コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ユジノサハリンスク」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
Sikada (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
415行目: 415行目:
* [[1997年]][[9月27日]] -北海道[[函館市]]と[[姉妹都市]]締結。
* [[1997年]][[9月27日]] -北海道[[函館市]]と[[姉妹都市]]締結。
* [[1998年]]1月 - ロシア全土に波及していた[[ハイパーインフレ]]対策として、通貨[[ロシア・ルーブル|ルーブル]]の大幅[[デノミ]](1000分の1)実施(国際為替取引でのルーブル価値は約1/4程度まで圧縮)。
* [[1998年]]1月 - ロシア全土に波及していた[[ハイパーインフレ]]対策として、通貨[[ロシア・ルーブル|ルーブル]]の大幅[[デノミ]](1000分の1)実施(国際為替取引でのルーブル価値は約1/4程度まで圧縮)。
** 参考:【[[1965年]]:400円 / 1ルーブル】<ref>世界の旅シリーズ 第2巻 「ソ連 東ヨーロッパ」内「ソビエト旅行便利帳」内「*通貨のこと(172頁)」(出版:[[小学館]]、発刊:([[ISBN]]コード制定前年である)[[1965年]][[4月20日]]) </ref> → 【[[1995年]]:21.118円 / 1ルーブル】 → 【[[1999年]]:4.648円円 / 1ルーブル】 → 【[[2005年]]:3.895円 / 1ルーブル】 → 【[[2010年]]:2.892円 / 1ルーブル】 → 【[[2015年]]:2.005円 / 1ルーブル】 → 【[[2020年]]:1.489円 / 1ルーブル】 → 【[[2021年]]:1.490円 / 1ルーブル】 → 【[[2022年]]([[ウクライナ侵攻]]前):1.513円 / 1ルーブル】 → 【[[2022年]](ウクライナ侵攻経済制裁初日):0.987円 / 1ルーブル】<ref>[https://ecodb.net/exchange/rub_jpy.html#index02 ロシア・ルーブル/円の為替レートの推移(年次)]</ref>。
** 参考:【[[1965年]]:400円 / 1ルーブル】<ref>世界の旅シリーズ 第2巻 「ソ連 東ヨーロッパ」内「ソビエト旅行便利帳」内「*通貨のこと(172頁)」(出版:[[小学館]]、発刊:([[ISBN]]コード制定前年である)[[1965年]][[4月20日]]) </ref> → 【[[1995年]]:21.118円 / 1ルーブル】 → 【[[1999年]]:4.648円円 / 1ルーブル】 → 【[[2005年]]:3.895円 / 1ルーブル】 → 【[[2010年]]:2.892円 / 1ルーブル】 → 【[[2015年]]:2.005円 / 1ルーブル】 → 【[[2020年]]:1.489円 / 1ルーブル】 → 【[[2021年]]:1.490円 / 1ルーブル】 → 【[[2022年]]([[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ウクライナ侵攻]]前):1.513円 / 1ルーブル】 → 【[[2022年]](ウクライナ侵攻経済制裁初日):0.987円 / 1ルーブル】<ref>[https://ecodb.net/exchange/rub_jpy.html#index02 ロシア・ルーブル/円の為替レートの推移(年次)]</ref>。
* [[2001年]]
* [[2001年]]
** 1月 - 日本[[外務省]]が、ユジノサハリンスクに[[総領事館]]を設置。
** 1月 - 日本[[外務省]]が、ユジノサハリンスクに[[総領事館]]を設置。

2022年9月16日 (金) 01:26時点における版

ユジノサハリンスク
Южно-Сахалинск
ユジノサハリンスク名所
ユジノサハリンスク名所
ユジノサハリンスクの市旗 ユジノサハリンスクの市章
市旗 市章
位置
ユジノサハリンスクの位置の位置図
ユジノサハリンスクの位置
座標 : 北緯46度57分40秒 東経142度43分57秒 / 北緯46.96111度 東経142.73250度 / 46.96111; 142.73250
歴史
開村 1882年
旧名 豊原市
ウラジミロフカ村
行政
ロシアの旗 ロシア (実効支配)
 連邦管区 極東連邦管区
 行政区画 サハリン州の旗 サハリン州
 市 ユジノサハリンスク
市長 Andrey Lobkin
地理
面積  
  市域 164.66 km2
標高 40 m (131 ft)
人口
人口 (2020年現在)
  市域 200,636人
    人口密度   1,218人/km2
その他
等時帯 マガダン時間 (UTC+11)
郵便番号 693000-693023
市外局番 +7 4242
ナンバープレート 65
公式ウェブサイト : ユジノサハリンスク

ユジノサハリンスク: Южно-Сахалинск: 豊原、とよはら、: Yuzhno-Sakhalinsk、ユージュナ・サハリーンスク)は、ロシア連邦実効支配が及ぶ極東連邦管区サハリン州の都市で、同州の州都である[1]。人口は約20万人。

日本語名である「豊原」と呼ぶこともあるが、ユジノサハリンスク市域は日本統治時代の行政区分では、豊原市豊北村川上村のそれぞれの一部にあたり、豊原とは区域が完全には一致していない。日本統治時代(1905年 - 1945年)は樺太庁が置かれていた。

概要

南東部郊外(ミーラ大通り(旧東7条通り)近辺)に林立するフルシチョフカ様式集合住宅の夜景。遠方にそびえるのはユジノサハリンスキー山脈(旧樺太山脈)

人口20万人(2020年)。サハリン州の州都で、州内で最大の都市である。市名は「南サハリンの町」の意。

1965年(昭和40年)に日本の樺太墓参団が訪問した当時の人口は約9万人規模。 急ピッチで5~6階建てのコンクリート製フルシチョフカ様式アパート群が建設されており、日本時代を偲ばせられたものは、旧豊原駅および旧樺太庁博物館程度だったとされている。 住民数に比べて交通量は少なく、市内の目抜き通りであるレーニナ通り(旧豊原大通り)には、まだ信号機が無かった[2]

かつてはホルムスク(真岡)まで通じていた(現在は途中駅迄)鉄道の分岐点。

輸送機関の修理工場をはじめ、鉱山、漁業、皮革家具などの工場の他、高等師範学校、林、工、商の各種中等学校がある。

ユジノサハリンスク駅東口前にある公園施設「レーニン広場(旧豊原駅前広場)」には、今もレーニン像が残っている。

地理

サハリン島で唯一10万人以上の人口を持つ都市。ススヤ川(旧鈴谷川)に臨む。外国人の島内旅行や船での航行、海岸や天然湖でのレクリエーションには連邦保安局や国境警備隊の許可が必要である。

位置

サハリン島(旧樺太)の南部に位置し、東はススヤ連峰(旧鈴谷山脈)、西はユジノサハリンスキー山脈(旧樺太山脈)に囲まれた盆地(旧鈴谷平野)で、ススヤ川(旧鈴谷川)およびロガトカ川(旧玉川)が市内を流れる。

ロシアに存在する都市としては、唯一碁盤目状になっているが、住所表記はロシアおよび欧米全般で一般的な「~通り○番地」が用いられている。

市内にて、東西南北に配置されている通りは、下記のとおり。ユジノサハリンスク市執行委員会により、1954年1月に13箇所、1956年10月に30箇所、1957年5月に約70箇所以上、その他、顕彰対象者の出現により随時、通りの名称が改称されている[3]

