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**[[元就。]]スペシャル 夏のオススメスポットを探すんじゃ~の巻 (2015年6月27日、RCCテレビ)
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**元就。外伝 もみぢまんじゅうが驚きの大変身じゃ~の巻(2016年10月9日、RCCテレビ) 菓子組
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*Veryカープ!祝!カープ優勝V7(2016年9月11日深夜、RCCテレビ)
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*Veryカープ!連覇は一日にしてならず! ~黄金時代への秘策~(2017年7月16日、RCCテレビ)
*Veryカープ!連覇は一日にしてならず! ~黄金時代への秘策~(2017年7月16日、RCCテレビ)
;ラジオ
;ラジオ

2017年9月19日 (火) 17:01時点における版

安仁屋 宗八
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県那覇市
生年月日 (1944-08-17) 1944年8月17日(80歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1964年5月31日
最終出場 1981年4月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

安仁屋 宗八(あにや そうはち、1944年8月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手投手)・コーチ監督解説者評論家ラジオパーソナリティ

経歴

少年時代は巨人ファンで、藤田元司に憧れを抱いていた。沖縄高校では3年次の1962年南九州大会宮崎大淀を降し、沖縄県の高校として初めて実力で夏の甲子園に出場。話題となったが、1回戦で広陵に敗退。卒業後は琉球煙草に進み、1963年都市対抗大分鉄道管理局の補強選手として出場。沖縄出身選手として初めて後楽園の土を踏み、2回戦(初戦)の日本生命戦でリリーフ登板するが、0-2で惜敗。

1964年広島カープへ入団。当時アメリカの統治下にあった沖縄出身プロ野球選手第1号として注目された。甲子園、都市対抗、プロ野球、全てが沖縄県人で初となった。1年目から一軍に定着し、主に中継ぎとして起用される。5月31日国鉄戦(東京)で初登板・初先発を果たしたが、5回4失点で敗戦投手となった。6月14日の巨人戦(広島市民)で2度目の先発登板となり、9回1失点で初完投・初勝利を挙げる。当日はラジオで生中継され、那覇市内の電器店の前には黒山の人だかりが出来た。翌日には沖縄タイムスが1面で「安仁屋 待望の初勝利」と掲げ、運動・社会面でも詳報を伝えた。琉球新報では試合経過のほか、社会面で留守宅の様子を伝えた。勝利の瞬間に安仁屋の留守宅は親戚や兄弟が踊り出し、町中の各所でも抱き合って初快挙を喜ぶ姿もあった。テレビはマイクロ回線がまだ通じていないためにネット局から飛行機で運ばれるビデオが数日後に流された。琉球放送が2日後の6月16日昼、更に2日後の6月18日午後11時過ぎと2度も放映した[1]。全国各地で沖縄県出身者による後援会が次々と誕生し、投げる前から話題が先行、そのプレッシャーたるや大変なものであったという。

サイドスローから沈むシュートと伸びるシュート、カーブスライダーを投げ分ける投球が持ち味で、2年目の1965年から先発の一角に定着。5月11日の巨人戦(兼六園)では安仁屋に当たったライナーを捕手の久保祥次が処理したことによりキャッチャーライナーという珍しい記録になっている(飛球#珍記録参照)。1966年に32試合、1967年にはチーム最多の25試合に先発するが、チームの不調もあって両年とも8勝に留まる。1966年7月31日の巨人戦(広島市民)では9回2死まで無安打無四球に抑えたが、あと一歩のところでノーヒットノーランを逃すなど、当時唯一ラジオ中継があった巨人戦では死ぬ気で投げたという。

その甲斐もあって巨人キラーとして知られるようになり、1968年には根本陸夫新監督の下、得意のシュートを武器に強気の投球で初の2桁勝利となる23勝・防御率2.07(リーグ2位)を記録。21勝を挙げた外木場義郎と共に球団初のAクラス入りに貢献。1969年1970年と2年連続10勝を挙げたが、1969年春のキャンプで痛風を患って[2]以降は4年連続1桁勝利に留まるなど低迷。1974年にはキャンプ中にジョー・ルーツ一軍打撃コーチと対立してしまい、同年オフに若生智男とのトレード阪神タイガースに移籍。移籍後は中継ぎエースとして活躍し、1975年は12勝7セーブ・防御率1.91で最優秀防御率カムバック賞のタイトルを獲得。1976年には10勝10セーブを記録した。1979年オフに金銭トレードで広島に復帰した[3]が、酒の飲み過ぎが祟って春先に十二指腸潰瘍を発症し、大きく出遅れてしまう。復帰後は公式戦での登板機会に恵まれなかったが、1980年の日本シリーズ第1戦にリリーフ登板。1981年引退。現役中から酒豪で鳴らし、二日酔いで練習中に腹筋をしながら居眠りをしたという逸話も残した。球界きっての麻雀の名人という顔も持っていた。通算119勝は幼い頃に憧れていた藤田と同じであり、巨人から通算34勝を挙げている。

