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「亘理町」の版間の差分

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宮城県南部の太平洋沿岸に位置する町である。県の地域区分では[[仙台都市圏|広域仙台都市圏]]に含まれる。
宮城県南部の太平洋沿岸に位置する町である。県の地域区分では[[仙台都市圏|広域仙台都市圏]]に含まれる。


[[仙台藩|仙台藩主]]・[[伊達政宗]]の重臣で、亘理伊達家の初代当主である[[伊達成実]]の城下町として知られ、町内にはそれに伴う名所や旧跡が点在する。
[[仙台藩|仙台藩主]]・[[伊達政宗]]の重臣である[[伊達成実]]をはじめとした亘理伊達氏の城下町として栄え、町内にはそれに伴う名所や旧跡が点在する。


町内は、中央西部に位置し町の中心地である亘理地区と北部の逢隈地区、中央東部の沿岸に位置する荒浜地区、南部の吉田地区に分けられる。亘理地区の市街地を東西に貫く[[宮城県道10号塩釜亘理線|県道10号塩釜亘理線]]の沿道には中小の店舗が建ち並び、亘理郡の中心商業地となっている。
町内は、中央西部に位置し町の中心地である亘理地区と北部の逢隈地区、中央東部の沿岸に位置する荒浜地区、南部の吉田地区に分けられる。亘理地区の市街地を東西に貫く[[宮城県道10号塩釜亘理線|県道10号塩釜亘理線]]の沿道には中小の店舗が建ち並び、亘理郡の中心商業地となっている。

2022年2月10日 (木) 17:38時点における版

わたりちょう ウィキデータを編集
亘理町
悠里館
地図
亘理町旗
1971年10月2日制定
亘理町章
1971年10月2日制定[1]
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
亘理郡
市町村コード 04361-3
法人番号 2000020043613 ウィキデータを編集
面積 73.60km2
総人口 32,539[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 442人/km2
隣接自治体 岩沼市角田市亘理郡山元町柴田郡柴田町
町の木 クロマツ
町の花 サザンカ
亘理町役場
町長 山田周伸
所在地 989-2393
宮城県亘理郡亘理町字悠里1番地
北緯38度2分39秒 東経140度52分3.2秒 / 北緯38.04417度 東経140.867556度 / 38.04417; 140.867556
外部リンク 公式ウェブサイト

亘理町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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亘理町(わたりちょう)は、宮城県南部の太平洋沿岸に位置する町である。亘理伊達氏城下町として知られる。

概要

宮城県南部の太平洋沿岸に位置する町である。県の地域区分では広域仙台都市圏に含まれる。

仙台藩主伊達政宗の重臣である伊達成実をはじめとした亘理伊達氏の城下町として栄え、町内にはそれに伴う名所や旧跡が点在する。

町内は、中央西部に位置し町の中心地である亘理地区と北部の逢隈地区、中央東部の沿岸に位置する荒浜地区、南部の吉田地区に分けられる。亘理地区の市街地を東西に貫く県道10号塩釜亘理線の沿道には中小の店舗が建ち並び、亘理郡の中心商業地となっている。

温暖な気候を利用しての果樹・花卉栽培が盛んであり、特にイチゴが名産である。郷土料理のはらこ飯は近年農山漁村の郷土料理百選に選出された。

隣接する山元町とは2002年平成14年)11月から合併に向けて協議が行われたが決裂した。県から代替案として名取市岩沼市・亘理町・山元町を合併する案が示されたが[2]、人口規模のみを基準とする案であったため具体的な協議が行われることも無かった。