  • 【旧東14条通り】ゴーリカヴァ通り(ロシア語表記:Горького。作家「マクシム・ゴーリキー」顕彰)
  • 【旧東13条通り】廃道もしくは命名されず。
  • 【旧東12条通り】ラドゥニコーヴァヤ通り(ロシア語表記:родниковая。「ばね」のロシア語訳)、アゼールナヤ通り(ロシア語表記:озерная。「湖沼」のロシア語訳)、ジームナヤ通り(ロシア語表記:Зимная。「冬」のロシア語訳)、バイェーヴァイ・スラーヴィ通り(ロシア語表記:Боевой Славы。「戦闘での栄光」のロシア語訳)
  • 【旧東11条通り】カムサモーリスカヤ通り(ロシア語表記:Комсомольская。「全連邦レーニン共産主義青年同盟『コムソモール』」のロシア語訳)
    • 「カムサモーリスカヤ通り」命名は、ソビエト共産党青年組織コムソモール地域組織40周年を記念し、1965年6月に実施(それ以前の名称は「パルコーヴァヤ通り(ロシア語表記:Парковая。「公園」のロシア語訳)」)[4]
  • 【旧東10条通り】ジリェーナヤ通り(ロシア語表記:Зеленая。「緑」のロシア語訳)、サドーヴァヤ通り(ロシア語表記:Садовая。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中。)
  • 【旧東9条通り】スヴァボードニ通り(ロシア語表記:Своьодный。「無料」のロシア語訳)
  • 【旧東8条通り】フィズクリトゥールナヤ通り(ロシア語表記:Физкультурная。「体育」のロシア語訳)
  • 【旧東7条通り】ミーラ大通り(ロシア語表記:Мира。「平和」のロシア語訳)
    • 「ミーラ大通り」命名は、対ドイツ戦勝20周年を記念し、1965年5月に実施(それ以前の名称は「プリドゥゴールナヤ通り」。ロシア語表記:Предгорная。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中)[4]
  • 【旧東5条通り】ドゥジェルジーンスカヴァ通り(ロシア語表記:Дзержинского。ソ連秘密警察チェーカー初代長官「フェリックス・ジェルジンスキー」顕彰)、ポーパヴァ通り(ロシア語表記:Попова。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中。)
  • 【旧東4条通り】クラースナヤ通り(ロシア語表記:красная。「赤い」のロシア語訳)
  • 【旧東3条通り】ダリーンスカヤ通り(ロシア語表記:Долинская。「落合町」ロシア語訳および町名)、チェーハヴァ通り(ロシア語表記:Чехова。作家「アントン・チェーホフ」顕彰)、カルサコーフスカヤ通り(ロシア語表記:Корсаковская。「大泊町」ロシア語訳および町名)
  • 【旧東2条通り】プーシュキナ通り(ロシア語表記:Пушкина。作家「アレクサンドル・プーシキン」顕彰)
  • 【旧東1条通り】アムールスカヤ通り(ロシア語表記:Аьурская。「アムール」のロシア語訳および州名)
  • 【旧豊原大通り】《(旧豊原市時代の東西南北起点である)サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)交差点より北方向約4km(東方向より「リェースナヤ通り(ロシア語表記:Лесная。「森道」のロシア語訳)」がT字路接続するポイント)まで》レーニナ通り(もしくは「リェーニナ通り」。ロシア語表記:Ленина。旧ソ連国父ウラジミール・イリイッチ・レーニン」顕彰)、《(旧豊原市時代の東西南北起点である)サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)交差点より北方向約4km以北(前述「リェースナヤ通り」T字路接続ポイント)3km先まで》ドゥルーブジュィ通り(ロシア語表記:Дружбы。「友情」のロシア語訳)、《(旧豊原市時代の東西南北起点である)サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)交差点より北方向約7km以北》サヴィェーツカヤ通り(ロシア語表記:Советская。「ソビエト」のロシア語訳。前々身自治体「旧ウラジミロフカ村」旧市街(旧豊原市時代の起点より北方向約9km)メインストリートにもあたる)
  • 【旧西1条通り】クリューカヴァ通り(ロシア語表記:Крюкова。「サハリン州執行委員会委員長」「ハバロフスク地方執行委員会副委員」を歴任した「ドゥミトゥリー・ニカラーエヴィッチ・クリューカフ」顕彰)、グラージュダンスキー通り(ロシア語表記:Гражданский。「市民」のロシア語訳)、ミターラ・テリーヤ通り(ロシア語表記:Металла Теллия。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中)、《L字(の左右反転イメージ)道路 南北道路部分》ミヂツイーンスカヤ通り(ロシア語表記:Медицинская。「医学」のロシア語訳)
    • 「クリューカヴァ通り」命名は、「ユジノサハリンスク開基100周年」「ソ連建国60周年」「(反革命勢力)白軍からの極東地域解放60周年」を祝し、1982年10月18日に実施(それ以前の名称は「タルゴーヴァヤ通り(ロシア語表記:Торговая。「取引」のロシア語訳)」)[5]
  • 【旧西2条通り】ヴァクザーリナヤ通り(ロシア語表記:Вокзальная。「ターミナル駅」のロシア語訳)
  • 【旧西3条通り】レチーナイ通り(※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中。)
  • 【旧西4条通り】ジェリェズナダロージュナヤ通り(ロシア語表記:Железнодорожная。「鉄道」のロシア語訳)
  • 【旧西5条通り】ユージュナ・サハリーンスカヤ通り(ロシア語表記:Южно - Сахалинская。「南樺太」のロシア語訳および市名)
  • 【旧西6条通り】センチャーブリスカヤ通り(ロシア語表記:Сентябрьская。「9月」のロシア語訳)
  • 【旧西7条通り】ザーガラドゥナヤ通り(ロシア語表記:Загородная。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中)
  • 【旧西8条通り】スチェープナヤ通り(ロシア語表記:Степная。「草原」のロシア語訳)
  • 【旧西9条通り】カローデズナヤ通り(ロシア語表記:Колодезная。「良い」のロシア語訳)
  • 【旧西10条通り】インヴァールスカヤ通り(ロシア語表記:Январская。「1月」のロシア語訳)
  • 【旧西11条通り】モールスカヤ通り(ロシア語表記:Морская。「海」のロシア語訳)
  • 【旧西12条通り】リャザーンスカヤ通り(ロシア語表記:Рязанская。「リャザン」のロシア語訳および州名)、ダスタイェーフスカヴァ通り(ロシア語表記:Достоевского。作家「フョードル・ドストエフスキー」顕彰)
  • 【旧西13条通り】ポーチタヴァヤ通り(ロシア語表記:Почтовая。「郵便」のロシア語訳)
  • 【旧西14条通り】リニェーイヌィー通り(ロシア語表記:Линейный。「線形」のロシア語訳)
  • 【旧北12丁目通り】ビェリェゾーヴァヤ・ローシシャ通り(ロシア語表記:Березовая роща。「ロシアの樺の木」のロシア語訳)
  • 【旧北11丁目通り】ヴィェールフニー通り(ロシア語表記:Верхний。「上」のロシア語訳)、ストゥライチェーリナヤ通り(ロシア語表記:Строительная。「工事」のロシア語訳)
  • 【旧北10丁目通り】廃道もしくは命名されず。
  • 【旧北9丁目通り】ピアニェールスカヤ通り(ロシア語表記:Пионерская。「ソ連・共産圏少年団『ピオネール』」のロシア語訳)
  • 【旧北8丁目通り】廃道もしくは命名されず。
  • 【旧北7丁目通り】チェーリマナ通り(ロシア語表記:Тельмана。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中。)
  • 【旧北6丁目通り】廃道もしくは命名されず。
  • 【旧北5丁目通り】ゴールナヤ通り(ロシア語表記:Горная。「山」のロシア語訳)
  • 【旧北4丁目通り】ブマージュナヤ通り(ロシア語表記:Бумажная。「紙」のロシア語訳)
  • 【旧北3丁目通り】ファブリーシュナヤ通り(ロシア語表記:Фабричная。「工場」のロシア語訳)
  • 【旧北2丁目通り】トゥヴェールスカヤ通り(ロシア語表記:Тверская。「トヴェリ」のロシア語訳および州名・同州都名(首都「モスクワ市」目抜き通りも同一名称))、サドーヴィー通り(ロシア語表記:Садовый。「公園」のロシア語訳)
  • 【旧北1丁目通り】ブリャーンスカヤ通り(ロシア語表記:Брянская。「ブリャンスク」のロシア語訳および州名・同州都名)、アリェクサーンドゥラ・マトゥローサヴァ通り(ロシア語表記:Александра Матросова。旧ソビエト連邦英雄(「旧ソビエト陸軍シベリア志願旅団第2ライフル大隊」所属)「アレクサンドル・マトヴェビッチ・マトロソフ」顕彰)、シェーヴェルナヤ通り(ロシア語表記:Северная。「北」のロシア語訳)、ヴィシュニェーブィー通り(ロシア語表記:Вишневый переурок。「桜の小道」のロシア語訳)、サドーヴァヤ通り(ロシア語表記:Садовая。「庭園」のロシア語訳)、ヂェーツカヤ通り(ロシア語表記:Детская。「子供」のロシア語訳)
  • 【旧真岡通り】サハリーンスカヤ通り(ロシア語表記:Сахалинская。「樺太」のロシア語訳および州名)
  • 【旧南1丁目通り】カルパーツカヤ通り(ロシア語表記Карпатская。「カルパティア山脈」のロシア語訳)、ニェビェリースカヤ通り(ロシア語表記:Невельская。帝政ロシア時代の航海者・探検家「ゲンナジー・ネヴェリスコイ」顕彰)、アッリェヤー・サークルィ・イーミャ・ミヤニシ・ユタカ通り(ロシア語表記:Аллея сакуры им Мияниси Ютака。「宮西豊(ユジノサハリンスク名誉市民、同市内日本料理店「ふる里」経営者、作曲家)の桜並木」のロシア語訳(解説HP))
  • 【旧南2丁目通り】ラボーチャヤ通り(ロシア語表記:Рабочая。「労働」のロシア語訳)クリーリスカヤ通り(ロシア語表記:Курильская。「千島列島」のロシア語訳)
  • 【旧南3丁目通り】キーエフスカヤ通り(ロシア語表記:Киевская。旧ソ連構成国のひとつ旧ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)首都「旧キエフ(現キーウ)」のロシア語訳および市名)、ハバローフスカヤ通り(ロシア語表記:Хабаровская。「ハバロフスク」のロシア語訳および「ハバロフスク地方」中心都市名)
    • 「キーエフスカヤ通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年5月に実施(それ以前の名称は「ラボーチャヤ通り(ロシア語表記:Рабочая。「働く」のロシア語訳)」)[3]
  • 【旧南4丁目通り】シビールスカヤ通り(ロシア語表記:Сибирская。「シベリア」のロシア語訳)、クルーブナヤ通り(ロシア語表記:Клубная。※ ロシア語訳(もしくは顕彰対象)、調査中。)、ビブリオーチェシュヌィ通り(ロシア語表記:Библиотечный。「図書館」のロシア語訳)
    • 「シビールスカヤ」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年5月に実施(それ以前の名称は「クルーブナイ通り(ロシア語表記:Клубной。「クラブ」のロシア語訳)」)[3]
  • 【旧神社通り】クズニェーシュナヤ大通り(ロシア語表記:Кузнечная。「鍛冶屋」のロシア語訳)、カムニスチーチェスキー大通り(ロシア語表記:Коммунистический。「共産主義者」のロシア語訳)
    • 「クズニェーシュナヤ大通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年5月に実施[3]
    • 「カムニスチーチェスキー大通り」命名は、1956年ソ連共産党第20回大会で行われたスターリン批判以降に国内全域で行われたスターリン顕彰を刷新する一環として、1961年11月に実施(それ以前の名称は「スターリングラートゥスカヤ - イーミェニ・カールラ・マールクサ通り(ロシア語表記:Сталинградская - имени Карла Маркса。スターリン顕彰都市「旧スターリングラード市(現ボルゴグラード市)資本論著者である思想家カール・マルクスを紐付けし箔付けした造語「カール・マルクス記念スターリングラード」のロシア語訳)」)[6]
  • 【旧南6丁目通り】チリグラーフュナヤ通り(ロシア語表記:Телеграфная。「電信」のロシア語訳)、カールラ・マールクサ通り(ロシア語表記:Карла Маркса。「カール・マルクス」顕彰)、スパルチーヴヌィ通り(ロシア語表記:Спортивный。「スポーツ」のロシア語訳)
    • 「チリグラーフュナヤ通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年5月に実施[3]
  • 【旧南7丁目通り】トームスカヤ通り(ロシア語表記:Томская。「トムスク」のロシア語訳および州都名)、アントーナ・ブユークルィ通り(ロシア語表記:Антона Буюклы。樺太の戦い (1945年)旧古屯要塞(現ハラミトクスキー要塞)戦死者のひとり「アントン・ブユクリ軍曹(第165ライフル連隊第2大隊所属。ソ連邦英雄)」顕彰)
    • 「トームスカヤ通り」命名は、ユジノサハリンスク市執行委員会により1957年5月に実施[3]
    • 「アントーナ・ブユークルィ通り」命名は、対ドイツ戦勝20周年を記念し、1965年5月に実施(それ以前の名称は「ルィーブーナヤ通り」。ロシア語表記:Рыбная。「魚」のロシア語訳)[4]
  • 【旧南8丁目通り】アサヒーカヴァ通り(ロシア語表記:Асахикава。「旭川」のロシア語訳および市名)、チッハキェアーンスカヤ通り(ロシア語表記:Тихоокеанская。「太平洋」のロシア語訳)
  • 【旧南9丁目通り】イーミェニ・カスマナーフタ・パパーヴィシャ通り(ロシア語表記:имени Космонавта Поповича。ウクライナ系ソ連人初の宇宙飛行士パーヴェル・ポポーヴィチ」顕彰)
    • 「イーミェニ・カスマナーフタ・パパーヴィシャ通り」命名は、1965年6月6日付でパーヴェル・ポポーヴィチをユジノサハリンスク名誉市民に認定した記念に実施(それ以前の名称は「ザヴォートゥスカヤ通り」。ロシア語表記:Заводскую。「工場」のロシア語訳)[4]
  • 【旧南10丁目通り】パビェードゥイ大通り(ロシア語表記:Победы。「幾多の勝利」のロシア語訳)
    • 「パビェードゥイ大通り」命名は、対ドイツ戦勝20周年を記念し、1965年5月に実施(それ以前の名称は「ユージュナヤ通り」。ロシア語表記:Южная。「南」のロシア語訳)[4]
  • 【旧南11丁目通り】サルネーシュヌィー通り(ロシア語表記:Солнечный。「太陽」のロシア語訳)
  • 【旧南12丁目通り】パグラニーシュナヤ通り(ロシア語表記:Пограничная。「国境」のロシア語訳)
  • 【旧南13丁目通り】エミェリヤーナヴァ通り(ロシア語表記:улица Эмельянова。1948年~1953年にサハリン地域執行委員会委員長を務めた「アレクサーンドル・オーシパヴィシュ・エミェリヤーナフ」顕彰)
    • 「エミェリヤーナヴァ通り」命名は、「ユジノサハリンスク開基100周年」「ソ連建国60周年」「(反革命勢力)白軍からの極東地域解放60周年」を祝し、1982年10月18日に実施(それ以前の名称は「ビリョーザヴァヤ通り(ロシア語表記:Березовая。「白樺」のロシア語訳)」)[5]
  • 【旧南14丁目通り】グヴァルヂェーイスカヤ通り(ロシア語表記:Гвардейская。「警備員」のロシア語訳)
    • 「グヴァルヂェーイスカヤ通り」命名は、1954年1月~1956年10月の期間内に実施[3]
  • 【旧南16丁目通り】廃道もしくは命名されず。
  • 【旧南17丁目通り】エシェーニナ通り(ロシア語表記:Есенина。作家「セルゲイ・エセーニン」顕彰)
  • 【旧南18丁目通り】廃道もしくは命名されず。
  • 【旧南19丁目通り】ヴァリニーシュナヤ通り(ロシア語表記:Больничная。「病気休暇」のロシア語訳)
  • 【旧南20丁目通り】ミターラ・リーチヤ通り(ロシア語表記:Металла Лития。「リチウム金属」のロシア語訳)、アヴィアツィオーンナヤ通り(ロシア語表記:Авиационная。「航空」のロシア語訳)
  • 【旧南21丁目通り】インジーニルナヤ通り(ロシア語表記:Инженерная。「技術工学」のロシア語訳)
  • 【旧南22丁目通り】《L字(の左右反転イメージ)道路 南端東西道路部分》ミヂツイーンスカヤ通り(ロシア語表記:Медицинская。「医学」のロシア語訳)
  • 【旧南23丁目通り】イゴーリャ・ファルフヂーンナヴァ通り(ロシア語表記:Игоря Фархутдинова。元サハリン州知事(任期中である2003年平成15年8月20日、飛行機墜落により殉職)および元ユジノサハリンスク市長(任期:1991年平成3年)~1995年平成7年))イゴール・ファルクティノフ」顕彰・追悼)、ジームィ通り(ロシア語表記:Зимы。「冬」のロシア語訳)

気候

亜寒帯湿潤気候湿潤大陸性気候)(Dfb)。夏は日最高平均20.3℃で大陸のハバロフスクイルクーツクより涼しく、が多発する。年間降水量は大陸内部より多く、冬(12月~2月)は日最高平均-4.8℃、日最低平均-15.7℃と厳寒。

