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「パネルクイズ アタック25/log20220525」の版間の差分

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==== 番組の終焉 ====
==== 番組の終焉 ====
2021年6月24日に、同年9月末で放送を終了することが一部報道で判明した<ref name=finale/><ref name=finale2/>。テレビ朝日系列の2021年9月改編に関する[[スポーツニッポン]]の記事によると、一時は世帯視聴率で20%を超えることもあったが、最近は5 - 6%台で推移していた。また、民放業界全体が若い視聴者層を獲得するための番組制作へシフトしており、「後番組は若年層をターゲットにした番組になる予定です」と明かしている<ref>{{Cite news2|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/06/24/kiji/20210624s00041000046000c.html|title=「アタック25」今秋終了へ 長寿クイズ番組46年の歴史に幕 後番組は若年層ターゲット|publisher=スポーツニッポン新聞社|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|date=2021-06-24|accessdate=2021-06-24}}</ref>。また、[[サンケイスポーツ]]の記事では番組終了後も、特番として復活する可能性があると明らかにされている<ref>{{Cite news2|url=https://www.sanspo.com/article/20210624-JPJTZENTCFMVXNEGAPIZRPVSJE/|title=テレ朝系「アタック25」、46年の歴史に幕 9月いっぱいで終了、特番などで復活へ|newspaper=サンケイスポーツ|agency=産経デジタル|date=2021-06-24|accessdate=2021-06-24}}</ref>。
2021年6月24日に、同年9月末で放送を終了することが一部報道で判明した<ref name=finale/><ref name=finale2/>。テレビ朝日系列の2021年9月改編に関する[[スポーツニッポン]]の記事によると、一時は世帯視聴率で20%を超えることもあったが、最近は5 - 6%台で推移していた。また、民放業界全体が若い視聴者層を獲得するための番組制作へシフトしており、「後番組は若年層をターゲットにした番組になる予定です」と明かしている嘘つき!!<ref>{{Cite news2|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/06/24/kiji/20210624s00041000046000c.html|title=「アタック25」今秋終了へ 長寿クイズ番組46年の歴史に幕 後番組は若年層ターゲット|publisher=スポーツニッポン新聞社|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|date=2021-06-24|accessdate=2021-06-24}}</ref>。また、[[サンケイスポーツ]]の記事では番組終了後も、特番として復活する可能性があると明らかにされている<ref>{{Cite news2|url=https://www.sanspo.com/article/20210624-JPJTZENTCFMVXNEGAPIZRPVSJE/|title=テレ朝系「アタック25」、46年の歴史に幕 9月いっぱいで終了、特番などで復活へ|newspaper=サンケイスポーツ|agency=産経デジタル|date=2021-06-24|accessdate=2021-06-24}}</ref>。


制作局の朝日放送テレビも、上記の報道を受けて、2021年9月で当番組を終了することを7月2日付で正式に発表<ref>{{PDFlink|[https://www.asahi.co.jp/attack25/pdf/release202107.pdf 1975年4月から続く長寿番組 「パネルクイズ アタック25」は 2021年秋 幕を閉じます] 朝日放送テレビ株式会社、2021年7月2日配信}}同日閲覧</ref><ref>{{Twitter status|tv_attack25|1410840685780025345|パネルクイズ アタック25【大切なお知らせ】}}Twitter 2021年7月2日配信・閲覧</ref>。最終回には「'''史上最強のチャンピオン決定戦'''(仮題、放送日未定)」を放送する予定である事も合わせて発表した<ref>{{Cite news2|url=https://hochi.news/articles/20210702-OHT1T51059.html|title=「アタック25」今秋終了を正式に発表…最終回は「史上最強のチャンピオン決定戦」|publisher=報知新聞社|newspaper=スポーツ報知|date=2021-07-02|accessdate=2021-07-02}}</ref><ref>{{Cite news2|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/02/kiji/20210702s00041000338000c.html|title=「アタック25」今秋終了が正式発表 最終回は“最強王者決定戦”|publisher=スポーツニッポン新聞社|newspaper=Sponichi Annex|date=2021-07-02|accessdate=2021-07-02}}</ref>。
制作局の朝日放送テレビも、上記の報道を受けて、2021年9月で当番組を終了することを7月2日付で正式に発表<ref>{{PDFlink|[https://www.asahi.co.jp/attack25/pdf/release202107.pdf 1975年4月から続く長寿番組 「パネルクイズ アタック25」は 2021年秋 幕を閉じます] 朝日放送テレビ株式会社、2021年7月2日配信}}同日閲覧</ref><ref>{{Twitter status|tv_attack25|1410840685780025345|パネルクイズ アタック25【大切なお知らせ】}}Twitter 2021年7月2日配信・閲覧</ref>。最終回には「'''史上最強のチャンピオン決定戦'''(仮題、放送日未定)」を放送する予定である事も合わせて発表した<ref>{{Cite news2|url=https://hochi.news/articles/20210702-OHT1T51059.html|title=「アタック25」今秋終了を正式に発表…最終回は「史上最強のチャンピオン決定戦」|publisher=報知新聞社|newspaper=スポーツ報知|date=2021-07-02|accessdate=2021-07-02}}</ref><ref>{{Cite news2|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/02/kiji/20210702s00041000338000c.html|title=「アタック25」今秋終了が正式発表 最終回は“最強王者決定戦”|publisher=スポーツニッポン新聞社|newspaper=Sponichi Annex|date=2021-07-02|accessdate=2021-07-02}}</ref>。

2021年7月26日 (月) 09:00時点における版

パネルクイズ
アタック25
番組の収録が行われている
朝日放送テレビ[注 1]本社(大阪・ほたるまち
ジャンル 視聴者参加型番組
娯楽番組 / クイズ番組
出演者 谷原章介
加藤明子朝日放送テレビアナウンサー
他 解答者4組(視聴者orタレント)
オープニング 作曲山下毅雄
エンディング 同上
製作
プロデューサー 山口正樹(朝日放送テレビ)、秋山利謙、綾川由里絵(共にABCリブラ)
制作 朝日放送テレビ[注 1]
放送
映像形式字幕放送(2003年4月 - )[注 2]
音声形式ステレオ放送(2006年4月 - )[注 3]
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1975年4月6日 - 2021年9月(予定)
放送時間日曜日 13:25 - 13:55
放送分30分
回数2272
公式サイト

特記事項:
ハイビジョン撮影(2005年4月 - )
放送回数は2021年5月30日放送分まで。
2020年現在の正式な放送開始時刻は13:25:30。
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パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ アタックにじゅうご、英語表記:PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年昭和50年)4月6日から2021年9月(予定)まで、朝日放送テレビ(ABCテレビ)[注 1]が制作し、テレビ朝日系列で毎週日曜日13:25 - 13:55 (JST) に放送されている視聴者参加型クイズ番組ステレオ放送字幕放送を実施している。一般には単に「アタック25」または単に「アタック」と呼ばれる例が比較的多く、新聞などのテレビ欄にも「クイズアタック25」、「アタック25」と表記される場合もある。2021年令和3年)9月をもって、レギュラー放送を終了することが予定されている嘘つき!![1][2]

概要

2021年3月現在はテレビ朝日系列フルネット24局(同時ネット)での全国ネット放送となっている。

番組開始当初は13:15からの25分番組で、1975年10月から一般CM番宣を放送する5分枠[注 4]を埋めて30分番組に。1994年10月2日放送分からは、日曜正午の番組の放送時間が12:55まで延長されたため、『新婚さんいらっしゃい!』と同様に10分繰り下がっての開始となり現在に至っている。

この番組の生みの親である堤章三は、毎日放送『アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年間にわたって構成を務め、監修へ移行した後に2008年末に番組を降板した。1993年からは、上方演芸放送作家高見孔二が構成を担当。

音楽は、同局の『霊感ヤマカン第六感』やテレビ朝日『クイズタイムショック』などを担当した山下毅雄によるもの。この番組のテーマソングと海外旅行チャレンジVTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は発売されたCDに収録されている。また、テーマソングの「アタック!!」の声と「口笛」の音は、山下本人のもの。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ[注 5]以外は開始当初から全く変わっていなかったが、2015年4月5日からメロディーをそのまま生かしながらシンセサイザー風にアレンジされ、ステレオ収録されたものになった[注 6]

時代ごとに番組構成を変えながら続けているにもかかわらず、その時代のテレビ番組の主流に反した傾向が強い。ただし、答えやアタックチャンスのルール説明のテロップ[注 7]、アタックチャンス・旅行クイズのCM挿入タイミングなど、若干ではあるが、その時期ごとのテレビの主流演出が取り入れられている部分もある。

この番組の最高視聴率は関西地区で24.2%[注 8]関東地区で21.5%[注 9]を記録している[3]

基本的なルール(後述)は放送開始時から以下を除き、ほとんど変わっていない。

  • 「オープニングクイズ」での誤答が、1994年頃よりペナルティが無くなった。また、クイズの内容も変更されている。
  • 不正解時の起立を1995年10月1日放送分より、3問から2問に短縮。
  • 放送開始から半年後にアタックチャンスが開設。当初は1問限りだったが、後に正解が出るまで続ける方式に変更。
  • 賞金が変更。
  • 旅行チャレンジVTRクイズ(旧フィルムクイズ)正解者の旅行先変更。

2021年6月現在までの時点で、番組初回放送からの出場者の人数は約9,000人以上に上る。

歴史

番組開始当初より2008年4月まで、収録が行われていたABCセンター

この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』が東洋リノリユーム(現在の東リ)の一社提供の下、毎日放送(MBS)制作でNET系列にて放送されたが、視聴率低迷や1975年3月31日に実施される朝日放送と毎日放送のネットチェンジを理由に終了した。ただ、東リ側が児玉司会による自社提供の番組を朝日放送でも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。よってNET(現・テレビ朝日)など一部系列局では、制作局が異なるものの児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されることになった。なお、児玉は2011年2月19日の『日刊スポーツ』大阪版のインタビューで『アタック25』への思いを語った際に、当時の経緯を振り返り、「前の番組(『 - イエス・ノー』)で成果をあげていないのに、またというのは失礼ですから」と司会続投に難色を示し、オファーを何度も断っていたことを明かした[4]。しかし、東リの意向や『 - イエス・ノー』での児玉の司会ぶりを評価していた朝日放送の粘り強い説得もあって結局オファーを承諾し、2011年4月まで36年間(『 - イエス・ノー』時代も含めると37年間)にわたり司会を務めた。

NET系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビ(HOME・当時UHT)が開局した後も、『 - イエス・ノー』までは諸事情により、TBS系列の中国放送(RCC)へ時差ネットされていたが[注 10]、1975年10月のテレビ新広島(TSS・フジテレビ系列)開局に備えた編成の整理により、本番組から系列通りUHTがネットとなった。

TBS系列局時代の朝日放送は、『ベルトクイズQ&Q』の水曜日の製作を1969年の番組開始当初だけ担当[注 11]したときの他、自社製作の視聴者参加クイズ番組は1968年放送の『ラッキークイズ さあどっち?』(司会 - 林家三平久里千春)と、1970年 - 1971年放送の『3・3が9イズ』(司会の声 - 若山弦蔵)の2本しかなく、『ベルトクイズQ&Q』『夢の世界旅行 クイズジャンボ』等、TBS製作の番組ばかりだった。

放送開始にあたっては、とある朝日放送のスタッフが、子供にオセロゲームを購入したことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。また、企画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。さらに、使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていたことを理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も上がった。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。

初代プロデューサーは当時、朝日放送第二制作部長だった三上泰生。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、『残響2秒 ザ・シンフォニーホールの誕生』と『6chは上方文化や』(いずれも大阪書籍)という著書を残す。自らの著書『6chは上方文化や』の中で「人生、非情なものだ。この非情さをクイズで表現したかった」と記している。

1992年9月までは朝日放送制作枠の15秒番組宣伝枠が朝日放送制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始[注 12]。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにした初代から2代目ロゴに一新した。その後、一部マイナーチェンジはあったが、2015年4月5日放送分からは3代目のロゴに一新されている(「25」の文字は変更されていない。また、2015年は番組放送開始40周年に当たることから、タイトルロゴの下に「40TH ANNVERSARY」と記され、2020年4月5日放送分からも45周年を迎え[5]、現行タイトルロゴに「45th Anniversary」の文字が加わった)。

1997年4月の時点で毎日放送『アップダウンクイズ』(1963年10月6日 - 1985年10月6日)、NHK総合テレビ連想ゲーム』(1969年4月5日 - 1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。また、それまでの地方ローカル番組を含めた最長寿記録はCBC天才クイズ』の37年2か月(1967年7月26日 - 2004年9月25日)だったが、当番組は2012年6月以降も継続したことで、クイズ番組最長寿の完全新記録達成となった。

2021年現在、視聴者参加型クイズ番組が減少する傾向の中、全国ネットでレギュラー放送されている民放の視聴者参加型クイズ番組は、当番組とフジテレビ超逆境クイズバトル!! 99人の壁』のみとなっている。 

1996年7月から1999年3月まで、オープニングのテーマソングがサラウンドで放送された。2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月3日からハイビジョン化され、2006年4月9日よりモノラル制作(モノステレオ放送)からステレオ制作(フルステレオ放送)に変わった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となった[注 13]

2016年10月22日公開の映画『バースデーカード』で、初めて映画作品に本番組が登場。主人公が本番組に青の席の回答者として出演し、主人公の父と恋人が観覧席で見守る場面が登場し、本番組の司会者である谷原も本人役で登場した[6]

