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「古今亭志ん橋 (6代目)」の版間の差分

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'''[[船遊亭志ん橋]]、[[雷門志ん橋]]も参照。'''
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* 二代目古今亭志ん橋 - (生没年不詳)[[麗々亭柳橋 (3代目)|三代目麗々亭柳橋]]の門で柳作から[[古今亭志ん生 (2代目)|二代目古今亭志ん生]]の門で志ん玉から志ん橋となった。
* 二代目古今亭志ん橋 - (生没年不詳)[[麗々亭柳橋 (3代目)|三代目麗々亭柳橋]]の門で柳作から[[古今亭志ん生 (2代目)|二代目古今亭志ん生]]の門で志ん玉から志ん橋となった。
* 三代目古今亭志ん橋 - 後'''[[伊東荘次郎]]'''
* 三代目古今亭志ん橋 - 後'''[[伊東荘次郎]]'''
* 四代目古今亭志ん橋 - (生没年不詳)[[古今亭志ん生 (4代目)|四代目古今亭志ん生]]の門で古今亭馬丈から古今亭志ん橋となった。昭和の初め頃まで雷門・古今亭の二人志ん橋の時期があった。
* 四代目古今亭志ん橋 - (生没年不詳)[[古今亭志ん生 (4代目)|四代目古今亭志ん生]]の門で古今亭馬丈から古今亭志ん橋となった。昭和の初め頃まで雷門・古今亭の二人志ん橋の時期があった。
* 五代目古今亭志ん橋 - 後'''[[金原亭馬生 (10代目)|十代目金原亭馬生]]'''
* 五代目古今亭志ん橋 - 後'''[[金原亭馬生 (10代目)|十代目金原亭馬生]]'''
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{{落語家
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2021年4月19日 (月) 14:30時点における版

古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう)は、落語名跡。当代は一般的には六代目。しかし歴代に十名ほど亭号違いも含め志ん橋を名乗っている落語家がいたとされるが、あまり資料が残っていないため六代目としている。(先代は五代目として名乗った。)元は船遊亭扇橋系の一派の扇派の名で古くは船遊亭新橋といったが、後に古今亭志ん生一門の名で受け継がれた。
船遊亭志ん橋雷門志ん橋も参照。


六代目 古今亭ここんてい きょう
六代目 古今亭(ここんてい) 志(し)ん橋(きょう)
古今亭志ん橋定紋「鬼づた」
本名 小椋おぐら 幸彦ゆきひこ
生年月日 (1944-08-17) 1944年8月17日(80歳)
出身地 日本の旗 日本東京都墨田区
師匠 三代目古今亭志ん朝
弟子 三代目古今亭志ん丸
古今亭志ん陽
五代目古今亭志ん好
二代目古今亭志ん五
古今亭駒治
古今亭志ん吉
古今亭志ん松
名跡 1. 古今亭志ん太
(1969年 - 1982年)
2. 六代目古今亭志ん橋
(1982年 - )
出囃子 大拍手
活動期間 1969年 -
所属 落語協会
受賞歴
国立劇場新人演芸会銀賞(1979年)
浅草芸能大賞新人賞(1985年)
文化庁芸術祭優秀賞(1986年)
備考
栃木市ふるさと大使[1]

六代目 古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、1944年8月17日 - )は、東京都墨田区江東橋出身の落語家。本名∶小椋 幸彦。落語協会所属。出囃子は「大拍手」。東京都立第四商業高等学校卒業。

スキンヘッドがトレードマークである。

経歴

主なテレビ出演

映画出演

主な受賞

弟子

真打

二ツ目

廃業

  • 古今亭大五朗
古今亭ここんてい 大五朗だいごろう
本名 佐藤 岳志
生年月日 (1985-08-15) 1985年8月15日(39歳)
師匠 初代古今亭志ん五
六代目古今亭志ん橋
名跡 1.古今亭だん五
(2006年 - 2009年)
2.古今亭大五朗
(2009年 - 2012年)
活動期間 2006年 - 2012年
所属 落語協会

古今亭 大五朗1985年8月15日 - )は落語家。本名∶佐藤 岳志

経歴

参考資料

脚注

  1. ^ 栃木市ふるさと大使の紹介 古今亭志ん橋 様(ここんていしんきょう)”. 栃木市 (2020年12月23日). 2021年2月3日閲覧。
  2. ^ “落語協会の5人の新真打ちが抱負 150人が門出祝う”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2018年8月29日). https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180829-OHT1T50062.html 2018年8月30日閲覧。 

外部リンク