地理

町の西側は丘陵地帯になっており、東側には平野が広がっている。北側の岩沼市との境には阿武隈川が流れ、太平洋に注ぐ。沿岸部には汽水湖の鳥の海がある。

奥羽山脈と陸前丘陵、さらに阿武隈高地によって雪雲が遮断され、海風によって気温が上昇するため、冬季は県内でも特に晴天率が高く温暖な地域である。

  • 山:阿武隈高地の最北端に位置し、四方山(274m)→黒森山(255m)→愛宕山(185m)→三門山(みつもんやま、205m)→七峰山(ななうねさん、124m)と北上して阿武隈川に至る。
  • 河川:阿武隈川・鐙川・舟入川
  • 年間平均気温:12.5℃
  • 年間降水量:1,224mm

歴史

『日本書紀』巻七「日本武尊の遠征」に葦の浦・玉の浦を経て日高見へ至るという記述があり、この葦の浦が亘理にあたるという(玉の浦は岩沼市玉浦仙台空港付近を、日高見は北上川流域を指す)。

行政

首長

昭和の合併以前
氏名 就任 退任 備考
1 齋藤源吉 1889年(明治22年)4月28日 1890年(明治23年)3月18日
2 武田万治郎 1890年(明治23年)8月2日 1898年(明治31年)4月12日
3 武田吉平 1898年(明治31年)7月26日 1900年(明治33年)10月23日
4 鈴木賢精 1900年(明治33年)11月12日 1901年(明治34年)3月16日
5 中村彬 1901年(明治34年)4月2日 1904年(明治37年)3月12日
6 坂元長造 1904年(明治37年)4月14日 1909年(明治42年)5月30日
7 隈川誠治 1909年(明治42年)7月7日 1913年(大正2年)3月25日
8 武者省吾 1913年(大正2年)8月23日 1921年(大正10年)3月28日
9 山田周吉 1921年(大正10年)5月30日 1926年(大正15年)3月31日
10 永田万吉 1926年(大正15年)8月3日 1927年(昭和2年)9月9日
11 松浦隆造 1928年(昭和3年)10月7日 1929年(昭和4年)2月22日
12 門沢惣蔵 1929年(昭和4年)4月29日 1930年(昭和5年)4月8日
13 丸谷由三郎 1930年(昭和5年)4月14日 1934年(昭和9年)3月1日
14 齋藤譲一郎 1934年(昭和9年)3月2日 1936年(昭和11年)5月10日
15 山田周蔵 1936年(昭和11年)5月11日 1940年(昭和15年)5月14日
16 武田淑郎 1940年(昭和15年)5月20日 1944年(昭和19年)5月17日
17 山田周蔵 1944年(昭和19年)5月18日 1946年(昭和21年)12月31日 再任
18 丹野恒二郎 1947年(昭和22年)4月5日 1951年(昭和26年)4月4日
19 門沢惣蔵 1951年(昭和26年)4月22日 1955年(昭和30年)1月31日 再任
昭和の合併以後
氏名 就任 退任 備考
1 玉田清 1955年(昭和30年)3月13日 1956年(昭和31年)11月30日 元・逢隈村長
2 山田周蔵 1957年(昭和32年)1月13日 1965年(昭和40年)1月12日 合併前を含めて三任
3 武田伸郎 1965年(昭和40年)1月13日 1973年(昭和48年)1月12日
4 山形勝治 1973年(昭和48年)1月13日 1978年(昭和53年)4月20日
5 深田伊三郎 1978年(昭和53年)5月28日 1982年(昭和57年)5月27日
6 竹澤一雄 1982年(昭和57年)5月28日 1990年(平成2年)5月27日
7 伊藤敏雄 1990年(平成2年)5月28日 2002年(平成14年)5月27日
8 齋藤邦男 2002年(平成14年)5月28日 2014年(平成26年)5月27日
9 齋藤貞 2014年(平成26年)5月28日 2018年(平成30年)5月27日
10 山田周伸 2018年(平成30年)5月28日 現職

