「カターレ富山」の版間の差分
Numatagangu (会話 | 投稿記録) |
Numatagangu (会話 | 投稿記録) m →概要 |
||
48行目: | 48行目: | ||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
[[2007年]]に[[アローズ北陸|北陸電力サッカー部アローズ北陸]]と[[YKK APサッカー部]] |
[[2007年]]に[[アローズ北陸|北陸電力サッカー部アローズ北陸]]と[[YKK APサッカー部]]を母体として発足<ref name="association">{{Cite press release|date=2007-09-10|publisher=富山県サッカー協会|url=http://www.toyama-fa.jp/topics_detail.phtml?TGenre_ID=102&Record_ID=36b0d493203c74b57c8d0e45579aa0b3|title=待望のJを目指す“県民クラブチーム”誕生!!|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120322012112/http://www.toyama-fa.jp/topics_detail.phtml?TGenre_ID=102&Record_ID=36b0d493203c74b57c8d0e45579aa0b3|archivedate=2012-03-22}}</ref>。[[2008年]]に[[Jリーグ準加盟クラブ]]として承認され<ref>{{cite press release|url=http://www.j-league.or.jp/release/000/00002221.html|title=Jリーグ準加盟審査結果について|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|date=2008-02-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080226163957/http://www.j-league.or.jp/release/000/00002221.html|archivedate=2008-02-26}}</ref>、[[2009年]]にJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。 |
||
チーム名の「カターレ(Kataller)」は、愛するチームを共に“語れ”、“歌え”(イタリア語の「カンターレ」''cantare'')、そして“勝て”(富山の[[方言]]である「勝たれ」)という意味が込められた造語で<ref name="jleague" />、併せて、頂点を目指して富山県民([[サポーター (サッカー)|サポーター]])と肩(カタ)を組んで共に「行こう」(フランス語の「アレ」''aller'')というチームの姿勢を表している<ref name="jleague" />。 |
チーム名の「カターレ(Kataller)」は、愛するチームを共に“語れ”、“歌え”(イタリア語の「カンターレ」''cantare'')、そして“勝て”(富山の[[方言]]である「勝たれ」)という意味が込められた造語で<ref name="jleague" />、併せて、頂点を目指して富山県民([[サポーター (サッカー)|サポーター]])と肩(カタ)を組んで共に「行こう」(フランス語の「アレ」''aller'')というチームの姿勢を表している<ref name="jleague" />。 |
2019年8月17日 (土) 06:29時点における版
カターレ富山 | |
---|---|
原語表記 | カターレ富山 |
呼称 | カターレ富山 |
愛称 | カターレ |
クラブカラー | 青[1] |
創設年 | 2007年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 富山市を中心とする富山県全県[1] |
ホームスタジアム | 富山県総合運動公園陸上競技場[2] |
収容人数 | 18,588人[2] |
運営法人 | 株式会社カターレ富山[1] |
代表者 | 山田彰弘[1] |
監督 | 安達亮 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
939-8234 富山県富山市南中田368番地 富山県総合運動公園陸上競技場内[1] (北緯36度37分33.8秒 東経137度11分42.8秒) |
設立 | 2007年11月[3] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 1230001006146 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 |
久和進(代表取締役会長)[3] 山田彰弘(代表取締役社長)[3] |
資本金 | 9,700万円(2019年1月期)[4] |
売上高 | 4億8,200万円 (2019年1月期)[4] |
営業利益 | ▲4,100万円 (2019年1月期)[4] |
経常利益 | ▲3,900万円 (2019年1月期)[4] |
純利益 | ▲3,900万円 (2019年1月期)[4] |
純資産 | 7,000万円 (2019年1月期)[4] |
総資産 | 1億8,400万円 (2019年1月期)[4] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 |
北陸電力[3] YKK[3] インテック[3] 他 |
関係する人物 |
中尾哲雄(初代社長) 清原邦彦(第2代社長) 酒井英治(第3代社長) 森野弘樹(第4代社長) |
外部リンク | https://www.kataller.co.jp/ |
カターレ富山(カターレとやま、Kataller Toyama)は、日本の富山県(富山市を中心とする全県)をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
