「光山英和」の版間の差分
編集の要約なし |
Kkkrtyqxdtt (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Infobox baseball player |
{{Infobox baseball player |
||
|選手名 = 光山 英和 |
|選手名 = 光山 英和 |
||
|所属球団 = |
|所属球団 = |
||
|役職 = |
|役職 = |
||
|背番号 = |
|背番号 = |
||
|選手写真ファイル名 = Mitsuyama hidekazu.jpg |
|選手写真ファイル名 = Mitsuyama hidekazu.jpg |
||
|写真のコメント = 2012年9月30日、西武ドームにて(西武コーチ時代) |
|写真のコメント = 2012年9月30日、西武ドームにて(西武コーチ時代) |
2018年10月15日 (月) 14:04時点における版
2012年9月30日、西武ドームにて(西武コーチ時代) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市生野区 |
生年月日 | 1965年11月20日(59歳) |
身長 体重 |
186 cm 100 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト4位 |
初出場 |
NPB / 1986年4月5日 KBO / 2003年 |
最終出場 |
NPB / 2002年6月11日 KBO / 2003年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
光山 英和(みつやま ひでかず、1965年11月20日 - )は、大阪市生野区出身の元プロ野球選手(捕手)、野球解説者、野球指導者。韓国球界での登録名は、金英和(キム・ヨンファ、김영화)[1]。
来歴・人物
現役時代まで
上宮高校では1983年の第55回選抜大会に出場。1回戦で仲田幸司、仲田秀司のバッテリーを擁する興南高を破るが、2回戦で明徳義塾に敗退[2]。1年下のチームメートに控え外野手の笘篠賢治がいた。
同年秋のプロ野球ドラフト会議にて近鉄バファローズから4巡目指名を受け入団。
2年目までは二軍生活だったが、3年目の1986年からは正捕手・梨田昌孝の衰えなどもあり、山下和彦や古久保健二と共に一軍に帯同することが多くなった。1989年は序盤ケガで出遅れていたが、終盤に復帰し、シーズン最終戦では5打数4安打の活躍を見せた[3]。日本シリーズでは第2戦で負傷退場した山下に代わり途中出場し2打数2安打、先発マスクを被った第3戦ではシーズンで1本も打てなかった本塁打を放ち、先発の加藤哲郎とともにヒーローインタビューを受けている[3]。
1990年には 野茂英雄とバッテリーを組み、古久保との併用も有ったが正捕手の座を獲得。打撃面でも2桁本塁打を記録している。それ以降も100kgの巨体から繰り出される豪快なバッティングを見せ正捕手の座を保っていたが、1995年1月に野茂がメジャーリーグ挑戦のため退団すると、的山哲也ら若手の成長もあって出場機会が減った。1996年9月には打撃練習中に自打球が当たり、右足薬指を骨折している[4]。
1997年開幕直前の3月31日に、金銭トレードで控え捕手の故障が相次いでいた中日ドラゴンズへ移籍[5]。しかし、中日では中村武志と矢野輝弘の2人が1軍正捕手に固定されており出場機会が少なく、結果を残すことができなかった。
1999年5月16日、正捕手・村田真一が顔面への死球を受けて戦列を離れた読売ジャイアンツが経験豊富な捕手を求め、中堅の底上げを望んだ中日との交渉により同じ捕手の吉原孝介との交換トレードで巨人へ移籍[6]。移籍後すぐに先発出場した同月19日の対ヤクルト戦ではいきなり3打席連続安打を放っている。また、古巣の中日相手に起用され、6月にこのカードで6勝2敗と勝ち越す原動力になった[7]。
2000年はベテラン杉山直輝や若手の村田善則ら他の捕手陣が好調だったため一度も一軍に上がることなく戦力外通告を受けた。なお、巨人時代は妻子を名古屋に残し、一人で独身寮に住んでいた。同年オフに入団テストを受け、千葉ロッテマリーンズへ移籍[8]。同年故障者が多かったチームで、特に終盤の守備固めとして期待されていた[8]。
しかし4月1日の対オリックス戦で死球を受けて右足親指を骨折[9]、1年で戦力外通告を受けた。オフにはアトランタ・ブレーブスの入団テストを受けた[10]ほか、メキシカンリーグにも参加した。2002年3月15日に捕手の故障が相次いだ横浜ベイスターズへ移籍している[11]。3番手の捕手として期待されたが戦力外となり同年シーズン終了後に一度は現役を引退。しかし、コーチとしてのオファーを受けて参加した韓国プロ野球(KBO)のロッテ・ジャイアンツの秋季キャンプで動きを評価され、選手として入団[1]。同年引退。日韓ロッテ球団、日韓ジャイアンツのそれぞれ双方で現役を経験したことになる。
現役引退後
2004年からは2010年まで、7年間衛星放送GAORAで放送されている「なまら!北海道日本ハムファイターズ中継」(2009年よりGAORAプロ野球中継)の解説者、NOMOベースボールクラブのコーチ[12]を務めている。同年、北海道のSTVラジオでも解説を開始。STVラジオがおこなった解説好感度調査では片岡篤史と並びトップの評価を得た。2007年11月に北京オリンピック野球日本代表にスタッフの一員として招集され、アジア予選・同本戦に帯同した。また、2009年から2010年まで、道新スポーツの評論家も務めた。