番組の終焉

2021年6月24日に、同年9月末で放送を終了することが一部報道で判明した[1][2]。テレビ朝日系列の2021年9月改編に関するスポーツニッポンの記事によると、一時は世帯視聴率で20%を超えることもあったが、最近は5 - 6%台で推移していた。また、民放業界全体が若い視聴者層を獲得するための番組制作へシフトしており、「後番組は若年層をターゲットにした番組になる予定です」と明かしている嘘つき!![7]。また、サンケイスポーツの記事では番組終了後も、特番として復活する可能性があると明らかにされている[8]

制作局の朝日放送テレビも、上記の報道を受けて、2021年9月で当番組を終了することを7月2日付で正式に発表[9][10]。最終回には「史上最強のチャンピオン決定戦(仮題、放送日未定)」を放送する予定である事も合わせて発表した[11][12]

2021年7月14日にオンラインで開催された朝日放送テレビの夏の社長会見で同局社長の山本晋也は、「25枚のパネルと装置も含めて新たなクイズ番組を開発した。ずっと続いたことはみなさんからの支持があったからこそです。ファミリーで楽しんでいただく一定の役割を終えたかなと思います」と番組の終了に至った理由を述べ、「クイズ番組の草分け的存在として46年に渡り、ご愛顧いただきました。この場を借りて、御礼を申し上げます」と視聴者への感謝も述べた。さらに、山本社長は「あの時間帯でのアタック25の放送はなくなりますが、テレビではない、地上波ではない展開があるかもしれない」「テレビの番組となると時間など制約がありますし、そういうのを取っ払って、ルールも含めて違う発展形があるんじゃないかと現場で話している段階です」と述べ、地上波以外での当番組の復活を示唆した[13][14][15][16][17]

なお、朝日放送テレビでは当番組の終了後も、当番組の放送枠で全国ネット向け番組の制作を継続する。2021年10月からは、ジャニーズWESTの冠ロケ番組『あなたの代わりに見てきます!リア突WEST[注 14]を全国ネット番組に昇格させたうえで、当番組の放送枠に組み込む予定[18]

出演者

太字は朝日放送→朝日放送テレビアナウンサー(元職を含む)。

『パネルクイズ アタック25』歴代出演者一覧
期間 総合司会 出題 アシスタント
1975年4月6日 - 1976年3月28日 児玉清 あかはゆき 浅井環
1976年4月4日 - 1980年3月30日 中村京子
1980年4月6日 - 1981年3月29日 相沢純子 森昌美
1981年4月5日 - 1984年7月29日 平井悦子
1984年8月5日 - 1985年3月31日 豊島美雪
1985年4月7日 - 1985年5月19日 伊藤美加
1985年5月26日 - 1993年9月26日 (廃止)
1993年10月3日 - 1999年3月28日 相馬宏美
1999年4月4日 - 2009年3月29日 沢木美佳子
2009年4月5日 - 2011年4月10日 加藤明子
2011年4月17日 - 2013年3月31日 浦川泰幸
2013年4月7日 - 2015年3月29日 角野友紀
2015年4月5日 - 現在 谷原章介 加藤明子
  • 番組開始当初、初代総合司会の児玉は出題者(アシスタント)とともに席に座り、オープニングと海外旅行クイズの時に限り立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から常に立って進行するようになった[注 15]

備考

  • 初代総合司会の児玉は、1975年4月6日(第1回)放送分から2011年4月10日(第1795回)放送分までの36年間[注 16]・1793回に亘って総合司会を担当した。これは日本のテレビにおけるクイズ番組史上最長の司会記録となっている。ただし、『日立 世界・ふしぎ発見!』の総合司会をスタート当初から務めている草野仁が、2022年4月24日以降も総合司会を務めていれば、児玉が持つ日本におけるクイズ番組史上最長の司会記録を更新する。以前は世界記録に関しても保持していたが、『ホイール・オブ・フォーチュン』(放送シンジケーションバージョンのみ)で司会を務めるパット・セイジャック2018年1月1日以降も同番組で司会を務めているため更新された。先行で放送される『新婚さんいらっしゃい!』司会を桂文枝(開始当時は桂三枝)が第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2021年3月現在で実に51年に亘って司会を続けている。
    • 児玉は1984年10月14日・10月28日放送分では腹膜炎による病気入院で欠席し、タレント板東英二が代理総合司会を務めた[19]。2012年12月23日放送のチャンピオン大会 ファイナルステージで、オープニングクイズに板東が出演し、代理総合司会当時の映像が流れた。
    • 2011年4月17日(第1796回)放送分以降、児玉が肝機能障害により当分の間検査入院・治療に専念することを表明。児玉休養中は、当時『おはよう朝日です』で司会を務め、同番組総合司会就任前の2009年度に『朝だ!生です旅サラダ』で全国ネット番組のレギュラーを経験していた朝日放送アナウンサーの浦川泰幸が代理総合司会を担当することになった。しかし、児玉は同年5月16日に胃癌のため復帰叶わず77歳で逝去。翌17日より、ABC公式サイトに哀悼のコメントが掲載された[注 17]。これに伴い、浦川が5月29日(第1802回)放送分より代理総合司会から正式に2代目総合司会を担当することが決まり、「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした[20]。また、浦川は病床の児玉から「浦川君なりのアタック25を遣って貰って良いよ」と激励とアドバイスが贈られた事を明かしている。
    • 2011年5月29日放送分の冒頭では、浦川がパネルボードをバックに改めて児玉逝去の旨を伝え、5月22日に放送予定だった本編は児玉逝去4日前(5月12日)に収録されたため、オープニングの浦川の挨拶では児玉が無期限休養中である旨のコメント部分をカットした。
  • 本放送終了後に問題内容が更新される本番組の携帯サイト[注 18]は2012年3月29日まで浦川の顔写真を使用せず、児玉の顔写真を使用していた。同年3月30日以降は浦川と加藤の顔写真に変更。
  • 1993年1月17日・1月24日(第899・900回)放送分では出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。
  • 番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもおり、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあった。
  • 出題者の最長在任記録は長らく沢木の10年間だったが、2021年4月に加藤が通算11年目に突入し、記録を更新した。
  • 浦川が総合司会を務めた4年間は、総合司会と出題者がどちらも朝日放送のアナウンサーとなった。
  • 後述にもあるが、1995年10月よりパネル戦況の表示はスタジオにあるパネルボードからCG [注 19]に変更となった。また、長年使用による老朽化から2008年にパネルボードの改修が行われ、パネル発光に用いられた蛍光灯に代わりLEDが、パネルの数字も紫色から黒色にそれぞれ変更した。
  • 2012年4月1日(第1842回)放送分より、浦川が総合司会に就任して初の大幅なリニューアルとなった。番組セットが180インチの大型液晶パネルを備えた近未来的なものとなり、さらに問題もビジュアルものを増やすなどで大幅なリニューアルが施されている[21][22][23]。なお、番組当初から使用していたパネルボードは番組上では映ることはないが、出場者がパネルの戦況を確認する際に現在も使用している。
  • 2015年3月29日(第1984回)放送分をもって、『キャスト』へ移る2代目総合司会の浦川と朝日放送を寿退社する8代目出題者の角野が当番組を降板。同年4月5日(第1985回)から放送開始40周年に伴うリニューアルの一環として、児玉と親交が深かった俳優の谷原章介が3代目総合司会に就任。併せて7代目出題者の加藤が産前産後休暇を終え9代目出題者として復帰[24][注 20]。なお、基本的なルールはそのままに、タイトルロゴ・セット・BGMなどをリニューアル[25][26]、早押しとパネル獲得のSEの余韻が短縮された。

クイズの種類

番組内で出題される問題はほとんどが読み上げ形式で、答えは解答後・シンキングタイム終了後にテロップで出される(1994年3月6日から)。問題読み上げの途中で押された際、正解・不正解に関係無く司会者が問題を最後まで読み上げて解説するが、しない場合はテロップで問題の答え(ごく稀に問題文も[注 21])が出される。以下の形式を含めて出題される問題の中にはテレビ朝日系列で放送される番組に関連したものも含まれる[注 22]

読み上げ問題以外では以下の形式が用意されている。

現在

オープニングクイズ

当初は第1問から出題者による通常の読み上げ問題から始まっていたが、パネルの書体が変更された1984年10月からオープニングクイズを導入した。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れている写真の人物を当てる。1994年4月に分割された写真が繋ぎ合わさる形式へと変更された[注 23]

1996年10月から系列各局からのご当地映像クイズ[注 24]に、その後1997年5月からは街頭インタビューとプロフィールのヒントからある人物を当てる志向になった。演出もCGを使った形式になっている。2005年10月からは人物当てから物当てに、2008年10月からは物当てクイズから人物当てクイズが3年ぶりに復活となり、人物の写真を泡状のCGで隠されているものを見て人物を当てる物に変わった。

2012年4月1日放送分から2018年11月11日放送分まではタレントによるゲストクイズに変わり、VTR出演による本人に関する問題を3個か5個のヒントで放送告知と共に出す。回答者が正解した時点で、まだゲストが言っていないヒントを含む残りのVTRは放映されない。全部ヒントを言った場合はゲストが終了を知らせて時間切れとなり、次の問題で13番を埋める色を決める。

2018年11月18日放送分からは「パネルを使った隠し絵の問題」に変更。[注 25]人物・場所の名前・スポーツなど何を当てるかは回によって様々である。パネルが1つずつランダムに消えていき、徐々に見えてくるものが何かを当てる。フラッシュオンクイズとは異なり、消えたパネルは再び出てこない。

黄色のパネルがランダムフラッシュする形式では他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、CM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、分割された写真が繋ぎ合わさる形式となった時からお手付きでもペナルティ無しに変更された[注 26]

また、優勝者のVTRクイズ正解時の旅行先が変更されると、司会者と出題の女性がその地に赴き、旅行先にまつわる問題が4週にわたり出題されていた。ただし、2011年5月15日(第1800回)放送分からエーゲ海クルーズの旅行内容の一部が変更された時には、児玉が入院中だった影響から、出題者の加藤のみが赴いていた。さらに、2012年4月1日放送分での「地中海クルーズペア10日間の旅」への変更の際には、旅行先にまつわる問題が出題されずそれ以降行われなくなっている[注 27]

映像クイズ

一例である。★がついているものは現在のもの。映像クイズの呼称は「ビジュアルクイズ」になっており(2004年4月以降)、2015年4月からは以下の問題が週替わりで出題される[注 28]。通常の読み上げ問題においても、映像を用いる場合がある。

  • アナグラム問題★
    著名人(架空の人物を含む)の名前を並べ替えて作った文章を見て、元の名前を当てる。時間がたつにつれて元の名前に戻っていく。2012年4月からは著名人の名前以外のものも出題されている[注 29]
  • 熟語問題
    2枚の16分割されバラバラになったパズルの文字が、何という二字熟語になるかを当てる問題。浦川時代は9分割と難易度がやや低かった。
  • 順番問題
    スロットの5つの窓の内、4つの窓にヒントが書かれており1つ抜けている正解を導き出す問題。すべての窓が開いてもしばらく回答がなければヒントが画面に出てくる。例えばアテネ北京ロンドン⇒?⇒東京と出た問題でこの問題は過去の夏季オリンピック歴代開催地と解る為、?にはリオデジャネイロが入る。5つの窓の何処に?が入るかは解答者には明かされない。2015年4月以降はスロットの演出が廃止され、最初から4つのヒントが表示されるようになる。
  • ランキング問題★
    上位5位までのランキングとヒントを見て、抜けている順位の国・都道府県・都市名や品物名などを当てる[注 30]。順番問題が登場した2014年3月からリニューアル前の2015年3月までは出題されなかった。
  • 映画問題★
    映画の一部を見て、それに関連する問題に答える。2012年4月から2013年3月までは第5問、2013年4月からはパネルが15枚埋まった時点で出題される。
  • 映像での3択問題[注 31]
  • 隠し絵問題
    海の下に隠された絵や写真が何かを当てる。船の軌跡によって、次第に下の絵や写真が見えてくる。のちに雲の奥に隠された絵や写真は何か、作者は誰か、もしくは写真に写っている人を当てる形式に変更。この場合は青い鳥が飛んだ跡により、次第に見えてくる。
  • 4ヒントクイズ★
    現れる4つのヒントに当てはまるものを当てる。児玉・浦川時代はヒントが5つある5ヒントクイズとして行われていた。
  • 間違い探し★
    6つの選択肢の中から、問題に当てはまらないものを当てる。
  • 共通する○○は何?★
    例えば、「共通する漢字は何?」の場合、6つのヒントに共通する漢字を当てる。
  • 四字熟語★
    第に完成していく四字熟語を当てる。
  • 立体文字クイズ★
    CGで立体的に作られた漢字一文字を様々な視点で映し、その漢字を当てる。
  • ペアクイズ★
    上段の1番~4番と下段の5番~8番を組み合わせてできる4組のペアのうち、指定された組み合わせが何番と何番なのかを当てる。
  • ゲストクイズ★
  • 記憶クイズ★
    5つの画像を数秒間流し、その後、出題される問題の答えを当てる。

音楽問題

当初は特定のテーマに沿った曲名や歌手名を当てる問題が中心だったが、後に3曲流し、タイトルに共通して入っている言葉を当てる、歌手名または曲名の頭文字を繋いで3文字の言葉を当てる、歌っている歌手の人数をすべて足した人数を当てるなど、多様な形式が登場した。

