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「小森陽一 (国文学者)」の版間の差分

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== 人物 ==
== 人物 ==
父親は[[日本共産党]]幹部で、子供時代をチェコスロバキアで送り、ために帰国後、型にはまった日本語でしか話すことができず苦労した(『小森陽一、ニホン語に出会う』)。
[[日本共産党]]党員で、書記局員であった父親の仕事の関係で、[[1961年]]から4年間、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[衛星国]]だった[[チェコスロバキア]]の[[プラハ]]過ごす。プラハではソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通い、[[ピオネール]](ソ連・[[共産圏]]の[[少年団]])にも加入していた。そのために帰国後、型にはまった日本語でしか話すことができず苦労した(『小森陽一、ニホン語に出会う』)。


北海道大学文学部・同大学院では[[亀井秀雄]]の指導を受ける。大学院在学中に、札幌の進学[[予備校]][[北大学力増進会]]の現代文科講師を勤め、その後[[成城大学]]勤務を経て、東京大学に着任する。
北海道大学文学部・同大学院では[[亀井秀雄]]の指導を受ける。大学院在学中に、札幌の進学[[予備校]][[北大学力増進会]]の現代文科講師を勤め、その後[[成城大学]]勤務を経て、東京大学に着任する。

2010年12月12日 (日) 12:11時点における版

小森 陽一(こもり よういち、1953年5月14日 - )は、東京都出身の日本文学者。全国「九条の会」事務局長。東京大学教授。専攻は、近代日本文学、構造主義記号論天皇制廃止論者。マルクス主義者

人物

日本共産党党員で、書記局員であった父親の仕事の関係で、1961年から4年間、ソ連衛星国だったチェコスロバキアプラハで過ごす。プラハでは、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通い、ピオネール(ソ連・共産圏少年団)にも加入していた。そのために帰国後、型にはまった日本語でしか話すことができず苦労した(『小森陽一、ニホン語に出会う』)。

北海道大学文学部・同大学院では亀井秀雄の指導を受ける。大学院在学中に、札幌の進学予備校北大学力増進会の現代文科講師を勤め、その後成城大学勤務を経て、東京大学に着任する。

母親は小森香子(詩人、東京原水協日本平和委員会理事・詩人会議常任運営委員・日本子どもを守る会理事)。共著もある(『青い空は青いままで子どもらに伝えたい - 母と子で語る昭和といま - 』)。

国文学者として

1987年夏目漱石の『こころ』の解釈を巡って東京大教授・三好行雄と論争し、注目を集める。

日本の明治以降期における西洋化の試みを、植民地的無意識の形成、列強への過剰な模倣など、ポストコロニアル理論研究の視点から再考している(『ポストコロニアル』)。さらに、日本近代文学、特に漱石の作品における植民地的要素の分析を行う(『世紀末の予言者・夏目漱石』『漱石をよみなおす』p251)。『日本語の近代』(岩波書店)の第2刷りの追記にあるが、この本の多くの部分は安田敏朗の仕事を注記なしに引いたもので、問題となった。(すが秀実『帝国の文学』に詳しい)

また、NHK大河ドラマ「春の波濤」の盗作問題をめぐる裁判では、国文学の専門家としてNHK側で証言している(山口玲子『NHK犯歴録」)。

市民活動家として

講演、執筆活動を活発に行っているが、文学評論にとどまらず、政治的な主張を数多く発表している。大学で1・2年生を対象に宮沢賢治を題材にした講義を行っているが、そこでも政治的発言(軍隊が国民を守ってくれたことは史上一度もない、など)が出るという話もある。(「月間恒河沙124,1/2号教官教務逆評定2005年度夏学期版」p58 日本語テクスト分析1)。

現在、日本国憲法第9条の平和主義を守るため、憲法改正に反対する「九条の会」の運営に事務局長として深く関わり、憲法改正及びその手続法である国民投票法に反対して、各地で開催される集会で発言を続けるとともに、積極的に活字媒体への執筆活動を行っている(「九条の会」事務局長から新年のご挨拶)。

また、憲法の趣旨から外れ天皇中心の国家に戻る契機となるとして、教育基本法改正に強く反対。2004年、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」の呼びかけ人となり、改正反対の運動を行っていた。(2007年1月解散)

1998年、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」において、X-JAPANYOSHIKIが奉祝曲を式典で演奏することについて、石田英敬らとともに「公開質問状」[1]を送付した(YOSHIKIは受け取り拒否)。