2007年に北陸電力サッカー部アローズ北陸とYKK APサッカー部を母体として発足[5]。2008年にJリーグ準加盟クラブとして承認され[6]、2009年にJリーグへ加盟した[1]。
チーム名の「カターレ(Kataller)」は、愛するチームを共に“語れ”、“歌え”(イタリア語の「カンターレ」cantare)、そして“勝て”(富山の方言である「勝たれ」)という意味が込められた造語で[1]、併せて、頂点を目指して富山県民(サポーター)と肩(カタ)を組んで共に「行こう」(フランス語の「アレ」aller)というチームの姿勢を表している[1]。
チームエンブレムには立山連峰、富山湾、富山県の県花チューリップがあしらわれている。クラブマスコットは「ライカくん」で、デザインは富山県の県鳥である「ライチョウ」と県獣の「ニホンカモシカ」を合わせたものである[1]。
ホームスタジアムは富山県総合運動公園陸上競技場[2]、練習場は北陸電力総合運動公園である[1](詳細は#スタジアム#練習場を参照)。
運営会社は株式会社カターレ富山[1]、株主は前身2チームを保有していた北陸電力、YKKを含む地元資本32社である[3]。歴代の社長には北陸電力の出身者(初代社長の中尾哲雄を除く)が就いている。
歴史
クラブ設立まで
2005年、JFLでYKK APが2位、アローズ北陸が3位と共に過去最高の成績を残したこの年より、富山県サッカー協会は富山県にJリーグチームを誕生させるべく、その可能性を探る「Jリーグスタディグループ」を設置、採算性など調査を開始した。その結果、アローズ北陸とYKK APの2チームを母体とした新チームを誕生させ、Jリーグを目指す構想に至った。県サッカー協会は、両クラブを保有する北陸電力とYKKに対してトップチームの統合を要請。両社の同意を得たことにより、2007年9月10日、2008年シーズンからの統合および新クラブチームの発足を発表した[5]。
2007年11月に運営法人として「元気なとやまを創る株式会社」を設立。チーム名は1,086件の応募の中から「カターレ富山」に決定した[7]。チーム名に合わせ社名を「株式会社カターレ富山」に変更した。初代監督には2007年シーズンまでYKK APの監督を務めていた楚輪博が就任した。
2008年(JFL)
- チームスローガン : 融合、そして躍進! Challenge J
2月にJリーグ準加盟が承認された。
チームは、統合前の両クラブの主力選手24名(アローズ北陸より13名、YKK APより11名)と、Jリーグクラブから獲得した5名(橋田聡司、川崎健太郎など)の選手で構成された。
シーズン序盤は、一時14位まで順位を落とすなど結果が出なかったが、その後順調に勝点を積み上げ、11月23日のMIOびわこ草津戦に2対1で勝利したことで勝点を61とし、Jリーグ加盟条件の4位以内を確定させた(最終順位は3位)。
観客動員数もホームゲーム全17試合で73,205人(1試合平均4,306人)となり、Jリーグ加盟条件(平均3,000人以上)を満たした。
12月1日、Jリーグ臨時理事会でJリーグ加盟が全会一致で承認され、2009年からのJリーグ ディビジョン2(J2)への参加が決定した。これによりアルビレックス新潟に次ぐ北信越地方で二つ目、北陸三県では初のJリーグクラブが誕生した。
2009年 - 2014年(J2)
2009年
- チームスローガン : 調和と闘志、そして感動!- For Next Stage -
J2参入1年目。新たな戦力として東京Vから足助翔を獲得、他に新卒選手3名(舩津徹也、江﨑一仁、桜井正人)が加入した。
リーグ戦は、豊富な運動量を生かした組織的な守備が機能、J1経験を持つ東京V、湘南、甲府、C大阪からも勝利を収め、8戦負けなしの期間(第28節-第35節)には、湘南監督の反町康治が「今は富山が一番強い[8]」とコメントした。
しかしチームはシーズン終盤に失速、年間順位は15勝16分20敗の13位に終わった。なお、失点数はリーグ7位であったが、得点数はリーグワースト4位であった。
シーズン終了後、7名が退団した。
2010年
- チームスローガン : 躍進 さらに躍進!!
楚輪体制3年目。福岡から元日本代表の黒部光昭、鳥栖から元アローズ北陸の谷田悠介、C大阪から苔口卓也を完全移籍で、江添建次郎を期限付き移籍で獲得。新卒選手5名が加入した。
シーズンが始まると守備力の低下を露呈、補強が奏功し昨年の課題であった得点力は向上したが、結果的に8月から9月にかけて公式戦7連敗を喫するなど成績は低迷した。9月29日、監督の楚輪を解任。ヘッドコーチの安間貴義が監督に昇格した[9]。監督交代後はこれまで出場機会に恵まれなかった今シーズン加入の新卒選手を積極的に登用しチーム内競争を促進、また、3-3-3-1の新フォーメーションを採用するなどした。
最終順位は19チーム中18位、失点数はリーグワーストとなる71点(第13節から最終節までリーグ戦26試合連続失点)を記録した。
12月2日、チームの約半数の14名の退団(引退8名、契約満了6名)を発表。主将の濱野勇気、中川雄二、石田英之らクラブ創設時より在籍、J昇格に貢献した多くの選手が含まれた。
2011年
- チームスローガン : 一歩一歩 〜For the WIN with ALL〜
昨シーズン途中から指揮を執った安間と3年契約を結んだ。甲府から池端陽介、大西容平、愛媛から鶴田達也、栃木SCから飯田健巳、大宮からソ・ヨンドクを完全移籍で、愛媛から吉川健太、FC東京から平出涼を期限付き移籍で獲得。他に新卒選手4名が加入、計11名が入団した。シーズン中の6月30日、大宮から福田俊介を期限付き移籍で獲得した。
リーグ前半戦は4勝5分10敗と低迷したが、後半戦は戦術が浸透、FC東京や東京Vに勝利するなど調子を上げ、7勝5分7敗の成績を収めた。最終順位は16位となった。このシーズンはアウェイゲームの遠征メンバーを16人(選手登録枠を2人分余す)にすることで経費を削減、浮いた費用をサブメンバーの練習試合の遠征費などに充てた[10]。
シーズン終了後、前身のアローズ北陸時代からの選手だった永冨裕也が引退。江添建次郎(佐川印刷SC)が契約満了に伴い退団。内藤圭佑が草津へ完全移籍、舩津徹也がC大阪へ期限付き移籍した。
2012年
