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[[趣味]]は[[グルメ]]で、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている<!-- 女性に使うのは違和感があるが出典の表現に沿う --><ref>『応援ブック』p.18</ref>。意外な趣味としては[[バイク]]。アイスクリームは好物であるがチョコミントアイスクリームだけは苦手としている。2011年11月に[[大型二輪]]免許を取得している。愛車は[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]・[[XVS1300CAストライカー]]。普段は両親が乗っていてなかなか本人が乗れないとのこと。[[シーズー]]1匹と3匹の[[ダックスフント|カニンヘンダックスフント]]を飼っている愛犬家<ref group="※">一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」。ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『[[ケルティック・ウーマン]]』の「[[ユー・レイズ・ミー・アップ]]」の[[イタリア語]][[翻訳|訳]]「Tirami su」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。4匹目はアロマが産んだ「ローザ」</ref>。 |
[[趣味]]は[[グルメ]]で、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている<!-- 女性に使うのは違和感があるが出典の表現に沿う --><ref>『応援ブック』p.18</ref>。意外な趣味としては[[バイク]]。アイスクリームは好物であるがチョコミントアイスクリームだけは苦手としている。2011年11月に[[大型二輪]]免許を取得している。愛車は[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]・[[XVS1300CAストライカー]]。普段は両親が乗っていてなかなか本人が乗れないとのこと。[[シーズー]]1匹と3匹の[[ダックスフント|カニンヘンダックスフント]]を飼っている愛犬家<ref group="※">一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」。ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『[[ケルティック・ウーマン]]』の「[[ユー・レイズ・ミー・アップ]]」の[[イタリア語]][[翻訳|訳]]「Tirami su」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。4匹目はアロマが産んだ「ローザ」</ref>。 |
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2013年12月29日、一般男性と結婚したことを発表した<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2013/12/29/0006603858.shtml 荒川静香が一般男性と誕生日結] [[デイリースポーツ]]</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/12/29/kiji/K20131229007288460.html 荒川静香 一般男性とバースデー婚] [[スポーツニッポン]]</ref><ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/20131229/mar13122913510001-n1.html 荒川静香、32歳の誕生日婚] [[サンケイスポーツ]]</ref>。結婚相手の詳細については公表されていない。 |
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== スケート技術 == |
== スケート技術 == |
2013年12月29日 (日) 05:14時点における版
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2009年「Festa On Ice」での荒川静香 | ||||||||||||||||||
生誕 |
1981年12月29日(42歳) 東京都品川区 | |||||||||||||||||
出身地 | 神奈川県鎌倉市 | |||||||||||||||||
身長 | 166 cm[1] | |||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||
所属クラブ | プリンスホテル | |||||||||||||||||
引退 | 2006年5月 | |||||||||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||||||||||
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荒川 静香(あらかわ しずか、ラテン文字:Shizuka Arakawa, 1981年12月29日[1] - )は、日本のプロフィギュアスケーターで日本スケート連盟理事(2012年9月 - )。
主な競技成績は、2006年トリノオリンピック女子シングル金メダル、2004年世界選手権優勝、1998年長野オリンピック代表(13位)、2003年ユニバーシアード冬季大会・冬季アジア競技大会優勝、2004年GPファイナル2位など。
人物
