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'''上野 千鶴子'''(うえの ちづこ、[[1948年]][[7月12日]] - )は、日本の[[フェミニスト]]、[[社会学者]]。NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長<ref>[http://wan.or.jp/reading/?p=2258 理事長就任のごあいさつとWAN上野千鶴子web研究室オープンのお知らせ]</ref>。[[東京大学]]教授。専攻は、[[家族社会学]]、[[ジェンダー]]論、[[女性学]]。[[日本社会学会]]理事、元[[関東社会学会]]会長(2005 - 06年度)、[[日本学術会議]]会員。[[富山県]][[中新川郡]][[上市町]]出身。
'''上野 千鶴子'''(うえの ちづこ、[[1948年]][[7月12日]] - )は、日本の[[フェミニスト]]、[[社会学者]]。NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長<ref>[http://wan.or.jp/reading/?p=2258 理事長就任のごあいさつとWAN上野千鶴子web研究室オープンのお知らせ]</ref>。[[東京大学]]教授。専攻は、[[家族社会学]]、[[ジェンダー]]論、[[女性学]]。[[日本社会学会]]理事、元[[関東社会学会]]会長(2005 - 06年度)、[[日本学術会議]]会員。[[富山県]][[中新川郡]][[上市町]]出身。


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2011年4月10日 (日) 07:49時点における版

うえの ちづこ

上野 千鶴子
生誕 (1948-07-12) 1948年7月12日(76歳)
出身校 京都大学
職業 社会学者
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上野 千鶴子(うえの ちづこ、1948年7月12日 - )は、日本のフェミニスト社会学者。NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長[1]。元東京大学教授。専攻は、家族社会学ジェンダー論、女性学日本社会学会理事、元関東社会学会会長(2005 - 06年度)、日本学術会議会員。富山県中新川郡上市町出身。

経歴

研究者としてのスタートは、構造主義文化人類学と社会科学の境界領域を論じた理論社会学であり、この頃の1970年代の論文は『構造主義の冒険』にまとめられている。1980年にマルクス主義フェミニズムを知り、これの紹介者・研究者となる。『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』(1990)が代表作。

また、思想輸入ではない日本の女性問題史の整備にも努め[2]、1970年代に起きたウーマンリブ運動への再評価もおこなった[3]

『セクシィ・ギャルの大研究』(1982)は表紙カバーに推薦文を寄せた栗本慎一郎山口昌男、あるいは 鶴見俊輔などから評価され、文化人類学記号論・表象文化論などの方法を使って現代の消費社会を論じるフェミニストとして知られるようになる。特に1987年から88年にかけて世論を賑わせたアグネス論争にアグネス・チャン側を擁護する側で参入した[4]

1990年代以降も家族建築介護福祉の問題や文学心理学社会心理学などの学問領域で論じている。近代家族論として『近代家族の成立と終焉』(1994)などがあり、それを発展させて近代国家論を取り扱った『ナショナリズムとジェンダー』(1998)や、介護問題に派生させた著作もある。

博士課程単位取得満期退学後にマーケティング系のシンクタンクで仕事をしていたこともあって、消費社会論の著作も多い[5]

文学論としては、小倉千加子富岡多恵子との鼎談『男流文学論』(1992)、『上野千鶴子が文学を社会学する』(2000)などがある。現代俳句の実作者であった時期もあり、『黄金郷(エル・ドラド)上野ちづこ句集』(1990)がある。

このほか、性愛(セクシャリティ)論、市民運動論、学校論など様々な分野での著作多数。また、論文集『日本のフェミニズム』や『岩波女性学事典』、『岩波講座現代社会学』『社会学文献事典』などの共編集者を務めている。

学歴

職歴

受賞歴

論争と批判

上野は様々な分野で発言して多くの論争に関わり、その言動はたびたび批判も受けてきた[6]

上野が関与した代表的な論争は「アグネス論争」であり、いったんアグネス批判派に傾きかけていた流れが、一気に逆向きになるほどだったとされている[7]。当初の「大人の空間に子どもを入れるな」という「林・中野」対アグネス・チャン論争は、上野により「働く母親一般の問題」に変化し、様々な分野の論客が参戦する一大論争になった[8]

