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内田正洋

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内田正洋

内田 正洋(うちだ まさひろ[1][2][3][4]1956年- )は、長崎県大村市出身の日本のジャーナリスト冒険家シーカヤックの第一人者。数十年にわたって冒険と自然保護活動に情熱を注ぎ、パリ・ダカール・ラリーでのナビゲーター、シーカヤックの普及を通じて海洋文化の発展に貢献している。

略歴

若年期と教育

幼少期から自然や海に深い興味を持って育ち、その情熱は学業においても顕著だった。1978年、日本大学農獣医学部水産学科を卒業し、遠洋漁業学を専攻。在学中、マグロ漁の実習で半年にわたる航海を経験し、海洋探検家としての基礎を築いた。高校時代にはラグビー部に所属し、全国大会(花園[5]への出場も果たす。[6]

ジャーナリストから冒険家へ

1979年に株式会社ACP(Adventurous Creative Pearsons)に入社し、TBSテレビの海外取材番組「おはよう720」内の「キャラバンⅡ」でのスタッフドライバーとして始まった。アメリカを横断し、壮大なロケに参加した経験は、彼の冒険家としてのスタート地点となる。その後、日本テレビの「世界の道」で中東を取材し、イラン・イラク戦争の勃発時に映像を撮影[7]

パリ・ダカール・ラリーでの栄光

1981年から参加したパリ・ダカール・ラリー。彼はナビゲーターとして参加し、1982年には市販無改造クラス、二輪駆動総合クラス、マラソンクラスの3部門で優勝[8]した。この大会は、砂漠を駆け抜けるだけでなく、極限状態での判断力とリーダーシップが試される過酷な競技であり、内田の挑戦精神を象徴するものだった。しかし、1983年の大会では、テネレ砂漠での事故により大けがを負い、一時撤退を余儀なくされた。それでも内田は復帰し、以後もラリー界での挑戦を続けた。

海洋冒険家としての転機

1987年、シーカヤックに出会い、ここから彼の冒険のフィールドは海洋へと広がっていく。彼は、日本国内外でシーカヤックの探検を行い、その活動を通じてシーカヤックを広めることに尽力した。1992年には「黒潮エクスペディション」で西表島から東京湾までの航海を成し遂げ、シーカヤックによる長距離探検の先駆者となった。また、シーカヤックアカデミーを主催し、日本全国でシーカヤックの技術と精神を伝えていった。[9]

教育と自然保護活動

単なる冒険家に留まらず、教育者としても多大な影響を与えている。東京海洋大学横浜市立大学神奈川大学などの非常勤講師として、シーカヤックや海洋文化を後進に伝えるだけでなく、環境保護の大切さも啓発。海上保安庁の海の安全推進アドバイザー[10][11]としても活動し、海洋環境の保全や安全な航海の普及にも努めている。[12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23][24][25][26]

近年の活動

2016年には国立科学博物館の「3万年前の航海プロジェクト[27]」に参加し、太古の航海術を再現する試みに挑んだ。さらに、アウトドアブランド「mont-bell[3]と協力し、自然環境保護や冒険活動のサポートに携わっている。また、内閣府の総合海洋政策本部にて「海洋状況表示システム(海しる)」[28]の構築に助言するなど、現代における海洋環境問題にも積極的に取り組んでいる。

