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2015年7月8日 (水) 14:45時点における版
オナイダ・コミュニティーはニューヨークのオナイダで1848年にジョン・ハイフリー・ノイズによって創設された宗教的共同体である。 この共同体は紀元70年には既にイエスが再臨し、それによって彼ら自身が千年王国に至る事が可能となり罪から自由となり、天国だけでなく現世においても完全な存在となれると信じた。(この信仰は完全主義と呼ばれる。)オナイダ・コミュニティーはコミュナリズム(私有物と財産の共同所有という意味である。)、複合婚、男性の性欲自制、相互批判、アセンディングフェローシップを実践した。同様の小規模の共同体はウォリングフォード (コネチカット州)、ニューアーク (ニュージャージー州)、パトニー、ケンブリッジに存在していた。 [1] この共同体の創設メンバーは87名であったが、1850年12月には172名、1852年には208名、1878年には306名に増加した。1854年には、ウォリングフォード支部(この支部は1878年のトルネードによって崩壊するまで運営された。)以外の支部は閉鎖された。オナイダ・コミュニティーは1881年に分解し、最終的にはオナイダ・リミテッドという巨大銀食器企業となった。 [2]
組織の構造
オナイダ・コミュニティーは最大人口が約300人にしか達しなかったが、27個の常設委員会と48個の行政区画という複雑な官僚制を有していた。 現在も唯一残っている銀食器の手工業は1877年という、この共同体の歴史の比較的後期に始まり、現在も存在している。[2] 第二の産業としては革製の旅行鞄の手工業、シュロの帽子編み、田舎風の家具製作、ばね付の罠製作、観光業が含まれる。 全ての共同体員は各人の能力に合わせて労働することが求められ、女性は家事の大半を行う傾向があった。[3]専門的な仕事は一個人に任され続けることがあった(例えば財務管理者は共同体の歴史を通してその立場を維持した。)、しかし共同体員は、非専門的な仕事は交替して家内や牧草地や様々な産業内で働いた。オナイダ・コミュニティーが栄えるにつれ、コミュニティーは更に部外者を雇いこれらの立場で働かせた。彼らはコミュニティー内での主要な労働力であり、1870年には約200人存在した。
複合婚
オナイダ・コミュニティーは複合婚として知られる、自由恋愛主義の方式を強く信仰していて、[4] そこでは同意した相手であればだれとでも性交が自由だった。[5] 独占や排他的な人間関係は認められなかった。[6] 性の革命などの20世紀の社会運動とは異なり、コミュニテーの人々は自由な性交を自己の快楽のために欲さなかったが、性交は妊娠という結果をもたらすので、子供の養育は共同体全体の責任であると考えていた。 40歳以上の女性は成年男性にとっての性的な”助言者”となる事とされた。このような関係がもたれたのは妊娠の可能性が少なかったからである。 更に、これらの女性は若い男性にとっての宗教的な模範となった。同様に、年配の男性はしばしば若い女性に性交の手ほどきをした。ノイズはしばしば独断でパートナーの組み合わせを決定し、共同体内で信心深い者と信心深くない者で関係を作ることを薦めた。これは信心深い者の態度や振る舞いが信心深くない者に影響を与えることを期待したものである。 [7]
1993年に初めてこの共同体の記録が学者に向けて公開された。この記録の中にティルツァー・ミラーとノイズの姪の日記が含まれていた。[8]ノイズの姪はオナイダ・コミュニティー内での性的かつ恋愛的な関係について広範に記していた。[1]
相互批判
この共同体の全ての共同体員は総会において、共同体や委員会全体の批判を受けることがあった。[9] その目的は好ましくない性格・特徴を消すことであった。[10] 当時の様々な資料はノイズ自身も批判の対象になったとしている。ただし、批判の機会は残りの共同体員への批判よりは少なく、批判の強さもおそらく弱かったであろう。
避妊
