「フットプリント・センター」の版間の差分
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1992年に'''アメリカ・ウエスト・アリーナ'''としてこけら落し。開場当初からサンズが本拠地として利用。 |
1992年に'''アメリカ・ウエスト・アリーナ'''としてこけら落し。開場当初からサンズが本拠地として利用。 |
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純血の[[日本国民]]たる173cmのポイントガード[[田臥勇太]]は[[2004年]]9月6日、サンズと本契約した。同年11月1日、サンズの開幕メンバーに登録され、日本人として初めてのNBAプレイヤーとなった(なお、日系人としては、それ以前に[[ワッツ・ミサカ]]こと三阪亙という日系アメリカ人選手がいた)。その後、開幕戦を含むレギュラーシーズン7試合ベンチ入り4試合出場したが一度も先発出来なかった(出場時間は合計1037秒・17分17秒、7得点3アシスト)が、12月17日アウェイでの開幕第23戦終えてホームタウンに戻った12月18日に本拠地での[[ワシントン・ウィザーズ]]との開幕第24戦直前に解雇が発表された。 |
純血の[[日本国民]]たる173cmの[[ポイントガード]][[田臥勇太]]は[[2004年]]9月6日、サンズと本契約した。同年11月1日、サンズの開幕メンバーに登録され、日本人として初めてのNBAプレイヤーとなった(なお、日系人としては、それ以前に[[ワッツ・ミサカ]]こと三阪亙という日系アメリカ人選手がいた)。その後、開幕戦を含むレギュラーシーズン7試合ベンチ入り4試合出場したが一度も先発出来なかった(出場時間は合計1037秒・17分17秒、7得点3アシスト)が、12月17日アウェイでの開幕第23戦終えてホームタウンに戻った12月18日に本拠地での[[ワシントン・ウィザーズ]]との開幕第24戦直前に解雇が発表された。 |
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開幕当初は即戦力新人・田臥を抱え、途中で解雇したサンズは同年NBAレギュラーシーズン・ウェスタンカンファレンス・パシフィックデヴィジョン優勝しプレーオフ進出。 |
開幕当初は即戦力新人・田臥を抱え、途中で解雇したサンズは同年NBAレギュラーシーズン・ウェスタンカンファレンス・パシフィックデヴィジョン優勝しプレーオフ進出。 |
2023年4月4日 (火) 05:39時点における版
フットプリント・センター The Purple Palace, The Snake Pit | |
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ファイル:Footprint Center.jpg | |
施設情報 | |
所在地 | 201 East Jefferson, Phoenix, Arizona 85004 |
位置 | 北緯33度26分45秒 西経112度4分17秒 / 北緯33.44583度 西経112.07139度座標: 北緯33度26分45秒 西経112度4分17秒 / 北緯33.44583度 西経112.07139度 |
起工 | 1990年8月1日[1] |
開場 | 1992年6月1日 |
所有者 | フェニックス市 |
運用者 | Phoenix Arena Development, L.P. |
建設費 | $9000万米ドル; (2001-04 改修時) $6700万米ドル(建設時) |
設計者 | エラーブ・ベケット |
構造設計者 | Horst Berger Partners[2] |
サービス エンジニア | Flack + Kurtz[3] |
総合建設者 | Huber, Hunt & Nichols |
旧称 | |
アメリカ・ウェスト・アリーナ (1992–2006) USエアウェイズ・センター (2006-2015) トーキング・スティック・リゾート・アリーナ (2015-2020) PHX・アリーナ (2020-2021) フェニックス・サンズ・アリーナ (2021) | |
使用チーム、大会 | |
フェニックス・サンズ (NBA) (1992–現在) アリゾナ・ラトラーズ (AFL) (1992-2008/2010-現在) フェニックス・コヨーテズ (NHL) (1996–2003) フェニックス・マーキュリー (WNBA) (1997–現在) フェニックス・ロードランナーズ (ECHL) (2005–2009) | |
収容人員 | |
バスケットボール: 19,023 (1992–2003), 18,422 (2003–2014), 18,055 (2014–present)[4] アイスホッケー: 16,210 アリーナフットボール: 15,505 |
フットプリント・センター(Footprint Center[5])はアメリカ合衆国・アリゾナ州フェニックスにある多目的競技場。
概要
1992年にアメリカ・ウエスト・アリーナとしてこけら落し。開場当初からサンズが本拠地として利用。