2011年からは埼玉西武ライオンズの一軍バッテリーコーチを務め、2012年シーズン途中から作戦コーチを兼任したが、2013年10月15日に球団からコーチ契約を更新しないことを通告された[13]。2014年からは2015年まで、再び、2年間GAORAとSTVラジオの野球解説者として活動する。2015年10月30日に2016年から古巣横浜DeNAベイスターズの一軍バッテリーコーチに就任することが発表された[14]。監督のアレックス・ラミレスからは「マイベストコーチ」と信頼され、選手との橋渡し役にも貢献した[15]。2016年、戸柱恭孝を正捕手に育て上げた[16]。2018年終了後強く慰留される中[15]、退団[17]。
また、2004年に少年野球チーム「光山ベースボールクラブ」を創設し、同チームと合併した「オール松原」の監督[18]を2007年より務める。山形県内の中学生チームを指導したことがきっかけで、同県で2004年より硬式野球大会・光山英和杯の開催に協力している[19]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986 | 近鉄 | 43 | 49 | 46 | 5 | 13 | 2 | 0 | 0 | 15 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 13 | 1 | .283 | .298 | .326 | .624 |
1987 | 23 | 21 | 18 | 3 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | .222 | .300 | .444 | .744 | |
1988 | 22 | 33 | 29 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 11 | 0 | .069 | .125 | .069 | .194 | |
1989 | 14 | 12 | 12 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .333 | .333 | .417 | .750 | |
1990 | 87 | 227 | 206 | 25 | 62 | 6 | 0 | 12 | 104 | 33 | 1 | 1 | 6 | 2 | 11 | 0 | 2 | 47 | 3 | .301 | .339 | .505 | .844 | |
1991 | 74 | 150 | 135 | 10 | 28 | 4 | 0 | 3 | 41 | 9 | 1 | 0 | 4 | 1 | 8 | 0 | 2 | 34 | 1 | .207 | .260 | .304 | .564 | |
1992 | 74 | 176 | 161 | 22 | 43 | 6 | 2 | 8 | 77 | 22 | 1 | 3 | 3 | 1 | 5 | 0 | 6 | 21 | 10 | .267 | .312 | .478 | .790 | |
1993 | 86 | 244 | 217 | 21 | 57 | 8 | 0 | 9 | 92 | 20 | 1 | 1 | 6 | 1 | 20 | 0 | 0 | 45 | 6 | .263 | .324 | .424 | .747 | |
1994 | 89 | 229 | 206 | 32 | 50 | 9 | 0 | 5 | 74 | 20 | 0 | 0 | 5 | 3 | 13 | 1 | 2 | 62 | 3 | .243 | .290 | .359 | .649 | |
1995 | 62 | 115 | 105 | 5 | 21 | 5 | 0 | 2 | 32 | 11 | 0 | 1 | 4 | 1 | 5 | 0 | 0 | 40 | 0 | .200 | .234 | .305 | .539 | |
1996 | 60 | 164 | 141 | 8 | 34 | 3 | 0 | 2 | 43 | 15 | 4 | 1 | 9 | 2 | 11 | 0 | 1 | 36 | 2 | .241 | .297 | .305 | .602 | |
1997 | 中日 | 25 | 38 | 34 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 12 | 0 | .118 | .189 | .147 | .336 |
1998 | 15 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
1999 | 巨人 | 38 | 68 | 61 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | 1 | 16 | 1 | .115 | .194 | .131 | .325 |
2001 | ロッテ(M) | 6 | 11 | 10 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | .200 | .273 | .400 | .673 |
2002 | 横浜 | 8 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2003 | ロッテ(G) | 7 | 9 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .111 | .111 | .444 | .556 |
NPB:16年 | 726 | 1549 | 1393 | 135 | 332 | 49 | 2 | 42 | 511 | 136 | 8 | 8 | 43 | 12 | 83 | 2 | 18 | 347 | 28 | .238 | .288 | .367 | .654 | |
