「藁」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
15行目: | 15行目: | ||
藁細工を行うにはハカマと呼ばれる[[下葉]]を取り去るワラスグリをはじめワラ切り、ワラ打ちなどの加工<ref>ワラスグリをされた「スグリワラ」は藁悍にある程度の堅さを必要とするもの、ワラ打ちをされた「ウチワラ(タタキワラ)」はしなやかさと緻密性・強靭性のある藁繊維を必要とするもの、わら切りをされた「キリワラ」は一定の長さに揃えられた藁束を原料とするものを作るために用いられた。</ref>、更に[[腐熟]]を防止するために[[囲炉裏]]で乾燥させるとともに煙の微粒子を付ける作業も重要であった。とはいえ、これらの作業以外は基本的には撚り・束ね・組み・編み・巻上げ・織りといった比較的習熟しやすい作業が多く、農作業が出来ない冬などに老若男女を問わずに現金収入を得るための'''藁仕事'''が行われた。 |
藁細工を行うにはハカマと呼ばれる[[下葉]]を取り去るワラスグリをはじめワラ切り、ワラ打ちなどの加工<ref>ワラスグリをされた「スグリワラ」は藁悍にある程度の堅さを必要とするもの、ワラ打ちをされた「ウチワラ(タタキワラ)」はしなやかさと緻密性・強靭性のある藁繊維を必要とするもの、わら切りをされた「キリワラ」は一定の長さに揃えられた藁束を原料とするものを作るために用いられた。</ref>、更に[[腐熟]]を防止するために[[囲炉裏]]で乾燥させるとともに煙の微粒子を付ける作業も重要であった。とはいえ、これらの作業以外は基本的には撚り・束ね・組み・編み・巻上げ・織りといった比較的習熟しやすい作業が多く、農作業が出来ない冬などに老若男女を問わずに現金収入を得るための'''藁仕事'''が行われた。 |
||
⚫ | [[1960年代]]以後の農業の省力化と藁製品そのものの需要の減少によって藁仕事は殆ど見られなくなった。かつて、農業地域の収穫期には大量の藁が発生するため、業者が大型[[貨物自動車|トラック]]でその買い付けにやって来るという光景がごく当り前に見られた。だが、[[コンバイン]]が収穫作業の中心となってからは、藁を切断してコンバインから排出させ、そのまま肥料として利用することが多くなった(すき込みと言う)。藁の流通が少なくなった今日では、藁が貴重なものとして取扱われる傾向にある。最近の研究で[[本田技術研究所]]から[[バイオマスエタノール]]の製造実験が発表されている<ref>{{Cite web|title=RITEとHonda、セルロース系バイオマスからのエタノール製造新技術を共同開発|url=http://www.honda.co.jp/news/2006/c060914.html|accessdate=2008年10月5日|author=本田技術研究所|language=日本語|date=2006年9月14日}}</ref>。 |
||
だが、原料代が不要でかつ多くの村々で藁仕事が行われたことは結果的には藁製品が大量かつ安価で流通することになり、藁を無駄なく利用しようとする農村部とは違う意識を単なる消費者に過ぎない都市部に植え付ける結果となった。これは「米は藁作り」「藁を焼いたら笑われる」と言われた農村部に対して「溺れる者は藁をも掴む」「藁包に黄金」など藁を安価なもの、粗末なものとして捉える都市部の言葉の違いとなって現れた。[[18世紀]]に[[蝦夷地]]の[[アイヌ]]の元を訪れた日本人が「アイヌは鮭を主食としているのにその皮を足に履いて踏みつけにしている」ことを非難した際にアイヌから逆に「和人(日本人)は米を主食としていながらその藁を足に履いて踏みつけにしているではないか」と反論されたという話が伝えられている。<!-- 『日本史大事典』の「藁」の記事に載っていたのですが、具体的な出典が分かれば付けていただくと助かります。 --> |
|||
== 稲わらの需要状況 == |
|||
明治以後の農村振興政策でも藁仕事を奨励され一定の成果を収めたものの、それが更なる商品化と安価で粗末な消費物という観念を広める結果となった。 |
|||
