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2018年10月15日 (月) 14:08時点における版

野口 寿浩
横浜時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 (1971-06-24) 1971年6月24日(53歳)
身長
体重
183 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1989年 ドラフト外
初出場 1991年10月13日
最終出場 2010年6月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2017 - 2018)

野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ

経歴

プロ入り前

習志野高時代は全国大会には縁がなく、3年夏は千葉大会準決勝で押尾健一を擁する成東高に敗れベスト4。高校通算11本塁打

石井好博監督とヤクルトスワローズのスカウト安田猛が、早稲田大学野球部の先輩後輩の関係であり、ヤクルト入団意思が固いと他球団は手を引き、1989年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団[1]

ヤクルト時代

同期入団の古田敦也に次ぐ2番手捕手で、古田が故障で長期欠場した際の代役として1994年にレギュラーを務めた以外は控えだった[2]

当時の監督野村克也にリード面などを叩き込まれ、自身も毎日試合後に野村が行う講義を熱心に聴き、右腕が痛くなる程ノートに写すなど積極的にその技術を取り込もうとした[1]

1997年に自らトレードを志願するも、他に控えが育っておらず球団に慰留された[1]

日本ハム時代

1998年に捕手力不足を嘆いていた日本ハムファイターズからの城石憲之との交換トレードの申し出に対し、プロ野球脱税事件宮本慎也が出場停止となっていた球団がトレードに応じ、4月6日に日本ハムへ移籍[1]。正捕手の田口昌徳が左膝靭帯を損傷したこともあり、監督の上田利治から高い信頼を受けて5月13日から正捕手となり、監督推薦でオールスターにも初選出された[1]

1999年は正捕手として130試合出場。5月には自身二度目のサヨナラ安打を放つ。2000年にはチームが優勝争いする中でチーム3位、生え抜きではないが日本ハムの捕手として規定打席到達しての最高の打率.298を残し(シーズン安打数も球団歴代捕手トップ)、「ビッグバン打線の恐怖の8番」と言われた。同年は松井稼頭央と同数のリーグ最多三塁打(11本)を放ち、得点圏打率もリーグトップ、盗塁阻止率は.423を記録した。二度目のオールスターゲーム出場を果たした。

2001年、自身もチームも開幕から低空飛行を続け、後半にはチーム事情もあり實松一成の育成を優先しポジションを奪われる。2002年は、捕手登録ながら開幕から外野で出場していたが、実松の不振によりすぐ捕手に戻る。しかし、この年も成績不振に終わる。シーズンオフ、坪井智哉とのトレードで阪神タイガースへ移籍。

阪神時代

移籍初年度の2003年矢野輝弘に次ぐ控え捕手として活躍。矢野が離脱時に先発マスクをかぶり、リーグ優勝に貢献したが、出場機会は激減してしまい成績も大きく下降した。

2004年岡田彰布新監督が矢野で捕手を一本化したため、出場機会はさらに減少。オフにFA権を行使したが、阪神と2年契約を結んでの残留となった。2005年も正捕手の矢野が好調だったために出番は相変わらず極端に少なかった。翌2006年には岡田監督が年齢的に矢野のフル出場は難しいと考え、野口の出場機会を増やす事を明言。特に井川が登板する試合では前述のノーヒットノーランなど相性の良さを買われてスタメン出場が多かった[要出典]

2007年は若手の狩野恵輔と新人の清水誉に押し出される形で開幕二軍スタートとなった。5月に一軍へ昇格し、セ・パ交流戦時に故障した矢野と狩野の穴を埋める活躍をした。矢野の復帰後は、二軍でコンビを組んでいた上園啓史が先発する試合を中心にスタメン出場した。打撃好調で規定打席不足ながら打率.351、出塁率.398を記録した。

2008年前年の上園とのコンビもあって「若い投手を頼む」と言われスタート[要出典]。前半戦は上園、岩田稔ライアン・ボーグルソンらが先発する試合でスタメン出場し、矢野が北京五輪代表として離脱中は正捕手を務めたが、矢野の復帰後は出場機会が減少。同年に再取得したFA権をオフに行使し、相川亮二のFA移籍に伴い捕手の補強を目指していた横浜ベイスターズが獲得の意思を表明。プロ生活の最後を故郷の関東で過ごしたかったことと合致し[1]、12月4日に2年契約で合意した。

横浜時代

2009年は、開幕戦こそスタメン出場だったが、新人の細山田武史が正捕手に抜擢され、野口は4月後半には控えに回ることとなった。開幕からしばらく野口、細山田、齊藤俊雄の捕手3人制が採られていたが、野口は5月14日に二軍落ちとなり、以降一軍再昇格はならないままシーズンを終えた。二軍では代打や指名打者での出場が多く、捕手としては17試合に出場したのみであった。結局この年の一軍出場は17試合のみに終わった。

2010年は、若手の武山真吾が正捕手となったため、開幕戦は選手登録を外れ二軍スタートとなった。6月18日には一軍に上がったが代打起用のみ(2打数無安打)。この年もチームが早い段階で最下位を独走したため、若手選手が多く起用され、一度もマスクを被ることなく、7月17日には出場選手登録を抹消[3]9月15日に球団より来季構想に入っていないと通告され[4]、10月4日には正式に戦力外通告を受けた。11月10日に12球団合同トライアウト1回目に参加したが、獲得する球団はなく現役引退を決断した。