ユジノサハリンスク (1991-2020)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 4.3
(39.7)
7.1
(44.8)
13.0
(55.4)
22.9
(73.2)
29.6
(85.3)
30.8
(87.4)
34.4
(93.9)
34.7
(94.5)
29.0
(84.2)
23.5
(74.3)
18.1
(64.6)
8.4
(47.1)
34.7
(94.5)
平均最高気温 °C°F −6.0
(21.2)
−4.8
(23.4)
0.2
(32.4)
6.9
(44.4)
13.8
(56.8)
17.7
(63.9)
21.0
(69.8)
22.3
(72.1)
19.4
(66.9)
12.5
(54.5)
3.5
(38.3)
−3.5
(25.7)
8.6
(47.5)
日平均気温 °C°F −11.5
(11.3)
−11.2
(11.8)
−5.2
(22.6)
1.7
(35.1)
7.5
(45.5)
11.9
(53.4)
15.9
(60.6)
17.3
(63.1)
13.5
(56.3)
6.7
(44.1)
−1.2
(29.8)
−8.5
(16.7)
3.1
(37.6)
平均最低気温 °C°F −16.6
(2.1)
−17.2
(1)
−10.4
(13.3)
−2.6
(27.3)
2.7
(36.9)
7.7
(45.9)
12.3
(54.1)
13.5
(56.3)
8.7
(47.7)
1.8
(35.2)
−5.2
(22.6)
−13.2
(8.2)
−1.5
(29.3)
最低気温記録 °C°F −36.2
(−33.2)
−34.8
(−30.6)
−30.5
(−22.9)
−25.2
(−13.4)
−6.2
(20.8)
−2.1
(28.2)
1.3
(34.3)
3.6
(38.5)
−4.2
(24.4)
−11.8
(10.8)
−25.7
(−14.3)
−33.5
(−28.3)
−36.2
(−33.2)
降水量 mm (inch) 56
(2.2)
38
(1.5)
52
(2.05)
57
(2.24)
66
(2.6)
64
(2.52)
92
(3.62)
107
(4.21)
102
(4.02)
102
(4.02)
75
(2.95)
71
(2.8)
882
(34.73)
平均降雨日数 0.3 0.4 2 10 17 17 20 19 19 19 9 2 134.7
平均降雪日数 25 24 24 13 3 0.1 0 0 0 4 20 27 140.1
湿度 83 81 78 76 77 83 86 87 83 80 81 83 81.5
平均月間日照時間 129 153 181 191 197 198 165 149 187 160 116 102 1,928
出典1:Погода и климат[8]
出典2:NOAA (sun only, 1961-1990)[9]

人口

人口の内、最大を占めるのはスラブ系(「ウクライナ系」も含む)ロシア人(米国石油メジャー企業などの膨大な外資も投入され続けているサハリン北部エネルギー開発により、ロシア国内では比較的好景気なサハリン州移住を望んだ者も含む)。その他、下記の通り。

  • 残留日本人(ソ連実効支配後、無国籍)およびソ連国籍に帰化した日本系ロシア人 - 約100人程とされている。
  • 在樺コリアン - 約4万人(市民の約5人に1人の割合)。
    • 朝鮮系旧日本人(戦後、日本政府により日本国籍失効。朝鮮半島で予見されていた新国家の国籍取得(および同国家への帰国)を望むも、朝鮮戦争勃発および個人独裁を嫌い「韓国」「北朝鮮」のいずれにも帰国を望まず(更に当時のソ連政府は韓国との国交が存在せず)、無国籍のまま、或いはソ連国籍に帰化した(戦後以降での)朝鮮系ロシア人 - 約2万人。
    • 高麗系ソ連人(高麗人)(もともと沿海州等のソ連極東地区に居住していた朝鮮系ソ連人のほぼ全てが、スターリンにより1930年代中期に中央アジア乾燥地帯へ強制移住させられ、その後、強制移住が緩められるも日ソ中立条約破棄による旧南樺太武力侵攻・実効支配により得た旧南樺太に多数居住していた前述「朝鮮系旧日本人」統治を円滑化する為(貴重な人的資源をこれからも有効活用する為)に(高麗系ソ連人にとっては父祖の地ではない別天地である)南樺太への移住を(幹部クラスでの職業斡旋など、現地での高待遇条件を提示の上)推進。ソ連政府による苛烈な同化政策で既にハングル語を話せなくなっていた者や「指導的立場の責」を「エリート意識」として曲解した者も多かった為、ソ連政府の意図通りには進まず、むしろ前述「朝鮮系旧日本人」との関係は長年悪化していた) - 約2万人。
    • 北朝鮮出稼ぎ労働者(プーチン政権下で急速に進んでいた公共インフラ整備建築を担わせる為に一時的に居住)
  • これらの他、前述「高麗系ソ連人(ソ連国内沿海州→ソ連国内中央アジア→南樺太)」が中央アジアに居住中の間に現地での婚姻により縁戚関係が結ばれた中央アジア系の移住者などが挙げられる。
人口
1885189519201925[10]1935[11]1959[12]1962[13]
5713014 17615 28028 45985 51086 000
1967[13]1970[14]1973[13]1975[15]1976[16]1979[17]1982[18]
92 000105 840120 000130 000130 000139 861150 000
1985[19]1986[16]1987[20]1989[21]1990[22]1991[16]1992[16]
147 000152 000166 000159 299178 000164 000165 000
1993[16]1994[16]1995[19]1996[19]1997[23]1998[19]1999[24]
165 000162 000177 000178 000181 000177 000179 900
2000[25]2001[19]2002[26]2003[13]2004[27]2005[28]2006[29]
179 200176 200175 085175 100174 200173 600173 400
2007[30]2008[31]2009[32]2010[33]2011[34]2012[35]2013[36]
173 200173 800174 722181 728181 651186 267190 227
2014[37]2015[38]2016[39]
192 734192 780193 669

歴史

旧ソ連陸軍「南サハリン軍集団攻撃作戦」侵攻図
ファイル:Катастрофа Ил-14 Южно-Сахалинск 1976 год.jpeg
ユジノサハリンスク近郊でのIl-14墜落現場(1976年12月下旬撮影)

墜落現場画像

官公署・公的機関

レーニン広場(レーニナ通りが接する東縁方向)奥にそびえるユジノサハリンスク市役所庁舎
ロシア陸軍軍事裁判所

市政機関

  • ユジノサハリンスク市役所

州政府

  • サハリン州庁舎
  • サハリン州所有コンベンション施設兼日露貿易関連施設「サフィンツェントル」
  • サハリン州所有ビジネスビル「サフィンツェントル別館」(旧豊原市役所(二代目)) - 旧ソ連治世下後の一時期、ソ連軍徴兵局として接収・再利用していた。2021年1月、建物の今後について市民や有識者からの意見を集め、解体案も出ていたが、同月29日の有識者会議において、(周辺を公園化整備の上で)今後も歴史的建造物として残していく事が決定している[48]。建物外見について長い間、薄いピンクと濃いピンクを用いたやや派手な塗装が施されていたが[49]、2017年10月16日頃より、かつての豊原市役所(二代目)外見に近い茶色塗装に塗り替えられている[50]グーグル・ストリートビュー画像(薄いピンク・濃いピンク塗装時)

国家機関

警察機関
刑務所、拘置所
  • ウチリェージュヂェニイェ・ユージュナ・サハリーンスカイ・ヴァイェーンナ・トゥルードヴァイ・コーラニイ・ゲーペー(ロシア語表記:Учреждение Южно-сахалинской Военно-трудовой Колонии ГП。「ユジノサハリンスク市立軍事労働隔離施設 GP」のロシア語訳) - 中心部より南南西方向へ約4km(「パグラニーシュナヤ通り(旧南12丁目通り)」「ジェリェズナダロージュナヤ通り(旧西4条通り)」交差角地(南西区画)に立地。グーグル・ストリートビュー画像
    • ウフシーン・ラッシー・パ・サハリーンスカイ・オーブラスチ(ロシア語表記:УФСИН России по Сахалинской области。「ロシア連邦刑事局サハリン地域担当」のロシア語訳) - ジェリェズナダロージュナヤ通り(旧西4条通り)を間に挟んだ東方向向かいに立地する政府機関。グーグル・ストリートビュー画像
研究機関
裁判所
この他、旧樺太庁豊原中学校跡地にロシア将校会館が立地していたが、現在、同地にはマオーウ・ノーシュ(公立小中一環校)第7校が立地しており、移転有無(他、市内移転先)は不明(調査中)。

施設

ユジノサハリンスク・ロシア陸軍第441軍病院(旧樺太庁豊原医院)
ユジノサハリンスク郵便局(旧逓信省豊原郵便局)

医療

日本国外務省が発表した『世界の医療事情「ロシア(ユジノサハリンスク)」』にて、詳細がネット公開されている。

郵便局

  • ユジノサハリンスク郵便局 - 旧逓信省豊原郵便局建物(アールデコ建築様式(建物の正式名称は「一偉観ビルディング」[54])。現存せず)跡地に別の建物を立地。武力侵攻・接収当初は郵便局機能は持たせず、「ソビエト共産党サハリン地域委員会」および「ソビエト共産党サハリン地域執行委員会」が入居していた[55]

図書館

孤児院および孤児支援機関

対外関係

姉妹都市・提携都市

日本との関係

日本製品など

ユジノサハリンスク市内のホテルでは、CNNの他にNHK衛星放送を見ることが出来る。市内には、日本食レストランが数軒あり、日本から「輸入」した食材で食事ができる。市内にはみちのく銀行の支店があったが、2007年12月29日限りで営業を終了した。

日本統治時代の建築および日本統治時代からの残留日本人もわずかながら残っている。2003年には日本建築学会から、「ユジノサハリンスクにおける日本期歴史建造物調査」が発表された[57]。日本時代の建造物の状況について、まとめられている。その他、有志による草の根的な考察も随時行われている[58]

在外公館

在ユジノサハリンスク日本国総領事館(2019年5月1日)

電子ビザ

  • 2017年8月8日から、日本国民はユジノサハリンスクからロシア連邦に入国するための電子ビザが取得できるようになった。

有効期限は、入国日から8日間有効で、専用Webサイトから無料で申請でき、不備等が無ければ、原則として申請から4日以内に発行される[59]

経済

第三次産業

商業

レーニナ通り(旧豊原大通り)
露天型自由市場「ルイノク」

買い物スポット解説HP の参照も推奨。

前身自治体である旧豊原市の商業施設については、豊原市#商業施設を、前々身自治体である旧ウラジミロフカ村中心市街地(旧豊原市旧市街地にあたる「旧北豊原地区」)の商業施設については、豊原市#旧市街地(旧ウラジミロフカ村中心市街地。北豊原地区)の商業施設を参照の事。

駅近辺(レーニナ通り(旧豊原大通り)沿い、サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)沿い)
  • サハリンデパート(もしくは「ウニヴェルマーク・サハリーン」。ロシア語表記「Универмаг Сахалин」)ユジノサハリンスク本店 - 前述のレーニナ通りおよび前述のサハリーンスカヤ通りが交差する角地に立地する市内随一の老舗百貨店。地上4階・地下1階があり、総床面積は4,000m2フロア・マップ(公式HP(ロシア語)))。敷地内に専用駐車場も設けているが、土地が不足している都心部という事もあり、約60台程しか駐車出来ない。戦前の旧豊原三越百貨店建物(新古典主義建築。二つの通りに沿ってL字状に建てられている)を利用。市場型経済への急激な移行でロシア経済が混乱していた1990年代前半頃は経営を立て直す必要に迫られ、(旧ソ連時代の都市によく見られた)子供百貨店「タヴァールィ・ドリャー・ヂェチェイー(ТОВАРЫ ДЛЯ ДЕТЕИ、「子供用品」のロシア語訳)」として経営されていた期間もあった。最上階には(古くから日本国内の老舗百貨店にて多く見られる特徴のひとつである)沢山の窓が並んでいる(室内からの眺望性を重視し且つ陽光による陳列商品の色落ち劣化を心配する必要の無い飲食店街が最上階に入居するケースが顕著だった為)が、大衆食堂形式の飲食店は地階に配置されている。前述の交差点角方向沿いの壁面に大型LEDモニタを設置。公式HP(ロシア語)店内紹介動画1店内紹介動画2グーグル・ストリートビュー画像
主なフロア構成は下記の通り。
フロア概要
4F 理髪店、他複数テナント店、店内調光管理室、支配人室
3F 観光ガイド映像TV、最新アパレル店、レース加工品店、針刺し店、宝石店、サロン型家具店、他複数テナント店
2F 書店写真スタジオ手芸品店衣料品店キーロフ産専門毛皮店記念品店および画廊、他複数テナント店
1F 薬局花屋時計修理屋靴屋カメラ店、鉢植え園芸店、小サイズ靴店、リボン店、両替店、他複数テナント店
B1F 食品スーパースタローヴァヤ(ロシア風大衆食堂)同店看板画像、他複数テナント店
郊外南西部(旧大沢地区、ユジノサハリンスク空港(二代目)手前付近)
シティモール(北側)
シティモール(西側)
シティモール3階フードコートフロア
シティモール店内を周回するパーク・トレイン風低速バッテリーカー(児童のみ乗降可)
主なフロア構成は下記の通り。
フロア概要
6F キッチン家具ショールーム
5F サハリン生息クマ博物館(二代目)、ゲームセンター
4F 家具店、複数テナント店
3F フードコート解説HP)、映画館、子供向け屋内遊園器具パーク
2F 複数アパレルショップ
1F 食品スーパー(直営)、複数テナント店
  • 大型玩具店「ブブーリ・グーム」(ロシア語表記「Бублb Гум」) - ミーラ大通り(旧東8条通り)沿いに立地。グーグル・ストリートビュー画像
  • その他、中規模以上の商業施設として、サハリン州大手家電量販店チェーン「DNS」ユジノサハリンスク支店がある。
中心部東部(ミーラ大通り(旧東7条通り)沿い・近辺、およびカムサモーリスカヤ通り(旧東11条通り)沿い・近辺)
複合型商業施設パナラーマ・ホテル
主なフロア構成は下記の通り。
フロア概要
3F 衣料品店、衣服修繕店、ネイルサロン、サハリン州土産物屋アパレル店、美容コンサル店、韓国化粧品専門店、朝鮮料理喫茶、Apple Storeパソコンショップ、男性洋服店、婦人服店、子供服店、タイ式マッサージ店、トイレ(男性用および女性用)
2F 衣料品店、ストッキング専門店、子供洋品店、家具洋品店、紳士服店、婦人服店、家具店空中連絡通路
1F 珈琲店、ネイルサロン、花屋宝石店ワイシャツネクタイ店、電子タバコ専門店、アウトドア店眼鏡屋薬局携帯ショップ靴屋下着店、時計屋香水店、紳士服チェーン店、水着屋、衣料品店、トイレ(男性用)、連絡通路
B1F スーパーマーケット珈琲豆紅茶販売店
  • メガポリスデパート - (ガガーリン記念公園南側縁の中央付近を起点として南へ伸びている)ゴーリカヴァ通り(旧東14条通り)沿いに立地(地上3階)。ユジノサハリンスクで最初にエスカレーターが設置された商業施設。グーグル・ストリートビュー画像
  • 複合型商業施設パナラーマ(ロシア語で「広大な眺望」)・ホテル - ミーラ大通り(旧東7条通り)沿い南方(エミェリヤーナヴァ通り(旧南13丁目通り)との交差角地 北東側区画)に立地。(主にホームセンターである)大型商業施設パナラーマ、映画館パナラーマ、ホテルにより構成。グーグル・ストリートビュー画像
  • スラビヤンスキー・バザール - 旧「慈恵院」跡地の一部(南西側)に立地。駐在外国人や富裕層の需要を狙って起業された輸入食材専門の高級スーパー。物価が日本と然程変わらないユジノサハリンスク市にある食材店でありながら、日本製カップラーメン等が約3~4倍程の価格で売られている。グーグル・ストリートビュー画像
  • その他、中規模以上の商業施設(いずれも中心部に立地)として、マナルフ(前述のメガポリスデパート向かい)、プラザ、トゥリ・セミョルキ、回転寿司屋ニホンミタイ、ゲルメス・ルシがある。
郊外北東部(ミーラ大通り(旧東7条通り)沿い・旧王子製紙豊原工場敷地周辺)