1981年、東京都品川区にある関東逓信病院で生まれた。幼稚園教諭の母とサラリーマンの父のもと、神奈川県鎌倉市で1歳4ヶ月までを過ごす[※ 1]。名前の「静香」は、鎌倉に縁の深い静御前に因む[2]。その後、父親の転勤に伴い仙台市に転居。小学6年生の頃、同市のベッドタウンの利府町に引越した。大学入学とともに上京し、早稲田大学教育学部卒業後はプリンスホテルに所属。
公式ホームページ上では神奈川県鎌倉市出身とされているものの、乳幼児期~高校卒業までの時期を宮城県で過ごしており、トリノオリンピック当時も実家は宮城県利府町にあったことから、事実上の宮城県出身とも言える。
荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、費用が多く掛かるフィギュアスケートを続けていくために、母親が衣装を手作りするなどの両親の支えがあった[3]。
海外メディアからは、ポーカーフェイスであることもあり「クールビューティー」と称されていた[4]。日本での愛称はしーちゃん[5]。尊敬するスケーターはクリスティー・ヤマグチと佐藤有香[6]。佐藤有香は1998-1999年シーズンの振付も担当している[7]。安藤美姫や恩田美栄、鈴木明子には特に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。2度にわたってオリンピック代表の座を争った村主章枝との間には確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし、和解が報じられた(村主章枝#人物参照)。
趣味はグルメで、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている[8]。意外な趣味としてはバイク。アイスクリームは好物であるがチョコミントアイスクリームだけは苦手としている。2011年11月に大型二輪免許を取得している。愛車はヤマハ・XVS1300CAストライカー。普段は両親が乗っていてなかなか本人が乗れないとのこと。シーズー1匹と3匹のカニンヘンダックスフントを飼っている愛犬家[※ 2]。
2013年12月29日、一般男性と結婚したことを発表した[9][10][11]。結婚相手の詳細については公表されていない。
スケート技術
スケーティングには重厚感と伸びがある[12]。競技では用いなかったものの、トリノオリンピックの公式練習では3回転ルッツ-3回転ループの2連続3回転や、3回転サルコウ-3回転トウループ-3回転ループ、3回転トウループ-3回転トウループ-3回転ループの3連続3回転を披露しているほか、練習では3回転アクセルや4回転トウループを跳んだこともあった[13][14]。ジャンプの種類ではルッツを得意とする一方、フリップでは踏み切る瞬間にアウトサイドエッジに乗ってしまう「リップ」になりがちだった[15]。
大きく上体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は特徴的。トリノオリンピック後はものまねが流行し、2006年の新語・流行語大賞を受賞するまでになった[16]。身体がとても柔軟で、ビールマンスピンの練習を始めたころは「体が柔らかすぎてグニャグニャなので、どこで止めるのかが難しい」と言っていた[17]。
経歴
長野オリンピック出場
幼少時は水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていた。どんなことでもすぐに習得し、なかでも3歳から始めた水泳では6歳までに全泳法を覚えたという。5歳のとき仙台市の勝山スケーティングクラブ(2009年4月閉鎖)でスケートに出会う[18]。「ちびっ子スケート教室」に入会し、小学校入学後、本格的にフィギュアスケートを始めた[19][20][21]。他にも泉市のオレンジワン泉[※ 3]に通い長久保裕の指導を受けた。小学校3年生のときに5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれた。10歳で第1回野辺山合宿に参加[22]。12歳のときに初めての国際大会であるトリグラフトロフィーに出場し、優勝を果たす。
中学入学後は全日本ジュニア選手権で史上初の3連覇、全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも同じく3連覇を達成した。国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させて優勝。1997年、中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特例出場し、村主章枝に次いで2位に入る。同年の世界選手権の日本女子シングル代表枠は2枠だったが、荒川にはまだシニアでの実績がなかったためと、同回全日本選手権にケガで欠場した横谷花絵が特例で選出されたため、荒川の世界選手権入りはならなかった。
高校に入学し、シニアへ完全移行1年目の1997-1998シーズン、第66回全日本選手権でライバルの村主らと競り合う中で初優勝を果たし、1枠しかなかった長野オリンピックと1998年世界選手権の代表の座を勝ち取る。自身初のオリンピック出場となる長野五輪女子シングルでは、今上天皇・皇后観戦のもとで演技を行い、SPでは3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させたが、フリップがダブルとなり14位。フリーではルッツが2回共2回転と失敗、最後の3回転トウループを転倒するなど本調子では無かったが14位、総合で13位に入った。しかし一方、同じく初の代表だった1998年世界選手権では、ジャンプミスが続いて総合22位に終わった。
