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== 政策 == |
== 政策 == |
2016年3月27日 (日) 08:49時点における版
衆議院議員 小田原 潔 | |
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生年月日 | 1964年5月23日(60歳) |
出身地 | 大分県宇佐市 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
前職 | 銀行員 |
所属委員会 |
安全保障委員会 予算委員会 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 東日本大震災復興特別委員会 |
選出選挙区 |
(比例東京ブロック→) 東京21区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 自由民主党(細田派) |
党役職 | 政務調査会外交部会長代理ほか |
会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館1007号室 |
ウェブサイト | 衆議院議員(立川市・昭島市・日野市)小田原きよし |
小田原 潔(おだわら きよし、1964年5月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。TOKYO自民党政経塾7期生であり、清和政策研究会会員。東日本大震災復興特別委員会の理事を務める。また龍馬プロジェクトにおける国会議員参与の一人。
略歴
大分県宇佐市生まれ[1]。少年時代は自衛官である父の転勤のため、北海道など各地を転々としていたという[1]。東京大学経済学部を卒業後、富士銀行・メリルリンチ証券・ゴールドマン・サックス証券・ドイツ証券・モルガン・スタンレー証券などで23年間勤務[2]。
2007年の第21回参議院議員通常選挙や2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党の候補者公募に応募するも採用されなかったという[1]。2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙において、自民党の公認を獲得し大分県選挙区に出馬するも落選[3]。東北地方太平洋沖地震の発生後は被災地においてボランティア活動を行い、その体験を記した『ヒトのチカラ。』(ISBN 978-4-87919-641-5)を著す[3]。
2012年(平成24年)12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、東京21区に出馬。民主党の長島昭久に敗れたが、比例東京ブロックで復活し初当選。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会に所属し、2013年4月23日には靖国神社に参拝している[4]。2014年(平成26年)12月14日の第47回衆議院議員総選挙では再び東京21区に出馬し当選。2015年8月26日の政策勉強会では、インターネット上の法律問題を専門とする弁護士らを招いた。[5]。
政策
- 2010年の時点では国会の二院制は維持すべきとしていたが[6]、2012年には一院制の導入に賛成すると回答している[7]。
- 日本は核兵器を保有し核武装すべきとしている[7]。
- 脳脊髄液減少症問題への支援活動を行っている[8]。
人物
- 大分水害の被災地や東日本大震災で津波の被害を受けた宮城県宮城郡七ヶ浜町において、災害ボランティアとして活動した[9]。
- 東京ヴェルディ1969の羽生英之は高校時代の同級生[10]。
- 趣味としてトライアスロンをあげている[1]。
脚注
- ^ a b c d 「参院選 候補者の横顔(上)小田原潔氏 構造改革自らの手で 大分」『読売新聞』2010年7月1日西部版朝刊35面。
- ^ 『自由民主』2012年11月号。
- ^ a b 「ひとストリート 浪人・小田原潔さん 被災地支援の体験本出版 大分県」『朝日新聞』2011年10月17日西部地方版朝刊31面。
- ^ 小田原きよしオフィシャルブログ 日本まったなし
- ^ 小田原きよし (2015年8月26日). “2015年8月26日 小田原きよしさんの写真アルバム”. Facebook. 2016年2月15日閲覧。
- ^ 「参院選立候補者アンケート 3氏、争点は景気対策 大分」『読売新聞』2010年6月19日西部版朝刊30面。
- ^ a b “2012衆院選 比例代表 東京ブロック 自由民主党 小田原潔”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年2月8日閲覧。
- ^ 脳脊髄液減少全国ネットワーク
- ^ 小田原きよし『ヒトのチカラ。 東日本大震災被災地、災害ボランティアセンターで起こったいくつものドラマ。 ボランティアって何するの?』マーブルトロン・三交社、2011年。
- ^ “東京ヴェルディ1969の必勝祈願”. 小田原きよしオフィシャルブログ (2013年1月17日). 2013年2月5日閲覧。