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「浄土真宗本願寺派」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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浄土真宗本願寺派は、[[真宗大谷派]]との区別のため「お西さん」と呼ばれる。本山の本願寺も、一般的に「西本願寺」と呼ばれたり、本願寺派という意味で「本派本願寺」と呼ばれる。
浄土真宗本願寺派は、[[真宗大谷派]]との区別のため「お西さん」と呼ばれる。本山の本願寺も、一般的に「西本願寺」と呼ばれたり、本願寺派という意味で「本派本願寺」と呼ばれる。


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最近では葬式仏教、法事仏教との批判も多く、門徒の不審をかっている。特に若者の寺離れ、廃寺の増加は深刻な問題となっている。
最近では葬式仏教、法事仏教との批判も多く、門徒の不審をかっている。特に若者の寺離れ、廃寺の増加は深刻な問題となっている。
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==歴代門主==
==歴代門主==

2004年10月4日 (月) 09:54時点における版

浄土真宗本願寺派じょうどしんしゅうほんがんじは)は、浄土真宗の一派。

親鸞聖人の墓所に建てられた本願寺(西本願寺)を本山とする。

明治時代の初期に西欧の三権分立をまね立法(宗会)・行政(宗務所)による施策決定システムを持った。これは、明治政府の構築のモデルともなった。

絶大な権力を持つ本願寺派門主の第22世鏡如(大谷光瑞)は、シルクロード探検隊を送ったり、海外布教や、学生の教育に力を尽くしたが、それらの大きな費用負担が本願寺の財政を危機に陥れたため、鏡如は門主引退した。

本願寺派は再び危機を招かぬように、門主大谷家の権限を制限することを決定した。大谷家を権力中枢から、象徴へとその地位を変えた。門主は本願寺(西本願寺)の住職という地位にあり、教団を代表するのは、宗会(議会)で選出された総長である。

浄土真宗本願寺派は、真宗大谷派との区別のため「お西さん」と呼ばれる。本山の本願寺も、一般的に「西本願寺」と呼ばれたり、本願寺派という意味で「本派本願寺」と呼ばれる。

最近では葬式仏教、法事仏教との批判も多く、門徒の不審をかっている。特に若者の寺離れ、廃寺の増加は深刻な問題となっている。

歴代門主

  1. 親鸞 (1173~1262)
  2. 如信 (1235~1300)
  3. 覚如 (1270~1351)
  4. 善如 (1333~1389)
  5. 綽如 (1350~1393)
  6. 巧如 (1376~1440)
  7. 存如 (1396~1457)
  8. 蓮如 (1415~1499)
  9. 実如 (1458~1525)
  10. 証如 (1516~1554)
  11. 顕如 (1543~1592)
  12. 准如 (1577~1630)
  13. 良如 (1612~1662)
  14. 寂如 (1651~1725)
  15. 住如 (1673~1739)
  16. 湛如 (1716~1741)
  17. 法如 (1707~1789)
  18. 文如 (1744~1799)
  19. 本如 (1778~1826)
  20. 広如 (1798~1871)
  21. 明如 (1850~1903)
  22. 鏡如 (1876~1948)
  23. 勝如 (1911~2002)
  24. 即如 (1945~ )

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