「梅平 (身延町)」の版間の差分
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[[富士川]]の左岸に位置し、[[身延線]][[身延駅]]と[[身延山]][[久遠寺]]のほぼ中間に位置する。[[富士山]]のほぼ真西に位置している<ref>『[[週刊少年マガジン]]』にて連載されている「[[賭博覇王伝 零|賭博覇王伝 零 ギャン鬼編]]」に当地名が登場し、富士山の真西であることが紹介されている。</ref>が、[[天子山地]]に阻まれ当地から直接富士山を見ることは困難である。 |
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身延駅前は[[しょうにん通り商店街]]、身延山が[[門前町]]として商店が並ぶのに対し、梅平は役所をはじめ教育、医療、農協などの施設が集中している。 |
2013年1月29日 (火) 12:52時点における版
梅平(うめだいら)は山梨県南巨摩郡身延町の地名である。郵便番号は409-2531。
地理
富士川の左岸に位置し、身延線身延駅と身延山久遠寺のほぼ中間に位置する。富士山のほぼ真西に位置している[1]が、天子山地に阻まれ当地から直接富士山を見ることは困難である。
身延駅前はしょうにん通り商店街、身延山が門前町として商店が並ぶのに対し、梅平は役所をはじめ教育、医療、農協などの施設が集中している。
歴史
鎌倉時代中期に南部実長(波木井実長)が父・南部光行から波木井郷飯野を分与され、当地に移り住んだのが始まりとされている[2]。その後実長は日蓮を招き入れ、日蓮は身延山を開山、久遠寺を建立した。実長が住んでいた氏館はその後寺に改修され鏡円坊となり、同地に現存している。
1872年(明治5年)に実施された県内80区制において巨摩郡梅平村(本遠寺寺社領)となったが、[3]1876年(明治9年)に寺社領は廃され、身延村・波木井村・大野村の周辺3村と合併して「南巨摩郡身延村梅平」となった。1931年(昭和6年)1月1日に町制執行され「南巨摩郡身延町梅平」となり、その後 1955年(昭和30年)と2004年(平成16年)に合併が行われたが字はそのままとなっている。
交通
路線バス
- 山交タウンコーチ
- 身延駅…(所要時間約5分)…身延町役場身延支所入口-JAふじかわ身延支所-身延高校-身延駐在所-通学橋-鏡円坊…(所要時間5分)…身延山
- 身延山…(所要時間約10分)…JAふじかわ身延支所-身延町役場身延支所前…(所要時間約20分)…波高島駅
- 早川町乗合バス
- 身延駅…(所要時間約5分)…身延支所前(山交タウンコーチ身延町役場身延支所前と同じ場所)…(所要時間約95分)…奈良田温泉
高速バス
- 上記「身延町役場身延支所前」バス停と同じ場所に位置する(西側へ徒歩2分の場所に「身延町役場身延支所入口」バス停がある)。
施設
- 鏡円坊(波木井氏館跡)
- 身延町役場身延支所(2004年の合併前は身延町役場であった)
- 山梨県立身延高等学校
- 身延町立身延中学校
- 身延町立身延小学校
- 身延山病院
脚注
- ^ 『週刊少年マガジン』にて連載されている「賭博覇王伝 零 ギャン鬼編」に当地名が登場し、富士山の真西であることが紹介されている。
- ^ 南部氏とのつながり(遠野テレビホームページより)
- ^ 身延町ホームページより
- ^ 静岡甲府線は身延駅または身延山は経由しないため、路線バスへ乗換となる。