著作

  • 『JAPS WANT DESERT』[29] (1985年、永岡書店) – 砂漠レースへの情熱を描いた記念碑的作品。
  • 『BAJA 1000』[30] (1989年、CBS・ソニー出版) – バハ1000レースの挑戦を綴った著作。
  • 『シーカヤッキング・イン・ジャパン』[31] (1990年、CBS・ソニー出版) – 日本におけるシーカヤックの可能性を示した作品。
  • 『祝星ホクレア号がやって来た』[32] (2007年、枻出版社) – ホクレア号の歴史と航海を振り返る一冊。
  • 『海とオートバイ』[33] (2008年、枻出版社) – 海と冒険心を融合させた内田の哲学が詰まった作品。
  • 『風を超えて』[33] (1988年、CBSソニー出版) – 北南米大陸縦断ツーリングに関する
  • 『褐色の無』[34] (1986年、永岡書店) – パリ・ダカール・ラリーの写真集
  • 『シーカヤック・ハンドブック』[35] (1997年、マリン企画) – シーカヤックのマニュアル書
  • 『ザ・シーカヤッキング・マニュアル』 (1998年、枻出版社) – シーカヤック技術の詳細を解説した書籍
  • 『ホクレア号について語ろう』[36] (2004年、マガジンハウス) – ホクレア号の航海に関するドキュメンタリー
  • 『シーカヤッカーズ・マガジン』 (1999年、枻出版社) – シーカヤックに特化した雑誌
  • 『オートバイの旅』 (1999年、枻出版社) – バイク旅の記録とその魅力を語った作品
  • 『小さなカヌーの大いなる世界』 (2002年、こども夢基金) – カヌーの魅力を紹介するDVD作品
  • 『実用バイクツーリング専科 : すぐ役立つバイク旅行トラの巻』[37]
  • 『祝星「ホクレア」号がやって来た。』[38]
  • 『カヌー&カヤックを楽しむ : 川、海、湖で漕ぐための必修技術&知識集』[39]

主な役職と関連組織

学歴

1962年 長崎県佐世保市立黒髪小学校入学

1968年 山口県長門市立仙崎小学校卒業

1971年 山口県長門市立仙崎中学校卒業

1974年 山口県立大津高等学校卒業 * ラグビー部所属

第52回全国高等学校ラグビーフットボール大会花園)出場(同校初出場) 第27回国民体育大会ラグビー高校男子にオール山口選抜として出場

1978年 日本大学農獣医学部水産学科遠洋漁業学専攻卒 * 短艇(カッター)部所属 * マグロ延縄漁実習船日本大学号にて半年に及ぶ航海を経験

職歴

1979年 株式会社ACP(Adventurous Creative Pearsons) 入社。 東京放送(TBS)報道制作部海外取材番組「おはよう720」内の「キャラバンⅡ」スタッフドライバーとしてアメリカに派遣。10ヶ月で8万マイルを走破(1980年7月まで)。

1980年 日本テレビ海外取材番組「世界の道」スタッフドライバー兼アシスタントカメラマンとしてクウェートイラクヨルダンシリアレバノンへ派遣。9月22日のイラン・イラク戦争勃発時の瞬間的映像(ミサイル発射シーン)を撮影。以後、ジャーナリストの道へ。 自動車雑誌への寄稿、連載を始める。

1981年 第4回パリ・ダカール・ラリー出場(チームACP)[42]準備のため、渡仏。

1982年 第4回パリ・ダカール・ラリー出場。ナビゲーター担当。市販無改造クラス、二輪駆動総合クラス、マラソンクラスの3部門で優勝。

1983年 第5回パリ・ダカール・ラリー出場。ナビゲーター担当。 テネレ砂漠において砂嵐のため、砂丘から落ち重症を負う。1週間後にようやくパリに移送され入院。

1984年 第6回パリ・ダカール・ラリー出場。ナビゲーター担当。 アルジェリア〜ニジェールの国境付近にてリタイア。 株式会社ドライワークスを設立。副社長就任。

1985年 チーム・ドライワークスとして第7回パリ・ダカール・ラリーに出場。オートバイ部門。 マシントラブルのためリタイア。以後ジャーナリストとしてダカールへ。 著作『JAPS WANT DESERT』(永岡書店)を刊行。 ドライワークス退職。 株式会社ACPに再入社。ドキュメンタリー映画の制作に入る。

