「日劇ウエスタンカーニバル」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
85行目: | 85行目: | ||
*第51回 日劇ウエスタン・カーニバル (1974年4月) |
*第51回 日劇ウエスタン・カーニバル (1974年4月) |
||
*第52回 日劇ウエスタン・カーニバル (1974年8月) |
*第52回 日劇ウエスタン・カーニバル (1974年8月) |
||
*第53回 日劇ウエスタン・カーニバル (1975年3月28日 - 31日) |
*第53回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ ばらとみかんとバイオリンと (1975年3月28日 - 31日) |
||
*第54回 日劇ウエスタン・カーニバル (1975年8月) |
*第54回 日劇ウエスタン・カーニバル (1975年8月) |
||
**「キャンディーズ・ショー」 (8月26日) |
**「キャンディーズ・ショー」 (8月26日) |
||
** |
**「ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル」 (8月27日) |
||
*第55回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年3月24日 - 28日) |
*第55回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年3月24日 - 28日) |
||
*第56回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年8月24日 - 28日) |
*第56回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年8月24日 - 28日) |
2011年1月1日 (土) 20:45時点における版
日劇ウエスタンカーニバル(にちげきウエスタンカーニバル)は、1958年2月から1977年8月まで、日本劇場で開催されていた音楽フェスティバルである。 全57回公演(実際は56回)。
概要
もともとは、「2月の暇な時期に若い子にウエスタンでもやらせたら」という渡辺美佐の思いつきがきっかけで、有楽町ビデオホールで開催されていた「ウエスタンカーニバル」を、日本劇場を運営する東宝が1958年2月8日から開催したものである(これを記念し、2月8日は「ロカビリーの日」と制定されている)。観客動員数は初日だけで9,500人、1週間で40,522人を記録した[1]。この数字は、ドーム球場や日本武道館といった、大きなハコモノが存在しない1950年代当時としては、異例の記録である。
この企画が当たったことで、以後も定期的に開催されるようになった。1950年代にはロカビリーのブームを生み、1960年代後半にはグループ・サウンズブーム[2]の象徴的なフェスティバルとなり、連日超満員となった。
しかし、グループ・サウンズブームの終焉とともに客足も遠くなり、1970年代は主にジャニーズ事務所やスクールメイツのタレントをメインとしたアイドルショーとなっていった。例えば、キャンディーズの単独ショーも「ウエスタンカーニバル」として行われた事がある(1975年8月26日「日劇ウエスタン・カーニバル ~キャンディーズ・ショー~」等)。そして1977年8月の第57回をもって幕を閉じた。尚、実際の公演回数は全56回だが、カウントミスによって57回公演した事になっている。
1981年1月、老朽化や雑居ビル化により日本劇場の閉鎖・解体が決定した事を受け、1月22日より4日間、内田裕也プロデュースによる「サヨナラ日劇ウエスタン・カ-二バル ~ 俺たちは走り続けている!」が開催され、ロカビリー時代のスターや、ザ・タイガース、ザ・スパイダースを始めとした人気GSの数々も再結成し出演。大きな話題となった。
2000年11月からは「想い出のウエスタンカーニバル」と銘打ち、主にロカビリー時代の出演者による同窓会的なコンサートが定期的に行われている。2008年12月25日にはウエスタンカーニバル開催50周年を記念し、閉館間近の新宿コマ劇場で「ウエスタンカーニバル・クリスマス同窓会50th」が開催された[3]。
主な出演者
- ロカビリー3人男
- 三人ひろし
- 飯田久彦
- 弘田三枝子
- 寺本圭一
- ザ・タイガース
- ザ・テンプターズ
- ジャッキー吉川とブルーコメッツ
- ザ・スパイダース
- ザ・ワイルド・ワンズ
- 寺内タケシとバニーズ
- フォーリーブス
開催年月日
- 第1回 日劇ウエスタン・カーニバル (1958年2月8日 - 14日)
- 第2回 日劇ウエスタン・カーニバル (1958年5月26日 - 6月1日)
- 第3回 日劇ウエスタン・カーニバル (1958年8月26日 - 9月2日)
- 第4回 日劇ウエスタン・カーニバル (1958年12月16日 - 22日)
- 第5回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1959年1月20日 - 27日)
- 第6回 日劇ウエスタン・カーニバル (1959年5月5日 - 15日)
- 第7回 日劇ウエスタン・カーニバル (1959年8月25日 - 31日)
- 第8回 日劇ウエスタン・カーニバル (1959年12月9日 - 15日)
- 第9回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1960年1月22日 - 28日)
- 第10回 日劇ウエスタン・カーニバル (1960年5月7日 - 15日)
- 第11回 日劇ウエスタン・カーニバル (1960年8月25日 - 31日)
- 第12回 (存在しない幻の回)
- 1960年の11月26日から12月31日まで、日劇が場内改修の為に休館となった。これにより、2年続いた年末公演は中止。本来であれば翌年1月の公演が第12回目に当たるが、カウントミスが発生し、翌年1月の公演が第13回目という扱いになってしまう。以後、実際の公演数に対し、公演タイトルにある「第○回」のカウント表記は、一つ多く数えられてしまっている。
- 第13回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1961年1月16日 - 23日)
- 第14回 日劇ウエスタン・カーニバル (1961年5月6日 - 14日)
- 第15回 日劇ウエスタン・カーニバル (1961年8月28日 - 9月4日)
- 第16回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1962年1月7日 - 14日)