- チームスローガン : 漸進 〜次なる一歩へ〜
安間体制3年目。岐阜から西川優大、鳥栖から山瀬幸宏、京都から加藤弘堅、松本から木村勝太を完全移籍で獲得。吉川健太が期限付き移籍から完全移籍に移行。かつて新潟に在籍していた明堂和也が加入した。6月、京都から守田達弥を期限付き移籍で獲得した。
チームは年間10位という目標を掲げたものの、開幕から5戦勝ちなし、第17節から第31節まで15戦勝ちなし(第29節には最下位に転落)と低迷、JFL降格の危機に陥った。しかし、第33節千葉戦の勝利で最下位を脱出すると、第38節には19位に浮上。J2残留争いは最終節までもつれたが、第42節水戸戦に勝利、年間順位を19位とし残留を確定させた。
シーズン終了後、福田俊介の期限付き移籍期間が満了。松原優吉(長野)、関原凌河(讃岐)が契約満了に伴い退団。吉川拓也が金沢へ期限付き移籍、加藤弘堅が群馬へ、平野甲斐がブリーラム・ユナイテッドFCへ完全移籍した。
2013年
- チームスローガン : BREAKTHROUGH 〜心ひとつに〜
安間体制4年目。C大阪へ期限付き移籍していた舩津徹也が復帰。群馬から御厨貴文、愛媛から大山俊輔を完全移籍で、新潟からキム・ヨングン、京都から三根和起を期限付き移籍で獲得した。他に新卒選手3名が加入した。
8月、清水から白崎凌兵を期限付き移籍で獲得。金沢星稜大学の内田錬平を特別指定選手として登録した[11]。
2015年に北陸新幹線が開業することを受けて、「その2015年にJ1昇格プレーオフ進出」という中間目標が発表された[12]。また2012年から導入されたクラブライセンス制度の財務基準を満たすために黒字化が必須となった[12]。2013年シーズンは降格圏からの脱出、15位を目標とした[13]。
戦術面では、今シーズンからこれまでの方針を転換して後ろからつなぐサッカーを指向、3-1-4-1-1というフォーメーションを採用した[14]。
開幕戦に勝利、第9節終了時には4勝2分3敗の8位と中位につけていたが、第10節G大阪戦に0-4で敗れてから7戦勝ちなし(2分5敗)、その後1勝を挟んで9戦勝ちなし(5分4敗)と失速、19位まで順位を落とした。
また、シーズン中盤から負傷者が続出、戦術やフォーメーションの変更を余儀なくされ、主力DFの御厨と平出が離脱すると「マークが機能しない」との判断で9月7日の天皇杯山形戦から4バックに変更[15]、9月29日の第35節にはMF登録でDF経験のない木村がサイドバックに起用される事態となった[16]。
しかしシーズン終盤に負傷者が復帰、また夏に加入した白崎と苔口の連係が機能しだすと[17] 成績も持ち直し、第39節東京V戦の勝利でJ2残留を確定、最終順位を11勝11分20敗の18位とした。
集客面では、第10節G大阪戦で、過去最高13,639人の入場者数を記録[18]。これによりシーズンのホーム平均入場者数も過去最高の4,474人となった。経営面でも黒字化の見通しが立った[19]。
15位以内という目標は達成できなかったが、クラブ側はゲーム内容の良化を評価し安間に監督続投を要請、安間も他クラブからコーチやユース監督などのオファーがあった[20] が、続投を決断した[21]。
シーズン終了後、足助翔、谷田悠介が現役を引退。黒部光昭(タイ・TTMカスタムズFC)、金井大樹(熊本)、山瀬幸宏(FC大阪)が契約満了に伴い退団。守田達弥、三根和起、舘野俊祐の期限付き移籍期間が満了。舩津徹也が山形へ完全移籍、吉井直人が町田へ、山本祥輝がV大分へ、森泰次郎が佐川印刷京都へ期限付き移籍した。
2014年
- チームスローガン : 蒼力結蹴
安間体制5年目。棚橋雄介、吉川拓也が期限付き移籍先から復帰。平出涼、キム・ヨングンが期限付き移籍から完全移籍に移行。白崎凌兵の期限付き移籍期間を延長。福岡から水谷雄一、藤枝から柴田大地、京都から秋本倫孝、札幌から三上陽輔を完全移籍で、FC東京からU-21日本代表の中島翔哉、清水から内田健太を期限付き移籍で獲得。新卒として昨年特別指定選手として出場していた内田錬平、他に山梨学院大学から田中寛己、ジュビロ磐田U-18から梅村晴貴、上海幸運星足球倶楽部から高准翼が加入した。
今シーズンも昨年と同じく3バックのフォーメーションを採用する予定だったが、中島の加入によって4バックに変更した[22]。
「2015年にJ1昇格プレーオフ進出」という中間目標に向け、2014年シーズンの目標を10位としたが、チームは開幕から9試合未勝利(第9節終了時に最下位)と序盤戦から低迷。第10節松本戦でシーズン初勝利をあげ21位に浮上したものの、第15節、それまで開幕から14試合未勝利だった最下位讃岐にJ2初勝利を献上、第16節終了時には再び最下位に転落した。
第17節湘南戦を前に、監督の安間がクラブ側に「(前半戦残り)5試合で3勝出来なければ、あとは会社の判断」という進退伺を出していたことが判明[23]。その後、湘南戦から第20節までの4試合で1勝3敗と、安間が自らに課した条件を満たしていない中、7月3日、クラブは残りのシーズンも安間が引き続き指揮をとると発表した[24]。
シーズン中に、中島翔哉がFC東京へ復帰。ソ・ヨンドクが蔚山現代FCへ完全移籍、村松知輝がHonda FCへ、西川優大が栃木SCへ期限付き移籍。ヤン・ヘジュンが退団した。そこで、YFCMDからパク・テホンを完全移籍で、甲府から井澤惇、京都から宮吉拓実、FC東京から廣永遼太郎、札幌から前貴之を期限付き移籍で獲得。佐川印刷京都に期限付き移籍していた森泰次郎が復帰した。
しかしチームはその後も低迷。11月1日に最下位が確定、J3自動降格が決定した[25]。この時点で中間目標としてきた「2015年のJ1昇格プレーオフ進出」が達成不可能となったため、強化3か年計画の大幅な見直しを迫られることになった。
また、YKKがクラブのメインスポンサーから撤退するとの報道があった[26]。YKKはこれまで北陸電力と共に毎年およそ1億円をクラブに支援してきたが、これを来シーズン(2015年)から段階的に減額、最終的には数百万円規模にまで縮小するとされている[注 1]。