引退後は広島で二軍投手コーチ(1982年 - 1983年, 1993年)・一軍投手コーチ(1984年 - 1992年, 2005年)・二軍監督(1994年 - 1997年)を歴任し、3度のリーグ優勝(1984年, 1986年, 1991年)と1984年の日本一に貢献。コーチ時代は投手陣を引き連れて流川でのハシゴは勿論の事、遠征中も夜にホテルの部屋の選手を見回り、部屋に選手が残っていると「遊びに出ろ!」と命令。川口和久は公私ともお世話になった恩師と名前を挙げている[4]。当初は先発だった津田恒実を抑えに起用した[5]。退団後は中国放送解説者デイリースポーツ評論家1998年 - 2004年)も7年間務めた。2005年に復帰した際は春季キャンプで投手全員に先発としての調整を指示し、2500球もの凄まじい投げ込みを命じて投手陣再建を計った。タフな黒田博樹大竹寛はキャンプを無事乗り切り自身最高の成績を残したが、選手層は厚くならず投手陣全体としては失敗に終わった。この年の安仁屋はあごに白いヒゲを蓄え、赤い広島のユニフォームと相まって「安仁屋サンタ」と一部から呼ばれていた。2006年からはRCC解説者・デイリースポーツ評論家の活動を再開し、郷里・沖縄にクラブチーム安仁屋ベースボールTRY」を結成。2012年からは平成ラヂオバラエティごぜん様さまの月曜パーソナリティとしてレギュラー出演もしている。解説や評論の仕事をするようになっても、毎年広島の春季キャンプで臨時投手コーチを務めている。市民球場へは毎試合1日も欠かさず観戦に行っており、新球場(マツダスタジアム)に移転後も毎試合行くという[6]

人物

野球漫画テレビドラマ映画などで知られる「ROOKIES」の安仁屋恵壹の苗字は安仁屋からとったものである。また、津田恒実の現役時代や闘病の模様をテレビドラマ化した「最後のストライク」(フジテレビ)において宇崎竜童が演じた安仁屋の役は、酒乱で誰も寄せ付けず酒場では独壇場であるが、その反面情に脆いという役であり、安仁屋の人の良さが浮き彫りになった役柄であった。見舞いに行った安仁屋に、ほとんど口もきけない状態だった津田が「あにやさん、のみすぎんように」とつぶやいたエピソードが知られている。