1998-1999シーズン、第67回全日本選手権では再び村主に競り勝ち2連覇を果たす。1999年アジア冬季競技大会では2位となったが、この年から始まった1999年四大陸選手権で6位に終わり、1999年世界選手権の代表入りを逃した。1999-2000シーズンは不調で低迷、昨年に続き世界選手権に選出されなかった。
世界選手権優勝
自己推薦入試で早稲田大学に進学、初めて親元を離れて東京での生活を始める。2000-2001シーズンは新横浜のプリンスクラブに在籍し、初めてマンツーマンでのレッスンを経験する[23]。このシーズンから、プログラムの音楽を表現する気持ちが芽生えたという[23]。第69回全日本選手権は2位だったものの、国際大会ではふるわなかった。
2001-2002シーズンからは佐藤久美子に師事。ソルトレイクシティオリンピックの女子シングル日本代表枠は2枠あったが、1枠はグランプリファイナルに進出した恩田美栄が早々と五輪内定に。残り1枠が賭かった全日本選手権では、又しても村主との激闘を繰り広げたが、ジャンプ失敗が響いて総合2位に敗れ、惜しくも2大会連続の五輪代表選出はかなわなかった。但し四大陸選手権では、五輪代表の恩田(3位)を上回り総合2位と健闘した。
2002-2003シーズン、練習拠点を神宮外苑スケート場に移し、振付はニコライ・モロゾフに依頼した[24]。2002年末の第71回全日本選手権で3位になった後、年明けはユニバーシアード冬季競技大会、冬季アジア大会で立て続けに優勝。さらに四大陸選手権では2年連続の2位、初進出のグランプリファイナルでは4位となった。5年ぶりに出場した世界選手権では、SPでスピンに入る前に氷の溝にはまる不運で転倒、さらに肩を脱臼するアクシデントに見舞われたが、スピンをしながら肩をはめ直し最後まで滑りきった。フリーでは3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループと高難度のコンビネーションを決め、初の入賞となる総合8位となった[25]。
2003-2004シーズンはGPファイナルを含むGPシリーズ4戦全てで表彰台に上がり、全日本選手権3位ながら世界選手権の代表に選ばれた。世界選手権の3週間前、急遽コーチをタチアナ・タラソワに変更[26][※ 4]。世界選手権はフリーで3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループ、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを含む全ての要素を完璧に決め、技術点では6.0満点も獲得して総合優勝を果たし、日本人選手として10年ぶり3人目の金メダリストに輝いた。実はこの当時、予選直前に左足坐骨を骨折する大ケガを負ったが、軽い肉離れだと思って競技を続けていたという[27]。当時はシーズンいっぱいでの競技引退、プロスケーター転向を決意していた[28]が、大学卒業後もプリンスホテルに所属して競技を続けることになった。卒業論文は「スポーツとマスコミの考察」。元々マスコミが苦手であったが、研究することで取材する側の気持ちが理解できるようになったという[29]。
トリノオリンピックで日本代表唯一の金メダル獲得
2004-2005シーズン、NHK杯で初優勝。GPファイナルでは自身最高の2位に入る。しかし全日本選手権はSP1位だったが、足の怪我でフリーを棄権。世界選手権に3年連続で選出されたものの、フリーではザヤックルール違反に引っ掛かるなどで得点が伸びず総合9位に沈んだ。
2005-2006シーズンは中国杯とエリック・ボンパール杯でそれぞれ3位につけたものの、グランプリファイナル進出を逃してしまった。この時は「日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がりオリンピック出場枠が埋まったら?」と記者に質問された際、「引退する」と発言していたが[30]、全日本選手権で3位に入ったことで、8年ぶり2回目の五輪出場となるトリノオリンピック代表選出が決まった。
2005年12月、タラソワとの師弟関係を解消する。理由は、タラソワの新採点方式への対応が遅れていたので氷上で直接指導するニコライ・モロゾフについてステップのレベルを上げようとしたところ、タラソワとモロゾフが共同作業を拒んだため[31]。その後、正式にニコライ・モロゾフの指導を受けることにし、国内ではこれまで通り佐藤久美子に師事することとなった。加えて、SPとフリーのプログラムを同時に変更した。フリーで使用していた「幻想即興曲」をSPに回し、フリーは2004年世界選手権優勝時にも使用した「トゥーランドット」にした。
トリノ五輪女子シングルは、SPでほぼノーミスの内容で3位につけ、荒川・サーシャ・コーエン・イリーナ・スルツカヤの上位3人全員が66点台に乗せ、1点差以内に並ぶ大接戦となった。フリーではループジャンプがダブルとなった以外は完璧の演技を披露、自己最高得点をたたきだして1位となり、会場の観衆からはスタンディングオベーションの賞賛を受けた。合計スコア191.34で総合優勝を果たし、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同五輪日本代表選手として唯一のメダル)を獲得。ちなみに、五輪女子フィギュア史上最年長(24歳)の金メダル獲得でもあった。ショートプログラム (SP) とフリースケーティング(フリー)で合計7つあるスピンと2つあるスパイラルの全てでレベル4を獲得し、2つのステップはともに事実上最高難度であるレベル3を獲得した。このようにレベルの取りこぼしが1つもなかったのは出場選手中荒川ただ1人であり、また、ISUジャッジングシステム導入後のISU公式試合を通じても初めてのことであった。演技構成点で8点台をマークしたのも荒川ただ一人だった。
トリノ五輪後の世界選手権にも選ばれていたが、調整不足のため出場を辞退した(代替選手は恩田美栄)。2006年5月7日、記者会見でアマチュア競技引退とプロ転向を表明。会見の席で「今後は自身の演技力の向上やスケート界を広くサポートしていきたい」と語った。
