「エーリヒ2世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Eric II of Brunswick-Lüneburg (1528-1584), Duke of Calenberg-Göttingen.jpg |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[ファイル: |
[[ファイル:Eric II of Brunswick-Lüneburg (1528-1584), Duke of Calenberg-Göttingen.jpg|thumb|right|エーリヒ2世]] |
||
'''エーリヒ2世'''([[ドイツ語]]:Erich II., [[1528年]][[8月10日]] - [[1584年]][[11月17日]])は、[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク]][[ブラウンシュヴァイク君主一覧|公]]の1人で、[[カレンベルク侯領|カレンベルク]]=[[ゲッティンゲン侯領|ゲッティンゲン侯]](在位:[[1545年]] - 1584年)。カレンベルク=ゲッティンゲン侯[[エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)|エーリヒ1世]]と[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク]][[ブランデンブルク統治者の一覧|選帝侯]][[ヨアヒム1世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム1世]]の娘[[:de:Elisabeth von Brandenburg (1510–1558)|エリーザベト]]の息子。 |
'''エーリヒ2世'''([[ドイツ語]]:Erich II., [[1528年]][[8月10日]] - [[1584年]][[11月17日]])は、[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク]][[ブラウンシュヴァイク君主一覧|公]]の1人で、[[カレンベルク侯領|カレンベルク]]=[[ゲッティンゲン侯領|ゲッティンゲン侯]](在位:[[1545年]] - 1584年)。カレンベルク=ゲッティンゲン侯[[エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)|エーリヒ1世]]と[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク]][[ブランデンブルク統治者の一覧|選帝侯]][[ヨアヒム1世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム1世]]の娘[[:de:Elisabeth von Brandenburg (1510–1558)|エリーザベト]]の息子。 |
||
2019年6月26日 (水) 13:27時点における版
エーリヒ2世(ドイツ語:Erich II., 1528年8月10日 - 1584年11月17日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、カレンベルク=ゲッティンゲン侯(在位:1545年 - 1584年)。カレンベルク=ゲッティンゲン侯エーリヒ1世とブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の娘エリーザベトの息子。
シュマルカルデン戦争では神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世に従軍、ドラーケンブルクでシュマルカルデン同盟と戦った。1557年からエフモント伯ラモーラルと共に対フランス戦争にも従い、八十年戦争でもオランダ各地を転戦、1573年にスペイン王フェリペ2世に金羊毛騎士団に叙爵された。また、1559年から1565年までオランダ人石工を使いウスラーにフロイデンタール城を建設した。
1545年にザクセン公ハインリヒ4世の娘ジドーニエと最初の結婚をし、1576年にロレーヌ公フランソワ1世の娘ドロテと再婚したが、いずれの妻とのあいだにも子供はなかった。エーリヒ2世が1584年に死ぬと、カレンベルク侯領は従甥のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯ユリウスが相続した。
爵位・家督 | ||
---|---|---|
先代 エーリヒ1世 |
カレンベルク=ゲッティンゲン侯 1545年 - 1584年 |
次代 ユリウス |