「ペンシルバニア鉄道」の版間の差分
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2011年6月22日 (水) 22:14時点における版
ペンシルバニア鉄道(英語: Pennsylvania Railroad、略称PRR)は1846年から1968年までアメリカ合衆国に存在していた鉄道会社。その後合併し、ペン・セントラル鉄道になった。ペンシーと略されることもある。本社はペンシルベニア州フィラデルフィアにあった。会社のマークはペンシルベニア州のシンボルであるキーストーンをもとにしている。マークの色は明るい赤で、縁とPRRの文字がシルバーグレーである。
ペンシルバニア鉄道は20世紀に存在した鉄道会社としてはアメリカ合衆国最大の輸送量と収入があり、長い間世界最大の会社の1つでもあった。また、100年以上にわたり連続して配当を続けていたという好業績の会社でもあった。
「Pennsylvania」は現代日本語では「ペンシルベニア」と表記するのが一般的であるが、当項目では工学分野での慣例を重視し「ペンシルバニア」と表記する。
世界標準の鉄道会社
長い間、ペンシルバニア鉄道は、自社を「世界標準の鉄道」(Standard Railroad of the World)と呼んでいた。その意味は、自社が世界の鉄道会社の到達目標、すなわち最高水準の鉄道であるという事である。長い間、この言葉は文字通り真実で、ペンシルバニア鉄道にまつわる世界初、世界最大、世界最長のものに関しては膨大なリストをつくることができた。ペンシルバニア鉄道は鋼製客車を本格的に導入した最初の鉄道である。また、長年にわたって安全や効率性を求めて様々な改良を行っていた。こうした先進性は年と共に失われ、会社はこの言葉を使うことを徐々に控えていくようになった。
ペンシルバニア鉄道は、もう1つの意味でも「標準」であった。ペンシルバニア鉄道は標準化の提唱者で、使用する機械や機関車、車両は、テストを重ねた上で、標準化製品として全社で使用した。標準化は鉄道の統一を強めたりコスト削減にも役立った。会社は制服や車両塗装の標準化という意味でも他社に先駆けていた。
歴史
路線建設 ピッツバーグ以東
ペンシルバニア鉄道の本線の東半分は、州の鉄道や運河の敷設を進めていたペンシルベニア州の公共事業の一環として建設された。ピッツバーグまで開業したのは1834年であるが、そのルートには運河が多く含まれていた。このルートでフィラデルフィアからピッツバーグに向かう乗客は、フィラデルフィア・アンド・コロンビア鉄道でフィラデルフィアからサスケハナ川沿いにあるコロンビアまで向かい、その後、運河でホリデーズバーグまで向かい、そこからジョンズタウンまではアレゲンシー・ポーテージ鉄道を利用、その後ピッツバーグまでは再び運河上の船を利用する必要があった。フィラデルフィア・アンド・コロンビア鉄道は2箇所、アレゲンシー・ポーテージ鉄道は10箇所ものインクラインを持っていた。
ペンシルバニア鉄道は1846年4月13日に州の認可を受けた。建設は1847年にはじまり、ハリスバーグ - ルイストンの第一期線は1849年9月1日に開業した(この路線の中にはサスケハナ川を渡るロックビル橋を含む)。マックベイタウン(12月24日)、マウント・ユニオンへ(1850年4月1日)、ハンティントン(6月10日)と順調に路線を伸ばし、ホリデーズバーグの西のダンカンズビルまで開業したのは1850年9月16日であった。路線はここでアレゲンシー・ポーテージ鉄道と接続した。この鉄道路線の西側では、ポーテージ鉄道のジョンズタウンの東側にある、コネモーからロックポートまでが1851年8月25日に開通、その後、路線の空白を埋めるかたちで小刻みな開業が続いた後、1852年11月29日、フィラデルフィア - ピッツバーグ間が鉄路で結ばれることとなった。この段階では他社への乗り入れ区間が存在したが、会社は1854年にバイパス路線の建設と、協定の締結によってポーテージ鉄道の区間での自由な列車運行を実現し、フィラデルフィア側では1860年まで既存の鉄道路線を買収とリース契約によって取得し、乗り入れ区間を解消した。
1871年、ペンシルバニア鉄道はユナイテッド・ニュージャージー・レイルロード・キャナル・カンパニーをリースすることで、ニューヨークの対岸のジャージーシティまでの路線を獲得した。1872年には支配下にあった、ボルチモア・アンド・ポンティアック鉄道の手によりボルチモア - ワシントンを開業させている。
ペンシルバニア鉄道のニューヨーク側の終着駅は永らくジャージーシティにあった。ここからマンハッタン島に路線が延伸されたのは1910年のことで、ハドソン川に長大トンネルを掘ってニューヨークの一等地に新駅「ペンシルベニア駅」を建設、ニューヘイブン鉄道やロングアイランド鉄道との直通運転を開始した。
路線建設 ピッツバーグ - シカゴ