プロ転向後
2006年5月8日、自身で企画・プロデュースしたアイスショー「フレンズ・オン・アイス」を開催。同年6月からは「チャンピオンズ・オン・アイス 2006」に、11月にはプロフィギュアスケートの祭典「アイス・ウォーズ」に参加するなど、トリノオリンピックから1年の間に国内外計100公演以上のアイスショーに出演した。
2007年4月3日、小学校から高校を卒業するまで練習拠点としていた「アイスリンク仙台」でスケート教室を開いた。7月28日には、長野県南牧村で開かれた日本スケート連盟主催のアイスショー「野辺山サマーフェスティバル・オン・アイス」にサプライズゲストとして出演。 2010年3月19日と21日に米ABCで放映されたスペシャル番組『Thin Ice』(有名スケーターが男女でペアを組み、対戦するという内容[32])ではステファン・ランビエールとペアを組んで[33]総合3位となったが、視聴者投票では1位、と好評を得た[34]。
現在はプロスケーターとして「プリンスアイスワールド」(メインキャスト)、「スターズオンアイス」日本公演等に出演しながら、毎年「フレンズ・オン・アイス」、さらに不定期ながら「クリスマス・オン・アイス」をプロデュースし、自身も出演している。またフィギュアスケート競技のシーズン中は、解説者としても活躍している。
2011年に石川翔子のフリープログラム「ミス・サイゴン」の振り付けを行った。これは荒川による初めての競技プログラムの振り付けである。[35]
2012年9月23日に開かれた日本スケート連盟評議員会で日本スケート連盟理事に選任された。30歳での理事就任は史上最年少となる。
2012年10月5日に行われた第1回メダルウィナーズ・オープンで優勝し、初代女王となった。
主な戦績
大会/年 | 93-94 | 94-95 | 95-96 | 96-97 | 97-98 | 98-99 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 |
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冬季オリンピック | 13 | 1 | |||||||||||
世界選手権 | 22 | 8 | 1 | 9 | |||||||||
四大陸選手権 | 6 | 6 | 2 | 2 | |||||||||
全日本選手権 | 2 | 1 | 1 | 5 | 2 | 2 | 3 | 3 | 棄権 | 3 | |||
冬季アジア大会 | 2 | 1 | |||||||||||
GPファイナル | 4 | 3 | 2 | ||||||||||
GP中国杯 | 3 | ||||||||||||
GPエリック杯 | 9 | 6 | 2 | 3 | |||||||||
GPロシア杯 | 7 | 5 | 2 | ||||||||||
GPNHK杯 | 7 | 6 | 8 | 5 | 3 | 1 | |||||||
GPスケートアメリカ | 9 | 4 | 3 | ||||||||||
GPスケートカナダ | 2 | ||||||||||||
GPスパルカッセン杯 | 7 | 5 | |||||||||||
ユニバーシアード | 1 | ||||||||||||
ネーベルホルン杯 | 2 | 1 | |||||||||||
世界Jr.選手権 | 8 | 7 | 8 | ||||||||||
全日本Jr.選手権 | 7 | 1 | 1 | 1 | |||||||||
トリグラフトロフィー | 1 N |
詳細
2005-2006 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2006年2月10日-26日 | トリノオリンピック(トリノ) | 3 66.02 |
1 125.32 |
1 191.34 |
2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | 1 68.76 |
4 118.60 |
3 187.36 |
2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 57.98 |
2 115.32 |
3 173.30 |
2005年11月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | 3 57.56 |
2 116.04 |
3 173.60 |
2005年10月8日 | キャンベル国際 | - | 3 105.86 |
3 105.86 |
2005年10月1日 | ジャパンインターナショナルチャレンジ2005(西東京) | - | 2 110.87 |
2 110.87 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 4 25.79 |
5 59.95 |
9 99.99 |
9 185.73 |
2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(横浜) | - | 1 67.68 |
棄権 | - |
2004年12月16日-19日 | 2004/2005 ISUグランプリファイナル(北京) | - | 2 64.10 |
4 96.14 |
2 160.24 |
2004年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | - | 3 56.70 |
3 98.82 |
2 155.52 |
2004年11月4日-7日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | - | 1 64.20 |
2 114.86 |
1 179.06 |
2004年10月1日 | キャンベル国際(セントポール) | - | - | 2 | 2 |