平成15年度、国産稲わらは約871万t 生産されているが、利用状況をみると飼料用は約1割にとどまっており、約8割の稲わらは、すき込み・焼却等で処分されている。飼料用稲わらの総供給量は119万tであり、このうち、国内産稲わらは85%、輸入稲わらは15%。<ref>農林水産省生産局畜産部畜産振興課[http://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/lin/l_siryo/pdf/wara_meguru_zyosei.pdf/ 「稲わらをめぐる状況」平成17年3月] より</ref> |
|||
⚫ | |||
== 製品 == |
== 製品 == |
2012年11月30日 (金) 18:17時点における版
藁(わら)とは稲・小麦等、イネ科植物の茎のみを乾燥させた物。これを利用して様々な製品になっている。
日常生活においては、藁は古来より大切な副産物であって、下記項目で挙がっているように様々な製品の原料として利用されてきた。
概要
古来から稲の生産が盛んであった日本では、藁は大量に出る副産物であり、これをいかに利用していくかが生活そのものであったと言っても良い。日本以外において麦の生産が盛んな地域に目を向ければ、麦の藁(麦藁)を様々に利用する歴史が連綿と続いている。これらでは、後述するように工芸によって日用品を作ったり、あるいは家畜の飼料、燃料、緩衝材、家畜のそれを含む寝具など多岐にわたる。
日本において例えば、『万葉集』の中でも見られる住宅に藁を敷いて寝るというスタイルは古代から地域によっては江戸時代まで続き、住宅が板敷きになっても藁布団を用いたり、茣蓙や筵のような敷物や畳・円座などの藁製品の上に座る風習は長く続いた。また、伝統的な日本家屋でも藁の利用は多く、木舞・苆として壁に塗り込んだ[1]り、重要部分を藁縄で結んだりした。
衣服としては笠や蓑、草鞋、藁手袋、雪国における深沓など、食生活では鍋敷や鍋掴、束子や容器類など、その他箒や俵、畚、縄跳用の縄なども藁製品の代表例である。また、注連縄や藁馬、藁人形など宗教的な側面や、燃料・肥料・飼料などのエネルギーとしての側面なども有していた。不要な藁製品は堆肥化することで有用なまま処理することが可能であった。
藁細工を行うにはハカマと呼ばれる下葉を取り去るワラスグリをはじめワラ切り、ワラ打ちなどの加工[2]、更に腐熟を防止するために囲炉裏で乾燥させるとともに煙の微粒子を付ける作業も重要であった。とはいえ、これらの作業以外は基本的には撚り・束ね・組み・編み・巻上げ・織りといった比較的習熟しやすい作業が多く、農作業が出来ない冬などに老若男女を問わずに現金収入を得るための藁仕事が行われた。
1960年代以後の農業の省力化と藁製品そのものの需要の減少によって藁仕事は殆ど見られなくなった。かつて、農業地域の収穫期には大量の藁が発生するため、業者が大型トラックでその買い付けにやって来るという光景がごく当り前に見られた。だが、コンバインが収穫作業の中心となってからは、藁を切断してコンバインから排出させ、そのまま肥料として利用することが多くなった(すき込みと言う)。藁の流通が少なくなった今日では、藁が貴重なものとして取扱われる傾向にある。最近の研究で本田技術研究所からバイオマスエタノールの製造実験が発表されている[3]。
稲わらの需要状況
平成15年度、国産稲わらは約871万t 生産されているが、利用状況をみると飼料用は約1割にとどまっており、約8割の稲わらは、すき込み・焼却等で処分されている。飼料用稲わらの総供給量は119万tであり、このうち、国内産稲わらは85%、輸入稲わらは15%。[4]
製品
脚注
- ^ この方法の存在は7世紀の遺跡から確認することが出来る。
- ^ ワラスグリをされた「スグリワラ」は藁悍にある程度の堅さを必要とするもの、ワラ打ちをされた「ウチワラ(タタキワラ)」はしなやかさと緻密性・強靭性のある藁繊維を必要とするもの、わら切りをされた「キリワラ」は一定の長さに揃えられた藁束を原料とするものを作るために用いられた。
- ^ 本田技術研究所 (2006年9月14日). “RITEとHonda、セルロース系バイオマスからのエタノール製造新技術を共同開発”. 2008年10月5日閲覧。
- ^ 農林水産省生産局畜産部畜産振興課「稲わらをめぐる状況」平成17年3月 より
参考文献
- 塚本学「藁」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年) ISBN 978-4-582-13106-2)
- 宮崎清「藁」(『日本民俗大辞典 下』(吉川弘文館、2000年) ISBN 978-4-642-01333-8)