クイリナーレ宮殿
クイリナーレ宮殿(イタリア語: Palazzo del Quirinale)はローマの七丘の1つクイリナーレの丘にあるグレゴリウス13世のパラッツォで、イタリア共和国大統領官邸として使われている。
概要
[編集]クイリナーレ通りとクイリナーレ広場に面したこの宮殿は、1583年、教皇グレゴリウス13世の夏の住居として建設された[2]。また、ここで1823年、1829年、1831年、1846年の4回、コンクラーヴェが開催されている。1870年まで教皇の住居および教皇領政府の役所として使われていたが、同年9月に教皇領がなくなった。5カ月後の1871年、ローマはイタリア王国の首都となった。その後イタリア国王の公式な宮殿として使われたが、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1900年-1946年)を代表として実際には他の場所を住まいとした王が多く、クイリナーレ宮殿は単に公務の場としてのみ使われることが多かった。1946年に王政が廃止されると、この宮殿はイタリア共和国大統領の官邸となった。大統領の中にもここを使わなかった者がおり、例えばアレッサンドロ・ペルティーニはトレヴィの泉の近くにあった元々のアパートに住み続けた。
ファサードはドメニコ・フォンターナが設計した。大礼拝堂はカルロ・マデルノが設計した。グイド・レーニ作のフレスコ画もあるが、階段の上にあるメロッツォ・ダ・フォルリのフレスコ画「祝福するキリスト」が有名である。敷地内には18世紀に整備された有名な庭園がある。
関連する建築物
[編集]周辺
[編集]この宮殿の庭園の1ブロック北西にバルベリーニ宮殿がある。庭園の南西に走っている長い壁と通りを隔てた位置にベルニーニの立てた小教会であるサンタンドレア・アル・クイリナーレ教会がある。その通りを北に向かったところにある交差点の角にはボッロミーニのサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ聖堂がひっそりと建っている。ファサードから西に向かって路地を通っていくとトレヴィの泉がある。
コレクション
[編集]1946年以来、すべての銀器と共和国の儀式議長の高い表現によってカバーされ、ユニークなコレクションです最古の銀イタリアのデザイン会社Cesa 1882です。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Europe’s Encounter of Asia in Early Modernity (PDF)
- ^ マイケル・ブース『ありのままのアンデルセン ヨーロッパ独り旅を追う』晶文社、2017年、237頁。ISBN 978-4-7949-6950-7。
参考文献
[編集]- Rendina, Claudio (1999). Enciclopedia di Roma. Rome: Newton & Compton
外部リンク
[編集]- Official site of the Presidency of Italy (Virtual tour of Quirinal Palace)