オナイダ・コミュニティーでの出産を管理するために、男性の性欲自制と保留性交が定められた。[11] ノイズは性交が2つの明確な目的のために役立つとした。第一の目的は社会的満足である。すなわち性交をパートナー相互がコミュニケーションをとり愛を語らうために許したのだ。[12] 第二の目的は生殖である。出産の管理として約200人の成年が性欲抑制を行っていたが、1848年から1868年の間に12人の予定していなかった出産があった[13]成年男子は閉経後の女性によって性欲自制を仕込まれ、若い女性は経験を積んだ年配の男性と行為をした。[14]
ノイズは射精を”男性の生命力を衰えさせ病に至らしめる”、そして妊娠と出産が”女性の生命力に重税を課する”と信じていた。[15] 彼の妻であるハリエットが5人の子供中4人が死去したトラウマ的な出産の後でのさらに困難な出産をしなくてもいいように、ノイズは性的自制を始めた。[16]共同体員はこの性欲抑制の手法を好んだ。なぜなら彼らにとってその手法が自然で、健康的で、好色にうってつけだったからだ。[17] もし男性がこの性欲自制に失敗すれば彼らは公的な非難(相互批判)にさらされるか、個人的に拒絶されることとなった。[17]
自慰行為や共同体からの反社会的脱退などが性欲自制によって起きた問題かしれないが、男性の性欲自制が重大な問題を引き起こしたかははっきりとしない。[18] 男性の性欲自制は勃起不全を引き起こさないと共同体内では考えられていた。[19]
優生学的生殖(stirpsculture)
"stirpiculture"として知られる優生学の計画は1869年に導入された。[20][21][22] これはさらに完全な子供を作るために構想された選択育種計画である。[23] 親になりたいと願う共同体員は霊的・道徳的資質にふさわしいとされるために委員会へ出向いた。53名の女性と38名の男性がこの計画に参加し、この計画のためにオナイダ・コミュニティーの新しい集合住宅の一角が必要となった。この実験では58名の子供が育てられた。その中の9人はノイズの子供であった。
子供が離乳すれば(普通は1歳ごろ)、子供は子供たちの住む一角か、南の一角で育てられた。[24] 子供たちの親は子に会う事が認められたが、育児担当者が親子の間での強いつながりを感じたら共同体は親子の別離を命じていた。[25]
女性の役割
オナイダ・コミュニティーは19世紀のアメリカにおいて女性の役割を変え女性の地位を向上するための最も過激で制度的な試みの一つを体現化した。[26] 女性は共同体外では持つ事ができなかったいくつかの自由を共同体内で獲得した。これらの権利の中には、オナイダ・コミュニティーでの男性の性欲自制により本意でない妊娠をしなくてよいという自由と同様に、オナイダ・コミュニティーが共同体内の子供を育てる制度を持っていることから生じる自分の子供を育てなくても良いという自由が含まれていた。さらに、女性たちは機能的なブルマースタイルの服を着て、短髪を保っていた。女性は事実上全種類の共同体内の作業に参加できた。 [26] 家事は女性の第一の責務であるとされた一方で、女性は商売や職人などどのような職を求めるのも自由であった。そして特に1860年代から1870年代初期の間に多くの女性はそのようにした。[27][26]
オナイダ・コミュニティーで実行された複合婚と平等愛の体制は女性の地位を認めていた。複合婚の取り決めを通して、女性と男性は性的な責務と発言において平等であったのだ。[26] 実は、オネイダ・コミュニティーは女性の性欲を認めていた。女性が性行為において満足を得る権利は認められていて、女性は絶頂に達する事が奨励された。[28] しかし、女性が性的な申し入れを拒否する権利は、言い寄った男性の立場に依存して制限された。[29]
“The Status and Self-Perception of Women in the Oneida Community,”の著者であるエレン・ウェイランド・スミスは共同体内においては、おおよそ平等であったと主張している。彼女は、共同体内の男女いずれもがノイズの考え方・意志に従属している間は女性に対して過度な抑圧がなされる事は無かったと指摘している。 [30]
衰退
この共同体はジョン・ハンフリー・ノイズが息子であるセオドア・ノイズに共同体の指導権を譲ろうとした時まで存続した。しかしこの動きは失敗した、セオドアは不可知論者であり父のような人を率いる才能に欠けていた。[31] ジョン・ターナーが自分の力で組織を管理しようとするにつれて、この動きは共同体を分裂させた。