ピッツバーグ - シカゴ間の路線建設は、オハイオ・アンド・ペンシルバニア鉄道、オハイオ・アンド・インディアナ鉄道、フォートウェイン・アンド・シカゴ鉄道により、1849年から工事がはじめられた。3社は1856年にピッツバーグ・フォートウェイン・アンド・シカゴ鉄道に統合し、1859年1月1日にピッツバーグ - シカゴ間が全通した。ピッツバーグ・・フォートウェイン・アンド・シカゴ鉄道が設立された時期からペンシルバニア鉄道の資本面での関与が強まり、支配を受けるようになったのは1869年のことである。しかし、1871年~1918年の間は持株会社のペンシルバニア・カンパニーによる間接的な支配であった。
ニューヨーク - ワシントン間の電化
ペンシルバニア鉄道の特徴の一つに、ニューヨーク~ワシントン間約300キロの電化区間を持っていた事を挙げる事ができる。すでにニューヨークとフィラデルフィアの近郊区間の一部は1910年代までに行われていたが、1930年代に抜本的な輸送力改善のために、1932年から工事がはじめられ、1935年に完了し、有名な電気機関車、GG1などが牽引する旅客列車が活躍した。
ペン・セントラル鉄道
世界標準の鉄道として永らく繁栄を誇ったペンシルバニア鉄道も、1950年代以降は衰退の道を歩んだ。自家用車や航空機の発達は旅客を奪い、東部や中西部の(西部に対する)経済的地位の低下は貨物輸送量の低下をもたらし、過剰設備の問題に悩まされることになった。東部の鉄道会社は、経営の先行きに不安を抱えていたが、その対応策として用いられたのが合併策であった。1968年、東部の二大鉄道会社、ニューヨーク・セントラル鉄道とペンシルバニア鉄道は合併してペン・セントラル鉄道となった。1969年にはニューヘブン鉄道の吸収も行っている。
この合併は結果的には失敗であったと言われている。経営状態は一向に改善せず、累積赤字により1970年に倒産してしまった。ペン・セントラルは、統合鉄道公社コンレールに引き継がれ、ペンシルバニア鉄道の路線はアムトラック(北東回廊)とノーフォーク・サザン鉄道に継承されている。
車両・列車
ブロードウェイ特急 ("The Broadway Limited")
ニューヨーク・セントラル鉄道の20世紀特急に対抗して1912年に登場したニューヨーク - シカゴ間の優等列車。 ペンシルバニア鉄道はシカゴとニューヨークという二大都市を持ち、ニューヨークセントラル鉄道と言うライバルがいたことから、優等列車の運行に熱心な鉄道会社であった。19世紀末、ニューヨーク・セントラル鉄道はワグナー・パレスカー・カンパニーという独自の寝台車会社を保有していたため、両者の競争はプルマン社とワグナー社という二大寝台車会社の競争であった。19世紀末には、プルマン寝台車のみで組成された優等列車、ペンシルバニア特急を登場させている。
19世紀末、ワグナー社はプルマン社に吸収され、寝台車に関しては画一化が進んだが、列車速度や総合的な列車のデザインを競いあうようになった。こうした流れの中、生まれた列車がブロードウェイ特急で、食事や理髪のサービス、列車秘書の乗務などで、当時のアメリカの優等列車の中でも最高水準のサービスを提供していた。
「ブロードウェイ」の名称は、ニューヨーク・マンハッタンの劇場街「ブロードウェイ」に因んだものではなく、運転区間が最重要幹線かつ複々線(→"Broad way": 幅広の道、メインストリート)であったことに由来する。
20世紀特急と同様、鉄道の衰退に伴い、サービスの水準は徐々に低下したが、ブロードウェイ特急の名前は永らく残り、1990年代までニューヨーク - シカゴ間を結ぶ列車として活躍を続けた。
メトロライナー ("Metroliner")
ニューヨークとワシントンを約3時間、最高速度200km/h運転を目指して投入された高速電車。日本の新幹線に刺激されたとも言われている。ペンシルバニア鉄道時代に計画され、車両も製造されたが、運転開始はペン・セントラル鉄道発足後の1969年となった。同社の倒産により、以後はアムトラックの運営となる。1980年代前半には電車の故障が頻発し、電気機関車(AEM-7型)+客車(Amfleet型)に置き換えられるも、アセラ・エクスプレス登場まで「メトロライナー」の名前は残った。
その他の主要列車(1940年代)
- スピリット・オブ・セントルイス (ニューヨーク - セントルイス) 全車プルマン寝台
- マンハッタン特急 (ニューヨーク - シカゴ)
- クリーブランダー (ニューヨーク - クリーブランド)
- シンシナティ特急 (ニューヨーク - シンシナティ)
- ペンシルバニア特急 (ニューヨーク - シカゴ)
- ジェネラル (ニューヨーク - シカゴ)
- リバティー特急 (ワシントン - シカゴ)
- アメリカン (ニューヨーク - セントルイス)
- レッド・アロー (ニューヨーク - デトロイト)
- アドミラル (ニューヨーク - シカゴ)