町議会

第四次総合計画

2006年度より10ヶ年計画での総合発展計画を策定した。基本理念は「暮らしやすさNO.1」である。

経済

産業

産業構造
生産高では第三次産業が主だが、土地利用面では農用地が47.5%を占める。イチゴの出荷量が東北地方第1位であり、またリンゴの出荷量も宮城県第1位である。工業は地場食品加工業と自動車関連企業が主である。
地場産物
笹かまぼこはらこ飯。いちごワイン・梅羊羹などの果樹(リンゴ・イチゴ・ブドウアセロラ)利用産品
産業分類別就業者数
第一次産業:2,036人(11.7%)
第二次産業:5,751人(33.1%)
第三次産業:9,593人(55.2%)
2005年(平成17年)12月調べ)

金融機関

郵便局

  • 亘理郵便局(集配局)
  • 荒浜郵便局
  • 浜吉田郵便局
  • 亘理逢隈郵便局

姉妹都市・提携都市

ふるさと姉妹都市

友好都市

  • 日本の旗大分県日出町 -2014年(平成26年)11月27日締結
  • 東日本大震災の支援地を検討していた日出町が、町花がサザンカという共通点から亘理町に決めたということが始まりで、面積や世帯数もほぼ等しいという偶然も重なり、交流が加速した。

かつて関係のあった都市

親善友好都市
  • 日本の旗青森県南津軽郡尾上町(現:平川市) - 1989年(平成元年)10月26日〜2005年(平成17年)12月31日
    • 1985年(昭和60年)のふるさと夏祭りに同町の津軽ねぷたを招待して以後、産業分野での交流が深まり提携に至る。平成18年(2006年)1月1日、尾上町が平成の大合併で廃止された際に、新自治体である平川市には関係が引き継がれないことになり、同年10月31日に調印式を行って提携廃止を確認した。ただし、2011年(平成23年)に発生した東日本大震災の際には、平川市は尾上町と亘理町との旧交に基づき、積極的な支援を行っている[1]

地域

人口

令和2年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.49%減の33,087人であり、増減率は県下35市町村中12位。

仙台都市圏のベッドタウンとして人口が増加していたが、平成18年以降は減少に転じている[5]

亘理町と全国の年齢別人口分布(2005年) 亘理町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 亘理町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
亘理町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 25,141人
1975年(昭和50年) 25,742人
1980年(昭和55年) 27,822人
1985年(昭和60年) 29,263人
1990年(平成2年) 30,301人
1995年(平成7年) 33,034人
2000年(平成12年) 34,770人
2005年(平成17年) 35,132人
2010年(平成22年) 34,845人
2015年(平成27年) 33,589人
2020年(令和2年) 33,087人
総務省統計局 国勢調査より


健康

安心して生涯を託せる「保健福祉のまちづくり」をめざす。

教育

生涯学習体制と学校教育の充実を指向。

小学校

町立小学校6校

中学校

町立中学校4校

高等学校

県立高校1校

文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校である。

他に幼稚園2園(私立)

交通

亘理駅

鉄道路線

東日本旅客鉄道(JR東日本)
常磐線は東北本線仙台駅まで直通

バス

亘理町町民乗合自動車「さざんか号」

道路

高速道路

  • E6 常磐自動車道 : (亘理郡山元町) - 鳥の海PA - (1)亘理IC
  • E6 仙台東部道路 : (1)亘理IC - (岩沼市)

一般国道

県道

名所・旧跡・祭事・催事等

称名寺のシイノキ
2012年9月

出身有名人

郷土料理

はらこ飯
2012年9月
  • あさり飯(春)・しゃこ飯(夏)・はらこ飯(秋)・ほっき飯(冬)

町民憲章

「みどり豊かなすみよい田園都市をつくるため」に、以下の憲章を定めている。

一、汗して働き、ゆとりある豊かな町をつくりましょう。
一、自然を生かし、美しい町をつくりましょう。
一、きまりをまもり、助け合う明るい町をつくりましょう。
一、すすんでまなび、郷土を護る文化の町をつくりましょう。
一、希望にみちた、活力のある伸びゆく町をつくりましょう。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 『亘理町史』現代編(宮城県亘理郡亘理町、2008年)

関連項目

外部リンク