進出している日系企業・団体

  • 北海道ビジネスセンター
  • サハリン日本センター
  • サハリン事務所
  • 三井物産
  • 伊藤忠商事
  • NHKサハリン事務所 - NHKユジノサハリンスク支局だったが、規模縮小・降格。
  • 北海道新聞ユジノサハリンスク支局 - 「ミーラ大通り(旧東7条通り)」「ラジュヂェストゥヴェーンスカヤ通り」「クラスナフローツカヤ通り」「イーミェニ・カスマナーフタ・パパーヴィシャ通り(旧南9丁目通り)」に囲まれた区画(商業施設「ドーム・タルゴーブリ・デパート」立地区画の南側に隣接)に立地するホテル「パシフィックプラザ・サハリーン(ロシア語表記:Пасифик Плаза Сахалин)」に入居[60]グーグル・ストリートビュー画像
    • 先代拠点にあたる樺太支社跡地(現ユジノサハリンスク支局立地区画より北へ2区角)には現在、映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」が立地。
  • 北海道銀行
  • トヨタ自動車販売センター - 2016年4月30日に開店。
  • ロイズコンフェクト

情報・通信

マスメディア

新聞社

新聞
  • ガジェータ カピータル・エクスプリェッス(ロシア語表記「Газета «Капитал Экспресс»」。「首都特急新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ サハリンスキーイェ・ヴェダマスチー(ロシア語表記「Газета «Сахалинские ведомости»」。「サハリン住民発言新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ ティェリェミール(ロシア語表記「Газета «ТелеМир»」。「世界通信新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ ユージュナ・サハリンスク・シヴォードニャ(ロシア語表記「Газета «Южно-Сахалинск сегодня»」。「『今日のユジノ・サハリンスク』紙」のロシア語訳)
  • ガジェータ ルィバク・サハリーナ(ロシア語表記「Газета «Рыбак Сахалина»」。「サハリン漁師新聞」のロシア語訳) - 1983年創刊。漁業関係機関に設立された業界紙。週1回発行。1994年7月時点での発行部数は約2万。
  • ガジェータ グビェルンスキーイェ・ヴェードモスチー(ロシア語表記「Газета «Губернские ведомости»」。「サハリン州公報新聞」のロシア語訳) - 1991年創刊。サハリン州政府が発行。週1回発行。1994年7月時点での発行部数は約1万。
  • ガジェータ ハローシャヤ・ガジェータ・サハリーナ(ロシア語表記「Газета «Хорошая газета Сахалина»」。「サハリン優良新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ フ・カージュドゥイ・ドーム・サハリーナ(ロシア語表記「Газета «В Каждый дом Сахалина»」。「『サハリンの全ての家で』新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ サヴィェートスキー・サハリン(ロシア語表記「Газета «Советский Сахалин»」。「サハリン同盟新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ スヴァボードヌィイ・サハリン(ロシア語表記「Газета «Свободный Сахалин»」。「自由サハリン新聞」のロシア語訳) - 1990年創刊。サハリン州議会とユジノサハリンスク市議会が共同発行。週1回発行。1994年7月時点での発行部数は約1万1千。
  • フリー・サハリン・ニュース - 上記「ガジェータ スヴァボードヌィイ・サハリン」の英字新聞版。1993年創刊。
  • ガジェータ フショー・ドゥリャー・ヴシェーフ(ロシア語表記「Газета «Всё для Всех»」。「『全ては皆の為』新聞」」のロシア語訳)
  • ガジェータ カムサモーリスカヤー・プラヴダ・ナ・サハリーニェ(ロシア語表記「Газета «Комсомольская правда на Сахалине»」。「サハリン共産主義者真実新聞」のロシア語訳)
  • ガジェータ エムカー・ナ・サハリーニェ(ロシア語表記「Газета «МК на Сахалине»」。「サハリンMK新聞」のロシア語訳)
  • セ・コリョ・シンムン(「新高麗新聞」) - 1949年創刊。在樺コリアン向けにサハリン州議会が発行。ハングル語使用。1994年7月時点での発行部数は約3千。
  • オーストラフ・サクロービシチ(「宝島」のロシア語訳) - 1991年創刊。ユジノサハリンスク市開基110周年記念の子供新聞。記事の作成および投稿者は、市内在住の小中学生。
地域ローカル雑誌、タウン情報誌
  • ゴーラトスカイ・インファルマツィオーンヌィー・スプラーヴァチュニク 2ゲーイーエス(ロシア語表記「Городской информационный справочник «2ГИС»」。「都市情報ガイド『2GIS』」のロシア語訳) - 2013年 4月1日創刊。
  • アフトーマビリヌィー・ジュールナル ナ・ウリーツァフ・ガローダ(ロシア語表記「Автомобильный журнал «На улицах города»」。「自動車雑誌『街の街』」のロシア語訳) - 2010年創刊。
  • イェジェミェシャーチュヌィー・ジュールナル アソーバイェ・ムニェーニイェ(ロシア語表記「Ежемесячный журнал «Особое Мнение»」。「月刊誌「特別意見』」のロシア語訳)
  • ジュールナヤ ヂェローヴァイ・ユージュナ・サハリーンスク(ロシア語表記「Журнал «Деловой Южно-Сахалинск»」。「雑誌『商業サハリン』」のロシア語訳) - 2007年創刊。
  • ジュールナヤ サブィーチヤ・サハリーナ(ロシア語表記「Журнал «События Сахалина»」。「雑誌『サハリンの出来事』」のロシア語訳)
  • リェギアナーリナイェ・インファルマツィオーンナイェ・アギェーントストヴァ サハリーン・クリールィ(ロシア語表記「Региональное информационное агентство «Сахалин-Курилы»」。「地域情報機関誌『サハリン・クリル諸島(旧千島列島)』」のロシア語訳)
  • テーイーアー オーストラヴァ(ロシア語表記「ТИА «Острова»」。「TIA 『諸島』」のロシア語訳)
  • ガジェタ アルグメーントゥイ・イ・ファークトゥイ(ロシア語表記「Газета Аргументы и факты」。「新聞の議論と事実」のロシア語訳)。2008年時点における発行部数は約300万部。

放送局

地上波デジタル・テレビ放送

全国ネット局(主に「ロシア1」「チャンネル1」「エヌテーヴェー」)については、ロシア東西にて10種類に区分されている放送用時間帯(国内時差とは別物)の内、「第1地域」に分類され、首都モスクワとの時差は(日本とモスクワとの時差より更に1時間多い)7時間もあるサハリン州ユジノサハリンスク市においては、モスクワと同じタイムテーブルの番組をそのまま放送する訳にはいかず、(一般人には開放していない)国内各遠隔地向け衛星回線や同用途の地上マイクロ通信回線を通じてキー局より一度受信・デジタル録画。その後、各地の配列局が各自担当する放送時間帯に合わせてタイムテーブルを調整し再送放送している。

チャンネル 放送局名 キー局 地上波アナログでも放送 備考 ネット放送
3 カナール1(ロシア語表記「 1TV Россия」) 同一局 「チャンネル1」のロシア語訳。経営母体の筆頭株主は「連邦国家資産管理局」。「ソビエト連邦中央テレビ」を発祥とし、その後「Soviet Television Channel 1」→「Soviet Television Network 1」→「Ostankino Channel 1」→「Public Russian Television」を経て、現局に至る。旧ソ連時代から現ロシア連邦初期に至る長い年月の中で、事実上のフラグシップTV局であった。視聴者参加政治討論番組や健康番組、ニュース番組など。
5 ロシア24(ロシア語表記「Россия 24」) 同一局 全ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社(Всероссийская государственная телевизионная и радиовещательная компания (ВГТРК) )」が運営するニュース専門チャンネル。
10 ロシア1(ロシア語表記「Россия 1」) 同一局 前述の「全ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社」が経営母体。ソ連崩壊前に、エリツィン大統領が末期ソ連政府公共放送「カナール1」に対抗する目的・意図を以つ「当時ソ連構成国で最大であったロシア共和国」版公共放送として改組した。「Program Three」を発祥とし、その後「All-Union Program Two」→「All-Union Television 2」→「All-Union Channel 2」→「RTR」→「RTR1」→「RTRロシア」を経て、現局に至る。ニュース番組や音楽番組、学園コメディドラマなど。 ②(ロシア国内よりネット接続PCのみ視聴可)
12 アーエステーヴェー アリチェルナチーフナエ・サハリーンスカエ・テレビーヂニイェ(ロシア語表記「АСТВ Альтернативное Сахалинское Телевидение」) АСТВ 「ASTV 次世代サハリン・テレビ」のロシア語訳。公式HP
21 ピェールヴィ・ムリチープリェクス・ツィフローヴァガ・テーヴェー DVB T2(ロシア語表記「 Первый мультиплекс цифрового ТВ DVB T2」) 同一局 「第一多重化デジタルテレビ DVB T2」のロシア語訳。
23 チェ(ロシア語表記「Че」) 同一局 「(近くの物を指し示す)それ」のロシア語訳。ドラマ番組が多くを占める。 ①(ロシア国内もしくはウクライナ国内よりネット接続PCのみ視聴可)
27 オーテーヴェー サハリン・イ・クリールィ(ロシア語表記「ОТВ - Сахалин и Курилы」) ОТВ(ロシア語版Wikipedia) 「Oテレビ サハリン・クリル諸島」のロシア語訳。局名の先頭文字である「О」は「地域」のロシア語訳「Областное」頭文字を表す。「公式HP(グーグル翻訳を介した日本語訳表示)YouTube公式チャンネル(現在のところ、ライブストリーミング放送無し) ①YouTubeライブストリーミング放送(「オーテーヴェー サハリン・イ・クリールィ」)ではなく「オーテーヴェー エカテリンブルク(日本との時差;4時間)」。赤い「ライブ」マークをクリック)
30 エヌテーヴェー(ロシア語表記「НТВ (Россия) 同一局 現在の経営母体は「ガスプロム・メディア」。局名の先頭文字である「Н」は「Независимое (独立)」「Новое (新しい)」「Наше (我々の)」 等の意味が込められ、その名の通り、政府に批判的なニュースや報道で人気を博したが、近年ではプーチン政権の圧力に屈し、報道番組は激減。その為、政治要素の薄い娯楽系番組(ロシア映画、刑事ドラマ)や凶悪犯罪分析ドキュメンタリー番組、家庭内問題調停バラエティ番組が放送の大半を占めている。かつては幼児向け教育番組(ロシア版「セサミストリート」)も放送されていた。「Program 4」を発祥とし、その後「Network 4」→「National Channel 4」→「Channel 4 Ostankino」を経て、現局に至る。 ②YouTubeライブストリーミング放送(赤い「ライブ」マークをクリック)
33 エステーエス(ロシア語表記「СТС」) 同一局 「STS」のロシア語訳。ドラマ、子供向けアニメ、料理番組など。 ①(ロシア国内もしくはウクライナ国内よりネット接続PCのみ視聴可)
35 エルイェーエヌTV (レンテーヴェー) /エーハ・サハリーナ(ロシア語表記「РЕН ТВ / Эхо Сахалина」) 「REN TV /サハリンの反響」のロシア語訳。公式HP ①(ロシア国内もしくはウクライナ国内よりネット接続PCのみ視聴可)②(ロシア国内もしくはウクライナ国内よりネット接続PCのみ視聴可)
43 マーチTV(ロシア語表記「Матч ТВ」) 同一局 「試合TV」のロシア語訳。いわゆるスポーツ番組専門チャンネル。公式HPYouTube公式チャンネル ①(ロシア国内よりネット接続PCのみ視聴可)
46 カナール5(ロシア語表記「5 Канал」) 同一局 「チャンネル5」のロシア語訳。推理ドラマ、コメディドラマ、アニメ(「マーシャと熊」)など。YouTube公式チャンネル ①(ロシア国内もしくはウクライナ国内よりネット接続PCのみ視聴可)②YouTubeライブストリーミング放送(赤い「ライブ」マークをクリック)
49 ロシアK(ロシア語表記「Россия К」) 同一局 前述の「全ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社」が経営母体。いわゆる教育TVチャンネル(局名の「К」は「文化」のロシア語訳「Культура」頭文字)。 ①(ロシア国内よりネット接続PCのみ視聴可)
51 フトーライ・ムリチープリェクス・ツィフローヴァガ・テーヴェー DVB T2(ロシア語表記「Второй мультиплекс цифрового ТВ DVB T2 同一局 「第二多重化デジタルテレビ DVB T2」のロシア語訳。
ラジオ放送
1969年に発行されたモスクワ放送QSLカードベリカード)。キリル文字で「RADIO MOSKVA」と表記されている
  • FMラジオ

