「若宮八幡神社 (三次市十日市)」の版間の差分
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若宮八幡神社は保元年中(1156年-59年)畠敷村の比叡尾[[城主]]である三吉兼連(みよしかねつら)が、[[石清水八幡宮|男山八幡宮]]より[[分霊]]し設立された。三次町、原村、東河内半分の[[産土神]]であった。 |
若宮八幡神社は保元年中(1156年-59年)畠敷村の比叡尾[[城主]]である三吉兼連(みよしかねつら)が、[[石清水八幡宮|男山八幡宮]]より[[分霊]]し設立された。三次町、原村、東河内半分の[[産土神]]であった。 |
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初め原村(現在の十日市)の救い山に座していたが、弘治3年9月23日(1557年10月15日)、 |
初め原村(現在の十日市)の救い山に座していたが、弘治3年9月23日(1557年10月15日)、三吉隆亮が上里村(あがりむら)(現在の三次町寺戸願万地)へ[[遷座]]する。また当時は神田として毎年二百石を社領としていた。享保2年(1717年)[[浅野長澄]]により[[社殿]]を修復する。 |
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大正四年、双三郡原町内の[[愛宕神社]]、[[大山神社]]、[[太歳神社]]、[[若宮神社]]、救(すくい)神社を[[合祀]]、大正五年十月より現在地へ移転し |
大正四年、双三郡原町内の[[愛宕神社]]、[[大山神社]]、[[太歳神社]]、[[若宮神社]]、救(すくい)神社を[[合祀]]、大正五年十月より現在地へ移転した。 |
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近年は特に正月から1月末や秋季大祭式例祭は参拝者が良く訪る。御祈祷([[人生儀礼]]・[[結婚式#神前式(しんぜんしき)|神前結婚式]])や外祭([[地鎮祭]]・[[神葬祭]])の受付、執行や[[朱印 (神社仏閣)|朱印]]は下記の祭礼時間(正月以外)以外は可能のようで、授与品の授与は17:30頃までの模様。 |
近年は特に正月から1月末や秋季大祭式例祭は参拝者が良く訪る。御祈祷([[人生儀礼]]・[[結婚式#神前式(しんぜんしき)|神前結婚式]])や外祭([[地鎮祭]]・[[神葬祭]])の受付、執行や[[朱印 (神社仏閣)|朱印]]は下記の祭礼時間(正月以外)以外は可能のようで、授与品の授与は17:30頃までの模様。 |
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*[[保元]]年中([[1156年]]~[[1159年]]) 比叡尾城主である三吉兼連が男山八幡宮より分霊し設立された。 |
*[[保元]]年中([[1156年]]~[[1159年]]) 比叡尾城主である三吉兼連が男山八幡宮より分霊し設立された。 |
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*[[弘治 (日本)|弘治]]3年([[1557年]])三吉 |
*[[弘治 (日本)|弘治]]3年([[1557年]])三吉隆亮が上里町へ遷座する。 |
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*[[享保]]2年 ([[1717年]])浅野長澄により社殿を修復する。 |
*[[享保]]2年 ([[1717年]])浅野長澄により社殿を修復する。 |
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*[[大正]]4年 ([[1915年]]) 双三郡原村内の愛宕神社、大山神社、太歳神社、若宮神社、救(すくい)神社を合祀。 |
*[[大正]]4年 ([[1915年]]) 双三郡原村内の愛宕神社、大山神社、太歳神社、若宮神社、救(すくい)神社を合祀。 |
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*[[大正]]5年 ([[1916年]]) 現在地へ移転し |
*[[大正]]5年 ([[1916年]]) 現在地へ移転した。 |
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==御神徳== |
==御神徳== |
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※御神徳などについてここで解説しますが、なるべく簡潔に纏めて下さい。--> |
※御神徳などについてここで解説しますが、なるべく簡潔に纏めて下さい。--> |
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:主に病気平癒、安産、厄 |
:主に初宮詣祈願、病気平癒祈願、安産祈願、厄除祈願、福寿参賀、新車祓いや人形慰霊の[[祈祷]]でこの神社を訪れる人が多い。 |
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==祭神== |
==祭神== |
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===== 相殿神 ===== |
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*[[神功皇后|気長足姫尊]] [[仲姫命]] [[武内宿禰|武内宿禰大臣]] [[仲哀天皇|足仲彦尊]] |
*[[神功皇后|気長足姫尊]] [[仲姫命]] [[武内宿禰|武内宿禰大臣]] [[仲哀天皇|足仲彦尊]] |
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*[[玉依姫尊]] [[少彦名神]] [[スサノオ|素盞嗚尊]] 中臣常磐大連公 |
*[[玉依姫尊]] [[少彦名神]] [[スサノオ|素盞嗚尊]] 中臣常磐大連公(なかとみのときわおおむらじこう) |
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===== 合祀神 ===== |
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*[[伊弉諾尊]] [[伊弉冉尊]] [[栲幡千千姫命]] [[木花咲耶姫命]] [[オオヤマツミ|大山祇命]] [[軻遇突智命]] |
*[[伊弉諾尊]] [[伊弉冉尊]] [[栲幡千千姫命]] [[木花咲耶姫命]] [[オオヤマツミ|大山祇命]] [[軻遇突智命]] |
