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「明戸古墳」の版間の差分

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* 鉄道
* 鉄道
** JR総武線 市川駅下車 バス
** JR総武線 市川駅下車 バス
** 京成線国府台駅下車 徒歩15
** 京成線国府台駅下車 徒歩20
* バス
* バス
** JR市川駅北口、または京成国府台駅より京成バス「松戸駅行き」または「松戸営業所行き」で「国府台病院」バス停下車、徒歩5分 
** JR市川駅北口、または京成国府台駅より京成バス「松戸駅行き」または「松戸営業所行き」で「国府台病院」バス停下車、徒歩5分 
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* 駐車場
* 駐車場
** 里見公園斜面下、江戸川沿いにあり 無料 利用時間:午前8時~午後5時
** 里見公園斜面下、江戸川沿いにあり 無料 利用時間:午前8時~午後5時
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2022年6月26日 (日) 06:36時点における版

明戸古墳石棺
所属 国府台古墳群
所在地 千葉県市川市国府台里見公園内
位置 北緯35度44分55秒 東経139度53分54秒 / 北緯35.74854度 東経139.89845度 / 35.74854; 139.89845座標: 北緯35度44分55秒 東経139度53分54秒 / 北緯35.74854度 東経139.89845度 / 35.74854; 139.89845
形状 前方後円墳
規模 全長40メートル、
築造時期 6世紀後半
被葬者 不明
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明戸古墳(あけどこふん)は千葉県市川市にある古墳。形状は前方後円墳。6世紀後半ごろ作られた。

概要

里見公園内に立地。後円部中央に位置する2基の箱式石棺が露わになっている状態。その石材は黒雲母片麻岩、いわゆる筑波石で筑波山麓から水運で運ばれたものと考えられている。石棺は市の文化財にも指定されている。石棺は『江戸名所図会』[1]『成田参詣記』(1858年)にも描かれている。明戸古墳周辺から埴輪も発掘されている。1981年の測量で、前方後円墳の墳丘は約40mと推定されている[2][3][4]

構造

サイズ、形など


出土品

『江戸名所図会』に「その頃櫃のうちより甲冑・太刀の類および金銀の鈴・陣太鼓、その余土偶人等を得たりとて、いまその一、二を存して総寧寺に所蔵せり」と記載があるも、現在確認できるのは円筒埴輪と形象埴輪の小破片のみである[5]。(市川考古博物館と個人所蔵)


交通アクセス

  • 鉄道
    • JR総武線 市川駅下車 バス
    • 京成線国府台駅下車 徒歩20分
  • バス
    • JR市川駅北口、または京成国府台駅より京成バス「松戸駅行き」または「松戸営業所行き」で「国府台病院」バス停下車、徒歩5分 
    • 北総線矢切駅から京成バス「市川駅行き」で「国府台病院」バス停下車、徒歩5分
  • 駐車場
    • 里見公園斜面下、江戸川沿いにあり 無料 利用時間:午前8時~午後5時

[6]

脚注

  1. ^ 松濤軒斎藤長秋 著 他『江戸名所図会 7巻. 20』1834-1836。doi:10.11501/2559059国立国会図書館書誌ID:000007277957https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2559059 p.21/61
  2. ^ 市川市の古墳『山路直充』弘文社、2004年9月1日、13-15頁。 
  3. ^ 市川市出土の埴輪『市立市川考古博物館』市立市川考古博物館、2002年3月17日、6頁。 
  4. ^ 市川市史歴史編III編集委員会『市川市史 歴史編 III』市川市、2019年1月31日、46頁。 
  5. ^ 市川市出土の埴輪『市立市川考古博物館』市立市川考古博物館、2002年3月17日、33-40頁。 
  6. ^ 市川市公式Webサイト

参考文献

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