シーズン開幕前にカープ投手陣の勝ち星予想を求められると、非常にポジティブな予想を行う傾向があり、その結果勝ち星の合計が100勝を超えてしまうことが多い。そのため、ファンの間では安仁屋の勝ち星予想が通称「安仁屋算」と呼ばれている[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1964 広島 38 7 1 0 0 3 8 -- -- .273 390 92.1 86 10 31 1 5 74 1 0 38 36 3.52 1.27
1965 53 20 3 1 0 9 13 -- -- .409 804 201.1 161 22 62 8 10 127 3 0 73 67 3.00 1.11
1966 40 32 5 2 0 8 14 -- -- .364 704 172.0 150 15 43 3 7 124 1 0 76 71 3.72 1.12
1967 45 25 8 1 0 8 16 -- -- .333 776 189.2 167 27 61 9 4 131 1 0 78 63 2.98 1.20
1968 57 32 20 5 5 23 11 -- -- .676 1198 313.1 218 26 55 3 11 237 5 0 84 72 2.07 0.87
1969 40 15 4 1 0 10 9 -- -- .526 564 135.1 115 16 41 4 9 100 1 0 59 53 3.53 1.15
1970 44 27 7 3 1 10 14 -- -- .417 860 209.1 193 18 53 1 9 167 2 1 85 84 3.62 1.18
1971 12 1 0 0 0 2 2 -- -- .500 121 29.0 26 4 14 0 0 19 0 0 11 11 3.41 1.38
1972 32 14 8 2 2 8 10 -- -- .444 549 139.1 114 21 32 1 2 93 1 0 52 49 3.17 1.05
1973 40 18 2 0 0 5 5 -- -- .500 567 139.2 132 18 32 3 3 73 0 0 63 53 3.41 1.17
1974 33 1 0 0 0 4 4 2 -- .500 318 74.2 71 12 32 2 3 49 0 0 36 33 3.96 1.38
1975 阪神 66 0 0 0 0 12 5 7 -- .706 542 140.2 111 9 22 2 7 87 3 0 31 30 1.91 0.95
1976 53 0 0 0 0 10 4 10 -- .714 372 91.2 71 12 31 3 3 63 1 0 30 23 2.25 1.11
1977 48 0 0 0 0 4 5 2 -- .444 284 67.1 54 10 27 2 4 37 0 0 32 29 3.90 1.20
1978 39 0 0 0 0 3 2 1 -- .600 294 71.2 63 4 17 1 4 38 1 0 33 27 3.38 1.12
1979 12 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 82 18.0 20 3 8 2 1 7 0 0 12 10 5.00 1.56
1980 広島 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 4.0 1 0 2 0 0 4 0 0 0 0 0.00 0.75
1981 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 8 1.0 4 2 1 0 0 2 0 0 4 4 36.00 5.00
通算:18年 655 192 58 15 8 119 124 22 -- .490 8447 2090.1 1757 229 564 45 82 1432 20 1 797 715 3.08 1.11
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000奪三振:1972年5月27日、対大洋ホエールズ7回戦(広島市民球場)、5回表に江藤慎一から ※史上42人目
  • 100勝:1975年8月14日、対読売ジャイアンツ16回戦(後楽園球場)、6回裏1死に4番手で救援登板・完了、3回2/3を無失点 ※史上65人目
  • 500試合登板:1975年10月11日、対読売ジャイアンツ24回戦(阪神甲子園球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回1失点 ※史上33人目
  • 600試合登板:1977年10月9日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回2/3を3失点で敗戦投手 ※史上16人目

背番号

  • 16 (1964年 - 1974年)
  • 18 (1975年 - 1979年)
  • 15 (1980年 - 1981年)
  • 88 (1982年 - 1988年、1996年 - 1997年、2005年)
  • 80 (1989年 - 1995年)

関連情報

現在の出演

テレビ
ラジオ

過去の出演

テレビ
  • アンガールズのオールナイトカープ~まだ寝ちゃあいけんでえ、爆笑ネタ投げ込んじゃるけえ (2014年11月21日、RCCテレビ) - ゲスト出演
  • 元就。
    • 元就。スペシャル 夏のオススメスポットを探すんじゃ~の巻 (2015年6月27日、RCCテレビ)
    • 元就。外伝 もみぢまんじゅうが驚きの大変身じゃ~の巻(2016年10月9日、RCCテレビ) 菓子組
  • Veryカープ!祝!カープ優勝V7(2016年9月10日深夜、RCCテレビ)
  • Veryカープ!連覇は一日にしてならず! ~黄金時代への秘策~(2017年7月16日、RCCテレビ)
ラジオ
イベント
  • アニヤの純真(2017年8月30日、弘法市スタジアム広島) 安仁屋宗八 カープ生解説・観戦イベント。司会:さいねい龍二桑原しおり

イメージキャラクター

  • ジーンズ企画工房(株式会社ヤスダ)

脚注

  1. ^ 山室寛之『巨人V9とその時代』中央公論新社、2014年、110-111項
  2. ^ 安仁屋宗八、二宮清純「「飲み過ぎ」とトレードの真相-安仁屋宗八「酒とインコース」(3)(新日本野球紀行147)」『本』第42巻第8号、講談社、2017年、50-52頁、ISSN 03850366 
  3. ^ トレードの経緯は、安仁屋宗八、二宮清純「津田の一言、黒田の逸話……投手コーチ秘話-安仁屋宗八「酒とインコース」(4)(新日本野球紀行148)」『本』第42巻第9号、講談社、2017年、50-52頁。 を参照。
  4. ^ 川口和久『投球論』講談社現代新書、1999年
  5. ^ 悲願の優勝!かつての主力たちが明かす「広島カープ」最強秘話
  6. ^ 『野球小僧』、2009年2月号、196-197頁
  7. ^ 黒田博樹の男気完封に男泣き! 豪快で熱い男、元広島・安仁屋宗八氏が残した数々の伝説とは? - マイナビニュース・2016年4月17日
  8. ^ 吉田は安仁屋の阪神移籍と同時期に監督就任(1度目・1975年 - 1977年)。

関連項目

外部リンク

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