なお、問題数も当初は3問あったが、次第に2問→1問と減り、2004年4月以降映像クイズ直後に出されていた問題は、2010年6月以降、映像クイズ後の読み上げ問題を数問こなした後、楽曲を聴いて、アーティスト名や曲名、楽曲にまつわるものを答える形式に変更された[注 32]

また、児玉司会時代に画当て正解者の海外旅行先が変わる際、それぞれの旅行地に関するクイズが出題された放送回には出題されなかった。2012年4月1日放送分から2013年3月31日放送分まではパネルが15枚埋まった段階で出題される形式に変わったが、収録状況によっては出題されない日もある[注 33]

過去

パーソナルクイズ

1992年9月ごろまで、解答者に関する問題(趣味や職業柄)が出題されたが、直前のお手付きによる起立中でなければ誰でも解答できた。

オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通り。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。

初期は、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。

7ヒントクイズ

『アップダウンクイズ』の「目で見るクイズ」に似た内容のクイズで、BGMに合わせて7枚の写真パネルが見せられ、それに共通するものは何かを答えるクイズである。なお、誤答があった場合、この問題に限って司会の児玉が「このまま続けます。お分かりになったところでお押しください、どうぞ。」と言って問題を続行させ、正解者が出るか時間切れになるまで流し続けていた。また、このクイズが出る前でお立ちの解答者がいる際に誤答が出たら、その時点でお立ちの数が1問分減らされた。

ルール

  • 4人の参加者が、赤 ()・緑 ()・白 ()・青 ()の4色に分かれて戦う。なお、各色の回答ボタンを押した際の音と、パネルにその色が点灯する際の音は、赤→緑→白→青と席が右側に移るにつれて高い音(つまり赤が一番低い音、青が一番高い音)になっている。
  • 早押し問題が出題される。解答者がボタン[注 34]を押したところで各問題全体での読上げが止まり、司会が解答者を指す。通常は「赤!」という風に、色の名前を呼ぶが、チャンピオン大会の予選では「○○さん」と名前で、さらに同じ名字が複数いる場合には、「○○県の○○さん」などと言って指す。解答者が解答したのちに、司会者が問題文の残りを読み上げて、正解を確認する。
  • 正解者が出ると、下の図のようなボード上の1から25までの数字が書かれたパネルのうち1枚を獲得できる。その後、色が下に記したルールに従って変わっていく。入れるパネルの番号は正解した解答者がコールする。パネルの入れ直しはできない。最終的に、自分の色のパネルの枚数を競う。解答者のスコアはパネルの獲得枚数で決めるため、「○点」とは言わず、「○枚」と言う。クイズの正解数は勝敗に関係せず、パネルの取り方に戦略性が求められる。
  • 最初の正解者は、必ず13番のパネルを獲得する。13番のコールは司会者が行う。1985年の一時期は1番から25番までがランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めて最初のパネルの場所を決めていたが、数回で廃止された。その際流れるBGMは、その後フラッシュオンクイズで再利用された。
  • 2問目以降の正解者は、下記の優先順位に従ってパネルを1つ指定し、そこを自分の色にする。そこから、司会者は「さあ、○(色)の○○さん、何番!?」と聞く。
    • 自分の色のパネルで他の参加者の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。

      (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。10番のパネルを指定すると、14番の青が白に変わる)
    • 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。

      (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。例えば、5番を指定すると、次に正解して3番を指定すれば、4番を挟むことができる)
    • それでも指定できない場合、参加者の色がついているパネルに縦・横・斜めいずれかで接しているパネルの中から指定する。

      (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる)

戦略

  • 良く知られている戦術に、1問目の正解者が2枚目のパネルをあえて他の解答者に取らせることで、その解答者が更に次の問題に正解しても辺(3, 11, 15, 23番)を狙えなくさせるというものがある。実際、シミュレーションによる解析を行った研究[27]では、1問目に正解して中央を取った解答者は2枚目のパネルは他の解答者に取らせた方がよいという結果が出ており、また、このように、正解すると不利になる参加者のいる局面が全体の3.8%あるという結果が出ている。ただし、この研究ではルールを一部簡略化している。
  • 最初の問題から3問連続で正解した解答者は、大抵は13→8→3、または13→12→11等の様に縦か横かに指定して、挟まれにくい端を狙う場合が殆どである。しかし中には、13→7→1の様に敢えて斜めに指定して、挟まれる恐れのない角を最初から狙う戦術を取る解答者も現れる。それでも、最初の問題から3問連続正解という解答者は滅多におらず、大体は3問目で他の解答者に阻止されて角のパネルを獲得されることが多いので、その戦略はリスクが大きい。

シンキングタイムとお手付き・スルー

  • シンキングタイムはおよそ7.5秒間でその間は専用のBGMが流れる[注 35]。このBGMが流れ終わっても誰も解答しなかった場合は時間切れ(解答者全員が、解答せずに問題を「スルー」したことになる)となり、司会者がその問題の答えを発表して次の問題に移る。後述の通り、誤答すると2問の解答権を失うリスクから、自信や確信が無い場合はむやみに解答せずに「スルー」するのも戦略の1つとなっている。
  • 時間切れ寸前であっても、解答ボタンが押された場合は解答することができる。ただし、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れず、司会者自らが押すブザーが鳴った時点で、出題は終了となる[注 36]
    • 1986年10月よりシンキングタイム時のBGMが変更された[注 37]
  • お手付き・誤答をした場合はブザーが鳴り、解答者はその場で起立してその後2問の解答権を失う。誰かが間違えた場合もその問題は終了となり、司会者が答えを発表して次の問題に移る。例外的に第1問目のオープニングクイズなど一部の特別問題はこのペナルティがなく、何度でも回答できる(誰かが間違えても問題続行)。
    • ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権が失われる2問は起立していなければならない。起立することから、司会者は解答権が失われる状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人にしか与えられない。
    • 音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため不正解のBGMが流れないが、当然「お立ち」となる。正解の場合のチャイムやBGMはなく、司会者が「正解!」「その通り!」などと言う[注 38]
    • 「お立ち」となっても他の解答者への出題は続くため、ランプは1つずつ消える。スルーや他の解答者の不正解もあり得るため、パネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。また、司会者は2問の「お立ち」が終わった解答者が出る状態を「お戻り」と呼んでいる。
    • 1995年9月24日(第1033回)放送分まで、「お立ち」は3問だったが、解答者が4人のため、(稀なケースではあるが)3問連続で不正解者が出ると、解答権のある人が1人だけになる(早押しの意味が失われる)こともあった。1995年10月1日放送分から「お立ち」を3問から2問に緩和した理由は、このような不都合の解消が一因となっている。
    • 車椅子の人、妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままとなる特例もあるが、当然ながら座ったまま休むことができても2問の解答権は失われる。
    • 「東リ・パネルクイズアタック25(旧)」時代は、パネルの両脇に当時の東洋リノリユームのロゴマーク(上向きの矢印)が縦に10個つながっているタイマーがあり、それがシンキングタイムのBGM(旧)とともに一定時間ごとに下から一つずつ点灯していき、10個全て点灯後「ポーン」という時報の様な音とともに全て消灯すると時間切れというルールだった。

アタックチャンス

  • 番組の放送枠が30分となった1975年10月5日(第27回)放送分より新設された特別問題であり[注 39]、その後にコーナーが定着した。当初は1回限りで、スルーまたは不正解だった場合は失効となっていたが、後に正解者が出るまで問題を変えて続ける方式[注 40]に改められ、現在に至る。
  • またアタックチャンス直前、出題中の場面にはパネルボードが表示される。1995年9月までは、スタジオのパネルを画面上部に表示し、同年10月からCG表示に切り替わった。2012年4月からはパネルがモニターでの表示により、アタックチャンス直前以外にも常に表示されている。
  • 残りのパネルが5枚になったところで鐘(チャイム)が鳴り『アタックチャンス』問題となる。司会者がその際に残り6枚で「あと1問でアタックチャンスになる可能性があります」と予告し、アタックチャンス問題になったときは司会者は「大事な大事な、アタックチャンス!」などとコールをする。
  • この問題で正解した解答者は通常のパネル獲得の後、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネル(「アタックチャンスの狙い目」と呼ばれる)を1枚だけ指定(元の色で点滅したあとに「」のパネルに変わる。開始当初は黄色にはならず、点滅後そのパネルが消灯するだけだった。長らく「アタックチャンスの狙い目」表示は黄色だったが、2016年1月17日放送分より狙われたパネルの内側に黄色の枠が点滅した後パネルが消灯し、枠のみが表示される方式に変わった。そのため、狙い目になったパネルは「黄色に変わる」→「消える」と表現するようになった)することが出来る。なお、司会者の「アタックチャンス!」というコールも、当然チャンス中は正解が出るまでコールされる。
  • アタックチャンスの問題では司会者は通常パネル獲得時に「さあ、○(色)の○○さん、まずは何番?」と聞き、アタックチャンス指定時に「そして、アタックチャンスの狙い目は?」と聞く。
    • アタックチャンスに指定されたパネルは、誰も獲得していないパネルと同じ扱いになる[注 41]。但し、他人が取ったパネルは勿論、自分が獲得したパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、必ずどれか1枚を指定しなければならない。
    • パーフェクト状態の解答者が権利を得た場合でも、必ず自分のパネルを1枚指定しなくてはならない。ただし、過去に一度だけアタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。
    • 大概の回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルまたは中央付近のパネル(7・8・9・12・14・17・18・19番)が狙い目に指定されることも稀にある。さらに普段は13番に狙い目を指定することはめったにないが、これまで3回指定された[注 42]

      (22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定)
    • アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに入ることがある。なお、状態によっては取られた解答者がすぐに取り返せることもある。
  • 司会者が「アタックチャンス後の問題が大事です」と度々述べるように、パネルが空くことで他の解答者にもチャンスが与えられるため、解答者全員はその後の問題に正解し狙い目となったパネルを獲得することがさらに重要である。
  • 1996年6月以前のアタックチャンスのアタック音は、優勝者に対するVTRクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を加工して使用していた。また、アタックチャンスの旧来式の台形ロゴは、タイトルロゴが2代目に変更された後も2000年7月9日まで使用されていた。
  • コーナー開始から2009年3月までは出題中の場面のみ通常問題と区別されていなかったが、4月から出題中の右下に「アタックチャンス」と表示されるようになった。2012年4月から右上に表示されている。
  • アタックチャンスのパネル選択時は、放送開始当初から1995年9月までと2009年4月以降、実際のパネル画面を映して行われている[注 43]

ラストコール・優勝者(トップ賞)の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金

  • 全てのパネルが埋まった時点でゲーム終了となり、最後のパネルを入れることを「ラストコール」と称される。しかし、回によっては誤答やスルーが相次ぐなどしてクイズが長引くケースもあり、収録時間を超過した場合はウェストミンスターの鐘[注 44]が鳴り、全てパネルが埋まっていなくてもその時点で打ち切り終了となる。初の実例は、1983年10月16日放送分[29][30]
  • 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金を獲得する。そのため、最終的にパネルが1枚もない場合を除き、獲得賞金は無しになることはない。そして、獲得パネルの最も多い人が優勝(すなわちトップ賞)。優勝者は獲得賞金に加えて、海外旅行を賭けたVTRクイズに挑戦する。
  • 25枚のパネルを全て同じ色にすると、パネル獲得分の賞金に加えてパーフェクト賞として合わせて100万円を獲得できる。(2019年11月~)
  • 複数人が同じ枚数で並んだ場合、同点決勝(プレーオフ)を行って優勝者を決定。この場合最初に独自のジングルが鳴る。2人での同点決勝の場合は、先に解答権を得て、それが正解ならばその時点で決着。もし、不正解の場合は、その問題を最後まで読み上げた上で相手に解答権が移る。両者とも不正解の場合は、次の問題で仕切り直す。3人での同点決勝の場合は、最初に解答権を得た人が不正解の場合は、その人は次の問題の解答を失い、次の問題に移る。次の問題で、先に解答権を得た人が不正解の場合、今度はまだ2問とも答えていない人が解答権を得る。それでも不正解の場合は、3人でまた次の問題で仕切り直す。1問正解で優勝決定。
    • 3人での同点決勝は、1984年3月18日の放送で初めて行われた(赤が4枚、緑・白・青が7枚ずつ)[31]。2009年2月8日(第1690回)の放送では、赤・白・青がそれぞれ8枚ずつで史上2回目の3人同点決勝となった[注 45]
    • ウェストミンスターの鐘が鳴るのは初期は年に1・2回程度あったが、近年は鳴る事がごく稀になっている。かつて1995年9月には1ヶ月の間に2回も鐘が鳴ってパネルが全て埋まらず、ゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では鐘は鳴らず、全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられる[注 46]。また特別な例として、1995年5月28日(第1016回)放送分では誤答の「お立ち」があまりにも多かったため、スタッフの判断によりあえて鐘を鳴らさずに出場者らに全てのパネルが埋まるまで頑張らせたこともあった。
    • 2017年7月30日(第2093回)放送分では誤答やスルーが異常に相次いだことにより、番組史上初めてアタックチャンスの問題の途中(残り5枚で番組史上最多)で鐘が鳴るという事態が発生した。
    • このほかに、賞金とは別に優勝者(トップ賞)[注 47]・参加賞[注 48]の賞品がプレゼントされる。過去に東リが単独スポンサーだった時代にはカーペットまたはカーテンまたはクッションフロアがプレゼントされていた。また、パーフェクト達成した優勝者にトップ賞の賞品に加え、それとは別にパーフェクト賞分の東リ商品を贈呈した。優勝者と参加賞では異なる品物が贈呈された。

