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「ノート:グレゴリオ暦」の版間の差分

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曜日 文献的根拠を求む。
TommyCR (会話 | 投稿記録)
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暦に関する書籍を渉猟しても「曜日は'''当然に'''連続する」というような記述を見たことがありません。無曜日を持つ[[世界暦]]が提案されたこともあります。文献的根拠を示していただかないと何とも判断できません。--[[利用者:Awaniko|Awaniko]]([[利用者‐会話:Awaniko|会話]]) 2017年1月2日 (月) 14:29 (UTC)
暦に関する書籍を渉猟しても「曜日は'''当然に'''連続する」というような記述を見たことがありません。無曜日を持つ[[世界暦]]が提案されたこともあります。文献的根拠を示していただかないと何とも判断できません。--[[利用者:Awaniko|Awaniko]]([[利用者‐会話:Awaniko|会話]]) 2017年1月2日 (月) 14:29 (UTC)

{{返信|[[利用者:Awaniko|Awaniko]]さん}}
ローマ教皇グレゴリウス13世の改暦勅書(いわゆる"Inter Gravissimas")の原文はお読みになったことがありますでしょうか?wikisourceにもありますので、英語訳で十分ですので一度お読みになってください。グレゴリオ暦の場合、改暦の趣旨・目的・具体的方法・問題点などが、新しい暦の発布と同時にローマ教皇庁の公的な勅書として明確に記されて公的に公表されていますので、改暦の趣旨・内容について論述する場合は、ここがすべての原点になります。極端な話、これをラテン語から和訳するだけで必要十分なのですが、それでは日本語版の一般読者に対しわかりにくい部分があるので、適宜補足的な説明を加えるという方針になるはずです。

さて、問題のInter gravissimasなのですが、ここで論じられているのは、1581年現在において、ニケーア公会議における決定(春分を3月21日とする)と科学的な天文学的な春分が異なってきており問題であることの指摘、それを調整するためには、暦法アルゴリズム自体の変更および一定の期日(10日分)の削除が必要であることの言明、そうすると削除される日に割り当てられた守護聖人を祝う日が削除されてしまうことへの言及、および暦法変更に伴い必要な復活祭の期日を確定するための新しい計算方法の提示、これだけであって、曜日に関する記述は一切ありません。祝うべき日が削除の憂き目に合う守護聖人に関する言及はあっても、曜日に関する言及は一切存在しないのです。これは、16世紀当時のローマ教皇庁において、七曜を飛ばしたり無曜日を挿入したりするという操作は、おおよそ考えつかなかったことだということを示唆します。実際、このような発想が出てくるのは19世紀に入ってからで、おそらく、フランス革命暦がキリスト教要素を暦から一掃するため、日毎の守護聖人の削除(植物名に置換)と同時に七曜を廃止し、同暦において各30日に揃えられた月(mois)と綺麗に整序される「旬(decade)」というまとまりを創作したことにインスパイアされたのだろうと思います(「おそらく」以降の部分のみは私の個人的見解です)。

したがって、本来なら「曜日を連続して」という記述は、それ自体が余事記載、平たく言えば「蛇足」になると考えます。各種ガイドラインに抵触するものとまではいえませんが、不要かつ考え方によっては有害な記述と考えます(一種の独自研究でしょう)。ただし、21世紀現在の日本語版読者むけの記述としては、確認的・啓発的な意味で書き加えること自体は容認します。しかしながら、「わざわざ蛇足を太字にする」ことはさすがに容認できません。どうしても、改暦勅書の趣旨に全く存在しない記載を特に強調して付け足すべきであるとお考えであるのなら、何らかの典拠なり何なりを提示していただきたく思います。--[[利用者:TommyCR|TommyCR]]([[利用者‐会話:TommyCR|会話]]) 2017年11月3日 (金) 05:23 (UTC)

2017年11月3日 (金) 05:23時点における版

「グレゴリオ暦」は、冒頭から[1]と、一字一句の違いもない、まったく同じ文章です。いかがいたしますか?

そのページの下のほうを見てください。
>>Wikipedia - All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License
と書いています。つまりWIKIPEDIAから文章を持っていったんですよ。らりた 16:32 2004年5月26日 (UTC)

日本の太陽暦改暦の件ですが、ユリウス暦とグレゴリオ暦は各月の日数や閏年の置き方のみで決まるのではなく、日付も重要な基準になります。ユリウス暦とグレゴリオ暦には日本の改暦当時12日の差があり、閏年の置き方がユリウス暦と同じでも日付が12日ずれていればそれは「ユリウス暦」ではありません。(参考:スウェーデン暦)したがって、日本の太陽暦改暦がユリウス暦であると読み取ることはできないと考えます。春野秋葉 2006年1月19日 (木) 14:35 (UTC)[返信]

閏年ルールの記述の順序について

『400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得る。3回分の平年がなるべく均等に分布すること、分かりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が100で割り切れ、かつ400では割り切れない年は平年とする。これ以外の年では西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用された。』

上記の記述は、「400年間に3回の閏年を省くこと」の記述から始めています。そのため、「西暦の年数が100で割り切れ、かつ400では割り切れない年は平年とする。」を最初に言及しています。文章の流れからいって、この記述方法が理解しやすいために、このようにしています。--Awaniko会話2015年10月15日 (木) 12:43 (UTC)[返信]

