジットされることがある。

自社制作作品

携わった主な作品

テレビアニメ

劇場映画

ゲーム

関連人物

出典

  1. ^ 五味洋子「アニメーション思い出がたり その54 アド5からオープロへ」 WEBアニメスタイル 2009年4月17日。

関連項目