KBO:1年 | 7 | 9 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .111 | .111 | .444 | .556 |
- 表中のロッテ(M)(2001年在籍)は、NPBの千葉ロッテマリーンズ
- 表中のロッテ(G)(2003年在籍)は、KBOのロッテジャイアンツ
年度別守備成績
年 度 |
捕手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | ||
1986 | 42 | 18 | 15 | 3 | .200 | |
1987 | 22 | 12 | 8 | 4 | .333 | |
1988 | 22 | 9 | 7 | 2 | .222 | |
1989 | 11 | 6 | 3 | 3 | .500 | |
1990 | 71 | 63 | 37 | 26 | .413 | |
1991 | 71 | 46 | 26 | 20 | .435 | |
1992 | 64 | 57 | 41 | 16 | .281 | |
1993 | 78 | 82 | 49 | 33 | .402 | |
1994 | 87 | 69 | 40 | 29 | .420 | |
1995 | 57 | 39 | 25 | 14 | .357 | |
1996 | 60 | 46 | 36 | 10 | .217 | |
1997 | 21 | 7 | 5 | 2 | .286 | |
1998 | 15 | 3 | 2 | 1 | .333 | |
1999 | 37 | 23 | 18 | 5 | .217 | |
2001 | 6 | 10 | 9 | 1 | .100 | |
2002 | 6 | 3 | 3 | 0 | .000 | |
通算 | 670 | 493 | 324 | 169 | .343 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初出場:1986年4月5日、対日本ハムファイターズ2回戦(藤井寺球場)、8回表に捕手として出場
- 初先発出場:1986年4月6日、対日本ハムファイターズ3回戦(藤井寺球場)、9番・捕手として先発出場
- 初安打:同上、5回裏に金沢次男から
- 初打点:1986年6月29日、対ロッテオリオンズ12回戦(石川県立野球場)、4回表に右田一彦から適時打
- 初本塁打:1987年8月31日、対日本ハムファイターズ20回戦(日生球場)、6回裏に西崎幸広からソロ
- 初盗塁:1990年6月1日、対西武ライオンズ9回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に二盗(投手:鈴木哲、捕手:大宮龍男)
背番号
- 56 (1984年 - 1989年)
- 44 (1990年 - 1996年、1998年 - 1999年途中、2002年)
- 17 (1997年)
- 39 (1999年途中 - 2000年)
- 60 (2001年)
- 89 (2011年 - 2013年)
- 90 (2016年 - )
登録名
- 光山 英和(みつやま ひでかず) (1984年 - 2002年)
- 金 英和(キム・ヨンファ) (2003年)
関連情報
出演
- STVファイターズスタジアム(STVラジオ) - 解説者
- GAORAプロ野球中継(GAORA) - 解説者
- タイガースとファイターズのキャンプ60分!!(GAORA)
- プロ野球スピリッツ6(コナミ) - CM出演。GAORA専属アナウンサー・城野昭と共演
- よ〜いドン! -となりの人間国宝(関西テレビ2010年2月25日放送)
脚注
- ^ a b 毎日新聞、2003年3月19日付夕刊、P.6
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ a b 朝日新聞、1989年10月25日付朝刊、P.22
- ^ 朝日新聞、1996年9月8日付朝刊、P.21
- ^ 読売新聞、1997年4月1日付朝刊、P.22
- ^ 読売新聞、1999年5月17日付朝刊、P.16
- ^ 読売新聞、1999年6月24日付夕刊、P.3
- ^ a b 読売新聞、2000年11月6日付朝刊、P.25
- ^ 読売新聞、2001年4月4日付朝刊、P.17
- ^ 読売新聞、2001年12月3日付夕刊、P.3
- ^ 読売新聞、2002年3月16日付朝刊、P.21
- ^ 読売新聞、2002年6月23日付夕刊、P.2
- ^ 埼玉西武ライオンズコーチ来季契約について西武球団公式サイト2013年10月15日配信
- ^ 2016年度 横浜DeNAベイスターズコーチングスタッフ決定横浜DeNA球団公式サイト2015年10月30日配信
- ^ a b “【DeNA】光山バッテリーコーチ辞任へ 球団の強い慰留も低迷の責任痛感”. スポーツ報知. 2018年10月10日閲覧。
- ^ 2017 プロ野球全選手カラー写真名鑑号 、週刊ベースボール、2017年2/24号増刊、
- ^ “2019年度 コーチ契約について”. 選手・チームのニュース. 横浜DeNAベイスターズ (2018年10月11日). 2018年10月11日閲覧。
- ^ オール松原公式サイト 『オール松原からメジャーリーガーへ・・・』
- ^ 読売新聞、2004年8月1日付朝刊、山形地方面
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 光山英和 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 光山英和公式ブログ「塞翁が馬」