賞金額の変遷

金額はパネル1枚当たりの額。賞金額改定の度に2,000円ずつ値上がりしており、賞金額の改定は毎回4月に行われていた。1990年4月以降は長年1枚10,000円で据え置きとなっていた。2019年11月以降は、パネル1枚当たりの賞金額がホームページ上で公表されていない。

  • 放送開始 - 1977年3月:2,000円
  • 1977年4月 - 1986年3月:4,000円
  • 1986年4月 - 1989年3月:6,000円
  • 1989年4月 - 1990年3月:8,000円
  • 1990年4月 - 2019年10月:10,000円
  • 2019年11月 - 現在 : 不明

25枚全て獲得してパーフェクトを達成した際の賞金は、放送開始当初から長らく50万円に固定されていた。前述の通り、2019年11月よりパーフェクトの賞金が100万円となり、番組公式サイトにもその旨が記載されている[32]。過去には副賞として当時のスポンサーだった東リのカーペットが贈呈された[注 49]。また、後述の特別企画でパーフェクトの賞金が100万円に設定されたことが1度だけあった。[注 50]

また、賞金とは別に出演料の様なものが成績にかかわらず5,000円支払われる[注 51]

旅行チャレンジVTRクイズ・エンディング

旅行チャレンジクイズは、25枚のパネル盤面上[注 52]VTRを映し、古今東西問わず「ある○○」を当てる問題。主に「人物」、「都市」がメインで、他に「グループ」、「国」、「都道府県」、「町・街」、「村」、「半島」、「島」、「山」、「川」、「湖」、「海峡」、「岬」、「観光地」、「国立公園」、「温泉」、「年号」、「西暦年」、「文学作品」、「楽曲」、「条約」、「組織」、「建造物」、「出来事」、「乗り物」、「遺跡」、「橋」、「公園」、「テレビドラマのタイトル」、「映画のタイトル」、「漫画のタイトル」、「生き物」、「元素」、「星座」などがある。上記のある○○から独立したお題(例:船(乗物から独立)、城・宮殿(建造物から独立))や、ある程度有名ならある○○に「架空」の言葉を追加したお題(例・ある架空の人物など)も存在する[注 53]

成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と司会者が簡素な感想を話した後、司会者から「さあ、今日はある○○を、御当て頂きます」とジャンルが発表され、優勝者が獲得した自分のパネル[注 54]を全部外した時点で「ある○○の名前をお答えいただきます、スタート!!」と言ってVTRが始まる。1990年9月以前はフィルム映像だったため、「ある○○、フィルムスタート!!」と言っていた[注 55]。VTR映像は、優勝者の色のパネルの部分だけしか見ることが出来ない[注 56]。このため、多くのパネルを獲得していたにも関わらず映像の肝心の部分を隠されてしまうことや、逆に少ないパネル獲得にも関わらず重要な部分を見ることができたりと、独特の運不運が存在する。

現在はCGパネルにVTRが表示されるが、1995年9月24日以前はスタジオのパネルでクロマキー合成によりVTRを流していた。その際、残った別の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫色を使っており、格子の線は黒だが、パネルの数字は紫色を使っているためである[注 57]。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真[注 58]、ある都市なら航空写真に市章[注 59]、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像出題中は「フライト・トゥ・パリ」のBGMが流れる。

映像終了後、司会者に「その○○とは!?」と尋ねられ、5秒以内[注 60]で正解を解答すると、司会者が「正解!!」・「結構!!」・「その通り!!」などと絶叫、ファンファーレが鳴り、番組開始当初から1983年12月までは電飾が光る中で、1984年1月から1995年9月までは電飾点灯に加え、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉[注 61]が割られて大量の銀色の紙吹雪が舞い、フランス国旗を彩った3色(青・白・赤)の紙テープが降る中で、1995年10月からは電飾点灯は維持しつつ、くす玉に代わって解答席の後ろに設置された2つの舞台照明[注 62]を使って後部の壁の部分を照らしながら「〇〇の旅獲得!!」というテロップが表示されて海外旅行を獲得となる。

不正解・時間切れの場合は初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジした失敗用のBGMが流れる。VTR確認前に、司会者が正解答を言う。2012年4月1日の放送から、失敗時に「残念」というテロップが表示されるようになった。司会者が正解を説明する際、毎回パーフェクト達成状態の形でパネル全体が外れて見られるようになる。現在はその際に画面左[注 63]に、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われていたが[注 64]、2015年5月頃からはトップ賞獲得者の色に関係なくクリーム色で固定された。正解を説明の際、司会者は当初、内容を書いたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている[注 65]。なお、旅行クイズを失敗しても獲得賞金が没収されることは一切ない。

エンディングの際、以前は解答者花束が贈呈されていた。1975年4月6日の放送開始時から1995年9月24日放送分までは祝福のBGMが流される中、出題者から花束が、エールフランスの客室乗務員から旅行バッグ[注 66]が、1995年10月1日放送分から2012年3月25日放送分までは出題者から花束と旅行獲得プレートが渡されていた。

谷原に司会が替わった2015年4月5日放送分からは、海外旅行を獲得した場合に従来の花束・目録プレートではなく、谷原から記念のトロフィーを贈呈するようになった。このトロフィーのレプリカ(ミニチュア版)もあり、スマートフォンを含む携帯電話用の番組サイトで、番組内で出題されたものをピックアップした「今週の3問クイズ」の月間成績上位者5人(多数抽選)に贈呈される。

特別企画

  • 最初の特別企画は1975年7月27日(第17回)放送分の藤田まこと石坂浩二、桂三枝(現・六代桂文枝)、高岡健二(現・高岡建治)を迎えたゲスト特集で、石坂が優勝している。このときのバックセットは観客席ではなく解答者の席の色に沿ったスパンコールだった。また出演者は全員が初代のタイトルロゴを書いた丸いワッペンをつけていた。
  • 1976年1月4日と1月11日は2週に渡っての正月タレント大会で、1週は真理アンヌ牧美智子川口厚大橋壮太。2週は横山やすし西川きよし海原千里海原万里内海桂子内海好江京唄子鳳啓助[33]
  • 1977年3月6日放送分の番組100回記念大会を迎えキダ・タロー浜村淳松岡きっこ黒澤久雄。優勝は浜村淳[34]
  • 毎年、8月に「小学生親子ペア大会」(2013年から)、9月の敬老の日の前日[注 67]に60歳以上対象の「熟年大会」が行われる[注 68]
  • 過去には1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」、2011年まで「高校生大会」、1997年から2011年まで「高校生VS高校の先生大会」が開催されていた。なお、高校生大会は2016年に復活している。
  • 当番組は基本的に一般視聴者が参加する番組だが、2005年から2007年には9月第1週にタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が開催された。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。芸能人大会はこの時期以外に2006年3月5日(第1547回)放送分でも開催されている。
    • その最新回は、2017年3月26日放送分であるが、詳しくは後述。
  • 過去には、数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で優勝したとしても海外旅行を逃した人、最後で逆転されて優勝を逃した人、解答できずに終わった人、解答するも正解できずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は数枚しかとれなかったまたは1枚も残らなかったという残念な結果に終わった人たちのための、いわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」があった。優勝できなくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
  • 1989年1月15日に放送された『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」では両リーグからそれぞれ2チームの選手とそのチームのファンであるタレントが2人一組で出場していた。参加チームは近鉄阿波野秀幸マッハ文朱)チーム・西武笘篠誠治松崎しげる)チーム・中日小松辰雄鈴木ヒロミツ)チーム・巨人勝呂博憲前田武彦)チームで、各リーグとも1・2位のチームが参加した(なお2位チームは1989年にリーグ優勝している)。優勝は巨人チームで、最後の旅行獲得問題でも「大阪球場(難波球場)」を正解しパリ旅行まで獲得している。さらにトップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。なおこの回は「平成」初の回だった。
  • 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗! 100人の大サバイバル」を実施。各大学の解答者はチームカラーの番号の付いたゼッケンとチームカラーの帽子を身に着けており、番号順に代表者1名が解答席に着いてクイズに答える。正解で他の3チームが脱落となり、帽子を脱いで次の解答者に交代、お手付きや誤答で不正解チームのみ脱落となり、帽子を脱いで次の代表者に交代するという特別ルールで実施。アタックチャンスも通常の残りパネル5枚に加え、残りパネル10枚でも行われ、計2回実施された。最終的に25人全て脱落した大学は、獲得したパネルが無効となって失格となり、残っているチームでパネル獲得枚数の多いチームが海外旅行の挑戦権獲得。そのため、700回記念大会では、通常のルールでは不可能なパネル6枚で勝利するという事態が起きた[注 69]。また、失格になっても獲得パネル1枚につき賞金1万円が贈られ、旅行クイズで正解すると、勝利時に残っていた解答者の人数分だけ獲得となる。
  • 1995年2月5日の1000回記念では、過去のパーフェクト者のうち4人による対戦を行った。
  • 1995年3月12日 - 26日(第1005 - 1007回)、過去5年以内の出場者の参加も交えての「20周年記念グランドチャンピオン大会」を3週にわたり開催、まず全国各地で筆記予選を行い、ネット局の代表1人(テレビ朝日からは2人)が選ばれ、それらを東日本・西日本別に予選大会を行い[注 70]、それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。テレビ朝日代表の東大生が勝利し、グランドチャンピオンとなった[注 71]
  • 1997年1月5日と1998年1月11日には大学対抗クイズ研マドンナペア大会を開催。1998年は予選を行っていた。
  • 2000年3月には4週にわたって25周年記念大会を開催。1週目は、番組が開始された年の1975年に出場された「25年前の出場者大会」を、2週目は、出場者が全員25歳である「25歳大会」を、3週目は「25にちなんだ人大会」を、4週目「系列局女子アナペア大会」を行った。2001年4月にも3週にわたって27周年記念大会を開催した[注 72]。1週目「27にちなんだ人大会」、2週目「ペア大会」、3週目「系列局女子アナペア大会」を行った。
  • 2004年4月4日 - 18日には番組開始30周年[注 73]記念大会と銘打って、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。参加基準やルールは「20周年記念大会」と同じだが、ファイナルのみ賞金がパネル1枚につき4万円となった[注 74]。『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』初代チャンピオンで、「20周年記念」でも決勝まで勝ち残っていた新潟代表のブックオフ社員が優勝。
  • 2005年3月20日、1500回を迎えやくみつる高田万由子森内俊之丸山和也の4人の著名人によるゲスト大会が行われた。結果は、森内がパネル18枚で優勝。なお、クイズを趣味とする森内は、過去にもプロ棋士としての仕事の合間を縫って1995年4月23日(第1011回)に一般参加者として予選会を勝ち抜いて出場したことがあり、その際はパネル1枚に終わっている。
  • 2005年8月7日(第1520回)放送分は、「浴衣大会」を開催。一般出場者4人と、児玉・沢木が浴衣を着て登場した。
  • 2005年9月4日(第1524回)放送分は、芸能人ペア大会で、赤は高田万由子と篠沢秀夫、緑は大林素子パンチ佐藤、白は京子・スペクターとデーブ・スペクター、青は光浦靖子モンキッキーで、優勝は青の光浦靖子とモンキッキーで14枚獲得。
  • 2006年9月3日(第1572回)放送分は、芸能人ペア大会で、赤は林家木久蔵(現・林家木久扇)三遊亭好楽、緑は山口もえ魚住りえ、白はジャガー横田木下博勝、青は博多華丸・大吉。優勝は緑の山口もえと魚住りえ。この回では児玉と華丸による「アタックチャンス!」のコラボも行われた。
  • 2007年9月2日(第1621回)放送分はお笑い芸人大会で、赤はアンガールズ、緑はカンニング竹山ダンディ坂野、白はハリセンボン、青はブラックマヨネーズで、結果は赤のアンガールズが9枚で優勝。
  • 2010年2月14日(第1740回)と同年4月4日(第1746回)放送分は、2001年以来となるペア大会を行った。
  • 2011年5月16日に児玉が77歳で逝去。22日は通常の放送を休止し『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』と題した追悼特別番組[注 75]が放送された。5月19日に収録が行われ、スタジオには児玉の遺影や趣味であった切り絵の作品[注 76]、応援席には過去の放送時の写真が展示された。追悼番組では番組のこれまでの歴史のほか、児玉の俳優としての活動、数々の名語録などを映像で振り返った(一部映像は通常の放送素材とは別に児玉の司会ぶりの様子のみを収録した映像も使用)[注 77]。VTRゲストには、最初の芸能人大会に出演した石坂と、大河ドラマ龍馬伝』で児玉と共演した福山雅治が登場し、故人との想い出を語った。
  • 2012年8月12日放送分では、2010年4月4日放送分以来861日ぶりのペア大会を行ったが、親子4組によるものだった。さらに、同年9月2日放送分では夫婦ペア大会を行った。以降、予選会でも夫婦ペア大会分も恒常的に募集[注 78]ようになり、3〜4ヶ月に1度位の頻度で夫婦ペア大会を行うようになっている。
  • 2015年7月19日放送分では、放送回数が2000回を迎えることを記念して『番組対抗芸能人大会』が行われ、朝日放送制作の全国ネット番組[注 79]から『新婚さんいらっしゃい!』の桂文枝山瀬まみ、『朝だ!生です旅サラダ』の神田正輝向井亜紀、『ペットの王国 ワンだランド』の関根勤篠田麻里子、『熱闘甲子園』の古田敦也と『スーパーベースボール』(朝日放送制作分)の矢野燿大が出場[35]。芸能人大会は2007年9月2日放送分以来約8年ぶり。さらに文枝は前述した、番組開始初期のゲスト大会以来40年ぶりの出場となった。優勝は古田・矢野チーム。
  • 2017年3月26日放送分に芸能人大会を放送。出場者はラサール石井大島さと子松尾貴史八田亜矢子。優勝はラサール石井。なお、この回は2020年4月26日に再放送された。
  • 2020年4月5日放送分より放送開始45周年を記念して、様々な特別企画を実施[5]
    • 4月5日は、放送開始年生まれで45歳になる出場者4名による「45周年大会」が行われた。
    • 4月26日~5月31日は、過去の放送回から厳選してアンコール放送する「45周年名勝負選」を放送した[注 80]。番組冒頭では特別映像が入り、パネルの取り方のルール説明の後、本編に入る[注 81]
      • 4月26日~5月17日放送分は加藤が番組冒頭にパネルボードをバックに登場し、5月24日~6月14日放送分は谷原がオープニング・エンディングにリモートで登場した。また、期間中の視聴者電話参加プレゼントについて、5月17日までは休止していたが、5月24日以降は特別企画として、番組史にまつわるクイズを実施した。また4月26日~6月14日の特別企画期間中、現行のスタッフ表示(再編集版製作にかかわったスタッフとして)を番組最後の提供読み前に画面下にまとめて表示する手法がとられた。
    • 6月7日・14日は、番組放送45年の歴史を振り返る特別総集編を放送した(総集編はこれが初)。第1週(7日)は1989年1月放送の700回記念特集(上述)、ゲストクイズ(浦川・谷原時代)のアタックチャンス25連発、海外旅行獲得クイズの名解答(パネル獲得21枚以上、10~20枚、9枚以下の順に紹介)などを放送。続く第2週(14日)は2005年、2006年、2007年、2015年の芸能人大会を特集して放送した。
    • 2021年1月10日には「45周年記念!芸能人1時間スペシャル」と題し、番組開始以来初となる1時間スペシャルとして、12:55 - 13:55の枠で放送した。当日のゲスト解答者として、川島如恵留Travis JapanジャニーズJr.)、大久保佳代子(タレント)、鷲見玲奈(フリーアナウンサー、元テレビ東京アナウンサー)、勝俣州和(タレント)、後上翔太純烈)、ミルクボーイ(漫才コンビ、内海崇・駒場孝)の6組が参戦、まず予選(3問先取、誤答は1回休み)を実施し、本戦に出場する4名を決定[36]。本戦(着席順、括弧内は解答席の色)では鷲見(赤)、後上(緑)、川島(白)、大久保(青)の4人による試合となった。優勝したのは純烈・後上だったが、ハワイ旅行を賭けたクイズは不正解だった(正解は『八坂神社』だったが、後上は『八幡神社』と答えてしまい、挑戦失敗)。