引退後

引退後は東京都内で子ども向けの野球教室を運営し、ヘッドコーチを務める[5]ほか、2012年からは『J SPORTS』のメジャーリーグ中継で解説を務めている。2016年にはBS-TBSTigers-ai制作中継解説、サンテレビにも出演することが多い。

2017年シーズンから、ヤクルト2軍バッテリーコーチに就任した[6]。2018年は1軍バッテリーコーチを務めたが10月15日に来季の契約を締結しない旨を通達された[7]

選手としての評価

野口獲得の際、当時の阪神の監督星野仙一は「矢野と同じぐらいの力を持つ捕手はいざと言う時に効く。(金本知憲ら有力選手を獲得した中で)野口が一番の補強」と語っている[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1991 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1994 63 156 141 8 38 5 1 0 45 10 3 1 3 1 9 1 2 25 4 .270 .320 .319 .639
1995 18 9 9 3 2 1 0 1 6 5 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .222 .222 .667 .889
1996 11 29 25 1 4 1 0 0 5 1 0 1 0 1 3 0 0 8 2 .160 .241 .200 .441
1997 16 9 9 3 3 2 0 0 5 2 2 0 0 0 0 0 0 3 0 .333 .333 .556 .889
1998 日本ハム 109 312 268 37 63 14 3 10 113 34 6 3 15 5 21 0 3 61 3 .235 .293 .422 .715
1999 130 420 391 33 94 22 1 7 139 46 5 4 11 2 13 2 3 75 11 .240 .269 .355 .624
2000 134 510 459 54 137 31 11 9 217 76 5 6 17 5 28 3 1 57 12 .298 .337 .473 .809
2001 99 298 275 20 63 13 2 6 98 36 2 3 6 1 14 0 2 46 5 .229 .271 .356 .627
2002 103 320 291 28 66 9 2 5 94 31 3 1 9 4 14 2 2 65 4 .227 .264 .323 .587
2003 阪神 59 116 107 9 29 4 3 1 42 5 1 0 1 1 5 0 2 29 2 .271 .313 .393 .706
2004 24 34 31 2 7 0 0 0 7 2 2 0 0 1 2 0 0 8 0 .226 .265 .226 .491
2005 18 32 31 2 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 1 0 0 11 0 .161 .188 .226 .413
2006 16 21 20 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 1 4 2 .150 .190 .150 .340
2007 36 106 94 13 33 9 1 2 50 11 1 1 3 1 5 1 3 24 1 .351 .398 .532 .930
2008 55 167 141 10 27 5 0 1 35 9 0 1 7 1 16 0 2 35 4 .191 .281 .248 .529
2009 横浜 17 44 38 4 8 2 1 0 12 3 0 0 2 0 4 0 0 13 1 .211 .286 .316 .602
2010 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
NPB:18年 911 2585 2332 228 582 120 25 42 878 272 30 21 74 23 135 9 21 467 51 .250 .294 .377 .671
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

捕手

捕手






















1991 1 1 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
1994 61 316 27 0 2 5 1.000 28 17 11 .393
1995 14 14 0 0 0 1 1.000 4 4 0 .000
1996 10 53 3 0 0 2 1.000 10 9 1 .100
1997 4 9 1 1 0 0 .909 1 0 1 1.000
1998 107 488 49 4 9 8 .993 57 33 24 .421
1999 129 687 62 5 10 6 .993 80 56 24 .300
2000 134 817 64 5 11 7 .994 78 45 33 .423
2001 91 509 37 1 4 2 .998 45 30 15 .333
2002 91 525 31 2 4 1 .996 51 42 9 .176
2003 47 217 8 1 0 1 .996 23 20 3 .130
2004 9 35 1 0 0 2 1.000 0 0 0 -
2005 18 101 3 0 0 1 1.000 6 5 1 .167
2006 15 56 2 0 1 1 1.000 5 4 1 .200
2007 33 234 11 0 1 4 1.000 19 15 4 .211
2008 55 274 23 4 3 4 .987 27 17 10 .370
2009 17 81 2 1 0 2 .988 12 0 0 .000
通算 836 4417 324 24 45 47 .995 447 298 137 .306
内野・外野

一塁 外野
























1997 1 1 0 0 0 1.000 3 1 0 0 0 1.000
2001 - 2 3 0 0 0 1.000
2002 - 11 15 0 0 0 1.000
2003 4 3 0 0 1 1.000 6 3 0 0 0 1.000
2004 6 3 1 1 0 .800 3 0 0 0 0 -
通算 11 7 1 1 1 .889 25 22 0 0 0 1.000
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

初記録
その他の記録
  • リーグ最多三塁打:1回 (2000年)
  • リーグ得点圏打率1位:1回 (2000年)
  • オールスターゲーム出場:2回 (1998年、2000年)

背番号

  • 67 (1990年 - 1994年)
  • 38 (1995年 - 1996年)
  • 28 (1997年)
  • 54 (1998年 - 2002年)
  • 27 (2003年 - 2004年)
  • 2 (2005年 - 2008年)
  • 5 (2009年 - 2010年)
  • 80 (2017年)
  • 90 (2018年)

脚注

関連項目

外部リンク