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日本人: おーるたいむ200
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*[[寺山修司]]: 『シナリオ』誌のなかの[[白坂依志夫]]らとの鼎談で、レーゼシナリオという語を発していた。表記上は「レーゼ・シナリオ」となっていた<ref>[http://www.nhk.or.jp/bunken/symposium/2011/pdf/a_data1-2.pdf 「レーゼ・シナリオ」で検索できる]</ref>。
*[[寺山修司]]: 『シナリオ』誌のなかの[[白坂依志夫]]らとの鼎談で、レーゼシナリオという語を発していた。表記上は「レーゼ・シナリオ」となっていた<ref>[http://www.nhk.or.jp/bunken/symposium/2011/pdf/a_data1-2.pdf 「レーゼ・シナリオ」で検索できる]</ref>。
*[[猪俣勝人]]: 『[http://ci.nii.ac.jp/naid/40001609229 レーゼ・シナリオに就いて]』という時評を[[1949年]]に『シナリオ文芸』誌(新人シナリオ作家協会・刊)上に発表した。
*[[猪俣勝人]]: 『[http://ci.nii.ac.jp/naid/40001609229 レーゼ・シナリオに就いて]』という時評を[[1949年]]に『シナリオ文芸』誌(新人シナリオ作家協会・刊)上に発表した。
*[[山根貞男]]: [[キネマ旬報]]増刊号での、脚本家・[[向井康介]]との対談で、レーゼシナリオという語は使わなかったものの、「シナリオ文芸」や「読むためのシナリオ」について言及した。
*[[山根貞男]]: [[キネマ旬報]]増刊号『オールタイムベスト映画遺産200』での、脚本家・[[向井康介]]との対談で、レーゼシナリオという語は使わなかったものの、「シナリオ文芸」や「読むためのシナリオ」について言及した。
*[[天瀬裕康]]
*[[天瀬裕康]]
*[[月本裕]]: [[編集者]]、[[フリーライター]]であるが、いくつかの文学作品もあった。[[夏目漱石]]の『[[文鳥]]』をシナリオ化。映画化されていない。『キャッチ』([[マガジンハウス]]・刊)に所収。
*[[月本裕]]: [[編集者]]、[[フリーライター]]であるが、いくつかの文学作品もあった。[[夏目漱石]]の『[[文鳥]]』をシナリオ化。映画化されていない。『キャッチ』([[マガジンハウス]]・刊)に所収。

2012年1月20日 (金) 15:30時点における版

レーゼシナリオは、映画脚本(シナリオ)の形式で書かれた文学作品で、レーゼドラマの一種である。

「レーゼシナリオ」という単語について

「レーゼシナリオ」という語は、ドイツ語英語を混交した昭和生まれの和製洋語であり、「レーゼドラマ」のように一般の国語辞典には載っている語ではないが、いくつかのカタカナ語辞典には載っている[1]。辞書以外の本では、新藤兼人の『シナリオの話』(社会思想社1955年・刊)に用語の説明があるが、ここではやや否定的に扱われている[2]。また、東京外語大教授宇戸清治の論文に、チャート・コープチッティの『逆風 Lom Long』という作品を論じた『現代タイ文学に見る表現技法(2):レーゼシナリオとしての「ロム・ロン」』というものがあり、『東京外大東南アジア学』第10巻に収められた。レーゼシナリオという語が学術論文のタイトルに使われた実例である。

紙媒体以外でも、市販されているパソコンのなかで高いシェアを占めるタイプのものは「れーぜしなりお」から「レーゼシナリオ」に一発変換できることから、プレインストールされている辞書の語彙にも、この語が入っていることが分かる。

まれに「レーゼ・シナリオ」などと表記される場合もあるが、これはインターネットを「インター・ネット」と表記するようなものである。

特徴

レーゼドラマとレーゼシナリオを区別する場合、その形式の表層的な違いは、後者では場面転換が多いゆえに柱書きの数が多くなること、映像劇を念頭に置いているため撮影用語や編集用語(ズームアップ、フェードインなど)が書き込まれていることなどである。要するに、映像脚本と舞台脚本の相違点と同様である。

芥川龍之介のレーゼシナリオ「浅草公園」を萩原朔太郎が評して言った「映画に附属する下書き様のものでなく、それ自身で完成された文学であり、且つ文学自身の中に、一巻の映画をイメージさせる」という言葉に巧く要約されるだろう。[3]

具体例

レーゼシナリオと呼ばれた作品の実例として、芥川龍之介の『浅草公園』『誘惑』、ルイ=フェルディナン・セリーヌの『島の秘密』などが挙げられるが、これらは大作家による実験的試みの一つという程度のものである[4]