シーズン終了後、安間が契約満了により監督を退任[27]。水谷雄一、御厨貴文が引退。キム・ヨングン、パク・テホン(横浜FC)、木村勝太(盛岡)、秋本倫孝(タイ・ホンダFC)、棚橋雄介(関東1部・VONDS市原FC)、柴田大地(FC鈴鹿ランポーレ)が契約満了に伴い退団。井澤惇、宮吉拓実、廣永遼太郎、前貴之、白崎凌兵、内田健太の期限付き移籍期間が満了。高准翼が福岡へ、西川優大が期限付き移籍先の栃木SCへ完全移籍した。
2015年 - (J3)
2015年
- チームスローガン : 邁進〜ONE SPIRIT〜
新監督に横浜FC元監督の岸野靖之が就任[28]。札幌から日高拓磨、大宮から江角浩司、エスペランサSCから古川頌久、福岡からタム・シイアンツン、忠州から李在原を完全移籍で、松本から永井堅梧、北井佑季を期限付き移籍で獲得。吉井直人、山本祥輝、村松知輝が期限付き移籍先から復帰。桃山学院大学から中西倫也、新潟医療福祉大学から中田大貴、国士舘大学から進藤誠司、中京大学から南部健造が加入。また富山の下部組織から初めて馬渡隼暉がトップチームに昇格した。
シーズン開幕直前に、吉川健太がJFL・滋賀へ期限付き移籍。シーズン中に、梅村晴貴がJFL・マルヤスへ、中田大貴が関西1部・アミティエへ期限付き移籍。古川頌久(古巣のエスペランサSCに移籍)、李在原が契約満了に伴い退団。7月、松本から椎名伸志を期限付き移籍で獲得した。
J3降格に伴い、クラブは新たに2019年までの5か年強化計画を策定。短期目標として1年でのJ2復帰、中期目標としてJ1昇格プレーオフ進出を掲げ、施策として、チーム力の基盤強化、選手のメンタルとフィジカルの強化、スタッフ体制の充実強化を挙げた(ユース世代の地元エリート選手の発掘と育成は引き続き進める)[29]。しかし、チームはJ3の中位に低迷、8月に監督の岸野を解任。暫定監督としてGMの澤入重雄が指揮を執ったが、チーム状態は変わらず、第32節に3位以下が確定。1年でのJ2復帰はならなかった(最終順位は5位)。
天皇杯は、2008年(JFL時代)以来の予選からの参加となった上、地区予選を兼ねた富山県サッカー選手権大会決勝で富山新庄クラブに敗戦。チーム創設後初めて天皇杯出場を逃すこととなった。
シーズン終了後、滋賀に期限付き移籍していた吉川健太、日高拓磨、大西容平、山本祥輝が引退。池端陽介(沖縄SV)、村松知輝(カンボジア・カンボジアンタイガーFC)、南部健造(JFL・浦安)、タム・シイアンツン(鳥取)が契約満了に伴い退団。森泰次郎が自分自身の海外挑戦のために契約を更新せず退団。そして前身のYKKサッカー部時代から所属していた朝日大輔が引退を発表。これによりYKK APサッカー部からカターレに入団したプロ選手はいなくなった[注 2]。
2016年
- チームスローガン : 覚悟
新監督にタイのチエンマイFC元監督で、かつて北九州や東京Vで指揮を執った三浦泰年が就任[30]。強化部長にカターレOBの黒部光昭が就任。徳島から衛藤裕、愛媛から昨年山口に在籍していた代健司、栃木SCから2シーズンぶりの復帰となる西川優大を完全移籍で、徳島から窪田良、岐阜から小見恵吾を期限付き移籍で獲得。中田大貴、梅村晴貴が期限付き移籍先から復帰。北井佑季が期限付き移籍から完全移籍に移行。永井堅梧、椎名伸志の期限付き移籍期間を延長。法政大学から西室隆規、東京学芸大学から脇本晃成、東洋大学から石坂元気、関東学院大学から昨年特別指定選手として出場していた萱沼優聖が加入した。 8月5日、柏から大島康樹を育成型期限付き移籍で獲得した。
リーグ戦の最終順位は6位。昨年同様予選からの出場となった天皇杯は、富山県サッカー選手権大会の決勝で昨年敗れた富山新庄クラブに勝利し2年ぶりの本大会出場を決めたが、2回戦で鹿島に敗れた。
シーズン終了後、三浦泰年が契約満了に伴い監督を退任。澤入重雄がGMを退任。小見恵吾の期限付き移籍期間が満了、大島康樹の育成型期限付き移籍期間が満了。マルヤスに期限付き移籍していた田中寛己(マルヤスへ再加入)、内田錬平(アミティエSC京都)、中田大貴(八戸)が契約満了に伴い退団。三上陽輔が長野へ完全移籍した。
大山俊輔、江角浩司、西川優大、吉井直人、鈴鹿に期限付き移籍していた吉川拓也が現役を引退した。
2017年
- チームスローガン : 超戦〜心ひとつに〜
新監督にFC刈谷元監督で、昨年まで湘南U-15藤沢の監督を務めていた浮氣哲郎が就任[31]。ヘッドコーチに伊藤健一が就任。松本から柳下大樹、栃木SCから山形辰徳、徳島から佐々木一輝、イカザからホドリゴ・カベッサを完全移籍で、グレミオ・オザスコ・アウダックスから昨年琉球に在籍していたパブロ、徳島から富山県出身の佐々木陽次、松本からハン・スンヒョンを期限付き移籍で獲得。窪田良、椎名伸志が期限付き移籍から完全移籍に移行。永井堅梧の期限付き移籍期間を延長。ユースから西晃佑がトップチームへ昇格。常葉大学浜松キャンパスから登崎雅貴、明治大学から服部一輝が加入した。
シーズン開幕後、中西倫也がヴェルスパ大分へ期限付き移籍。7月、熊本から平繁龍一を期限付き移籍で獲得。シーズン中に、石坂元気がブリオベッカ浦安へ、馬渡隼暉がアミティエSC京都へ期限付き移籍。8月、岡山から近藤徹志を期限付き移籍で獲得。9月、水戸から佐藤和樹を育成型期限付き移籍で獲得した。
リーグ前半戦は9勝5分2敗の成績で2位につけたが、後半戦に入ると失速、第32節終了時点でJ2昇格の可能性は消滅した。最終順位は13勝8分11敗の8位となった。
12月、メインスポンサーの北陸電力が自社の業績悪化などの理由から「カターレへの協賛金の減額を検討する」という報道があった[32]。
シーズン終了後、V大分に期限付き移籍していた中西倫也(V大分へ再加入)、浦安に期限付き移籍していた石坂元気(青森)、北井佑季(相模原)、梅村晴貴(マルヤス)、萱沼優聖(鹿児島)、西室隆規(V大分)、ホドリゴ・カベッサ(南葛SC)が契約満了に伴い退団。平繁龍一、近藤徹志、パブロ、ハン・スンヒョンの期限付き移籍期間が満了。登崎雅貴との選手契約を解除[33]。平出涼が鹿児島、窪田良が甲府へ完全移籍した。
衛藤裕、飯田健巳、木本敬介、山形辰徳、國吉貴博が現役を引退した。なお、木本の引退により前身のアローズ北陸からカターレに加入した選手、及びチーム創設時から在籍する選手はいなくなった。
2018年
- チームスローガン : 飛躍〜心ひとつに〜