- 第17回 日劇ウエスタン・カーニバル (1962年5月)
- 第18回 日劇ウエスタン・カーニバル (1962年8月)
- 第19回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1963年1月14日 - 21日)
- 第20回 日劇ウエスタン・カーニバル (1963年5月5日 - 12日)
- 第21回 日劇ウエスタン・カーニバル (1963年9月2日 - 8日)
- 第22回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1964年1月14日 - 21日)
- 第23回 日劇ウエスタン・カーニバル (1964年5月5日 - 12日)
- 第24回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ ペギー・マーチがやってきた (1964年8月26日 - 9月1日)
- 第25回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1965年1月14日 - 21日)
- 第26回 日劇ウエスタン・カーニバル (1965年5月5日 - 12日)
- 第27回 日劇ウエスタン・カーニバル (1965年8月28日 - 9月3日)
- 第28回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1966年1月15日 - 21日)
- 第29回 日劇ウエスタン・カーニバル (1966年5月5日 - 12日)
- 第30回 日劇ウエスタン・カーニバル (1966年8月)
- 第31回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1967年1月15 - 22日)
- 第32回 日劇ウエスタン・カーニバル (1967年5月5日 - 12日)
- 第33回 日劇ウエスタン・カーニバル (1967年8月26日 - 9月1日)
- 第34回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1968年1月15日- 22日)
- 第35回 日劇ウエスタン・カーニバル (1968年5月4日- 10日)
- 第36回 日劇ウエスタン・カーニバル (1968年8月26日- 9月2日)
- 第37回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1969年1月14日- 21日)
- 第38回 日劇ウエスタン・カーニバル (1969年5月5日- 12日)
- 第39回 日劇ウエスタン・カーニバル (1969年8月25日- 9月1日)
- 第40回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1970年1月15日 - 22日)
- 第41回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年5月2日 - 8日)
- 第42回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日)
- 第43回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日)
- 第44回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日)
- 第45回 日劇ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日)
- 第46回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日)
- 第47回 日劇ウエスタン・カーニバル (1972年5月6日 - 12日)
- 第48回 日劇ウエスタン・カーニバル (1972年8月26日 - )
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル (1973年5月)
- 「フォーリーブスショー」 (5月4日)
- 「郷ひろみショー」 (5月5日 - 6日)
- 「ヤング・アイドルショー」 (5月7日 - 8日)
- 第50回 日劇ウエスタン・カーニバル (1973年8月)
- 第51回 日劇ウエスタン・カーニバル (1974年4月)
- 第52回 日劇ウエスタン・カーニバル (1974年8月)
- 第53回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ ばらとみかんとバイオリンと (1975年3月28日 - 31日)
- 第54回 日劇ウエスタン・カーニバル (1975年8月)
- 「キャンディーズ・ショー」 (8月26日)
- 「ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル」 (8月27日)
- 第55回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年3月24日 - 28日)
- 第56回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年8月24日 - 28日)
- 第57回 日劇ウエスタン・カーニバル (1977年8月)
- サヨナラ日劇ウエスタン・カ-二バル ~ 俺たちは走り続けている! (1981年1月22日 - 25日)
- 内田裕也プロデュース。4日間で昼夜計8回公演。後にカセット、CD、ビデオ化。
- サヨナラ日劇FESTIVAL ~ あゝ栄光の半世紀 (1981年1月28日 - 2月15日)
日劇終了後の公演
- 想い出のウエスタンカーニバル2000 (2000年11月、中野サンプラザ)
- 2000年以降定期開催。 2009年のみタイトルが「甦る青春ウエスタンカーニバル」。
- ウエスタンカーニバル・クリスマス同窓会50th (2008年12月25日、新宿コマ劇場)
- 第1回目の日劇ウエスタン・カーニバルから50年記念として開催された。
脚注
- ^ 第1回日劇ウエスタンカーニバル 昭和のニュース(昭和毎日/毎日新聞社)
- ^ グループ・サウンズ時代、出場できたグループは事実上渡辺プロもしくはその系列に所属するものに限られ、ホリプロ系列所属のグループは締め出されていた。
また、グループサウンズ時代には、出演者のパフォーマンスに対する賞が設けられており、回ごとにそれを決定していた。 - ^ 「ウエスタンカーニバル・クリスマス同窓会50th」