レーゼシナリオと呼べるような作品でデビューした作家に、『ニグロフォビア』(白水社・刊)のダリウス・ジェームズがいる。

また、日本における最近例に、大西巨人の小説をシナリオ化した『シナリオ 神聖喜劇』(荒井晴彦・著、太田出版から2004年刊行)や『天皇の誕生 映画的「古事記」』(長部日出雄・著、集英社から2007年に刊行)などがある。

レーゼドラマとは呼び難いレーゼシナリオ

必ずしもレーゼシナリオをレーゼドラマの部分集合と言えない面もある。たとえば芥川の上記2作は、起承転結という構成を有する劇映画のシナリオというより、『アンダルシアの犬』のようなシュールな映像作品、あるいは映像詩のシナリオといった趣である。レーゼドラマといったら劇文学であるが、形式面ではなく内容面から見たら、レーゼシナリオは「ドラマ(戯曲)」ではないものも含むと考えられる。また、後述するように小説に分類される場合もある。

レーゼシナリオの映画化

レーゼシナリオとして書かれ出版されながら実際に映画化された作品に、ウィリアム・バロウズの『ダッチ・シュルツ 最期のことば』(白水社・刊)がある。1969年に出版されたこの作品は、2001年にGerrit van Dijk 監督によって映画化され、ルトガー・ハウアーが声の出演を務めている。また、前掲の『ニグロフォビア』にもオリバー・ストーンから映画化のオファーがあったと訳者あとがきに記されている。

ソ連の作家レオニード・レオーノフの『マッキンリー氏の逃亡』(Бегство мистера Мак-Кинли)も、1961年に出版され、1975年に映画化された。

小説と見なされたレーゼシナリオ

『ニグロフォビア』や『ダッチ・シュルツ 最期のことば』の日本語版には、「映画シナリオ形式の小説」と副題がついており、また、英語版wikipediaの記事でも"novel"(=小説)とされている。このことから、レーゼシナリオが必ずしも戯曲に分類されるとは限らない、ということがわかる。

ロバート・アントン・ウィルソンも、両者と似た趣向の作品"Reality Is What You Can Get Away With"を書いており、その独特のスタイルについて"novel-cum-screenplay"(小説兼映画脚本)と称されたこともある。

以上のように、レーゼシナリオが戯曲の一ジャンルではなく、小説の一ジャンルに分類されてしまうことも少なくない。散文で書かれたフィクションを小説と呼ぶのであれば、レーゼシナリオもレーゼドラマも、散文劇の戯曲でさえも小説に分類しても間違いではない。しかし、生物学的には人間も動物でありながら日常会話で「動物」と言ったら「人間以外の動物」を指すのが暗黙の了解であるのと同様に、「小説」と言ったら普通そこに劇文学は含まない。にもかかわらず、レーゼシナリオだけが小説に分類されることがあるのは、映画などの映像メディアの歴史が浅く、シナリオが、戯曲とか劇文学とは程遠いものと見なされてきた、という背景があるからであろう。

『マッキンリー氏の逃亡』も、「シナリオ体のSF小説」と紹介されたことがある[5]平井和正の『ハルマゲドンの少女』は、平井本人による「シナリオノベル」という呼称で発表された。

レーモン・クノーの『イカロスの飛行』も、「シナリオ形式の小説(Roman en forme de scénario)」と呼ばれた[6]

デュラスの”シネ・ロマン”

映画監督も務めた女流作家マルグリット・デュラスには、『インディア・ソング』および『破壊しに、と彼女は言う』という戯曲とシナリオと小説が融合したような作品がある。前者には「テクスト・テアトル・フィルム」という副題が付けられ、後者は文庫版の裏表紙で「小説とも戯曲とも映像作品ともつかぬ」と評された。この点について、訳者の田中倫郎は「”シネ・ロマン”という言葉があればこれらの作品をうまく形容できるが、現時点では単に”書き物(エクリチュール)”と呼ぶしかない」と述べた[7]

『破壊しに、と彼女は言う』の文庫版訳者後書きによると、前作までタイトルに付記されていた"Roman"というジャンル名がこの作品から消えたという。「私自身は、もうロマンは読めなくなっている。こんにち、バルザックプルーストのように書くことは出来ない」というデュラスの発言も後書きに紹介されている。ちなみに、本作が発表されたのが1969年、《断絶》という名の叢書からの刊行だった。