チャンピオン大会

  • 毎年、最終放送となる本番組の放送では、前年12月からその年の11月までに原則として特別企画(芸能人大会・女性アナウンサー大会・夫婦ペア大会など)以外にて優勝した解答者から獲得枚数が多かった上位解答者が登場、『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が、1978年から行われている。英名はChampion Convention Match(チャンピオンコンベンションマッチ)。
  • 大会に辞退者が出た場合、出場人数が固定されていた時代は、対象外となった優勝者の内、枚数順に繰り上がりで出場する。規定枚数以上になってからは辞退者数次第で出場者が10人未満の場合のみ対象外となった上位の同じ獲得枚数者全員に繰り上がりでの出場権が与えられる。
  • 2003年度までは、年間の獲得枚数上位4人が対戦。2004年度から2014年度では予選が導入され、予選を勝ち抜いた4人での対戦となる。
  • 2015年度以降は、年間の獲得枚数上位4人が出場し対戦する、2003年度以前の形式に戻った[37]
2004年度 - 2007年度の予選
  • 年間獲得枚数上位10名が出場。予選は10人一斉早押しクイズ。3問先取で決勝に進出、誤答2回で失格・退場。なお、決勝進出者は、勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る。
2008年度 - 2011年度の予選
  • この年から2013年度までは、出場選考の基準が定員制度ではなく枚数制度になっており、規定の枚数[注 82]に達した優勝者全員が出場できる。
  • ファーストステージは、映像を用いた20問の「筆記クイズ」[注 83]。結果発表は、いつも使用している25面パネルで行われ、成績上位10人のエントリーナンバーに対応したパネルが一斉に赤く点灯する。点灯したナンバーの解答者がセカンドステージ進出。
  • セカンドステージは、2004年度から続く「10人一斉早押しクイズ」。3問先取で決勝に進出、誤答2回で失格・退場。決勝進出者は勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る[注 84]
2012年度 - 2013年度の予選
  • ファーストステージは、「参加者全員一斉早押しクイズ」。3問先取で先着3人が決勝に進出[注 85]、誤答2回で失格・退場。なお、ゲストクイズや熟語パズルなどの通常放送時のビジュアルクイズも出題される。
  • サバイバルステージが新設され、途中退場者を除くファーストステージの敗者全員が「○×クイズ」に挑む。1問誤答で失格・退場。最後まで残った1人が決勝に進出、青の席に座る[注 86]
  • この予選方式からファイナリストシートを新設。決勝進出者は決勝席に座れる。
2014年度の予選(チャンピオン大会最後の予選大会)
  • 予選ステージは「アタック15」。テーマは短期決戦
  • パネル獲得枚数上位12人が出場し、4人1組で3グループ行われる。
  • 盤面には初めから4枚のパネル[注 87]が埋まっている。最初に正解した人は13番を自動的に取り、以降はパネルの取り方の基本ルールに沿う[注 88]。アタックチャンスは行わない。
  • 誤答は通常と同じ2問休みだが、通常と違いオープニングクイズはないため、最初の問題で誤答しても2問休みになる。
  • 15枚目が埋まった時点でゲーム終了。初めから4枚のパネルが埋まっているため、11枚埋まるまで行う。各グループの枚数トップが決勝に進出[注 89]。さらにグループ2位の中で枚数が最も多い人が、ワイルドカードとして4人目の決勝進出者(青の席)となる。もしも、最多枚数が同枚数で並んだ場合又はグループ2位の最多枚数が同点の場合には一問勝負のプレーオフを行なう。
  • 2012年度以降のファイナリストシートは続行する。

女性アナウンサー大会

  • 年始初の放送は、テレビ朝日系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の『解答者本人が自己紹介をする』形式をとっている。かつては1992年10月4日、1996年1月7日に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある[注 90]。また、2000年3月26日にも「25周年記念企画」で、2001年4月15日にも「26周年記念企画」で行っていた。エンディングでは司会(第9回まで:児玉、10~13回:浦川、14回以降:谷原)、出題(第8回まで:沢木、9~11回および14回以降:加藤、12・13回:角野)、解答者の全員が揃って「アタックチャンス」のポーズを取るのが恒例となっている。さらに2010年1月10日の女性アナウンサー大会では、前半のCM前のアタックチャンスのコールを、児玉と共に、解答者全員が解答席に座りながら「アタックチャンス」のコールをした[注 91]。なお、朝日放送テレビのアナウンサーは社則により解答者としては出場できない[注 92]。また、テレビ朝日系列のうち、現在放送していない福井放送とテレビ宮崎は対象から外れている。

出場局と優勝局

開催年 対戦相手 優勝局(解答者)
第1回
2003年
東日本放送
広島ホームテレビ
九州朝日放送
名古屋テレビ放送
遠藤和子影島香代子
第2回
2004年
東日本放送
新潟テレビ21
長崎文化放送
静岡朝日テレビ
(橘尚代・川村綾
第3回
2005年
テレビ朝日
山口朝日放送
熊本朝日放送
福島放送
大久保尚子笠置わか菜
第4回
2006年
テレビ朝日
愛媛朝日テレビ
鹿児島放送
岩手朝日テレビ
原田佳子矢部順子
第5回
2007年
山形テレビ
長野朝日放送
大分朝日放送
瀬戸内海放送
本庄里恵子岡薫
第6回
2008年
北海道テレビ放送
名古屋テレビ放送
九州朝日放送
テレビ朝日
下平さやか松尾由美子
第7回
2009年
東日本放送
広島ホームテレビ
長崎文化放送
テレビ朝日
(大木優紀・本間智恵)
第8回
2010年
青森朝日放送
新潟テレビ21
愛媛朝日テレビ
テレビ朝日
矢島悠子竹内由恵
第9回[注 93]
2011年
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
広島ホームテレビ&山口朝日放送
大分朝日放送&熊本朝日放送
北海道テレビ放送&秋田朝日放送
石沢綾子国井美佐 / 後藤明日香塩地美澄
第10回
2012年
東日本放送
テレビ朝日
九州朝日放送
名古屋テレビ放送
鈴木しおり金沢歩
第11回
2013年
福島放送
テレビ朝日
愛媛朝日テレビ
北海道テレビ放送
大野恵・石沢綾子)
第12回
2014年
青森朝日放送&岩手朝日テレビ
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
大分朝日放送&熊本朝日放送
瀬戸内海放送&広島ホームテレビ
北村実穂 / 串山真理
第13回
2015年
東日本放送&山形テレビ
広島ホームテレビ&山口朝日放送
九州朝日放送&鹿児島放送
テレビ朝日&名古屋テレビ放送
山本雪乃 / 徳重杏奈
第14回
2016年
テレビ朝日&新潟テレビ21
名古屋テレビ放送&北陸朝日放送
九州朝日放送&長崎文化放送
北海道テレビ放送&秋田朝日放送
高橋春花 / 藤盛由果
第15回
2017年[注 94]
東日本放送&福島放送
瀬戸内海放送&広島ホームテレビ
大分朝日放送&熊本朝日放送
テレビ朝日&名古屋テレビ放送
池谷麻依 / 田中麻耶
第16回
2018年[注 95]
青森朝日放送&岩手朝日テレビ
山口朝日放送&愛媛朝日テレビ
九州朝日放送&鹿児島放送
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
林美桜 / 佐野伶莉

番組出場

現在では数少ない視聴者参加型クイズ番組であるが、クイズマニアによる番組荒らしを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は原則として個人戦及びペア戦とともに本選に出場すること並びに予選会に応募することができない[注 96]

予選・収録

予選は基本的にテレビ朝日系列局の放送エリアごとで行われる。そのため、ハガキに書く住所の項目は都道府県名から書くことになっている。予選会は5年以内の本選出場者でなければ、誰でも応募できる。応募は、ハガキだけでなく、ホームページからでもエントリーできる。予選会は抽選なので、予選会のハガキが届いてない場合は抽選は不合格なので、改めて次回の予選会に応募し直さなければならない。なお、山梨県を含む関東地区予選はテレビ朝日ではなく朝日放送テレビ東京支社で行われる[注 97]。テレビ朝日系列局がない富山県は富山テレビ(BBT・フジテレビ系列)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した。FBC日本テレビ系列テレビ朝日系列クロスネット)、朝日放送テレビ徳島支局朝日放送テレビ高知支局、鳥取県・島根県に所在するテレビ朝日の各支局でも予選は行われない。2012年4月から放送再開した宮崎県については、テレビ朝日系列局のテレビ宮崎(フジテレビ系列主体、日本テレビ系列を含む3局クロスネット)ではなく、当時この番組を放送していた宮崎放送TBS系列)で行われていたが、2017年9月の放送終了に伴いこちらも予選の募集は終了した。また、予選会は、交通費・宿泊費などは一切の不支給なので、自己負担しなければならない。

予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。以前は全20問でしかもテープに録音された問題を聞き取っての解答だった。現在の予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される[注 98]。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をひらがなで書いても良い。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。合否基準は非公表。その後の合格発表で名前もしくは受験番号を呼ばれた人のみ筆記試験合格となり、面接に進める。呼ばれなかった人は筆記試験不合格となり、その予選会はその時点で終了となる。そして、筆記試験合格者は面接に受かれば、予選に合格となる。

ただし、予選に合格すれば必ず出場できるわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。1年待ってもオファーがなければ出場資格が失効し、もう一度予選を受けなければならない。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても、出場資格は消滅しない。なお、出場が決まっていなければ、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能。その予選に合格すれば出場期限を延長できる。

1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった[注 99]。また、出場者募集のお知らせは番組中で告知され、1年を通じて行われている。

従来は、番組開始当初から大阪市北区(1989年まで大淀区)大淀南の朝日放送本社Aスタジオで行われていたが、2008年春から社屋の移転により、福島区福島1丁目(通称「ほたるまち」)のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっている。このため、同年4月27日からエンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。収録から放送までは原則2週間後から3週間後だが[38]、2011年5月15日放送分は5月12日収録で3日後に放送された[39]

2017年10月8日放送分では、お笑いコンビ「ロザン」の宇治原史規が一般枠(予選・筆記試験)から出場[40]。当番組では定期的に「芸能人大会」を行っているが、通常の放送回に芸能人が参加するのは1975年の開始から同番組でも極めて異例[40](この回は2020年5月3日に「45周年名勝負選」の一本として再放送された)。