浮氣体制2年目。岐阜から瀧谷亮、マドゥレイラECからルーカス・ダウベルマン、藤枝から遠藤敬佑、アルビレックス新潟シンガポールから稲葉修土、松本から谷奥健四郎、横浜FCから楠元秀真、相模原から新井瑞希、琉球から才藤龍治、北九州から弓崎恭平を完全移籍で、徳島から川上エドオジョン智慧、仙台から差波優人、水戸から今瀬淳也、東京Vから太田岳志を期限付き移籍で、横浜FCから前嶋洋太を育成型期限付き移籍で獲得。佐藤和樹が育成型期限付き移籍から、佐々木陽次が期限付き移籍から完全移籍に移行。永井堅梧の期限付き移籍期間を延長した。
3月、GKの相次ぐ離脱に伴い、GKコーチの平井直人を選手登録した[34]。
リーグ戦は守備が機能せず開幕から低迷[35]。第9節終了時には最下位(2勝7敗)に転落し、目標のJ2昇格が厳しい状況となった。5月9日、成績不振を理由に監督の浮氣との契約を解除[36]。新監督に神戸元監督の安達亮が就任した[37]。
シーズン中に、長崎から吉岡雅和、木村裕、神戸から野田樹、横浜FMから生駒仁を育成型期限付き移籍で、サウスエンド・ユナイテッドFCから松坂暖を完全移籍で獲得。金沢学院大学の大谷駿斗を特別指定選手として登録。西晃佑が富山新庄クラブへ育成型期限付き移籍(9月に復帰)、遠藤敬佑が藤枝へ完全移籍した。
監督交代後はパスをつなぎ攻め切るサッカーを指向。試合を重ねるごとに内容が良化し結果も伴うようになった(10勝5分7敗)[38]。クラブはシーズン途中(第11節)から指揮を執った安達を「若いチームをさらに進化させられる監督」と判断、監督続投を決定した[39]。
年間順位はJ3降格後ワーストとなる11位(12勝5分15敗)に終わった。また、ホーム平均入場者数も過去最少の2,670人を記録した。天皇杯は2回戦で東京Vに敗れた。
シーズン終了後、進藤誠司(三重)、服部一輝(讃岐)、松坂暖(ブレントリー)、楠元秀真(東邦チタニウム)、佐藤和樹(八戸)、弓崎恭平が契約満了に伴い退団。永井堅梧、差波優人、川上エドオジョン智慧の期限付き移籍期間が満了。木村裕、生駒仁、吉岡雅和の育成型期限付き移籍期間が満了。西晃佑との契約を解除[40]。瀧谷亮が青森へ期限付き移籍した。
2019年
- チームスローガン : 奪取 Dash ! 〜心ひとつに〜
安達体制2年目。ヘッドコーチに山根巌が就任。群馬から富山県出身の高橋駿太、盛岡から白石智之、浦和から榎本哲也、北九州から花井聖を完全移籍で、長崎から碓井鉄平、秋田から田中智大を期限付き移籍で、千葉から杉山弾斗を育成型期限付き移籍で獲得。今瀬淳也、太田岳志が期限付き移籍から完全移籍に移行。前嶋洋太、野田樹の育成型期限付き移籍期間を延長。馬渡隼暉が期限付き移籍先から復帰。金沢学院大学から昨年特別指定選手として出場していた大谷駿斗、東海学園大学から戸根一誓、大阪学院大学から齋藤和希が加入した。
シーズン中に、昨シーズンまで新潟に在籍していた伊藤優汰が加入。横浜FCから安永玲央を育成型期限付き移籍で、新潟から平松宗を期限付き移籍で獲得。新井瑞希が東京Vへ期限付き移籍した。
成績
タイトル
クラブ
- 富山県サッカー選手権大会(兼天皇杯富山県予選):5回
- 2008年、2016年、2017年、2018年、2019年
個人
スタジアム
ホームゲーム
- J2(2009年 - 2014年)、J3(2016年 - )
- 富山県総合運動公園陸上競技場(富山市・18,588人収容[2][注 3]、北緯36度37分30秒 東経137度11分44.5秒)
- クラブのホームスタジアムであり、J2での全ホームゲームを開催している。
- J3(2015年)
- 富山県総合運動公園陸上競技場
- 魚津桃山運動公園陸上競技場(魚津市・6,420人収容、北緯36度47分49.2秒 東経137度25分52.5秒)
- J3降格となった2015年には、広く県民に応援してもらうという観点から、J3の施設基準を満たす魚津でもホームゲームが開催された[43]。
- JFL(2008年)
- 富山県総合運動公園陸上競技場
- 富山県五福公園陸上競技場(富山市・20,000人収容、北緯36度41分48.2秒 東経137度11分17.9秒)
- 魚津桃山運動公園陸上競技場
年度別入場者数
- 略記について
- 富山:富山県総合運動公園陸上競技場、五福:富山県五福公園陸上競技場、桃山:魚津桃山運動公園陸上競技場
- スタジアム欄の太字はホームスタジアムに登録されている競技場。
- 太字は歴代最多および最少。
- 試合数および観客入場者数データはリーグ戦のみ(関連:日本プロサッカーリーグ#試合入場者数)。
年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム |
備考 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
入場者数 | 節 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 節 | 相手 | 会場 | ||||||||||
2008 | JFL | 73,205 | 10,704 | 前1 | 北九州 | 富山 | 2,008 | 前11 | 流経大 | 五福 | 4,306 | 17 | 富山14、五福2、桃山1 | ||||
2009 | J2 | 93,507 | 5,520 | 43 | 仙台 | 1,862 | 8 | 水戸 | 富山 | 3,740 | 25 | 富山25 | |||||
2010 | 80,327 | 10,726 | 3 | 大分 | 2,542 | 6 | 北九州 | 4,463 | 18 | 富山18 | |||||||
2011 | 62,233 | 8,663 | 26 | FC東京 | 1,716 | 2 | 徳島 | 3,275 | 19 | 富山19 | |||||||
2012 | 69,807 | 6,549 | 28 | 松本 | 1,692 | 5 | 北九州 | 3,324 | 21 | 富山21 | |||||||
2013 | 93,960 | 13,639 | 10 | G大阪 | 2,315 | 7 | 栃木 | 4,474 | |||||||||