1986年 第8回パリ・ダカール・ラリー出場。チームACPのナビゲーター担当。映画「栄光への挑戦」(監督、原田眞人[43]の撮影クルー。チームはリタイアしたが、その模様を多くの雑誌にも寄稿。パリ・ダカールの主催者がラリー中に死亡。転機となる。映画は松竹富士系列で上映。写真集『褐色の無』[34](永岡書店)を出版。 株式会社ACP退社。フリー・ジャーナリストに。アメリカのオートバイ雑誌の日本版『サイクルワールド』の寄稿者となる。 メキシコのバハ・カリフォルニア州で開催されるデザートレース、バハ1000へのオートバイでの出場のため渡米。レポートを『サイクルワールド』誌にて特集する。 第9回パリ・ダカール・ラリーの準備のため渡仏。三菱自動車とフランスの女性誌『マリ・クレール』によるチーム・ユーミン・マリ・クレールのナビゲーター担当。

1987年 第9回パリ・ダカール・ラリー出場。リタイアするもダカールまで走る。 アメリカのアウトドア雑誌の日本版『フィールド&ストリーム』が創刊され、寄稿者となり、シーカヤックに関する寄稿を始める。シーカヤックの連載『トランス・ジャパン・カヤッキング』を始める。 日本テレビ開局35周年記念番組のスタッフとなり、アラスカ州の北端からオートバイによる北南米縦断ツーリングをスタート。 ツーリングの途上、バハ1000に出場。

1988年 南米大陸のさらに南にあるナバリノ島まで走る。 南米大陸を一周するトランス・アマゾン・ラリーを取材するも、主催者が破綻し、ラリー・サウス・アメリカとなり、コロンビアのカルタヘナからスタート。アルゼンチンのブエノスアイレスまでを取材しながら走破。 有限会社サンドウォーカーズ設立。 北南米大陸縦断ツーリングの記録『風を超えて』(CBS・ソニー出版)を出版。 アメリカ、ワシントン州で開催されたシーカヤック・シンポジウムに取材(フィールド&ストリーム誌)として参加。 バハ1000出場のため渡米。

1989年 著作『BAJA 1000』(CBS・ソニー出版)を出版。 バハ1000出場とビデオ制作のために渡米。ビデオ作品『BAJA1000』を制作。 第11回パリ・ダカール・ラリー出場のため、渡仏。日産自動車の協力を得て、チーム・デザートレイダーズを結成。

1990年 第11回パリ・ダカール・ラリー出場。 ヤマハ発動機広報誌『55mph』の取材のため、バハ・カリフォルニアへ。1ヶ月の取材を経て帰国。 第12回パリ・ダカール・ラリー出場のため渡仏。チーム・デザートレイダーズ。 フィールド&ストリーム誌の連載をまとめた写真集『シーカヤッキング・イン・ジャパン』[31](CBS・ソニー出版)を出版。

1991年 第12回パリ・ダカール・ラリー出場。フジテレビなるほど!ザ・ワールド』の協賛を受けての出場。 台湾(花蓮港)から九州(鹿児島県山川港)まで、シーカヤックによる「黒潮漕破遠征隊」のに同行取材するも、遠征隊員となる。TBSテレビ『JNNニュースの森』での放映と雑誌『FRIDAY』に寄稿。 パリからユーラシア大陸を横断して北京までを走破するパリ・北京・ラリーが開催されることになり、渡仏。しかし、ソ連8月クーデターの影響で中止となり帰国。

1992年 西表島へ。西表島から東京湾を目指す遠征『黒潮エクスペディション』へ。30日後に東京湾奥、千葉稲毛海岸に到達。 パリ・北京・ラリーが開催されることになり、雑誌『FRIDAY』特派員兼プレスカーのドライバーとして参加。

1993年 イワタニリゾート株式会社よりカヌーカタログ『パドルウォーカー』を制作。 モーターマガジン社より『PARIS DAKARサハラ自動車探検隊』を執筆。 探検家、関野吉晴が企画したグレートジャーニーのサポートクルーとして南米チリへ遠征。シーカヤックでマゼラン海峡を横断のため。

