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'''ロビー・ディーンズ'''('''Robbie Maxwell Deans''', [[1959年]][[9月4日]] - )は、[[ニュージーランド]]出身の[[ラグビー]]指導者、元ラグビー選手。[[ラグビーオーストラリア代表]]ヘッドコーチ。
'''ロビー・ディーンズ'''('''Robbie Maxwell Deans''', [[1959年]][[9月4日]] - )は、[[ニュージーランド]]出身の[[ラグビー]]指導者、元ラグビー選手。[[ラグビーオーストラリア代表]]ヘッドコーチ(2008年 - 2013年)を歴任


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[File:Robbie Deans 2011.jpg|thumb|200px|right|ロビー・ディーンズ]]
[[File:Robbie Deans 2011.jpg|thumb|200px|right|ロビー・ディーンズ]]
;現役時代
;現役時代
[[南島 (ニュジーランド)|南島]]シャビオット出身。[[クライストチャーチ]]の名門[[クライスト・カレッジ (カンタベリー)|クライスト・カレッジ]]卒業後、[[リンカーン大学 (ニュージーランド)|リンカーン大学]]に短期間在籍(リンカーン大学では[[学位]]を取得していない)。1979年から1990年までカンタベリー州代表選手としてファースト・ファイブ・エイト、フルバックとして選手生活を送る。1983年から1985年まで[[ラグビーニュージーランド代表]](オールブラックス)に選出され5キャップ。
北カンタベリ地方フルヌイ地区シャビオット出身。[[クライストチャーチ]]の名門[[クライスト・カレッジ (カンタベリー)|クライスト・カレッジ]]卒業後、[[リンカーン大学 (ニュージーランド)|リンカーン大学]]に短期間在籍(リンカーン大学では[[学位]]を取得していない)。1979年から1990年までカンタベリー州代表選手としてファースト・ファイブ・エイト、フルバックとして選手生活を送る。1983年から1985年まで[[ラグビーニュージーランド代表]](オールブラックス)に選出され5キャップ。


;ラグビー指導者
;ラグビー指導者
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2011年シーズン、カストロール・エッジ戦で[[ラグビーサモア代表|サモア]]を相手に敗戦。[[2011 ラグビーワールドカップ]]予選プール4戦3勝1負で2位通過。決勝トーナメントに進出し準々決勝対[[ラグビー南アフリカ代表|南アフリカ]]に勝利し準決勝に進むも対[[ラグビーニュージーランド代表|ニュージーランド]]に破れる。3位決定戦で[[ラグビーウェールズ代表|ウェールズ]]に勝利し3位で終わる。同年8月、オーストラリアラグビー協会(ARU)と2年間の契約延長に合意。
2011年シーズン、カストロール・エッジ戦で[[ラグビーサモア代表|サモア]]を相手に敗戦。[[2011 ラグビーワールドカップ]]予選プール4戦3勝1負で2位通過。決勝トーナメントに進出し準々決勝対[[ラグビー南アフリカ代表|南アフリカ]]に勝利し準決勝に進むも対[[ラグビーニュージーランド代表|ニュージーランド]]に破れる。3位決定戦で[[ラグビーウェールズ代表|ウェールズ]]に勝利し3位で終わる。同年8月、オーストラリアラグビー協会(ARU)と2年間の契約延長に合意。

2012年シーズン、ウェールズ・オーストラリア遠征3戦3勝、[[ザ・ラグビーチャンピオンシップ|ラグビーチャンピオンシップ]]6戦3勝3負、北半球遠征4戦3勝1負。

2013年シーズン、[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ]]・オーストラリア遠征3戦1勝2負。同年7月7日にシドニーで行われた第3戦では41対16と大敗。オーストラリア代表は1989年以来の負け越しが決定。同年7月9日、ARUはディーンズの代表ヘッド辞任を発表した。ワラビーズ通算74戦43勝2分29負、勝率58.1%。対オールブラックス戦18戦3勝1分14負。後任のヘッドコーチにはユーウェン・マッケンジーが就任。


== その他 ==
== その他 ==

2013年7月13日 (土) 02:07時点における版

ロビー・ディーンズRobbie Maxwell Deans, 1959年9月4日 - )は、ニュージーランド出身のラグビー指導者、元ラグビー選手。ラグビーオーストラリア代表ヘッドコーチ(2008年 - 2013年)を歴任。

来歴

ロビー・ディーンズ
現役時代

北カンタベリー地方フルヌイ地区シャビオット出身。クライストチャーチの名門クライスト・カレッジ卒業後、リンカーン大学に短期間在籍(リンカーン大学では学位を取得していない)。1979年から1990年までカンタベリー州代表選手としてファースト・ファイブ・エイト、フルバックとして選手生活を送る。1983年から1985年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出され5キャップ。