2003-2004 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2004年4月6日 | マーシャル国際 | - | - | 2 | 2 |
2004年3月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 1 | 2 | 1 | 1 |
2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 1 | 4 | 3 |
2003年12月12日-14日 | 2003/2004 ISUグランプリファイナル(コロラドスプリングス) | - | 5 53.34 |
3 114.23 |
3 167.57 |
2003年12月5日 | 国際チャレンジ | - | - | 2 | 2 |
2003年11月14日-16日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 2 62.34 |
2 109.78 |
2 172.12 |
2003年10月30日-11月2日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | - | 3 58.20 |
2 123.99 |
2 182.19 |
2003年10月22日-26日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レディング) | - | 2 59.02 |
3 113.37 |
3 172.39 |
2002-2003 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2003年4月8日 | マーシャル国際 | - | - | 7 | 7 |
2003年3月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 4 | 11 | 7 | 8 |
2003年2月28日-3月2日 | 2002/2003 ISUグランプリファイナル[※ 5](サンクトペテルブルク) | - | 6 | 4 | 4 |
3 | |||||
2003年2月10日-16日 | 2003年四大陸フィギュアスケート選手権(北京) | - | 2 | 2 | 2 |
2003年2月1日-8日 | 2003年アジア冬季競技大会(青森) | - | 1 | 1 | 1 |
2003年1月16日-26日 | ユニバーシアード冬季大会(タルヴィージオ) | - | 1 | 1 | 1 |
2002年12月19日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | - | 7 | 2 | 3 |
2002年11月28日-12月1日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(京都) | - | 2 | 3 | 3 |
2002年11月21日-24日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 7 | 4 | 5 |
2002年10月19日-20日 | 関東学生フィギュアスケート選手権 | - | 1 | 1 | 1 |
2002年10月12日-14日 | '02 東京フィギュアスケート選手権(東京) | - | 1 | 1 | 1 |
2001-2002 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2002年1月22日-27日 | 2002年四大陸フィギュアスケート選手権(全州) | 2 | 2 | 2 |
2001年12月21日-23日 | 第70回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 2 | 2 | 2 |
2001年11月14日-18日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | 9 | 4 | 6 |
2001年10月24日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | 6 | 4 | 4 |
2000-2001 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2001年2月4日-10日 | 2001年四大陸フィギュアスケート選手権(ソルトレイクシティ) | 3 | 7 | 6 |
2000年12月8日-10日 | 第69回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 3 | 2 | 2 |
2000年11月23日-26日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | 9 | 9 | 9 |
2000年11月16日-19日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | 6 | 8 | 7 |
1999-2000 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
1999年12月24日-26日 | 第68回全日本フィギュアスケート選手権(福岡) | 2 | 6 | 5 |
1999年12月2日-5日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 5 | 5 | 5 |
1999年11月11日-14日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | 4 | 6 | 5 |