1994年 マゼラン海峡を関野吉晴と横断。フジテレビ番組『グレートジャーニー』の撮影。

1995年 ネコパブリッシングよりアウトドア雑誌『アウトドア・イクイップメント』を創刊。アドバイザー兼ライターとして活動を始める。

1996年 ヨットによる「海から見よう日本」というキャンペーンに参加し、唐津から那覇へと航海。艇長は南波誠だった。その後、アメリカズカップ挑戦のためのシンジケート作りに南波に誘われる。

1997年 本邦初となるシーカヤックのマニュアル書『シーカヤッカーズ・ハンドブック』(マリン企画)を出版。

1998年 マリン企画より『シーカヤッカーズ・マガジン』を出版 枻出版社より『ザ・シーカヤッキング・マニュアル』を出版。

1999年 枻出版社よりシーカヤック専門誌『SEA Kayaker 1号・2号・3号・4号』を出版。 シーカヤックの勉強会「シーカヤックアカデミー」を主催し、伊豆半島外浦にて初開催。 ムック本『オートバイの旅』(枻出版社)を出版。

2000年 『SEA Kayaker オールカタログ』を出版。 ハワイ州宝の航海カヌー「ホクレア号」の25年記念行事に参加。ハワイ〜ラパヌイ(イースター島)の往復航海の成功も記念する行事でもあり、2007年に日本への航海を宣言する機会にもなった。日本航海についてのファシリテーターを託される。 シーカヤックアカデミー開催。

2001年 雑誌『ターザン』に月2回の連載を始める。ホクレア号の広報活動。 雑誌『ボクサージャーナル』(枻出版社)でオートバイツーリングの連載を、雑誌『アウトドア』(山と溪谷社)でシーカヤックに関する連載を始める。

2002年 翻訳本『Sea Kayaking』の出版。プロデューサー兼監修者として関わる。 沖縄の座間味島〜那覇港までの「サバニ帆漕レース」に初出場。 シーカヤックアカデミーを開催。 こども夢基金より『小さなカヌーの大いなる世界』DVDを制作。

2003年 マガジンハウスよりターザン別冊『ホクレア号について語ろう』の制作を始める。 冬の瀬戸内海を7日間で横断する「瀬戸内カヤック横断隊」の第1次隊を結成し、以後10年間継続する。

2004年 『ホクレア号について語ろう』[36]出版。 シーカヤックアカデミーを伊豆半島から山口県油谷町に移動して開催。 第2次瀬戸内カヤック横断隊。

2005年 日本カヌー連盟(JCF)傘下の日本レクリエーショナルカヌー協会(JRCA)が設立され理事に就任。 日本カヌー連盟地域公認指導員(イグザミナー)資格取得。 テレビ神奈川(TVK)毎週日曜日8時55分からの番組『湘南』のホスト役を1年間務める。 フジテレビ『ポンキッキーズ』のコーナー番組『不思議の島、ヤッポー!』の企画を務める。

2006年 東京都の運河ルネッサンス天王洲のアドバイザー就任。 カロリン諸島ポロワット島でカヌー航海師「ポ」を認定する伝統儀式に参加。 世界自然遺産になった知床半島で「知床シーカヤック・シンポジウム」の開催に協力。 ホクレア号日本航海のクルーに指名される。 神奈川新聞日曜版に『神奈川沖浪裏二十一世紀』の連載開始(1年間)。

2007年 ホクレア号日本航海の出航に立ち会い、6月9日の横浜港到着までサポートを行う。 文庫本『祝星ホクレア号がやって来た』(枻出版社)を出版。

2008年 文庫本『海とオートバイ』(枻出版社)を出版。 東京海洋大学非常勤講師となる。

2009年 一般社団法人「海洋緑化協会」設立(2015年まで)。 東京海洋大学のための教科書『シーカヤック教書』(海文堂)[44]を出版。

2010年 一般社団法人「横浜水辺のまちづくり協議会」副理事長(2011年まで)。 東京海洋大学、横浜市立大学、横浜国立大学非常勤講師となる。日本丸訓練センター(横浜市西区みなとみらい2)で7月17日、シーカヤック体験教室開講特別講演「なぜ今シーカヤックなのか?」[45]