2020年2月~3月にかけて各地で行われる予定だった予選は、この年に発生した新型コロナウイルスによる肺炎問題の影響を考慮する形として、2月29日の鹿児島、3月1日の福島熊本、3月15日の東京の4会場での予選会を取り止めた[41]。その後も予選会並びに一般視聴者の参加は取りやめて、それまで周年記念や記念回などで行っていた芸能人大会を行う事が増えている(それでも、東京等からの往来を避けるため場合によっては関西圏で活躍するタレントに絞る回がある)。

備考

応援席

  • 1995年9月24日までは観覧者を一般から募集をしていたが[注 100]、現在は出場者の家族・身内・友人と関係者・アルバイト(エキストラ)しか観覧席に座ることができない。
  • 1992年9月までは、観覧者が色別のパネル上げでトップ賞の予想を行い[注 101]、予想が的中するとプレゼントが、的中しなかった観覧者全員に粗品(東リ単独スポンサー時代にはこちらもカーペット製品が、日興単独スポンサー時代はエプロンなどの番組ノベルティや日興以外のスポンサーの製品)が贈られていた。
  • 番組初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が、支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様子が、BGMが流れる中、映し出されていた。
  • 番組が始まって7〜8年目の頃は、第1問(通常の読み上げ問題)が終了した後に、司会の児玉の呼びかけ[注 102]とともにギャラリー(観客・応援者)が「応援席」へ移動していた。
  • プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、スポンサーからの賞品などだった。そのため支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のプラカードを持たせて、番組序盤で上げていた。
  • 1985年頃には、フィルムクイズの前に各解答者の応援人数をコンピューターで表示していた時期もあった。
  • 現在ではこのトップ賞予想制度は観覧者の方は廃止されたが、2016年に視聴者電話応募形式で再開された。番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席していたが、2012年4月1日放送分からは解答席の背後のモニター設置により、ギャラリーは出題者席の背後に移動し、画面にはオープニング・エンディング時にギャラリー全般が映し出され、対戦中は解答者が正解したときに時々正解者の家族などが主に映し出されるようになった。また、解答者が家族などを紹介するときも同様に映し出させる。
  • 2020年3月15日放送から4月19日放送分は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点により、客席全体を空席にして行われた。そのため、この期間は客席を映さない様に配慮して収録を行った。また、2020年10月頃から現在は客席を少人数にして行っており、出場者の家族等が応援に来ている場合に、クイズの展開に合わせて映すことがある。

優勝者に関する記録

パーフェクト

この番組で言うパーフェクトとは、正解数は関係無く、最終的に25枚のパネル全てを同じ色にする事であり、2021年5月現在で14回パーフェクトを達成している。初代の児玉時代は12回、3代目の谷原時代では2回パーフェクトを達成した。2代目の浦川時代はパーフェクトを達成したことは1度も無かった。

# 放送 解答席 出身・性別 旅行クイズ
1 1977年10月2日 埼玉県 女性 成功
2 1983年11月27日 東京都 男性 成功
3 1984年5月20日 千葉県 男性 成功
4 1985年9月29日 福岡県 男性 成功
5 1986年12月28日
チャンピオン大会
東京都 女性 成功
6 1987年4月5日 東京都 男性 成功
7 1989年10月15日 大阪府 女性 失敗
8 1990年12月30日
チャンピオン大会
愛知県 男性 成功
9 1993年8月22日
先生大会
大阪府 男性 失敗
10 1997年2月23日 愛知県 男性 失敗
11 1998年10月11日 岐阜県 女性 成功
12 2009年8月16日
高校生vs高校の先生大会
鹿児島県 男子高校生 成功
13 2015年10月4日
夫婦ペア大会
福岡県 夫婦 失敗
14 2021年5月30日
タレント大会
男性 失敗
パーフェクト総計 14回
  • これまでの解答席別パーフェクト達成回数(内旅行クイズ成功回数)
    • :2回(0回)
    • :5回(5回)
    • :6回(4回)
    • :1回(0回)
  • パーフェクト達成者の旅行クイズの成功回数
    • 成功:9回
    • 失敗:5回

旅行

1975年以来、オープニング映像にエールフランス旅客機が飛び立つ映像が使われていたが[注 103]パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された[注 104]

フランス旅行が中止になったのは、1995年9月5日にフランス政府が南太平洋ムルロア環礁核実験を行ったことに対する抗議とされている[要出典]。そのため、この出来事があった直後の9月10日放送分から24日放送分までの3回分、収録した日付のテロップを表示したり、優勝者決定時のテロップを「海外旅行挑戦権獲得」に変更。さらに、児玉のコメントの1つである「パリ挑戦権獲得!」を「海外旅行挑戦権獲得!」に、「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応になった。

2001年4月、旅行先にパリが復活。ただし、エールフランスではなく、日本旅行会社が主催するツアーとの提携である[注 105]。なお初代司会者の児玉は長らく樫山文枝近畿日本ツーリストのCMに出演していた。

旅行に行けるのは1人で、2人ペアでの旅行は、チャンピオン大会等の特別企画のみだったが、2009年4月以降は通常回でも2人ペアでの旅行獲得ができるようになった。

1995年10月のニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅に変更以降、旅行先が変更される際の1か月間は通常のオープニングクイズが旅行先にまつわるクイズに変更される。この時のVTRでは、初代司会者の児玉と出題者が実際に旅行先へ赴き、そこから出題を行う[注 106]。なお、この旅行先にまつわる問題が実施される場合、読み上げ問題の間に挟まれる、通常の映像(ビジュアル)クイズと音楽の問題の合計4問のうち、1 - 2問分が削減される。ただ、2011年5月15日の一部旅行先変更の際には、音楽の問題が出題された上、出題者の加藤だけが赴いた。

その後、2012年4月1日放送分からスペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅に変更され、VTRクイズ出題前の旅行先紹介VTRが復活した。ただし、これまで旅行先変更のたびに行われてきた、その旅行先にまつわるクイズが出題されなくなり、代わりに新登場となったVTRゲストが登場して出題するクイズに変更された。

2021年4月4日放送分より沖縄県宮古島ペア2泊3日の旅に変更された。

旅行先の変遷

期間 旅行先 旅行提供会社
1975年4月6日 1976年3月 パリ エールフランス
1976年4月 1981年5月 タヒチ
1981年5月 1985年頃 パリ・ディジョン
1985年頃 1991年3月 パリ[注 107]
1991年4月 1995年9月 パリ・カンヌ
1995年10月 2000年2月 ニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅 日本旅行JALパックAVA
2000年3月 2001年3月 ウォルトディズニーワールドとディズニークルーズライン8日間の旅 JALパックI'll
2001年4月 2002年3月 ヴェネツィアフィレンツェローマとパリ10日間の旅 JALパックAVA
2002年4月 2003年6月 パリ・ロワールモンサンミッシェル10日間の旅 ANAハローツアー
2003年7月 2004年3月 ドイツロマンチック街道スイスアルプス、パリの旅
2004年4月 2005年3月 パリ・モンサンミッシェル・プロヴァンスを巡るフランス縦断10日間の旅
2005年4月 2006年3月 充実のローマ・パリ9日間の旅 近畿日本ツーリスト・ホリディ
2006年4月 2007年3月 充実のオーストリア・パリ9日間の旅
2007年4月 2008年3月 充実のパリ・ミラノ9日間の旅
2008年4月 2009年3月29日 充実のスペイン・パリ9日間の旅
2009年4月5日 2010年5月30日 地中海クルーズ・ペア10日間の旅 PTS
2010年6月6日 2012年3月25日 憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅[注 108]
2012年4月1日 2014年3月30日 スペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅
2014年4月6日 2015年3月29日 豪華客船[注 109]で行く地中海クルーズ・ペア10日間の旅 JTB
2015年4月5日 2018年3月25日 英国が誇る豪華客船クイーン・ヴィクトリアで行く地中海クルーズ・ペア10日間の旅
2018年4月8日 2019年3月31日 プレミアムクルーズラインプリンセスクルーズで巡る地中海クルーズ・ペア11日間の旅
2019年4月7日 2021年3月28日 JAL日本航空直行便で行くハワイ島オアフ島ペア6日間の旅 JALパック
2021年4月4日 現在 沖縄宮古島ペア2泊3日の旅[42] 宮古島 シギラセブンマイルズリゾート

番組休止の事例

また、報道特別番組を編成したことによる休止には以下の事例がある。

上記以外の特別番組による休止には以下の事例がある。

パロディ

他局でのパロディは非常に多いが、『番組ナンバーワン決定戦』(2006年放送)、『朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜』(2008年放送)といった番組対抗クイズ特番で使用するなど、朝日放送自身もたびたびパロディの題材にしている。

  • ごきげん!ブランニュ』「アタック25やろう!」 - 2006年に、出演者が本物のセットと出題者で普通に1回分のアタック25をやるという企画。さらに2012年、2014年にも元ボクサー4人(井岡弘樹ガッツ石松内藤大助具志堅用高)により本物の司会と出題者でアタック25をやる企画が行われた。
  • ブラマヨ最強宣言!!』「ブラマヨのアタック25」 - 本物のセットを使い、沢木が問題読みとして出演した。
  • クイズ!紳助くん』 - 島田紳助が初代司会者の児玉になりきって司会を担当した。
  • クイズ!ヘキサゴンII』 - 同じく紳助が司会を務めていた番組。2006年のスペシャル放送において、『16面パネルクイズ』というコーナーが2回行われた。このコーナーは16面のパネルを3チームで順番に先にパネルを指定して、パネルに隠された問題に正解すると色が入るという形式で、それ以外は本番組とルールがほぼ同じだった。『アタックチャンス』のシステムは本番組と異なり、ゲーム終了後に16面パネルを囲む20面のアルファベットのパネル(「A」-「T」)が現れ、全チームに出題されるボーナス問題に正解すると任意のパネルを選べるという、本番組の通常問題に近い形式だった。紳助はこのコーナーで「アタック16!」と、児玉を意識したポーズとコールをしていた。
  • 夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(朝日放送の系列キー局であるテレビ朝日が制作)「サッカーオセロアタック25」 - 木梨憲武率いる「木梨JAPAN」と対戦相手[注 112]が1枚1m四方、当番組のパネルボードを模したもので、5×5、25枚のパネルをオセロ形式で奪い合う企画。2012年7月1日2013年1月2日の放送で使用された。あくまでもオセロ形式で奪い合ったパネルの獲得枚数で勝負を決めるものだったが、この企画では「アタック25」で使われている効果音の一部が使われたほか、博多華丸が初代司会者の児玉のものまねで登場した。
  • 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の川崎フロンターレとのコラボレーションにより、2007年8月25日に川崎市等々力スタジアムで行われたJリーグ1部・ガンバ大阪との試合で「アタック25日」と題した企画を行った。ただし、企画で映された映像に出演したのは児玉ではなく、児玉のものまねをした博多華丸であった[43]
  • 2017年1月2日日本テレビ系列で放送された『ぐるぐるナインティナイン』・「ゴチになります!新春ゴチ新メンバー発表SP」で、2人目の新メンバー発表時に、「旅行チャレンジVTRクイズ」の演出を流用した。

関連書籍

  • 『アタック25 : 東リ・パネルクイズ』大泉書店、1983年11月。ISBN 4278045077 - 大きさは新書判で、全1250問・219ページで構成されている。8 - 9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、当時滋賀県の大学生だった早川浩一[注 113]
  • 『パネルクイズアタック25公式ファンブック : 読めば25倍面白くなる』講談社、2014年9月。ISBN 978-4062189255 - パネルの取り方のルールや、番組のトリビア、データ、予選会・本戦の攻略法と出題された問題の一部が掲載されている。

ゲームソフト

  • 富士通パソコンシステムズ: PlayStation版・Windows 95版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売[注 114]
    • PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングのフィルムクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。こちらは、予選会なしで番組出場できる。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている[誰によって?]。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズ無しでスロットマシンを使ったモードが楽しめる。また、「勝ち抜きアタック」モードで優勝し、フィルムクイズを正解すると、「ニューヨークの様々な光景」がテーマの映像が流れ、そのあとに「勝利の言葉」が表示される。この言葉、応募券とともに自身のプロフィールなどを郵送すると、先着500名にオリジナルグッズが貰えた。
    • PC版: PS版では予選が無かったのに対し、こちらは応募ハガキの記入から始まり、予選の筆記試験、面接を合格できれば番組出場、不合格ならゲームオーバーと、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している[注 115]
  • デジキューブ[注 116]PlayStation 2版のゲームソフト(2002年)を発売[注 117]
    • PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。オリジナル解答者を作って成績を保存する事もできる。予選もある程度再現されており、筆記試験、面接が行われる。面接の受け答えによっては、ミニゲームに挑戦することもある。応募ハガキの抽選を突破すれば予選会に出場でき、筆記試験や面接に合格できれば本戦に出場できるが、応募ハガキの抽選に落選したり、筆記試験や面接で規定点を満たせなかった場合は不合格でゲームオーバーとなる[注 118]。本戦では当時の司会者の児玉と沢木がポリゴンで登場し[注 119]、1問目はお手付き無し、アタックチャンスや旅行クイズの前にCMをはさむ(設定で省くことも可能)、パネルが規定の数だけ埋まると、「画面を見て答える問題」「音楽を聞いて答える問題」が出題されるなど、当時の本戦の雰囲気を最大限に踏襲している。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。優勝するとプロデューサーからデジタルカメラが貰え、コントローラーの操作でスタジオ内をそのカメラで撮ることができ、それを保存しプリンターに繋げてプリントアウトすることもできる。そして児玉、沢木、プロデューサーがゲーム内で言った台詞を聞けるモードがあった[注 120]。さらに、ある条件を満たすと、チャンピオン大会モードが追加される。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すことでパネルシミュレーター機能が利用できる。なおPS版と異なり、海外旅行挑戦権クイズに使われる音楽は著作権の都合により別の曲が使われている。
    • 同社が発売したPS2ソフト『アメリカ横断ウルトラクイズ』と連動しており、同作の成績データに応じてプレイヤーの自宅背景が変化するというギミックがある。
  • このほか、朝日放送のスマートフォン向けサイトで公式ブラウザアプリが配信されている。