- トレイル・ブレーザー (ニューヨーク - シカゴ) 全車座席列車
- ゴールデン・アロー (ニューヨーク - シカゴ)
- エジソン (ニューヨーク - ワシントン) 全車プルマン寝台
- スピーカー、レジスレーター、ジュディシャリ、ポトマック、レプリゼンタティブ、エグゼクティブ、リージョン、アーリントン、マウント・ヴァーノン、コンスティテューション、コングレッショナル、アンバシー (ニューヨーク - ワシントン) 昼行座席列車、パーラーカー連結
- パトリオット、コロニアル、セネター (ボストン - ワシントン) 昼行座席列車、パーラーカー連結
- フェデラル (ボストン - ワシントン)
機関車
- T1 軸配置4-4-4-4のデュプレックス型蒸気機関車、1942年製造
- S1 軸配置6-4-4-6のデュプレックス型蒸気機関車、T1の原型 1939年製造
- K4s 軸配置4-6-2(パシフィック)の蒸気機関車、1914年から1928年にかけて製造、流線型改造車も存在
- E6s 軸配置4-4-2(アトランティック)の蒸気機関車、平坦線で活躍
- S2 軸配置6-8-6の蒸気タービン機関車、1944年製造
- GG1 レイモンド・ローウィのデザインによる代表的な旅客用電気機関車、アムトラックへの継承後も1980年代まで活躍した
- DR-6-4-2000 レイモンド・ローウィがデザインしたシャークノーズと呼ばれる車体形状を持ったディーゼル機関車。1948年製造。ブロードウェイ特急も牽引
電車
- Silverliner I(シルバーライナーI)
- 1958年にバッド社で製造された軽量ステンレス製電車。1956年同社製の軽量ステンレス製客車 "Pioneer III" をベースにした電車で、当初は客車と同じ "Pioneer III" を名乗った。余談だが、東急7000系電車などで採用された「パイオニアIII台車」は、この客車・電車で開発・採用され、バッド社と東急車輛製造との提携により日本に持ち込まれた。
- Silverliner II(シルバーライナーII)
- 1963年にバッド社で製造された軽量ステンレス製電車。現在もSEPTAで活躍する。
- Silverliner III(シルバーライナーIII)
- 1967年に St. Louis Car 社で製造された軽量ステンレス製電車。現在もSEPTAで活躍する。
- Metroliner(メトロライナー)
- 1967年にバッド社で製造された「メトロライナー」用のステンレス製高速電車。電気機器はゼネラル・エレクトリック (GE)・ウェスティングハウス (WH) 製。
関連項目
参考文献
- Joe Welsh. Pennsy Streamamliners The Blue Ribbon Fleet Kalmback Publications 1999年 ISBN 0-89024-293-3
外部リンク
- Inside the Broadway Limited promotional booklet published by PRR(英語版).
- Pennsylvania Railroad Technical and Historical Society(英語版)
- PRR Chronology - in depth(英語版)
- PRR Corporate History(英語版)
- PennsyRR.com - comprehensive PRR facts and history site, comprising multiple individual websites(英語版).
- prr.railfan.net - contains a lot of PRR information, including equipment diagrams, freight car info(英語版).
- http://www.nps.gov/history/history/online_books/railroad/shst.htm (英語版)
- The New York tunnel extension of the Pennsylvania Railroad Transactions of the American Society of Civil Engineers, vol. LXVIII, Sept. 1910, by B.F. Cresson, Jr, from Project Gutenberg(英語版)
- Orr, John W. Set Up Running: The Life of a Pennsylvania Railroad Engineman, 1904-1949(英語版), Penn State Press,2001 ISBN 0-271-02056-3
- Pennsylvania Railroad GG-1 Page 1, of 2: Stan's Railpix(英語版)