2013年 日本カヌー連盟公認指導員向け教科書『カヌースポーツ基礎』(海文堂)執筆。

2015年 ジャパンエコトラック推進協議会理事。

2016年 国立科学博物館3万年前の航海プロジェクト。 海上保安庁海の安全推進アドバイザー。アウトドアブランド「mont-bell」業務委託。

2017年 三重大学非常勤講師。海上保安庁海の安全推進アドバイザー。

2018年 東海大学海洋学部非常勤講師。国立科学博物館3万年前の航海プロジェクト。

2019年 内閣府総合海洋政策本部 有識者として「海しる(海洋状況表示システム」構築への助言。

2021年 神奈川県葉山町にあるホールスクール「旅する小学校」特別講師。

2022年 長門市中央公民館で第16回長門市老人クラブ連合会「シニアフェスティバル」で「海を渡った音楽は時を超えて再び人々をつなぐ」と題して講演。[46]

脚注

出典

  1. ^ 国立科学博物館の「3万年前の航海プロジェクト」”. 国立科学博物館. 2024年10月11日閲覧。
  2. ^ Tewlakoya 旅する小学校”. Tewlakoya 旅する小学校. 2024年10月11日閲覧。
  3. ^ a b c montbell”. montbell. 2024年10月11日閲覧。
  4. ^ 海の旅を27年にもわたって続けている『日本シーカヤック界の第一人者』 数々の過酷なレースを経験してきた彼を、海洋の旅へ連れ出したシーカヤックとの出会いをご紹介します。”. 株式会社Beautyline. 2024年10月12日閲覧。
  5. ^ 大津緑洋高等学校ラグビー部 全国への挑戦”. 長門市ホームページ. 2024年10月12日閲覧。
  6. ^ 内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語”. UP BOOKS & MAGAZINES.. 2024年10月12日閲覧。
  7. ^ 内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語”. UP BOOKS & MAGAZINES. 2024年10月12日閲覧。
  8. ^ 歴代の日本人出場者”. パリダカ日本事務局. 2024年10月12日閲覧。
  9. ^ 内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語”. UP BOOKS & MAGAZINES.. 2024年10月12日閲覧。
  10. ^ a b 海の安全情報”. 海上保安庁. 2024年10月12日閲覧。
  11. ^ a b 海から海を学ぶ”. 海上保安庁. 2024年10月12日閲覧。
  12. ^ 内田 正洋 氏 講演会 テーマ“アウトドアと環境とシーカヤックから見る日本とその意義””. 有限会社トモハウス|建築設計事務所. 2024年10月12日閲覧。
  13. ^ ~「海と島のすゝめ!」みんなの美ら海プロジェクト365 瀬戸内海ver ~”. (一社)笠岡市観光協会. 2024年10月12日閲覧。
  14. ^ 内田正洋 日本財団 know the see project”. 日本財団. 2024年10月12日閲覧。
  15. ^ 地球永住計画 公開講演 〜冒険者たち〜 内田正洋・内田沙希×関野吉晴”. こくちーずプロ. 2024年10月12日閲覧。
  16. ^ 環境教育とアウトドア”. モンベル. 2024年10月12日閲覧。
  17. ^ 鎌倉の海のカルチャーや保護活動を伝えることを目的として結成されたNPO法人NAZe 「Hug the Earth in Daikanyama」”. 特定非営利活動法人(NPO法人) Naze. 2024年10月12日閲覧。
  18. ^ HUG THE EARTH:「海を守る」をテーマにしたイベント ~海と日本PROJECT~”. 日本財団. 2024年10月12日閲覧。
  19. ^ 【講演会開催】海洋緑化で島国日本を救う ”. カーボンフリーコンサルティング株式会社. 2024年10月12日閲覧。