2014 | 89,596 | 8,018 | 14 | 磐田 | 2,622 | 20 | 長崎 | 4,266 | |||||||||
2015 | J3 | 56,392 | 4,542 | 1 | 秋田 | 1,870 | 29 | 福島 | 桃山 | 2,820 | 20 | 富山17、桃山3 | |||||
2016 | 54,113 | 5,081 | 25 | F東23 | 2,691 | 28 | 琉球 | 富山 | 3,608 | 15 | 富山15 | ||||||
2017 | 50,536 | 6,383 | 19 | F東23 | 1,917 | 28 | 盛岡 | 3,159 | 16 | 富山16 | |||||||
2018 | 42,718 | 4,124 | 34 | 琉球 | 1,602 | 3 | C大23 | 2,670 | |||||||||
2019 | 17 | 富山 |
練習場
- 北陸電力総合運動公園[44](北緯36度45分12.7秒 東経137度12分48.8秒)
- メインスポンサーの1つである北陸電力が所有する運動施設(北陸電力富山火力発電所に隣接)内にある。ピッチ2面分以上の広さがあり、オールシーズングリーンの天然芝と夜間照明を備えている。また近隣にクラブハウス機能を備えた選手寮がある。これらは前身のアローズ北陸が使用していたものである。
- アイザックスポーツドーム(富山市屋内競技場)[44][45](北緯36度35分41.6秒 東経137度13分8.9秒)
- 富山県総合運動公園屋内グラウンド(北緯36度37分38秒 東経137度11分50.1秒)
- 富山県空港スポーツ緑地陸上競技場
下部組織
アカデミー
- 将来のJリーガー養成を目的とし、U-15(ジュニアユース)、U-18(ユース)からトップチームへと繋がる選手育成を行っている。2009年に中学生年代のU-15、2012年に高校生年代のU-18が設立された。
サッカースクール
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
|
チームカラー
- 青[1]
ユニフォームスポンサー
- トップチーム
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | 無し | - | - | |
鎖骨 | 北陸電力 | 北陸電力 | 2018年 - | 左側に表記 2008年 - 2017年は背中上部 |
YKK | YKK AP |
2018年 - | 右側に表記 2008年 - 2017年は胸 | |
背中上部 | イセ食品 | イセ食品 | 2019年 - | |
背中下部 | 北日本新聞 | 北日本新聞 | 2016年 - | 2008年、2010年 - 2015年は袖 |
袖 | アイザック | izak | 2016年 - | 2015年はパンツ |
パンツ | 無し | - | - |
- U-18・U-15
- スクール
- アトム、ビーセーフ、タカラレーベン
ユニフォームサプライヤー
- 2008年 - ゴールドウイン
トレーニングウェアスポンサー
- 北陸電力、YKK、ノーブルグループ、北陸電気工事、ゴールドウイン、アイザック、日医工
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2008 | YKK AP |
解禁前 | 北陸電力 | 解禁前 | 北日本新聞 | 日医工 | GOLDWin |
2009 | - / 日医工 | ||||||
2010 | 北日本新聞 | ||||||
2011 | |||||||
2012 | - | ||||||
2013 | ベルコ | ||||||
2014 | |||||||
2015 | izak | ||||||
2016 | 北日本新聞 | izak | - | ||||
2017 | |||||||
2018 | - | 北陸電力(左) YKK AP(右) |
- | ||||
2019 | イセ食品 |
スポンサー
マスコット
- 2008年に誕生。富山県の県鳥「ライチョウ」と、県獣「ニホンカモシカ」を掛け合わせた容姿をしている。名前は、ライチョウの「ライ」、カモシカの「カ」、カターレの「カ」をとって名づけられた。また「ストライカー」の意味も持ち合わせている。
ダンスチーム
- 2012年に結成された、カターレ富山専属ダンスチームで、チーム名は「飛躍」の英語名Leapと、チームカラーの「青色」Blueを合わせたもの。
スタジアムDJ
メディア
- テレビ
- ケーブルテレビ富山他 - 「週刊 激スポ!」(不定期、放送局によって放送日時が異なる)
- ラジオ
- 北日本放送 - 「Vivaカターレ!!」(「でるラジ」内、2012年4月9日 - 、毎週月曜日 15:45頃から5分間)[47]
- FMとやま - 「カターレ富山 ナビゲーション 2019」(「WEEKLY CHART EXPRESS -TOYAMA TOP 30-」内、2014年3月14日 - 、毎週金曜日 18:55〜19:00)[48]
- 富山シティエフエム - 「ウィズ・スポーツ」(「with Radio」内、月〜木曜日 9:35〜9:50頃)
- 雑誌
- 月刊タウン情報とやま(TJとやま) - 「スポーツコーナー」(2018年3月号で休刊)
- Favo富山版 - 「月刊カターレ」
- 終了した番組(テレビ)
- 北日本放送 - 「いっちゃんカターレ!」 (2009年4月 - 2009年12月、毎週木曜日 21:54〜22:00)
- チューリップテレビ - 「@スポ天 SOCCER PASSION」 (2009年4月 - 2011年4月、毎週月曜日 19:50〜)
- 富山テレビ放送 - 「マンスリーカターレ」(2009年4月 - 2014年、毎月最終土曜日 11:15〜11:30)
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “プロフィール:カターレ富山”. 日本プロサッカーリーグ. 2019年6月27日閲覧。