放送時間帯「第1地域」に準拠した番組タイムテーブル再編成および再送については、「地上波テレビ放送」全国ネット局系列で述べた事情と同じ(「デジタル録画」ではなく「デジタル録音」)。

ユジノサハリンスク・ラジオ放送局(旧日本放送協会豊原放送局)より送信。

下記放送の幾つかは、ライブストリーミング方式にてネット配信もされている。ネット放送HP

周波数
MHz
放送局名 キー局 備考 ネット放送
87,90 アフトー・ラーヂオ(ロシア語表記「Авторадио」) 同一局 「自動ラジオ」のロシア語訳 https://www.avtoradio.ru/
88,30 リェートラFM(ロシア語表記(英語表記混在)「Ретро FM」) 同一局 「懐古FM」のロシア語訳。旧ソ連時代の若者向けラジオ放送局「リェートラ・ラジオ」が発祥。 https://retrofm.ru/online/player.php
88,90 ラーヂオ・リコールト(ロシア語表記「Радио Рекорд」) 同一局 「記録ラジオ」のロシア語訳 https://www.radiorecord.ru/
89,90 ルースカイェ・ラーヂオ(ロシア語表記「Русское радио」) 同一局 「ロシア・ラジオ」のロシア語訳 https://rusradio.ru/
101,70 ラーヂオ・シャンソーン(ロシア語表記「Радио Шансон」) 同一局 シャンソン・ラジオ」のロシア語訳 https://radioshanson.ru/
102,50 エヴローパ・プリュース(ロシア語表記「Европа Плюс」) 同一局 「欧州プラス」のロシア語訳 https://europaplus.ru/
102,90 ロックFM(ロシア語表記(英語表記混在)「Rock FM」) 同一局 「ロックFM」のロシア語訳 https://www.rockfm.ru/
103,50 ラーヂオ・マヤーク(ロシア語表記「Радио Маяк」) 同一局 灯台ラジオ」のロシア語訳 https://top-radio.ru/web/mayak
104,40 シティ・サハリン(もしくは「シーチ・サハリーン」(ロシア語表記「Сити Сахалин」)) ラヴ・ラーヂオ(ロシア語表記「Love Radio」。「愛情ラジオ」のロシア語訳 かつての旧王子製紙豊原工場敷地の一角に立地。公式HP(ロシア語) http://www.loveradio.ru/player.htm?region=26711#
105,10 グプラン・ラーヂオ・ダーチャ(ロシア語表記「план Радио Дача」) 同一局 別荘(ダーチャ)計画ラジオ」のロシア語訳。公式HP http://www.radiodacha.ru/player.htm
105,50 ラーヂオ・アーエステーヴェー(ロシア語表記「Радио АСТВ」) 前述の「ASTV 次世代サハリン・テレビ」FMラジオ放送部門 https://radio.astv.ru/#horoscope
106,00 ラーヂオ・ロッシイー(ロシア語表記「Радио России」) 同一局 「ロシア・ラジオ」のロシア語訳 https://www.radiorus.ru/
106,50 ダロージュナイェ・ラーヂオ(ロシア語表記「Дорожное радио」) 同一局 道路ラジオ」のロシア語訳 https://dorognoe.ru/
107,20 ヴェスティーFM(ロシア語表記(英語表記混在)「Вести FM」) 同一局 「ニュースFM」のロシア語訳。前述の「全ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社」が経営母体。 https://top-radio.ru/web/vesti-fm
  • AMラジオ

夜間には、稚内ラジオ中継局からの中波放送(NHKラジオ第1放送NHKラジオ第2放送STVラジオHBCラジオ)が鮮明に受信出来る。

周波数
kHz
放送局名 呼出符号 空中線
電力
放送対象地域 (日本国内における)放送区域
内世帯数
開局日 ネット放送
927 NHK
旭川第1
なし 1 kW 道北圏(上川留萌
宗谷・北空知
約2万6500世帯 1947年
3月21日
http://radiko.jp/#!/live/JOIK
1197 STV
ラジオ
北海道 1986年
11月6日
http://radiko.jp/#!/live/STV
1368 HBC
北海道放送
JOTS http://radiko.jp/#!/live/HBC
1467 NHK
旭川第2
なし 全国 1953年
3月29日
http://radiko.jp/#!/live/JOAB
この他、かつて米ソ冷戦時代の対日政治宣伝を主要目的として開局された「旧モスクワ日本語放送(後に「ロシアの声」に改称)」サハリン局(720 kHz (500 kW) )がユジノサハリンスク市(送信施設:北緯46度50分00秒 東経142度54分00秒 / 北緯46.83333度 東経142.90000度 / 46.83333; 142.90000)に存在し、毎日夜間6時間以上におよぶ長時間放送を行なっていたが、2013年12月31日を以って閉局している。

教育

1950年昭和25年)に開校した市内公立小中学校 第2校
市内公立小中学校 第1校附属図書室

大学

専門学校

高等学校

その他

  • 児童館子供と青年の創作活動の家(その他の呼称として「子供の宮殿」「チルドレンズ・クリエイティビティ・パレス」等) - 後述のチェーホフ・センター一角に立地する児童向け課外活動教育施設。旧ソ連時代、全土に置かれたピオネール宮殿のユジノサハリンスク支部建物を(一時期は映画館施設「プリミエル」に転用の後)再び児童館施設として復帰。運動施設(コマンドサンボ柔道器械体操)や文化教育施設(絵画彫刻チェス裁縫ダンス)、その他、児童劇団公演ステージ等。夏季にはサマーキャンプも企画・開催される。
  • マオーウ・ノーシュ(公立小中一貫校。ロシア語表記:МАОУ НОШ)
    • 第7校 - 旧樺太庁豊原中学校跡地(一時はロシア将校会館が立地)に立地。公式HP(ロシア語)
    • 第2校
    • 第1校
  • ジェツカヤ・フドジェストヴェンナヤ・シュコーラ(ロシア語表記:Детская художественная школа。「児童美術学校」のロシア語訳) - 旧樺太公立豊原第一国民学校跡地(ロシア政府機関「フェデラーナリエ・ブチー(ロシア語表記:Федеральное БТИ。「連邦BTI」のロシア語訳)」やフルシチョフカ様式アパート数棟が立地)の南方向隣接区画に立地。

交通

空路

空港

ユジノサハリンスク空港(二代目)
ユジノサハリンスク空港(二代目)ターミナルビル・ロビー(2016年6月29日)
ユジノサハリンスク空港(二代目)ターミナルビル・ロビー売店付近(2016年6月29日)
ユジノサハリンスク上空を飛行中のシベリア航空 エアバスA320-214機内からの眺め
ロシア国内

直行便はモスクワブラゴヴェシチェンスクハバロフスクウラジオストク。本空港を経由地としているのは、国後島メンデレーエフ空港)、択捉島ヤースヌイ空港)、オハシャフチョルスクノグリキ

日本

日本の間では、オーロラ(旧サハリン航空)により新千歳空港成田国際空港の間に定期便がある。かつては函館空港との定期便も存在した。

その他

ソウルハルビン(運休中)、プーケットプーケット国際空港)。

鉄道

現在のユジノサハリンスク駅((二代目を大改装した)三代目)
ユジノサハリンスク駅(三代目)内部(2016年6月25日)
ユジノサハリンスク駅(三代目)ホーム(2016年6月22日)
ユジノサハリンスク駅(三代目)改札および各ホームを繋ぐ地下トンネル通路の出入り口階段付近(2016年6月22日)
ユジノサハリンスク駅(三代目)改札および各ホームを繋ぐ地下トンネル通路内部(2016年6月22日)
ユジノサハリンスク駅(二代目)

ユジノサハリンスク駅の入り口玄関は東口のみ。

2020年8月、日本統治時代より敷設・運用され続けていた狭軌線路(幅:1067mm)の廃止・撤去およびロシア本土に合わせた広軌線路(幅:1520mm)の換装敷設・運用が開始。 それに伴い、運行鉄道車両も最新化された[62]

2000年代前半頃迄には、国営療養施設「シネゴルスク・サナトリウム(旧川上温泉。現在の名称は「シネゴールスキエ・ミネラーリヌィエ・ヴォードゥイ」)」行き専用列車「マトーリサ号」が運行していた。

チョールタフ・モースト(旧宝台ループ線)(2012年)

1994年に発生したチョールタフ・モースト(旧宝台ループ線。ロシア語表記:Чёртов мост。「魔の橋」のロシア語訳)トンネル内崩落の復旧が見送られた為、サハリン州第二の都市「ホルムスク(旧真岡)」間の鉄道路線は1995年に廃止されている。

1980年代、カムニスチーチェスキー大通り(旧神社通り)正面突き当りに立地していた旧ユジノサハリンスク駅舎(初代。旧豊原駅舎)より、現在地であるカールラ・マールクサ通り(旧南6丁目通り)正面突き当り(南方向)へ移転。

バス

開業は1946年3月20日。現在はユジノサハリンスク駅東口前のレーニン広場南縁西端にバスセンター施設(解説HP)があり、各路線別に料金は一律化されている。循環線はバス車体ではなくマイクロバス車体(マルシュルートカ)で運行[63][64]

路線バス

主なバス路線
  • 63番:(後述の大型ショッピング・モール「シティモール」経由)「ユジノサハリンスク空港(二代目)」行。
  • 7番、19番、20番、45番:市内循環線
    • 「ガガーリン公園(旧御大典記念豊原市民公園)」経由:7番、19番、20番。
    • 「ガガーリン公園(旧御大典記念豊原市民公園)」経由および「勝利広場(旧:(旧旭ヶ丘公園(その前は旧豊原競馬場(初代)))」経由:7番。
  • 111番:アニワ市(旧留多加町)行。
  • 112番:ドリンスク(旧落合)行。
  • 115番:コルサコフ(旧大泊)行。

都市間バス

500番台の都市間バスは座席予約が必要。

航路

港湾

南にある近郊都市コルサコフ市(旧大泊)の港湾施設 - 稚内(日本)間との間を行き来する稚泊連絡船ペンギン33HSLによる船体内部紹介HP)が2017年9月21日迄の夏季期間中、サハリン州の船舶会社サスコ社による運行で就航していた(日本側の窓口はHSL北海道サハリン航路株式会社が担当)。 以降の航路再開については現在も調整が続いている。航路利用に限り、8日間までの電子ビザをロシア外務省の特設サイト [1] から請求できる。島西岸のホルムスク港からはロシア本土へのフェリーが運行されている。