  20. ^ 宇土市青少年健全育成事業講演会 : 航海術に学ぶ知恵と勇気”. © 2024- National Diet Library, Japan.. 2024年10月12日閲覧。
  21. ^ シーカヤッカー内田正洋 トークイベント開催”. カイナニパドルスポーツ. 2024年10月12日閲覧。
  22. ^ 「福岡でハワイ文化セミナー、来年のホクレア号来日前に開催、福岡ハワイ州姉妹提携25周年」『Travel Vision』2006年9月9日。
  23. ^ HUG THE EARTH 「海を守る」をテーマにしたイベント ~海と日本PROJECT~ 開催”. NPO法人NAZe. 2024年10月12日閲覧。
  24. ^ 「海が日本を救う ドリームサロン小田原がセミナー開催」『神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙タウンニュース』2011年10月21日。
  25. ^ SEE TO SUMMIT TAKATSUGAWA”. モンベル. 2024年10月12日閲覧。
  26. ^ 海洋教育普及推進委員会設立記念フォーラム -日本の海洋教育を考える-”. 日本船舶海洋工学会. 2024年10月12日閲覧。
  27. ^ 国立科学博物館の「3万年前の航海プロジェクト」”. 国立科学博物館. 2024年10月11日閲覧。
  28. ^ 令和元年度 海洋状況表示システムの活用推進に関する検討会 報告書”. 内閣府ホームページ. 2024年10月12日閲覧。
  29. ^ 『Japs want desert』永岡書店、1985年1月1日。 
  30. ^ 『BAJA 1000』CBSソニー出版、1989年。 
  31. ^ a b 内田, 正洋, 1956-、Sandwalkers『Sea kayaking in Japan』CBS・ソニー出版、1990年12月。 
  32. ^ 内田, 正洋, 1956-『祝星「ホクレア」号がやって来た。』[エイ]出版社、2007年5月。 
  33. ^ a b 『風を超えて。 : Desert ride』CBS・ソニー出版、1988年9月。 
  34. ^ a b Team ACP 写真『褐色の無 : パリ・ダカールに賭けた男達の記録』永岡書店、1986年6月。 
  35. ^ 内田正洋, Sandwalkers 著『Sea kayaking in Japan』CBS・ソニー出版、1990年12月。 
  36. ^ a b 『Tarzan ホクレア号について語ろう!あなたの知らないもうひとつのハワイ』マガジンハウス、2004年4月7日。 
  37. ^ 『実用バイクツーリング専科 : すぐ役立つバイク旅行トラの巻』三栄書房、1983年9月。 
  38. ^ 『祝星「ホクレア」号がやって来た。』[エイ]出版社、2007年5月。 
  39. ^ 『カヌー&カヤックを楽しむ : 川、海、湖で漕ぐための必修技術&知識集』地球丸、2016年7月。 
  40. ^ 授業科目紹介”. 東京海洋大学. 2024年10月12日閲覧。
  41. ^ 神大生が横浜港でシーカヤックを体験する授業「海の体験学習」を開講します!”. 神奈川大学. 2024年10月12日閲覧。
  42. ^ Team ACP history”. Team ACP. 2024年10月12日閲覧。
  43. ^ https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/04194/”. 松竹. 2024年10月12日閲覧。
  44. ^ 内田正洋『シーカヤック教書』海文堂、2009年7月。 
  45. ^ MMで海洋ジャーナリスト内田正洋さんが講演「なぜ今シーカヤックなのか?」”. ヨコハマ経済新聞. 2024年10月12日閲覧。
  46. ^ 第16回長門市老人クラブ連合会「シニアフェスティバル」”. 長門市. 2024年10月12日閲覧。