冠スポンサー

この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。1986年4月6日から9月28日までの間[注 121]、1992年3月15日から6月28日までの間、2000年7月2日以降は冠が付かず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。

放送期間 冠スポンサー 番組名
1975年4月 - 1986年3月 東洋リノリユーム(現・東リ/一社提供 東リ・パネルクイズアタック25
1986年10月 - 1987年3月 アルインコ(一社提供) アルインコ・パネルクイズアタック25
1987年4月 - 1992年9月 日興證券日興投信(各60秒) 日興パネルクイズ アタック25[注 122]
1992年10月 - 2000年6月 東リ(90秒または120秒) 東リ・パネルクイズアタック25

アルインコは1987年4月に冠スポンサーから外れてからも翌年3月までスポンサーを継続した。

東リは上記以外にも1991年10月 - 1992年6月(30秒枠)、1992年7月 - 9月(60秒枠)、2000年7月 - 2002年3月(60秒枠)、2007年4月 - 2008年3月(30秒枠)にも提供したことがある。長期にわたって当番組のスポンサーだった関係から、スポンサー降板後もスタジオのセットに同社の製品が使われており、スタッフロールにも名前が出ている他、東リの社史にも児玉・豊島時代の写真とともに当番組の説明が載せられるなど結びつきは依然強い[44]。また、「東リ・パネルカーペット・アタック」シリーズの商品名はこの番組の名称にちなんでいる。

提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用[注 123]、その後日興證券時代から複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、その後はスタジオ映像に提供クレジットを重ねる形式となった。2012年4月1日から2015年3月29日までは、番組オープニングのCG映像に提供クレジットを重ねていたが、2015年4月5日からは、番組オープニングのCG映像の後、谷原がスタジオに入場する映像に提供クレジットを重ねる形式となった。

ネット局と放送時間

2017年10月より

放送対象地域 放送局 系列 放送日時 備考
近畿広域圏 朝日放送テレビ(ABC TV)[注 1] テレビ朝日系列 日曜 13:25 - 13:55 制作局
北海道 北海道テレビ(HTB) 同時ネット
青森県 青森朝日放送(ABA)
岩手県 岩手朝日テレビ(IAT)
宮城県 東日本放送(KHB)
秋田県 秋田朝日放送(AAB)
山形県 山形テレビ(YTS)
福島県 福島放送(KFB)
関東広域圏 テレビ朝日(EX)
長野県 長野朝日放送(abn)
新潟県 新潟テレビ21(UX)
静岡県 静岡朝日テレビ(SATV)
石川県 北陸朝日放送(HAB)
中京広域圏 名古屋テレビ(メ〜テレ/NBN)
広島県 広島ホームテレビ(HOME)
山口県 山口朝日放送(yab)
香川県・岡山県 瀬戸内海放送(KSB)
愛媛県 愛媛朝日テレビ(eat)
福岡県 九州朝日放送(KBC)
長崎県 長崎文化放送(NCC)
熊本県 熊本朝日放送(KAB)
大分県 大分朝日放送(OAB)
鹿児島県 鹿児島放送(KKB)
沖縄県 琉球朝日放送(QAB)

過去に放送していたネット局

※系列は放送当時の系列。

放送対象地域 放送局 系列 備考
秋田県 秋田放送(ABS) 日本テレビ系列 1987年の一時期
山形県 山形放送(YBC) 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1993年3月、YTS移行まで放送
宮城県 宮城テレビ(mm34) 1975年4月から9月まで、日曜 15:45 - 16:15に放送[45]

1975年10月の東日本放送開局に伴い移行

福島県 福島中央テレビ(FCT) 1980年4月から1981年9月まで、土曜 12:30 - 13:00に放送[46]

1981年10月の福島放送開局に伴い移行

新潟県 新潟放送(BSN) TBS系列 1981年3月29日まで。毎週日曜日17時からの放送。
新潟総合テレビ(NST) フジテレビ系列
テレビ朝日系列
現:NST新潟総合テレビ
テレビ新潟(TNN(現:TeNY))開局に伴う移行。
1981年4月5日から1983年9月25日まで。
同時ネットだったが、翌週から開局したNT21(現:UX)へ移行。
長野県 テレビ信州(TSB) 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1980年10月5日から1991年3月31日[注 124]、ABN(現:abn)開局まで放送
静岡県 テレビ静岡(SUT) フジテレビ系列 1975年4月13日から1978年3月26日まで。SKT(現:SATV)開局までの3ヶ月間は未放送[48]
東リクイズ・イエス・ノー』の後番組扱いで毎週日曜日14時から放送。
富山県 富山テレビ(BBT) 2009年3月まで
石川県 北陸放送(MRO) TBS系列 土曜 17:25 - 17:55にて放送[49]
1986年9月頃打ち切り
福井県 福井テレビ(FTB) フジテレビ系列 1987年10月から放送していたが終了時期は不明
島根県・鳥取県 山陰中央テレビ(TSK) 1994年3月まで
岡山県 岡山放送(OHK) フジテレビ系列
テレビ朝日系列
放送当時の愛称:テレビ岡山、1979年3月まで
同年4月の岡山・香川両県
エリア一本化
によりKSBへ一本化
愛媛県 テレビ愛媛(EBC) フジテレビ系列 1986年4月時点は木曜 19:00 - 19:30に放送[注 125]、その後金曜19:00-19:30に移動。
1995年3月、EAT(現:eat)開局まで放送
高知県 テレビ高知(KUTV) TBS系列 1996年9月29日から1998年3月16日まで放送
熊本県 テレビ熊本(TKU) フジテレビ系列
テレビ朝日系列
1989年9月、KAB開局まで放送
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1996年10月にMRTへ移行
宮崎放送(mrt) TBS系列 1996年10月にテレビ宮崎から移行。2002年12月に一旦打ち切った後、
2012年4月7日に放送再開するも、2017年9月30日を以て打ち切り[注 126]
鹿児島県 南日本放送(MBC) 1982年9月、KKB開局まで放送

放送時間の変遷

期間 放送時間(日本時間
1975年4月 - 1975年9月 日曜日 13:15 - 13:40(25分)
1975年10月 - 1994年9月 日曜日 13:15 - 13:45(30分)
1994年10月 - 現在 日曜日 13:25 - 13:55(30分)

スタッフ

(2021年2月現在)

  • 構成:高見孔二、儀賀保秀(儀賀→2019年12月8日〜、以前は問題作成)
  • 問題アドバイザー:山口牧生
  • 問題作成:土屋幸喜(2015年5月〜2018年頃まで構成)、松坂明人、藤田曜、山口秋成【週替わりでクレジット】/井上康宏、秋田千枝、辻有可、高山拓志、井上久美子
  • 問題チェック:倉橋光子、川見郁子、弘中麻由、髙橋勇樹(髙橋→以前は問題作成)、戸高米友見
  • 音楽:山下毅雄
  • SW:板谷諒介(以前はVE)、波田純一(朝日放送テレビ)【週替わりでクレジット】/岡田光司(朝日放送テレビ)
  • SW/カメラ:手塚西都子(朝日放送テレビ)【回によって担当が異なる】
  • カメラ:松岡俊樹(朝日放送テレビ)、川崎拓真【週替わりでクレジット】/芝(柴)田幸司・渡邉一樹(朝日放送テレビ)
  • VE:大杉貴則、鹿嶋友樹、東浦步実【週替わりでクレジット】/丸尾恵介・宇佐美貴士(朝日放送テレビ)、瀧晃一、東聡
  • 音声:村井信夫、山下真由【週替わりでクレジット】
  • 音声/MA:西森大記(朝日放送テレビ)、牛越大輔(以前は音声)、滝川毅(アイネックス)【週替わりでクレジット】/坂本宗之(朝日放送テレビ)【週替わりでクレジット・回によって担当が異なる】
  • MA:清水俊孝(朝日放送テレビ)【週替わりでクレジット・回によって担当が異なる】
  • 照明:重國裕治(朝日放送テレビ)、岡崎麻衣【週替わりでクレジット】/安本雅司(ハートス)、瀧本貴士(朝日放送テレビ)
  • SE:角田研
  • 編集:林香奈(アイネックス)
  • セットデザイン:田中彰洋(以前は美術)
  • 美術:吉沢みちる
  • VTR問題チェック:井上景子(以前は問題チェック)
  • CG:竹内淳、松嶋智子
  • TK:岡島美榮子
  • 宣伝:高原彩(朝日放送テレビ、2019年11月24日〜)
  • 庶務:田村圭
  • 協力:JAL PAK(2019年4月7日〜)、東リ
  • 制作協力:Bestie(2021年1月10日〜)
  • AD:髙坂百加
  • FD:石原朋子
  • AP:岡﨑由記(朝日放送テレビ、2021年2月7日〜)
  • ディレクター:山内貴博、金谷祐馬、山田知道
  • プロデューサー:山口正樹(朝日放送テレビ、2020年12月27日〜)、秋山利謙(ABCリブラ、2019年6月23日〜、2015年4月5日〜2019年6月16日まではCP)、綾川由里絵(ABCリブラ、2019年5月26日〜、以前はAP)
  • 制作:ABCリブラ(2015年4月5日〜)
  • 制作著作:ABC TV(2018年4月〜、以前は制作)

過去のスタッフ

  • 構成、監修:堤章三
  • 問題作成:井上望、奥村康治、倉片陽子、多田奈々、西村麻耶、鍋谷直輝、山口真弓【週替わりでクレジット】
  • 問題チェック:吉氏眞理、矢野郁子、鎌塚百美【週替わりでクレジット】
  • 編集:藤井紀雄(朝日放送テレビ)、森島健太・井原理恵(アイネックス)【週替わりでクレジット】
  • CG:木村卓
  • 宣伝:藤田高一郎(朝日放送テレビ、2018年10月28日まで)、江﨑希与子(朝日放送テレビ、2018年11月11日〜2019年11月17日)
  • 協力:JTBグループ PTS(2019年3月31日まで)
  • 制作協力:kagami(以前はカガミ<旧・各務プロダクション>)
  • AD:矢沢克之、大幸雅弘、竹島和彦、濱田崇充、小松幸一、吉栖成美、工藤唯加、塩貝奏葉
  • ディレクター:北條信之、岡本悦治、田中夏人、倉本拓、清水雄一郎(清水→以前はFD)、及川瑞葉、柿森征信、番場徹、弘田徹、鳥海久慎、小城修哉、佐々木聡子、佐々木匡哉、佐藤真澄、矢野政臣、朝日源、植田貴之、朝比茂信、山田大樹、大橋洋平、後藤真実子、神崎宗弘、山本真也
  • プロデューサー:河野雅人、月村潔、吉田多満子、北條信之、野条清(野条→以前はディレクター、現:放送番組審議会事務局長)、岩城正良(以前はAD→ディレクター、現在:朝日放送ラジオ取締役、元:ABCテレビ制作局長補佐)、尾島憲、渡邊拓史(渡邊→朝日放送テレビ、2016年4月10日〜2019年8月18日、以前はディレクター)、樋笠りえ(朝日放送テレビ、2019年6月23日〜2020年1月12日)、中川翔子(朝日放送テレビ、2019年秋頃〜2020年12月20日)
  • 制作:小森成樹(以前はチーフプロデューサー、元:ABCリブラ代表取締役社長)