- ^ a b c d “スタジアム:カターレ富山”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g “会社概要”. カターレ富山. 2019年6月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Jクラブ個別経営情報開示資料(平成30年度)※3月決算の4クラブ(柏、湘南、磐田、YS横浜)を除く50クラブ”. 日本プロサッカーリーグ. 2019年6月10日閲覧。
- ^ a b "待望のJを目指す"県民クラブチーム"誕生!!" (Press release). 富山県サッカー協会. 10 September 2007. 2012年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ "Jリーグ準加盟審査結果について" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 19 February 2008. 2008年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ "「富山県民サッカークラブチーム」名称決定!!" (Press release). 富山県サッカー協会. 12 November 2007. 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “J2 第36節 プレビュー”. J's GOAL (2009年8月28日). 2009年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月10日閲覧。
- ^ "監督交代のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 29 September 2010. 2010年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
- ^ “帯同メンバー減らし“一石二鳥”となるか”. サッカー専門新聞 エル・ゴラッソ web版 BLOGOLA (2011年5月6日). 2012年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月12日閲覧。
- ^ “[富山]内田錬平、クラブ史上初の特別指定選手に”. BLOGOLA. エル・ゴラッソ (2013年8月29日). 2014年1月19日閲覧。
- ^ a b "「安全・必勝祈願祭」および「新体制・新加入選手発表記者会見」を行いました" (Press release). カターレ富山. 15 January 2013. 2013年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月19日閲覧。
- ^ “カターレ富山、J2中位目指す 13年シーズン始動”. 富山新聞. (2013年1月16日). オリジナルの2013年1月22日時点におけるアーカイブ。 2014年1月19日閲覧。
- ^ “11人を12人に見せる超戦術! 異端者・安間貴義監督が富山で起こす日本サッカー革命”. フットボールチャンネル (2013年4月13日). 2013年12月12日閲覧。
- ^ “【富山】4バックで山形封じる!2年ぶり天皇杯3回戦だ”. スポーツ報知. (2013年9月5日). オリジナルの2013年9月5日時点におけるアーカイブ。 2014年1月19日閲覧。
- ^ “[富山]ディフェンス起用にも柔軟に対応する木村勝太”. BLOGOLA. エル・ゴラッソ (2013年10月31日). 2014年1月14日閲覧。
- ^ “【富山】スピードキング・苔口、今年も2ケタ弾!”. スポーツ報知. (2014年1月19日). オリジナルの2014年1月19日時点におけるアーカイブ。 2014年1月19日閲覧。
- ^ “4/21(日) JL10〇4-0カターレ富山@富山”. ガンバ大阪 (2013年4月21日). 2013年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月19日閲覧。
- ^ “【2014シーズン始動!】富山:新体制・新加入選手記者会見での出席者コメント”. J's GOAL (2014年1月14日). 2014年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月20日閲覧。
- ^ “J2富山 安間監督の来季続投を発表…下位低迷も来季が5年目”. スポーツニッポン. (2013年11月29日) 2014年1月19日閲覧。
- ^ “[富山]安間貴義監督、続投要請を受諾「ここで勝ちたい、ここで強くなりたいという気持ちがすべて」”. BLOGOLA. エル・ゴラッソ (2013年11月30日). 2014年1月19日閲覧。
- ^ “【J2:第1節 岡山 vs 富山】安間貴義監督(富山)記者会見コメント”. J's GOAL (2014年3月2日). 2014年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月5日閲覧。 “合宿の時は以前ここでやった時(昨年の第41節)の3枚のシステムでやっていたんですが、中島が入ってきたので急遽2次合宿から「4」を試していて、それを思い切って今日試してみました。”
- ^ “【富山】安間監督、進退伺出していた!ノルマ「5戦3勝」早くも1敗”. スポーツ報知. (2014年6月8日). オリジナルの2014年6月8日時点におけるアーカイブ。 2014年7月3日閲覧。
- ^ “続投条件満たさずも…安間監督指揮継続、富山が異例の発表”. ゲキサカ (2014年7月3日). 2014年7月3日閲覧。
- ^ “富山 J3降格が決定…3試合ぶり勝利も最下位が確定”. スポーツニッポン. (2014年11月1日) 2014年11月1日閲覧。
- ^ “独自 カターレに新たな問題 YKKメインスポンサー撤退へ”. チューリップテレビ (2014年6月27日). 2014年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月21日閲覧。
