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*[[2008年]] 主な仕事はアニメーターを対象とした上映会や講演会、[[葬儀]]などを主宰、400回をこえると自負する。 |
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*[[2010年]] [[さいたま市]]に、収集した資料を展示するアニドウ・ミュージアムの開設を目指し、[[2002年]]より1口10万円の募金を個人で集めている<ref>[http://www.anido.com/html-j/museum-bosyu.html Anido-museumbosyu] アニドウ公式サイト内</ref>。 |
*[[2010年]] [[さいたま市]]に、収集した資料を展示するアニドウ・ミュージアムの開設を目指し、[[2002年]]より1口10万円の募金を個人で集めているが、2010年[[12月]]現在着工したというアナウンスはない。<ref>[http://www.anido.com/html-j/museum-bosyu.html Anido-museumbosyu] アニドウ公式サイト内</ref>。 |
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==アニドウ・ミュージアム== |
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*[[杉並]][[アニメーションミュージアム]]とは、まったく別物である。 |
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*[[2002年]]より、並木孝本人が「日本のアニメーション文化向上のため」という名目で、[[さいたま市]]の並木久子名義の土地に、地上5階・地下2階のビル建設を計画。ファンなどの募金により推進中。<ref>[http://www.anido.com/html-j/museum-bosyu.html Anido-museumbosyu] アニドウ公式サイト内</ref>。 |
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*[[募金]]目標 10億5千万円/ 1口 10万円 (2002年~2010年) |
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*並木本人は、コレクターと称して'''無償提供'''させた故人の[[版権]]作品を有償販売したり、無登録の個人にメールの一斉送信をするなど、これらの行為で苦情が絶えない。 |
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*「アニドウミュージアムは2010年に完成」とホームページ上で公表したまま、2010年[[12月]]現在着工したというアナウンスはない。そのため、[[寄付金]][[詐欺]]ではないかとの疑惑も起こり、本人は否定。現在、[[ホームページ]]上での献金状況、および申告[[納税]]の公表がファンの間で待たれている。 |
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==編著== |
==編著== |
2010年12月14日 (火) 17:36時点における版
なみきたかし(並木孝、1952年-)はアニメーションの研究家である。アニメーション同好会アニドウ会長(2010年現在会員は本人のみ)、アニメーション研究家、フィルムコレクター、有限会社オープロダクション代表取締役。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。
経歴
- 1968年 東京新宿の漫画喫茶コボタンで、アニメーターとアニメ好きの集まりであるアニドウ(アニメーション同好会)に参加し、16歳でアニメーションへ進路を定める。(アニドウはその後ほとんどが退会し、2010年現在会員は本人のみ)。
- 1968年 漫画家でフィルム・コレクター杉本五郎の提供による上映活動を毎月のように開催する。同好会の活動の傍ら、1972年の東映動画スタジオで撮影助手を経験後、タツノコプロダクション、トップクラフトなどを転々とし、1973年(昭和48年)から作画会社オープロダクションに入社。
- 1983年 オープロダクション退社。
- 1984年 出版社としてのアニドウの関連法人として有限会社アニドウ・フィルム(設立時は有限会社ぱるぷ)を設立。ふくやまけいこ「何がジョーンに起こったか」(1984)「川本喜八郎:三国志百態」(1984)「もりやすじ画集」(1993)「小松原一男アニメーション画集」(2002)「椋尾篁アニメーション美術画集」(2004)、「もぐらノート」(2006)などを編集・出版。「世界アニメーション映画史」(1986)は全国の図書館の基本図書となっていると自負する。
- 1987年 広島国際アニメーションフェスティバルでは国際選考委員。1998年アニメーション短編「この星の上に」(監督片渕須直/アニメーション南家こうじ)をプロデュース。1999年のアヌシー国際アニメーション映画祭では自ら国際審査員をつとめる。 2004年、東京都現代美術館における企画展「日本漫画映画の全貌」を構成・プロデュース。同年、同企画にアニメーション制作「にほんまんがえいがはったつし」を制作(辻繁人と共同監督)。
- さらに、DVD(「くもとちゅうりっぷ〜政岡憲三作品集」他)、CD-ROMなどの制作、ビデオ映像の演出、2006年にはスタジオジブリより再発売されたDVD「セロ弾きのゴーシュ」の監修・特典制作なども手がけた。同年末には「DVD世界アニメーション映画史」を制作した。
- 2006年12月 村田耕一が亡くなった後、有限会社オープロダクションの代表取締役に就任。
- 2008年 主な仕事はアニメーターを対象とした上映会や講演会、葬儀などを主宰、400回をこえると自負する。
- 2010年 さいたま市に、収集した資料を展示するアニドウ・ミュージアムの開設を目指し、2002年より1口10万円の募金を個人で集めているが、2010年12月現在着工したというアナウンスはない。[1]。
アニドウ・ミュージアム
- 杉並アニメーションミュージアムとは、まったく別物である。
- 2002年より、並木孝本人が「日本のアニメーション文化向上のため」という名目で、さいたま市の並木久子名義の土地に、地上5階・地下2階のビル建設を計画。ファンなどの募金により推進中。[2]。
- 募金目標 10億5千万円/ 1口 10万円 (2002年~2010年)
- 並木本人は、コレクターと称して無償提供させた故人の版権作品を有償販売したり、無登録の個人にメールの一斉送信をするなど、これらの行為で苦情が絶えない。
- 「アニドウミュージアムは2010年に完成」とホームページ上で公表したまま、2010年12月現在着工したというアナウンスはない。そのため、寄付金詐欺ではないかとの疑惑も起こり、本人は否定。現在、ホームページ上での献金状況、および申告納税の公表がファンの間で待たれている。
編著
- 世界アニメーション映画史 伴野孝司,望月信夫共著 森卓也監修 並木孝編 ぱるぷ 1986.6
- 映画をあつめて これが伝説の杉本五郎だ 杉本五郎著 なみきたかし編 平凡社 1990.8
- もりやすじ画集 森康二著 なみきたかし編 アニドウ・フィルム 1993.9
- アニメーテッド・ピープル・イン・フォト なみきたかし アニドウ・フィルム 2000.6
- 小松原一男アニメーション画集 小松原一男著 なみきたかし責任編集 アニドウ編 東急エージェンシー出版部 2002.8
- 日本漫画映画の全貌 大塚康生監修 松野本和弘編 なみきたかし編集監修 「日本漫画映画の全貌展」実行委員会 2004.7
- もりやすじ画集2 もぐらノート もりやすじ著 なみきたかし責任編集 アニドウ・フィルム 2006.2
- 小田部羊一アニメ-ション画集 小田部羊一著 なみきたかし編 アニドウ・フィルム 2008.8
出典
- ^ Anido-museumbosyu アニドウ公式サイト内
- ^ Anido-museumbosyu アニドウ公式サイト内