ラグビー指導者

カンタベリーカントリー・U-21コーチ(1991年)、カンタベリーカントリーコーチ(1992年 - 1995年)を経て1997年にニュージーランド州代表選手権(NPC)カンタベリー州代表ヘッドコーチに就任。同年チームを優勝に導く。翌年には名門カンタベリー・クルセーダーズ(現在のクルセイダーズ)マネージャーに就任しウェイン・スミスのアシスタントを務める。2000年にスミスがオールブラックスヘッドコーチに就任したためクルセイダーズヘッドコーチに昇格。同年のスーパー12(現在のスーパー14)でオーストラリアのバンビーズを破りチームを優勝に導く。カンタベリー州代表とクルセイダーズヘッドコーチを兼任していたが、クルセイダーズヘッドコーチに専念するため2000年シーズンを最後にカンタベリー州代表ヘッドコーチを退任。2001年にジョン・ミッチェルオールブラックスヘッドコーチ(当時)のアシスタントに就任し2003年まで務める(役職はコーディネーター)。

スーパー12で2000年、2002年、2005年優勝、2003年、2004年準優勝、スーパー14で2006年、2008年に優勝。この間、カンタベリー最優秀コーチ賞(2001年、2003年、2005年、2006年)、ニュージーランド最優秀コーチ賞(2002年)を受賞。世界最高峰のラグビー指導者として呼び名が高く、クルセイダーズを世界最強のクラブチームへ育て上げる。指導者としての能力を高く評価され南アフリカ共和国のラグビーチームストーマースやラグビーオーストラリア代表ヘッドコーチ就任も噂された。

2007年ラグビーワールドカップ(フランス開催)でのオールブラックス惨敗を受け、次期オールブラックスヘッドコーチ就任の噂が立つ。ディーンズはオールブラックスヘッドコーチに立候補し本命と注目されるもグラハム・ヘンリーが再び立候補を表明し事実上の一騎打ちが展開された。2007年12月6日、ニュージーランドラグビー協会(NZRU)は、ヘンリーの留任を発表。この決定を受け同年12月14日、オーストラリアラグビー協会(ARU)は、ディーンズを次期同国代表ヘッドコーチに内定し2011 ラグビーワールドカップ(ニュージーランド開催)を見据えた人事案を発表。オーストラリアラグビー史上初となる外国人ヘッドコーチが誕生した。また契約の残るクルセイダーズヘッドコーチも2008年シーズン終了まで兼任することを発表した。

オーストラリア代表ヘッドコーチ

2008年シーズンはクルセイダーズを優勝に導きスーパー14を最高の形で終えオーストラリア代表ヘッドコーチへ就任。トライネイションズでは6戦3勝3敗で2位に終わる。

2009年シーズンは前哨戦となるバンダバーグ・ラム・シリーズ4戦4勝、トライネイションズ6戦1勝6負、北半球遠征7戦4勝1分2負。ヘッドコーチ就任2年目までに16名の新人選手がワラビーズに加入し新旧融合チームを編成。

2010年シーズンは4戦3勝1負、トライネイションズ6戦2勝4負、ブレディスローカップ4戦1勝3負、北半球遠征6戦4勝2負。

2011年シーズン、カストロール・エッジ戦でサモアを相手に敗戦。2011 ラグビーワールドカップ予選プール4戦3勝1負で2位通過。決勝トーナメントに進出し準々決勝対南アフリカに勝利し準決勝に進むも対ニュージーランドに破れる。3位決定戦でウェールズに勝利し3位で終わる。同年8月、オーストラリアラグビー協会(ARU)と2年間の契約延長に合意。

2012年シーズン、ウェールズ・オーストラリア遠征3戦3勝、ラグビーチャンピオンシップ6戦3勝3負、北半球遠征4戦3勝1負。

2013年シーズン、ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ・オーストラリア遠征3戦1勝2負。同年7月7日にシドニーで行われた第3戦では41対16と大敗。オーストラリア代表は1989年以来の負け越しが決定。同年7月9日、ARUはディーンズの代表ヘッド辞任を発表した。ワラビーズ通算74戦43勝2分29負、勝率58.1%。対オールブラックス戦18戦3勝1分14負。後任のヘッドコーチにはユーウェン・マッケンジーが就任。

その他

弟に元ラグビー選手でオールブラックス選出経験のあるブルース・ディーンズ、大おじにオールブラックス24キャップのボブ・ディーンズがいる。