「無罪推定の原則」の版間の差分
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しかし、マスコミや一般国民の感覚において、実際には被疑者・被告人の無罪推定は有名無実化し、逮捕・起訴されたものは有罪であるとの感覚が強い。 |
しかし、マスコミや一般国民の感覚において、実際には被疑者・被告人の無罪推定は有名無実化し、逮捕・起訴されたものは有罪であるとの感覚が強い。 |
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*また、[[日本]]では無罪判決を頻繁に出す傾向のある[[判事]]の判決が上級審でしばしば逆転判決を出され、この判事が「''無罪病''」と非難される<ref>門田隆将『裁判官が日本を滅ぼす』新潮社2003年 ISBN 4-10-460501-8。同書では[[弁護士|弁護人]]であった[[野崎研二]]が無罪判決は誤審だったと主張している。</ref>事がある。この非難はややもすると推定無罪や[[一事不再理]]の原則に抵触する可能性もあるが、[[世論]]の支持は根強く、裁判官と一般人の意識の乖離を埋めることの難しさを物語っている。 |
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そのため、法的には無罪であるにもかかわらず、マスコミによる名誉毀損報道や周囲の人間による差別を受け、直接的な人権侵害を受ける例のほか、職を失う例、転居を余儀なくされる例、また一家が離散するなどの例が多発している。近年では[[松本サリン事件]]の冤罪報道が顕著な例である。 |
そのため、法的には無罪であるにもかかわらず、マスコミによる名誉毀損報道や周囲の人間による差別を受け、直接的な人権侵害を受ける例のほか、職を失う例、転居を余儀なくされる例、また一家が離散するなどの例が多発している。近年では[[松本サリン事件]]の冤罪報道が顕著な例である。 |
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また、マスコミはこのような事情を考慮せず、むしろ捜査機関の発表に迎合して報道を行う。「メディア・パニッシュメント」と揶揄されるマスメディアの犯人視報道である。 |
また、マスコミはこのような事情を考慮せず、むしろ捜査機関の発表に迎合して報道を行う。「メディア・パニッシュメント」と揶揄されるマスメディアの犯人視報道である。 |
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また、江戸時代や戦前は捜査機関の嫌疑が裁判官に引き継がれる「糾問的捜査観」であったが、戦後に「弾劾的捜査観」が採用され、捜査機関の嫌疑は起訴の際に遮断されるようになっている(起訴状一本主義など)。しかし、国民のレベルでは未だ糾問的捜査観のままになっているのである。糾問的捜査観の場合、捜査機関が嫌疑をかけた者には有罪の推定が働くことになる。 |
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以上から、日本では無罪の推定が有名無実化してしまっているのである。 |
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2006年11月5日 (日) 07:09時点における版
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推定無罪(すいていむざい)は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という立証責任の考え方に基づいた近代刑事法の基本原則である。狭義では刑事裁判における裁判官の自由心証主義に対する内在的な拘束原理としての意味のみで用いられる。無罪推定の原則とも言う。
この制度は刑事訴訟における当事者の面を表している。これを、裁判官側から表現した言葉が「疑わしきは罰せず」であり、2つの言葉は表裏一体をなしている。「疑わしきは被告人の利益に」の表現から利益原則と言われることもある。
根拠
日本では刑法、刑事訴訟法に明文規定はないが、適正手続(due process of law)一般を保障する条文と解釈される日本国憲法第31条の
- 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」
に推定無罪の原則が含まれると解釈されている。
また、自由権規約に明文化されており、これを日本は批准しているため、憲法の下位もしくは法律と同程度の効力によって日本国内に効力がある原則である。
理論的根拠としては、被疑者・被告人は訴訟の当事者である、という刑事訴訟の当事者主義の原則を貫いた場合、被疑者・被告人は訴訟のやり方を失敗したために刑罰を受ける、という事態になりかねない。そこで、刑罰権を行使する検察側が犯罪事実を立証しなければならないとする結果、被告人は無罪と推定される、ということによる。 また、日本で現在採用されている弾劾主義のもとにおいては、実際に犯罪を犯したかどうかを判断する手続が刑事裁判手続であるため、当事者である被疑者・被告人には無罪の推定が働くことになる。
歴史
制度化の歴史
と規定されたのに始まり、現在では自由権規約、ヨーロッパ人権規約など各種の国際規約で明文化され、近代刑事訴訟の大原則となっている。
制度・名称の一般化
この言葉は、スコット・トゥロー原作ステュアート・カンタベリー監督アメリカ映画『推定無罪』(1990年)で有名になった。日本では1994年に発生した松本サリン事件で長野県警の強制捜査を受けた河野義行(現・長野県公安委員)がマスコミによって「殺人鬼・変質者」と書き立てられたが、後にオウム真理教の犯行であったことが判明し、推定無罪の原則の重要性が再認識された(ただし推定無罪の原則は捜査機関や報道機関を直接規律する論理ではないことに注意が必要)。
報道・一般国民の感覚と無罪推定