クローゼット・スクリーンプレイ

映画製作では企画が頓挫することがままあり、そのような場合でも脚本を手がけた作家が著名だったりするとシナリオだけが出版されることがある(例:フィリップ・K・ディックの『ユービック:スクリーンプレイ』、筒井康隆の『大魔神』)。それをレーゼシナリオと呼べるかどうかは両論あるが、このケースに該当するものに、アレックス・ヘイリー編のマルコムX自伝をジェームズ・ボールドウィンが脚色した"One Day When I Was Lost"(1972年)というシナリオがあり、アイダホ州立大学助教授ブライアン・ノーマン(Brian Norman)の論文でこれが"closet screenplay"と呼ばれた事実もある。英語でレーゼドラマを"closet play[8]"、シナリオを"screenplay"と言うから、これはレーゼシナリオと訳されうる。

なお、筒井には『シナリオ・時をかける少女』という自作のパロディ・シナリオがあり、これは読み物として書かれたと言えよう。また、1990年代に製作されたスパイク・リー監督の『マルコムX』は、ボールドウィンの上記のシナリオに基づいているが、遺族の要望によりボールドウィンの名は伏せられ、脚色者であるアーノルド・パール(赤狩り被害者)とリー監督が脚本にクレジットされた。シナリオ出版後も、企画はデヴィッド・マメットらの手を渡った挙句、ようやく陽の目を見たのだという。[9]

インターネット発のレーゼシナリオ

紙媒体ではなくウェブ上に発表されたレーゼシナリオの代表例として、岡本呻也愛媛県警の元巡査部長仙波敏郎について書いた『正義の人 シナリオ版仙波敏郎物語』がある。

レーゼシナリオの歴史

  • 1927年 芥川龍之介『浅草公園』『誘惑』(日本)
  • 1936年 セリーヌ『島の秘密』(フランス)
  • 1961年 レオーノフ『マッキンリー氏の逃亡』(ソ連)
  • 1968年 レーモン・クノー『イカロスの飛行』(フランス)
  • 1969年 バロウズ『ダッチシュルツ 最期のことば』(アメリカ)

        デュラス『破壊しに、と彼女は言う』(フランス)

  • 1973年 デュラス『インディア・ソング』(フランス)
  • 1982年 平井和正『ハルマゲドンの少女』
  • 1992年 ダリウス・ジェームス『ニグロフォビア』(アメリカ)
  • 2004年 荒井晴彦 『シナリオ神聖喜劇』(日本)
  • 2007年 長部日出雄『天皇の誕生』(日本)

関連項目

事項

作品名

  • 映画:ブレードランナー』:1979年に書かれたバロウズの小説。明瞭なシナリオ形式ではないが、ある架空の映画についてある語り手がある聞き手に内容を説明するというスタイルであるため、大部分が自然にシナリオに似た文体になっている。リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』のタイトルの元ネタの一つとなったが、内容的には無関係。

人名

日本人

  • 寺山修司: 『シナリオ』誌のなかの白坂依志夫らとの鼎談で、レーゼシナリオという語を発していた。表記上は「レーゼ・シナリオ」となっていた[10]
  • 猪俣勝人: 『レーゼ・シナリオに就いて』という時評を1949年に『シナリオ文芸』誌(新人シナリオ作家協会・刊)上に発表した。
  • 山根貞男: キネマ旬報増刊号『オールタイムベスト映画遺産200』での、脚本家・向井康介との対談で、レーゼシナリオという語は使わなかったものの、「シナリオ文芸」や「読むためのシナリオ」について言及した。
  • 天瀬裕康
  • 月本裕: 編集者フリーライターであるが、いくつかの文学作品もあった。夏目漱石の『文鳥』をシナリオ化。映画化されていない。『キャッチ』(マガジンハウス・刊)に所収。
  • 川本三郎: 著書『大正幻影』(新潮社)の『「紙上建築」の世界』という章のなかの、芥川の『浅草公園 -或シナリオ-』について言及している箇所に、本作は「映画のシナリオの形式で書かれて」おり、「映画化を考えていたものでは毛頭ないにしても、芥川龍之介も映画に関心を持っていたのは興味深い」とある。また、同書で川本は、谷崎潤一郎の『月の囁き』も、映画を空想して書かれた(言い換えれば、具体的な製作プロジェクトのために書かれたわけではない)シナリオだと述べた。
  • 横山博人: 映画監督兼脚本家。自身のブログで、「レーゼシナリオ」という語を、否定的な意味合いで用いた[11]

