「白河の関」の版間の差分
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しかし、2022年の[[第104回全国高等学校野球選手権大会|第104回全国高校野球選手権大会]]において、[[福島県|福島]]代表・[[聖光学院高等学校|聖光学院高校]]と[[宮城県|宮城]]代表・[[仙台育英学園高等学校|仙台育英学園高校]]の2校が準決勝へ進出。さらに準々決勝で[[第94回選抜高等学校野球大会|この年の選抜高校野球]]で優勝し3度目の春夏連覇を狙った[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]<ref>過去2回の春夏連覇をかけた決勝戦の相手は2012年が[[八戸学院光星高等学校|光星学院]]、2018年が[[秋田県立金足農業高等学校|金足農]]といずれも2010年代の東北勢との対戦であり、この大会も春夏連覇がかかることから東北勢初優勝への最大の壁と目された。</ref>が[[山口県|山口]]の新鋭・[[下関国際高等学校|下関国際高校]]に敗れたため、かつてない程に東北初の甲子園制覇への期待が高まった。準決勝では仙台育英と聖光学院の直接対決が組まれ、仙台育英が決勝戦へ勝ち上がった。これを受け、白河市は白河関跡にて初めて決勝戦の[[パブリックビューイング]]を開催した<ref name=":1" />。そして、8月22日の決勝戦で仙台育英は下関国際を8-1で下し、東北初の甲子園制覇を決めた<ref name=":1" />。これにより「優勝旗が白河の関を越えた」と歓喜された<ref>{{Cite web |title=【速報】「優勝旗が白河の関を超えた」仙台育英が下関国際を下し優勝 東北勢初“日本一” 夏の甲子園 |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/131457 |website=TBS NEWS DIG |access-date=2022-08-22 |language=ja}}</ref>。白河関跡でも優勝の瞬間を約80人が観戦し、喜びを分かち合った<ref name=":1" />。 |
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== 注釈 == |
== 注釈 == |
2022年8月23日 (火) 14:55時点における版
白河の関 | |
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松平定信による古関蹟 | |
種類 | 古代関所 |
所在地 | 福島県白河市旗宿 |
座標 | 北緯37度02分49.1秒 東経140度13分43.6秒 / 北緯37.046972度 東経140.228778度座標: 北緯37度02分49.1秒 東経140度13分43.6秒 / 北緯37.046972度 東経140.228778度 |
白河の関(しらかわのせき)は、古代の日本における関所の1つ。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として歴史上名高く、奥州(現代の東北地方)の玄関口とされてきた[1]。
所在地は福島県白河市旗宿に比定されており、国の史跡に指定されている。当地は下野国(現:栃木県)と陸奥国(現:福島県など)との県境付近であり、現代でも関東地方と東北地方との境界となっている。
鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに『奥州三関』の1つに数えられる。
歴史
設置時期は明らかでない。『類聚三代格』承和2年(835年)太政官符では、白河・菊多(勿来)の関を設置して以来400余年と見え、9世紀前半の835年当時には5世紀前半の設置と認識されていた[2]。
六国史における白河の初出は718年(養老2年)5月2日 (旧暦)に陸奥国から「白河」など5郡を分割して石背国を設置するという記事で、その後728年(神亀5年)4月11日 (旧暦)には白河軍団の新設[3]を許可、そして神護景雲3年(769年)3月13日には陸奥国大国造道嶋宿祢嶋足の申請によって何らかの功績を果たしたらしい者への賜姓付与が行われ、白河郡では丈部某と大伴部某がそれぞれ阿部陸奥臣および阿部会津臣を授かっている。また宝亀11年(780年)12月22日には陸奥鎮守府副将軍の百済王俊哲が賊に囲まれ危機に瀕したが「白河」の神など11神に祈ったところこれを突破できたとして弊社に加えることを許可している。承和2年(835年)12月3日の太政官符(『類聚三代格』)では、俘囚の出入りや不正商品の通過の検問を長門国関(赤間関)と同様に取り締まることが許されている[4]。
こうしたことから、ヤマトの軍事的要衝としての白河関の機能は平安中期には解消したものと考えられている。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす奥州合戦の際に、頼朝が白河に達した時に、梶原景季に歌を詠むよう命じると、「秋風に草木の露をば払わせて、君が越ゆれば関守も無し」と詠んだ。 関の廃止の後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置も分からなくなっていた。1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信は文献による考証を行い、その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じた。
1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定された。