推定無罪の原則は捜査機関や報道機関を直接拘束する論理ではないが(ただし自由権規約は私人間効力があるという説はある)、しかし報道の影響力からすれば、報道機関は被疑者・被告人には推定無罪の原則が働くことに十分留意する必要がある。
しかし、マスコミや一般国民の感覚において、実際には被疑者・被告人の無罪推定は有名無実化し、逮捕・起訴されたものは有罪であるとの感覚が強い。
そのため、法的には無罪であるにもかかわらず、マスコミによる名誉毀損報道や周囲の人間による差別を受け、直接的な人権侵害を受ける例のほか、職を失う例、転居を余儀なくされる例、また一家が離散するなどの例が多発している。近年では松本サリン事件の冤罪報道が顕著な例である。
無罪推定報道の有名無実化の原因
日本で無罪推定の有名無実化していることについては、いくつかの原因があげられる。
- 捜査機関の逮捕・起訴に対する慎重な姿勢があるとされること。(いわゆる「精密司法」)
- 上記の事情からくる有罪率の高さ(「無罪」も参照のこと)。
- マスメディアによる犯人視報道
- 大衆意識のレベルでの捜査機関と裁判官の役割分担についての認識が未分化
- 犯罪を取り上げた映画・テレビドラマ・小説の影響(あらかじめ犯人が設定されていないと物語が成り立たない)
などである。
すなわち、日本の刑事司法手続では、警察が逮捕するまでに捜査を綿密に行い、十分な嫌疑があるまでは逮捕しないことが多い。その結果、犯罪の嫌疑がないとして不起訴処分がなされる率は諸外国に比して少ない。また、検察官に送検されても、検察は有罪判決をほぼ確実に得られる程度の証拠がそろわない限り、起訴を控える。その結果、起訴された場合には、約99%の被告人が有罪判決を受ける傾向がある[1]。
これらの事態を客観的に見ると、逮捕されたとの報道がなされた被疑者には、ほぼ確実に有罪判決がなされたとの報道がなされることになる。すると、いきおい国民は「逮捕=犯罪者」と思い込むことになる。
また、マスコミはこのような事情を考慮せず、むしろ捜査機関の発表に迎合して報道を行う。「メディア・パニッシュメント」と揶揄されるマスメディアの犯人視報道である。
以上から、日本では無罪の推定が有名無実化してしまっているのである。
なお、刑事訴訟法に同じ英米法を採用する国でも、米国などでは日本とは違い、一般に逮捕の要件は非常に緩やかで、また誤認逮捕も相当多数に上る。そのため、裁判により有罪の判決を受けるまでは、マスメディアにより逮捕が報道されたとしても日本と比較して社会的影響が相当程度小さい。
報道における推定無罪の有名無実化
マスコミにおいては、一般名詞の「容疑者」を積極的に「犯人」の意味で使用する場合がある。例えば、「容疑者は銃をもったまま逃走中」「容疑者からと見られる電話」といった記事がなされることもある。このような用法は、明らかに誤用である。
また、「男を逮捕」「女を逮捕」というように成人の被疑者に対して「男」「女」の呼称で報道したり、ブルーカラー・失業者の被疑者に対して「配管工の男を逮捕」「無職男を逮捕」で報道したり[2]するような差別的な表現も見られ、犯人視報道による人権侵害が後を絶たない。
被疑者が連行される場面を放送することも犯人の印象を植え付けやすい。
マスコミによる容疑者呼称の使用例
被疑者・容疑者の呼称は原則として逮捕された被疑者にしか用いられていないが、時としてマスメディアは、被疑者の身分、自社との関係などから恣意的な使用をすることがある。例えば、
- SMAPの稲垣吾郎が2001年8月に駐車違反を巡る道路交通法違反と公務執行妨害、傷害容疑で逮捕された時、新聞は「稲垣容疑者」と報道したが、一部のテレビ局は「稲垣メンバー」と報道した[3]。稲垣の所属事務所であるジャニーズ事務所への配慮と指摘されている。
- 国会議員が被疑者となった場合は、逮捕・起訴されても「○○議員」「××前議員」と呼び続けることもある(逆に徹底して「△△容疑者」としか呼ばない場合もある)。
- 2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサーマ・ビンラーディンは同事件の被疑者で国際指名手配されているにもかかわらず「ビンラディン氏」と敬称付きで報道されてきたが、読売新聞はいち早く「ビンラーディン」と呼び捨てで報道し、2004年10月29日にビンラーディンがビデオで同事件への関与を認めると、マスメディアは一斉に「ビンラディン容疑者」に変更した。
- 2004年11月にはタレントの島田紳助が所属プロダクションである吉本興業のマネージャーの首を殴って頸椎に捻挫を負わせたとして傷害容疑で書類送検されたが、「島田容疑者」と報道するマスメディアもあれば、稲垣吾郎の時と同じく吉本興業への配慮からか「島田紳助氏」「タレント・島田紳助さん」に加え「島田紳助司会者」「島田紳助所属タレント」というような通常あり得ない呼称を用いて報道するマスメディアもあった。
- NHKなど一部メディアでは役職を持っている(または持っていた)被疑者・被告人に関しては、最初に「会社社長の●●容疑者」と呼び、その後「●●社長(元社長)」といった感じで役職の呼称を多くし、容疑者呼称をできるだけ少なくしようと配慮されている(無職だったり専業主婦の容疑者の場合は従来通り)。
現行犯逮捕における扱い
日本の法制度上、逮捕を執行した者が被疑者の犯罪事実を現認している事が多い現行犯逮捕に於いても推定無罪が適用されるため、「○○の疑いで現行犯逮捕」という一見すると矛盾しているかに見える表現を使用するマスコミが多いが、この点(またはこの点について読者・視聴者に疑問を抱かせないこと)を重視し「○○で現行犯逮捕」「○○の現行犯で逮捕」などと表現する事も少なくない。
脚注
- ^ もっとも、逮捕された者の約半数には起訴猶予処分がなされているのであるが、報道されるような重大事件においては、起訴猶予処分がなされる事はまず無いために、逮捕が報道された者のほとんどは起訴され、有罪判決を受けることになる。
- ^ ホワイトカラーの被疑者は「会社員の男」と具体的な職種は報道されないことがほとんどである。
- ^ 逮捕直後こそ「稲垣容疑者」だったが釈放された後に「稲垣メンバー」と急速に使われるようになった。