- ^ "安間貴義監督 退任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 5 November 2014. 2014年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月25日閲覧。
- ^ "岸野靖之氏 監督就任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 22 December 2014. 2014年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月25日閲覧。
- ^ “第4回カターレ富山「2015ファン・サポーターカンファレンス」議事録” (PDF). 2015年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月8日閲覧。
- ^ "三浦泰年氏 監督就任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 26 December 2015. 2015年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月26日閲覧。
- ^ "浮氣哲郎氏 監督就任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 23 December 2016. 2016年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月25日閲覧。
- ^ “北電 カターレ協賛減額 業績悪化で検討”. 北日本新聞. (2017年12月27日) 2017年12月28日閲覧。
- ^ "登崎雅貴選手の契約について" (Press release). カターレ富山. 15 December 2017. 2017年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月15日閲覧。
- ^ “平井直人が半年ぶり2度目“現役復帰” 前節は19歳FWが控えGK”. スポニチアネックス. (2018年3月23日) 2018年4月14日閲覧。
- ^ “守備が機能せず失点 カターレ開幕戦白星ならず”. チューリップテレビ (2018年3月12日). 2018年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月10日閲覧。
- ^ "浮氣哲郎監督 契約解除のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 9 May 2018. 2018年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月9日閲覧。
- ^ "安達亮氏 監督就任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 9 May 2018. 2018年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月9日閲覧。
- ^ “【富山 vs 琉球】 ウォーミングアップコラム:「来年は俺たちが」。王者に真っ向勝負”. J's GOAL. (2018年12月1日) 2018年12月2日閲覧。
- ^ "安達亮監督 来季続投のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 2 November 2018. 2018年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月2日閲覧。
- ^ “FWながらGK登録も経験、富山の20歳・西晃佑が一身上の都合で契約解除…発表同日にチームを離れる”. ゲキサカ (2019年1月4日). 2019年1月5日閲覧。
- ^ “富山県陸上競技場”. 富山県総合運動公園陸上競技場. 2015年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月7日閲覧。
- ^ “Jリーグ規約” (PDF). 日本プロサッカーリーグ. p. 24. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “カターレ・魚津で3試合 今季日程を発表”. 北日本新聞. (2015年1月23日) 2015年1月23日閲覧。
- ^ a b “練習見学について”. カターレ富山. 2019年3月11日閲覧。
- ^ 北日本新聞社 (2008-04-09 朝刊) - 大沢野に屋内運動場 23年完成、「カターレ」練習に協力
- ^ a b c d e f “2019シーズン ユニフォームならびにユニフォームスポンサー トレーニングウェアスポンサー決定のお知らせ”. カターレ富山 (2019年1月24日). 2019年3月11日閲覧。
- ^ "KNBラジオにてカターレ富山応援コーナー「行こうよJ1!Vivaカターレ!!」スタートのお知らせ" (Press release). カターレ富山. 6 April 2012. 2012年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ "FMとやまにてカターレ富山情報番組「カターレ富山 キックオフ・ドリーム・ナビゲーション」開始のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 13 March 2014. 2015年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
関連項目
- 前身となったクラブ
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- カターレ富山/Kataller Toyama (katallertoyama.official) - Facebook
- カターレ富山【公式】 (@katallertoyama) - X(旧Twitter)
- カターレ富山 - YouTubeチャンネル