訂正の提案

「400年間における閏年の回数の違い」の表の「合計」という列の単位が「回」よりも「年」のほうが分かりやすいと思います。 なので、その件に関して編集の提案をさせていただきます。 反論のある方は返信投稿をよろしくお願いします。 また、しばらく待っても反論が来ないときは、編集させていただきます。--Yomogi-yukkuri会話2016年5月29日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

反対 『大辞林』第三版によると、「」は度数を数える助数詞、「」は年数を数えるのに用いる助数詞です。「度数」を表すべきなので「回」のままでよいと考え反対します。--Resto1578会話2016年5月30日 (月) 04:49 (UTC)[返信]
反対  他の箇所の記述で、「400年間に97回」のように、すべて「年」と「回」を使い分けています。この「回」を「年」に変更すると、誤読される可能性があります。ですから「年」に変更すべきではありません。 --Awaniko会話2016年5月30日 (月) 12:07 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。反対の意見をいただいたので、編集は取りやめます。ありがとうございました。--Yomogi-yukkuri会話2016年5月30日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

曜日の「非」連続?

2011年の124.27.0.234氏の編集以来、改暦の際に「曜日を連続して」という一節が挿入されており、2016年1月のAwaniko氏の編集により更に太字に強調されているのですが、太字にまでされると、さすがに違和感を覚えます。ユダヤ暦以来(系譜的には古代メソポタミア文明の暦法以来)の曜日(七曜)というのは、中華文明圏の干支(日干支)と同じく、「太古以来、一度も飛ばされること無く永久に循環するもの」であって、(いわゆる「アケリス世界暦」のような意図的に操作された特殊な例外を除き)「当然に連続する」ものなのではないでしょうか。あまりにも当たり前過ぎて、ソースといわれると困ってしまうのですが…。そもそも、グレゴリオ暦はキリスト教カトリックの宗教暦としてローマ教皇庁により制定されたものです。グレゴリオ改暦の趣旨それ自体である「復活祭の日時の決定」にしても、通常の日曜日のミサを行う日にしても、旧約聖書以来(宗教観念上は天地創造の7日間以来)の「連続した七曜の永久循環」は論ずるまでもなく当然のものであるはずです。本来はこの一節は削除すべきと考えます。しかし、西洋暦法に関する知識が乏しい読者が想定される日本語版では、一種の啓発的記述として残存させてもよいとは思うのですが、少なくとも太字記述は深刻な誤解を招きかねないと思います。いかがでしょうか?--TommyCR会話2016年10月13日 (木) 12:39 (UTC)[返信]

暦に関する書籍を渉猟しても「曜日は当然に連続する」というような記述を見たことがありません。無曜日を持つ世界暦が提案されたこともあります。文献的根拠を示していただかないと何とも判断できません。--Awaniko会話2017年1月2日 (月) 14:29 (UTC)[返信]

返信 (Awanikoさん宛) ローマ教皇グレゴリウス13世の改暦勅書(いわゆる"Inter Gravissimas")の原文はお読みになったことがありますでしょうか?wikisourceにもありますので、英語訳で十分ですので一度お読みになってください。グレゴリオ暦の場合、改暦の趣旨・目的・具体的方法・問題点などが、新しい暦の発布と同時にローマ教皇庁の公的な勅書として明確に記されて公的に公表されていますので、改暦の趣旨・内容について論述する場合は、ここがすべての原点になります。極端な話、これをラテン語から和訳するだけで必要十分なのですが、それでは日本語版の一般読者に対しわかりにくい部分があるので、適宜補足的な説明を加えるという方針になるはずです。

さて、問題のInter gravissimasなのですが、ここで論じられているのは、1581年現在において、ニケーア公会議における決定(春分を3月21日とする)と科学的な天文学的な春分が異なってきており問題であることの指摘、それを調整するためには、暦法アルゴリズム自体の変更および一定の期日(10日分)の削除が必要であることの言明、そうすると削除される日に割り当てられた守護聖人を祝う日が削除されてしまうことへの言及、および暦法変更に伴い必要な復活祭の期日を確定するための新しい計算方法の提示、これだけであって、曜日に関する記述は一切ありません。祝うべき日が削除の憂き目に合う守護聖人に関する言及はあっても、曜日に関する言及は一切存在しないのです。これは、16世紀当時のローマ教皇庁において、七曜を飛ばしたり無曜日を挿入したりするという操作は、おおよそ考えつかなかったことだということを示唆します。実際、このような発想が出てくるのは19世紀に入ってからで、おそらく、フランス革命暦がキリスト教要素を暦から一掃するため、日毎の守護聖人の削除(植物名に置換)と同時に七曜を廃止し、同暦において各30日に揃えられた月(mois)と綺麗に整序される「旬(decade)」というまとまりを創作したことにインスパイアされたのだろうと思います(「おそらく」以降の部分のみは私の個人的見解です)。

したがって、本来なら「曜日を連続して」という記述は、それ自体が余事記載、平たく言えば「蛇足」になると考えます。各種ガイドラインに抵触するものとまではいえませんが、不要かつ考え方によっては有害な記述と考えます(一種の独自研究でしょう)。ただし、21世紀現在の日本語版読者むけの記述としては、確認的・啓発的な意味で書き加えること自体は容認します。しかしながら、「わざわざ蛇足を太字にする」ことはさすがに容認できません。どうしても、改暦勅書の趣旨に全く存在しない記載を特に強調して付け足すべきであるとお考えであるのなら、何らかの典拠なり何なりを提示していただきたく思います。--TommyCR会話2017年11月3日 (金) 05:23 (UTC)[返信]