1998-1999 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
1999年2月21日-28日 | 1999年四大陸フィギュアスケート選手権(ハリファックス) | 7 | 6 | 6 |
1999年1月30日-2月6日 | 1999年アジア冬季競技大会(江原道) | 1 | 2 | 2 |
1999年1月15日-17日 | 第67回全日本フィギュアスケート選手権(横浜) | 1 | 1 | 1 |
1998年12月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(札幌) | 8 | 8 | 8 |
1998年10月28日-11月1日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(デトロイト) | 10 | 9 | 9 |
1997-1998 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
1998年3月27日-4月5日 | 1998年世界フィギュアスケート選手権(ミネアポリス) | 7 | 22 | 21 | 22 |
1998年2月7日-22日 | 長野オリンピック(長野) | - | 14 | 14 | 13 |
1997年12月26日-28日 | アジア選手権 | - | 1 | 1 | 1 |
1997年12月12日-14日 | 第66回全日本フィギュアスケート選手権(神戸) | - | 2 | 1 | 1 |
1997年11月27日-30日 | ISUチャンピオンシリーズ NHK杯(長野) | - | 6 | 6 | 6 |
1997年10月31日-11月2日 | ISUチャンピオンシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 8 | 7 | 7 |
プログラム
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2005-2006[2][1][36] | 幻想即興曲 作曲:フレデリック・ショパン パガニーニの主題による狂詩曲 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:タチアナ・タラソワ |
トゥーランドット 作曲:ジャコモ・プッチーニ、演奏:ヴァネッサ・メイ 振付:ニコライ・モロゾフ 幻想即興曲 作曲:フレデリック・ショパン 振付:タチアナ・タラソワ |
ユー・レイズ・ミー・アップ by ケルティック・ウーマン |
2004-2005[37] | 蝶々夫人 作曲:ジャコモ・プッチーニ[38] 振付:タチアナ・タラソワ、エフゲニー・プラトフ |
ロメオとジュリエット 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:タチアナ・タラソワ、エフゲニー・プラトフ |
メモリー ミュージカル『キャッツ』より 作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー 振付:タチアナ・タラソワ、エフゲニー・プラトフ オペラ座の怪人 作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー 振付:阿部奈々美 |
2003-2004[39] | 白鳥の湖 作曲:ピョートル・チャイコフスキー、演奏:クライズラー & カンパニー 振付:ニコライ・モロゾフ シェルブールの雨傘 作曲:ミシェル・ルグラン 振付:ニコライ・モロゾフ |
トゥーランドット 作曲:ジャコモ・プッチーニ、演奏:ヴァネッサ・メイ 振付:ニコライ・モロゾフ |
イフ・アイ・ハッド・マイ・ウェイ アルバム『GOLD』より 作曲:フランク・ウィルドーン、ボーカル:リンダ・エダー 振付:佐藤有香 |
2002-2003[39][40] | 白鳥の湖 作曲:ピョートル・チャイコフスキー、演奏:クライズラー & カンパニー 振付:ニコライ・モロゾフ |
タイタニック 作曲:ジェイムズ・ホーナー 振付:ニコライ・モロゾフ |
シング・シング・シング 作曲:ルイ・プリマ ウィンドソング by T.Janis |
2001-2002[39] | タンゲーラ 作曲:マリアーノ・モーレス |
トゥーランドット 作曲:ジャコモ・プッチーニ、演奏:ヴァネッサ・メイ 振付:佐藤久美子 |
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2000-2001 | テンペスト[39] 作曲:フリッツ・クライスラー |
レッド・ヴァイオリン[41] 作曲:ホアキン・ロドリーゴ、編曲:川井郁子 |
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1999-2000 | ジャングルファンタジー | ジゼル 作曲:アドルフ・アダン |
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1998-1999 | セレナーデ 作曲:フランツ・シューベルト |
ムーラン 作曲:ジェリー・ゴールドスミス |
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1997-1998[42] | ジャングルファンタジー 振付:トーラー・クランストン |
赤いけしの花 振付:トーラー・クランストン |
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1996-1997 | ファニーガール トースト・オブ・ザ・タウン |
ミス・サイゴン 作曲:クロード・ミシェル・シェーンベルク |
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1995-1996 | - | 海賊 作曲:リッカルド・ドリゴ |