外国人

脚注

  1. ^ レーゼシナリオという語の説明が載っているカタカナ語辞典に、三省堂の『コンサイス・カタカナ語辞典』、旺文社の『カタカナ語・略語辞典』、集英社の『日本語になった外国語辞典』、角川書店の『外来語辞典』(あらかわ・そおべい編著)などがある。
  2. ^ 『シナリオの話』新藤兼人・著(社会思想社・現代教養文庫)。217頁に「レーゼ・シナリオ」という項目がある。「シナリオの形式を借りた文学形式」であると、その文学的独立性を認めてはいるが、「活字にならない小説が意味を持たないように、フィルムにならないシナリオはシナリオと呼べるものでは」ないからナンセンスだとも述べている。また、日本映画の過渡期には迎えられたが今は提唱者はいないとも伝える。
  3. ^ 雑誌『国文学』(学燈社)2008年12月号「特集 映画文学」、安藤公美の小論「芥川龍之介 ~Vitascopeから《キイン》以後、そして白黒サイレント映画の終焉まで」より。
  4. ^ なお、上述の芥川作品とセリーヌ作品がレーゼシナリオと呼ばれたのは、前者は土井美智子の修士論文『芥川龍之介論─表現形式の変遷とその芸術観─』(東京大学大学院人文社会系研究科文学部研究教育年報6・所収)第二部五章において、後者は国書刊行会公式サイトのセリーヌ全集第14巻への解説文においてである。
  5. ^ 集英社世界文学大事典人名編
  6. ^ クノー・ネット:フランス語によるレーモン・クノーのファンサイト。Bibliographieをクリックすると、『イカロスの飛行(Le Vol d'Icare)』についての情報が得られる。"Roman en forme de scénario"というフレーズもここに出てくる。
  7. ^ 『破壊しに、と彼女は言う』(河出文庫)訳者あとがき
  8. ^ 正式な英語または学術用語としては"closet drama"が普通であるが、大修館書店の『ジーニアス英和辞典』等いくつかの英和辞典やオンライン独英辞典などで、"closet play"と言い換え可能とされている。また、ウェルズ・カレッジのキャサリン・バロウズ(Catherine Burroughs)助教授は、"closet play"という言葉をよく使う。(外部リンクを参照)
  9. ^ Trivia for Malcolm X
  10. ^ 「レーゼ・シナリオ」で検索できる
  11. ^ http://ateliercat.exblog.jp/725309/
  12. ^ 『ときにはハリウッドの陽を浴びて』トム・ダーディス著、岩本憲児ら訳(研究社出版)。295頁に「『家』や『人間の運命』のような脚本作品は、エイジーの、"レーゼ・ドラマ[読むための戯曲]"の映画版とも受け取られるだろうが」というくだりがある。
  13. ^ クインビー・メルトン『制作の曖昧な優位性』の付記(外部リンク)
  14. ^ 『制作の曖昧な優位性』(外部リンク)本文参照

外部リンク

作品

論考・インタビュー・評論

  • ブライアン・ノーマンの論文 Reading a "closet screenplay": Hollywood, James Baldwin's Malcolms and the threat of historical irrelevance
  • 『芥川龍之介論─表現形式の変遷とその芸術観─』第二部第五章[2]……Ctrl+F+「レーゼ・シナリオ」で検索可能
  • キャサリン・バロウズが書いた書評[3]……"closet play"という言葉が何回か出てくる。
  • 『Production's "dubious advantage"』……クインビー・メルトン(『スクリプト・ジャーナル』編集者)によるレーゼシナリオ論。タイトルは、シラーがレーゼドラマ『群盗』発表時に書いた序文から得ている。その序文は本論冒頭にも引用されている。タイトルは『制作の曖昧な優位性』と訳されよう。シラーによる序文では制作とは舞台制作のことであるが、メルトンによる本文中では文芸作品の制作を意味する。またメルトンによると、芥川の『或阿呆の一生』や『』もレーゼシナリオだそうである。たしかに、両者とも『十二 軍港』『東京。』『横浜。』などの場所表記が、シナリオにおける柱書きのようでもあり、地の文は過去形で終わっているものが多いが、ト書きのようにも読める。芥川をレーゼシナリオの先駆者としており、彼が『浅草公園』などを書いた1920年代から1930年代に、アメリカでも(レーゼシナリオではないが)似たようなスタイルの作品をドス・パソスが書いていたことが報告されている。
  • スクリプト・ジャーナル誌上、山形浩生インタビュー『ダッチ・シュルツ 最期のことば』『ニグロフォビア』などを翻訳した山形浩生が、それらの作品を手がけた経緯や反応や売れ行き、および日本における劇文学の受容のあり方について同誌に答えている。

その他

  • 国書刊行会HP・セリーヌ全集の頁[4]……「レーゼ・シナリオ」という言葉が出てくる。
  • インフォシーク楽天マルチ辞書[5]……「レーゼシナリオ」という単語が検索できるウェブ辞書(カタカナ語辞典)。また、ここの英和辞典で"closet drama"を検索すれば、"closet play"と言い換え可能であることが確認できる。
  • dict.cc[6]……"Lesedrama"を検索すると"closet drama"と"closet play"双方の英語句を表示するオンライン独英辞典
  • LESESCENARIO BIBLIOGRAPHY by Quimby Melton