2015年迄は、より船体規模も大きく設備も充実していた稚泊連絡船アインス宗谷ハートランドフェリー)が就航(4月から12月までの限定。船内施設解説HP)していた[65]

1989年には、旧ソ連側の運行により、サハリン9号が同航路に就航。

観光

市内地図1」「市内地図2」も併せて参照を推奨。

公園

ミュージアム、演劇場、映画館

主なフロア構成は下記の通り[67]
フロア概要
2F 常設展示ホール(イコン画などのキリスト教美術ロシア美術19世紀後半〜20世紀初頭)、北方少数民族生活用品工芸品韓国美術
1F 大ホール(巡回展示ホール)

スポーツ観戦施設、健康施設

文化・名物

祭事・催事

午後8時を過ぎても「ユジノサハリンスク「まちの日」祭典」で賑わうレーニン広場(旧豊原駅前広場)
勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代)))での対ドイツ戦勝記念日祝賀軍事パレード(2019年5月9日)

名産・特産

前身自治体「豊原市」の名産・特産については、豊原市#名産品を参照の事。

菓子、嗜好品、料理、食料品
スタカンチク
プリモールスキー・カンヂーチェル販売版「鳥のミルク」である「プリモルスキエ」
旧ソ連時代に多く普及したガラスコップ備え付けモルス自動販売機
スニェトーク
雑貨、宝飾品
マトリョーシカ

スポーツ

サッカー

FCサハリン・ユジノサハリンスク試合チケット
  • FCサハリン・ユジノサハリンスク - 1969年創設。ホームスタジアムは(勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代))))屋外サッカー場「スパルタク・スタジアム。1992年(当時、ピーク人口5万1800人を迎えていた)同州都市ホルムスク(旧真岡町)に一度ホーム移転(チーム名称も「FCポルトヴィク・エネルギア・ホルムスク」に改名)していたが、2004年より再びユジノサハリンスク市にホーム復帰。2011年にはロシア全体の3部リーグに当たるロシア・セカンドディビジョンに所属。
  • かつて1993年~1995年(FCサハリンがホーム地をホルムスクに移転していた期間)の間、(ロシア国内の各地に様々なスポーツクラブを保有・運営していた)アヴドモビリスト(もしくは「アフトーマビリスト」。ロシア語表記:Автомобилист)もユジノサハリンスクをホーム地とするサッカー新クラブ「アフトーマビリスト・サハリン」を創設・運営していたが、現在は存在しない(解散したのか、ホーム地をロシア国内の別都市に移転したのか、それとも他クラブに吸収統合されたのか不明(調査中))

アイスホッケー

アジアリーグアイスホッケー「PSKサハリン 対 王子イーグルス」(アイスパレスクリスタル。2016年4月10日)

バレーボール

女子バレーボール
  • PSK「サハリン」 - チーム創設は2012年。前述のアイスホッケークラブおよび後述のバスケットボールチームと経営会社およびホームスタジアムは同一。2016年4月、ロシア2部リーグ「ロシアAリーグ」で優勝を果たし、ロシア1部リーグ「ロシア・バレーボール・スーパーリーグ」に昇格。

バスケットボール

宗教

キリスト教

ロシア正教会
復活主教座聖堂(2011年11月6日)
復活主教座聖堂(2007年1月11日)
キリスト降誕聖堂(2016年9月24日)
前々身自治体である旧ウラジミロフカ村中心部(旧北豊原地区。豊原大通りを北方向に大きく延長した「サヴィェーツカヤ通り((旧豊原市時代の東西南北起点である)サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)交差点より北方向約7km以北。サヴィェーツカヤ通りと鈴谷川(現ススヤ川)の交差近辺))」沿い)に建つ「スモレンスク聖堂」の当時の建物(画像右側))
聖ニコライ聖堂(冬期撮影)
聖ニコライ聖堂(2010年8月7日)
聖ニコライ聖堂付設庭園(2010年8月7日)

1666年以降、ニーコン総主教による奉神礼改革を嫌って主流派より分離した古儀式派ロシア正教会も含む。 グーグルマップ「русская православная церковь Южно-Сахалинск」 の参照も推奨。

  • 復活主教座聖堂(サボール・ヴァスクリェシェーニヤ・フリースタヴァ(Собор Воскресения Христова)) - 2016年に竣工。ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)内(カムサモーリスカヤ通り(旧東11条通り)およびカムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)が交差する南西角。かつて共産党関連施設が集積していたチェーホフセンター向かい)にて建立された。解説HP①解説HP②グーグルストリートビュー画像
  • キリスト降誕聖堂(サポール・ラジュデーストヴァ・フリースタヴァ(Собор Рождества Христова)) - 勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代)))に建設。高さは同国極東地域では最大の約70m。グーグルストリートビュー画像(撮影当時はまだ建設中)
  • サンクトペテルブルク「至福のクセニア」教区教会(プリホート・ブラジェーンナイ・クセーニイ・ピェーチェルブルクスカイ(Приход Блаженной Ксении Петербургской)) - 1988年、約5,000人以上居るロシア正教会聖人に加えられたサンクトペテルブルク出身女性「クセニア・ペトロフスカ」を祀っている。解説HP(上から4番目)グーグルストリートビュー画像
  • 高位聖職者インノケンティウス・モスクワ高名教会(フラーム・ヴォ・イーミャ・スヴァーチチェリャ・インナケーンチヤ・ミトローパリタ・マスコーフスカガ(Храм во имя Святителя Иннокентия митрополита Московского)) - ロシア正教会およびカトリック教会で聖人とされるローマ教皇インノケンティウス1世を祀っている。グーグルストリートビュー画像
  • スモレンスク聖堂(フラム・スモレンスコイ・イコニ・ボジエイ・マテリ(Храм Смоленской иконы Божией Матери)) - 主に生神女イエスの母マリア)を祀っている。(旧豊原市にとって旧市街ともいえる)前々身自治体「旧ウラジミロフカ村」中心市街地(旧北豊原地区。レーニナ通り(旧豊原大通り)の北方向延長上に連なる二つの通り(一番目は「ドゥルーブジュィ通り」)の二番目通り「サヴィェーツカヤ通り(サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)との交差起点(旧豊原市時代の起点)より北に約9km。サヴィェーツカヤ通りとススヤ川(旧鈴谷川)の交差近辺))」沿い)に立地。1890年10月1日の「聖母(生神女)庇護祭の日」に行われた聖別式開催後、(サハリン島南部を訪れていた)作家アントン・チェーホフも聖職者達と共に雑魚寝して一夜を過ごしていている[69][70]グーグルストリートビュー画像(建物も建て替えられた現在の「スモレンスク聖堂」)
    • 全ての宗教が厳格に規制されていた旧ソビエト時代、土葬が一切禁止され、多くの教会施設が火葬場施設として再利用されていた[71]が、同時代中のユジノサハリンスク市に於いてスモレンスク聖堂もその任を背負わされていたかは不明(調査中)。
  • 聖ニコライ聖堂(フラーム・スヴャーチチェリャ・ミコーラヤ(Храм святителя Николая)) - ミーラ大通り(旧東7条通り)およびヴァリニーシュナヤ通り(旧南19丁目通り)交差点沿い(南東区画)に立地。グーグルストリートビュー画像
  • 日本統治時代、ゲオルギー・アレクセーヴィチ・チホミーロフ京都教区主教(当時。20年後である1931年、日本府主教に昇格)および聖職者ニコライ・クジミンが日本政府の協力も得て旧豊原市内に設立を目指していたロシア正教会については、豊原市#キリスト教(ロシア正教会)系を参照の事。
カトリック
ユジノサハリンスク・カトリック教会
プロテスタント
複音の家パブテスト教会(ユジノサハリンスク市)

市内にある教会施設の大半は福音派となっている。

イスラム教

ロシア連邦中央ムスリム宗務局(もしくは「イスラム教徒中央精神統治」や「イスラム教中央組織精神統率庁」とも呼称)シベリアおよび極東ムスリム宗務局(もしくは「極東支部」とも呼称)アフマト・ガリフリン代表による公式発表では、ユジノサハリンスク市内在住者の内、信者数は公称:約4万人とされている。2003年頃より、同市内にモスク設置を求める要望が挙がっており、同市内にあった「元修理工場」廃墟を臨時モスクに使用。一時は「(パナラーマホテル系列の商業施設が林立する)エミェリヤーナヴァ通り(旧南13丁目通り)沿い」や「(医療施設が林立する)ヴァリニーシュナヤ通り(旧南19丁目通り)およびカムサモーリスカヤ通り(旧東11条通り)交差点沿い(グーグル・マップ)に立地する植林公園内」での建築・開所が内定していたが、行政側の対応が遅れ、約12年越し、しかも建物の新築や大掛かりな外面改装は事実上認められない等の制約を受けた上で、(同市内にある国家機関所有不動産の一つを間借りした形で)下記の「メチェーチ・ユージュナサハリーンスク(ユジノサハリンスク・モスク)」が認可され、運営している[72]

開所当初の礼拝者は約100名程だったが、わずか半月程で約500名にまで激増した[73]

市内には現在、二つのイスラム教団体「サハリンイスラム教徒共同体(代表:マクシム・スロフツェフ)」および(「ロシア連邦中央ムスリム宗務局」傘下である)「シベリアおよび極東ムスリム宗務局」下部組織「イスラム教徒組織サハリン(代表:アブドゥリ・ヴァヒト・ヌリスラモフ導師)」が林立している。サハリン州に於いては前者団体の方が歴史が深く、(もう一方の団体「イスラム教徒組織サハリン」の上部組織)「中央ムスリム宗務局」からの干渉・制約を否定。一方、後者も「サハリンイスラム教徒共同体」運営にマドラサ(イスラム教神学校)出身者が居ない事等を指摘し続け、両者の関係は良好とは言えない状態が続いている。

過去に「保護区への移動に関連する手続き」申請目的でサハリン州を訪れたロシア軍将校1名に(2003年2月14日よりロシア国内での活動が非合法とされた)ヒズブ・タフリール構成員の嫌疑が掛かり、逮捕を機にピストルと手榴弾の所持が発覚したとされる(この件について、「サハリンイスラム教徒共同体」は「完全に捏造された事件」と見ており、「イスラム教徒組織サハリン」副代表イルシャート・マニーウラフは「どの様にして、ユジノサハリンスク空港(二代目)での所持品検査から銃と手榴弾を隠す事が出来たのでしょうか?」と疑問めいたコメントを出している)[74]

2014年4月4日、イスラム過激派文献の保管をFSB(ロシア連邦保安庁)に疑われ、E. ヤネンコ裁判官による「犯罪捜査対策:部屋、建物、施設、敷地と交通手段の調査」実施命令に基づき、カムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)49に立地するサハリンイスラム教徒共同体事務所が一斉捜査を受けている。この際、ラップトップPCと幾つかの宗教文学書が押収されている[74][75]

2017年4月26日には、同市内でスンナ派過激組織「イスラム国(IS)」の支持者とおぼしきロシア人および中央アジア出身者の2名をロシア連邦保安庁が拘束。同市内に於ける市民密集地でのテロ計画が発覚し、拘束者居住先にて爆発物などが押収されている[76]

日本統治時代に建てられた宗教施設

1929年(昭和4年)の旧豊原市街地図。幾つかの寺院名・立地場所が確認出来る。
1933年(昭和8年)以降の旧豊原豊原市街地図。「寺」とだけ記載された宗教施設が幾つか確認出来る。

1947年、ソ連科学アカデミーサハリン科学研究基地に所属する複数の研究者により、景徳寺および樺太神社を「日本の宗教の重要な歴史的記念物」として同科学研究基地で保全管理出来る様、サハリン州ソビエト執行委員会に対し移管要請したが取り合えてもらえず、その後、これら二施設は破壊された[77]

2000年代から2010年代半ばにかけて神奈川大学らの研究者が現地調査を実施した[68][78]