純血の日本国民たる173cmのポイントガード田臥勇太は2004年9月6日、サンズと本契約した。同年11月1日、サンズの開幕メンバーに登録され、日本人として初めてのNBAプレイヤーとなった(なお、日系人としては、それ以前にワッツ・ミサカこと三阪亙という日系アメリカ人選手がいた)。その後、開幕戦を含むレギュラーシーズン7試合ベンチ入り4試合出場したが一度も先発出来なかった(出場時間は合計1037秒・17分17秒、7得点3アシスト)が、12月17日アウェイでの開幕第23戦終えてホームタウンに戻った12月18日に本拠地でのワシントン・ウィザーズとの開幕第24戦直前に解雇が発表された。
開幕当初は即戦力新人・田臥を抱え、途中で解雇したサンズは同年NBAレギュラーシーズン・ウェスタンカンファレンス・パシフィックデヴィジョン優勝しプレーオフ進出。
サンズの新人選手として11月3日アトランタ・ホークスとのレギュラーシーズン開幕戦112-82の勝利に貢献、第4クオーター途中から本拠地のコートに立ち、満員のスタンドから大きな拍手で迎えられた。第4クオーター5分過ぎにはフリースローで得点2。日本人選手としてNBA初得点を記録した。3点シュートも決め、この試合600秒・10分間プレーして7得点1アシスト。日本バスケ界及びスポーツ史にとって歴史的な日となった。自身のNBAレギュラーシーズン通算得点の全てを同試合で記録。11月5日ペンシルベニア州での76ersとの開幕第2戦はベンチ入りも欠場、11月6日ニュージャージー州でのネッツとの開幕第3戦で僅か182秒出場し無得点ながら2アシストで開幕3連勝に貢献。しかし翌11月6日のイリノイ州でのブルズ相手にサンズが開幕4連勝飾った試合から一ヶ月以上に渡り12月8日カリフォルニア州でのレイカーズとの開幕第19戦まで16試合連続でベンチ入り逃す。
その後、12月10日本拠地でのシャーロット・ボブキャッツとの開幕第20戦から解雇前日12月17日ワシントン州でのスーパーソニックスとの開幕第23戦まで4試合連続ベンチ入りも10日と17日は欠場。出場2試合(いずれも本拠地での12月13日オーランド・マジックとの開幕第21戦117秒及び12月15日開幕直前にサンズ離脱した田臥と同じくポイントガードハワード・アイズリー抱えるユタ・ジャズとの開幕第22戦138秒、無得点で0アシストながら自身初のNBAレギュラーシーズン2試合連続出場果たしサンズの連勝に貢献)。
命名権を取得していたアメリカウエスト航空がUSエアウェイズを合併した際に社名を変更したことにより、2006年1月にUSエアウェイズ・センターに改称された。USエアウェイズは後にアメリカン航空との吸収合併により消滅し、2014年12月、同州スコッツデールにあるリゾートトーキング・スティック・リゾートが新たに命名権を取得し[6][7]、2015年夏にトーキング・スティック・リゾート・アリーナに改名した。
2020年11月6日、トーキング・スティック・リゾートとのネーミングライツ契約の失効が発表され[8]、その後はフェニックス・サンズ・アリーナの名称が使用されている。
2021年7月16日、アリゾナ州ギルバートを拠点とする材料科学会社Footprintがアリーナの命名権を取得し、サンズとの長期的なパートナーシップの一環としてフットプリント・センターに改名した[5]。
NBAオールスターゲームでは1995年に、またWWEのサマースラムが2003年に開催された。
脚注
- ^ http://articles.chicagotribune.com/1993-06-09/sports/9306090085_1_suns-franchise-locker-bulls
- ^ http://www.denardis.com/josephdenardis.html
- ^ http://www.ballpark.org/design.htm
- ^ “2014–15 Phoenix Suns Media Guide”. Phoenix Suns. p. 344. January 30, 2015閲覧。
- ^ a b “PHOENIX SUNS AND MERCURY FORM GLOBAL PARTNERSHIP FOR NEWLY NAMED FOOTPRINT CENTER TO BECOME A TRANSFORMATIVE VENUE TO ACCELERATE A PLASTIC-FREE FUTURE”. NBA.com/Suns (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。
- ^ "Phoenix Suns, Phoenix Mercury and Salt River Pima-Maricopa Indian Community announce Talking Stick Resort Arena" (Press release). US Airways Center. 2 December 2014. 2014年12月2日閲覧。
- ^ “Phoenix Suns, Phoenix Mercury and Salt River Pima-Maricopa Indian Community announce Talking Stick Resort Arena”. Phoenix Suns (2 December 2014). 2 December 2014閲覧。
- ^ “Talking Stick Resort’s naming agreement for Suns arena concludes”. Arizona Sports (November 6, 2020). February 12, 2021閲覧。