日本学術会議東洋学研究連絡委員会主催学術シンポジウム「アジアとは何か」(2001年11月17日開催)において「9・11テロは日本の神風特攻隊から学んだものである」と発言している。

CS放送朝日ニュースターの番組で、「靖国神社カルト」と発言した[要出典]

同僚である東京大学教養学部教授で、フランス哲学者の高橋哲哉は、思想的な意味での盟友といえる。(『ナショナル・ヒストリーを超えて』)

『戦後日本スタディーズ3 80年代・90年代』に於いて自らがマルクス主義者であることを明らかにした。

増田都子の応援を行っている[1]

逸話

東大助教授になった途端、「紳士録に名前を載せませんか?」と依頼がきたが、彼は「紳士」という言葉を嫌っていた上、「東京大教授は紳士で成城大教授は紳士ではないのか」と怒ったが、なぜか紳士録に掲載されてしまった(本人談)。

学歴

職歴

その他の役職

著書

単著

  • 『文体としての物語』(筑摩書房 1988年)
  • 『構造としての語り』(新曜社 1988年)
  • 『縁の物語――『吉野葛』のレトリック』(新典社 1992年)
  • 『夏目漱石をよむ』(岩波ブックレット 1993年)
  • 『漱石を読みなおす』(ちくま新書 1995年)
  • 『最新宮沢賢治講義』(朝日選書 1996年)
  • 『出来事としての読むこと』(東京大学出版会 1996年)
  • 『「ゆらぎ」の日本文学』(日本放送出版協会・NHKブックス 1998年)
  • 『世紀末の予言者・夏目漱石』(講談社 1999年)
  • 『小説と批評』(世織書房 1999年)
  • 『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店、2000) 
  • 『日本語の近代』(岩波書店 2000年)
  • 『ポストコロニアル』(岩波書店 2001年)
  • 『歴史認識と小説――大江健三郎論』(講談社 2002年)
  • 『天皇の玉音放送』(五月書房 2003年)のち朝日文庫 
  • 『表現する人びと』(新日本出版社 2004年)
  • 村上春樹論――『海辺のカフカ』を精読する』平凡社新書 2006年)
  • 『心脳コントロール社会』(ちくま新書 2006年)
  • 『レイシズム』(岩波書店 2006年)
  • 『ことばの力 平和の力――近代日本文学と日本国憲法』(かもがわ出版 2006年)
  • 『理不尽社会に言葉の力を ソノ一言オカシクナイデスカ?』(新日本出版社 2007年,イラストおおえだけいこ
  • 『憲法・教育・現代社会を語る 『反戦情報』掲載インタビュー集(2001~2008)』(反戦情報編集部 2008年)
  • 『大人のための国語教科書 あの名作の"アブない"読み方!』(角川oneテーマ21 2009年 ISBN 9784047102149) 
  • 『漱石論 21世紀を生き延びるために』(岩波書店、2010年) 

共著

編著

  • 『近代文学の成立――思想と文体の模索』(有精堂出版, 1986年)
  • 『研究する意味』(東京図書, 2003年)
  • 『平和が生きるとき』(かもがわ出版, 2004年)
  • 『私の座標軸』(かもがわ出版, 2005年)

共編著

  • 片岡豊)『漱石作品論集成(2)坊っちゃん・草枕』(桜楓社, 1990年)
  • 芹澤光興)『漱石作品論集成(11)道草』(桜楓社, 1991年)
  • 紅野謙介高橋修)『メディア・表象・イデオロギー――明治30年代の文化研究』(小沢書店, 1997年)
  • 高橋哲哉)『ナショナル・ヒストリーを超えて』(東京大学出版会, 1998年)
  • 栗原彬佐藤学・吉見俊哉)『越境する知(全6巻)』(東京大学出版会, 2000年-2001年)
  • 坂本義和安丸良夫)『歴史教科書何が問題か――徹底検証Q&A』(岩波書店, 2001年)
  • 石田英敬)『シリーズ言語態(5)社会の言語態』(東京大学出版会, 2002年)
  • 井上ひさし)『座談会昭和文学史(全6巻)』(集英社, 2003年)
  • 成田龍一)『日露戦争スタディーズ』(紀伊國屋書店, 2004年)
  • (高橋哲哉・大内裕和三宅晶子)『教育基本法「改正」に抗して――緊急報告 : 全国各地からの声』(岩波書店, 2004年)
  • (市野川容孝)『壊れゆく世界と時代の課題』(岩波書店、2009年)

脚注

外部リンク