共同体内で、いつ誰が子供たちに性交を教えるべきかについて議論があり、そしてその実行全般についても議論があった。創設メンバーは年を取るか、病になっていて、そして若い共同体員は旧来の、独占的な婚姻を望んでいた。[32]
これらの困難の頂点としてあるのが、ハミルトン大学のジョン・ミヤーズ教授による嫌がらせ運動である。彼はオネイダ・コミュニティーに対する反対集会を求めた。(これには47人の聖職者が同席した。)[33] ノイズは自身が強姦の罪での逮捕状の発行が間近である事を信頼している助言者であったマイロン・キンズリーから知らされ、1879年の6月中旬の夜に共同体の住居から抜け出し国外へ逃亡した。彼はそれから二度とアメリカへ戻ることはなかった。その後すぐに、ノイズはオンタリオ州から仲間へ手紙を書き、複合婚を廃止すべきだと助言した。
複合婚は外部の圧力に従い1879年に廃止された。そして共同体はすぐに分裂し、共同体員の一部は共同体を株式会社として再構築した。夫婦は組織再構築のときの同棲者同士で、彼らの立場を標準的なものにした。次の年には70人以上の共同体員が伝統的な結婚を行った。
20世紀初期の間、Oneida Limitedという新しい企業は銀食器に焦点を絞った。動物の罠の商売は1912年に、絹の商売は1916年に、缶詰製造業は利益が出なくなった為に1915年にそれぞれ売却されたのだ。 この株式会社は現在も存在し、オナイダ・リミテッドというブランド名のもとで主要なカトラリーの製造元である。2004年9月にオナイダ・リミテッドは2005年の初めにアメリカでの製造事業を全て停止する事を表明し、124年の歴史に終止符が打たれた。オナイダ・リミテッドは海外で製造された製品を売り続けている。この企業は製造施設を売却し続けていて、最近ではニューヨークのシェリルにある流通の中心は閉鎖された。だが運営事務所はオナイダに残っている。
共同体の最後の存命中のメンバーであったエラ・フローレンス・アンダーウッドは1950年6月にオナイダ郡に近いニューヨークのケンウッドで死去した。[34][35]
遺物
オナイダ・コミュニティーの記述はサラ・ヴォーエルの著書である"Assassination Vacartion"にみられる。この本では共同体全般と5年以上共同体員であったチャールズ・J・ギトーについて論じている。(チャールズ・J・ギトーは後に米大統領ジェームズ・ガーフィールドを暗殺した。)デビッド・フラスフェダーの”Pagan House”という小説の中の完全主義者による共同体はオナイダ・コミュニティーから直接想起されたものである。オナイダ・コミュニティーに対してツイン・オークス・コミュニティーというヴァージニアにある100名から成る国際的共同体は尊敬の証を送っている。全てのツイン・オークス・コミュニティーの建物は現在もはや活動をしていない共同体の名前にちなんで名付けられ、オナイダは建物の名の一つになっている。
オナイダ・コミュニティーの作ったものの中で第一である、93000平方フィート(8,600㎡)のオナイダ・コミュニティー・マンションは今もオネイダ(ニューヨーク)に建っている。オナイダ・コミュニティーはその住居に1862年から1914年の間、コミュニティー結成時から脈々とすみつづけた。今日、建物は個人用の部屋35室、大人数用の部屋9つ、9つの応接間、そして博物館・会議場・食堂機能をもつ部屋を有している。オナイダ・コミュニティー・マンションは1965年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定され、博物館と建物の一部は訪問者に開放されている。
脚注
- ^ a b “Desire and Duty at Oneida: Tirzah Miller's Intimate Memoir”. Utopian Studies. (2001年)
- ^ a b "Why the Keepers of Oneida Don't Care to Share the Table", The New York Times, June 20, 1999.