脚注

注釈

  1. ^ a b c d 2018年3月25日(当番組の2017年度最終放送日)までは、同年4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送。
  2. ^ 字幕の色は谷原の声が黄色、加藤の声が水色、それ以外は白色で表記。
  3. ^ 地上デジタル放送では開始当初より実施。
  4. ^ この枠は、1963年10月に水曜12:15 - 12:40枠の『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』(毎日放送制作)開始に伴い、『ガイド』として設置された物。その後後継番組『ダイビングクイズ』(毎日放送制作)の変遷(ダイビングクイズ#放送時間を参照)に伴い、『ガイド』『CMロータリー』『ファミリータイム』と改題しながら継続し、当番組の開始時は13:40に移動していたが、1975年10月より13:45 - 14:55に歌謡番組せんみつのJOYJOYスタジオ』を設置するため、14:55 - 15:00に移動した。
  5. ^ ごく一部のみ。
  6. ^ 「アタック!!」の叫びは番組開始当初から使われている山下のものを引き続き使用。曲最後の叫びのタイミングが、アレンジ前より半拍早くなっている。
  7. ^ 代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる。
  8. ^ 1979年1月14日放送分。ビデオリサーチ調べ、関西地区・世帯・リアルタイム。
  9. ^ 1980年1月27日放送分。ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。
  10. ^ UHTはUHF局だったため、スポンサーセールスや受信可能範囲等の都合から一部のNET系列番組(毎日放送制作を含む)を先発VHF局であるRCCの編成に残していた。
  11. ^ 前番組「お昼にあいましょう」の金曜日を朝日放送が担当した名残り。1970年から水曜日を含め全曜日TBS製作に移管。
  12. ^ 基本的に日曜20時台の番組の番宣。
  13. ^ その日の「アタックチャンス」でレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された。
  14. ^ 同年9月までは関西ローカル番組として毎週土曜日の深夜=日曜日の未明にレギュラー放送。
  15. ^ 座っている時はデスクマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに替わりピンマイクを着装するようになる。
  16. ^ ネットチェンジ前の『東リクイズ・イエス・ノー』(毎日放送制作)の時代から換算すると37年間。
  17. ^ 2012年の番組リニューアル(後述)による公式サイトリニューアルまで。
  18. ^ クイズ解答とパネル取りができる携帯ゲーム。
  19. ^ 2005年4月にハイビジョン制作が始まってからは、アナログ放送では見えない16:9画面の右下に現在のパネル獲得枚数が追加された。2010年6月のレターボックス化から停波まではアナログ放送でも見られた。
  20. ^ これにより、加藤は児玉・浦川・谷原の歴代司会者全ての出題者を担当したことになる。
  21. ^ 放送時間等の制約による編集上や司会者が問題文をフォロー(復唱)しなかった場合である。
  22. ^ 朝日放送テレビ制作・テレビ朝日制作を問わず。一部は番組宣伝を兼ねる場合もある。
  23. ^ 名称は「フラッシュオンクイズ」のままであった。
  24. ^ この月までに、予定されていたテレビ朝日系列24社がすべて開局したことを記念しての企画。
  25. ^ ただし不定期にゲストクイズが行われることもある。また、通常のビジュアルクイズとして出題されることもある。
  26. ^ 出題前に司会者が「ペナルティはありません、どうぞ」と言い問題に入る。変更当初児玉はお手付き後に「リセット!」とコールしていた。
  27. ^ この際は旅行先として放送内でも告知していたクルーズ会社の客船が沈没事故を起こしてしまったため、クルーズ旅行の船会社も含めて旅行内容が急遽変更された影響によるものであると言われている。なお、その影響により、2011年の年間チャンピオンは放送上スイートルームでのクルーズ旅行を獲得したにもかかわらず、実際には他の出場者と同じ普通客室に変更されたとのことである。
  28. ^ 映画問題のみ毎週出題される。
  29. ^ オープニングで旅行先のクイズが出題される時は行われない。
  30. ^ 1度だけ都道府県別ランキングで第47位を当てる問題が出題された。
  31. ^ 2012年4月から2013年3月までは、オープニングクイズ、熟語問題、アナグラム問題、ランキング問題、映画問題で誤答やスルーが発生した場合に、パネル5枚が埋まるまで出題されていた。ただし、3問以内に5枚埋まらなかった場合は、読み上げ問題に移っていた。
  32. ^ そのアーティストや楽曲に関連したCD作品などの発売に合わせたり、放送時期・季節に合わせて出題される場合が多かった。[独自研究?]
  33. ^ 4人で音楽問題を迎えた場合、たとえ収録・出題されても答えが出なかった場合、放送時間の都合で実際の放送に入らないケースがある。
  34. ^ 「ボーン」という音で、赤→緑→白→青の順に音が高くなる。
  35. ^ 流れ終わったあとはブザーは基本的に鳴らない。
  36. ^ この場合、字幕放送においては不正解のブザーと同様に「(不正解の音)」と表示される。
  37. ^ 変更前の曲はオリジナルだが、変更後の曲は元々は、同局で放送されていた『クロスワードクイズ・Theエイリアン』→『三角ゲーム・ピタゴラス』で使用されていたもの。
  38. ^ 司会者によって、言い方が若干異なる。
  39. ^ 朝日放送:秋山利謙ゼネラルプロデューサーによれば、『アタックチャンスは、放送枠が25分から30分に拡大となった時、その5分増えた分を穴埋めするために当時の番組スタッフが考え出したものだった』と語っている[28]
  40. ^ すなわち、スルーまたは不正解が何度出ようと正解が出るまでアタックチャンスは終わらない。
  41. ^ 当然ながら、アタックチャンスを指定した者以外の解答者が、当該パネルを横取りすることも可能。
  42. ^ 1987年7月5日(指定したのは当時立命館大学の学生であった長戸勇人)、1994年2月27日、2013年10月6日放送分。なお、いずれも1問目は13番からスタートしている。
  43. ^ それ以外の時期は、CG画面を使って行われていた。
  44. ^ 字幕放送では単に「(鐘の音)」で表記。
  45. ^ この時、番組内では史上初と言われたが、先述の1回があるため間違いである。
  46. ^ 長期戦となった場合は、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。
  47. ^ 18金ダイヤモンドネックレス、掃除機、キャスター付き旅行バッグ。
  48. ^ ベルト、札入れ、小銭入れ、キーケース、磁気健康グッズ。
  49. ^ 優勝者とは別の賞品。さらに過去には東リのクッションフロアも賞品だったことがあった。
  50. ^ 結果、獲得はならなかった。
  51. ^ 近畿地方近辺からの出場者の場合はこの中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者で朝日放送までの交通費が5,000円を超えた場合、交通費も朝日放送側から別途支払われる。
  52. ^ スタジオでは別モニター。
  53. ^ ドラマなどの劇中で作られた楽曲は存在するとみなされ、ある架空の楽曲とは認められない。
  54. ^ 外す操作は当初はアシスタント、現在はスタッフ。
  55. ^ 1980年代後半からVTRとなり、その後完全にVTR化。
  56. ^ オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される(パーフェクトの場合は映らない)。2015年4月5日からは画面右側に表示される仕様に変更された。
  57. ^ エンディングでのパネル点滅時には紫もある。
  58. ^ このために映像を撮っている場合もある。
  59. ^ ただし、日本にある都市の場合のみ。
  60. ^ 解答時間は時報を模したカウントダウンの音が流れる。
  61. ^ カメラに映る事は、ほとんど無い。
  62. ^ 外観は銀色の筒のようなもので、時たまカメラに映ることがあった。
  63. ^ 1996年10月〜2013年3月までは画面中央に表示。
  64. ^ 2013年4月以降。画面右にはスタッフ・制作クレジットのロールが流れている。同年3月までは画面下に表示。
  65. ^ ファイルにあるABCロゴは現行ロゴでなく、3代目(1989年 - 2007年)のものを使用している。
  66. ^ 末期では旅行獲得プレート。
  67. ^ 2001年までは9月15日と重なる週の日曜日。
  68. ^ 60歳以上であっても、通常のレギュラー放送で出場した人は複数いる。
  69. ^ 厳密に言うと、勝利チームはパリ・ニース旅行(放送当時)の挑戦権を獲得しただけであり、失格にはなったが18枚獲得した大学がトップ賞として、トロフィーと通常回の優勝時に贈られる賞品が贈られる。そして他の3チームは、通常回で贈られる参加賞が贈られた。
  70. ^ 形式は3問先取の早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ。
  71. ^ 賞金は枚数に関係なく50万円。
  72. ^ 実際は満26年。
  73. ^ 正式には満29年であり、30年目突入。
  74. ^ よって、パーフェクトの場合は100万円となった。
  75. ^ ネットスポンサーはすべてPT扱いとなり、一部企業はACジャパンのCMに差し替えとなった。
  76. ^ 同特別番組では2004年2月『徹子の部屋』(テレビ朝日制作)に児玉が出演した際に切り絵の腕前を披露する場面も紹介された。
  77. ^ 肖像権の関係上、ほとんどの解答者や観客にはぼかし処理がされた他、かつての冠スポンサーだった日興証券・日興投信に関して司会者席下部の「提供 日興証券・日興投信」の文字は、放送時のスポンサーと異なることからぼかし処理で消されていた。ただし、1989年の「700回記念プロ野球大会」の部分を再生した「アタックチャンス」の箇所など、解答席の場面での両サイドの日興証券・日興投信の看板や東リのロゴは、処理されずにそのまま放送されていた。
  78. ^ なお、夫婦ペア大会の予選を通過するためには夫婦とも筆記予選を通過しなければならないという最低限のハードルが課せられており、夫婦のうち一方のみが筆記予選を通過した場合は一般参加者が筆記予選を通過した扱いとなるとのことである。[要出典]
  79. ^ 基本的に当番組と同じ週末日中に放送の番組を選出。ちなみに『熱闘甲子園』はテレビ朝日との共同制作。
  80. ^ 2020年4月~5月の間、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言日本政府発出)に伴い収録を休止していたため。
  81. ^ 本編は当時のまま放送するが、テロップの一部に別テロップを被せるもしくはボカシ処理をしている。また、当時のスタッフロールもそのまま流れる(2018年3月までは分社化前の為、制作局名は「ABC」となっている)が、その後に現在のスタッフ並びに現行の「制作著作 ABC TV」までを一挙に表示する。
  82. ^ 年度により異なる。
  83. ^ 視聴者には10問ずつ、前半と後半に分けて出題。
  84. ^ ここまで前編、後編は決勝。
  85. ^ 勝ち抜け順に赤・緑・白の席と座る。
  86. ^ このサバイバルステージにあたる箇所までが前編、後編は決勝。
  87. ^ 8番に赤、12番に青、14番に緑、18番に白。
  88. ^ 13番のコールは通常通り、浦川が行った。
  89. ^ A・B・Cグループ勝者がそれぞれ赤・緑・白の席。
  90. ^ 1992年の時は北海道テレビ放送が優勝、1996年では名古屋テレビが優勝した。
  91. ^ CM明けのアタックチャンスは別撮りで従来どおり児玉単独で行う。
  92. ^ 問題の内部流出など不正防止の意味合いもある。
  93. ^ この年は1チーム2局ずつ・計8局の対抗戦。
  94. ^ 開催月を3月にずらして開催。
  95. ^ 2020年5月10日に再放送された。
  96. ^ ただし、「年間チャンピオン大会」「グランドチャンピオン大会」「(5年以内の出場者の)夢をもう一度大会」などの特別企画であれば、特例として5年以内でも予選会なしで本選に出場できることがある。
  97. ^ ただし予選の応募受付を各局で行っていた1990年代までの宛先はテレビ朝日だった。
  98. ^ かつて[いつ?]は、同じ筆記形式でも、問題文のない解答欄のみの用紙に、カセットテープ再生による読み上げ問題の解答を記入する方式だった。1問の制限時間はおよそ10秒で、全20問。問題の読み上げは、本選の出題者が担当していた。
  99. ^ 現在は携帯電話でも募集している。
  100. ^ しかしながら収録日の都合上、関西在住の中高年女性が多かった。
  101. ^ 行わない回もまれにあった。
  102. ^ 呼びかけがなくCMに入る場合もあった。
  103. ^ 児玉司会時代、1995年までは司会席の背景にエッフェル塔凱旋門を中心としたパリの写真が使用されていた。
  104. ^ 2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適用された。
  105. ^ 2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供。
  106. ^ ただし、エンディングのVTRクイズ前に出る旅行先紹介VTRは出題がなくなってからも登場。
  107. ^ ニースも抱き合わせ。
  108. ^ 2011年5月15日放送分から一部旅行先が変更。
  109. ^ クイーン・エリザベスクイーン・ヴィクトリア
  110. ^ そのときのスポンサーの一社であるジャパネットたかたはテレビショッピングを中止し、同社のスポットとACジャパンの公共広告に差し替えた。
  111. ^ この日の朝日放送制作枠は『プリキュアシリーズ』(当時は『スマイルプリキュア!』)のみ放送。
  112. ^ 2012年7月はザックJAPAN、2013年1月はなでしこJAPAN。
  113. ^ 獲得パネル数10枚、フィルムクイズである人物・「ガンジー」を見事正解してパリ旅行を獲得。
  114. ^ 他に『100万円クイズハンター』のゲームも発売された。
  115. ^ ただし、実際の予選はディレクター以上のスタッフが仕切るのに対し、このソフトではADが予選を仕切るようになっている。
  116. ^ のちに倒産、現存せず。
  117. ^ 付録として、テレビ番組での本戦への応募ハガキが同封されている(2003年の再販版は無し)。
  118. ^ ゲームオーバーになった場合でも、コンティニューして何度でも再挑戦が可能。稀に、前述の通り書類選考の時点で落選するケースもある(その際には予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売のチラシ」や「通信販売の商品の広告」といった関係の無いものが届き、即ゲームオーバーとなる)。
  119. ^ 因みにオープニングでは、2002年当時の出演者募集のCMをポリゴンで再現した映像が流れる。
  120. ^ 言っていない台詞は聞くことができず、全部集めるのには時間がかかる。
  121. ^ 東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供であったため。
  122. ^ 1992年3月15日から6月28日までは、損失補填問題に伴い一時降板。
  123. ^ ABC男性アナウンサーによる提供読みも入る。当初は「提供」を表示していたが、後に表示しなくなった。
  124. ^ 1984年9月30日までは時差ネット(先行ネット)、10月7日からは同時ネット[47]
  125. ^ 同年3月までは「クイズタイムショック」をマイクロネット。
  126. ^ 放送再開後も一貫して遅れ放送であったため、携帯サイトやスマートホンサイトでのクイズには参加できなかった。

出典

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  49. ^ 『北國新聞』1984年9月29日付朝刊テレビ欄

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