ルッキング・スルー・ジ・アイズ・オブ・ラブ 作曲:メリサ・マンチェスター |
1994-1995 | - | パリの喜び 作曲:ジャック・オッフェンバック |
- |
メディア出演など
テレビ
- フジテレビ系列「クイズ$ミリオネア」 2004年10月28日放送(500万円獲得)
- NHK「第55回NHK紅白歌合戦」2004年12月31日出演(審査員として)
- テレビ朝日系列「7人の女弁護士」 2006年6月1日放送(島崎弥生検察官役)
- フジテレビ系列『すぽると!』(2006年10月31日より「すぽると! on ICE」コーナーのキャスターとして)
- NHK「第57回NHK紅白歌合戦」2006年12月31日出演(平原綾香「誓い」のゲストとして)。
- フジテレビ系列「サザエさん」5845話、5846話 2007年3月18日放送(本人役[※ 6])
- フジテレビ系列「ザ・ベストハウス123」2007年3月21日放送
- フィギュアスケートの名場面をベスト3を紹介。1位はアレクセイ・ヤグディンの2002年ソルトレークシティオリンピックフリープログラム「仮面の男」。2位は申雪・趙宏博ペアの2003年世界選手権フリープログラム「トゥーランドット」。3位は伊藤みどりの1992年アルベールビルオリンピックフリープログラム「ピアノ協奏曲第2番」。
- テレビ東京系列「東急ジルベスターコンサート」2008年12月31日放送
- テレビ東京系列「いい旅・夢気分」2009年9月16日放送(本田武史、荻原次晴とともに宮城県を旅する。途中、アイスリンク仙台で本田とともに練習する)
- NHK「NHK歌謡コンサート」2010年1月26日生出演(河口恭吾が歌唱する「Dreamer」の作詞を担当、特別ゲストとして)
- フジテレビ系列「run for money 逃走中」(2012年4月8日、2013年1月6日、13日)
- NHK「“花は咲く”スペシャル〜一つの歌がつむぐ物語〜」2012年9月5日放送
CM
- アサヒビール「一番麦」
- ロッテ「ガーナチョコレート」、「雪見だいふく」
- 弐萬圓堂「イナバウアーフレーム」
- 資生堂 「TSUBAKI」
- 日本コカ・コーラ「爽健美茶」
- 日清食品「日清焼そば イタリアンU.F.O.」
- トーヨーライス「金芽米」
- 「お代わり!」を3度繰り返し、3度目に母親役の女性から“あなた、何杯食べるの!?”と睨まれ、「……いいですか?」と小さくなる。
CD
- 「花は咲く」花は咲くプロジェクト(2012年5月23日)
受賞
栄典
日本オリンピック委員会
その他
- 宮城県「宮城県民栄誉賞」(佐々木主浩、田中耕一についで3人目)
- 宮城県利府町「町民栄誉賞」および「スポーツ功績賞」[43]
- 宮城県仙台市「賛辞の盾」および「特別表彰」[44]
- 秋田県男鹿市「特別表彰」(父・晃市が男鹿市出身だったことにちなむ)
- 読売新聞社「日本スポーツ賞 大賞」(2006年度)
- バカラ「バカラ・アスリーツ・オブ・ザ・イヤー」(2006年)
出版物
書籍
- 荒川静香『Tira mi su 〜だから私はがんばれる!〜』(角川書店、2006年) ISBN 9784048839631
- 荒川静香『金メダルへの道』(日本放送出版協会、2006年) ISBN 9784140811269
- 『LEGEND OF THE ATHLETE 荒川静香物語』(集英社、2007年) ISBN 9784088743691
- 荒川静香『フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法』(講談社、2009年) ISBN 9784062157162
DVD
- 荒川静香 Moment〜Beautiful skating〜(ポニーキャニオン、2006年)
- トリノ2006オリンピック冬季競技大会 フィギュアスケート(ジェネオンエンタテインメント、2006年)
その他
- 荒川静香 2007年 カレンダー(トライエックス、2006年) ISBN 9784777432615
- 荒川静香-2006-メモリアル切手(エバーユアーズ、2006年)
- 荒川静香監修 フィギュアスケート・ミュージック・コレクション(ビクターエンタテインメント、2009年)
その他
- トリノオリンピック一ヶ月前に、セントルイスから拠点のコネチカットに帰る途中、死を覚悟した体験があったと言う。空港上空で後輪が出ないため胴体着陸をするアナウンスが流れた時、「もし生き延びたら、トリノでは感謝の気持ちで演技しようと思った」と回顧している。[45]
- トリノオリンピック女子シングル金メダルに輝いたことを記念して、出身校の仙台市立台原小学校にヤエベニシダレが植樹された。名称は「チェリーバウアー (Cherry Bauer)」。
- 2011年11月に「完全に思いつき」でオートバイの大型運転免許を取得した。愛車はヤマハ・XVS1300CAストライカー[46]。ただし免許取得後は全くオートバイに乗っていないとのことで、そのため2012年末には『大人のバイク時間 MOTORISE』(BS11)の企画で改めて講習を受けることになった[47]。
脚注
注釈
- ^ 自らの公式ホームページでは、鎌倉を「出身地」としている[1]
- ^ 一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」。ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『ケルティック・ウーマン』の「ユー・レイズ・ミー・アップ」のイタリア語訳「Tirami su」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。4匹目はアロマが産んだ「ローザ」