フェミニズム内部の論争では、たとえばエコロジカル・フェミニズムを唱えた青木やよひにたいして、男性優位の文化イデオロギーに過ぎないとして激しい論戦を仕掛けた。いわゆるエコフェミ論争で、上野側の主張は『女は世界を救えるか』(1985)などにまとめられている。

上野の発言が問題になった例として、『マザコン少年の末路――女と男の未来』(1986) で 自閉症や、登校拒否不登校)は母親の過保護が原因であるとしたものがある。しかし自閉症は先天的早期脳障害によるもので環境が原因ではないというのが定説であり、上野は自閉症児を持つ親の会などから抗議を受けた。この批判を受け、上野は批判を発した親に面会して全面的に謝罪した上で『マザコン少年の末路――増補版』を出版し、この全編を自己批判本とした上で旧版在庫の絶版処置をとった。

この他の批判の主なものは斎藤美奈子『文壇アイドル論』(2002)にまとめられている。

著書

単著

  • 『セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方』 (光文社カッパ・ブックス、1982年/[岩波現代文庫]、2009年)
  • 『資本制と家事労働 ―マルクス主義フェミニズムの問題構制』(海鳴社、1985年)
  • 構造主義の冒険』(勁草書房、1985年)
  • 『女は世界を救えるか』(勁草書房、1986年)
  • 『女という快楽』(勁草書房、1986)
  • マザコン少年の末路 ―女と男の未来』(河合ブックレット、1986年)
  • 『<私> 探しゲーム ― 欲望私民社会論』(筑摩書房、1987年)のち文庫 
  • 『女遊び』(学陽書房、1988年)
  • 『接近遭遇 ― 上野千鶴子対談集』(勁草書房、1988年)
  • 『スカートの下の劇場 ― ひとはどうしてパンティにこだわるのか』(河出書房新社、1989年)のち文庫
  • 『ミッドナイト・コール』(朝日新聞社、1990年)のち文庫 
  • 『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店、1990年/岩波現代文庫、2009年)
  • 『性愛論 ― 対話篇』(河出書房新社、1991年)のち文庫 
  • 『セゾンの発想 ― マ-ケットへの訴求』(リブロポート、1991年)
  • 『うわの空 ― ドイツその日暮らし』(朝日新聞社、1992年)のち文庫 
  • 『近代家族の成立と終焉』(岩波書店、1994年)
  • 『発情装置 ― エロスのシナリオ』(筑摩書房、1998年)
  • 『ナショナリズムとジェンダー』(青土社、1998年)
  • 『ラディカルに語れば… ― 上野千鶴子対談集』(平凡社、2001年)
  • 『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社、2000年)のち文庫 
  • 『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』(平凡社、2002年)
  • 『差異の政治学』(岩波書店、2002年)
  • 『サヨナラ、学校化社会』(太郎次郎社、2002年/ちくま文庫、2008年)
  • 『国境お構いなし』(朝日新聞社、2003年/文庫、2007年)
  • 『老いる準備 ― 介護することされること』(学陽書房 2005年/朝日文庫、2008年)
  • 『生き延びるための思想 ― ジェンダー平等の罠』(岩波書店 2006年)
  • 『おひとりさまの老後』(法研、2007年)
  • 『男おひとりさま道』(法研、2009年) 
  • 『ひとりの午後に』(日本放送出版協会、2010年) 
  • 『女ぎらい』(紀伊国屋書店、2010年) 