なお、白河関にちなみ東北地方および北海道をまとめて「白河以北」と称する場合がある。宮城県の地方紙「河北新報」の名は、これに由来する。
ギャラリー
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白河神社 参道入口
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白河神社 参殿
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白河の関 堀跡
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従二位の杉
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奥の細道の句碑
白河検問所
白河警察署が西白河郡西郷村大字小田倉字稗返103(北緯37度06分39.3秒 東経140度08分44.7秒 / 北緯37.110917度 東経140.145750度)の国道4号沿いに設置している常設の検問所。関東からの犯罪流入を防ぐことを目的とし、「現代の白河関」と称している。1975年(昭和50年)に設置された後、東北自動車道の開通に伴い交通量が減ったため1984年(昭和59年)から実質休止していたが、2004年(平成16年)5月27日に復活した。
現代文化における引用
高校野球優勝旗の「白河の関越え」
東北地方の悲願
高校野球の甲子園大会(春の選抜高等学校野球大会、夏の全国高等学校野球選手権大会)の歴史において、東北6県(青森県・秋田県・岩手県・山形県・宮城県・福島県)の学校は100年間以上にわたり、一度も優勝を果たしたことがなかった[1]。
1915年の第1回大会[注釈 1]で秋田中学校が決勝戦で京都第二中学校に敗れ、惜しくも優勝を逃して以降、2021年の第103回 夏の甲子園、2022年の第94回 春の甲子園に至るまで、東北勢は決勝戦進出こそ12回(夏に9回、春に3回)経験したものの、12回とも敗れて準優勝に終わっていた[5]。
そのため「優勝旗(大深紅旗)は白河の関を越えていない」と称され[6]、東北勢の優勝は「白河の関越え」と称されて長年の悲願となっていた[1]。その要因として、「東北のような雪国ではグラウンドが毎年数ヶ月は雪に閉ざされるため、練習機会に恵まれず不利である」とも評されていた[6]。
北海道へ優勝旗が渡る
2004年の第86回 夏の甲子園では、東北よりもさらに北に位置する北海道地方の駒澤大学付属苫小牧高校が初優勝し、優勝旗が北海道へと初めて運ばれた[6]。そのため「優勝旗はすでに白河の関を越えた」とも称されたが、飛行機での空輸だったことから「陸路で白河の関を越えてはいない」との評が根強く、「東北6県に優勝旗をもたらす」という悲願は継続していた[6]。
黒獅子旗は白河の関を越える
また、社会人野球の最高峰である都市対抗野球大会においても、1927年の第1回大会から2005年の第76回大会に至るまで東北地方のチームには優勝経験がなかったが、2006年の第77回大会において秋田県にかほ市の TDK硬式野球部が初優勝を遂げた。これにより「黒獅子旗は白河の関を越えた」と称された[7]。
白河の関越えの達成
しかし、2022年の第104回全国高校野球選手権大会において、福島代表・聖光学院高校と宮城代表・仙台育英学園高校の2校が準決勝へ進出。さらに準々決勝でこの年の選抜高校野球で優勝し3度目の春夏連覇を狙った大阪桐蔭高校[8]が山口の新鋭・下関国際高校に敗れたため、かつてない程に東北初の甲子園制覇への期待が高まった。準決勝では仙台育英と聖光学院の直接対決が組まれ、仙台育英が決勝戦へ勝ち上がった。これを受け、白河市は白河関跡にて初めて決勝戦のパブリックビューイングを開催した[1]。そして、8月22日の決勝戦で仙台育英は下関国際を8-1で下し、東北初の甲子園制覇を決めた[1]。これにより「優勝旗が白河の関を越えた」と歓喜された[9]。白河関跡でも優勝の瞬間を約80人が観戦し、喜びを分かち合った[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f “「生きているうちに見られて最高」 東北勢初優勝、白河関跡でも歓喜”. 朝日新聞. (2022年8月22日) 2022年8月22日閲覧。
- ^ 「白河関跡」『日本歴史地名大系7 福島県の地名』平凡社、1993年。
- ^ 白河軍団の新設と同時に丹取軍団を玉作軍団に改めるとある。
- ^ 「福島県の歴史」『県史シリーズ7』小林清治、山田舜共著 山川出版社、1970年。
- ^ “東北勢の決勝は12戦12敗 「白河の関越え」挑戦の歴史を振り返る”. 河北新報. (2022年8月22日) 2022年8月23日閲覧。
- ^ a b c d “今さら人に聞けない…高校野球の「白河の関越え」って?太田幸司や吉田輝星…東北球児たちの闘いは:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年8月22日閲覧。
- ^ 土江洋範 (2021年12月3日). “都市対抗野球・七つのトリビア 黒獅子旗は「白河の関」越えた? 東北球児の壁、社会人では…”. 毎日新聞 2022年8月23日閲覧。
- ^ 過去2回の春夏連覇をかけた決勝戦の相手は2012年が光星学院、2018年が金足農といずれも2010年代の東北勢との対戦であり、この大会も春夏連覇がかかることから東北勢初優勝への最大の壁と目された。
- ^ “【速報】「優勝旗が白河の関を超えた」仙台育英が下関国際を下し優勝 東北勢初“日本一” 夏の甲子園”. TBS NEWS DIG. 2022年8月22日閲覧。