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:4月3日- 上巳の節句の祭(人形慰靈祭) |
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*4月29日- 天神・大仙神社祭 |
*4月29日- 天神・大仙神社祭 |
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====[[淡島神社]]==== |
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*御祭神 [[少彦名神]] 浅野因幡守の娘 |
*御祭神 [[少彦名神]] 浅野因幡守の娘[[瑤泉院|アグリ姫]]に心願があり、[[三次藩]]浅野土佐守長澄公の代に、紀州(今の和歌山県)加多浦の加太[[淡島神社]]より分霊され創建される。 |
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この神社は様々な体調の不調を訴える氏子崇敬者に人気で、病気平癒の絵馬が奉納されている。 |
この神社は様々な体調の不調を訴える氏子崇敬者に人気で、病気平癒の絵馬が奉納されている。 |
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====粟屋(三吉)神社==== |
====粟屋(三吉)神社==== |
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*御祭神 粟屋(三吉)隆信公(あわやたかのぶこう) |
*御祭神 粟屋(三吉)刑部丞隆信公(あわやけいぶのしょうたかのぶこう) |
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*相殿神 三吉式部少輔藤原隆亮公(みよししきぶのしょうふじわらたかすけこう) |
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同市の吉祥山多聞院[[岩屋寺(三次市)|岩屋寺]]近くの展望台に粟屋隆信公の御墓がある。 |
同市の吉祥山多聞院[[岩屋寺(三次市)|岩屋寺]]近くの展望台に粟屋隆信公の御墓がある。 |
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*6月30日- [[輪くぐり祭]] |
*6月30日- [[輪くぐり祭]] |
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*7月下旬- 大祭式例祭 |
*7月下旬- 大祭式例祭 |
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*11月19・20日- [[恵比須]]神社祭([[えびす講]]) |
*11月19・20日- 摂末社[[恵比須]]神社祭([[えびす講]]) |
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2011年5月5日 (木) 02:43時点における版
若宮八幡神社(三次市十日市) | |
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若宮八幡神社拝殿 | |
所在地 | 広島県三次市十日市南四丁目七番五五号 |
主祭神 |
誉田別尊 気長足姫尊 玉依姫尊 仲姫命 足仲彦尊 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 1156年~1159年 |
本殿の様式 | 三間社入母屋造 |
別名 | 若宮さん |
例祭 | 十月第三日曜日 |
若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ)は、広島県三次市十日市の神社。若宮公園の側に鎮座する。旧称鏡山八幡神社。通称「若宮さん」。
由緒
経緯
若宮八幡神社は保元年中(1156年-59年)畠敷村の比叡尾城主である三吉兼連(みよしかねつら)が、男山八幡宮より分霊し設立された。三次町、原村、東河内半分の産土神であった。
初め原村(現在の十日市)の救い山に座していたが、弘治3年9月23日(1557年10月15日)、三吉隆亮が上里村(あがりむら)(現在の三次町寺戸願万地)へ遷座する。また当時は神田として毎年二百石を社領としていた。享保2年(1717年)浅野長澄により社殿を修復する。 大正四年、双三郡原町内の愛宕神社、大山神社、太歳神社、若宮神社、救(すくい)神社を合祀、大正五年十月より現在地へ移転した。
近年は特に正月から1月末や秋季大祭式例祭は参拝者が良く訪る。御祈祷(人生儀礼・神前結婚式)や外祭(地鎮祭・神葬祭)の受付、執行や朱印は下記の祭礼時間(正月以外)以外は可能のようで、授与品の授与は17:30頃までの模様。
年表
- 保元年中(1156年~1159年) 比叡尾城主である三吉兼連が男山八幡宮より分霊し設立された。
- 弘治3年(1557年)三吉隆亮が上里町へ遷座する。
- 享保2年 (1717年)浅野長澄により社殿を修復する。
- 大正4年 (1915年) 双三郡原村内の愛宕神社、大山神社、太歳神社、若宮神社、救(すくい)神社を合祀。
- 大正5年 (1916年) 現在地へ移転した。
御神徳
- 主に初宮詣祈願、病気平癒祈願、安産祈願、厄除祈願、福寿参賀、新車祓いや人形慰霊の祈祷でこの神社を訪れる人が多い。
祭神
主祭神
相殿神
合祀神
定例行事
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境内社
この神社は様々な体調の不調を訴える氏子崇敬者に人気で、病気平癒の絵馬が奉納されている。
荒神社
この神社は荒神としてより素盞嗚尊の崇敬者に人気で、再建立されてから参拝者が増えつつある。
- 御祭神 保食神 末社として移転以来、淡島神社の右側に座している。
天神・大仙神社
この神社は学生や受験者に根強い人気があり、この神社目当ての参拝者もいる。
粟屋(三吉)神社
- 御祭神 粟屋(三吉)刑部丞隆信公(あわやけいぶのしょうたかのぶこう)
- 相殿神 三吉式部少輔藤原隆亮公(みよししきぶのしょうふじわらたかすけこう)
同市の吉祥山多聞院岩屋寺近くの展望台に粟屋隆信公の御墓がある。
- 御祭神 五百六十柱の英霊 毎年8月15日に忠魂社御霊祭が厳かに執り行われる。
境外管理社
厳島神社(三次十日市)
当時は岩神弁才天と呼ばれ、安芸国や出雲国から参拝客が絶えず殷賑を極めたとされ、五月初子の日を市入祭、七月初子の日を水運祭として商売繁盛あらたかな大祭が行われていた。 よく宮島の厳島神社の分霊と間違われるがそうでは無い。通称「弁天さん」。
祭礼
アクセス
- 最寄り駅
その他
周辺情報
関連項目