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「大分県立野津高等学校」の版間の差分

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2014年3月8日 (土) 15:18時点における版

大分県立野津高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大分県
校訓 誠実 勤勉 親和
閉校年月日 2014年3月
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 福祉科
学期 3学期制
所在地 875-0201
大分県臼杵市野津町大字野津市537番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大分県立野津高等学校(おおいたけんりつ のつこうとうがっこう)は、かつて大分県臼杵市野津町大字野津市にあった全日制高等学校。全国で唯一の福祉科のみの福祉高等学校であった。 以下は、特記しない限り、閉校時点での情報である。

設置学科

沿革

  • 1949年(昭和24年) - 大分県立三重高等学校定時制課程野津校舎として開校[1]
  • 1951年(昭和26年) - 大分県立三重東高等学校定時制と改称。
  • 1953年(昭和28年) - 大分県立豊西高等学校定時制課程野津校舎と改称。
  • 1961年(昭和36年) - 野津校舎を野津分校と改称。
  • 1966年(昭和41年) - 独立して大分県立野津高等学校となる[1]
  • 1996年(平成8年)4月 - 福祉科設置。
  • 2001年(平成13年)4月 - 普通科募集停止。
  • 2003年(平成15年)4月 - 福祉科のみの単科高校となる。
  • 2014年(平成26年)3月1日 - 閉校。

所在地

  • 大分県臼杵市野津町大字野津市537番地1

高校再編

2008年(平成20年)1月9日に大分県教育委員会が公表した2010 - 2014年度の後期高校再編計画の検討素案においては、本校を廃止し、代替となる看護系学科を大分南高校に新設することが提案された[2]。この案に対して市民の間では存続を望む声が強く、後藤国利臼杵市長は市立高校への移管を検討するとともに、大分県教委に存続を働きかけた[3]。2008年(平成20年)8月27日に決定された最終案では、本校の廃止は覆らなかったものの、同じ臼杵市内の臼杵高校の学級数を当初案から2増とすることが盛り込まれた[4]

本校の募集は2012年度から停止されており、本校は、在学生が卒業する2014年(平成26年)3月2日に閉校した[5]。なお、本校が閉校する代替として2012年(平成24年)4月に大分南高校に福祉科が新設されている[6]

脚注

  1. ^ a b 野津高で60周年式典 - ウェイバックマシン - 大分合同新聞、2008年11月8日(2008年12月2日閲覧)
  2. ^ 県教委 後期高校再編素案を発表 - 大分合同新聞、2008年1月10日
  3. ^ 高校再編:野津高廃止問題 県立から市立移管も-臼杵市長が検討/大分 - 毎日.jp(毎日新聞)、2008年2月29日
  4. ^ 由布高、中高一貫で一転「存続」 - 大分合同新聞、2008年8月28日
  5. ^ 学びやの歴史に幕 臼杵商高・野津高 大分合同新聞、2014年3月4日
  6. ^ 全日制2年ぶり増 3校が1学級ずつ 大分合同新聞、2011年10月1日

関連項目

外部リンク

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