- ^ Kern, Louis J. (1981). An Ordered Love: Sex Roles and Sexuality in Victorian Utopias: The Shakers, the Mormons, and the Oneida Community. Chapel Hill: University of North Carolina Press.
- ^ Foster, Lawrence (2010). "Free Love and Community: John Humphrey Noyes and the Oneida Perfectionists." In: Donald E. Pitzer (ed.), America's Communal Utopias. Chapel Hill, NC: University of North Carolina Press, pp. 253–278.
- ^ Stoehr, Taylor (1979). Free Love in America: A Documentary History. New York: AMS Press, Inc.
- ^ DeMaria, Richard (1978). Communal Love at Oneida: A Perfectionist Vision of Authority, Property and Sexual Order. New York: The Edwin Mellen Press, p. 83.
- ^ Noyes, Pierrepont (1937). My Father's House: An Oneida Boyhood. New York: Farrar & Rinehart
- ^ Miller, Tirzah (2000). Desire and Duty at Oneida: Tirzah Miller’s Intimate Memoir. Ed. Robert Fogarty. Indianapolis: Indiana University Press.
- ^ Mutual Criticism. Oneida, N.Y.: Office of the American Socialist, 1876.
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- ^ Van Wormer, Heather M. (2006). “The Ties That Bind: Ideology, Material Culture, and the Utopian Ideal”. Historical Archaeology 40 (1): 40.
- ^ Van Wormer (2006). The Ties That Bind: Ideology, Material Culture, and the Utopian Ideal. p. 40.
- ^ Foster, Lawrence (December 1986). “The Psychology of Free Love in the Oneida Community”. Australasian Journal of American Studies 5 (2): 18.
- ^ Mandelker, Ira L. (Autumn 1982). “Religion, Sex, and Utopia in Nineteenth-Century America”. Social Research 49 (3): 742.
- ^ Foster, Lawrence (1986). The Psychology of Free Love in the Oneida Community. p. 17.
- ^ a b Mandelker, Ira L. (1982). Religion, Sex, and Utopia in Nineteenth-Century America. p. 743.
- ^ Foster, Lawrence (1986). The Psychology of Free Love in the Oneida Community. p. 19.
- ^ Foster, Lawrence (1986). The Psychology of Free Love in the Oneida Community. p. 18.
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- ^ Kern, Louis (1981). An Ordered Love: Sex Roles and Sexuality in Victorian Utopias: The Shakers, the Mormons, and the Oneida Community. Chapel Hill: The University of North Carolina Press. p. 260
- ^ Kern, Louis (1981). An Ordered Love: Sex Roles and Sexuality in Victorian Utopias: The Shakers, the Mormons, and the Oneida Community. Chapel Hill. pp. 232, 224
- ^ Kern, Louis (1981). An Ordered Love: Sex Roles and Sexuality in Victorian Utopias: The Shakers, the Mormons, and the Oneida Community. Chapel Hill. p. 241
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- ^ http://library.syr.edu/digital/collections/o/OneidaCommunityCollectionInTheSyracuseUniversityLibrary/
- ^ New York Times; June 27, 1950
- ^ Time (magazine); July 3, 1950; Died. Ella Florence Underwood, 100, last surviving member of the Oneida Community, a financially successful communal settlement (Oneida Silver) that practiced both promiscuity within its own group and stirpiculture; of a heart attack; near Oneida, N.Y.
参考文献
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外部リンク
- Oneida Community Mansion House – a museum of the Oneida Community
- Oneida Community Digital Collection at Syracuse University
- Oneida Community archives at Syracuse University
- 1905 Magazine Article (写真を含む)
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