神道系
現在の旧官幣大社樺太神社跡地に造られたコンクリート製の宝物殿風建造物
仏教系
  • 景徳寺(文献によっては「景行寺」とも記述) - レーニナ通り(旧豊原大通り)とハバローフスカヤ通り(旧南3丁目通り(ユジノサハリンスク駅(旧豊原駅)線路以東))が交差する角地(北西側区画)のやや奥に立地していた(ちなみに同交差角地の北東側区画にはサハリン州立美術館(旧北海道拓殖銀行豊原支店)が立地)。現在、建物は現存せず、跡地に家具・建築資材店「タルゴーヴィ・ドーム・インチェークス(ロシア語表記:Торговый Дом Интэкс。「住宅売買インテックス」のロシア語訳。数年前迄の商号は旧「ドーム・メーベリ(「家具の家」のロシア語訳)」)」が立地している。グーグル・ストリートビュー
  • 日蓮寺 - パピェードゥイ大通り(旧南10丁目通り)南側にT字に繋がるアムールスカヤ通り(旧東1条通り)沿い(「ギームナジーヤー No.2」(「第二体育館」のロシア語訳。ロシア語表記:Гимназия №2。旧「樺太公立豊原第二国民学校」)南西近隣付近)に立地していた。建物は現存せず跡地にはフルシチョフカ様式アパート群が林立している。グーグル・ストリートビュー
  • 乗願寺 - 上述の「旧日蓮寺」西方向に隣接して(同じくパピェードゥイ大通り(旧南10丁目通り)南側およびアムールスカヤ通り(旧東1条通り)立地していた。1974年頃迄には、地区郵便局建物として利用されていたが、現在、建物は現存せず跡地には美容院「ユージュナヤ(ロシア語表記:Южная。「南」のロシア語訳)」、スーパー「ガストロノム・ユジュニ(ロシア語表記:。「ユジュニー食料品店」のロシア語訳)」、ドラッグストア「アプチェーカ № 24(ロシア語表記:Аптека № 24。「第24薬局」のロシア語訳)」、靴店「ラルフ・リンガー」が立地している。グーグル・ストリートビュー
  • 法恩寺 - ハバローフスカヤ通り(旧南3丁目通り(ユジノサハリンスク駅(旧豊原駅)線路以東))およびクリーリスカヤ通り(旧南2丁目通り(ユジノサハリンスク駅(旧豊原駅)線路以東))南側付近に立地していた。グーグル・ストリートビュー
  • 慈恵院 - 旧南八丁目および「チェーハヴァ通り(旧東3条通り)」「ラジュジェストヴェーンスカヤ通り」「クラースナヤ通り(旧東4条通り)」に囲まれた付近に立地していたが、建物は現存せず。跡地南西部分には後述されている商業施設「スラビヤンスキー・バザール」、同南東部分にはフルシチョフカ様式アパート、同北西部分には生地店「リュビモエ・デロ(ロシア語表記:Любимое дело。「好きな商売」のロシア語訳)」、国際宅配便「クリエル・セルヴィス・エクスプリェース(ロシア語表記:Курьер Сервис Экспресс。「特急宅配便」のロシア語訳)」、「ソガス保険(ロシア語表記:Согаз)」、高級喫茶「チェルナヤ・コーシュカ(ロシア語表記:Черная кошка。「黒猫」のロシア語訳)」、同北東部分にはエステティックサロン「グロッス(ロシア語表記:Глосс)」、日焼けサロン「ソリャリ・リュクス(ロシア語表記:Солярий Люкс)」、喫茶「ブランチ・カフェ」、建築会社「エスカーエフ・スフェーラ(ロシア語表記:СКФ "Сфера"。「SKF球」のロシア語訳)」が立地している。グーグル・ストリートビュー(北西角より中央方向)グーグル・ストリートビュー(北東角より中央方向)グーグル・ストリートビュー(南西角より中央方向)グーグル・ストリートビュー(南東角より中央方向)
  • 弘法寺 - 1974年頃迄には、住居として利用されていた。

本節の冒頭付近にて画像掲載されている「1933年(昭和8年)以降の旧豊原中心部」地図にて、「寺」とのみ記載されている(ちなみに「1929年(昭和4年)の旧豊原市街」地図ではまだ存在していないらしく未記載)下記寺院は、上述した旧弘法寺もしくは別の寺院かは不明。

墓地

(ギリシャ系以外の正教会全般で多く見られる)八端十字架が建つ共同墓地(ユジノサハリンスク市)
  • スターラエ・クラードゥビシシェ(ロシア語表記:Старое Кладбище。「古い墓地」のロシア語訳を冠した「ユジノサハリンスク共同墓地」) - 旧樺太公立豊原第四国民学校跡地(「旧南16丁目通り」および「プーシュキナ通り(旧東2条通り)」交差点角地の南西側区画。路線バスで南へ約40分程)に立地。墓地内には墓参者向けのベンチやテーブルも設置されている。
    • 奥にある日本人墓地は容易に乗り越えられない程の高さがある(黒色塗装金属製の檻の様な)塀で囲っている。
    • グーグルマップで同墓地を検索すると、神社の鳥居画像が併せて表示されるが、その様な建造物は此処には存在していない。
    • 市内在住のイスラム教徒および市内イスラム組織「サハリンイスラム教徒共同体」「イスラム教徒組織サハリン」からは、イスラム法に従って整備された(別敷地での)集団墓地を求める要望が起こっている[72]
かつて存在していた共同墓地
  • 旧豊原市共同墓地および旧豊原市火葬場 - 北端墓所区画の西側が火葬場で、その他の墓所区画は全て共同墓地。
    • 「旧豊原市火葬場」跡地については、(後述の「グーグルマップ空撮画像」撮影以降)サハリン州立病院が建設・開院している[82]
    • 「旧豊原市火葬場」跡地に建つサハリン州立病院敷地の外側周辺に、樺太地上戦で犠牲となった日本人民間人の遺骨が少なくとも約100人埋まっているとされており[83]、約72年の時を経た2017年10月中旬、一般社団法人「全国樺太連盟」および「ピアニェール財団(サハリン州およびロシア石油公団の支援で設立されたロシア兵士(および日本兵・民間人)遺骨調査ボランティア団体。実働メンバーの中核は退役ロシア軍人であり、名称が酷似している旧共産主義少年団との関係・関連は皆無)[84]」により、日本人参加としては初の発掘調査が行われた[85]
    • グーグルマップ空撮画像で跡地(霊園内道路により区切られた多数の墓所区画)の目視が可能(該当部分のグーグルマップ空撮画像)。(ソ連侵攻に備え、終戦日より更に2日越しである1945年(昭和20年)8月17日まで工事を続行させ完成させた)「豊原大澤飛行場」が東方向(沼沢地)に隣接して開港されており、1945年(昭和20年)10月~1964年(昭和39年)の期間は「旧ユジノサハリンスク空港(初代)」として運営されていたが、誘導路の設置工事により豊原市共同墓地の南東付近にある墓所区画の一部が侵食されているのが確認出来る(詳細は有志の方が調査・作成した「旧ユジノサハリンスク空港(初代)」設備解説空撮画像と前述「グーグルマップ空撮画像」を比較参照の事)。その他の跡地の再利用らしき動きは見られない。墓石らしき物体は確認出来ず、埋葬されていた各故人の遺骨について現在も残されているのか等、不明(調査中)。
    • 1933年(昭和8年)の豊原市地図では、「センチャーブリスカヤ通り(旧西6条通り)とザーガラドゥナヤ通り(旧西7条通り)の中間通り」・「プルカーイェヴァ通り(旧南15丁目通り)」・「カローデズナヤ通り(旧西9条通り)」・「エシェーニナ通り(旧南17丁目通り)」に囲まれた敷地に立地の様な記述がされているが、共同墓地敷地の拡大や測量の誤りで実際の立地と若干相違が見られる。
  • 前々身自治体「ウラジミロフカ村」時代の帝政ロシア人墓地 - 「(ユジノサハリンスク郵便局(旧逓信省豊原郵便局)北方向裏側沿いである)ビブリオーチェシュヌィ通り(旧南4丁目通り)」・「旧西1条学校(1930年代の旧豊原市地図では旧西1条通り沿いの教育機関施設を確認出来ず。後身施設(移転先)調査中)付近以南」・「ヴァクザーリナヤ通り(旧西2条通り、旧別名:停車通り)」に囲まれた敷地一帯に立地していたが、ゲオルギー・アレクセーヴィチ・チホミーロフ京都教区主教旅行記にて「計画的に区割りが進められている市街地の一角に、ロシア人が置き残していった墓地が見つかったが、棺は全て掘り返され、遺骨や遺体とともに焼き捨てられた…」と言及されている[86][87]
    • 旧ウラジミロフカ村でのロシア正教会「スモレンスク聖堂」に保管されていた洗礼記録を元に(キリスト教圏全般で厳格に禁忌とされている自殺者を除いた)信者のほぼ全員が土葬(火葬は特に禁忌とされていないが、特に事情でも無い限り、正教会信者は忌避を望んでいた為)[88])されていた。