共著

改題『戦争文学を読む』(朝日文庫、2008年)
  • (小倉千加子)『ザ・フェミニズム』(筑摩書房、2002年/ちくま文庫、2005年)
  • 辛淑玉)『ジェンダー・フリーは止まらない!――フェミ・バッシングを超えて』(松香堂書店、2002年)
  • 中西正司)『当事者主権』(岩波新書、2003年)
  • 行岡良治)『論争・アンペイドワークをめぐって』(太田出版、2003年)
  • 鶴見俊輔小熊英二)『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社、2004年)
  • 信田さよ子)『結婚帝国女の岐れ道』(講談社、2004年)
  • 趙韓惠浄)『ことばは届くか――韓日フェミニスト往復書簡』(岩波書店、2004年)
  • 三浦展)『消費社会から格差社会へ――中流団塊と下流ジュニアの未来』(河出書房新社、2007年)
  • 辻井喬)『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書、2008年)
  • 辻元清美)『世代間連帯』(岩波新書、2009年) 

編著

  • 『主婦論争を読む――全記録(1・2)』(勁草書房、1982年)
  • 『色と欲』(小学館、1996年)
  • 『キャンパス性差別事情――ストップ・ザ・アカハラ』(三省堂、1997年)
  • 『構築主義とは何か』(勁草書房、2001年)
  • 『脱アイデンティティ』(勁草書房、2005年)
  • 『「女縁」を生きた女たち』(岩波書店[岩波現代文庫]、2008年)

共編著

訳書

出演

テレビ

  • NHK市民大学「文化人類学の視角(3) 宇宙モデルとしての身体」(NHK教育、1985年7月19日)
  • NHKスペシャル「1990年のアダムとイブ」(NHK総合、1990年7月18日~1990年7月20日)
  • 福祉ネットワーク「ともに生きよう この人と福祉を語ろう 社会を変える当事者たち 社会学者 上野千鶴子さん」(NHK教育、2004年12月21日)[9]
  • 視点・論点「おひとりさまの老後」(NHK教育、2007年9月17日)[10]

ラジオ

  • NHK高校講座「倫理」(NHKラジオ第2放送、1995年1月4日、1995年1月7日、1996年12月25日、1996年12月28日)[11]

脚注

  1. ^ 理事長就任のごあいさつとWAN上野千鶴子web研究室オープンのお知らせ
  2. ^ 主婦論争を読む――全記録(1・2)』(1982)の編集など。
  3. ^ 『美津と千鶴子のこんとんとんからり』(1987)など。井上・上野・江原編『日本のフェミニズム(1) リブとフェミニズム』岩波書店、1994年 の上野による巻頭総括論文「日本のリブ --その思想と背景」なども参照。
  4. ^ アグネス論争については『「アグネス論争」を読む』JICC出版局、1988年、小浜逸郎著『男がさばくアグネス論争』大和書房、1989年、加藤秀一坂本佳鶴恵瀬地山角編『フェミニズム・コレクション1』勁草書房、1993年などに経緯が詳しい。
  5. ^ 『<私> 探しゲーム ― 欲望私民社会論』(1987)、『セゾンの発想 ― マ-ケットへの訴求』(1991)など。
  6. ^ 上野は論争に強いという評価があり、たとえば、斎藤美奈子『文壇アイドル論』(岩波書店、2002年、pp.142-143)には、「彼女は論争にだけはめちゃめちゃ強かった。逆にいうとアンチ・フェミニストの中に、彼女に勝てるほどの論客がいなかった」「上野千鶴子の強みは、やはり理屈(含む屁理屈)の部分なのです」などの記述がある。また遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房)はそうした「論客」上野のイメージを伝えている。
  7. ^ 『「アグネス論争」を読む』JICC出版局、1988年ほか。
  8. ^ この結果、フェミニズムの感覚からさほど遠くなかったとされている林真理子中野翠の二人はアンチ・フェミニズムの代表者と見なされることになったが、こうした上野の主張はフェミニストで有名な小倉千加子が「論理のすり替え」を指摘したほど強引なものだった。小倉千加子「林真理子論 ―長距離ランナーの栄光と孤独」月刊Asahi、1991年3月号などを参照。
  9. ^ 福祉ネットワーク放送記録
  10. ^ NHK解説委員室ブログ
  11. ^ 1995年1月4日は樋口一葉、1995年1月7日は平塚らいてう、1996年12月25日はジェンダー、1996年12月28日はセクシュアリティを解説。

関連項目

外部リンク