「蒲原沢土石流災害」の版間の差分
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* [http://www.shippai.org/fkd/hf/HD0000137.pdf 蒲原沢の土石流](失敗知識データベース失敗百選) |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2020年7月6日 (月) 12:35時点における版
慰霊碑と事故後に完成した国界橋 | |
日付 | 1996年(平成8年)12月6日 |
---|---|
時間 | 午前10時40分ころ(JST) |
場所 | 蒲原沢(長野県小谷村/新潟県糸魚川市) |
死者・負傷者 | |
14人死亡 | |
9人負傷 |
蒲原沢土石流災害(がまはらざわどせきりゅうさいがい)とは、新潟県と長野県境に位置する小谷村蒲原沢で1996年に発生した土石流災害である[1]。前年に起きた豪雨災害の復旧工事に従事していた作業員14名が死亡したこの災害はその後、土石流発生が予見できたかどうかについて遺族と国の間で争われた。
7.11水害
前年の1995年夏、後に7.11水害と呼ばれる集中豪雨災害が発生した。特に姫川水系上流部の被害が激しく、氾濫により姫川に沿って通っていた道路や線路上を流れる濁流がスノーシェッドを転覆させ、多くの箇所で道路や線路の法面が崩壊した。交通手段を失った長野県小谷村平岩地区では500人以上がヘリコプターで救出される事態となった。
蒲原沢でも上流から流れ落ちる濁流により河道がえぐられ、昨年に完成したばかりの国道148号国界橋(ラーメン橋)が流失した。林野庁と建設省および長野県は、荒廃した蒲原沢に対して、治山工事、砂防工事、そして流失した国道橋梁を新たに架け直す工事を行うこととした。
土石流災害の発生
1996年12月6日の午前10時40分ごろ、蒲原沢の上流、標高 1,350m付近の右岸(長野県側)に既にあった崩壊地の上部山腹で崩壊が発生し土石流となって流下した。不安定な渓床堆積物と渓岸を侵食した約39,000m3の土砂が[2]、高さ3m、速度9.1m/sの勢いで、2基の谷止工、2基の砂防ダムを乗り越え、31,000m3の土砂[2]が沢の下流域にあった作業現場を襲った。当日は68名が沢の各所で作業を行っていたが、流路で作業中だった作業員が流され、14名が死亡し9名が負傷した[3]。崩壊の発生は、1350m付近と600m付近の2箇所である[1]。江頭(1988)らは、土石流の流下速度を27m/秒と推定した[2]。なお、この土石流による振動は防災科学技術研究所の地震観測点(小谷中小谷 NGNH55)で観測され、流下継続は3分間でM=0.05 相当のエネルギーであった[3]。
※当日の作業状況。上流より記載[4]。
工事概要 | 発注者 | 当日の作業者 | 死者 | 負傷者 |
---|---|---|---|---|
谷止め工 | 林野庁 | 11 | 3 | 2 |
砂防ダム工 | 建設省 | 20 | 7 | 4 |
流路工 | 建設省 | 10 | 0 | 0 |
仮国道設置工 | 長野県 | 5 | 1 | 0 |
床固め工 | 建設省 | 22 | 3 | 3 |
捜索と工事再開
自衛隊の災害派遣や緊急消防援助隊として東京消防庁のハイパーレスキューや名古屋市消防局の救助部隊なども出動して,1,600人規模の捜索体制が敷かれた。流出した大量の土砂や2次災害の危険性に捜索は難航したが、12月14日までに13人の遺体を収容。その後捜索を一旦中断したが、翌1997年春に捜索を再開し同年5月16日に最後の行方不明者の遺体を発見した。
工事の再開には、リモコン操作の重機を扱うなど作業員をなるべく沢に立ち入らせない無人化施工が取り組まれた。退避の基準雨量を引き下げたほか、2箇所の監視小屋を設け、視界が悪い場合は作業を中止するようにし、上流部に土石流を検知するワイヤーセンサーを設置、大規模な避難訓練を行った上で、1997年8月22日に工事を再開した。
原因
数日前の12月1日から2日にかけて寒波が到来した。気温が下がって雪模様となり、降水量は32mm、積雪は35cmを記録した。前日の12月5日は天気がふたたび下り坂となり24時間で49mmの降水量を観測[3]したが、当日の降水量は 0 であった[3]。低気圧の通過で気温がおよそ10℃上昇したことにより積雪は18cmから6cmに低下した。これらの状況により、前年の7.11水害で崩壊した斜面に降雪と融雪により発生した多量の融水がしみ込み「拡大崩壊(崩壊箇所の周辺が崩れる現象)」に繋がったと考えられている[3]。また、渓床の平均傾斜は約18゜と急峻で[1]、1350mの崩壊箇所は勾配が変化する箇所でかつ地質境界があり崩壊が発生しやすい部分であった[1]。
融雪量を加味した24時間換算の推定雨量 109mm/日は、360mm/日だった前年の7.11水害時と比較すると大きい値とはいえない。工事関係者には冬季間の河川工事は水量が少なく作業がやりやすいという認識があり、実際、統計上も冬季間の土石流災害の件数は少なかった[4]。
賠償訴訟
犠牲となった3人の作業員の遺族が、1999年11月に総額約1億2千万円を求めて長野地方裁判所に提訴した[5]が、続く二審の東京高等裁判所は、2008年8月20日「当時、土石流の発生の可能性はあったが、抽象的可能性であって、具体的な予見可能性はなかった」として一審同様に原告の訴えを退けた[6]。
脚注
- ^ a b c d 渡部直喜, 丸井英明, 佐藤修、「1996年12月6日姫川支流蒲原沢土石流災害(速報)」『地質学雑誌』 1997年 103巻 1号 p.III-IV, doi:10.5575/geosoc.103.III, 日本地質学会
- ^ a b c 江頭進治, 本田尚正, 宮本邦明、「姫川支川蒲原沢土石流のシミュレーション」『水工学論文集』 1998年 42 巻 p.919-924,doi:10.2208/prohe.42.919, 土木学会
- ^ a b c d e 森脇寛、「崩壊型土石流の流下に伴う地盤の震動特性」『地すべり』 1999-2000年 36巻 3号 p.99-107_1, doi:10.3313/jls1964.36.3_99, 日本地すべり学会
- ^ a b 蒲原沢土石流災害(労務安全情報センター)
- ^ 蒲原沢土石流災害賠償訴訟(kotobank.jp)
- ^ 長野・蒲原沢土石流災害国賠 二審も不当判決(救援新聞)
参考文献
- 蒲原沢の土石流(失敗知識データベース失敗百選)
関連項目
外部リンク
- 丸井英明, 佐藤修, 渡部直喜、「12.6新潟・長野県境蒲原沢土石流災害緊急報告」 新潟応用地質研究会 『新潟応用地質研究会誌』 1997-3 No.47 p.57-62, hdl:10191/11265
- 蒲原沢土石流災害調査委員会 記者会見発表資料 社団法人 砂防学会[リンク切れ]
- 沼本晋也・鈴木雅一・太田猛彦 航空写真による蒲原沢土石流発生源崩壊の解析 東大砂防:蒲原沢土石流災害ホームページ[リンク切れ]座標: 北緯36度51分15秒 東経137度51分37秒 / 北緯36.85417度 東経137.86028度