ユジノサハリンスク市を扱った作品・番組

前身自治体「豊原市」を扱った作品・番組については、豊原市#豊原市を舞台とした作品を参照の事。

ユジノサハリンスク市と所縁のある人物

前身自治体「豊原市」と所縁のある人物については、豊原市#著名な出身者を参照の事。

脚注

  1. ^ 加賀美雅弘『世界地誌シリーズ 9 ロシア』朝倉書店、2017年、149頁。ISBN 978-4-254-16929-4 
  2. ^ 「20年ぶりの樺太 消え去った日本色」『日本経済新聞』昭和40年8月1日.14面
  3. ^ a b c d e f g 「Главы из книги "Южно-Сахалинск: три цвета времени"(『ユジノ・サハリンスク:3色の時間』の章)」内「ЮЖНО-САХАЛИНСК 1945 - 1990(ユジノ・サハリンスク 1945 - 1990)」コーナー(099頁))(SAKH.COM)
  4. ^ a b c d e f g h 「Главы из книги "Южно-Сахалинск: три цвета времени"(『ユジノ・サハリンスク:3色の時間』の章)」内「ЮЖНО-САХАЛИНСК 1945 - 1990(ユジノ・サハリンスク 1945 - 1990)」コーナー(103頁))(SAKH.COM)
  5. ^ a b c d e 「Главы из книги "Южно-Сахалинск: три цвета времени"(『ユジノ・サハリンスク:3色の時間』の章)」内「ЮЖНО-САХАЛИНСК 1945 - 1990(ユジノ・サハリンスク 1945 - 1990)」コーナー(103頁))(SAKH.COM)
  6. ^ 「Главы из книги "Южно-Сахалинск: три цвета времени"(『ユジノ・サハリンスク:3色の時間』の章)」内「ЮЖНО-САХАЛИНСК 1945 - 1990(ユジノ・サハリンスク 1945 - 1990)」コーナー(101頁))(SAKH.COM)
  7. ^ ユジノサハリンスク市アムールスカヤ通から「『M.A.プルカエフ上級大将』のプレート(2017.10.08)」(稚内市サハリン事務所 公式HP)
  8. ^ Weather & Climate” (Russian). November 11, 2021閲覧。
  9. ^ Climate Normals for JUZNO-SAHALINSK”. National Oceanic and Atmospheric Administration. November 11, 2021閲覧。
  10. ^ Администрация губернаторства Карафуто (1926). Результаты переписи 1925 года: Домовладения и численность населения. Тоёхара. pp. 18–27.
  11. ^ Администрация губернаторства Карафуто (1936). Результаты переписи 1935 года: Домовладения и численность населения. Тоёхара. pp. 15–19.
  12. ^ Всесоюзная перепись населения 1959 года. Численность городского населения РСФСР, её территориальных единиц, городских поселений и городских районов по полу”. Демоскоп Weekly. 2013年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月25日閲覧。
  13. ^ a b c d Народная энциклопедия «Мой город». Южно-Сахалинск
  14. ^ Всесоюзная перепись населения 1970 года Численность городского населения РСФСР, её территориальных единиц, городских поселений и городских районов по полу.”. Демоскоп Weekly. 2013年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月25日閲覧。
  15. ^ Российский статистический ежегодник, 1998 год
  16. ^ a b c d e f Российский статистический ежегодник. 1994”. 2016年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月18日閲覧。
  17. ^ Всесоюзная перепись населения 1979 года Численность городского населения РСФСР, её территориальных единиц, городских поселений и городских районов по полу.”. Демоскоп Weekly. 2013年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月25日閲覧。
  18. ^ Народное хозяйство СССР 1922-1982 (Юбилейный статистический ежегодник)
  19. ^ a b c d e Российский статистический ежегодник. Госкомстат, Москва, 2001”. 2015年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月12日閲覧。
  20. ^ Народное хозяйство СССР за 70 лет. Юбилейный статистический ежегодник. Финансы и статистика, Москва, 1987 год”. 2016年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月28日閲覧。
  21. ^ Всесоюзная перепись населения 1989 года. Численность городского населения”. 2011年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月22日閲覧。
  22. ^ Российский статистический ежегодник.2002 : Стат.сб. / Госкомстат России. – М. : Госкомстат России, 2002. – 690 с. – На рус. яз. – ISBN 5-89476-123-9 : 539.00.
  23. ^ Российский статистический ежегодник. 1997 год”. 2016年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月22日閲覧。
  24. ^ Российский статистический ежегодник. 1999 год”. 2016年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月14日閲覧。
  25. ^ Российский статистический ежегодник. 2000 год”. 2016年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月13日閲覧。
  26. ^ Всероссийская перепись населения 2002 года. Том. 1, таблица 4. Численность населения России, федеральных округов, субъектов Российской Федерации, районов, городских поселений, сельских населённых пунктов - райцентров и сельских населённых пунктов с населением 3 тысячи и более”. 2012年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月3日閲覧。
  27. ^ Российский статистический ежегодник. 2004 год”. 2016年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月9日閲覧。
  28. ^ Российский статистический ежегодник, 2005 год”. 2016年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月9日閲覧。
  29. ^ Российский статистический ежегодник, 2006 год”. 2016年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月10日閲覧。
  30. ^ Российский статистический ежегодник, 2007 год”. 2016年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月11日閲覧。
  31. ^ Российский статистический ежегодник, 2008 год”. 2016年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月12日閲覧。
  32. ^ Численность постоянного населения Российской Федерации по городам, посёлкам городского типа и районам на 1 января 2009 года”. 2014年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月2日閲覧。
  33. ^ Всероссийская перепись населения 2010 года. Сахалинская область. Численность населения городских округов, муниципальных районов, городских и сельских поселений, городских населённых пунктов, сельских населённых пунктов”. 2014年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月28日閲覧。
  34. ^ Сахалинская область. Оценка численности постоянного населения на 1 января 2011-2016 годов
  35. ^ Численность населения Российской Федерации по муниципальным образованиям. Таблица 35. Оценка численности постоянного населения на 1 января 2012 года”. 2014年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月31日閲覧。
  36. ^ Численность населения Российской Федерации по муниципальным образованиям на 1 января 2013 года. — М.: Федеральная служба государственной статистики Росстат, 2013. — 528 с. (Табл. 33. Численность населения городских округов, муниципальных районов, городских и сельских поселений, городских населённых пунктов, сельских населённых пунктов)”. 2013年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月16日閲覧。
  37. ^ Таблица 33. Численность населения Российской Федерации по муниципальным образованиям на 1 января 2014 года”. 2014年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月2日閲覧。
  38. ^ Численность населения Российской Федерации по муниципальным образованиям на 1 января 2015 года”. 2015年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月6日閲覧。
  39. ^ Численность населения Российской Федерации по муниципальным образованиям на 1 января 2016 года
  40. ^ 「Главы из книги "Южно-Сахалинск: три цвета времени"(『ユジノ・サハリンスク:3色の時間』の章)」内「ЮЖНО-САХАЛИНСК 1945 - 1990(ユジノ・サハリンスク 1945 - 1990)」コーナー冒頭頁)(SAKH.COM)
  41. ^ a b 放送史料探訪 放送史料集 豊原放送局 ~「外地」放送史料から(3)~「ソ連軍の進駐と閉局」/メディア研究部 松山秀明(NHK 公式HP)
  42. ^ 樺太のラジオ放送「5.おわりに」(京滋ミーティングのホームページ)
  43. ^ 北海道新聞(朝刊)2022年2月22日掲載連載記事「まちかど」シリーズ『戦禍に散った支局の先輩(ユジノサハリンスク支局 仁科裕章記者)』
  44. ^ 「Главы из книги "Южно-Сахалинск: три цвета времени"(『ユジノ・サハリンスク:3色の時間』の章)」内「ЮЖНО-САХАЛИНСК 1945 - 1990(ユジノ・サハリンスク 1945 - 1990)」コーナー(103頁))(SAKH.COM)
  45. ^ 世界の旅シリーズ 第2巻 「ソ連 東ヨーロッパ」内「ソビエト旅行便利帳」内「*通貨のこと(172頁)」(出版:小学館、発刊:(ISBNコード制定前年である)1965年4月20日
  46. ^ ロシア・ルーブル/円の為替レートの推移(年次)
  47. ^ 前知事一行の事故から一年… (2004年8月24日)”. 稚内市 (2014年8月24日). 2021年3月2日閲覧。
  48. ^ 「旧豊原市庁舎一転保存 ユジノ市周辺公園整備」(2021年1月30日 北海道新聞 どうしん電子版)- Internet ARChive保管版
  49. ^ アムールスカヤ通の窓から「必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第4弾(旧豊原町役場)」(稚内市サハリン事務所 公式HP)
  50. ^ アムールスカヤ通の窓から「嘗ての「豊原市役所」の建物(2017.10.11)」(稚内市サハリン事務所 公式HP)
  51. ^ 住宅地の留置所(サハリン三面記事)
  52. ^ 「Гарнизонный военный госпиталь на Сахалине будет снесен – результат проверки боеготовности ВОВ(サハリンの駐屯軍病院は破壊されます)」(АСТВネットニュース(ロシア語表記))
  53. ^ アムールスカヤの窓から「必見!サハリンの樺太時代の建物探訪 第3弾(旧樺太庁豊原病院)」(稚内市サハリン事務所 公式HP)
  54. ^ 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ「(樺太)文化の中心地豊原市街の一偉観ビルデイング(逓信課)」(京都大学 公式HP)
  55. ^ ユジノサハリンスク豊原の郵便局ビル(ロシア語表記)
  56. ^ ДЕТСКИЕ ДОМА, ИНТЕРНАТЫ(SAKH.COM)
  57. ^ 井澗裕, 角幸博、「ユジノーサハリンスクにおける日本期歴史建造物調査」『日本建築学会計画系論文集』 2003年 68巻 571号 p.121-128, doi:10.3130/aija.68.121_2, 日本建築学会
  58. ^ 調査・解説HP(注:樺太神社を豊原神社と混同や豊原高等女学校跡地調査など、ごく僅かの間違いを含んでいる)
  59. ^ 電子ビザで極東へようこそ!”. electronic-visa.kdmid.ru. ロシア連邦外務省. 2019年8月30日閲覧。
  60. ^ Японская газета Хоккайдо Симбун - отзывы, фото, цены, телефон и адрес - Услуги для бизнеса - Южно-Сахалинск(Zoon.ru)
  61. ^ 派遣留学プログラムの概要(釧路公立大学 公式HP)
  62. ^ “さらば日本型鉄道ゲージ 樺太の発展を支えて1世紀 ロシア仕様に変更”. 東京新聞. https://www.tokyo-np.co.jp/article/49771 2021年3月2日閲覧。 
  63. ^ ユジノサハリンスク市内の路線バス(2014年7月28日)”. 稚内市 (2014年7月28日). 2021年3月2日閲覧。
  64. ^ サハリンで活躍している15人乗りバス(2012.09.21-22)”. МИРАЖ (ミラージ)―蜃気楼 (2012年9月21日). 2021年3月9日閲覧。
  65. ^ “サハリン航路が再開 第1便、稚内港に到着”. 産経新聞. (2016年8月2日). https://www.sankei.com/photo/daily/news/160801/dly1608010030-n1.html 2016年8月1日閲覧。 
  66. ^ В Южно-Сахалинске открыли памятник Верещагину и Петрухе(CAKHALIN.INFO)
  67. ^ 「Южно-Сахалинск в цифрах: статистики подготовились ко Дню города(ユジノサハリンスクの数:シティデーに向けて準備された統計家)」収録「Достопримечательности Южно-Сахалинска(ユジノサハリンスクの観光スポット)」(Рос-тур Туризм в России и ближнем зарубежье(Ros-tour ロシアと近隣諸国の観光))
  68. ^ a b 冨井正憲, 藤田庄市, 中島三千男「旧樺太(南サハリン)神社跡地調査報告」『人類文化研究のための非文字資料の体系化』第01巻、神奈川大学21世紀COEプログラム拠点推進会議、2004年3月、126-157頁、NAID 120006547948 
  69. ^ 「ウラジミロフカから豊原へ - ユジノ-サハリンスク(旧豊原)における初期市街地の形成過程とその性格 -」内「2. ウラジミロフカの起源」(著:北海道大学スラブ研究センターCOE非常勤研究員・博士(工学)井澗裕)
  70. ^ Костанов 1993. с. 48-49
  71. ^ なぜボリシェヴィキは土葬を嫌い火葬にこだわったか? / 著:ゲオルギー・マナエフ、2019年3月12日(ロシアン・ビヨンド)
  72. ^ a b サハリン情報 2015年6月号(wakkanai.info @ 稚内)
  73. ^ Молельный дом для мусульман впервые открыт на Сахалине(АСТВ Альтернативное Сахалинское Телевидение 公式HP(ロシア語表記))
  74. ^ a b Резидента исламистской террористической организации задержали на Сахалине(АСТВ Альтернативное Сахалинское Телевидение 公式HP(ロシア語表記))
  75. ^ 治安当局はサハリンイスラム教徒団体の事務所からノートブックと書物を押収した(稚内日ロ経済交流協会)
  76. ^ ロシア極東でテロ計画? IS支持者2人を拘束(産経新聞社ニュースサイト「iza イザ!」)
  77. ^ 樺太における宗教活動(著:ポタポワ.Н.В 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)
  78. ^ サマリン イーゴリ アナトーリエビッチ, 遠坂創三, 前田孝和「サハリンにおける「カラフト」期の日本文化・歴史遺産を保存し利用するという視点からの神社遺構の現況について」『年報 非文字資料研究』第11号、神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター、2015年3月、125-138頁、ISSN 1883-9169NAID 120006620497 
  79. ^ 書籍「'94サハリン紀行 北緯50度線を越える鉄道の旅」(共著:小林博明三田真弘、出版:日本興行株式会社)第3章 サハリン最後の夜
  80. ^ 角哲, 角幸博, 石本正明「樺太における王子製紙株式曾社社宅街について」『日本建築学会計画系論文集』第69巻第577号、日本建築学会、2004年、173-179頁、doi:10.3130/aija.69.173_1ISSN 1340-4210NAID 110004658504 
  81. ^ 「日持上人の樺太布教説をめぐって - 帝国日本における北進論の特質と影響(1) - 井澗裕」内「3.樺太における日持伝説の展開:阿幸の霊跡と豊原の銅像」99頁
  82. ^ 書籍「NHKスペシャル 戦争の真実」シリーズ 第2巻「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」(著:NHKスペシャル取材班、出版:角川書店、発刊:2019年10月25日、ISBN978-04-106738-3 C0095)収録「第11章 帰れぬ遺骨」内「2 戦後72年の遺骨収集」内「ロシアの支援団体の協力を得て、遺骨を探す(140頁)」
  83. ^ 書籍「NHKスペシャル 戦争の真実」シリーズ 第2巻「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」(著:NHKスペシャル取材班、出版:角川書店、発刊:2019年10月25日、ISBN978-04-106738-3 C0095)収録「第11章 帰れぬ遺骨」内「2 戦後72年の遺骨収集」内「ロシアの支援団体の協力を得て、遺骨を探す(136頁)」
  84. ^ 書籍「樺太連盟史」(著・出版:社団法人 全国樺太連盟、2011年12月20日、ISBNコード未発行)収録「トピックス(樺太事業史)」内「十四、サハリン遺骨収集の活動 / 木村滋」207頁)」
  85. ^ 書籍「NHKスペシャル 戦争の真実」シリーズ 第2巻「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」(著:NHKスペシャル取材班、出版:角川書店、発刊:2019年10月25日、ISBN978-04-106738-3 C0095)収録「第11章 帰れぬ遺骨」内「2 戦後72年の遺骨収集」内「ロシアの支援団体の協力を得て、遺骨を探す(135頁)」
  86. ^ 「ウラジミロフカから豊原へ - ユジノ-サハリンスク(旧豊原)における初期市街地の形成過程とその性格 -」内「7. 新旧市街地の関係」(著:北海道大学スラブ研究センターCOE非常勤研究員・博士(工学)井澗裕)
  87. ^ М. С. Высоков и др. История Сахалинской области с древнейших времен до нашихдней. Южно-Сахалинск, 1995. с. 135(訳文:板橋政樹『サハリンの歴史』(日本ユーラシア協会北海道連合会、2000年)157頁
  88. ^ 海外葬送事情「ロシア / 著:山崎瞳」内「遺体は土葬がロシア式」(NPO法人 葬送の自由をすすめる会)
  89. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「北方領土自由貿易圏構想」の解説
  90. ^ 「ロシア極東の地方自治(財団法人 自治体国際化協会)」収録「第2章 サハリン州の地方自治制度」内「第2節 サハリン州の政治・行政機構」内「4. 州議会」19頁

外部リンク

ロシアの旗 サハリン州の市町 サハリン州の旗
州都: ユジノ=サハリンスク

アニワ | アレクサンドロフスク=サハリンスキー | ウグレゴルスク | オハ | クリリスク | ブレヴェスニク | ゴリャチエ・クリュチ | コルサコフ | シャフチョルスク | スタロドゥプスコエ | スミルヌイフ | セベロ=クリリスク | ティモフスコエ | トマリ | ドリンスク | ネフチェゴルスク | ネベリスク | ノグリキ | プリゴロドノエ | ホルムスク | ポロナイスク | マカロフ | マロクリリスク | ユジノクリリスク | ルイバキ