- ^ 2002年から「コナミスポーツクラブ泉」と改称、経営難のため2004年12月閉鎖。その後、荒川のトリノオリンピック金メダル獲得をきっかけにリンク再開の機運が高まり、宮城県や仙台市の支援もあって、2007年3月「アイスリンク仙台」として再開。
- ^ 日本スケート連盟の城田憲子が、2003年暮れに日本を訪れていたアレクセイ・ヤグディンからサーシャ・コーエンとタラソワの離縁を聞きつけ、タラソワさんの確保に走った。
- ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
- ^ 39年間(当時)続く同番組史上初の実在人物の出演でもあった
出典
- ^ a b c 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.18
- ^ a b 『応援ブック2006』p.89
- ^ テレビ朝日系列『グレートマザー物語』「荒川静香の母~願いを込めた1000個のビーズ~」(2004年6月13日放送)、「荒川静香の母〜二人三脚で掴んだ金メダル〜」(2006年2月26日放送)に詳しい
- ^ http://sportsnavi.yahoo.co.jp/special/torino/column/200602/at00008092.html
- ^ http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2003b/019c.html
- ^ My favorite(荒川静香 公式サイト)
- ^ 第67回全日本フィギュアスケート選手権時に会場配布のプログラム
- ^ 『応援ブック』p.18
- ^ 荒川静香が一般男性と誕生日結 デイリースポーツ
- ^ 荒川静香 一般男性とバースデー婚 スポーツニッポン
- ^ 荒川静香、32歳の誕生日婚 サンケイスポーツ
- ^ 「氷の上のヒロインたち 佐藤有香が語る9人のスケーター」『応援ブック』p.7
- ^ 『little wings』p.39, p.76
- ^ 『応援ブック』p.16
- ^ 田村明子著『氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート』新潮社、2007年2月、pp.11-12
- ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.46
- ^ 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.110
- ^ プロフィギュアスケーター 荒川静香さん(仙台市建設局百年の杜推進部河川課広瀬川創生室 広瀬川ホームページ「私の広瀬川インタビュー(第13回)」)
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月p.4
- ^ 松岡修造著『Stay Gold フィギュアスケート編』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2003年4月、p.40
- ^ 『little wings』p.29
- ^ 『パーフェクトプログラム』pp.32-33
- ^ a b 『氷上のアーティストたち』p.12
- ^ 『氷上のアーティストたち』p.15
- ^ 『little wings』p.30
- ^ 『氷上のアーティストたち』p.17
- ^ 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック』実業之日本社、2004年11月、p.14
- ^ 『応援ブック』p.11
- ^ 『金メダルへの道』p.134
- ^ 『Tira mi su 〜だから私はがんばれる!〜』p.79
- ^ 『氷上の光と影』p.25
- ^ "ABC's Thin Ice"
- ^ ランビエール、荒川静香と夢のペア出演『Swiss info.ch』2010年3月11日更新 2010年3月31日閲覧
- ^ Shizuka and Stéphane finished 3rdオフィシャルサイトのニュースページ 2010年3月24日更新 2010年3月31日閲覧 「視聴者投票1位だったのに何らかのシステムトラブルで、それが結果に反映されなかった。」
- ^ フィギュアの荒川静香さん、振付師デビューYOMIURI ONLINE 2011年11月8日
- ^ トリノオリンピックを前にプログラム変更。『フィギュアスケートDays vol.0』DAI-X出版、2006年5月、p.78
- ^ 『応援ブック』p.89, p.14, p.17
- ^ 『応援ブック2006』p.5
- ^ a b c d 『little wings』pp.129-130
- ^ 『little wings』p.30, p.32
- ^ 「スタンダードナンバー大比較 アランフェス協奏曲」『フィギュアスケートDays vol.9』ダイエックス出版、2009年4月、pp.54-57
- ^ 振付師については『氷上のアーティストたち』p.8
- ^ 町民栄誉賞が贈られました(「広報 利府」平成18年5月号 No.372)
- ^ 荒川静香選手 杜の都を笑顔でパレード(「仙台市政だより」 2006年5月号)
- ^ 文芸春秋2010年9月号P277荒川静香を強くした五輪直前の飛行機事故
- ^ BS11:「大人のバイク時間」に荒川静香が登場 - 毎日jp・2013年1月11日
- ^ あのゴールド・メダリストがバイクデビュー! - Web Mr.Bike
関連項目
外部リンク
- shizuka-arakawa.com 荒川静香 Official Web Site
- 国際オリンピック委員会 - 荒川静香「氷上の優美」
- 国際スケート連盟による荒川静香のバイオグラフィー
- プリンスアイスワールド公式サイト
- 宮城夢大使
- 荒川静香 (@tiramisu11) - X(旧Twitter)